音の快楽的日常

音、音楽と徒然の日々
Pogorelich
わたしがサントリーホールに出かけると、もれなくといってよいほど天気は雨。
5月9日も昼過ぎまで爽やかだったのが夕方にはどんより曇り始め、
会場に着いた頃には冷たい雨がぱらついた。

今年前半のイベントで一番楽しみにしていた演奏会、会場と同時に入場し、着席。
なのに演奏会は、すでに開演前からはじまっていた・・・。

リハーサルというと、違うだろう。
普段着で、濃紺のニットの帽子を着けたPogorelichが穏やかに淡々と和音を奏でていた。
時折不協和音が混じるけど、どこまでも静かで穏やかな響き。
時折顔を上げ、ステージを見やるけど、
客の入りを確かめているのか、或は特定のどなたかの到着を待ちわびているのか、果たして。


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周囲のお客さんは、開演ぎりぎりまで係の人から促されても、
なかなかピアノから離れようとしない彼を見ても驚いてもいなければ、
アンコール演奏がなくても存分に拍手をして納得して席を立っていたようなので、
きっとPogorelichの「演奏会の約束事」を知っていたのだろう。

わたし自身は、Pogorelichの演奏会は初めてのこと。
なので、演奏会がはじまる前から驚きっぱなしで、
前半の2曲が終わり、途中休憩に入ってから廊下のそこここで話される感想というか分析に、
驚きの連続で気持ちがどこかへ行ってしまったわたしはなんとか現世に戻ってこれた感じだ。
皆さん、どうしてそうも冷静に聴けるんだろう・・・。

レコードに収められた彼の演奏とは違う、ライヴ演奏で起こった数々の「出来事」を、
この夜のためにほんの少しだけ予習はしていたのだったが、
彼がそこにいてピアノを弾いているというだけで圧倒される気配のようなものがあるのに、
ピアニスト自身はどこまでも凪いだ海に浮かぶような自然体でいながら、
聴く者の目の前で破壊と創世が繰り返される。

驚きっぱなし故、自分から彼の音楽に能動的に触れる感じではなかったのだが、
いつの間にか彼の奏でる音楽に心の奥のうんと深いところをしっかり掴まれていたようで、
自分でも訳がわからないうちに、後半の1曲目が始まるやいなや涙が止まらなくなった。
哀しいとか感動したとか、そういう表層的なものでは全くないところの何か。
心の奥底で、まるで羽交い締めにあったような感覚が、
やがて言いようの無い快楽に変わろうとしていた頃には、最後の曲も最終段に。
最後の一音が鳴り止み、指が鍵盤から離れたとき、
余りの緊張に堪えかねて大きく溜息をついた。

深く感動したとか、具体に捉えうる感覚がまるでなくて、頭の中が真っ白になったまま、
会場から傘も忘れず、或はどういう経路で帰宅したのかもまるで思い出せないで、
その晩はただひたすら眠り込んだ。
遠足の前の晩に寝られない子供のように前日は一睡もできなかったせいもあるけれど、
約2時間の演奏をしっかりと受け止めるには、
わたしはあまりにひ弱でへなちょこだったのだ。

***

随分楽しみにはしていたが、
演奏会にでかけようと思ったのは、ほんの些細なきっかけだった。
去年から気に入った音楽家の生演奏にはできるだけ行くようにしていたこともあるが、
あるいは近年の「事件」なども少しは予習し、
自分もその「現場」に居合わせてみたいという下世話な好奇心もなくはなかったが、
偶々、早々に招聘元からの告知で演奏会の日程を知っていたからだった。

思い返してみれば、わたしにとってPogorelichという人は、
確かにピアノの音は一度聴いたら忘れられないけれど、
奇天烈なヘアースタイルをしたりと、ちょっと変わった人であるという程度の印象だった。

しかしながら当夜のことを思い出すにつけ、未だ胸騒ぎを覚える始末で、
願わくばそう遠くないうちにもう一度あの気配に包まれたいものだと性懲りも無く思うのだ。
これではまるで恋煩いではないか。

音楽はほんとうに一期一会。
それにも増して、惜しみなく放たれる響きの連なりが、
たった一度相見えた人のことをこれほど強く焼き付けるとは思いもしなかったこと。
否、ただ一度限り、当夜限りの儚い瞬間だとしたら、それも致し方ないことなのか。

今晩もまた、あの演奏会前に聴いた和音を反芻しながら、
わたしは今の気持ちを「感想」に仕立て上げるべく、ほんの少し抵抗を試みてみよう。
あの何とも言えない気配に抱きとめられるようにして深い眠りに落ちるのがわかっていても。


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