Ivo Pogorelich Piano Recital | 2024.01.28 Sunday |
この時期恒例行事となったIvo Pogorelichのピアノリサイタル。
この機会を当たり前のように享受できる幸せ。
今回の曲目は、
ショパン:前奏曲 嬰ハ短調 o.45
シューマン:交響的練習曲 op.13(遺作変奏付き)
シベリウス:悲しきワルツ op.44
シューベルト:楽興の時 D780 op.94
そして、最終曲を終えてご本人のアナウンスにて演奏された
アンコール曲は、最新のアルバムにも収められた
ショパン:夜想曲 第18番 ホ長調 op.62-2
これと決めた最善の演奏を確実に行うための儀式なんだろうか、
相当にくたびれた楽譜を置きながらの演奏を眺めていると、
まるで何かの修行僧のような雰囲気さへ感じる。
例えば、新進気鋭の若いピアニストが熱量を迸らせる演奏とは対極にあるような。
このひとときについてわたしなどが何かを語れる訳ではないけれど。
記憶に留めておきたいのは、演奏会に出かける度にどんどん響きが美しくなっていくこと。
都度、「これ以上はないな」と思いながら電車に揺られて帰宅するのだけれど、
ああもっと先があったんだ、とため息が思わず出てしまう。
それに知っている楽曲であっても、
目の前に展開される曲は全く別のものに感じられること。
特に3曲目の「悲しきワルツ」は、なんとかしてもう一度聴けないかと
身悶えしそうなくらいに素晴らしかった。
わたしが知っている同曲の録音は、アシュケナージによるシベリウスピアノ曲集の1曲。
2バージョン収録されていて、そのCDを購入した当時はよく聞いていたが、
ここ10年くらいは耳にする機会もなかった。
なぜこの曲が選ばれたのかについては、死のイメージが通底するこの曲にあっては
あえて知りたくない気もする・・・。
Pogorelichのピアノ演奏を初めて聴いた頃は、
変幻自在のテンポで深い森に迷い込むような感覚があったけれども、
今は、1音、1音の響きが透明感に溢れ、もうこれ以上リリカルな音は望めない
そう感じてしまう。でも彼にとっては、それもまた通過点なんだろうか。
うっかりすると口が半開きでちょっと慌ててしまう。
勿体無いので、あまり考えないようにしてひたすら耳を傾ける。
2時間ほどの間があっという間で、
もう終わってしまった、もっと聴いていたいとなかなか席を立つ気になれない。
終演の現実に引き戻された脱力の中で、狭苦しいわたしの胸の内で感情が湧き立ち、
様々な思いが去来しては消えて行く。
部屋に戻ってからもあの広いホールに放たれた楽音の1つ1つが
まだわたしの中に止まっているような気配があり、
とても眠る気になれず、日付が変わった今慌てて備忘録を認めている。
できることならもう一度、昨日の夕方に時間を戻してもらいたい、
そんな勝手なことを独り言する寒い日曜の午後。
◆ シベリウス 悲しきワルツ(ピアノ版)が聞けるアルバム
1 アシュケナージによるシベリウスピアノ曲集
2 アレクサンドル・タロー
オートグラフ 〜アンコール・コレクション