音の快楽的日常

音、音楽と徒然の日々
悲しきワルツ

 

 

半年以上前から楽しみにしていたコンサート。

このために風邪をひかないように、体調崩さぬよう、万難を排してやってきた。

この日を心の隅に置いていたから何とかやってこれたようなもの。

 

 

 

 

彼の演奏を聴くようになってからというもの、

新しい音楽の扉が次々と開かれていった。

聞いて知っている曲なのに、全く違った曲にも聞こえるほど、

無意識の思い込みをあっという間に粉砕してもくれる。

何かに囚われているところからあっという間に解放してくれる。

 

以前はピンともこなかった曲が、彼の演奏で聴いたその晩から、

忘れ得ぬ1曲となることも一度や二度ではなくて。

 

 

 

 

公演前の静かな練習の風景もすっかりお馴染みではあるが、

あの陰影に満ちた響きを本番の公演でもぜひと思っていたが、

何とアンコールで選ばれたのがシベリウスの悲しきワルツだった。

 

どうしたらあんなに切なくも美しい響きでホールを満たせるのだろう。

叙情に溺れるのでもなく、瞳の奥に秘めた静けさにもにて、

一音、一音、まるで遺言のようにして彼の指を離れていくのだ。

 

贅沢な時間はあっという間に過ぎる。

もう少しだけ聴いていたかったなというのはもっと贅沢かもしれない。

心の整理を促されるようなひと時、思わず寒空に立ち尽くす。

嗚呼またしても夢に見る晩が一つ増えたことに海より深く感謝。

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一期一会のPiano Sonata
先週末、Boris Berezovskyのリサイタルに出かけた。
何と言っても、演目の後半に組まれたメトネルとバラキレフが魅力的で、
中でも、わたしにとって彼ほどメトネルを魅惑的に聴かせてくれるピアニストはいない。

しかし、驚いたのは前半にたった1曲だけ組まれたラフマニノフのピアノソナタ1番。
彼が録音した音源にはこの曲も入っているから、初めて耳にする訳ではなかった。
それでも。





一音、一音が何と煌びやかなことか。
そして胸に向かって真っ直ぐ飛んでくる。
時に聴く者の心をかき乱すかのような狂おしさを伴いながら、
音楽はホール全体を深呼吸を繰り返すようにして大きく深く満たしていった。

予想がこうも鮮やかに、良い方に裏切られてしまうとかえって戸惑うようで。
後半にとってあったはずの心の余裕はどこへやら。

惜しむらくは、いつもの公演に比べ会場の入りが今ひとつであったこと。
この会場にやって来て、あの演奏を体験できた方が少ないというのは何ともはや。
生演奏はどうしたって当夜限り、一期一会の体験だからこそ、
今もこうしてあの夜を懐かしむように大きな溜息をつく。

アンコールはチャイコフスキーの四季から8月、9月、10月の3曲を。
10月はたしか去年のリサイタルでもアンコールで弾かれたような。
メランコリックなメロディが、濃密な時間を締めくくるに相応しい小品。

ああできることならもう一度あのソナタを聴きたい。
言っても仕方の無いことと知りつつ、ついひとり言が口をつく秋の夜だ。
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郊外のホールでBachの平均律を
埼玉は与野本町にある彩の国さいたま芸術劇場でBachの平均律第一巻を通しで聴いた。
弾き手はピエール=ロラン・エマール。


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ホール設立20周年というメモリアルイヤーの記念公演という訳でもないだろうけれど、
それほど大きくない会場はほぼ満席になり、
響きがライブな会場だけにちょっとした物音や動作の音が気になってしまう。

会場が落ち着いてほどなく演奏者が舞台に登場、
思ったよりも背が高く大きな方であることに驚いた。
普段CDでばかり聴いていると、
音楽のことだけでなく、随分と勝手な想像をしていたりするもので、
生演奏に出かけると、そんな或る種の思い込みに愕然とすることが少なくない(笑)。

さて、平均律曲集の第一巻を、20分の休憩を挿みながら前後編に分けての全曲演奏。
当初は休憩なし!とアナウンスされていたので少々緊張して出かけたのだが、
会場入り口に「休憩あり」との掲示があってほっとした。

この春に出た公演と同じ演目のCDをまだ聴かないでいる。
今回は予習をせずに、先入観なしに聴いてみようと思ったのだが、
やはり全曲演奏ともなると後半は前半に比べて余裕がなかったかもしれない。
もちろん演奏は素晴らしかったけれど、
聞き手のわたしの側で、付近に座っている方の物音などで妙に気が散ってしまった。
入り込めた前半と比べて、ということなのだけれども。





こうして様々な弾き手の演奏を体験してみると、
少しずつではあるけれど、自分がどんな演奏を聴きたいと思っているのかが、
逆にあぶり出しのようにはっきりとしてくるから面白い。

ある音楽に出会い、船が碇を下ろすようにしてしっくりと落ち着くこともあれば、
それが起点となってあちこち彷徨い出してしまうこともある。

Bachの音楽は、音楽を聴いていく上で、或いは自分が好む演奏を探す上で、
とても重要な羅針盤の一つとなっているようだ。

CDを買って改めてエマールの演奏を聴くかどうかは、
もう少し時間が経ってからでも遅くない、そんな気がした週末の午後。
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Jazz喫茶でキューバ音楽を聴く @四谷いーぐる
キューバ音楽事始め、と題して開催されたJazz喫茶の老舗いーぐるでの音楽イベント。
語り手はアオラ・コーポレーション代表の高橋政資さん
Jazz喫茶というと、学生時代に通った吉祥寺Meg以来、というと大袈裟だけれども、
ちょっと緊張して足を運んだ土曜の午後。


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細い階段を降りてのお店というと、個人的にはJazzに通ずる・・・
渋谷UnionのJazz館にJARO、それからetc...。
趣のある扉をぎいと開ければ、既に会場は満杯近く、熱気充満一歩手前の状態。
なんとか入り口付近に陣取るも、オーダーをなかなか取りに来てもらえない。
チーズケーキがおいしいよ、と聞いていたので、
紅茶とのセットを取りあえずは頼んでしまいたいのだが。

今回のイベント、歴史をひも解きつつ、時代を追ってキューバ音楽体験をする趣向。
何しろキューバは地図でこの辺り、と指差せる程度にしか知らないし、
キューバと言えば葉巻、みたいな紋切り型の先入観たっぷりなわたしが、
FBで開催を知り、勢いで紛れ込んだ会場だけど、
いざ音が出てみれば、独特の埃っぽさと密度の濃さに、
室温もぐっと5度は上がったかといった具合。

ソンやルンバといったことばが出て来てようやく耳にしたことのある音世界に。
素っ気ないほどの伴奏に艶やかな歌声を乗せて、
軽快、というのとはちょっと違う、まったりとしたノリの良さがうれしい。
貴重な映像や音源にも丁寧な解説が付されて、
気がついてみればあっという間に2時間半を過ぎた。
あと少しというところで時間切れになり、会場を後にしたが、
久々に濃密な時間をすごしたせいか、暗く陽が落ちた外を歩き出すと少し目眩が(笑)。


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喫茶いーぐるでは、このような音楽イベントを定期的に開催しているそうで、
World Musicファンならおなじみの、音楽評論家、北中正和さんの講演も10月に控えている。
Jazz喫茶としてはゆったりしている店内も、こうしたイベントだと早めの会場入りが吉かも。
プロジェクター映像が座った方向に見える側に席を取って、
ゆったりとお茶しながら、
或いはビールの喉越しに体を目覚めさせつつディープな音楽に浸ろう。
今後もお店のイベントスケジュールを要チェック♪
それにしても、押し出しの強い音に圧倒されつつ途中退席も充実の午後だ。


■ Jazz喫茶いーぐる http://www.jazz-eagle.com
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TIAS 2014
例年11月に開催される東京インターナショナルオーディオショウが、
会場の都合で今年は9月に。
土日を挟まない日程のせいか、初日の23日は予想通りの激混みで、
ブース間の移動もままならないほど。
結局、いつもお邪魔するLINNブースの他は、限られた講演に参加するだけに留まった。


傅信幸さんの講演はいつもながらの楽しさで、
ここのところの仕事の慌ただしさをつい忘れてしまう。
例年配布される試聴曲リストは今年も健在で、
いくつかの「新曲」も追加され、女性ヴォーカル好きには要チェックのディスクも。
それでもわたしは、今日改めて思ったのだった。
ゲルギエフのくるみ割り人形は、やっぱり素晴らしい!と。


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ジャケットの下にKIROVとあるくらいだから少し前の録音になる。
しかし、この色彩感はいったいどこから来るんだろうと思うくらい、
大編成演奏の醍醐味が目一杯に詰まっている。

今日取り上げられた試聴曲は、
このアルバムの中から犬のお父さんが出てくるCMでもおなじみの件。
さすがにブースで聴かせていただいた音量のようには、
自分の部屋では再生できないけれども、
響きの広がり方や各々の楽器の音の質感など、
まとまった一つの演奏として聴くこと以外にも、聴く楽しみがたくさんある。

傅さんは、このディスクをとうとう新調されたそうで、
その価格も以前よりもずっと安く手に入ったことなどに触れておられたが、
CDが売れないと言われて久しいこの時代に、
すべての音源がダウンロード音源化されるとは限らないからこそ、
買えるうちにぜひ!とお勧めしたい。

***

今日、傅さんの講演で聴けた試聴曲のうち、最近のアルバムで気になったのは、
やはり陽水のライブアルバム。
DVDやBlu-rayのおまけがついているバージョンが先行発売され、CDのみはこれからの様子。
会場で流れたのは「少年時代」だったけれど、
氷の世界ツアーと題されたライブアルバムの収録曲には、「心もよう」ももちろんあって、
今の彼の歌声で聴いてどんな風に感じるんだろうと、ちょっと及び腰な自分がいたりする。
それにしても、あの艶やかな声が現役でもって聴けるなんてと驚くやら何やらで、
どのバージョンで手に入れるか、ちょっと思案してしまうほど。

TIASは有楽町の国際フォーラムで明後日25日まで開催されている。
お時間の許す方はぜひ。

◇ 東京インターナショナルオーディオショウ http://iasj.info/tokyo-international-audio-show/2014/
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Amazing! Nikolay Khozyainov Live in Hamarikyu-hall
そんなに生演奏慣れしている訳ではない。
だから、比較するものの数も知れているのだけれど、
今夜のピアノ・リサイタルは驚きのひと言に尽きた。
昨年に続き来日の若きロシア・ピアニズムの担い手による一夜、
築地は浜離宮朝日ホールでのNikolay Khozyainovのリサイタル。





使用する楽器がYAMAHAのピアノということで、
耳あたりも少しばかり違ったのかも知れないが、
調律のびしっと決まった楽器の響きであったとしても、
正確な打鍵から放たれる響きの何と伸びやかで美しいことか。

さて、演目はシューマンのアラベスクに始まり、2曲目にいきなりダヴィッド同盟舞曲集が。
あっけにとられている端から、リストのメフィスト・ワルツ第1番へ。
これが前半のプログラムというのも溜息ものであったが、
想像を遥かに超えて迫り来る音楽の波に溺れてしまう。

確かに、難曲をいとも軽々と弾きこなすピアニストは彼一人ではないだろうが、
弱冠22歳にして提示してみせる世界はこれまでに体験したことのない音空間。
前半と知りながら思わず立ち上がりそうになったのはどうやらわたしだけではなかったよう。

ショパン・コンクールで優勝を逃したことが話題になったほどだから、
日本でもファンの多いショパンの楽曲を後半に備えているのはわかるとしても、
子守唄変ニ長調からピアノソナタ3番になだれ込んでいく様は、
前半あれだけ弾いてまだ、と呆れるほど。

小柄で細身で、手もそれほど大きくなさそうな。
でもピンと伸びた背筋と肩から指先までがとてもしなやかにつながっている様に、
あれだけの音量で奏でながら何ら無理も感じさせず、
楽器とあんな風にコンタクトしているというのがもう何とも羨ましくて。

難曲を交えてのプログラムが終わると気持ちが晴れたのか、
メドレーを入れて5曲ものアンコールが演奏され、
しかもウイットに富んだアレンジが目白押し。
要するに彼は、ピアノが大好きで、ピアノの演奏が大好きで、音楽が大好きなんだと。
しかもお客さんを楽しませようという気持ちがたっぷり伝わる濃密な時間。





あくまでタラレバだけれども、
プログラムが前後入れ替わっていれば、
今夜のスタンディングオベーションはもっと人数が増えたはず。
もうじっとしていられないほど、お尻がむずむずするほどだったのだから。

リリカルで瑞々しくて、そして何と外連味のなさよ。
時に悪魔にでも魅入られたかのような激しさと、そして破綻すれすれを行く大胆さと。
理屈抜きに、ありがとう!を全身で表現したくなった夜もそうは無い。
また追いかけたくなった演奏家と出会えた夜に感謝しつつ、
確かにその場に居合わせたことの幸運を噛みしめつつ、
次回、彼の演奏を聴く機会を心待ちにすることにしよう。


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Scriabin Etude Op.2-1
アンコールのたった1曲が耳の奥に残って離れようとしない。
もちろん、先日のプレトニョフのリサイタルには、
Scriabinが演目にあったから行ったのだけれども、
これまで聞いたどの演奏とも違う、どこまでも淡々とした演奏に、
全身を耳にして聴き入った。

ここ数年間、指揮中心でピアノ演奏から遠ざかっていた演奏家。
音源もそれほど多くは出ていないので、
いつもはC.P.E.Bachの作品集ばかり聴いていたが、
先日のライブ演奏があまりに印象的で仕事も何も手につかず、困ってしまった。
それで、音質は今ひとつで残念だけど演奏はやはり素晴らしい録音で、
ちょっとお茶を濁すというか、心の整理をすることにした。
プレトニョフの弾くスクリャービン曲集。


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指先から紡がれる美しい響きから、
独特の柔らかでしなやかな運指を想像していたが、
実際のライブ演奏で見たそれは、少し想っていたのとは違い、戸惑った。

つい指の動きを追いかけてしまうので、目を閉じてじっと聴き入った。
何ともまろやかで消え入る響きは春の花の匂いのよう。
神秘的でファンタスティックな、或はメランコリックなScriabinなら、
これまでもいろいろと聞いてきた。
最大限にコントロールされたメロディの抑揚。
それなのに聴く者の胸内に、一小節毎にこみ上げて重なっていくものがある。
たった一曲のアンコールはエチュードの2番の1だった。
大好きな曲がアンコールに選ばれる一夜というのはそれだけでも忘れ得ぬものとなるのにー。

演奏会の体験には、CDやレコードにはない良さがある。
それは当夜のことを反芻しながら、幾度となく演奏を楽しめることだ。
梅雨もまだというのに、この蒸し暑さにやられながら、
それでもまた今夜もあのフレーズを思い出してはつい口元が緩む。

楽譜は一つでも演奏家の数だけ音楽がある。
何が本当かなんてどうでもいいのかもしれないが、
もしも作曲家が生きていたら、
当夜のプレトニョフの弾いたエチュードの感想がぜひとも聞きたい。
そして、Scriabinが弾いたかも知れないエチュードを聞いてみたい、
そんなどうしようもない願望で頭が溢れそうになる夜だ。
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Balthus
あと1日すれば週末、というのに我慢できなかった。
雹の降る荒天のおそれ、という天気予報も見ることもなく、突然思い立って取った休暇。
会期中に3度は観に行こうと決めていたBalthus展に出かけた。


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絵画には詳しくない。
出かけた先でふらっと美術館に入り、眺めて気に入ったりしたものを画集で探す程度だから、
どうしても見たいもの、というのはそんなに多くない。

今回のBalthusは特別で、
一度見たら焼き付いて離れなかった「夢みるテレーズ」というタイトルの絵を、
どうしても今の自分の眼で見ておきたかった。

いつか行ったゴッホやピカソの展示ほどは混まないものの、
少し引いた位置から作品を眺めようとすると大勢の頭越しにしか見られない。
なので良いタイミングが来るまでじっとその絵を眺めていた。

抑制された光の中で描かれた少女の姿。
手足の、その筋肉のつき方がいかにも少女なのに、
漂う気配のただならぬ感じ、匂うような生々しさ。
心の奥底を見透かされてしまったような心許なささへ覚えて。

今回の企画展は年代を追って網羅的に編まれているほか、
Balthus自身のインタビュー映像やのアトリエの再現など、
かなりな密度だ。

展示の最後に図録やお土産を買い求めて外に出たら、
あまりの眩しさに頭痛がするほどであったが、
それもつかの間、あっという間に空が暗くなり、雷が鳴り始めた。
今回のBalthusだけではなく、同じエリアの美術館巡りなどを朝早くからやったりしたから、
急に天気がおかしくなったのかと思ったが、
周囲が手際良く傘を出しているのを見て、
自分が天気予報を見てこなかっただけと分かり、少し安心した。

図録やなにかが濡れてはいけないから、駅に向かってどんどん歩いた。
背中がみるみるうちにじっとりとしてきた。
ああ、この生暖かい感じ、あの絵の周りにあった空気の感じだ。
突風に煽られて開いた傘がチューリップのように裏返っていく。
チューリップの花咲く向こうに見えたような気がした赤い点、
それが気のせいだと気づいたのは帰りの電車の中。
遠い記憶の欠片が互いに結びつき、心地良い目眩の止まない1日だった。


◇ Balthus展 http://balthus2014.jp
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夢のあとに
最近、人の名前、例えばそれが昔の同僚であれ、俳優であれ、
とにかくど忘れの度が過ぎたとしか思えないほど、思い出せないことが増えた。
もともと、記憶を溜めるための容量は異様に小さいと思っていた我が頭の中身は、
どうやら春を待たずに溶けてしまったかに思えるほど。

なのに、くだらないことは矢鱈に覚えてしまっているようで、
何かの拍子に思い出しては、ああくだらないことをいつまでもとつい口にしてしまう。
競走馬の訓練に関して、「馬は嫌だったことはいつまでも覚えている」というのを思い出し、
案外そういうものかもしれないと思いながら、
この物忘れというか、人の名前が出てこないのは失礼な場面も多々あり得るので、
他のことは忘れても、何とかならないものかと頭が痛む。


先週末、Miklos Perenyiのコンサートに出かけた。
金曜、土曜と2日連続公演のうち、チケットが取れたのは初日のみで、
プログラムは2日目の方がコダーイやリゲティで良かったのだが、
何しろこの公演を知るのが遅過ぎて、初日の方も完売直前だった。

会場の朝日ホールは大きくも小さくもなく、最後列からの見渡しや音響も想像以上によくて、
1曲目のバッハ無伴奏から何とも言えない心地良さについ別の世界にいってしまいそうだ。
弓の引き具合というのか、これまで見たチェリストの中ではもっとも動作が小さく、
無駄な動きが削ぎ落とされた感じで、
会場の隅まで響いてくるその音色は、ひと言でいえば「嫋やか」だった。

音楽は音符の集合かもしれないが、ぼつぼつとした音の単なる集りではなく、
集まって全く別な1つの形になっていることに、
当たり前のことなのだろうけれど、改めて意識が向く。
息継ぎのようなぷつんと切れたようなところが一つもなく、
音楽は本当に当たり前のように難なくつながっていき、
1曲の演奏が終わったときの、楽器がふうっと大きな溜息でもついたような、
あの独特の余韻が今でも胸に蘇る。

前半は独奏で、後半は彼の子息でピアニストのベンジャミンとの共演で。
予定の演奏が一通り終わって、わたしの胸中はまるで洗濯でもしたように清々しかったが、
驚いたのは、アンコールの1曲目、フォーレの「夢のあとに」。
美しくてメランコリックなメロディを
穏やかな中にも艶やかな、どこか土の薫りのするチェロの音色に乗せて。
渇いた大地を自然の雨で潤していくような力に、
心の奥底にある、その存在すら意識することのない眼が開かれていく。


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部屋に戻って、改めて聴くPerenyiの「夢のあとに」。
Kocsisとの共演で、彼の得意とするアンコール曲を集めたアルバムだ。
同じ人のチェロなのに、ついさっきほどの強い浸透力は、
この録音からは感じ取れないが、
それは演奏の質ではなく、
「わたしがあの会場の、あの場所に、どんな心持ちで音楽を聴いて、
 それがたった1回こっきりの生演奏で再現はもうできない」
からこその体験であったからではないか。

Perenyiという音楽家は、録音した後にもそれが気に入らないと、
音源の回収をしたこともある方だときいた。
それは、演奏自体が気に入らないもので世に出すまいとしたのか、
或は演奏自体を再現するのにほど遠い音質であったから嫌ったのかは知らない。
ただ、そうしたエピソードから想像する峻厳さとは違って、
彼の演奏する音楽はどこまでも優しく、繊細で、そして嫋やかだった。
雪が降ったり止んだりの冷たい1日の終わりに、
思わず笑みが漏れる、忘れ得ぬ晩となった。
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闇と光に揺れる - Ivo Pogorelich Piano recital
去年出かけたPogorelichの演奏会があまりに素晴らしく、印象的だったので、
また来日公演があるときは絶対に行こうと決めていた。
昨年に続く2013年の来日公演は3カ所。
そのうち2日目のMuza川崎と最終日のサントリーホールの公演を予約。
チケットと一緒にサイン入りの写真が届いたのは招聘元の用意した特典だそうで驚いたが、
もっと驚いたのは、そのサインを用意したIvoが事前のインタビューで、

「いくつかの写真には❤️を書いたので当たった方はおめでとう!」

などと語っていて(このblogに絵文字を使ったのは初めてだ)。
わたしは残念ながらその幸運に恵まれることはなかったが、
そういうお茶目なところがあったりするんだというのが意外だった。


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12月6日の夜、被災改修後のMuzaに初見参。
開場ギリギリ、食事を摂るか、開演前に普段着のIvoがピアノに向かう姿を見るか。
迷う必要など全くないが、演奏者に手の届きそうな席だったので、
お腹が鳴ったりしたらどうしよう、などとくだらない心配までした。

当夜のプログラムはショパンとリスト、去年聴いたプログラムの再演。
事前の指慣しなんだろうか、時に不協和音を交えて静かに流れるピアノの音も、
確か去年耳にしたものと同じだ。
何かを一つひとつ確かめるようにしてピアノを弾きながら、
時々顔を上げて会場を見やる表情はどこか厳しいものがあった。

前半のショパンの葬送、そしてリストのメフィスト・ワルツ第1番。
自問自答のような演奏、ものすごく慎重に見える運指、この気配の重たさは何だろう。
会場の響きの違いを差し引いても、同じ曲が違うものに聴こえるほど印象が違う。
冷たい金属の塊をじっと胸に押し付けられるような重さに思わず溜息が漏れた。

後半が始まる前に、ピアノの調律が。
どこか仄暗さを感じさせる響きはごく僅かなピッチの影響もあったんだろうか。
後半の1強目、ショパンのノクターン ハ短調op.48-1は、
音の粒立ちや音の消え往く様の艶やかさにうっとり。
ラストのリスト、ピアノ・ソナタ ロ短調はもう半ば口を開けたままになってしまい、
アンコールを求める拍手の波間にかろうじて漂う抜け殻と化した。

それにしても。リストの曲というのは・・・。
からっぽの躯に遺された黒いかたまりを、
誰でもいい、手を突っ込んででも取り去ってくれないだろうか・・・。


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***


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中1日挟んでの8日はサントリーホール。
さすがに12月の夕方ともなると、外で開場を待つのは体が冷える。
今夜もまたあの黒いかたまりが胸に迫るようなのだとどうしようと気弱になるも、
やっぱりPogorelichのピアノに触れたい気持ちの方が大きいから、
席は指定だというのに、開場後きっちり中に入ろうと列に並ぶ。


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この開場の合図のからくり時計が、
プラハの街にあったような、もう少し派手なものだったらいいのになどと
つい勝手なことを考えつつ、心の中ではもう大拍手。

さて、最終日の夜はオール・ベートーヴェン・プログラム。
衣装は一昨日のままに、開演前の儀式のPogorelich。
でも、長調の和音を中心にして、ときおりベートーヴェンの楽曲のフレーズも。
弾くというより、指がかすかに鍵盤に触れるようにして静かにピアノと対話しているよう。
あまりに間近い席のせいで、

 「座るとズボンの裾がすごく上がって短くなってしまってる」とか、
 「Chetも晩年大好きだった細いストライプのズボンが可愛い」とか、

演奏とは関係ないどうでもいいことが気になってしまい、肝心のわたしが集中できない。
儀式の演奏が陽性で軽やかな調子のものだったから、
緊張がつい解れてしまったのもあるが、
ほんとうに演奏に浸ろうと思えば、
こどもなわたしには少し離れた席の方が良かったのかも知れない(反省)。


演目の予習も怠り無く挑んだ当夜のリサイタル。
曲目も何も違うけれど、ピアノの響き、
音楽そのものがぐっとこちらに近づいてくる演奏に体中の細胞が全開モード。
正直、ベートーヴェンが素晴らしいと思って前のめりになったことはあまりなく、
好きなピアニストができてから、少しずつ聴き進めてきて、
子どもの頃のような食わず嫌いで聴く前から疲れてる、みたいなことはないが、

 こんなにベートーヴェンの曲が好きになるとは!

ピアノ・ソナタ第8番の「悲愴」に始まり、ロンド・ア・カプリッチョを挟んで22番に。
休憩後は続く23番「熱情」、24番を。
もちろん予習はしたし、半分は前からよく知ってる曲だ。
でも、初めて耳にしたような新鮮な驚きと、
不意に手を引かれて知らない空間に連れ出されるような不思議感覚の連続。

そう、抵抗せずに身を任せてしまおう。
理解しようとかどうとか足掻くのではなく、無駄な力を一切体から抜き去って。
彼の奏でる音楽を目一杯楽しむにはそれがいい。
地の底まで届きそうな垂直の力を込めての低音の連打も、
消え入る様がなんとも美しく切ない高音のピアニッシモも。
音と音の間合いまでもがこちらに語りかけてくる。
それでもたじろぐことなく身を預けよう。

アンコールは一昨日も弾かれたショパンのノクターン。
冴え冴えとして一層音の引き立つ演奏に溜息が止まず、
席を立つことがなかなかできなかった。
そしていつもの地下鉄に乗って部屋に戻ったのだが、
どう帰って来たのかも思い出せないほど、ずっと興奮が続いていた。

なのに、目を閉じれば、
あのフレーズでの右手指の動きが今もそこにあるように思い出せてしまう。
眠れぬ夜がこれほど幸せに感じることはこれからもそうはないだろう。
自分の手をじっと眺めては溜息する冬の夜だ。


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