音の快楽的日常

音、音楽と徒然の日々
ラジオの時間

子供の頃に買ってもらったラジカセがある。

オルガンを習い始めていて、音楽を聴くことが一番の上達方法です、

と講師の方から進言があったからだ。

ラジオは父のトランジスタラジオを借りてよく聞いていたが、

野球中継の時間はそれ専用になるので、

いつかは自分のラジオが欲しいと小さいながらに願っていたから、

そのラジカセが届いた日は、どれだけ嬉しかったって、表現のしようがない。

 

そのラジカセはわたしの手元でずっと現役であり続けたが、

最初にダメになったのがカセットテープの再生機能で、

メーカーに修理を相談した際にも、

如何せん時間が経ちすぎていて難しいとの回答。

そうこうしているうちに、ラジオの再生音にもノイズが乗るようになり、

音量調整も効かなくなってしまった。

 

ただの飾りであっても、ずっとそばにあったものなので、今更処分なんてできない。

外観の清掃がラジカセに触れる唯一の楽しみになってしまって何年経っただろう。

ある時、ネットフリマに同じ機種が出ているのを見つけた。

なんでも出品者が自ら修理を施し、カセット再生も問題ないとの触れ込みだった。

おりしもラジカセブーム、似たような機種が随分とあちこちに出品されるようになり、

もっともその大半は現状渡しという条件であったが、

うちのラジカセと同じ機種が出ているのを見つけては、買うか買わまいか、

と悩んでいるうちに売れてしまった。

 

そんなことを繰り返すうちに、修理の過程を記事にされている方を見つけ、

ダメもとで連絡をとってみたところ、わたしのラジカセの修理を引き受けてくださるという。

その方も出品されたりしていたが、思い入れのあるものなら直した方がいいのでは、

破損や故障が酷いとできることも限られるが、との提案だった。

またとない機会、一度もお会いしたことのない方に手元のラジカセをお送りしたところ、

無事にというか、見事に修理され、美しい状態になって戻ってきた。

ただ直ってきたというよりは、

もしかしたら持ち主以上の愛情をもって手当されてきた感じだ。

 

このラジカセで聴けるようになってからというもの、

毎日の多くがラジオの時間となった。

レコード再生と違って、ラジオはほんの隙間時間でも構わないし、

手間いらずなので、出がけの慌ただしい時でも大丈夫。

なんなら定時に天気予報も流れるので、ネットをいちいち確認不要となった。

音質は、お世辞にもhifiとは言えないが、押し付けがましさのない心地よい音だ。

 

今後、デジタル化の波に飲み込まれ、こうしてアンテナで受信して聴ける番組は

ひょっとしたらどんどん減っていってしまうのかもしれない。

或いはradikoのように便利で安定して聴けるものもある。

それでも、自分が生きているうちは、普通にこうして聴ける番組があったら、と思うのだ。

ラジオで聴くことの楽しみをなんと言えばいいのか、もどかしいほど言葉にならない。

わたし自身、古いラジカセをようやく直してもらったところだから、

偉そうなことは言えないが、

取り戻して改めて痛感するその良さということなんだろうか。

 

なんにせよ、日々に新しい楽しみが追加され、何よりだ。

偶々ダイヤルを合わせていた局の放送で、思わぬ音楽との出会いにも期待したい。

よもやま | - | - | author : miss key
盤を数える

このblogに時折届く質問メール。

 

「盤を数えたことはありますか」。

 

あります。ありますとも。

しかしながら、

CDで言えば3,000を超えたあたりからだんだん怪しくなり、

数を訊かれても、「たくさんある」としか応じられなくなりました。

面倒というのもあったが、棚に入らない分を床に積み上げたり、

ちょっとした隙間に詰め込むような真似までしていたし、

何より、ただ数えることにさして意味がないことに気づいてからは、

数えなくなりました。

ついに数えるという面倒から解放されたのでした(大げさか)。

 

レコードは隙間に詰めるとか、適当に積むような真似は難しく、

棚に収まっているので、およその数なら把握できる。

ただ、今の住まいに住み替える際にかなりの断捨離を断行したので、

音楽を聞かない方なら「そんなにたくさんあるんですか」というくらいのもので、

マニアの域には遠く及ばない程度の枚数でしかなくなりました。

なので、実際に数えるほどの量でもなくなってしまってからは

自然と数えなくなったわけです。

 

 

数える、といっても。

同じタイトルは1とするのか、物理的な枚数でカウントするのか。

リマスターやジャケ違いはどうするのか。

数に執着があった頃は、盤1枚1枚にもかなりの執着があって、

同じタイトルでも気に入った盤はこれ、とはっきりわかっているにも拘らず、

好みが変わるかも知れん、といった強迫観念がよぎるからか、

しまう場所もないのに手放さないからどんどんと増えていきます。

人気盤ほど再発も多くて、あれやこれやと。

 

 

そして、次の質問が結構刺さったというか・・・。

 

「盤が好きなのにどうしてデータ再生に切り替えたんですか」。

 

わたしはDSというLINNの再生システムを利用していますが、

それは、ある時点から、聞きたい盤をささっと探して取り出せなくなったからです。

買って持っているのはわかっているが、どこにあるかがわからない、思い出せない。

それに、床に積む生活が始まったくらいから、やってはいけないあること、

つまり、持っているとわかっているのに探し出せないので

「もう一度買う」

というようなことまでしてしまうようになり、

さすがにそれはいかんということで、検索性や探すという時間と手間を省くために

止むを得ずデータ再生に移行したというわけです。

 

とはいえ、未練がましくもオールインワンのプレーヤーである、

LINN Classik Musikを未だ現役で使っています。

寝る前の1枚、とか、CDをトレイに乗せて再生したいと特に思うときに。

アナログレコードほどではなくても、トレイに乗ったCDが吸い込まれていき、

読み込まれるまでのジジッという音に、さてどんな音がでるやらと楽しみになる、

そういうある種のルーティーンのようなものが染み付いてしまっているからです。

それもまたある種の愉しみでもあります。

 

それでも。

ネットで日々様々な作品を耳にする機会があり、ローカルのラジオ放送ですら、

ストリーミングで選び放題。

それを、一昔前のように盤を探して手に入れて、なんてやっていると、

時間とお金が湯水以上に飛んでいくー要は破綻するわけです。

なので、サブスクなどで見つけた、新しく気に入った1枚、

どっぷりと聞き入ってみたい1枚などをCDやレコードで手に入れて再生する。

そういうスタイルに切り替わったことで、再生装置にはそれなりの投資が必要でも、

わたしのような音楽中毒者にとっては、結局元が取れ、リーズナブルに収まる、

という図式です。

 

あるいは、物理音源に執着が強いわたしのような人間が、

ある種生活スタイルまで変えて今に至ることができたのは、

多くの新譜がアナログレコードで手に入るようになったこともあるかもしれません。

盤を手にして何やら感じたり思ったりする点については、CDの比ではありません。

手で触れたり眺めたり、という楽しみがいくらでも残されているからこそかもしれません。

 

要は、古い陣地に片足を残しつつ、のデジタル再生です。

巷で飛び交うよりよい方法、装置の追求、には手を出さず(出せず)、

NASが不調だといっては、買ったお店にあれこれ指南いただいて乗り切るとか、

もっとできることもあるだろうに、不勉強の極みです。

でも今はこれでちょうどいいかと思っています。

まとまりもなく、答えになっているかは不安ですが、この辺で。

ご質問と感想をこんな辺境のblogにお寄せいただきありがとうございました。

 

※本日のBGMは近々新譜リリース予定のLisa Batiashviliによる"Echoes of Time"

 

 

 

 

よもやま | - | - | author : miss key
黙祷

白昼堂々の要人の狙撃。

速報の文字がなかなか頭に入らないほど驚いた。

耳の調子が落ち着いて、ようやく外出もできるようになりというタイミングで、

いよいよこの国でもこんな事件が起きるような時代になったんだという実感以外に

心の奥底で浮かんでは消えた感情はことばにできない。

 

息苦しさを覚えるほどのざわつき。

消えるようで消えない波紋のような違和感。

情報が無限に飛び交う様が否が応でも目に見えてしまうデジタルの時代にあって、

取捨選択の力より、ある種の鈍感力が救いになるかもと思いながら。

 

こんな出来事が本当にあって、ことばにできない動揺を忘れることのないように。

選ぶとしたら例えばこの曲かなと。

ゴルトベルクからの1曲をポーランドのピアニスト、Marcin Wasilewskiのトリオ演奏から。

 

 

 

 

アルバム"En attendant"はECMから出された21年の作品。

透徹したピアノの音色が却って胸を締め付けるかも。

この響きを色に例えるならまさにこのジャケットにある薄墨の色だ。

 

折しも梅雨の戻り。

夜中降った雨が止んだ朝の、深呼吸が躊躇われるような重い空気。

それでも光の差さない日はないからと思い直したい。

よもやま | - | - | author : miss key
突発性難聴その後

数回の通院、検査と数週間続いた投薬。

この病気は早期発見、治療開始が最も重要で、

普段と違う、ちょっとした異変をそのままにせず、

早期に専門の医師に診てもらうのが何よりも肝要だ。

 

今だから言えるが、わたしの場合は受診の時点で、

治療開始のリミット2週間をとっくにすぎていたと思われたため、

担当の医師も、「どの方法も治療効果がそう見込めはしないが」

という前置きをしながらの説明だったのが忘れられない。

なので、期待せず、できることを精一杯やるしかない、

やらないよりはマシだという気持ちを持ちつつ、

仕事が最もややこしい時期に長期離脱を避けながら継続できる治療を選択。

 

直接薬液を耳に注入するような方法も提案されたが、

毎日大病院に一定期間通うという時点で無理だった。

なので、投薬と、耳を安静に保つことを最大限続けることとした。

 

薬は何種類か出されたが、ダメになりそうな神経をなんとかするための方策として、

当初の2週間、ステロイドの錠剤を飲み続けた。

それが、体質もあるとのことだったが、疲れているのに目が冴え冴えとして夜眠れなくなる。

眠れなくなるので、なるべく朝食後に服用する。

量は当初多く、だんだん少なくなる処方なので、

二週目以降は大丈夫(眠れる)との説明だったが、

どうも、どれだけ経っても「冴え冴え」のままだった。

ものすごく疲れていて眠いのに頭は勝手に起きている状態。

そんなのが何日も続くはずがなく、

肝心の昼間、起きてるのか寝てるのかといった、昼夜逆転状態になり、

困ったことにステロイド剤の投薬が終了後もその傾向が続いたのだった。

 

薬の性質もあって途中で服薬を中止もできず、最後まで飲みきったが、

こうして書いている現在も睡眠のサイクルが崩壊(苦笑)したままである。

そういう極端な例はそれほど多くはないようだが、

運悪く、この病気になられた方は、早めに回復させるため、

仕事の都合をよく調整した方が良い。

 

さて、耳の負担をできる限り軽減するため、音楽を聞くのはずっとやめにしていた。

なので、この週末、久々にaudioを立ち上げた。

さあやっとリスニング、という段になって、何を聞こうか随分迷ってしまったので、

とりあえず、サブスクで話題盤でもチェックしてみよう、ということで見つけたのが、

英国のミュージシャン、Tom Ashbrookの"ko:da"というアルバム。

 

 

 

 

EPとしてリリースされた本作は、どうやらサブスクのみで聴ける模様。

アナログディスクかCDが欲しいと思ったが、少なくともCDは手に入らないようで、

とりあえずSpotifyで楽しんだ。

 

環境音楽のようなミニマルのような。

ボーカルを組み合わせた作品もある。

ミュージシャン本人のyoutubeチャンネルに掲載されたPV、

ああなんと静かで穏やかな音の空間、心の波打ち際にじんわり沁みてくる。

 

 

 

 

難聴になってみてわかったこと。

世の中にはいろんな音やノイズが溢れんばかり、

それも、聞く音ではなく、大半が聞かされたり勝手に入ってくる音だ。

その中で、音楽を聴くということ、或いは聴けるということ。

あまりにも生活に溶け込み、なおかつ何十年もやってきたことなので、

そのこと自体を深く考えたことがなかったというのも、思えばすごいことかもしれない。

 

酷い耳鳴り、水中に押し込められたようなくぐもった聞こえはかなり和らぎ、

聴力も当初の落ち込みからかなり持ち直した。

選択肢の少ない中で適切な治療を受けられたことに深く感謝しつつ、

まだ大きな音は聞けないので、

当面は今日のような静かな音楽を小さな音で楽しむことにしよう。

よもやま | - | - | author : miss key
春という節目に

寒い暑いを繰り返すややこしい季節の変わり目。

毎年この時期を、桜が咲くのを楽しみにしているが、

落ち着きそうで落ち着かない世の中の様子みたいなものがあるのか、

「お花見自粛」の見えない圧があるからなのかはわからないが、

せっかく満開に近い数日前の夜も、

カメラを構えるでもなく、ただ見事に咲き誇る桜をぼんやり眺めながら、

近くの遊歩道をゆっくりと歩いた。

 

とっくに陽も暮れて、所々の街路灯に映える桜並木。

時折ピクニックシートで楽しんでいるグループもいたが、

基本、静かで車の騒音も遠くに響く程度だ。

 

 

 

 

3月のとある日、以前より気になる症状があってクリニックを訪ねたところ、

片耳が難聴になっていて、それも治療が難しい時期を迎えていることが分かった。

聞こえないほどの自覚はなかったが、

飛行機に乗ってるときのような耳がなんとなく塞がったような感覚。

原因は解明されていないそうで、ウイルスともストレスとも言われているそうだ。

入院しての集中治療も結果が出るかどうか、

またこの時期なのですぐは場を確保できないと言われたので、

結局、駄目元でステロイドを結構な量で服用、様子を見ることとした。

 

2週間ほど服薬の影響でろくに眠れず、眠いのに頭はずっと起きている状態で、

時期も時期で1年で一番の繁忙期だし、

よりによってなぜ体調崩すかなと恨み言も思わず出てしまう。

聴力の神経を労わるビタミン類も出されていて、

とにかく食事のたびに結構な薬の量になるのには辟易した。

ただ、何もしないと落ちた聴力は戻ることはないとのことで、

試せるものは試した方がいい、そんな気持ちで2週間を過ごした。

 

再検査の結果、全快ではないが、戻る傾向は見られたので、

服薬をしばらく続け、様子を見るとのこと。

薬の効果は確かにあったと思うが、今月から昔の職場に戻ることになり、

正直ほっとしたのが一番大きかったかもしれない。

 

音楽が聞けなくなるほどの重症ではないにせよ、

耳はほんとうに大事にしないといけないな、まさかストレスとかで難聴になるとは、

不勉強の極み、これからは十二分に気をつけることにした。

 

耳鼻科とは別のいつもの主治医の話では、

この病気は耳鳴り程度では見つかりにくかったりするので、

遅ればせながらも手を打てたから幸運だったのではとのこと。

このblogをご覧くださっている方は多分に音楽好きであろうから、

あるいは年代的にストレスの多い生活を送られている方々も少なくないだろうから、

そんな病気もあるんだということで、メモしておこうと思った次第。

 

そんなこんなで、桜の写真を撮るなんて心の余裕は全くなく、

先に貼ったのはちょうど1年前の今日の写真で(苦笑)、

あれやこれやに振り回されてヘトヘトになり、ようやく迎えた4月。

これから少しずつリハビリをしていこう。

 

耳が大事に至らなくてほんとうによかった。

ほっとした際の涙ではないが、今日はしとしとと朝から冷たい雨が降ったり止んだりで、

雨の合間の風に桜が舞っていた。

来年も、その次の年も、桜の花びらがはらはらと散り落ちる様を静かに感じていたい。

満開に咲き誇る姿よりも、こうして散りゆく桜の姿に痛いほど感じるものがあるとは、

それなりに年齢を重ねたんだ、ということにしておこう。

みなさまもどうぞ、季節の変わり目、くれぐれもご自愛くださいますよう。

 

※突発性難聴 wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/突発性難聴

よもやま | - | - | author : miss key
寝る前の1枚を

頭が疲れすぎていてもそうでなくてもよく眠れない。
頭の中が空っぽになれば穏やかな眠気に襲われてぐっすり眠れるかというと、
どうもそうでもないようで。
眠る前の1枚、ベッドに入ってからの1枚というのがここ2、3年の習慣になっている。


おすすめ、というよりは一番よく聴いているものから3枚ピックアップしてみた。
1枚目は、やはりというかやっぱりというか、玉置浩二の「あこがれ」。





音量はかなり小さめ。
スピーカーは耳の位置よりもかなり高いところにあり、
音の粒子がふんわり降ってくる感じの再生。
ファンタジックなエフェクトが強めにかかった曲が多く、
環境音楽のような響きの中に彼の歌声がひっそり響いて心地よい。
メロディアスでエモーショナルな歌唱なので、音量が大きいと聞き入ってしまい逆効果(笑)。


2枚目は、同じく男性ヴォーカルで、高橋幸宏の"Heart of Hurt"。





どんなに辛いことのあった夜も、幸宏さんの声に癒される。
あるいは、沁みすぎて眠れない時は素直に泣きながら膝を抱える。
特にこの2年間の再生回数でいえばダントツに1番。
hi-fiな再生よりもナローなラジオデイズっぽい再生が寝る前の1枚には合う。
自分の気持ちに素直になれる、私的お宝盤。


3枚目はこのアルバムを知ってからというもの、夜の不動の定番、
GIya Kancheliの作品集、"Themes from the Songbook"。





正真正銘の睡眠導入剤。
真っ暗な真夜中の部屋、Dino Saluzziのバンドネオンが寂しすぎることもあるが、
すぐ眠りたいというよりは頭の中を少し整理しながらうつうつしたい時にjust fit。
このCDはなくてはならないので、予備にもう1枚用意しているほど。
Giya Kancheliの演劇、映画作品の音楽集になるが、
おどろおどろしいシンフォニーを思い浮かべていると、
音の鳴り出しで呆気にとられるだろう。
切なくも美しいメロディーにSaluzzi、Gidon Kremer、Andrei Pushkarevの演奏。
これも間違いなく私的お宝盤だが、このアルバムは特に多くの方に一聴をお勧めしたい。


快眠願望。
朝起きて東の窓から差し込む光にこれ以上ない清々しさを感じたい。
心の安定は薬じゃ取り戻せない。

音楽と陽の光と、そしてからだに良い食事と。これに尽きるのではと痛感する日々だ。

よもやま | - | - | author : miss key

ロシアのウクライナ侵攻。

新聞の一面が各紙揃うのは、必ずしもいいことばかりではない。

ニュースやネット上の動画で洪水のように流れ始めた彼の国の動向。

かつて訪ねたことのある街が、そして人々が当たり前のように傷ついてゆく。

●●人が亡くなりました、と数が全面に出て一人歩き、

そうじゃないのは感染症も戦争も同じだ。

 

ロシアにもウクライナにも友人知人がいるわたしには、

今の気持ちを整理する余裕がない。

聴きたくなった1枚はモップス の「雨」。

 

 

 

 

切羽詰まったり辛くなったりしたときに聴きたくなるのは、

クラシックやJazzではなくて、私的には歌謡曲と相場は決まっている。

楽しかったり悲しかったりのたくさんの思い出や出会いetc...

どの曲も懐かしさがいっぱいに詰まっているから。

癒しは理屈ではないんだよな、と。

 

 雨が世界をつつんで泣いている

 一人ぼっちの夜の世界を

 雨が朝にささやいて泣いている

 緑色した雨の世界に

 雨はやさしく雨は悲しく

 あなたの心を洗うでしょう

 雨が世界をつくって泣いている /モップス 「雨」より

 

 

思えば、年代は違うけれども、先の友人たちが大好きなVopli Vidoplyasovaに、

サイケデリックでちょっと壊れ気味な音が似てるかもしれない。

世界的な疫病の災禍にあって、

当たり前の日常を取り戻すことがこれほど難しいことだと思っていなかった今、

そんな最中に思い通りにならないからと武器で攻撃する、

まさにこれ以上ない人間の卑しさを目の当たりにして

落ち込んでいる暇などないんだよな、と自分に言い聞かせつつ、

今、自分にできることを精一杯やるしかないんだよな、と思いつつ。

わたしが普通に音楽を聴き、食事をして眠れるように、

彼らにとっていつもの当たり前の生活が1日も早く取り戻せるよう。

いつかの若かった自分のように、無意識に歯を食いしばる夜だ。

よもやま | - | - | author : miss key
魂の行き着くところ

先週のことだが、初めてまとまったリモートワークを体験した。

自宅でPC使って、というのにはまるで馴染まない仕事だが、

先日、狭い部屋で作業をした際、同じ部屋にいた方が感染症陽性、ということで、

自主隔離、一定の期間後PCR検査をして問題なければ復帰、

でも仕事は休めません、ということであれよあれよといううちにリモートすることになった。

 

PCの動作をやめて数分経つとスリープ状態になり、オフライン状態になる仕様で、

PCの作業継続で業務に従事していると「認定」される仕組み。

本来のリモートワークが目指すところと少しずれてる気がしないでもないが、

仕事してない、と思われるのも迷惑なことなので、

PC使ってする作業、特に普段だとなかなか進まない類のものを洗い出してメモに書き出し、

端から潰していくことにした。

たかだか1週間ほどの体験で本質的な良し悪しは判断できないが、

朝の時間に余裕ができ、休憩に温かい紅茶が用意できるのはよかったかなと。

 

困ったのはPCR検査で、罹患可能性があるわけだから公共交通機関は使えない。

とはいえ、近所の検査場はどこも予約でいっぱいで、

1時間半歩けば、街中の検査場がいくつか予約できそうだった。

そこで、うん十年ぶりに自転車をレンタルし、検査場に行くことにした。

正直、罹患して熱にうなされ頭がまともに働かないときだったら、

落ち着いて物事を考えるのが難しかろうなあと。

食料は2、3週間籠城できるようにしてあったので何の問題もなかったが、

人との接触を避けて何かするって意外に難しいと痛感した。

 

受検の翌日にメールで届いた結果を見てほっとしたが、

今はそこら中でこのようなことが繰り返されているわけで、

膨大な時間と労力、精神力が消費されているんだな、と。

 

 

私事に感けている間、思い出すのも辛い訃報が届いた。

詳細は今もわからないが、わたしよりもずっと若い方が、

2月の初めに亡くなられていたとのこと。

現在の職場に着任した際、右も左もわからないわたしに、

紙には書かれていない様々なことをわかりやすく伝えてくれ、

おそらくはわたし自身も気づいていないだろう配慮を惜しみなくしてくれた人だ。

この時点で自宅を出ることは躊躇われた、というか倫理的にはNGだったので、

訃報を目にした時にできるのは、ただ涙することだけだった。

 

 

なんとかその日の仕事も終わり、改めて机に向かって思うところ。

心の底から湧き上がる悲しみを、幸いなことにここ数年は感じずに済んでいたようだ。

後悔ということばは文字通りながら、

お世話になった方には日頃から感謝の気持ちを形にしておかないと先に立たずだ。

 

鎮魂、ということばがある。

結果として死に至った魂が癒され鎮められうるものなんだろうか。

残された者がこれからも生きていくがために、鎮魂、という概念があるだけではないだろうか。

そんなことを考えながら、Tigranのピアノを聴いていた。

何枚かの彼のアルバムの中で、今日メモしておくべきはこれだろうか。

ECM作品で、Tigranのピアノにトランペット、ギター+αのアルバム、"Atmospheres"。

 

 

 

 

アルバム全体に溢んばかりの透明感。

山々の頂を覆う霞が揺蕩うように、或いは引いては押し寄せる汐のように、

ピアノの響きは自在で何ものにも囚われることがない。

音楽の新旧やジャンルを華麗にまたぎ越し、

メロディを奏でるというよりは異なる楽器の響きのエッセンスを絡めることで、

更には電子的なサンプリングを加えることで叶える別空間の提案。

 

 

部屋の中を響きでいっぱいにしたとしても、とどのつまり、

辛さと悲しみの詰まった魂の行き着くところはどこだろうか。

それが穏やかで癒しに満ちたところであると、今は信じておきたい。

長く生きるということは、

悲しいことにもたくさん耐えていくことなんだと思い知った冬の日。

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A Happy New Year 2022.1.1

あけましておめでとうございます。

時の過ぎるのが早いのか遅いのかもわからないほど、

世の中のリズムが変わってしまってもう2年。

健康の有り難みが痛感される2年でもありました。

 

ここ1ヶ月、macが不調で更新できなかった間、

10年ほどの間に聞き逃していたり、見逃していたりしたものを掘り起こし、

忘れ物が随分多いことに気づきました。

2022年は、小さくても新しい体験をしようと思いました。

 

みなさまにとっても健康で充実の1年になりますよう。

不定期になりますが、ぼちぼち更新を続けます。

今年もどうぞよろしくおねがいいたします。

 

 

(ベランダに咲いた季節外れ?のバラ)

 

よもやま | - | - | author : miss key
audioと音源と

今月末で某宣言が解けそうな気配。

だからといって、罹患しないことが保証されているわけでもないし、

あくまでも、ルールとしての拘束は解きましょうというだけだ。

 

長引くインドア生活を体験してみて感じたのは、

audio装置を楽しんだり、音楽をたくさん聴いたりというのは、

外に出ない生活との親和性が随分と高いんだということ。

思えば、日々仕事帰りから寝るまでに聞ける量なんて知れている。

テーマを決めてびっしり聴いたり、旧譜を辿ってあれこれ考えてみたり、

なんていうのは、まとまった時間がないとなかなか難しい。

 

忙しいのを理由にほったらかしのCDやレコードの棚。

今の住まいに引っ越して6年超、音源の整理もままならずいたが、

特にここ1、2ヶ月で在庫の大蔵ざらえも終了し、

突然聞きたくなったアルバムを引っ張り出しやすくなったのは

ステイホームの思わぬ産物。

 

時折いただくメールに、装置にお金をかけるのはどうか、もっと

音源購入に予算を振った方がいいのでは、良い音楽はどんな装置でもその良さが

わかるはず、という趣旨のものがある。

ヴィニールジャンキーと言えるほどの蒐集家でもなく、

大量の音源をこなせるほどの馬力もないので、

手の届く範囲で気に入った装置を揃え、

気に入ったものをいい音で目一杯楽しめればいいと思っている。

audio装置は装置で弄る楽しみが別途にあるから悩みは深いが(笑)、

良い音楽探しと良い装置で楽しく聴くというリスニングには、

若干その力点の置きどころが違うのかも知れない。

 

いただいたメールを読み返す後ろで流れていたのはFred Thomasの"Bach Dance Suites"。

 

 

 

Fred Thomasは、

以前取り上げた、Elina Duniのアルバム"Lost Ships"のアンサンブルにも参加していた

ミュージシャンでLost...ではピアノとドラムを担当。

その時のピアノの音色がずっと気になっていて彼のアルバムをあれこれ探していたが、

CDで手に入りやすいのが今日のダンス組曲だ。

 

ネットでのダウンロードやサブスクで聞けるアルバムは結構あるが、

できれば良い音質で聴きたい。

そう思っていたところに朗報、ECM Recordsより彼のリーダー作が来月発売とのこと。

やはりBachを取り上げた作品で、"Three or One"

 

ピアノの響きは使う楽器にもよるだろうが、何と言っても弾き手による違いが魅力的だ。

Fred Thomasはピアノだけに拘らない活動をされている様子、

それでも彼のピアノには隠し味ではないけれど何か秘密があるのではと思ってしまう。

目の覚めるような演奏、とは対極にありつつ、癒し系の音楽とも違う、

淡々と弾き進められるBach。

優しくもどこか力強くて、草原で風に吹かれるような心地良さ。

なので、今度出る新譜は相当に楽しみな1枚で、

ECMだからうまくすればアナログレコードにもなるかも知れない。

 

あと1週間で9月も終わるとは思えない暑さ涼しさの繰り返し。

みなさまもくれぐれも体調に留意されますよう。

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