音の快楽的日常

音、音楽と徒然の日々
古い楽譜に

ニュースで、ネット中毒や依存症についての記事が出ていた。

最近ということでもないが、

電車に乗ろうと、それも、かなりの混雑の車両に乗り込もうとするときでも、

スマートフォンの画面から目を離せず、周囲とぶつかり合いながらの人を、

毎日少なからず見かける。

そんなに目が離せないことがあるなんて、なんだか羨ましいと思ったこともあったが、

ひょっとしたらそのニュースに出ていたネットゲームに夢中なのかもしれないと思った。

 

人が夢中になっていることを、やれ時間の無駄だとかお金のそれだと言うのは容易い。

わたし自身は機能の限定されたいわゆるガラケーユーザーなので、

そうしたゲームをしようにもやりようもないが、

毎月、通信関連の企業に多額の利用料を払い、更には課金、しかも、

通常の判断力を鈍らせるような仕組みのものでというと、途端に胡散臭くなる。

かつてと比べ、若い人にお金がないとの記事もあったが、無理もない、

そうした通信費用を固定費とみれば、可処分所得は単純に数千〜数万円も変わってくる。

何も収入云々だけのことでもないだろうに、なんて年配者の戯言だろうか。

 

話が逸れた。

言いたかったのは、そういうネガティブな側面にも注目されやすいネット時代だが、

今日という今日はその恩恵にひれ伏した。

 

昔習っていた電子オルガンの楽譜。

スイングジャズのお洒落なリズムに乗ったいかにもなオルガンアレンジの曲があり、

それをお題にしてまだ小学生だった時分に、

ラジオで似たような曲がかかっていないかなどとやりながら、

譜読みから弾きこなしまで随分苦しんだ記憶があった、その件の曲が載った楽譜が、

ふとしたことで見つかったのだった。

 

単純に古本を探すのであればまだ簡単だったかもしれないが、

掲載の5曲中なぜかその1曲だけが入れ替えられて再出版されたような楽譜だったため、

時折気になって買い求めようと探したときには、その再発版しか見つからなかったのだ。

上京してもう一度楽器を触ろうと思った際に探したときだったか、

権利関係のトラブル等でそういう措置になったという説明を出版元から受け、

当時の講師に譲ってもらうくらいしか方法がなくなったなあと諦めた経緯もある。

そういう訳ありの1曲を子供に選んだ講師の思いにも少々当惑しつつ。

 

それが。

偶々見かけた画像からリンクを辿るとまだ進行中のネットオークションの画面に。

それも、配送費の方がよっぽどかかるというような値段で。

今これを書いている時点では手元に届いていないが、

改めて譜面を追ってみたらいったいどんな気分になるだろう、それがとても楽しみだ。

 

弾いていた当時は楽譜を買えず、講師に抜刷りを作ってもらっていたが、

だいたい何故抜刷りだったのかも今になって理解できた。

元々の版はそれほど出回らないうちに再発していたのだから無理もない。

喉の閊えとは言わないまでも、なんだかすっきりした(笑)。

楽器を手放して云十年みたいな今でも、時々脳内演奏するが、

あのアドリブがかっこよかったなあとか、鍵盤に指さえおけば思い出せるかなあとか、

悲喜こもごもだったのだ。

 

ベランダで夏のような日照りの元に花がらや枯れた葉を整理していると、

少しも上達しない、例えようもないジリジリとした感覚を思い出し、溜息が漏れる。

頭の記憶ではなく、それは細かい指の作業をしていて蘇る、まさに指の記憶だ。

 

部屋にはオルガンを置く場所もないから、今回、楽譜が届いたとしても、

やはり脳内演奏には違いないのだが、

今度はあの思い出せなかった譜面を目の前にすることになる。

あんまり嬉しかったので、思いつくあと数曲の楽譜も同様にして入手した。

なんて便利な世の中なんだろう、

それに40年以上も前の楽譜を丁寧に保存している方がこんなに大勢いるなんて(感謝)。

 

電子オルガンの世界は、楽器の進展に伴って奏法も変わるほどややこしいものになっているようだが、

デジタルデータがない、或いは形式が変わって使えないからといってその楽譜まで処分してはいけないと、

今まさに演奏を楽しんでいる若い方に言いたい。

今はこうして再度入手する機会もあるが、これからはどうかもわからないから。

指が譜面を恋しがる感覚というのがなんとも奇妙で、

これも季節の変わり目だからかもと思わず遠い目の1日。

 

 

 

よもやま | - | - | author : miss key
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