音の快楽的日常

音、音楽と徒然の日々
remembered

そう遠くない場所にレコード専門店がたくさんある。

海外の友人曰く、東京はレコード好きにはこれ以上ない天国だと。

ただ、「なぜこんなレコードが?」みたいな驚きや愉しみは、

海外に一日の長ではないが、まだまだ魅力に溢れているような気がする。

 

だからではないが、ネット上のモールであれこれ検索し、

わざわざ送料を払ってでも盤を買っている。

例えば、先日思い立ってMark-Almond(Mar"c"、ではない)がレコードで聴きたくなり、

近所でなかなか見つからなかったので海外の専門店で購入した。

まあ1枚きりでは送料ももったいないかなと、

同じ店のリストでこれ聴いてみたいかもとジャケットで何枚か漁り、

届いたのが昨日。

 

丁寧に梱包され、緩衝材も十分なのに、なぜか盤の束が新聞で包まれていた。

地元紙だろうか。

 

 

 

 

"Remembered"、訃報一覧のようだ。

地元紙ならではの記事なのか、

アメリカの新聞にはこういう記事が載るものなのかは不知だが、

手元に届いた古いレコードと相まってなんともしみじみとした感覚に襲われた。

 

海外から盤を取り寄せる日本人が珍しいわけではないと思うが、

お店の方の思い思いのメッセージが納品書の余白に書かれていたり、

カードが付いていたりする。

盤が海を越えて新しいオーナーのところに行くことを、

「大切にしてもらえよ!」みたいな思いがあったりするんだろうか。

 

単なるお金儲けのタネではなく、盤が好きで盤がたくさんあるから、

「次の方」に出会いを提供すべく店をやってる、

そんな感じのお店が欧米各地の、特に郊外には多いような気がしている。

 

ずっと若い頃、30年以上も前の、レコードを買い始めた頃のこと、

新しいレコードを買い、傷つけないように大事に聴いていた当時は、

新品を買える喜びが中古の盤を手に入れるよりずっと上回っていたし、

まさに新譜で出る音楽=今自分が聴いている音楽だった。

 

しかし今は、新しいレコードも魅力だが、一体何人のオーナーが手にして聴いたのか、

それすらわからないけれど、今は縁あってわたしのところにやってきた中古盤に、

表現しがたい愉しみを感じる。

中古盤のみがもつ、独特の香りや手触りに。

 

今はわたしの手元にある盤も、いつかきっと、また別の方のところで聴かれるだろう。

CDにはそういう感傷めいたものを感じない。

同じ工業製品でありながらこの差は一体なんだろう。

レコードを眺めていると、

どれだけ時間があっても足りないほどいろんなことを思い起こさせてくれる。

いつもの言い草だけれども、ましてや音が出るのだ。

何があってもこれだけはやめられないなと独りごちた猛暑日の午後。

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