この時期は人並みに慌ただしく業務も能力を超えてずっしりのし掛かってくる。
なので、初日のこの時間だけはなんとか休みを取れるようにと、
珍しくあれこれ調整してきていた(笑)。
いよいよ物語は中盤に差し掛かり、血の因縁、悲劇を目の当たりにする。
驚くべきは、パート1もまさしくそうであったが、
たった一つのシーンも無駄にしないように、というくらいに、
鬼才ハンス・ジマーの音楽があまりに緻密で荘厳で、
もうこれ以上は無理と思うほどに展開されていく。
時に、音楽は謀略や哀しい運命の道標のように映像を見る者を導いてくれる。
わたしは、このままもう一度映画を観るか、
一旦「撤退」して、音楽のみを追体験するか迷ったが、後者を選択。
3月23日に発売される各種音源を待てず、OST一式を高音質音源でダウンロードした。
まだパート1を体験されていない方は、まずそこからをお勧めしたい。
せっかくなら、ということで。
つい最近、再生装置の電源ユニットを、より良いものに換装していただいたが、
そのおかげもあって、部屋の床の軟さを痛感するほど、這うようにして低音部が広がり、
目を閉じれば一気にあの砂の世界に飛んでいける。
ほんとうは、もっと音量を上げたいが、近所迷惑なので、それはやらない。
作曲家のポリシーで、映画の音楽を作る際はそのシーンの国の楽器を使って
作曲、演奏するとのこと。
DUNEの舞台は架空の砂の惑星なので、ひょっとして楽器を製作していたりする?
調べてみたら、取材記事にそのような記述が。
次は一体どんな音がするだろうか。
映画の中では映像と一体の音楽なので、音楽だけをこうして聴いてみる作業は
意外なほどに新鮮で別の楽しみを与えてくれる。
今回作のエンディングでも分かる通り、本作はPart.3が製作されるようだ。
これだけの作り込みでもあり、正直次がいつなのかは発表されていない。
またスターウォーズのように、シリーズ化の予定はないとのこと。
DUNEは、他のヴィルヌーヴ作品に比してエンタメ系の要素が強めだが、
重ための悲劇として収斂していくと思う。
パート2には多くの伏線が張られていて、期待するなというのも無理だが、
またこうして劇場で圧倒的な映像の体験ができることを期待するしかない。
当然ながら、音楽製作は巨匠の続投で。
◆ DUNE Part.2 Soundtrack
mora : https://mora.jp/package/43000174/794043220425_48/
]]>
紹介したことがあったと思う。
レコードも、もう随分前から探しているけれど、影すら踏めない状態で早ウン10年。
出てきても異様な価格だと思うので、まあ多分手に入れることは難しい。
某通販店の新譜情報を見て、思わず二度見したのはまさにそのアルバムだった。
もちろんCDではなくて。
このジャケット。正直あんまり好きなデザインでもないが、
とにかくこれにしかない音楽がいーっぱい詰まっている。
わたしが買ったレコードは、カラーレコードじゃない普通の黒い盤で、
メリーゴーラウンドというアメリカのレーベルから出た再発盤。
しかも、事前に案内がなかった帯までついていたが、
なんと文字がハングルで、どうやら韓国の企画盤らしかった。
いやもう見た目とかどうでもいいので、とにかく再生。
ということで早速聴いてみたが、気持ちhi-fiに振ったような音でそれにも驚いた。
ナローレンジで良いから、あのどこか生暖かくもぎゅっと詰まった感、
それがないと、レコードを手に入れた意味がない。
もちろん、普通に聴いてとても良いサウンドだとは思うけれど。
人に勧めるかどうかはかなり微妙だけれど、
このアルバムが好きすぎるわたしにとっては、手に入れるしかない盤だった。
別の大手通販店では同じレーベルから出ている盤が次月頭にリリース予定。
私が買ったのより数千円も高いので、聴き比べてみたい気もするがさすがに、
ということで、次の週末は端子磨いたり、スピーカーの位置を見直したりと、
とにかく、足元を見直した上でもう一回通しで聴いてみようと思う。
そうこうしていると、やっぱりオリジナルに勝るものなしだよね、
などと意味不明な物欲が心の底から沸き立ってしまうので、君子危に近づかず、だ。
以前、某グループの海外ツアーに行きたくて、軍資金を貯めるのに、
昼ごはんおにぎり1個などという無理をしたことがあった。
今はそういうちょっとズレた(苦笑)努力をして欲しいものを手に入れようという
頑張りというか、根気はどこにもなくて、それが少々哀しかったりもする。
話が逸れるけれども、欲しいものがあるというのは、頑張りの源だったりもして、
適度な物欲はそれなりにいい効果もあるよね、などと思うが、
円安の影響もあってか、レコード1枚が7千円とか、もう本当に気持ち的に無理な感じだ。
最近、盤を以前のようにガツガツと買い集められないのは、
探す根気や欲しい盤が無くなったとかではなくて、
何かもうついていけない情勢のようなものに気持ちが押し切られている気がしてならない。
その意味では、”ケストレル”はああこれだ!とストンと落ちるような音でなくては困るのだ。
週末に向けて、耳の方も温存するとしよう。
]]>雪が降ってそんなことを思いつつ、積読になっていた「坂本図書」や彼を特集したユリイカを
少しずつ読み始めた。
彼の音楽にそこまで耽溺していたわけでもないが、
いつも普通に響いている感じがするのは、
特に後年、映画音楽をたくさん書いていて、あの作品、この作品と見直すたびに、
彼の映画音楽をじっくり楽しむ機会があるからだと気づいた。
喪が明けたということではないのだけれども、
記憶の限り、古い作品から順にザーッと聞き直したこの2週間、
調べてみれば、盤を持っていない作品もちらほらあって、
買えなくならないうちに入手した方がいいなと思いつつ、
高騰著しいレコード盤の価格にも驚きつつ、
ウオントリストをまとめたところだ。
アップコンバートということだったが、hi-res音源も結構出ていて、
例えば韓国映画「天空の城」のサントラなどは、レコードでは入手困難だが、
ダウンロードの高品質音源なら手軽に入手できる状況だ。
メインテーマのメロディや構成が確固たる位置にあり、
そこからシーンに合わせて展開される形。
聴く者の耳にどんなふうに響いていくのか、に力点があるんだろうか。
聞き直してみて、共通する骨組みのようなものを強く感じた。
そして、なぜかその奥に、芥川也寸志さんの音楽が聞こえてくるような気がした。
似ている、ということではなくて、まさしく心の奥底に静かにこだまする魂の声。
子供の頃に見た印象的な作品には、芥川也寸志さんの音楽がつきもので、
物語がぐっと盛り上がる際の音楽を鼻歌できるくらい好きだった。
思えば、”そういう”作品には最近あまり出会えないでいるな。
効果音寄りではなく、メロディと作品がしっかりと結びついて離れないような。
備忘のために、ここしばらくヘビーローテしている作品を書き留めておこう。
98年の映画”Snake Eyes”(音楽 坂本龍一)。
この作品のメインテーマを含むオーケストラ演奏企画のレコードが再発と聞いて
予約していたが、通常の黒いレコードのバージョンは発売中止との連絡が。
カラー盤で妥協するかどうか。オケの演奏自体は賛否あるが、
Snake Eyesは戦メリやラストエンペラーと同じようにはいかないので、
大編成で聴ける機会は貴重。さてレコード、どうしてくれよう。
それから押しも押されぬ名作「事件」と「鬼畜」(事件の方は作曲・演奏が
エレクトーンプレーヤーで作曲家の松田昌、音楽監督 芥川也寸志、鬼畜は
音楽 芥川也寸志)の2作がカップリングされたCD。
坂本作品と並行して聴くなら、「八甲田山」の方が良さそうだが、
この2作の音楽、どちらも鍵盤楽器が肝になっているのでこちらを選んだ。
前者は中古盤を探せばまだ手に入ると思うし、後者はネットで普通に購入できる。
話は逸れるが、邦画のサントラ盤は意外に入手困難で、あっても結構な値段に。
再発企画を逃すと本当に探すのがしんどいので、
お好きな方は盤を見た時に入手をお勧めします。
探し物の多いわたしが書いてもあまり説得力がないかもですが(笑)。
さて、今夜は何を見ながら寝落ちようか。
寒さが緩んだ連休の夜だ。
]]>人気俳優、人気女優を配し満を持して制作されたテレビドラマが綺羅星の如く、
と言うと言い過ぎかもしれないが、
次回話が気になって仕方がないドラマがいくつもあった頃があった。
ある時、テレビの流し見をしていてふと気がつくと見覚えのある顔が。
チューリップの財津和夫さん、いつのまに俳優に!と驚いた。
当時は「検索すればすぐわかる」ご時世ではなかったし、
毎週何曜何時から、と拘束されるのが苦手だったので、
とうとう最終話がどうなり、財津さん演じる男性がどうなったのかも
わからずじまいでいたが、
当該ドラマの主題歌だった曲を偶然ラジオで耳にしてつい昨日の事のように思い出した。
検索すると出るわ出るわ、わたしと同様ラストネタバレを質問して、
それへの丁寧な回答も多数。ああそうだったんだ、収まるところに収まる結末だったんだ、
となんだか妙に安心すると同時に、財津さんの歌が聴きたくなった。
最近、チューリップの過去アルバムがLP含め豪華セットで再発されたりして、
気になる要素はあったけれども、
そこまで当時ファンでもなく、でも好きな歌はたくさんある、ということで、
ヒット曲集の様相のセルフカヴァーアルバムを選んだ。
grown up というサブタイトルにも納得。
アルバムタイトルの「サボテンの花」、〜の花という曲はいい曲揃いだな、
なんて思いながら、改めてしみじみ、思い出のあれこれに浸ってしまう。
もちろん、当時のオリジナル曲も魅力的だけれど、
リラックス感満載のこのアルバムは、
財津さんの歌を全然聞いたことがない方に一聴をぜひおすすめしたい。
わたし自身、日本語の歌を全然聞かなくなっていた時期も長くあったけれども、
それなりの年齢になって、10代の頃によく聞いていたあの歌、この歌を
聞き直してみたくなることが増えてきた。
歌詞の一言、ひとことが、当時とは違うところにぐっと刺さったり沁みたりするのが
本当に心地よい。
音楽、歌ってほんとうにいいなと思う。
今日はまだ水曜、週の真ん中。いい歌をたくさん聞いたから明日も頑張ろう。
]]>この機会を当たり前のように享受できる幸せ。
今回の曲目は、
ショパン:前奏曲 嬰ハ短調 o.45
シューマン:交響的練習曲 op.13(遺作変奏付き)
シベリウス:悲しきワルツ op.44
シューベルト:楽興の時 D780 op.94
そして、最終曲を終えてご本人のアナウンスにて演奏された
アンコール曲は、最新のアルバムにも収められた
ショパン:夜想曲 第18番 ホ長調 op.62-2
これと決めた最善の演奏を確実に行うための儀式なんだろうか、
相当にくたびれた楽譜を置きながらの演奏を眺めていると、
まるで何かの修行僧のような雰囲気さへ感じる。
例えば、新進気鋭の若いピアニストが熱量を迸らせる演奏とは対極にあるような。
このひとときについてわたしなどが何かを語れる訳ではないけれど。
記憶に留めておきたいのは、演奏会に出かける度にどんどん響きが美しくなっていくこと。
都度、「これ以上はないな」と思いながら電車に揺られて帰宅するのだけれど、
ああもっと先があったんだ、とため息が思わず出てしまう。
それに知っている楽曲であっても、
目の前に展開される曲は全く別のものに感じられること。
特に3曲目の「悲しきワルツ」は、なんとかしてもう一度聴けないかと
身悶えしそうなくらいに素晴らしかった。
わたしが知っている同曲の録音は、アシュケナージによるシベリウスピアノ曲集の1曲。
2バージョン収録されていて、そのCDを購入した当時はよく聞いていたが、
ここ10年くらいは耳にする機会もなかった。
なぜこの曲が選ばれたのかについては、死のイメージが通底するこの曲にあっては
あえて知りたくない気もする・・・。
Pogorelichのピアノ演奏を初めて聴いた頃は、
変幻自在のテンポで深い森に迷い込むような感覚があったけれども、
今は、1音、1音の響きが透明感に溢れ、もうこれ以上リリカルな音は望めない
そう感じてしまう。でも彼にとっては、それもまた通過点なんだろうか。
うっかりすると口が半開きでちょっと慌ててしまう。
勿体無いので、あまり考えないようにしてひたすら耳を傾ける。
2時間ほどの間があっという間で、
もう終わってしまった、もっと聴いていたいとなかなか席を立つ気になれない。
終演の現実に引き戻された脱力の中で、狭苦しいわたしの胸の内で感情が湧き立ち、
様々な思いが去来しては消えて行く。
部屋に戻ってからもあの広いホールに放たれた楽音の1つ1つが
まだわたしの中に止まっているような気配があり、
とても眠る気になれず、日付が変わった今慌てて備忘録を認めている。
できることならもう一度、昨日の夕方に時間を戻してもらいたい、
そんな勝手なことを独り言する寒い日曜の午後。
◆ シベリウス 悲しきワルツ(ピアノ版)が聞けるアルバム
1 アシュケナージによるシベリウスピアノ曲集
2 アレクサンドル・タロー
オートグラフ 〜アンコール・コレクション
]]>
晴天なのに気温も低くて、自然と体を動かしたくなる。
音楽を聴くペースを意識的に上げた。
去年は悲しい出来事が多すぎて、何をするにも一呼吸、ふた呼吸、
そうこうするうちに腰が上がらなくなった。
そんな毎日から1年の切り替わりに乗じて、音楽への接し方を変えてみた。
サブスク、ストリーミングのAI?が繰り出すオススメは確かに楽しくて便利、
なんだけれども、結構飽きがくる。
使い方の問題なんだろうが、アプリに遊ばれてしまう。
そして、そんなはずじゃなかったと、一人部屋で項垂れてみる。
J-Waveからタイミングよく流れてきた流行歌。
なにができるのか
誰を生きようか
みんな儚い
みんな尊い
そんな歌詞が耳に痛かった。そして大きく深呼吸した。
シンガーソングライター藤井風の新しいシングル&EP、「花」。
シングル用のアレンジは、それこそこれでもかというコード進行でもって、
聴く者に迫る。
それとは裏腹に感じるほど、イントロのざくざくとしたピアノは
まるで何かの決意を語っているかのよう。
おしゃれなポップとして聞き流すのはちょっと惜しい。
なので、一人部屋で、小声で歌詞をなぞってみる。
こんなわたしにも、きっと内なる花があり、
それを誰でもなく自分が見つけてやらなくてどうするよ。
重い腰がようやく上がった日は本当に寒かった。
ヒュウヒュウと音を立てて強い風が顔を過ぎて行く都会の夕刻。
]]>ストリーミングでジャンルを指定してランダムに聞いてみると、
名称からくるイメージとは随分かけ離れた作品も流れてくる。
そのうちAIとか非AIなんていうタグもついたりして。
元々音楽に対してこれじゃなきゃというほど拘りはないが、
その時の気分に合わせて、ああこれだ、あるいはこれじゃない感はある。
そのくせ気に入ったアルバムでは物理音源に執着するあまり、
その楽曲なり作品を知ってから、じっくり聞くまでに間が開きやすくなっている。
今流れているLuke Howardの"Open Heart Story"もその1枚。
このアルバムを知るところになったのは、
去年のTIASはLINNのブースでアナログ再生されていた1曲から。
ピアノの音色が好みであったこと、
ミニマル感が程よく抑えられた作りが心地よかったこと等々、
今思えば、これいいなあと思った理由がわかる。
レーベルの紹介によると、Lukeはオーストラリア出身の作曲家・ピアニストで、
本作のタイトルは「内なる心の旅」を表し、
「年を重ねてから途切れてしまった子供時代の思い出とのつながりを探る」楽曲集とのこと。
音数も抑制し、内省的なピアノソロがあるかと思えば、
編成が大きめのストリングスでぐっと盛り上がる曲があったり。
誰しも、ああなんて幸せな瞬間!と思い出せる場面があるだろう、そんなことを思いながら
暖房も入れずにじっと耳を傾ける。
他にどんな作品があるのかと思い、いくつか聞いてみたが、
年明け早々の大惨事を思わせるような重たい音楽、
Open...が陽なら陰を感じさせる作品の方が多めな気がした。
もちろんピアノの演奏はどれも魅力的だが、
重ねられた電子音の不気味さに不安を掻き立てられてしまう。
なので、今はちょっと遠慮したい。しんどすぎるので。
今日のところはジャケットを貼った今回のアルバムを推しておきたい。
]]>
そういうときこそ音楽から元気をもらおう。
ラジオから流れてきたとあるポピュラーソング。
ピシッと決まるリズムに心地良すぎるグルーヴ。
海外のグループ? いやどこかに忘れてきたシティポップの香りも充満しきり。
一体誰? と思ったらLAGHEADSの新譜からの1曲だった。
いずれも実力派で鳴らすミュージシャンからなるスーパーバンドとのこと。
さっきシティポップと書いたけれど、歌物は他のアーティストとのコラボのようで、
思いっきりジャムってる曲もあったり、
一体根っこはどこにあるの?と思うくらい、これでもか!と飛び出す楽曲たち。
アルバムの宣伝にはこれでEPとあって、えって思わず言葉を飲み込む。
最後の曲が流れる頃には、ついさっきまでの憂鬱で頭の重たい感じが一体どこへやら。
もちろんドラムもギターもベースもすごいんだけれど、
何と言っても宮川純さんのキーボードがすごい。
自分達のために作った楽曲だとここまで弾けるのっていうくらいに。
何の味って表現できないけれども、美味しいことには違いない、
そんな凝縮感溢れる楽しいアルバム、これを今まで知らんかったんかいとは反省の弁。
しばらくはヘビーローテの予感、これ以上ない楽しい予感だ。
]]>今朝の日の出はいつものそれであるようでいて、ぐっと清々しさを増していた。
冷えてきりりとした空気。
何色とことばにできないような深い群青の空からだんだんと光の筋が広がって。
1年を何とか無事過ごし、また新しい1年を始められることに安堵する。
秋以降、あれこれ音源を注文していて年末までに届いたのは何と2枚のみ。
オーダーの大半はメジャーレーベルでなかったし、
そもそもダウンロードで聞いて欲しい、CDはそうじゃないリスナー向けの補助的な
位置付けで入手方法自体が限られていたり。
今日は届くのではとポストを覗く日々が淡々とすぎてとうとう正月に。
それでも海外からこうして無事届くことに感謝しかない。
その2枚のうちの1枚がカナダのシンガー、Jonathan Royのアルバム、"My Lullaby"。
このアルバムの冒頭に収録された"Keeping me Alive"という曲を、
フィギュアスケートの演技で流れたのを一聴してすっかり夢中に。
競技にボーカル曲が採用できるようになってしばらくたっていて、
当初はリラクゼーション系で歌声も楽器のような感じの楽曲が多かった気がするが、
久しぶりに中継でみた試合では、選曲の幅も俄然広がっていて、
選手の演技よりも採用された曲に注目してしまった。
このKeeping...で滑っていたのはイタリアのガブリエレ・フランジパーニ選手。
届いたCDで早速聞いてみると、演技で使用されたものはオリジナル曲を少しスローにして、
歌声にコーラスとパーカッションを添えるようなアレンジになっていて、
オリジナルはもっとエモーショナルでガツンと来る。
どちらがとは言えないけれど、オリジナルの方は声の存在感絶大で、
それだと競技には不向きだったのかもしれない。
それにしても何という声。
歌詞は少し重たいけれども、それを語り尽くしてしまう声だから。
盤にこだわらなければSpotifyでも新旧アルバムが聴ける。
すでに置く場所がほぼない我が家であっても、
今年はまだまだ物理音源に執着して聞いていこうかな、
というかそうしたいなと思った1年の初日。
音楽や映像を楽しむのに支障ない程度に元気で健康な1年をになりますよう。
またこんな辺境blogを訪れてくださる読者の皆様にとって、
新たな充実の1年となるよう祈念して。
今年もどうぞよろしくお願いします。
]]>
先週末に出かけた有楽町国際フォーラムでのTIAS2023。
昨年は事前予約方式だったりをよく理解せずにいたのでろくに聞けずじまいだったが、
今年は準備万端。
とはいえ。
世の中様々なものが値上がりして時に絶句するも、オーディオ製品とて例外ではなく。
その分気楽に、欲しいなあと悩むこともなく展示を眺められる(笑)。
頑張ればなんとか手が届くかも、
という絶妙な感じの価格帯のものは本当に少なくて、
たまには音楽聴きたいな、というライトユースな方にもお勧めなお手頃製品か、
極端にゼロの数が多いみたいな二極化が一層進んだ感じがした。
各ブースとも、ここぞと製品の良さをアピールするための選曲なので、
音量は大きめだし、音圧も高いしで、ずっとは聞いていられないのが残念だが、
これぞという催事や講演を除き、
パッと聴きの印象がものすごくよかったものを長めに楽しんだ。
備忘録としてメモしておくと、気に入ったスピーカーは次の3つ。
1つめは、EstelonというブランドのAura。
真っ白で優美な姿、出てくる音も見た目の印象通り美しい響き。
なんでもエストニアの会社だというから、
かつて訪れた風景が思い浮かんでバイアスがかかっているかも。
エストニアってモノづくりのイメージがなくて、それだけで気になってしまった。
次にFYNE Audioというブランドのフラッグシップ。
朗朗と雄大な響きで情報量もたっぷりなのにやかましくない。
でもアンプ入れたらおいくらの世界!?
最後に一番良かったのはPIEGAのCoax411というブックシェルフ。
これとて家電的な感覚からすれば高いんだけれど、他と比べてというか、
これを聴く(みる)までに金銭感覚は破壊されていたので、
わ、安っってなってしまう(笑)。
もちろん、いずれのスピーカーも
つながっている装置やケーブルは代理店が吟味しているものなので、
スピーカーさえ買えれば同じ音が、、、、
というわけでもないのは承知しているけれど。
各ブースで気になった音源を帰宅早々探してはポチっとを繰り返したが、
比較的古いアルバムが多かったせいか、未だお取り寄せ中。
届くのを楽しみにしつつ、今日はHarry Allenのテナーをボサノバで。
今日はようやくというか冬らしい冷え込みで、
完全に季節外れな1枚になってしまったのはまたしても承知の上で。
なぜこれ!?と言われたら、先程のEstelonのエストニアを旅した時に、
首都タリンから確か電車で日帰りできる程度の郊外にある海辺の保養地が、
ふとこのジャケットに結びついたから。
夏なのに、人気も少なくてひっそりとした遠浅の砂浜で、
あまりに静かなので、寄せては返す波の間に囁くような砂の音が聞こえてきた。
話がそれたが、
このアルバム、ボサノバの名曲を集めた2006年の作品で、
Harryが気張らず演奏する様子がなんとも心地よい。特に「風のささやき」。
本当はこのアルバムで夏の終わりを楽しみたかったが、
今年はいったいいつが夏の終わりだったかさえ定かではない。
さて切り替えて、冬にこそ聴きたい音源を棚から発掘することにしよう。
]]>オルガンを習い始めていて、音楽を聴くことが一番の上達方法です、
と講師の方から進言があったからだ。
ラジオは父のトランジスタラジオを借りてよく聞いていたが、
野球中継の時間はそれ専用になるので、
いつかは自分のラジオが欲しいと小さいながらに願っていたから、
そのラジカセが届いた日は、どれだけ嬉しかったって、表現のしようがない。
そのラジカセはわたしの手元でずっと現役であり続けたが、
最初にダメになったのがカセットテープの再生機能で、
メーカーに修理を相談した際にも、
如何せん時間が経ちすぎていて難しいとの回答。
そうこうしているうちに、ラジオの再生音にもノイズが乗るようになり、
音量調整も効かなくなってしまった。
ただの飾りであっても、ずっとそばにあったものなので、今更処分なんてできない。
外観の清掃がラジカセに触れる唯一の楽しみになってしまって何年経っただろう。
ある時、ネットフリマに同じ機種が出ているのを見つけた。
なんでも出品者が自ら修理を施し、カセット再生も問題ないとの触れ込みだった。
おりしもラジカセブーム、似たような機種が随分とあちこちに出品されるようになり、
もっともその大半は現状渡しという条件であったが、
うちのラジカセと同じ機種が出ているのを見つけては、買うか買わまいか、
と悩んでいるうちに売れてしまった。
そんなことを繰り返すうちに、修理の過程を記事にされている方を見つけ、
ダメもとで連絡をとってみたところ、わたしのラジカセの修理を引き受けてくださるという。
その方も出品されたりしていたが、思い入れのあるものなら直した方がいいのでは、
破損や故障が酷いとできることも限られるが、との提案だった。
またとない機会、一度もお会いしたことのない方に手元のラジカセをお送りしたところ、
無事にというか、見事に修理され、美しい状態になって戻ってきた。
ただ直ってきたというよりは、
もしかしたら持ち主以上の愛情をもって手当されてきた感じだ。
このラジカセで聴けるようになってからというもの、
毎日の多くがラジオの時間となった。
レコード再生と違って、ラジオはほんの隙間時間でも構わないし、
手間いらずなので、出がけの慌ただしい時でも大丈夫。
なんなら定時に天気予報も流れるので、ネットをいちいち確認不要となった。
音質は、お世辞にもhifiとは言えないが、押し付けがましさのない心地よい音だ。
今後、デジタル化の波に飲み込まれ、こうしてアンテナで受信して聴ける番組は
ひょっとしたらどんどん減っていってしまうのかもしれない。
或いはradikoのように便利で安定して聴けるものもある。
それでも、自分が生きているうちは、普通にこうして聴ける番組があったら、と思うのだ。
ラジオで聴くことの楽しみをなんと言えばいいのか、もどかしいほど言葉にならない。
わたし自身、古いラジカセをようやく直してもらったところだから、
偉そうなことは言えないが、
取り戻して改めて痛感するその良さということなんだろうか。
なんにせよ、日々に新しい楽しみが追加され、何よりだ。
偶々ダイヤルを合わせていた局の放送で、思わぬ音楽との出会いにも期待したい。
]]>
そんなアンケートがあって、今年になってどのくらい買っているか確かめてみたら、
意外にも、おそらくは過去一番くらい、音源を買っていないのが判って驚いた。
外出自粛中はすることもないし、外で食事することももちろんなかったので、
その分が音源や再生装置に振り向けられたから、結構な金額ではあったが、
それにしても。
雑食的にあちこちから新譜をかき集めてはひっきりなしに聞く、
そんな生活態度もどうやらここに来て転換期が来ているようで、
それは単に「自粛」の反動だけではない気がした。
振り返るには早すぎるのかもしれないが、
たとえば、海外のロックダウン中、さまざまなアーティストが
ネット配信を通じてライブ演奏を聴かせてくれたりする中で、
それが単に演奏簡易バージョンではなくて、
自身の作品を掘り下げたり見直したりしたものだったり、
新たな角度から光を当ててみたりして、
長年その曲を聴いてきた1ファンにとっても深く考えさせるものだったりと、
1曲、1曲、あるいは1つのアルバムにじっくりと向き合うきっかけがたくさんあった。
幸い十分すぎるほど良い音で再生できる装置も得て、
何度聴いても聞き飽きたとはならないどころか、
むしろその楽曲が表現しようとしているものから容易に目を逸らせないような環境になり、
わたし自身がもっとそれらに向き合ってみようと思うようになった。
雨の週末だから、何か普段できないことしようかなと思いついたのが、
オリジナルの楽曲と比べて聞き返してみること。
Roger Waters "The Rockdown Sessions"なら新旧全部揃うからいけるかな、と。
全6曲の構成と元のアルバムは次の通り。
1 Mother (The Wall by Pink Floyd, 1979)
2 Two Suns In The Sunset (The Final Cut by Pink Floyd, 1983)
3 Vera (The Wall by Pink Floyd, 1979)
4 The Gunner's Dream (The Final Cut by Pink Floyd, 1983)
5 The Bravery Of Being Out Of Range
(Amused to Death by Roger Waters, 1992)
6 Comfortably Numb 2022 (The Wall by Pink Floyd, 1979)
聴き比べといっても、新旧どちらが良いということではなくて。
これらの楽曲を選んだ意図や、改めて歌うことの心境に一歩でも近づけるかなと。
曲によっては、歌詞の一言ひと言に込めた意味合いが別のものになっているかもしれない。
或いはこのロックダウン中のアルバムから初めてWatersを聴いた方なら、
一体どんな感想を持っただろうと想像しながら、
オリジナルの楽曲を初めて耳にした時のことを思い出してみた。
その時々、胸中に沸き起こったものの全てが、わたしの宝物になっていた。
今思えば。思わず長い溜息が出た。
もう少し涼しくなったら、プレイリストをポータブルプレーヤーに詰め込んで、
どこか知らない街に出かけてみたい。
酷暑の疲れを癒してもくれるような珠玉のプレイリストを作って。
]]>余裕なくあたふたしていたら、このblogも2ヶ月以上放置してしまっていた。
いつ頃どんな音楽を楽しんでいたのか、あとから振り返れるようにと、
元々備忘録の意味で始めたものではあったが。
ここ2ヶ月はユキヒロさんや教授のアルバムを幾度となく聞き返していた。
彼らを追悼する番組や、あるいは書籍が色々出されるなど、
文字を読みつつ、改めてアルバムを紐解いてみる。
随分いろんな本を読み漁ってきてはいたけれど、まだまだ知らないエピソードがあって、
リリース当初としてはあまり気に入らなかったアルバムですら、
曲の合間に都度感傷的になる始末で。
今日は9月最初の日曜。
一旦残暑を締めくくりたい、そういう思いもあって、
やはりセンチメンタルで美しい響きのピアノ演奏を選んだ。
Giya Kancheliの商品を文字通り33曲選んで編まれた2020年の作品だ。
ピアニストはジョージア出身のGeorge Vatchnadeze。
彼の弾くピアノの音色はサウダージそのもの。
懐かしい土と草の匂い。太陽は夏の終わりを惜しむかのように照りつける。
それでも日が落ちる頃には秋の風が。
透明感溢れる響きは、季節の移ろいの切なさのようで、
あるいは我が胸の内の虚を顕にされているようでもあって。
あのKin-dza-dzaの音楽ですら、物悲しさに満ちて。
ひょっとしたら、季節の移ろいなんていう言葉の意味がわからなくなるほど、
これからは暑い夏と寒い冬しかなくなるような時代になっていくんだろうか。
四季の素晴らしさを体感できた子供の頃が本当に懐かしい。
そんな郷愁で部屋中が蒸せ返るようなKancheliの音楽。
ようやく心の切り替えができたのかもしれないと感じた休日の午後。
]]>亡くなった直後に自伝が出版されること自体は、
最近はそう珍しいことでもないが、
坂本龍一という、最後の最後まで何かを発信していた人の本なら、
きっと今のわたしに大きく欠けているもの、渇望するものを
惜しみなく与えてくれるだろうと、随分身勝手な思いを一杯にして。
このblogではあまり触れる機会はなかったが、
年代的にもご多分に漏れずYMOフリークなわたしにとって、
永遠の憧れながらファンに近いところに出てくる機会の当時は少なかった細野さんに比べ、
ラジオのDJ、パーソナリティとして身近な教授であったから、
教授の音楽に耽溺、というほどでもない程度のファンであったにも拘らず、
ユキヒロさんに続く教授の訃報にはことばもなかった。
まさか、そういうファン界隈への「緩和措置」まで考えていた訳でもなかろうが、
著書「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」は、
突然空いた心の傷を埋めるやわらかな綿のような存在であることは間違いない。
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手持ちのレコードを整理していた際、
いわゆる歌物を中心に残してきているのがよくわかって、すごく納得できた。
それから映画音楽の「元」になっている楽曲とか。
その意味では、テレビの深夜映画で見て以来すっかり虜になった「シェルタリング・スカイ」とか、
いつだったかのリサイタルで聞いたピアノソロによるテーマ曲に、
ああ、あの作品の原点がここにある、とさえ感じるほどに、
教授といえば、あの戦メリでもなく、シェルタリング・スカイがループした。
ふと気づいたが、
わたし自身がそれなりに歳を取ってしまったこともあり、
自分の音楽生活に大きな影響のあったアーティストについて振り返る時、
それこそ日頃は思い出すことはないけれども、実は忘れてもいないエピソードが五万とあり、
それを一つ一つ回顧しながら音楽や映画を再体験することを、
もう最近は当たり前のようにしてやっているんだな、と。
極々若い頃、たとえば10代とか20代の時には、思ってもみなかったような体験を。
振り返りとはそういうものだと思いながら、
先日のユキヒロさんといい今回の教授といい、
音楽を通じて多くの癒しや気づきを惜しみなく与えてくれていた音楽家が
鬼籍に入るのは、本当に残念で辛くて寂しくて、
一言では言えない感慨でもって胸が詰まる。
音楽や本や映像がたくさんあるからいいよね、とは到底思えない何かで。
改めて別の心持ちでもって聴いたり見たり読んだりをしていきたいが、
「ひとまずは」、おそらく教授の作品の中で一番多く聴いたであろうアルバム、
「未来派野郎」を聴くこととしよう。合掌。
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というのも、このアルバムが発売されてから50周年ということで記念の再発盤も出たりして、
同じものはなるべく買わないわたしのところにも、レコードだけで3種類揃ったので、
少々遊んでみたくなった。
1枚目はつい先日発売された50周年記念LPレコード。
音がすっきりと整理されているような印象。
ボーカルがぽっと浮かんで楽器音と切り離されたように聞こえるが、
全体にこじんまりきれいにまとまっている。
2枚目は45回転2枚組レコード。
わたしの持っている3枚のレコードの中では一番hifiで音数が多く聞こえる。
でも、初期盤の持つ「ぎゅっと凝縮した音の塊感」はあまり感じられない。
3枚目は最初に買った73年発売の初期盤(の中でもバリバリの1stではなくて)。
もう随分長いこと聴いているけど、耳が覚えてしまっているせいか、一番ホッとする音。
演奏と歌のぎゅっと感が楽しい。
参考に手持ちCD(リマスターじゃない)の再生と比べてみると、
音が全体にふくよかなのがレコードで、CD音源は楽に聞けるというメリットとの天秤。
ついでと言ってはなんだけれども、
これまでで一番、というHOSONO HOUSEは、
あるイベントで聞かせていただいた、プロモ盤でかつ状態がものすごく良いレコードだった。
なんでも細野さんの関係者でご本人から贈られたものだそう(うらやましい)。
会場に言いようのないため息が漏れたのは言うまでもない。
海外発売のカラーレコード盤などは購入していなくてわからないけれど、
以上の感想もあえて比べてみれば、という感じで、それぞれ普通に聞く分にはどれも音質十分。
細野さんのレコードはこのアルバム以外にも、何度も再発しているアルバムがあるけれど、
例えばPink Floydの「狂気」のように、1stとそれ以外の再生音の落差が激しい感じはしない。
ちなみにHOSONO...の初期盤買えば今いくらぐらいか検索してみたら、
わたしが購入した頃の10倍!ほどにもなっていて、
とても人に薦められるような代物ではなくなっていた。
レコード人気、細野さんが内外で改めて注目されていることなども影響しているかもしれないが、
本当に聞いてみたいと思う方が気軽に手にできなくなってしまっているのが本当に残念。
前にもどこかに書いたけれども、
レコードに興味を持った方が、気軽に体験できる環境になればと願わずにいられない。
盤を虫干ししたくなるようないい風の吹く休日の独り言。
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