この時期は人並みに慌ただしく業務も能力を超えてずっしりのし掛かってくる。
なので、初日のこの時間だけはなんとか休みを取れるようにと、
珍しくあれこれ調整してきていた(笑)。
いよいよ物語は中盤に差し掛かり、血の因縁、悲劇を目の当たりにする。
驚くべきは、パート1もまさしくそうであったが、
たった一つのシーンも無駄にしないように、というくらいに、
鬼才ハンス・ジマーの音楽があまりに緻密で荘厳で、
もうこれ以上は無理と思うほどに展開されていく。
時に、音楽は謀略や哀しい運命の道標のように映像を見る者を導いてくれる。
わたしは、このままもう一度映画を観るか、
一旦「撤退」して、音楽のみを追体験するか迷ったが、後者を選択。
3月23日に発売される各種音源を待てず、OST一式を高音質音源でダウンロードした。
まだパート1を体験されていない方は、まずそこからをお勧めしたい。
せっかくなら、ということで。
つい最近、再生装置の電源ユニットを、より良いものに換装していただいたが、
そのおかげもあって、部屋の床の軟さを痛感するほど、這うようにして低音部が広がり、
目を閉じれば一気にあの砂の世界に飛んでいける。
ほんとうは、もっと音量を上げたいが、近所迷惑なので、それはやらない。
作曲家のポリシーで、映画の音楽を作る際はそのシーンの国の楽器を使って
作曲、演奏するとのこと。
DUNEの舞台は架空の砂の惑星なので、ひょっとして楽器を製作していたりする?
調べてみたら、取材記事にそのような記述が。
次は一体どんな音がするだろうか。
映画の中では映像と一体の音楽なので、音楽だけをこうして聴いてみる作業は
意外なほどに新鮮で別の楽しみを与えてくれる。
今回作のエンディングでも分かる通り、本作はPart.3が製作されるようだ。
これだけの作り込みでもあり、正直次がいつなのかは発表されていない。
またスターウォーズのように、シリーズ化の予定はないとのこと。
DUNEは、他のヴィルヌーヴ作品に比してエンタメ系の要素が強めだが、
重ための悲劇として収斂していくと思う。
パート2には多くの伏線が張られていて、期待するなというのも無理だが、
またこうして劇場で圧倒的な映像の体験ができることを期待するしかない。
当然ながら、音楽製作は巨匠の続投で。
◆ DUNE Part.2 Soundtrack
mora : https://mora.jp/package/43000174/794043220425_48/
]]>
紹介したことがあったと思う。
レコードも、もう随分前から探しているけれど、影すら踏めない状態で早ウン10年。
出てきても異様な価格だと思うので、まあ多分手に入れることは難しい。
某通販店の新譜情報を見て、思わず二度見したのはまさにそのアルバムだった。
もちろんCDではなくて。
このジャケット。正直あんまり好きなデザインでもないが、
とにかくこれにしかない音楽がいーっぱい詰まっている。
わたしが買ったレコードは、カラーレコードじゃない普通の黒い盤で、
メリーゴーラウンドというアメリカのレーベルから出た再発盤。
しかも、事前に案内がなかった帯までついていたが、
なんと文字がハングルで、どうやら韓国の企画盤らしかった。
いやもう見た目とかどうでもいいので、とにかく再生。
ということで早速聴いてみたが、気持ちhi-fiに振ったような音でそれにも驚いた。
ナローレンジで良いから、あのどこか生暖かくもぎゅっと詰まった感、
それがないと、レコードを手に入れた意味がない。
もちろん、普通に聴いてとても良いサウンドだとは思うけれど。
人に勧めるかどうかはかなり微妙だけれど、
このアルバムが好きすぎるわたしにとっては、手に入れるしかない盤だった。
別の大手通販店では同じレーベルから出ている盤が次月頭にリリース予定。
私が買ったのより数千円も高いので、聴き比べてみたい気もするがさすがに、
ということで、次の週末は端子磨いたり、スピーカーの位置を見直したりと、
とにかく、足元を見直した上でもう一回通しで聴いてみようと思う。
そうこうしていると、やっぱりオリジナルに勝るものなしだよね、
などと意味不明な物欲が心の底から沸き立ってしまうので、君子危に近づかず、だ。
以前、某グループの海外ツアーに行きたくて、軍資金を貯めるのに、
昼ごはんおにぎり1個などという無理をしたことがあった。
今はそういうちょっとズレた(苦笑)努力をして欲しいものを手に入れようという
頑張りというか、根気はどこにもなくて、それが少々哀しかったりもする。
話が逸れるけれども、欲しいものがあるというのは、頑張りの源だったりもして、
適度な物欲はそれなりにいい効果もあるよね、などと思うが、
円安の影響もあってか、レコード1枚が7千円とか、もう本当に気持ち的に無理な感じだ。
最近、盤を以前のようにガツガツと買い集められないのは、
探す根気や欲しい盤が無くなったとかではなくて、
何かもうついていけない情勢のようなものに気持ちが押し切られている気がしてならない。
その意味では、”ケストレル”はああこれだ!とストンと落ちるような音でなくては困るのだ。
週末に向けて、耳の方も温存するとしよう。
]]>雪が降ってそんなことを思いつつ、積読になっていた「坂本図書」や彼を特集したユリイカを
少しずつ読み始めた。
彼の音楽にそこまで耽溺していたわけでもないが、
いつも普通に響いている感じがするのは、
特に後年、映画音楽をたくさん書いていて、あの作品、この作品と見直すたびに、
彼の映画音楽をじっくり楽しむ機会があるからだと気づいた。
喪が明けたということではないのだけれども、
記憶の限り、古い作品から順にザーッと聞き直したこの2週間、
調べてみれば、盤を持っていない作品もちらほらあって、
買えなくならないうちに入手した方がいいなと思いつつ、
高騰著しいレコード盤の価格にも驚きつつ、
ウオントリストをまとめたところだ。
アップコンバートということだったが、hi-res音源も結構出ていて、
例えば韓国映画「天空の城」のサントラなどは、レコードでは入手困難だが、
ダウンロードの高品質音源なら手軽に入手できる状況だ。
メインテーマのメロディや構成が確固たる位置にあり、
そこからシーンに合わせて展開される形。
聴く者の耳にどんなふうに響いていくのか、に力点があるんだろうか。
聞き直してみて、共通する骨組みのようなものを強く感じた。
そして、なぜかその奥に、芥川也寸志さんの音楽が聞こえてくるような気がした。
似ている、ということではなくて、まさしく心の奥底に静かにこだまする魂の声。
子供の頃に見た印象的な作品には、芥川也寸志さんの音楽がつきもので、
物語がぐっと盛り上がる際の音楽を鼻歌できるくらい好きだった。
思えば、”そういう”作品には最近あまり出会えないでいるな。
効果音寄りではなく、メロディと作品がしっかりと結びついて離れないような。
備忘のために、ここしばらくヘビーローテしている作品を書き留めておこう。
98年の映画”Snake Eyes”(音楽 坂本龍一)。
この作品のメインテーマを含むオーケストラ演奏企画のレコードが再発と聞いて
予約していたが、通常の黒いレコードのバージョンは発売中止との連絡が。
カラー盤で妥協するかどうか。オケの演奏自体は賛否あるが、
Snake Eyesは戦メリやラストエンペラーと同じようにはいかないので、
大編成で聴ける機会は貴重。さてレコード、どうしてくれよう。
それから押しも押されぬ名作「事件」と「鬼畜」(事件の方は作曲・演奏が
エレクトーンプレーヤーで作曲家の松田昌、音楽監督 芥川也寸志、鬼畜は
音楽 芥川也寸志)の2作がカップリングされたCD。
坂本作品と並行して聴くなら、「八甲田山」の方が良さそうだが、
この2作の音楽、どちらも鍵盤楽器が肝になっているのでこちらを選んだ。
前者は中古盤を探せばまだ手に入ると思うし、後者はネットで普通に購入できる。
話は逸れるが、邦画のサントラ盤は意外に入手困難で、あっても結構な値段に。
再発企画を逃すと本当に探すのがしんどいので、
お好きな方は盤を見た時に入手をお勧めします。
探し物の多いわたしが書いてもあまり説得力がないかもですが(笑)。
さて、今夜は何を見ながら寝落ちようか。
寒さが緩んだ連休の夜だ。
]]>人気俳優、人気女優を配し満を持して制作されたテレビドラマが綺羅星の如く、
と言うと言い過ぎかもしれないが、
次回話が気になって仕方がないドラマがいくつもあった頃があった。
ある時、テレビの流し見をしていてふと気がつくと見覚えのある顔が。
チューリップの財津和夫さん、いつのまに俳優に!と驚いた。
当時は「検索すればすぐわかる」ご時世ではなかったし、
毎週何曜何時から、と拘束されるのが苦手だったので、
とうとう最終話がどうなり、財津さん演じる男性がどうなったのかも
わからずじまいでいたが、
当該ドラマの主題歌だった曲を偶然ラジオで耳にしてつい昨日の事のように思い出した。
検索すると出るわ出るわ、わたしと同様ラストネタバレを質問して、
それへの丁寧な回答も多数。ああそうだったんだ、収まるところに収まる結末だったんだ、
となんだか妙に安心すると同時に、財津さんの歌が聴きたくなった。
最近、チューリップの過去アルバムがLP含め豪華セットで再発されたりして、
気になる要素はあったけれども、
そこまで当時ファンでもなく、でも好きな歌はたくさんある、ということで、
ヒット曲集の様相のセルフカヴァーアルバムを選んだ。
grown up というサブタイトルにも納得。
アルバムタイトルの「サボテンの花」、〜の花という曲はいい曲揃いだな、
なんて思いながら、改めてしみじみ、思い出のあれこれに浸ってしまう。
もちろん、当時のオリジナル曲も魅力的だけれど、
リラックス感満載のこのアルバムは、
財津さんの歌を全然聞いたことがない方に一聴をぜひおすすめしたい。
わたし自身、日本語の歌を全然聞かなくなっていた時期も長くあったけれども、
それなりの年齢になって、10代の頃によく聞いていたあの歌、この歌を
聞き直してみたくなることが増えてきた。
歌詞の一言、ひとことが、当時とは違うところにぐっと刺さったり沁みたりするのが
本当に心地よい。
音楽、歌ってほんとうにいいなと思う。
今日はまだ水曜、週の真ん中。いい歌をたくさん聞いたから明日も頑張ろう。
]]>この機会を当たり前のように享受できる幸せ。
今回の曲目は、
ショパン:前奏曲 嬰ハ短調 o.45
シューマン:交響的練習曲 op.13(遺作変奏付き)
シベリウス:悲しきワルツ op.44
シューベルト:楽興の時 D780 op.94
そして、最終曲を終えてご本人のアナウンスにて演奏された
アンコール曲は、最新のアルバムにも収められた
ショパン:夜想曲 第18番 ホ長調 op.62-2
これと決めた最善の演奏を確実に行うための儀式なんだろうか、
相当にくたびれた楽譜を置きながらの演奏を眺めていると、
まるで何かの修行僧のような雰囲気さへ感じる。
例えば、新進気鋭の若いピアニストが熱量を迸らせる演奏とは対極にあるような。
このひとときについてわたしなどが何かを語れる訳ではないけれど。
記憶に留めておきたいのは、演奏会に出かける度にどんどん響きが美しくなっていくこと。
都度、「これ以上はないな」と思いながら電車に揺られて帰宅するのだけれど、
ああもっと先があったんだ、とため息が思わず出てしまう。
それに知っている楽曲であっても、
目の前に展開される曲は全く別のものに感じられること。
特に3曲目の「悲しきワルツ」は、なんとかしてもう一度聴けないかと
身悶えしそうなくらいに素晴らしかった。
わたしが知っている同曲の録音は、アシュケナージによるシベリウスピアノ曲集の1曲。
2バージョン収録されていて、そのCDを購入した当時はよく聞いていたが、
ここ10年くらいは耳にする機会もなかった。
なぜこの曲が選ばれたのかについては、死のイメージが通底するこの曲にあっては
あえて知りたくない気もする・・・。
Pogorelichのピアノ演奏を初めて聴いた頃は、
変幻自在のテンポで深い森に迷い込むような感覚があったけれども、
今は、1音、1音の響きが透明感に溢れ、もうこれ以上リリカルな音は望めない
そう感じてしまう。でも彼にとっては、それもまた通過点なんだろうか。
うっかりすると口が半開きでちょっと慌ててしまう。
勿体無いので、あまり考えないようにしてひたすら耳を傾ける。
2時間ほどの間があっという間で、
もう終わってしまった、もっと聴いていたいとなかなか席を立つ気になれない。
終演の現実に引き戻された脱力の中で、狭苦しいわたしの胸の内で感情が湧き立ち、
様々な思いが去来しては消えて行く。
部屋に戻ってからもあの広いホールに放たれた楽音の1つ1つが
まだわたしの中に止まっているような気配があり、
とても眠る気になれず、日付が変わった今慌てて備忘録を認めている。
できることならもう一度、昨日の夕方に時間を戻してもらいたい、
そんな勝手なことを独り言する寒い日曜の午後。
◆ シベリウス 悲しきワルツ(ピアノ版)が聞けるアルバム
1 アシュケナージによるシベリウスピアノ曲集
2 アレクサンドル・タロー
オートグラフ 〜アンコール・コレクション
]]>
晴天なのに気温も低くて、自然と体を動かしたくなる。
音楽を聴くペースを意識的に上げた。
去年は悲しい出来事が多すぎて、何をするにも一呼吸、ふた呼吸、
そうこうするうちに腰が上がらなくなった。
そんな毎日から1年の切り替わりに乗じて、音楽への接し方を変えてみた。
サブスク、ストリーミングのAI?が繰り出すオススメは確かに楽しくて便利、
なんだけれども、結構飽きがくる。
使い方の問題なんだろうが、アプリに遊ばれてしまう。
そして、そんなはずじゃなかったと、一人部屋で項垂れてみる。
J-Waveからタイミングよく流れてきた流行歌。
なにができるのか
誰を生きようか
みんな儚い
みんな尊い
そんな歌詞が耳に痛かった。そして大きく深呼吸した。
シンガーソングライター藤井風の新しいシングル&EP、「花」。
シングル用のアレンジは、それこそこれでもかというコード進行でもって、
聴く者に迫る。
それとは裏腹に感じるほど、イントロのざくざくとしたピアノは
まるで何かの決意を語っているかのよう。
おしゃれなポップとして聞き流すのはちょっと惜しい。
なので、一人部屋で、小声で歌詞をなぞってみる。
こんなわたしにも、きっと内なる花があり、
それを誰でもなく自分が見つけてやらなくてどうするよ。
重い腰がようやく上がった日は本当に寒かった。
ヒュウヒュウと音を立てて強い風が顔を過ぎて行く都会の夕刻。
]]>ストリーミングでジャンルを指定してランダムに聞いてみると、
名称からくるイメージとは随分かけ離れた作品も流れてくる。
そのうちAIとか非AIなんていうタグもついたりして。
元々音楽に対してこれじゃなきゃというほど拘りはないが、
その時の気分に合わせて、ああこれだ、あるいはこれじゃない感はある。
そのくせ気に入ったアルバムでは物理音源に執着するあまり、
その楽曲なり作品を知ってから、じっくり聞くまでに間が開きやすくなっている。
今流れているLuke Howardの"Open Heart Story"もその1枚。
このアルバムを知るところになったのは、
去年のTIASはLINNのブースでアナログ再生されていた1曲から。
ピアノの音色が好みであったこと、
ミニマル感が程よく抑えられた作りが心地よかったこと等々、
今思えば、これいいなあと思った理由がわかる。
レーベルの紹介によると、Lukeはオーストラリア出身の作曲家・ピアニストで、
本作のタイトルは「内なる心の旅」を表し、
「年を重ねてから途切れてしまった子供時代の思い出とのつながりを探る」楽曲集とのこと。
音数も抑制し、内省的なピアノソロがあるかと思えば、
編成が大きめのストリングスでぐっと盛り上がる曲があったり。
誰しも、ああなんて幸せな瞬間!と思い出せる場面があるだろう、そんなことを思いながら
暖房も入れずにじっと耳を傾ける。
他にどんな作品があるのかと思い、いくつか聞いてみたが、
年明け早々の大惨事を思わせるような重たい音楽、
Open...が陽なら陰を感じさせる作品の方が多めな気がした。
もちろんピアノの演奏はどれも魅力的だが、
重ねられた電子音の不気味さに不安を掻き立てられてしまう。
なので、今はちょっと遠慮したい。しんどすぎるので。
今日のところはジャケットを貼った今回のアルバムを推しておきたい。
]]>
そういうときこそ音楽から元気をもらおう。
ラジオから流れてきたとあるポピュラーソング。
ピシッと決まるリズムに心地良すぎるグルーヴ。
海外のグループ? いやどこかに忘れてきたシティポップの香りも充満しきり。
一体誰? と思ったらLAGHEADSの新譜からの1曲だった。
いずれも実力派で鳴らすミュージシャンからなるスーパーバンドとのこと。
さっきシティポップと書いたけれど、歌物は他のアーティストとのコラボのようで、
思いっきりジャムってる曲もあったり、
一体根っこはどこにあるの?と思うくらい、これでもか!と飛び出す楽曲たち。
アルバムの宣伝にはこれでEPとあって、えって思わず言葉を飲み込む。
最後の曲が流れる頃には、ついさっきまでの憂鬱で頭の重たい感じが一体どこへやら。
もちろんドラムもギターもベースもすごいんだけれど、
何と言っても宮川純さんのキーボードがすごい。
自分達のために作った楽曲だとここまで弾けるのっていうくらいに。
何の味って表現できないけれども、美味しいことには違いない、
そんな凝縮感溢れる楽しいアルバム、これを今まで知らんかったんかいとは反省の弁。
しばらくはヘビーローテの予感、これ以上ない楽しい予感だ。
]]>今朝の日の出はいつものそれであるようでいて、ぐっと清々しさを増していた。
冷えてきりりとした空気。
何色とことばにできないような深い群青の空からだんだんと光の筋が広がって。
1年を何とか無事過ごし、また新しい1年を始められることに安堵する。
秋以降、あれこれ音源を注文していて年末までに届いたのは何と2枚のみ。
オーダーの大半はメジャーレーベルでなかったし、
そもそもダウンロードで聞いて欲しい、CDはそうじゃないリスナー向けの補助的な
位置付けで入手方法自体が限られていたり。
今日は届くのではとポストを覗く日々が淡々とすぎてとうとう正月に。
それでも海外からこうして無事届くことに感謝しかない。
その2枚のうちの1枚がカナダのシンガー、Jonathan Royのアルバム、"My Lullaby"。
このアルバムの冒頭に収録された"Keeping me Alive"という曲を、
フィギュアスケートの演技で流れたのを一聴してすっかり夢中に。
競技にボーカル曲が採用できるようになってしばらくたっていて、
当初はリラクゼーション系で歌声も楽器のような感じの楽曲が多かった気がするが、
久しぶりに中継でみた試合では、選曲の幅も俄然広がっていて、
選手の演技よりも採用された曲に注目してしまった。
このKeeping...で滑っていたのはイタリアのガブリエレ・フランジパーニ選手。
届いたCDで早速聞いてみると、演技で使用されたものはオリジナル曲を少しスローにして、
歌声にコーラスとパーカッションを添えるようなアレンジになっていて、
オリジナルはもっとエモーショナルでガツンと来る。
どちらがとは言えないけれど、オリジナルの方は声の存在感絶大で、
それだと競技には不向きだったのかもしれない。
それにしても何という声。
歌詞は少し重たいけれども、それを語り尽くしてしまう声だから。
盤にこだわらなければSpotifyでも新旧アルバムが聴ける。
すでに置く場所がほぼない我が家であっても、
今年はまだまだ物理音源に執着して聞いていこうかな、
というかそうしたいなと思った1年の初日。
音楽や映像を楽しむのに支障ない程度に元気で健康な1年をになりますよう。
またこんな辺境blogを訪れてくださる読者の皆様にとって、
新たな充実の1年となるよう祈念して。
今年もどうぞよろしくお願いします。
]]>
先週末に出かけた有楽町国際フォーラムでのTIAS2023。
昨年は事前予約方式だったりをよく理解せずにいたのでろくに聞けずじまいだったが、
今年は準備万端。
とはいえ。
世の中様々なものが値上がりして時に絶句するも、オーディオ製品とて例外ではなく。
その分気楽に、欲しいなあと悩むこともなく展示を眺められる(笑)。
頑張ればなんとか手が届くかも、
という絶妙な感じの価格帯のものは本当に少なくて、
たまには音楽聴きたいな、というライトユースな方にもお勧めなお手頃製品か、
極端にゼロの数が多いみたいな二極化が一層進んだ感じがした。
各ブースとも、ここぞと製品の良さをアピールするための選曲なので、
音量は大きめだし、音圧も高いしで、ずっとは聞いていられないのが残念だが、
これぞという催事や講演を除き、
パッと聴きの印象がものすごくよかったものを長めに楽しんだ。
備忘録としてメモしておくと、気に入ったスピーカーは次の3つ。
1つめは、EstelonというブランドのAura。
真っ白で優美な姿、出てくる音も見た目の印象通り美しい響き。
なんでもエストニアの会社だというから、
かつて訪れた風景が思い浮かんでバイアスがかかっているかも。
エストニアってモノづくりのイメージがなくて、それだけで気になってしまった。
次にFYNE Audioというブランドのフラッグシップ。
朗朗と雄大な響きで情報量もたっぷりなのにやかましくない。
でもアンプ入れたらおいくらの世界!?
最後に一番良かったのはPIEGAのCoax411というブックシェルフ。
これとて家電的な感覚からすれば高いんだけれど、他と比べてというか、
これを聴く(みる)までに金銭感覚は破壊されていたので、
わ、安っってなってしまう(笑)。
もちろん、いずれのスピーカーも
つながっている装置やケーブルは代理店が吟味しているものなので、
スピーカーさえ買えれば同じ音が、、、、
というわけでもないのは承知しているけれど。
各ブースで気になった音源を帰宅早々探してはポチっとを繰り返したが、
比較的古いアルバムが多かったせいか、未だお取り寄せ中。
届くのを楽しみにしつつ、今日はHarry Allenのテナーをボサノバで。
今日はようやくというか冬らしい冷え込みで、
完全に季節外れな1枚になってしまったのはまたしても承知の上で。
なぜこれ!?と言われたら、先程のEstelonのエストニアを旅した時に、
首都タリンから確か電車で日帰りできる程度の郊外にある海辺の保養地が、
ふとこのジャケットに結びついたから。
夏なのに、人気も少なくてひっそりとした遠浅の砂浜で、
あまりに静かなので、寄せては返す波の間に囁くような砂の音が聞こえてきた。
話がそれたが、
このアルバム、ボサノバの名曲を集めた2006年の作品で、
Harryが気張らず演奏する様子がなんとも心地よい。特に「風のささやき」。
本当はこのアルバムで夏の終わりを楽しみたかったが、
今年はいったいいつが夏の終わりだったかさえ定かではない。
さて切り替えて、冬にこそ聴きたい音源を棚から発掘することにしよう。
]]>オルガンを習い始めていて、音楽を聴くことが一番の上達方法です、
と講師の方から進言があったからだ。
ラジオは父のトランジスタラジオを借りてよく聞いていたが、
野球中継の時間はそれ専用になるので、
いつかは自分のラジオが欲しいと小さいながらに願っていたから、
そのラジカセが届いた日は、どれだけ嬉しかったって、表現のしようがない。
そのラジカセはわたしの手元でずっと現役であり続けたが、
最初にダメになったのがカセットテープの再生機能で、
メーカーに修理を相談した際にも、
如何せん時間が経ちすぎていて難しいとの回答。
そうこうしているうちに、ラジオの再生音にもノイズが乗るようになり、
音量調整も効かなくなってしまった。
ただの飾りであっても、ずっとそばにあったものなので、今更処分なんてできない。
外観の清掃がラジカセに触れる唯一の楽しみになってしまって何年経っただろう。
ある時、ネットフリマに同じ機種が出ているのを見つけた。
なんでも出品者が自ら修理を施し、カセット再生も問題ないとの触れ込みだった。
おりしもラジカセブーム、似たような機種が随分とあちこちに出品されるようになり、
もっともその大半は現状渡しという条件であったが、
うちのラジカセと同じ機種が出ているのを見つけては、買うか買わまいか、
と悩んでいるうちに売れてしまった。
そんなことを繰り返すうちに、修理の過程を記事にされている方を見つけ、
ダメもとで連絡をとってみたところ、わたしのラジカセの修理を引き受けてくださるという。
その方も出品されたりしていたが、思い入れのあるものなら直した方がいいのでは、
破損や故障が酷いとできることも限られるが、との提案だった。
またとない機会、一度もお会いしたことのない方に手元のラジカセをお送りしたところ、
無事にというか、見事に修理され、美しい状態になって戻ってきた。
ただ直ってきたというよりは、
もしかしたら持ち主以上の愛情をもって手当されてきた感じだ。
このラジカセで聴けるようになってからというもの、
毎日の多くがラジオの時間となった。
レコード再生と違って、ラジオはほんの隙間時間でも構わないし、
手間いらずなので、出がけの慌ただしい時でも大丈夫。
なんなら定時に天気予報も流れるので、ネットをいちいち確認不要となった。
音質は、お世辞にもhifiとは言えないが、押し付けがましさのない心地よい音だ。
今後、デジタル化の波に飲み込まれ、こうしてアンテナで受信して聴ける番組は
ひょっとしたらどんどん減っていってしまうのかもしれない。
或いはradikoのように便利で安定して聴けるものもある。
それでも、自分が生きているうちは、普通にこうして聴ける番組があったら、と思うのだ。
ラジオで聴くことの楽しみをなんと言えばいいのか、もどかしいほど言葉にならない。
わたし自身、古いラジカセをようやく直してもらったところだから、
偉そうなことは言えないが、
取り戻して改めて痛感するその良さということなんだろうか。
なんにせよ、日々に新しい楽しみが追加され、何よりだ。
偶々ダイヤルを合わせていた局の放送で、思わぬ音楽との出会いにも期待したい。
]]>
そんなアンケートがあって、今年になってどのくらい買っているか確かめてみたら、
意外にも、おそらくは過去一番くらい、音源を買っていないのが判って驚いた。
外出自粛中はすることもないし、外で食事することももちろんなかったので、
その分が音源や再生装置に振り向けられたから、結構な金額ではあったが、
それにしても。
雑食的にあちこちから新譜をかき集めてはひっきりなしに聞く、
そんな生活態度もどうやらここに来て転換期が来ているようで、
それは単に「自粛」の反動だけではない気がした。
振り返るには早すぎるのかもしれないが、
たとえば、海外のロックダウン中、さまざまなアーティストが
ネット配信を通じてライブ演奏を聴かせてくれたりする中で、
それが単に演奏簡易バージョンではなくて、
自身の作品を掘り下げたり見直したりしたものだったり、
新たな角度から光を当ててみたりして、
長年その曲を聴いてきた1ファンにとっても深く考えさせるものだったりと、
1曲、1曲、あるいは1つのアルバムにじっくりと向き合うきっかけがたくさんあった。
幸い十分すぎるほど良い音で再生できる装置も得て、
何度聴いても聞き飽きたとはならないどころか、
むしろその楽曲が表現しようとしているものから容易に目を逸らせないような環境になり、
わたし自身がもっとそれらに向き合ってみようと思うようになった。
雨の週末だから、何か普段できないことしようかなと思いついたのが、
オリジナルの楽曲と比べて聞き返してみること。
Roger Waters "The Rockdown Sessions"なら新旧全部揃うからいけるかな、と。
全6曲の構成と元のアルバムは次の通り。
1 Mother (The Wall by Pink Floyd, 1979)
2 Two Suns In The Sunset (The Final Cut by Pink Floyd, 1983)
3 Vera (The Wall by Pink Floyd, 1979)
4 The Gunner's Dream (The Final Cut by Pink Floyd, 1983)
5 The Bravery Of Being Out Of Range
(Amused to Death by Roger Waters, 1992)
6 Comfortably Numb 2022 (The Wall by Pink Floyd, 1979)
聴き比べといっても、新旧どちらが良いということではなくて。
これらの楽曲を選んだ意図や、改めて歌うことの心境に一歩でも近づけるかなと。
曲によっては、歌詞の一言ひと言に込めた意味合いが別のものになっているかもしれない。
或いはこのロックダウン中のアルバムから初めてWatersを聴いた方なら、
一体どんな感想を持っただろうと想像しながら、
オリジナルの楽曲を初めて耳にした時のことを思い出してみた。
その時々、胸中に沸き起こったものの全てが、わたしの宝物になっていた。
今思えば。思わず長い溜息が出た。
もう少し涼しくなったら、プレイリストをポータブルプレーヤーに詰め込んで、
どこか知らない街に出かけてみたい。
酷暑の疲れを癒してもくれるような珠玉のプレイリストを作って。
]]>余裕なくあたふたしていたら、このblogも2ヶ月以上放置してしまっていた。
いつ頃どんな音楽を楽しんでいたのか、あとから振り返れるようにと、
元々備忘録の意味で始めたものではあったが。
ここ2ヶ月はユキヒロさんや教授のアルバムを幾度となく聞き返していた。
彼らを追悼する番組や、あるいは書籍が色々出されるなど、
文字を読みつつ、改めてアルバムを紐解いてみる。
随分いろんな本を読み漁ってきてはいたけれど、まだまだ知らないエピソードがあって、
リリース当初としてはあまり気に入らなかったアルバムですら、
曲の合間に都度感傷的になる始末で。
今日は9月最初の日曜。
一旦残暑を締めくくりたい、そういう思いもあって、
やはりセンチメンタルで美しい響きのピアノ演奏を選んだ。
Giya Kancheliの商品を文字通り33曲選んで編まれた2020年の作品だ。
ピアニストはジョージア出身のGeorge Vatchnadeze。
彼の弾くピアノの音色はサウダージそのもの。
懐かしい土と草の匂い。太陽は夏の終わりを惜しむかのように照りつける。
それでも日が落ちる頃には秋の風が。
透明感溢れる響きは、季節の移ろいの切なさのようで、
あるいは我が胸の内の虚を顕にされているようでもあって。
あのKin-dza-dzaの音楽ですら、物悲しさに満ちて。
ひょっとしたら、季節の移ろいなんていう言葉の意味がわからなくなるほど、
これからは暑い夏と寒い冬しかなくなるような時代になっていくんだろうか。
四季の素晴らしさを体感できた子供の頃が本当に懐かしい。
そんな郷愁で部屋中が蒸せ返るようなKancheliの音楽。
ようやく心の切り替えができたのかもしれないと感じた休日の午後。
]]>亡くなった直後に自伝が出版されること自体は、
最近はそう珍しいことでもないが、
坂本龍一という、最後の最後まで何かを発信していた人の本なら、
きっと今のわたしに大きく欠けているもの、渇望するものを
惜しみなく与えてくれるだろうと、随分身勝手な思いを一杯にして。
このblogではあまり触れる機会はなかったが、
年代的にもご多分に漏れずYMOフリークなわたしにとって、
永遠の憧れながらファンに近いところに出てくる機会の当時は少なかった細野さんに比べ、
ラジオのDJ、パーソナリティとして身近な教授であったから、
教授の音楽に耽溺、というほどでもない程度のファンであったにも拘らず、
ユキヒロさんに続く教授の訃報にはことばもなかった。
まさか、そういうファン界隈への「緩和措置」まで考えていた訳でもなかろうが、
著書「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」は、
突然空いた心の傷を埋めるやわらかな綿のような存在であることは間違いない。
***
手持ちのレコードを整理していた際、
いわゆる歌物を中心に残してきているのがよくわかって、すごく納得できた。
それから映画音楽の「元」になっている楽曲とか。
その意味では、テレビの深夜映画で見て以来すっかり虜になった「シェルタリング・スカイ」とか、
いつだったかのリサイタルで聞いたピアノソロによるテーマ曲に、
ああ、あの作品の原点がここにある、とさえ感じるほどに、
教授といえば、あの戦メリでもなく、シェルタリング・スカイがループした。
ふと気づいたが、
わたし自身がそれなりに歳を取ってしまったこともあり、
自分の音楽生活に大きな影響のあったアーティストについて振り返る時、
それこそ日頃は思い出すことはないけれども、実は忘れてもいないエピソードが五万とあり、
それを一つ一つ回顧しながら音楽や映画を再体験することを、
もう最近は当たり前のようにしてやっているんだな、と。
極々若い頃、たとえば10代とか20代の時には、思ってもみなかったような体験を。
振り返りとはそういうものだと思いながら、
先日のユキヒロさんといい今回の教授といい、
音楽を通じて多くの癒しや気づきを惜しみなく与えてくれていた音楽家が
鬼籍に入るのは、本当に残念で辛くて寂しくて、
一言では言えない感慨でもって胸が詰まる。
音楽や本や映像がたくさんあるからいいよね、とは到底思えない何かで。
改めて別の心持ちでもって聴いたり見たり読んだりをしていきたいが、
「ひとまずは」、おそらく教授の作品の中で一番多く聴いたであろうアルバム、
「未来派野郎」を聴くこととしよう。合掌。
]]>
というのも、このアルバムが発売されてから50周年ということで記念の再発盤も出たりして、
同じものはなるべく買わないわたしのところにも、レコードだけで3種類揃ったので、
少々遊んでみたくなった。
1枚目はつい先日発売された50周年記念LPレコード。
音がすっきりと整理されているような印象。
ボーカルがぽっと浮かんで楽器音と切り離されたように聞こえるが、
全体にこじんまりきれいにまとまっている。
2枚目は45回転2枚組レコード。
わたしの持っている3枚のレコードの中では一番hifiで音数が多く聞こえる。
でも、初期盤の持つ「ぎゅっと凝縮した音の塊感」はあまり感じられない。
3枚目は最初に買った73年発売の初期盤(の中でもバリバリの1stではなくて)。
もう随分長いこと聴いているけど、耳が覚えてしまっているせいか、一番ホッとする音。
演奏と歌のぎゅっと感が楽しい。
参考に手持ちCD(リマスターじゃない)の再生と比べてみると、
音が全体にふくよかなのがレコードで、CD音源は楽に聞けるというメリットとの天秤。
ついでと言ってはなんだけれども、
これまでで一番、というHOSONO HOUSEは、
あるイベントで聞かせていただいた、プロモ盤でかつ状態がものすごく良いレコードだった。
なんでも細野さんの関係者でご本人から贈られたものだそう(うらやましい)。
会場に言いようのないため息が漏れたのは言うまでもない。
海外発売のカラーレコード盤などは購入していなくてわからないけれど、
以上の感想もあえて比べてみれば、という感じで、それぞれ普通に聞く分にはどれも音質十分。
細野さんのレコードはこのアルバム以外にも、何度も再発しているアルバムがあるけれど、
例えばPink Floydの「狂気」のように、1stとそれ以外の再生音の落差が激しい感じはしない。
ちなみにHOSONO...の初期盤買えば今いくらぐらいか検索してみたら、
わたしが購入した頃の10倍!ほどにもなっていて、
とても人に薦められるような代物ではなくなっていた。
レコード人気、細野さんが内外で改めて注目されていることなども影響しているかもしれないが、
本当に聞いてみたいと思う方が気軽に手にできなくなってしまっているのが本当に残念。
前にもどこかに書いたけれども、
レコードに興味を持った方が、気軽に体験できる環境になればと願わずにいられない。
盤を虫干ししたくなるようないい風の吹く休日の独り言。
]]>春のバラ一番花も昨晩の強風ですっかり痛み、やれやれの様相。
暑い夏が来る前に、と
先週までに溜まりに溜まった音源、映像ソフトの整理を終えた。
>棚を買うとそれ以上に中身が増える、という困ったことにならないように収納は増やさない。
なので、棚から溢れるようにしてCDやDVDが床に積み上がる。
サブスク全盛でCDをほとんど買わなくなったという友人たちに揶揄されつつ、
少ないながらもそれなりに盤を購入しているのでどうしても増える。
しかも、サブスクで試し聞きして買っているからまあ失敗というか、
「どうしてこの盤を買ったのか?」と後から考え込むようなことはまず起こらない。
なので、以前と比べて手放す盤が極端に少なくなったので、盤の整理はずっと難しくなった。
今回改めて感じたのは、CDや、特にレコードは、かかるお金のことを気にしなければ、
後からもう一度手に入れることが比較的容易だと思う。
しかしながら、映像ソフトはなかなかそうもいかないようだ。
むしろBlu-rayの類で発売されることをよしとしなければならないかもしれない。
映像系のサブスクは、例えば最新作品を映画館で見逃したから、とか、
あるいは人気ドラマの一気見には随分便利だと思うが、
少し古い時期の、偏った人気、はっきり言えばカルトな作品などは、
後でもう一度見たい!と思うなら盤を自分でもっているしかないと痛感する。
先日、処分した映像系の盤のうち、結構な値段がついたのがいくらかあったが、
いわゆる廃盤でBlu-rayにもなっていない、或いは日本語字幕版が出ていない作品などで、
ネットフリマに出したりすれば探している人の手にうまく渡せるのではと思うものの、
面倒で専門の業者さんに引き取ってもらった。
それから気がついたことの2つ目。
頭に入っているソフトの数、というのはおよそこのくらいだ、というのが分かってしまった。
なので、それを超えて持っていても、あったかどうか、
或いはどこにしまったかがうまく思い出せなかったりする。
一時期、映像ソフトは新しいフォーマットで再発されるたびにお気に入り作品は更新もしてきたが、
それも最近はしんどいというか、もうこれ以上綺麗な画質である必要はないなと思ったので、
盤自体をそれほど数買ってはいない。
なのに、いざ週末を2回つかって片付けてみると、あるかな?と思っていた盤はとうに手放していて、
もうない!と思っていたタイトルがポロッと出てきたりする。
記憶のいい加減さはさておき、リスト化するのも辛いので、さてどうしたものか(今、ここ)。
1作品の視聴ごとにある程度金額がかかってもいいから、オンデマンドできるようになるなら、
こういう盤との格闘もしなくて済むかもしれない。
いっそのこと、物欲自体が綺麗に「整理」されるなら、もっと気が楽になるかもしれない。
自戒を込めて連休の最終日にメモしておくこととした。
わたしにしては珍しく、休憩の1枚に選んだJudith Owenの"Happy This Way"。
いつ頃買ったんだっけと思って調べてみたら、2007年の作品とのこと。
たしかLINNのオムニバス盤に入っていた1曲がすごく気に入って探したんだったと思ったが、
ピアノとストリングスの伴奏に乗って淡々と歌う様子が、
jazzボーカルにありがちな過剰な感じもなくて、疲れた心身にも優しい。
素晴らしい歌声は、懐かしいあの日の光や初夏の草の匂いを思い出させてくれる。
ニュースにあった、「連休明けの五月病」に要注意、の記事。
わたしも予定外に中日を休むことになり、大連休になってしまったので、
明日、いつもの時間に起きていつもの通り出かけられるのかが心配だ。
部屋の中が居心地良すぎるのも考えものだが、
でも、どんなに面倒なことや嫌なこと、悲しいことがあったとしても、
帰る場所があるのだと思うとどうにかやりすごせてしまうことも知っている。
普段はやらないが、念のため目覚ましを二重にしかけておくとしよう。
]]>一体いつ頃からはじまったのかと思い調べてみたら、
なんと2007年からとのこと。
当初、どんな感じだったかが思い出せないが、
ここ数年は、イベントに合わせた特別な盤がずらっと発売されて、
気になる盤を手に入れるため、当日はお店に行こう!みたいなことになっている。
お祭りじゃなくて、商業化した! という批判の声も多いそうだが、
今回のリリースは個人的に見逃せないものが少なくなく、
すっかり商業ベースに巻き込まれてしまった次第。
1枚ごとの感想は別にして、2023上期のRSDにこれを買った!と備忘のメモを残そう。
1 Chet (Mono Edition) / Chet Baker
一体どれだけのバージョンが出ているか把握も難しそうな超有名盤。
オリジナルの盤と比べるのはかわいそうだけれど、今回のはとても好ましい音質で、
バランスがいいかな、と思った1枚。
2 Blue Room: The 1979 Vara Studio Sessions in Holland
/ Chet Baker
わたしの一番の目玉というか、もうないだろうと思っては出てくる未発表音源。
さきほどのChetとは違い、ファンの方ならおすすめのアルバムだけど、
2枚組レコードで1万円!というのはさすがにおすすめしづらい(苦笑)。
しかしながら未発表音源にありがちな音質イメージとはかけ離れていて、
いい意味で予想を裏切られた格好(落涙)。
どういうわけかRSDに何かしらの盤が発売されるChet。
確実に売れる枚数が読めるんだろうなあと思うが、流石にこれを書いている時点でも
購入できる。レコードにこだわりがなければCDでもいいかもしれない。
3 It's A Jungle In Here (30th Anniversary Edition)
/ Medeski, Martin & Wood
彼らの2ndアルバムが初アナログ化。
後から探すのが意外に大変で、数年前のレコードが高額取引されがちな彼らの作品。
高いけど目を瞑って買っておくしかないわけで。
1軒目のお店では初日完売、慌てて他のお店に探しにいきました。
4 Full Moon / Full Moon
ニール・ラーセンやラーセン・フェイトン・バンドが好きな方ならご存知かも。
オリジナルの盤は見たこともなく、あってもえらい高額かもなので、
今回出ると知って小躍り状態でした(笑)。
5 Zolpidem / 大山田大山脈
これはお店でちょろっと流れていたのを気に入って買った1枚。
私的マストアイテムが多い今回のRSDで手元の予算が乏しいので、
いかにもお祭り楽しい的な選び方ができたのはこのアルバムだけ。
アーティストのこともまだ全然わかっていませんが、
「おおやまだだいさんみゃく」と読むのだけはお店の方に教えてもらいました。
<お勧めありがとうございました♪
◆ 以上5点が今回の購入盤。
それなりに予算を組んだのに、1作品あたりが高額で、5点がせいぜい。
いやはや、いいんだか、なんなんだか。
]]>ネットワークが繋がらなくなって原因を調べるうちに、
思っている以上に厄介なことになっていると気が付くのに随分時間がかかってしまった。
音楽再生もネットワークがらみなものにしてしまっているので、
しばらくはレコードばかり聴いていたが、
以前はそういう音楽生活であったはずで、それはそれで良いかもしれないと
感じたのはただの負け惜しみだろうか。
CDタワーが崩れたりと、そろそろ断捨離の時期だと思っていたので、
手元の盤を選別し、梱包、発送したのが昨日のこと。
選別に時間がかかった割には量はさほどでもなかったが、
床に積み上がった音源が整理できたのは朗報か。
どんなに素晴らしい音楽、音源でも、聞かなくなったのに手元に置いている理由がない。
そういう単純なことにやっと気がついただけでも、意味があったと思いたい。
整理するのが大変なので、盤を買うのは慎重になろうと思ったが、
そう言っている端から探して届くのを心待ちにしていた1枚が。
Radioheadの楽曲をピアノアレンジに編みなおした"DAYDREAMER"、
ポーランドのピアニスト、Bartek Wąsikのアルバムだ。
何かを検索していて偶然ひっかかった1曲がこのアルバムのもので、
CDは出ているようだったが、手近に購入できそうなのはmp3ばかり。
想像するに芯の無い残念な再生になりそうだったので、
せめてCDを探そうと思ってやっと見つけたのがポーランドのミュージックショップ。
通販のページに英語翻訳がついていなかったら買い物を諦めたかも(笑)。
たった1枚のCDにそこまで執着するか、と思われるだろうが、
たまたま耳にできた1曲が、Radioheadの曲でもすごく気に入っている曲だったこと、
多分ピアニスト自身が彼らのファンじゃないかな、と思える何かが感じられたこと。
深い森の中に差し込む一筋の光のような美しい響き。
彼の演奏をもっと他の楽曲でも聴いてみたいと思い、音源を探したが、
ソロ演奏のものでは手に入る物がなさそうなのがとても残念だ。
以前のように眠れぬ夜が続くようならさらに愛聴盤となったであろう1枚。
床の見えるようになった狭いながらも楽しい我が家にほっと落ち着いてみれば、
紅茶でも淹れてあれこれ思い出しながらぼんやりする時間にピッタリの音楽。
そういう時は人の声が重苦しく、楽器の音色の方がずっと優しく響くから。
さて、明日は月曜だ。サザエさんではないが、気持ちを切り替えていこう。
]]>島国日本で生まれ育った人間が、ことさらその美しさや透明感、
侘しさに惹かれるのはなぜか。
運命に翻弄される人と人の繋がりがこれほどまでに焼き付いて離れないとは。
2月17日から都内でも上映開始の映画「別れる決心」は、
復讐3部作で知られる韓国の映画監督パク・チャヌク氏の最新作で、
なんと6年ぶりの作品だという。
彼へのインタビュー記事には、
増村保造監督の映画『妻は告白する』へのオマージュ?との質問にも
偶々そういう脚本であったということで、監督の意図ではないとのこと。
サスペンス&ラブストーリーというと薄っぺらな印象を否めない。
もっといい表現があるといいが。
主人公を演じる二人の間合い、ほんの少しの揺らぎがゆっくりと観る者をも包み込んでいく、
そのなんとも言えない湿り気に魅了される。
これ以上近寄れないという距離感をみせながら、
しかし実のところその二人が本当に結ばれることはあまりに遠い世界にしかない非現実であることを、
或いはそれへの渇望を、時には凪いでいて、或いは潮が満ち、波しぶきが飛び交う海の様子が
生々しく観る者に訴える。
映像の透明感に引き込まれる140分、エンドロールが始まった瞬間、
まるで重い夢から覚める時のようにして、目の前の風景が現実なのか虚なのかを曖昧にする。
脚本集も本国で注目されているとのことだが、
映像から来るこの感覚が字面からも得られるだろうか。
遅い時間の終演で、部屋に帰り着いたのは深夜もいい時間。
なかなか寝付けないでいたので、映画に負けないくらい透明感溢れる音楽を。
アイスランド出身のピアニスト、ヴィキングル・オラフソンの最新作 "From Afar"。
タイトルからは中身を想像しづらいので、アルバム紹介から引用を。
:アルバムを構成するテーマは「自然」「ふるさと」「子供時代」「家族」の4つ
:ハンガリーを代表する作曲家ジェルジュ・クルターグとの出会いからインスパイア
:故郷アイスランドの民謡や幼少期の思い出の曲などを選曲
細かな粒子がゆっくりと部屋に広がる心地よさ。
彼のピアノが醸し出すゆらぎが、かの映像と混ざり合い、夜空に溶けてゆく。
今回紹介した映画は、一言でいえばあまりに切なく哀しい物語だ。
その哀しさ、切なさは理不尽を軽く通り越していたから、
それに負けないほどの美しく、優しい光が降り注ぐような音楽が欲しかった。
この1年はたくさん映画を映画館で観ることにした。
心の奥底の「自粛モード」を振り払い、「換気」をしっかりするために。
「別れの決心」、映画館で上映されているうちに、機会あれば、ぜひ。
]]>
ここ1週間で随分続いたアーティストの訃報。
追悼とか、そういう気持ちになれない沼の底。
高橋ユキヒロさんの歌、楽曲には、コロナ禍で混乱の3年間、本当に救われた。
夜遅く、伸びきった輪ゴムのような身体を引きずり帰宅、
食べるより湯浴び、そして泥のように眠る。
そんな繰り返しから「脱出しよう」と思えたのは、
ふと気が向いてトレイに滑らせた1枚のCDを聴いてから。
ああ、手元にこんな素敵なアルバムがあったんだ。あるんだからと。
以前はその歌の文句にピンとは来なかった。
繊細で、ともすれば人の弱さのようなものにフォーカスした歌詞。
どこか懐かしいけれど、フォークとは違うメロディの優しさ。
そういうのが沁みてくるのはきっとわたしが年をとったから。
最初に聞いたユキヒロさんは、ミカバンドの太鼓の人、だった。
歌を歌えると知ったのはYMO結成後で、ソロアルバムを楽しむようになったのは、
その随分後になってからのことだ。
最近では、ご本人のtwitterで闘病の様子が伺えた。
同じ病気で身近な人をなくしているので、その治療の辛さを思うに目をそらしたくなった。
仕方のないこととはいえ、現実から逃げるようにして毎晩彼の歌を聴くようにもなった。
***
今夜は久々に「黒船」を聞いてみたいな。
そう思って盤を探ったが一体どこへしまい込んだか見当たらない。
なので、新生ミカバンドのアルバムから「タイムマシンにおねがい」を。
辺りが静まったこんな時間に大音量で聞けるわけがないからヘッドフォンで。
木村カエラさんの歌声に救われる。
思えばこんな豪華なバンドだったんだな。
子供の頃から幸運にもすごいバンド、ミュージシャンの音楽に触れてこれて、
とんでもなく贅沢な時間を過ごせてきたんだと痛感する。
ひょっとしたらもうそんな時代は二度と来ないかもしれないと思いつつ、
ユキヒロさんがわたしにくれた無数の癒しに感謝してー合掌。
]]>足が遅いどころか、運動神経がないんじゃないかというわたしだからこそ、
一度でいいからあんな風に風を切って走ってみたい、とわくわくした気持ちを抑えきれない。
今年の箱根駅伝は、沿道応援も解禁され、ようやくあの駅伝が戻ってきたとほっとした。
大勢が犇めく状態を作り出すことの良し悪しは別にして、
走る選手がいて、応援する人波があって、
しかも実力校が選りすぐりの選手を出してしのぎを削るわけで、面白くないはずがない。
今回の競走では母校の活躍もあって余計に力が入り、
テレビ観戦ではあるものの、エアコンもいらないほどの熱気(笑)。
思えば、新年早々の近所の遊歩道は、ジョギングする人の数が平時よりずっと多くて、
わたしも少しだけ走ってみたが、気持ちとは裏腹に足が縺れてすぐにやめた。
今度生まれてくることがあったら、あんな風に走れますようにとつい呟いてしまう。
***
去年は耳の疾患もあって、手持ちの音源を整理することに明け暮れ、
新譜を拾い集めるいつものルーティーンは秋も秋、冬近くになってようやく再開。
毎月お金が手元に残るな、と思ったら、盤を買っていないんだから当然のこと。
ここ1年ぐらいのリリースからあれこれ探っていたら、
中身はともかく、買って手元に置いておかないといけない盤が結構出てきてしまい、
予算の許す限りあれこれとオーダー、今日はその中から年始1番に聞いたものを。
六角精児さんが、バンドではなく、ソロアルバムとして出した「人は人を救えない」。
タイトルだけ見るとぎょっとしてしまうが、まずは聞いてみるのがよくて。
1曲目の「やつらの足音のバラード」は、昔アニメ番組の挿入歌だったから、
かまやつひろしさんを知らない方でも聞いたことはあるかも。
「往年のフォーク・ロックカバーアルバム」とお店の紹介に出ていたけれども、
この選曲に悶絶する人ってどんな音楽背景がある方たちだろう。
カバーだけでなくて、六角さんのオリジナル曲も1曲入っていてお年玉感強し。
わたし自身、全曲をオリジナルで聞いてはいないけれど、
知らなくても六角さんの歌声で聞いたら、すっとその「世界」に入っていける。
バンドでのアルバムも含め、揺るがない軸のようなもの、他にはない空気がある。
歌詞ではなく、声が物語る、じんわりとこみ上げてくるもの。
このアルバムで1つだけ残念なことがある。
わたしは当初レコードで買ったが、CDは12曲、レコードは11曲。
なんと、早川義夫「この世で一番キレイなもの」がCDのみ(あくまでも個人的な思いだが)!だった。
よりによってなぜこの曲なんかなあとため息をつきつつ、CDも買った。
(ポータブルにも入れたいからどのみち買ったよなあとちょっとだけ言い訳しつつ。)
まあお正月だからいいよね(と、さらに言い訳。)。
今年は是非六角精児バンドのライブにも出かけたいと思う。
それが叶うまでは、このレコードをちびちび聞きつつ揺られていよう。
無い物ねだりではなく、新たな1年が去年よりも落ち着いた良い年になりますよう。
この辺境blogを訪ねてくださっている方々のご健康、ご活躍を祈念して。
今年もどうぞよろしくおねがいいたします。
]]>映画音楽、ということばではなくて、映画の音楽、だったけれども。
単なる効果音とは違う、映画になくてはならない要素。
映像があって、音楽があって。
その逆もまた然りで。
基本、作品として作られたものを素直に受け入れ、楽しむ派だが、
OSTとして出された盤の中に、肝心な1曲というか、
これは絶対に入っているだろう、と思っていたのが、
「なかった・・・」とため息が出たのが「1917」のサントラ盤だった。
多分、同じような感想を持たれた方も少なくなかったと思う。
映画の方を再度見直す機会があったので改めて検索したところ、
CDやレコードではなく、ダウンロード音源で出ているではないか。
ここのところ音源のリリースをこまめにチェックできていなかったとはいえ、
これはなんたる不覚。
ビデオ作品も売られていて驚いたが、
それだけそのシーンなり、歌声などに魅せられて「出して欲しい」という
要望が多かったんだろうと思う。
わたしが購入したのはmoraの3曲セット(アカペラバージョン、映画バージョン、
それから歌詞がオリジナルのものの3つ)。
こういうのこそレコードで出して欲しいと思うが、今回の音源も十分良い音質だった。
この「ミニアルバム」を購入以来、Jos Slovick(彼は歌手ではなく俳優)の歌声を
聞かないで寝ない日はない。
年末に、この1年、どの曲をよく聴いたのか整理してみようと思っているが、
この年末近くに購入したアルバムが、ひょっとしたらダントツ1位かもしれない。
正直、この歌聴きたさに映画作品を何度も見られるかというと、
映像があまりに重たすぎて(特にウクライナの戦争が進行中である今は)無理なので、
静まり返った深夜の部屋で極小音量で流すとか、ヘッドホンで寝る前の1曲として聴くとか、
音源が出たありがたみが身に染みつつもまさに彼の歌声を、歌の歌詞を満喫する日々。
2022年という年も残すところあとひと月となった。
この1年、何事にも段取りが悪く、物事の進行が思わしくないままここまできた。
この流れを来年に持ち越さないよう、残り1月でうまく切り替えたい。
そのためには、まずは心の中の「いつも通り」を取り戻すこと。
その意味でも、今日の1曲はなんとも奥が深く、乾いた心になんとも沁みるのだ。
今夜も寝る前の最後の1曲に彼の歌を聴くことにしよう。
]]>子供の頃、当たり前に享受していた四季の美しさが、
それぞれの季節の素晴らしさというよりは、その偏移の様が美しかったのだと、
今更、この歳になって痛感することになるとは。
人間は電気の力でもって生活環境を無理くりに整えてしまうけれども、
屋外で育てている植物の生育を眺めていると、
明らかに10年前とは様相が異なるのがわかる。
気候に適応しているか、できるかできないか。
温暖化ということばでくくれることなのかはわたしにはわからないけれども。
さしたる変化なく、淡々と過ごしたい
そう思うのはとてつもなく贅沢なことかもしれない。
子供の頃、「なんでもあたりまえとおもわないように」と何度言われたことか。
物事に、遅すぎるということはないと思うので、
改めて身の回りで起こっているたくさんの出来事を自分なりに整理していこうと思う。
***
デジタル音源しか手元になくて残念、とつい無い物ねだりをしたくなるアルバムが
何枚もあるが、その中の1枚が、Skuli SverrissonとBill Frisellのコラボレーションで
編まれた"Strata"。
Skuliはアイスランド出身のベーシストで作曲家。
Sigur Rosを初めて聞いた時の耳ざわりというか、感触というか。
アイスランドの音楽家に通じる、うまく言葉にできない共通項のようなもの。
地面を感じるといったら語弊があるだろうか。
残念ながら寝る前の1枚にはなりづらい。
音の連なりがいろんな感情、いろんな記憶を呼び覚まし、小さな波紋を重ねてゆく。
見たくないものを見ないようにするのではなく、痛いところにそっと触れるような、
決して意地悪な感じではなくて、温かな手で背中を押されるような。
本作は2度ほどアナログレコードでもリリースがあったようだが、
残念ながら中古店では見つけたことがない。
数があまり出ていないのか、聞くならデジタル音源が手っ取り早い。
(レコードならいい音で聴けるのではないか、と思い探してはいるが。)
長いこと「自粛」していたから刺激に弱くなってしまったんだろうか(笑)。
ただ淡々と物事を進めたり、過ごしたりするのには、
胆力だったり気力だったり、あるいは基本的に健康であったりと
いろんな要素があって初めてできることであったのかと今になってわかった次第。
真冬になる前にわかってよかった。落ち着いて「冬支度」に取りかかるとしよう。
]]>俳優でSSWの古谷一行さんの訃報が。
映像ではなんといっても「横溝正史シリーズ」の金田一耕助だけれども、
わたしにとっては俳優の前にSSWだった。
作って歌える俳優の方は何人もいて、
どちらが先かと言わなければ意外にたくさんいると思うが、
俳優として人気が出なければもっとアルバム出たかもな、
みたいな不謹慎なことを思ったりする。
歌って演じるアーティストは好きな方が多くて、
もちろん古谷一行さんのアルバムもEPも一通り揃っていて、
こうして1stアルバムから通しで聴いていると、
日本語の良さがじわっと滲み出るようなあったかい歌が多くてつい涙してしまう。
改めての追悼の1枚、「糸電話」収録の5枚目かとも思ったが、
その一つ手前、80年リリースの"Life is Dance"にした。
横溝シリーズがが確か77年とか78年だったと思うので、その直後になる。
盤に針を落とすや否や、部屋の空気はガラリ一変、一瞬であの時代に持って行かれてしまう。
それにしてもこの辺りの盤って本当にいい音がする。
盤に音を詰め込む技術が行くところまで行ってしまっているんだろうか。
耳馴染みの良さは一体どこからくるのか、
四畳半フォークほどじめっとした感じがなく、さりとてその時代オンリーな流行歌謡でもなく。
こうして聴いていると、亡くなったというのがにわかに信じられないくらい、
楽しそうに歌っている。
演じることと比べられはしないけれども、歌が好きだったことだけはすごくわかる。
そんな歌の数々。
もし、これから彼のアルバムを聴いてみようかという方がおられたら。
2時間ドラマの金田一が印象に残る方なら迷わず5枚目のアルバム「ITODENWA」を。
そうでなければ、今日紹介した4枚目もしくは3枚目のアルバム「遊歩道」をお勧めしたい。
レコードは国内の歌謡曲を扱う中古店で比較的簡単に手に入る。
嗚呼それにしても。
仕方がないとわかっていても、大好きな歌手がこうしてまた一人逝ってしまい、
取り残された感満載の秋がなかなかに辛い。
レコードが聴きやすい季節になったというのに・・・。
あなたが遠く去ってもこうして思い出してはレコードを聴いています。
どうか安らかに。合掌。
]]>バルト海を臨むポーランドはグダニスク出身のピアニスト、作曲家・・・一言で言い尽くせない。
ジャンルという括りも彼女の音楽には窮屈すぎて上手くない。
偶然ストリーミングで流れていた、好みのタッチ、響き。
北国の海辺で出遭うような重々しい空の色であったり、群青の海の色であったり。
数値を弄って表現できる世界とはまた別の、掴めそうで掴めない「そこ」や「ここ」を
易々と描いて見せる異世界から来たかのような音楽家。
ウクライナ侵攻以降、元々ロシア方面の音楽に耽溺してきたわたしだから、
音楽を聴いては考え込んでしまう。
心の底の深いところを覗いてしまうような考え込み方は、
あんまり体にはよくないようで、頭の中からことばが根こそぎ奪われてしまう。
そういう重たい時間から漸く抜け出して、
外の空気を深呼吸できるようになった今はもう秋風だ。
耳が聞こえなくなったり、音楽が聴けても心の耳が塞がってしまったり。
2022年はわたしにとってどれだけ重たい1年になろうとしているのか。
そんなこの頃だから、胸の奥にたれ込める暗がりを少しでも祓ってくれるような音楽がいい。
最近はキーウと呼ぶようになったウクライナの首都でヨーロッパの古都。
わたしにとっては、何気ない公園での会話やデザートが美味しいカフェ、
古いけれど居心地の良いホテル、そして大小の寺院が並ぶ古い街並み。
露店での買い物、貴重な辞書が買えた思い出。
そういえば、車道を横切って違反キップを切られ、罰金を払ったことも(笑)。
今戦争をしている両国を夜汽車で移動した若い頃の旅の思い出、
もう二度とそんなことはできないのかもしれないが。
Hania Raniの奏でる"Київ (Kyiv)"は、静かだけれども確かな抵抗の歌だ。
一人一人の心に真摯に問いかける、それは本当に正しいことなのか、と。
このミニアルバムはダウンロードのみのようで、
その収益はウクライナのために寄付されるとのことだ。
***
今夜の風は涼しいことといったら。
虫の声にしても、この一瞬だけならすっかり秋の様相だ。
ピアノの響きに埋もれるようにして聞きたいが、
外の空気とこの風があまりに心地良いので、
ベランダに立ったままヘッドホンで聴いてみる。
部屋にはちゃんとした装置があるのだけれど、偶にはこういうのもいいかもしれない。
明日からまたがんばろう。
]]>
「盤を数えたことはありますか」。
あります。ありますとも。
しかしながら、
CDで言えば3,000を超えたあたりからだんだん怪しくなり、
数を訊かれても、「たくさんある」としか応じられなくなりました。
面倒というのもあったが、棚に入らない分を床に積み上げたり、
ちょっとした隙間に詰め込むような真似までしていたし、
何より、ただ数えることにさして意味がないことに気づいてからは、
数えなくなりました。
ついに数えるという面倒から解放されたのでした(大げさか)。
レコードは隙間に詰めるとか、適当に積むような真似は難しく、
棚に収まっているので、およその数なら把握できる。
ただ、今の住まいに住み替える際にかなりの断捨離を断行したので、
音楽を聞かない方なら「そんなにたくさんあるんですか」というくらいのもので、
マニアの域には遠く及ばない程度の枚数でしかなくなりました。
なので、実際に数えるほどの量でもなくなってしまってからは
自然と数えなくなったわけです。
数える、といっても。
同じタイトルは1とするのか、物理的な枚数でカウントするのか。
リマスターやジャケ違いはどうするのか。
数に執着があった頃は、盤1枚1枚にもかなりの執着があって、
同じタイトルでも気に入った盤はこれ、とはっきりわかっているにも拘らず、
好みが変わるかも知れん、といった強迫観念がよぎるからか、
しまう場所もないのに手放さないからどんどんと増えていきます。
人気盤ほど再発も多くて、あれやこれやと。
そして、次の質問が結構刺さったというか・・・。
「盤が好きなのにどうしてデータ再生に切り替えたんですか」。
わたしはDSというLINNの再生システムを利用していますが、
それは、ある時点から、聞きたい盤をささっと探して取り出せなくなったからです。
買って持っているのはわかっているが、どこにあるかがわからない、思い出せない。
それに、床に積む生活が始まったくらいから、やってはいけないあること、
つまり、持っているとわかっているのに探し出せないので
「もう一度買う」
というようなことまでしてしまうようになり、
さすがにそれはいかんということで、検索性や探すという時間と手間を省くために
止むを得ずデータ再生に移行したというわけです。
とはいえ、未練がましくもオールインワンのプレーヤーである、
LINN Classik Musikを未だ現役で使っています。
寝る前の1枚、とか、CDをトレイに乗せて再生したいと特に思うときに。
アナログレコードほどではなくても、トレイに乗ったCDが吸い込まれていき、
読み込まれるまでのジジッという音に、さてどんな音がでるやらと楽しみになる、
そういうある種のルーティーンのようなものが染み付いてしまっているからです。
それもまたある種の愉しみでもあります。
それでも。
ネットで日々様々な作品を耳にする機会があり、ローカルのラジオ放送ですら、
ストリーミングで選び放題。
それを、一昔前のように盤を探して手に入れて、なんてやっていると、
時間とお金が湯水以上に飛んでいくー要は破綻するわけです。
なので、サブスクなどで見つけた、新しく気に入った1枚、
どっぷりと聞き入ってみたい1枚などをCDやレコードで手に入れて再生する。
そういうスタイルに切り替わったことで、再生装置にはそれなりの投資が必要でも、
わたしのような音楽中毒者にとっては、結局元が取れ、リーズナブルに収まる、
という図式です。
あるいは、物理音源に執着が強いわたしのような人間が、
ある種生活スタイルまで変えて今に至ることができたのは、
多くの新譜がアナログレコードで手に入るようになったこともあるかもしれません。
盤を手にして何やら感じたり思ったりする点については、CDの比ではありません。
手で触れたり眺めたり、という楽しみがいくらでも残されているからこそかもしれません。
要は、古い陣地に片足を残しつつ、のデジタル再生です。
巷で飛び交うよりよい方法、装置の追求、には手を出さず(出せず)、
NASが不調だといっては、買ったお店にあれこれ指南いただいて乗り切るとか、
もっとできることもあるだろうに、不勉強の極みです。
でも今はこれでちょうどいいかと思っています。
まとまりもなく、答えになっているかは不安ですが、この辺で。
ご質問と感想をこんな辺境のblogにお寄せいただきありがとうございました。
※本日のBGMは近々新譜リリース予定のLisa Batiashviliによる"Echoes of Time"
]]>
先週近所を散策した際に、今年初の蝉の声(アブラゼミ)!と思わずつぶやいてしまったが、
その後、一気に全盛期を迎えると思いきや、今日に至っては遠くのミンミンゼミが1、2匹という有様。
このままツクツクボウシになったらどうしようかと焦るくらいの静けさで、
あまりの暑さに蝉の様子も普通でないのだとしたら、
思う以上に深刻な異常気象であるのかもしれないと勝手な想像をした。
暑さといえば、今年の暑さはいつもに増して辛い暑さだ。
三方向に窓があるわたしの部屋は、窓を開けさえすれば風がよく抜けて随分涼しい。
それが、風というか空気の温度が高くて温風機を向けられたんじゃないか、
とこれまたありえない想像をしたくなるほど熱風が吹き込んでくる。
できることといえばベランダに適度な打ち水をして、
鉢植えの根がやられないようにするくらいのこと。
節電、が必要なんだが、仕方なくエアコンに頼る。
そこはかとない罪悪感に反比例して涼しさの快適なことといったら。
ついさっきまでの体が鉛に覆われたかのような怠さはどこへやら。
それなら、と積んだままの本を端から読みふけることにした。
気にはなっていたがなかなか手に取る機会のなかったメレ山メレ子さんの著書。
昆虫大学という虫好き向けのイベントの主催者で、
というより旅ブロガーの走りと紹介した方が適切だろうか。
そんな彼女の本は、旅の話だろうが恋愛の話だろうが、
どこをどう切っても生き物というか虫の話が根底にあって、
これってどういう意味だろうかと立ち止まるところ、
虫好きなら、例えや文脈がぴったりハマって本来笑うところじゃないのについ声が出てしまう。
彼女の文調は、小気味良く、ここというポイントを鋭く図星にしてくる。
チクっと心の隅に棘が刺さったような痛み、でもそれが心地よいという矛盾。
いまでいうコミュ障なわたしが思いもよらない角度で、人と人の距離を言語化してみせる。
今日は「メメントモリ・ジャーニー」と「こいわずらわしい」の2冊を読んだが、
本当に虫が好きな方なら「ときめき昆虫学」の方が手っ取り早く楽しめる。
メレ山氏の2冊に加え、ちょっと気の重くなる本やら計5冊を一気読み。
朝からずっと部屋の中ならさすがに読めてしまう。
ただ久々に集中して読んだせいかちょっと肩が凝るというか頭が疲れるというか。
なので、浄水のごとく滲み透るような音楽で筋肉の緊張を解そう。
Radka Toneffのアルバム、"Fairytales"。
Radka ToneffはノルウェーのJazz歌手。
透明感溢れる歌声に合わせてなのか、音数を抑制したピアノ伴奏に響きたっぷりの録音で、
音が流れた瞬間、まるで森林浴でもしているかのよう清々しさ。
音量小さめで部屋にゆったりと流すのも良いし、
ヘッドホンで聞けば、繊細でニュアンスに富んだ彼女の歌声が堪能できる。
聞いているだけで余計な力が抜けて、ああ今日もいい1日だったと安堵できる。
手元の音源は86年の、かなり古いCDだが、
調べてみたら近々アナログレコードで再発される模様。
82年リリースのオリジナルの盤は思えば見かけたことがない。
寝る前のかけっぱなしが多いからCDでいいんだけれど、
初期盤で盤面に白浮きが少し出始めているからレコード奮発して手に入れるかな。
夏の暑さに負けて昼も夜もそうめん、みたいな清涼感一択の選盤では決してなくて。
女性ヴォーカル好きな方は騙されたと思ってぜひ、の1枚。
]]>速報の文字がなかなか頭に入らないほど驚いた。
耳の調子が落ち着いて、ようやく外出もできるようになりというタイミングで、
いよいよこの国でもこんな事件が起きるような時代になったんだという実感以外に
心の奥底で浮かんでは消えた感情はことばにできない。
息苦しさを覚えるほどのざわつき。
消えるようで消えない波紋のような違和感。
情報が無限に飛び交う様が否が応でも目に見えてしまうデジタルの時代にあって、
取捨選択の力より、ある種の鈍感力が救いになるかもと思いながら。
こんな出来事が本当にあって、ことばにできない動揺を忘れることのないように。
選ぶとしたら例えばこの曲かなと。
ゴルトベルクからの1曲をポーランドのピアニスト、Marcin Wasilewskiのトリオ演奏から。
アルバム"En attendant"はECMから出された21年の作品。
透徹したピアノの音色が却って胸を締め付けるかも。
この響きを色に例えるならまさにこのジャケットにある薄墨の色だ。
折しも梅雨の戻り。
夜中降った雨が止んだ朝の、深呼吸が躊躇われるような重い空気。
それでも光の差さない日はないからと思い直したい。
]]>ロシアが仕掛けたウクライナへの戦争。
ネットにも街中にも、美しい青と黄色の"No War"のメッセージが
様々な形で表現されている。
他国の戦争でこんな様相になったのは個人的には初めての体験だ。
Pink Floydの名義でリリースされたシングル、"Hey Hey Rise UP"は、
ウクライナのバンドBOOMBOXのリードボーカルAndriy Khlyvnyukをフィーチャリング。
元々はデジタル配信のみと聞いていたが、話題になったこともあってなのか、
8月にCDとシングル盤レコードもリリースされることに。
ひまわりはウクライナの国花。
ジャケットのデザインは、キューバのアーティストの作品で、
「ひまわりの種をポケットに入れてって。
あなたたちが死ねば、そこからひまわりが生えるから」
とロシア兵に皮肉を浴びせたある女性に捧げられたものだという。
物理メディアの収益は、ウクライナの人道支援基金へ寄付されるとのこと。
1枚といわず何枚も購入したいところだが、アナログは国内限定2,000枚だそう。
周りのレコード好きに声をかけるとしよう。
1日も早く彼の地に平和が戻ることを祈りつつ。
]]>
音楽体験のゼロ地点はやっぱりラジオだったんだなと。
家に1台しかなかったポータブルラジオは、野球中継のある時期だと父の専用機で、
普通ならリカちゃん人形が欲しいというような年頃に、
口を開けると自分のラジオが欲しいとせがんだせいか、
小学校入学の年に、お年玉の貯金を足すんだったら買ってもいいよということで、
ソニーのラジカセがやってきた。
やはり当時習い始めていたオルガンの先生が、親に進言をしてくださったのもあったよう。
というのも、「この子は楽譜を読もうとせず、耳から入ったものを(信頼して)弾いている。
なので、なんでもいいから音楽をたくさん聞かせてください」と。
ラジカセを得たことで、教室から借りたテープがあれこれ聞けるようになり、
文字通り、夢のような放課後、土日の時間が生まれた。
窓から見える田んぼの移り変わりがイコール季節の移ろいのような田舎で、
娯楽らしいものもなかったから、それこそ生活が一変したわけだ。
そんな時期に耳にした、NHK-FMのジャズ番組での一幕。
Chet Bakerのボーカルが何曲か流れたのだが、
文字通り、モノラルのスピーカーの前で釘付けになった。
思えばあれを正しく甘美な歌声というのだろう、
解説にあった「中性的な」ということばが焼き付いて、
その説明を母に求めたが、まだ小さすぎてよく理解できなかったと思う。
雨が降ったり病んだりのなんとややこしい日曜、蒸し暑くもいい風が入ってくるそんな日に、
遠い子供の頃を思い出しながら、久々に"Sings and Plays"を聴いた。
思えば特徴のあるRuss Freemanのピアノも眼中になく、
何故にトランペットとあの歌声だけが全てだったのかはわからない。
夢中になった、といえばそれだけのことかもしれない。
このレコードのジャケットを知ることになるのは、歌声を初めて耳にした時の何年も後のこと。
地元の大きな図書館に併設されたレコードライブラリには、
当時大好きだったStan GetzやChetのレコードはやはり入っていなくて、
リクエストが利くJAZZ喫茶の存在を知った時は、第二の夢の扉が開いた感がしたものだ。
その時代の空気まで連れてくる「レコード」という円盤の素晴らしさにも。
Chetのアルバムを古いのから順に追って聴いていくと、
走馬灯のように様々なシーンが浮かんでは消えていく。
盛衰ということばがいいのかはわからないが、ある種の浮き沈みを伴い、
その中でもがくように、
ひょっとしたら音楽という海で溺れていたのはChetその人かもしれない。
そんな身勝手な想像をしながら聴く、彼という存在を知らしめたこのアルバムは、
幸せな午睡との相性も絶妙な、陽の部分がフィーチャーされた稀有な作品。
彼のことを特段知りたくない人にでも気軽に勧められる「貴重」な1枚だ。
]]>商店街の人々が出店をだしていつもの通りがミニホコ天。
え、夏祭り?まだ5月なのに(笑)
頭の中の暦を気にしていても仕方ない、
階下の部屋から聞こえてくるサザンオールスターズの歌がぴったりな青空。
サザンといえば・・・。
ここしばらく耳の調子を整えるのもあって、
毎日が「クワイエットコーナー」状態だったが、
しっかりした音量で聴いてみたいと思ったのが、この1曲、
桑田佳祐 feat.佐野元春、世良公則、Char、野口五郎、「時代遅れのRock'n Roll Band」。
数日前に発表されたばかりの驚きのコラボレーションによる1曲。
配信のみのようで、わたしはSpotifyで聴いている。
歌って演奏している5人が同級生!というのもびっくりだけれども、
歌の文句に耳を傾けると、こんな歌が今こそ必要という背景に少し胸が苦しくなる。
それでも。
歌の力、音楽のチカラ。
信じてみよう、改めて。
なお、この曲の収益の一部はチャリティーということで寄付されるそうだ。
歌詞の内容や趣旨には敢えて触れない。
少しでも気になった方はぜひこの曲を聴いてみてください。
彼らの若い頃の楽曲に親しんだ方なら思わず口元が緩むはず。
公式サイト https://special.southernallstars.jp/jidaiokure/
]]>
なかなかに辛い訃報に接した。
ヴァンゲリス死去のニュースを見たのは鉄道の中のモニターで、
慌ててニュース検索すると、感染症で入院していたが回復せず・・・とのことだった。
目的地に着くまでの数分の間、わたしなりのお悔やみを胸の中で呟きつつ、
振り返って聴くとしたら何がいいだろうとジャケットの絵柄を頭の中で広げてみた。
ヴァンゲリスの作品に初めて触れたのは、映画「ブレードランナー」のサウンドトラックだ。
作曲家及び演奏者の名を知るのは、NHK-FMの番組「クロスオーバー・イレブン」の放送で、
子供の耳にもいかにもお洒落で都会的な語り口のナビゲーターとドラマを観ているような構成に、
録音したテープが痛んでしまうほど繰り返して聞いたんだった。
ヴァンゲリスの作品は同番組で何度か取り上げられたり、特集されたりしたと思うが、
アルバム"See You Later"に収められた"Memories of Green"が流れたその回は、
なんとも言葉にならない感情が胸いっぱいに広がり、自然と涙が流れたのを覚えている。
この"See You..."は彼のアルバムの中で最も回数を重ねて聞いた作品だと思うが、
この1曲、ではなくて、最も印象的な1枚を選ぶとすれば、"Opera Sauvage"(邦題「野生」)だろう。
わたしの心の中に音楽のヒエラルキーがあるとすれば、
その頂点にあるのは間違い無く映画音楽で、
それは初めて食べたものの美味しさを昨日のことのように思い出せる体験に似ている。
そういう「土台」の持ち主がヴァンゲリスと出会い、魅せられるのに説明は不要だが、
"Opera Sauvage"も、そのタイトルとコンパクトにまとまった楽曲から、
映像作品を想像して愉しんでしまえる素晴らしいサントラ盤だった。
後年、先に挙げた2枚は状態のよいレコードを見つけることができ、
各々のアルバムを最初に聴いたエアチェックのテープが聞けなくなったことを嘆く必要もなくなった。
もちろんCDも購入はしていたが、音質なのかなんなのか、
あのFM放送をモノラルのラジオで聞いていた頃の感触とは少し違って聞こえ、
どこか物足りなかった。
それが、何枚かレコードを買ってみて、特に仏盤の音の心地良さはなんとも格別で、
わたしにとっての決定版となり、以後聞くならそのレコードでと決めている。
本当はこんなにも残念で寂しい時は、アルバムを聴きながら眠りに落ちたいところだが、
わたしのプレーヤーは残念ながらアームが自動で上がってくれない。
なので備忘としてこのメモを書き留めつつ、改めて1曲目から聴いている。
どうやったらこんなに甘美で幻想的なメロディを描くことができるんだろう。
そんな不思議な引き出しを無数に持った音楽家が旅立ってしまった。
残された多くの作品をこれからも聴けることに感謝しつつ彼という人のことを記憶に留めておこう。
]]>この病気は早期発見、治療開始が最も重要で、
普段と違う、ちょっとした異変をそのままにせず、
早期に専門の医師に診てもらうのが何よりも肝要だ。
今だから言えるが、わたしの場合は受診の時点で、
治療開始のリミット2週間をとっくにすぎていたと思われたため、
担当の医師も、「どの方法も治療効果がそう見込めはしないが」
という前置きをしながらの説明だったのが忘れられない。
なので、期待せず、できることを精一杯やるしかない、
やらないよりはマシだという気持ちを持ちつつ、
仕事が最もややこしい時期に長期離脱を避けながら継続できる治療を選択。
直接薬液を耳に注入するような方法も提案されたが、
毎日大病院に一定期間通うという時点で無理だった。
なので、投薬と、耳を安静に保つことを最大限続けることとした。
薬は何種類か出されたが、ダメになりそうな神経をなんとかするための方策として、
当初の2週間、ステロイドの錠剤を飲み続けた。
それが、体質もあるとのことだったが、疲れているのに目が冴え冴えとして夜眠れなくなる。
眠れなくなるので、なるべく朝食後に服用する。
量は当初多く、だんだん少なくなる処方なので、
二週目以降は大丈夫(眠れる)との説明だったが、
どうも、どれだけ経っても「冴え冴え」のままだった。
ものすごく疲れていて眠いのに頭は勝手に起きている状態。
そんなのが何日も続くはずがなく、
肝心の昼間、起きてるのか寝てるのかといった、昼夜逆転状態になり、
困ったことにステロイド剤の投薬が終了後もその傾向が続いたのだった。
薬の性質もあって途中で服薬を中止もできず、最後まで飲みきったが、
こうして書いている現在も睡眠のサイクルが崩壊(苦笑)したままである。
そういう極端な例はそれほど多くはないようだが、
運悪く、この病気になられた方は、早めに回復させるため、
仕事の都合をよく調整した方が良い。
さて、耳の負担をできる限り軽減するため、音楽を聞くのはずっとやめにしていた。
なので、この週末、久々にaudioを立ち上げた。
さあやっとリスニング、という段になって、何を聞こうか随分迷ってしまったので、
とりあえず、サブスクで話題盤でもチェックしてみよう、ということで見つけたのが、
英国のミュージシャン、Tom Ashbrookの"ko:da"というアルバム。
EPとしてリリースされた本作は、どうやらサブスクのみで聴ける模様。
アナログディスクかCDが欲しいと思ったが、少なくともCDは手に入らないようで、
とりあえずSpotifyで楽しんだ。
環境音楽のようなミニマルのような。
ボーカルを組み合わせた作品もある。
ミュージシャン本人のyoutubeチャンネルに掲載されたPV、
ああなんと静かで穏やかな音の空間、心の波打ち際にじんわり沁みてくる。
難聴になってみてわかったこと。
世の中にはいろんな音やノイズが溢れんばかり、
それも、聞く音ではなく、大半が聞かされたり勝手に入ってくる音だ。
その中で、音楽を聴くということ、或いは聴けるということ。
あまりにも生活に溶け込み、なおかつ何十年もやってきたことなので、
そのこと自体を深く考えたことがなかったというのも、思えばすごいことかもしれない。
酷い耳鳴り、水中に押し込められたようなくぐもった聞こえはかなり和らぎ、
聴力も当初の落ち込みからかなり持ち直した。
選択肢の少ない中で適切な治療を受けられたことに深く感謝しつつ、
まだ大きな音は聞けないので、
当面は今日のような静かな音楽を小さな音で楽しむことにしよう。
]]>毎年この時期を、桜が咲くのを楽しみにしているが、
落ち着きそうで落ち着かない世の中の様子みたいなものがあるのか、
「お花見自粛」の見えない圧があるからなのかはわからないが、
せっかく満開に近い数日前の夜も、
カメラを構えるでもなく、ただ見事に咲き誇る桜をぼんやり眺めながら、
近くの遊歩道をゆっくりと歩いた。
とっくに陽も暮れて、所々の街路灯に映える桜並木。
時折ピクニックシートで楽しんでいるグループもいたが、
基本、静かで車の騒音も遠くに響く程度だ。
3月のとある日、以前より気になる症状があってクリニックを訪ねたところ、
片耳が難聴になっていて、それも治療が難しい時期を迎えていることが分かった。
聞こえないほどの自覚はなかったが、
飛行機に乗ってるときのような耳がなんとなく塞がったような感覚。
原因は解明されていないそうで、ウイルスともストレスとも言われているそうだ。
入院しての集中治療も結果が出るかどうか、
またこの時期なのですぐは場を確保できないと言われたので、
結局、駄目元でステロイドを結構な量で服用、様子を見ることとした。
2週間ほど服薬の影響でろくに眠れず、眠いのに頭はずっと起きている状態で、
時期も時期で1年で一番の繁忙期だし、
よりによってなぜ体調崩すかなと恨み言も思わず出てしまう。
聴力の神経を労わるビタミン類も出されていて、
とにかく食事のたびに結構な薬の量になるのには辟易した。
ただ、何もしないと落ちた聴力は戻ることはないとのことで、
試せるものは試した方がいい、そんな気持ちで2週間を過ごした。
再検査の結果、全快ではないが、戻る傾向は見られたので、
服薬をしばらく続け、様子を見るとのこと。
薬の効果は確かにあったと思うが、今月から昔の職場に戻ることになり、
正直ほっとしたのが一番大きかったかもしれない。
音楽が聞けなくなるほどの重症ではないにせよ、
耳はほんとうに大事にしないといけないな、まさかストレスとかで難聴になるとは、
不勉強の極み、これからは十二分に気をつけることにした。
耳鼻科とは別のいつもの主治医の話では、
この病気は耳鳴り程度では見つかりにくかったりするので、
遅ればせながらも手を打てたから幸運だったのではとのこと。
このblogをご覧くださっている方は多分に音楽好きであろうから、
あるいは年代的にストレスの多い生活を送られている方々も少なくないだろうから、
そんな病気もあるんだということで、メモしておこうと思った次第。
そんなこんなで、桜の写真を撮るなんて心の余裕は全くなく、
先に貼ったのはちょうど1年前の今日の写真で(苦笑)、
あれやこれやに振り回されてヘトヘトになり、ようやく迎えた4月。
これから少しずつリハビリをしていこう。
耳が大事に至らなくてほんとうによかった。
ほっとした際の涙ではないが、今日はしとしとと朝から冷たい雨が降ったり止んだりで、
雨の合間の風に桜が舞っていた。
来年も、その次の年も、桜の花びらがはらはらと散り落ちる様を静かに感じていたい。
満開に咲き誇る姿よりも、こうして散りゆく桜の姿に痛いほど感じるものがあるとは、
それなりに年齢を重ねたんだ、ということにしておこう。
みなさまもどうぞ、季節の変わり目、くれぐれもご自愛くださいますよう。
※突発性難聴 wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/突発性難聴
]]>音楽と陽の光と、そしてからだに良い食事と。これに尽きるのではと痛感する日々だ。
]]>ここ2週間ほど忙しい日が続いたので散歩歩きの距離も激減していたが、
最近は20km歩いても大丈夫なくらい体力がついていたのに、
2週間サボっていたらすっかり脚が弱くなっていた。
それほど長距離を歩かなくてもいいから、歩かない日をつくらないように。
こつこつやってきたことが元に戻るくらいがっかりすることはないのだから。
歩いていると気がつくこと。
最近特に犬を連れて散歩している方の多いことといったら。
犬を連れた方たちの野外ミーティングのようなものも結構あって、
だいたいこの時間にこの場所で、というインフォーマルな「集会」が、
何やらとても楽しそうで、
実家で飼っていた犬が生きていたら、ちょっとまぜてほしいな、と・・・。
隣の家が遠いような田舎住まいなので、
友達になってもらえる犬もなかなかおらず、
家族と過ごす間に自分が犬であることを忘れてしまうかのようだったから。
ウクライナの戦争がなかなか終わらない。
多少の寄付をしたりするのが精一杯で、ただ祈るばかりで時間が経過する。
このことを考え始めると、環境に恵まれていることのありがたみと、
安穏とした生活への見えない不安とが綯い交ぜになる。
考えても仕方ないがつい頭から離れず、眠れなく夜に聞いている曲、
David SylvianのBuoy。
この曲を初めて聞いたのはたしかラジオの音楽番組だったが、
ディスクではEverything and Nothingというシルヴィアン自身のコンピレーションの音源を
聴いている。
オリジナルであるMick KarnのDreams of Reasonに収録の音源は未聴。
それを前提に、だけれども、Buoyを聞いた当初は、
中後期のYMOとか坂本龍一さんの音が聞こえる感じで、
耳馴染みがよかったという程度だったが、
歌詞を知って思わずうーんと考え込んでしまったのだった。
どうしてこうも出口の見えない辛い出来事が続くんだろうか。
今夜もまた眠れぬ夜が続くのか。
平穏で無事な日々をありがたく素直に受け止められない自分がいる。
頑なな心に音楽が答をくれると信じながら朝が来るのを待つとしよう。
]]>新聞の一面が各紙揃うのは、必ずしもいいことばかりではない。
ニュースやネット上の動画で洪水のように流れ始めた彼の国の動向。
かつて訪ねたことのある街が、そして人々が当たり前のように傷ついてゆく。
●●人が亡くなりました、と数が全面に出て一人歩き、
そうじゃないのは感染症も戦争も同じだ。
ロシアにもウクライナにも友人知人がいるわたしには、
今の気持ちを整理する余裕がない。
聴きたくなった1枚はモップス の「雨」。
切羽詰まったり辛くなったりしたときに聴きたくなるのは、
クラシックやJazzではなくて、私的には歌謡曲と相場は決まっている。
楽しかったり悲しかったりのたくさんの思い出や出会いetc...
どの曲も懐かしさがいっぱいに詰まっているから。
癒しは理屈ではないんだよな、と。
雨が世界をつつんで泣いている
一人ぼっちの夜の世界を
雨が朝にささやいて泣いている
緑色した雨の世界に
雨はやさしく雨は悲しく
あなたの心を洗うでしょう
雨が世界をつくって泣いている /モップス 「雨」より
思えば、年代は違うけれども、先の友人たちが大好きなVopli Vidoplyasovaに、
サイケデリックでちょっと壊れ気味な音が似てるかもしれない。
世界的な疫病の災禍にあって、
当たり前の日常を取り戻すことがこれほど難しいことだと思っていなかった今、
そんな最中に思い通りにならないからと武器で攻撃する、
まさにこれ以上ない人間の卑しさを目の当たりにして
落ち込んでいる暇などないんだよな、と自分に言い聞かせつつ、
今、自分にできることを精一杯やるしかないんだよな、と思いつつ。
わたしが普通に音楽を聴き、食事をして眠れるように、
彼らにとっていつもの当たり前の生活が1日も早く取り戻せるよう。
いつかの若かった自分のように、無意識に歯を食いしばる夜だ。
]]>自宅でPC使って、というのにはまるで馴染まない仕事だが、
先日、狭い部屋で作業をした際、同じ部屋にいた方が感染症陽性、ということで、
自主隔離、一定の期間後PCR検査をして問題なければ復帰、
でも仕事は休めません、ということであれよあれよといううちにリモートすることになった。
PCの動作をやめて数分経つとスリープ状態になり、オフライン状態になる仕様で、
PCの作業継続で業務に従事していると「認定」される仕組み。
本来のリモートワークが目指すところと少しずれてる気がしないでもないが、
仕事してない、と思われるのも迷惑なことなので、
PC使ってする作業、特に普段だとなかなか進まない類のものを洗い出してメモに書き出し、
端から潰していくことにした。
たかだか1週間ほどの体験で本質的な良し悪しは判断できないが、
朝の時間に余裕ができ、休憩に温かい紅茶が用意できるのはよかったかなと。
困ったのはPCR検査で、罹患可能性があるわけだから公共交通機関は使えない。
とはいえ、近所の検査場はどこも予約でいっぱいで、
1時間半歩けば、街中の検査場がいくつか予約できそうだった。
そこで、うん十年ぶりに自転車をレンタルし、検査場に行くことにした。
正直、罹患して熱にうなされ頭がまともに働かないときだったら、
落ち着いて物事を考えるのが難しかろうなあと。
食料は2、3週間籠城できるようにしてあったので何の問題もなかったが、
人との接触を避けて何かするって意外に難しいと痛感した。
受検の翌日にメールで届いた結果を見てほっとしたが、
今はそこら中でこのようなことが繰り返されているわけで、
膨大な時間と労力、精神力が消費されているんだな、と。
私事に感けている間、思い出すのも辛い訃報が届いた。
詳細は今もわからないが、わたしよりもずっと若い方が、
2月の初めに亡くなられていたとのこと。
現在の職場に着任した際、右も左もわからないわたしに、
紙には書かれていない様々なことをわかりやすく伝えてくれ、
おそらくはわたし自身も気づいていないだろう配慮を惜しみなくしてくれた人だ。
この時点で自宅を出ることは躊躇われた、というか倫理的にはNGだったので、
訃報を目にした時にできるのは、ただ涙することだけだった。
なんとかその日の仕事も終わり、改めて机に向かって思うところ。
心の底から湧き上がる悲しみを、幸いなことにここ数年は感じずに済んでいたようだ。
後悔ということばは文字通りながら、
お世話になった方には日頃から感謝の気持ちを形にしておかないと先に立たずだ。
鎮魂、ということばがある。
結果として死に至った魂が癒され鎮められうるものなんだろうか。
残された者がこれからも生きていくがために、鎮魂、という概念があるだけではないだろうか。
そんなことを考えながら、Tigranのピアノを聴いていた。
何枚かの彼のアルバムの中で、今日メモしておくべきはこれだろうか。
ECM作品で、Tigranのピアノにトランペット、ギター+αのアルバム、"Atmospheres"。
アルバム全体に溢んばかりの透明感。
山々の頂を覆う霞が揺蕩うように、或いは引いては押し寄せる汐のように、
ピアノの響きは自在で何ものにも囚われることがない。
音楽の新旧やジャンルを華麗にまたぎ越し、
メロディを奏でるというよりは異なる楽器の響きのエッセンスを絡めることで、
更には電子的なサンプリングを加えることで叶える別空間の提案。
部屋の中を響きでいっぱいにしたとしても、とどのつまり、
辛さと悲しみの詰まった魂の行き着くところはどこだろうか。
それが穏やかで癒しに満ちたところであると、今は信じておきたい。
長く生きるということは、
悲しいことにもたくさん耐えていくことなんだと思い知った冬の日。
]]>「寒くて空気も乾燥しているし、感染予防のためにもなるべく自宅で過ごしてください」
とのアドバイスが。
気管支に持病があるので今の時期は何がなくとも最警戒モードだが、
さすがにこの状況下では中古レコード屋を巡回する気力もない。
そこで、夜な夜な見逃している映画をチェック、
食べ物を確保してサブスクで映画をハシゴ見する休日が常となった。
昨日などは雪がチラつく冷たさ。
洗濯物を取り込む間にも手がかじかんでくる。
最近のサブスクにはロシアのTVドラマや映画も結構入っていてびっくりするが、
中途半端な語学力で予習&2度見、3度見しなくて済むから、
日本語字幕付きで観ることができるのはやっぱりありがたい。
おやつも用意して、日曜の1本目はロシア映画「フロンティア(原題:Рубеж)」。
細かい説明はリンク先のDVD情報をご覧いただくとして、とりあえずトレーラーを。
ここ数年のロシア映画の特撮(という言い方自体が古い)は凄いというか見ていて楽しくて、
筋立て以上にエフェクトをガン見してしまいがちであったりもするが、
本作は一見歴史SFのようでいて根底にあるのはヒューマンドラマだ。
冒頭のベタな恋愛シーンに食傷して見るのをやめずに、
どうかもう少しだけ物語を見進めてほしい。
ネタバレが一番いけない類の作品なので中身にはこれ以上触れないが、
検索して出てくる感想が面白いように二極化しているのも興味深い。
わたしは結構楽しめた方で、できればblu-rayでディスクも入手したいところだ。
(1度見た程度では作り込みの細部に気付けていないので、
何度もみてああでもないこうでもないとやりたい・・・)
おおっと声が出てしまったのは、エンドロールの開始後に流れる挿入歌が
なんとЛеонид Агутин(レオニード・アグーチン)だったこと。
ほんのり甘さを感じるボーカルは未だ健在。
ロシアのポピュラー音楽も、
大抵のタイトルはストリーミングでチェックできるようになり、
盤を丁寧に追いかけて手元に揃える習慣が途絶えて久しいが、
調べて見ると、CDで手に入るアルバムもポツポツでているではないか。
早速、該当の歌が入っているアルバム他をオーダーしたが、
届くまでは(多分感染症の影響で普段の倍ほどは時間がかかるだろう)とりあえず、
Spotifyやアーティストご本人のyoutube映像で楽しむことにしよう。
春が来るまであと2ヶ月弱。
様々な物事が好転することを祈りつつ、当分は映画小僧でいようと思う。
⭐︎ Две Минуты Жизни (OST «Рубеж»)
]]>
去年の秋から、時間さえあればこの「公園」の遊歩道をぽつぽつと歩くようになった。
感染症が落ち着いたかに見えた晩秋の頃、
太陽がもう無くなってしまうのか、と見紛うほど日光浴をする人々で溢れ、
思い思いに空間を楽しむ人々の表情が殊の外明るく見えたのはわたしだけではないだろう。
この週末も出かけてみたが、あの賑やかさが嘘のように閑散としていた。
車道からも離れているからなのか、ここなら深呼吸したくなる。
日差しが強すぎるのなら、木陰で休めば良い。
硬いアスファルトから解放されて、足元のサクサクという落ち葉道も心地よい。
何度か訪れて気がついたことが。
楽器を携えてやってきて、練習なのか演奏なのか、
いくつか特定のスポットができている。
場所によっては常連のリスナーというかギャラリーができていて、
わたしの郷里の公園にはない風景だった。
その1つ、クラシックギターで奏でるボサノバの演奏家。
なんとも柔らかな指の動き、響きも間合いも緩やかでリリカルで。
辻弾きの押し付けがましさなど微塵もなく、
緑で澄み切った空気に溶け合う。
こんな優しい音でギターを弾くひとを目の当たりにするとは。
部屋に戻って、同じような印象のアルバムや演奏はあったかな、と
ライブラリをあれこれ探ってみるが、ギターでは見当たらず。
楽器はピアノと全然違うけれど、印象の近いアルバムを取り出して聞いてみた。
ジャズピアニストの大石学さんのアルバム、"Water Mirror"。
全11曲で編まれたピアノ・ソロのアルバム。
こうして夜、静かになった時間に流してみると、
無意識の緊張も解けて心の澱まで洗われるよう。
大石さんのアルバムはピアノトリオの構成で何枚も出ているが、
その大半は中古でこつこつ集めるしかないようだ。
わたしもこの1枚というのが勿体無い感じがして、
いくつか手近に手に入るものをオーダーしてみた。
郊外の緑地で思い思いに楽器を弾く人々。
音色は演奏する人の数だけあるとは言うが、
同じ音を出そうと思ってもそう出せるものでもないのかも。
わたしも少し鍵盤触ってみようかな、とは何かの気の迷いか。
また週末に出かけてみよう。
あのギタリストと再会が叶うことを期待しながら。
]]>カレンダーが進むことで区切りがつく、
そういうものだと思っていたが、
個々の努力だけではどうしようもないことがこうも続くと、
気持ちの切り替えが難しくなっているのかもしれない。
そうであっても、やっぱり新しい1年だから。
毎年、マーラーのシンフォニーを1番から聴くというのをやっているが、
今年はPink Floydを順に聴いた。
去年、前期後期アーカイブ集を聴き終え、感じたのが、
まだまだ全部聴き切っていない、気がついていないことがたくさんある、
ということだった。
未公認で出ている音源まで全部集めるようなファンではないが、
針を落とした回数が一番多いのが多分、おせっかいか狂気あたりだろうというくらい
ずっと聴いてきているので、さすがにとは思ったが、
自分自身の聴き方も変わってきているのか、感じ方にも違いが出てきているのがわかる。
なので、一から聞いてみようと。
話は逸れるが、レコードで音楽を聴く方がだんだん増えていて、
「レコードで聴くとしたら何がいい?」という嬉しい質問をされることも。
その方の好みにもよるが、「狂気」を挙げることにしている。
音楽の内容はもちろんのこと、バージョンを気にしなければ手に入れやすいし、
なかなか楽しく聴ける1枚だと思うから。
わたし自身がおせっかいや狂気から始めたこともあるかもしれない。
今年という1年は、これまで気付いていなかったことに触れたり、
忘れ物を取りに行くような、ある種の隙間を埋める年になりそうだ。
例えば、OSTはよく聞いているのに、もう何年も見ていない映画を久しぶりに見るとか。
あるいは、好きなミュージシャンで未聴のアルバムを聞いてみるとか、
場合によってはゆかりの地を訪ねたり、関係の深い何かを体験してみたりとか。
昨秋から始めた「街歩き」もその一つで、
知っているとばかり思っていた近所にこんな面白いところがたくさんあるなんて、
あっと気付いた瞬間のちょっとしたテンションを大切にしながら、
小さな楽しさ、幸せをちょっとずつ積み上げていきたいと思う。
]]>時の過ぎるのが早いのか遅いのかもわからないほど、
世の中のリズムが変わってしまってもう2年。
健康の有り難みが痛感される2年でもありました。
ここ1ヶ月、macが不調で更新できなかった間、
10年ほどの間に聞き逃していたり、見逃していたりしたものを掘り起こし、
忘れ物が随分多いことに気づきました。
2022年は、小さくても新しい体験をしようと思いました。
みなさまにとっても健康で充実の1年になりますよう。
不定期になりますが、ぼちぼち更新を続けます。
今年もどうぞよろしくおねがいいたします。
(ベランダに咲いた季節外れ?のバラ)
]]>
黄金色の落ち葉の道、サクサクといい音がする。
陽のあたる場所は汗ばむほどで、鳩もカラスも日向ぼっこ。
陽の光は元気の源。
以前にも増して人混みを避けるようになった。
産業道路の喧騒から歩くこと20分、自然に恵まれた貴重な空間。
地図で存在は知っていても、こういうことにならなければ出かけてもみなかった場所。
災禍は無い方がいいが、それで初めて気がついたことがたくさんある。
午後も2時を過ぎるとぐっと冷え込んでくる。
部屋へと戻るのも自然と早足に。
お店がたくさん連なるエリアでは早くもクリスマスソングが鳴り響く。
買い物したいという気分から遠ざかっているからか、心なしか喧しい。
今聴きたいのはそういうのではなくて・・・。
木漏れ日の美しさそのままに、透明感溢れる響きで部屋を満たしたい。
そんな今日はVoces8の最新アルバム、"Infinity"を。
楽器のように操られる声。
英国のアカペラグループ、Voces8。
響き合う美しさ、減衰する様の儚さ。
生まれては消えていく灯火のように、
歌声が生き物のように揺らめいている。
スピリチュアルすぎず、或いは宗教歌のような重たさもなく。
選曲もジャンルにこだわらない縦横無尽が魅力。
疲れ切って眠れない夜に小さな音量で流すのにもいい。
冬の寒い最中ではあるが、できればエアコンを切って静かな部屋で楽しみたい1枚だ。
]]>
飛行機雲という名の馬が、多くの人々の夢を背負って晩秋の空に舞った。
まっすぐに、まっすぐに。
駆け抜けたのはゴールではなくて、一体何だったのか。
他の馬が一瞬消え去るほどの軌道を描き、有終の美を飾って見せた。
鞍上の涙は、勝ったからではなくて、馬の無事を何より喜んだからでは。
もちろん血を残す大仕事を控えて勝つ以外になかったとしても、
デビュー前から不安があり、それを克服してここまできたという来し方に
ずっと手綱を取ってきた騎手であるからこそ、一層期するものがあったに違いない。
多くの人々の胸を一杯にした馬は無事引退の日を迎えた。
コロナ禍と重なってしまった2年余りの現役生活、
彼のレースを自分の眼で見られた人がほんとうに羨ましい。
大仕事をやってのけた騎手の涙にもらい泣きした後は、
久しぶりに聴いてみたZakk Wyldeのソロアルバム、"Book of Shadows ll"。
わたしはZakk Wyldeという人を詳しくは知らない。
だけども、淡々と歌い上げられた曲の数々、
どこか土の香りと大地を吹く爽やかな風のようで、いい気分の日にとても聴きたくなる。
どちらかというと激しいレースのイメージではなくて、
広い牧場でのんびり草を食む彼の姿を想像しながら。
気持ちが折れそうになる毎日の中、明日からもう一度頑張ろうと思える勇気をもらった。
彼の子供達がデビューするその時には、こんどはスタンドから応援の声を送りたい。
そのことを楽しみに、できることをしっかりやりながら前を向いていこう。
コントレイル号の最後の勇姿、素晴らしいレースに心から感謝した日曜の午後。
]]>それは永遠に固有のもので、当然のものと思ってきた自分がいる。
難しいことはわからない。
疫病禍も同じ、
当たり前と思って享受してきたことの有り難みがこれほど痛感されたことがなかった。
そういうこともあるのか、10年単位で以前のことを思い出せる限り思い出してみて、
その時の出来事や世の中の様子、気持ちのあり様などを整理してみるにつけ、
しあわせというのは実はごく身近にあって気がつかないでいることが多いことに気づいた。
***
自粛モードからそろそろ再起動の時期がきたようで、
生活を少しずつ静から動へと切り替えているが、
自分でも驚くほど体力が落ちていたようで、
駅の階段を昇るのがしんどいという酷い有様に呆然とした。
もちろん急に起こった訳ではなく、
以前はこんなきつかったんだっけと思い出して初めて自覚したこと(苦笑)。
原因は当然のことながら2年近くの間に積もり積もった運動不足。
専門家にも相談し、1日5km程度歩くことにした。
通勤等の移動分も含めての5kmは、やってみると思いの外簡単で、
毎日どこかに出かけるなどしなくても、1つ前の駅で降りて帰宅、
程度の工夫で簡単に「達成」できた。
距離計測は万歩計替りに使える携帯のアプリが便利で、
GPSの位置計算でおよその距離を割り出してくれる。
もちろん電車などの高速移動は自動で除外してくれる。
これからぐっと冷え込んでくるだろうが、
冬らしい冬がいずれ無くなってしまうかもしれないと思うと、
これもきっと後年懐かしむ思い出になるかもと、
無理ない範囲で歩くのを続けてみようと思う。
***
寒い季節がうれしいのは、夜聴くレコードの音が良くなる感じがすること。
あくまでも感じ方でしかないが、
夏の暑い時期のように締め切ったままエアコンなしで音楽聴くのが辛いということもなく、
ご近所も窓全開で生活音を出しているというようなこともないので、
静かな環境が確保しやすいという点は確かかもしれない。
先日入手した、Pink Floydの「鬱」45回転2枚組レコードは、
ギルモアによるリミックス版で既発の豪華ボックスセットにて発表済みの音源だが、
こうしてレコードで聴けるというのがなんともうれしい。
オリジナルバージョンとの違い。
ヒプノシスデザインのジャケットも別バージョンだが、
今回のリミックス版の方が随分リラックスして聴けるというか、
オリジナルの何ともピリピリとした緊張感、重々しさと比べて、
こちらの方が個人的には愛聴盤になる気がする。
もちろん、ニックのドラム演奏追加やリックのキーボード演奏への一部差し替えなど、
ファン推し要素満載という点もあり、
ではなぜ当時、サポートメンバーの演奏だったのか?という点はさておき、
やはりこれがいいよね、となってしまう点はあらかじめお断りしておきたい(笑)。
これだけ、あれもこれもレコードで発売、という流れが、
わたしのような人間にとっては非常にありがたいことではあるが、
押し並べて高値安定の値付けであることは少々残念だ。
今回の2枚組も国内盤(盤質の違いは確かめてないが)で6600円。
音楽を気楽に楽しむのはサブスクで、これと気に入った音源はレコードやCDで
と割り切ればなんとかならないではないが、
一部のコアなファンは別として、あまり高額だといろんな方が入手するには
ハードルが上がりすぎてしまう。
もちろん今時はいい製品を作るとそれなりのコストで結果的に高くなるのは
わかってはいるのだけれど。
気がついたら11月もそろそろ終わりが見えてきた。
あっという間に年末だ。
何とか年内には以前の体力くらいには戻しておきたい。
さあ、お天気も良くなってきた、隣町の公園に出かけるとしよう。
]]>
007のシリーズは映画を観始めてからずっと親しんでいる作品だけども、
演じる俳優とのマッチングで言えばこんなにハマったシリーズもないなと思っていた。
コロナ禍で延期に次ぐ延期、
作品の中ではとっくにクレイグ主演の主人公は遠い空の星になっていたわけだけれど、
今回の作品"No Time To Die"がダニエル・クレイグ主演の最終作と聞いていたので、
劇場に行くまではとにかくネタバレ情報を掴まないように耳と目を塞いていた。
とはいえ、いろんな想像はできたけれど、嗚呼やっぱりそうなったかと。
敵役もおそらくはものすごく検討されたんだろうが、
むやみに強いとかではなく、「純粋な悪の塊」、氷のような心の持ち主であり、
それを演じたMr.Robotのラミ・マレックの陰の濃さというか深さというか、
瞳の色まで演技で変えられるんだろうかと思ったほど。
映画の方はやはりぜひご覧いただいてということになるが、
同じ時期に届いたサントラのレコード。
映画をみて2週間は経っているが、まだ封すら切れていない。
カラーレコードではない、ノーマルなタイプにしたが、
これを聴いてしまうと、
自分の中で本当にダニエルのシリーズが終わってしまうことになるようで、
終わってしまったものをどうこうできないのに、
悪あがきというかなんというか。
劇場で2度連続で鑑賞、あのシーンにあのメロディ、音楽というのが焼き付いている。
ストーリーや絵作り的なものからいえば、
スカイフォールの方が1枚上だったかもしれないが、
このややこしい時期での一区切りは、
長年のファンからすればなかなかに重たいフィナーレだ。
聴いていないから盤や再生状態がどうだったかということに一切触れられないが、
そういう音源もあるんだなと思った。
わたしの心の中でこのシリーズに本当の意味での区切りがついたら聴いてみようかな。
no time to die、本当に主題の投げかけ方まで意味深で、考え込んでしまう映画だった。
さよなら(まだできないけど)ダニエルの演じた007。
]]>
一つ一つ、自分で分別するのは大変だから、
不要物をひとまとめにして専門業者の方にお願いしようかと。
まだ先は長いにしても、周囲から同じようなことを聞くことが増えた。
わたしのように、部屋のキャパシティの問題からではなくて、
今から片付けておけば、先々何があっても安心ということらしい。
先のこと、というと。
約2年の間、疫病に振り回されて世の中の様子も生活も随分変わった気がする。
先が見えないこともあるのか、不安や不満の塊のようなニュースや話題が増えた気もする。
感染症対策で何かをお願いするのに配られた○○金という名のお金。
なぜ貰える人がいるのに、わたしは貰えないのか、等々、
不平不満のタネだらけになってしまったのは何故だろうか。
それとも、これまで目に見えなかっただけで、
水面下に蓄積されていたものが、今回のことが引き金で表に噴出しただけだろうか。
そういうニュースを目にするだけで消耗するので、
しばらくそういうニュースやサイトは断つことにした。
わたしの場合、物はかなり捨て切ってしまっているので、整理するとしたら情報だろう。
***
最近の新譜、新録には、この2年間を踏まえて、何かを振り返っての音楽が少なくない。
中には人生の転機が重なったり、あるいは音楽を発表する方法そのものが問われていたり。
なかでも先日リリースされたEd Sheeranの"="(イコールズ)、
1曲ずつ歌詞を確かめながら、聴き進めてみた。
ポップでノリがよくて、多分特別な言い回しとかはなくて、
普段使っている自分のことばで歌っていて。
きっと誰にでもある出来事、
見逃していた幸せな出来事がこのアルバムにはたくさん詰まっている気がして。
胸のあたりがキュッとするような。
わたしにも、目に入っていない、
或いは見逃してしまっている身近な幸せがたくさんあるような気がして。
雑音を排しても聞くべき音、聴きたい音を逃さないようにしたい。
]]>
気持ちも体も全然ついていけていない。
秋らしい秋を感じる暇もなく冬がやって来そうな気配だ。
足元がじんわりと冷えるような夜は
どうしてだかクラシックギターの音色が聴きたくなる。
凛としていてそれでいてどこか優しく温かみもあって。
こと、ECMの盤だと透明感もものすごくあって。
今夜はRalph Townerの2017年にリリースされたアルバム、
"My Foolish Heart"を。
元はと言えば、演奏者のことも中身もなーんも知らなくてジャケットだけで買った1枚。
ECMの盤はそういうのが多くてジャズのつもりで買ったら現代音楽だった、
みたいなこともあるけれど、
こういうのが聴きたかったんだなあと初めて聞いた晩にしみじみしたんだった。
振り返るほどのことのない、なんということのない1日の終わりに、
それでもやっぱり言葉にならない疲れというか緊張が解れるような音楽が聴きたい。
届いたCDを見てすぐプレーヤーのトレイに入れてみて。
ベッドサイドで心地よく響くギターの音色に、
ああもうこれで今日は十分だ、十分にハッピーだと思えたんだった。
夕食後、遊歩道を散歩していると、いつもなら見かける犬を連れた人もまばらで、
もう少ししたら吐く息が白くなる季節だから、きっと時間を早めたんだろう。
暗がりの下、ベンチに腰掛けて川面を眺めていたら、
なんとなくこのアルバムのジャケットが思い出された。
秋を堪能する暇もなくぐっと冷え込んできたこの数日間に、
時の移ろいに置いてけぼりを食らいそうなわたしは気持ちの整理がしたかった。
明日はもっといい休日になりますよう。
]]>わたしは原作の小説を全部読み切ってはいないが、
映画の製作に絡んでは様々なエピソード、諸説あってそれだけでも話題満載。
今回は映像美でも随一の監督が手がけたとあって、
感染症蔓延の影響で1年ほど公開延期の影響もあり、
近場の映画館はけっこうな蜜状態とのこと。
DuneのサントラといえばTOTOだったのだけれども、
今回作品ではHans Zimmerが手がけていて、
触り聞くだけでも壮大な絵巻にふさわしい雰囲気が漂う。
そして、何と言っても、特別な感情を抱かずにいられないのは公式トレイラーだろう。
Pink FloydのEclipseをHans Zimmerがカバー、わずか1分半ほどの序曲ながら、
これほどDuneの出だしにふさわしい曲はないものと。
本作のサントラにはこの楽曲は含まれていないが、
Spotifyやmoraのhi-res音源などで取り急ぎ聞いたり、入手できたりする。
DSOMフルバージョンは出ないのかもしれないがそれでも。
映画の方は、一体何部作になるのかがよくわからないが、
最低でも前後編、しかも1話が長尺なので、今回出たOST CDも70分強とボリューム大。
続編も同じ監督&作曲者で行ってくれそうなのかはまったくわからないが、
映画自体がものすごく費用かかってそうな感じなので、
興行がふるわないと次は厳しいかも。
IMAXの劇場とノーマルとどうせなら両方見るかな。
今回は音楽も物語もしっかり予習して臨むが、
原作などに触れる機会のなかった方なら登場人物などを
チェックしておく方がいいかもしれない。
物語も音楽も壮大すぎて尻込みしそうだけれども、
こういう作品を観ることができること自体とてもハッピーなことなので、
感染症禍が少し弱まっているこの時期には感謝しかない。
さあ。準備整えて劇場へ出かけよう。
冷たい雨と風の、これもまた秋らしい日曜。
]]>
携帯の警報に驚き、まごついた数秒後に3.11の時と同じような振動が。
この後に本格的なのが来るのではと身構えること2時間余り。
それでも緊張よりは眠気の方が勝るという体たらくで。
以来、緊張が解けるような響きの美しい音楽ばかり聴いている。
最近の新譜で繰り返し聞いているものを1枚。
メゾソプラノの妖精、Emily D'Angeloのアルバム、Energeia。
歌声の美しさはもちろんのこと、プロフィールを見てとても若い方なので二度驚いた。
静謐かつ何かの力が底から漲るような歌唱。
教会で録音されたのも彼女の歌の魅力を倍増しているかもしれない。
今回のアルバムでの選曲は、中世の音楽を好まれる方にはなかなかおすすめかもしれない。
作曲家で言えばヒルデガルド・フォン・ビンゲンから
ムームのメンバー、ヒドゥル・グドナドッティルまで、ものすごく幅広いのだけれども、
目を閉じれば現実逃避の旅に出てしまえるところは共通しているようで。
CD、アナログレコードのほか、Spotifyなどのサブスクでも聞ける。
コロナ疲れ、ワクチン疲れと〇〇疲れな表現が飛び交う中、
どこかで一回胸の内を洗濯したいなあと感じておられる方におすすめの1枚。
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少しでもネタバレするとまだこれからの方に被害甚大なので何も書けないが、
映画以前に、久々に出かけた街中の騒々しさと人混みに思わず酔ってしまった。
世の中のしくみやルールがどうあれ、
2年近くも職場との往復に明け暮れるような生活をすると、
こうも感覚が違ってしまうものかと驚いた。
とにかく、目に入るもの、耳から入る情報過多で異様な疲れ方(苦笑)。
少しは街中を歩いてみようと思ったが、レコードを2軒ほど見て回ったくらいで帰宅。
もっとも体力がた落ちな今は何をしても疲れるのだろうが、
以前当たり前に享受していた日常を自分なりに取り戻すのはなかなかにしんどそうだ。
今回買った中の1枚、"YUKIHIRO TAKAHASHI LIVE 2018 SARAVAH, SARAVAH!"。
先週に続き黒っぽいジャケが続いて恐縮だが、
CDを買うかレコードにするかで迷っていて今まで入手せずじまいだったもの。
DVDが付属するCDに未練はあったが画質が今一歩との話も聞き、
レコードを結局買ってきて聴いている。
還暦を過ぎたユキヒロさんの声、想像以上に穏やかで淡々と歌い進める様子に
ただただじっと耳を傾けた。
もとはソロデビューアルバムの楽曲を歌い直しで再現したスタジオアルバム、
"Saravah, Saravah!"を、今度はステージでとの公演。
長いステイホームの期間に手持ちのアルバムを古い順に通しで聴いてみたりしていて、
なんといっても彼の歌の魅力を再発見!できたこともあり、
受け止めるわたしの変化があって今のリスニングに至っているのかもしれないが、
このアルバムは特段彼のファンの方でなくとも一聴の価値ありと思う。
この公演のメンバーもまたすごいので、メモしておこう。
高橋ユキヒロ
佐橋佳幸(G)、Dr.kyOn(key)、林立夫(Dr)、矢口博康(Sax)、有賀啓雄(B)、
斎藤有太(Key)、ゴンドウトモヒコ(Ehpho, Computer, etc)、藤井珠緒(Per)、
重住ひろこ(Cho)、岡村玄(Cho)、ツヤトモヒコ(Cho)
細野晴臣(B,AG)!!
だからといって、罹患しないことが保証されているわけでもないし、
あくまでも、ルールとしての拘束は解きましょうというだけだ。
長引くインドア生活を体験してみて感じたのは、
audio装置を楽しんだり、音楽をたくさん聴いたりというのは、
外に出ない生活との親和性が随分と高いんだということ。
思えば、日々仕事帰りから寝るまでに聞ける量なんて知れている。
テーマを決めてびっしり聴いたり、旧譜を辿ってあれこれ考えてみたり、
なんていうのは、まとまった時間がないとなかなか難しい。
忙しいのを理由にほったらかしのCDやレコードの棚。
今の住まいに引っ越して6年超、音源の整理もままならずいたが、
特にここ1、2ヶ月で在庫の大蔵ざらえも終了し、
突然聞きたくなったアルバムを引っ張り出しやすくなったのは
ステイホームの思わぬ産物。
時折いただくメールに、装置にお金をかけるのはどうか、もっと
音源購入に予算を振った方がいいのでは、良い音楽はどんな装置でもその良さが
わかるはず、という趣旨のものがある。
ヴィニールジャンキーと言えるほどの蒐集家でもなく、
大量の音源をこなせるほどの馬力もないので、
手の届く範囲で気に入った装置を揃え、
気に入ったものをいい音で目一杯楽しめればいいと思っている。
audio装置は装置で弄る楽しみが別途にあるから悩みは深いが(笑)、
良い音楽探しと良い装置で楽しく聴くというリスニングには、
若干その力点の置きどころが違うのかも知れない。
いただいたメールを読み返す後ろで流れていたのはFred Thomasの"Bach Dance Suites"。
以前取り上げた、Elina Duniのアルバム"Lost Ships"のアンサンブルにも参加していた
ミュージシャンでLost...ではピアノとドラムを担当。
その時のピアノの音色がずっと気になっていて彼のアルバムをあれこれ探していたが、
CDで手に入りやすいのが今日のダンス組曲だ。
ネットでのダウンロードやサブスクで聞けるアルバムは結構あるが、
できれば良い音質で聴きたい。
そう思っていたところに朗報、ECM Recordsより彼のリーダー作が来月発売とのこと。
やはりBachを取り上げた作品で、"Three or One"。
ピアノの響きは使う楽器にもよるだろうが、何と言っても弾き手による違いが魅力的だ。
Fred Thomasはピアノだけに拘らない活動をされている様子、
それでも彼のピアノには隠し味ではないけれど何か秘密があるのではと思ってしまう。
目の覚めるような演奏、とは対極にありつつ、癒し系の音楽とも違う、
淡々と弾き進められるBach。
優しくもどこか力強くて、草原で風に吹かれるような心地良さ。
なので、今度出る新譜は相当に楽しみな1枚で、
ECMだからうまくすればアナログレコードにもなるかも知れない。
あと1週間で9月も終わるとは思えない暑さ涼しさの繰り返し。
みなさまもくれぐれも体調に留意されますよう。
]]>どこか油断していた今回の台風。
朝起きてみれば、結構な雨量、風速だったことが如実に見て取れた。
痛んでしまった植物たちよ、愚かな世話人を赦して欲しい。
薔薇は夏剪定後で影響はほぼ皆無、厳しかったのは小さめの鉢植え植物。
今後の台風は大小に関わらず弱いものは部屋に避難させることにした。
さて。
春夏に頼んであったレコードやらCDやらがようやく届き始めた。
適時に入手できないのは、まとめ買いの割引を前提にしているから。
数年前に大規模な断捨離をしてからというもの、
入手するときにも、本当に必要な(聴くもの)アイテムを経済的に。
がっつりと経済に貢献するだけの力もないところ、
無理働きみたいな真似もしたくないので今はこういうスタイルがちょうどいい。
ところで。
今朝は台風一過の快晴、強い日差しのもといい風が。
こういう日は窓開けたまま小さめの音でレコードが楽しい。
上の2枚は、2、3ヶ月越しで届いたMåneskinというロックグループのアルバム。
いずれも再発で目の覚めるようなブラッドオレンジと濃いブルーの透明系カラーバイナル。
(黒いノーマルなレコードはそもそも出ているかどうか・・・)
Spotifyでちらっと聞きで目眩しそうな衝撃。
イタリアのバンド、というのもあるかもしれないが、
単なるロックじゃなくていろんな音楽が聞こえてくる。
バンド名はデンマーク語で「月光」だという。
mp3のしゃりしゃりした再生では到底分からなかったが、
いざレコードで再生すると、ビシッとバスドラが効いていて、
チャラさ皆無の意外なほど硬派でリスニング快楽度大。
タメがしっかり聞き取れる環境でこそのアルバムなんだろうか。
こんなバンドが来日してフェス参加とか言われたら、
わたしのような人間でも喜んでチケット争奪戦参加したに違いない(苦笑)。
そのくらい一度でいいから生で体験したいなあと思うのだ。
もう話題にされ尽くしている感がある彼らのアルバムなので、
詳しくは書くまい。
このblogのタイトルにある通り、快楽満載の音源、音楽を探して日々「放浪」。
好き嫌いは分かれるヴォーカルだと思うが、
まあ騙されたと思っていずれか1枚試しにどうぞ。
長いトンネルの出口が見えず重苦しい空気の中にも気合を入れてくれるアルバムだ。
◆ Måneskin Official web site https://www.maneskin.it
]]>記録しているわけではないから何回と判っているわけではないが、
多分、OK Computer、それからKID Aあたりが一番多いのではないか。
イヤホンではなくヘッドホンとポータブルの組み合わせだが、
それほど長くはない通勤時間の中で求めるのは気持ちの切り替えだ。
そして嫌な音が一切しないこと。
朝一番にRadioheadなんてシュールである種不健康と思われるかもしれないが、
意外に朝起きてそれほど頭がはっきりしていない時間帯に、
少々アンビエントでスローなテンポで始まる楽曲のあるアルバムの方がしっくりくる。
そのRadioheadのアルバムで、同時期録音とされるKID AとAmnesiacに未発表音源を加えた
"KID A Mnesia"が11月初旬リリースされるそうだ。
3枚組アナログやCDのセットなど、またアナログも赤とノーマルの2種類とか。
ポータブルに入れるならCDがいいんだけれど、やっぱりレコードで買うかな、
と迷っている間もなかなか楽しいが、
予約期間中に予定数ソールドアウトすることもあるからそろそろ決めなくては(笑)。
とりあえず、日曜の朝一番目は、
最近修理から戻ってきたメインの装置で久々に聴くAmnesiac。
その装置だが、再生自体には影響のない、
ちょっとした不調ではあったが、直せるうちにやっておこうと、
はるばる飛行機で海外里帰りし、2ヶ月ほどで手元に戻ってきた(感謝)。
曲の出だしから、ああこれこれと唸りたくなる浸透力。
情報量や解像度などを言えばもっと別のシステムがあるだろうし、
音源も今時のhi-res系データをあつらえてとなるのだろうが、
Pink FloydとかRadioheadを「こういう風に聴きたい」
という私のワガママをきいてくれる装置はなかなかそうはなくて。
基本ウエルバランスの再生だけれど、いざ音楽がこっちに「来る」感覚は、
それ自体をうまく言葉で表すことができなくて、
音を出してみて、ああこれこれ、という感じなのだ。
その装置のいない間、何をしていたかというと、
部屋の中にもう少しレコードやらCDやらを置ける場所を作っていた。
飽和点に達する1歩手前だったため、二人がけのソファーを処分した。
幸い気に入ったという方がおられ、第二の人生のためにもらわれていった。
さほど大きなものではなかったが、開放感は相当に上がり、
棚を置こうと思えば置ける程度の床も空いた。
この際は慌ててラックを買わず、ある程度床置きの盤が溜まったら改めて考えることに。
大画面TVとさよならできればもっと空間はできるし圧迫感もなくなるが、
現役映画小僧のためそれはなかなかできかねた(笑)。
さてもう日曜のお昼前。休みはあと半日だ。
月曜の朝を迎えるにあたって相当気合を入れないとダメなのがなかなかに辛い。
あと半日、あれこれ聴いて心の栄養をしっかり貯め込むとしよう。
]]>
昨日食べたものを下手すると思い出せないのに(笑)。
一時期、カセットテープでしか聞けない時期があり、
その頃はレコードを買って録音するのではなく、
最初から録音済みのカセットテープを購入することがいくらかあった。
折しもBuninブーム到来。
Stanislav Buninがショパンコンクールに優勝し、何がきっかけだったのか、
日本国内でもとんでもないほどのブームになった。
NHK-FMで放送された演奏をエアチェックしていたテープをそれこそ死ぬほど聞いたが、
後にも先にも長い尺のクラシック曲を「休憩」なしに通しで聞いたのは
それが初めてのことで、
以来、クラシックも食わず嫌いせずポチポチ聴くようになった。
確か彼の全国ツアーもなかなかチケットが取れずじまいで、
その代わりというわけではないが、
良い音質でショパンのピアノコンチェルト1番を聞きたいと思い、
買ったのが中村紘子さんのものだった。
小さな店で選択肢も少なかったが、
カセットとして売っているものというと他になかったと記憶する。
テープは流石にもう痛んで聞けないだろうからと、改めて探してみたレコード。
前オーナーのところで仕舞い込まれていた様子だったので、
しっかりクリーニングしてみたらいい音で再生。
あと**枚(もしくは**円)買えば送料無料、というのが結構あって、
抱き合わせに買うものを見繕ったりするが、
ついでに同じオーナーが手放したかもしれない2番もいっしょに購入。
さてこの1番はオケがロンドン響だったのをすっかり失念していたが、
奇を衒うこともなく、安定感抜群のピアノ演奏に、
当時はポータブルカセットプレーヤーにイヤホンだったけれど、
ああ、これこれという具合でなんだかほっとしたのだった。
特定の曲の演奏について、どれが一番素晴らしいかなんて決められないが、
耳馴染みというか、当時の空気まで蘇るような演奏に驚くばかりだ。
自宅にいる時間が一層長くなってどうでもいいことまで考えたり思い出したり。
将来を思うよりは振り返ることの方がしっくりくる年齢になっただけのことかもしれないが。
さて、今日もどこへ出かけるという予定もないので盤の手入れでもしよう。
みなさまにとっても良い週末でありますよう。
]]>盤の棚卸しをして、「あれはあってこれがない」みたいな作業の中で、
わたしにとって青春の1ページ的な代表バンド、CASIOPEAのアルバムを
改めて1stから聴き直している。
毎日これほどうんざりするニュースに溢れた時期をわたしは体験したことがない。
なので、現実逃避ならぬ音楽への逃避が続くわけで、
< 逃げ込める場所があるのはきっといいことに違いない
改めてCASIOPEAのアルバムを手に取ってみると、
「これ、無理してCD買ったんだよなあ」とか鮮やかに浮かんでくるのが不思議なくらい。
当時、CDの出始めで、1枚たしか3200円とかした< Make Up Cityとか・・・
とにかく時間はあってもお金はないその時期に、
DENONのエントリーモデルのCDPをラジカセのLINEにつないで聞いていて、
盤も滅多に買えないという、それだけに当時手にしたアルバムは印象深いものが。
さて、表題の「元気が出るレコード」とは。
CASIOPEAのアルバム、 HALLEの帯に文字通りその言葉が(笑)。
本作は85年リリース。
個人的にはどうにもならなかった1年で、そのほとんどを療養に費やしていたが、
このアルバムの曲は他に代え難い心のビタミンそのもので、
次の朝、目が覚めるんかなと思いながら夜なかなか寝付けない、
そんなときにもイヤホンでつらつら聴きながら寝落ちする日々も。
CASIOPEAの初期アルバムの多くは、hi-resデータでも手に入るから、
今改めてプチパチいうこの盤で聞かないといけなくはないが、
当時はもったいなくて盤に針を落とすのはあまりなくて、
録音したカセットでもっぱら聞いてたこともあり、
そういう思いみたいなものと一緒くたになった音を追体験したいとなると、
こうして手元のレコードを聴くのが自然なのだ。
とはいえ、hi-resデータも手に入るうちになんとかしておきたい。
(結構な軍資金が必要・・・盤のように安い中古探すとかできないし)
それにしても、こころの平和のための常備薬がこれほど必要になる日々が来るとは。
この騒ぎがいつかは終わるんだろうと思いながら、毎週末をレコード三昧で過ごしている。
1枚ずつ手に入れた時のことを思い出しながら。
これはこれで本当に贅沢な過ごし方かもしれない、皮肉なことにこんな時期だからこそ。
]]>先月レコードの棚卸しをしたが、
「その盤は既に持っているか」がはっきり覚えていられる数には一定の限度があるようだ。
もちろん盤の数が1万を超えるような場合にも完璧!という方もおられるだろうが、
わたしの場合には、2000を超えるあたりからどうやら怪しくなっている感じだ。
筋肉痛で辛い作業にはなるが、盤の棚卸しは年に一度はやるべき行事だと思った。
あ、こんな盤手元にあったんだ、みたいな発見や、
逆にCDでしか持っていないのにレコードで持っていると思い込んでいたものも。
ジャケット違いでのダブりもあったり(多分わざと買ったものではなさそう)。
ちょうど7年ほど前に狭い部屋への引越しといわゆる断捨離を兼ねて、
大掛かりな音源の整理をしたが、
盤質のよくないもの、これからあまり聴かないだろうものは手放した。
後日聴きたいと思い、書い直したものもわずかにはあるが、
今増えている盤は20代の頃ジャズ喫茶通いでハマった音楽が中心だ。
自宅でいる時間がいっそう増えたこともあるが、
年始からのマイブームはその中でもほぼblue note盤が中心で、
音楽だけでなく盤のジャケットもカッコいいものばかり。
とはいえ、欲しい盤を欲しいままに買ったりしたら大変なことになるので、
眺めて楽しい!的な欲求を満たすために買い求めたのが次の2冊だ。
大きい方は、blue noteの創立75周年を記念しての公式解説本。
重くて大きい本だが値段もけっこうした。
ただ日本語翻訳されていて、このレーベルのことを知らなくても、
時代背景や求めていた音楽表現がわかりやすく解説されていて、
読んだら余計に盤が欲しくなってしまうかもしれない(笑)。
主だったアーティストやエピソードも満載。
ただ、解説が充実している分、取り上げあられたジャケット(盤)数は少なめ。
なので、手前の方のいわゆるカバーアート集を追加で購入した。
こちらは英語版。
手頃な価格でamazonなどで買えるが、安い分、印刷の質はそれなり。
ただ、数多くのカバーアートをざーっと眺めて楽しんだり調べたりするには便利。
ジャケットが気に入って、なおかつ中身の音楽も好みとなれば、
お金を貯めて盤を買う、という流れになるんだろうか。
最近はレーベル自身が再発を積極的にやっていて、
CDと比べて高めの価格設定だけれど、
人気タイトルを新品で購入することもできるように。
もちろん、音の質といいジャケットの手触りや風合いなどは、
どうしたってオリジナルの盤がいいことが多いと思うので、
過去のリリース状況や時価をDiscogsあたりで調べて狙いを定める!
なんてことも盤探しの楽しみの一つかもしれない。
新譜がレコードでもバンバンリリースされている今のようなレコード天国が
一体どのくらい続いてくれるのかはわからない。
とはいえ、レコード店の壁に飾ってあるような盤が買えなくとも
その楽しみが損なわれるわけでは全然ないので、
「部屋の中に入る量」を頭のすみで意識しつつ、盤探しを愉しみたい。
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(著者:リチャード・ヘイヴァーズ、行方均(監修))
(出版:ヤマハミュージックエンタテイメントホールディングス )
□ The Cover Art of Blue Note Records: The Collection
(Graham Marsh, Glyn Gallignham)
※ いずれもアフィリエイトの設定はありません。
]]>時季外れのとんでもない時期に発生というニュースに驚くばかりか、
まるで鈴なりのごとく続けて台風が来ますよ的な天気図にも、
やはり驚くしかない。
大型の台風というと一頃までは地域の名前がついたりして、
「あの台風は大変だった」という親たちの語り草程度だったのが、
毎年のように大災害になり、それにも驚きはしなくなっている。
実家のある地域も、田んぼと道の区別がつかなくなるほど水が溢れ、
家から一歩も出られない日があったが、家屋の浸水は免れた。
まさに田んぼの中の一軒家が海の中の・・・の状態で、
県境を跨ぐ移動がNGの時期にあっては、
次にそうなったらどうしたものかと頭が痛い。
天気図ばかり眺めていたら、昔見たことのあるアルバムを思い出した。
タイトルもアーティストのこともよく覚えていなかったが、
今回調べてみたら、海外から注目されて数年前に再発されたりしているという。
INOYAMALANDという日本人2人組のユニットが作ったアルバム、
"DANZINDAN-POJIDON"。
spotifyで聞いてみたところの印象は「MUJIのお店で流れてそうな音楽だな」。
シンセを使ったインストルメンタルで、昔流行った環境音楽のよう。
オーガニックで響きの透明感が印象的。
博物館などのイベントBGMにも採用されたことがあるようで、
彼らの音楽に共通する特徴なのかもしれない。
こういう穏やかな音楽を聞いて過ごせる週末になるといいのだが、
これを書いている今、ニュースによると台風10号が最接近している模様。
各地で大きな被害が出ないことを祈るばかりだ。
◆ INOYAMALAND web site https://inoyamaland.amebaownd.com
]]>「暑い!」と言ったら、貯金箱に100円を入れる。
エアコンがなくて、窓全開(といっても都市部の雑居ビル低層階)のボロ事務所。
就職してすぐの職場がそんな場所で、まさに住めば都の世界。
おしゃれな事務所でなくて、「勘違い」しなくてよかったが、
とにかく暑くて寒かった。
ところで貯まった100円は係で飲みに行った際の足しに。
あるいは職場飲みのつまみを買う軍資金に。
就職してすぐのわたしにはその100円ですら厳しかったので、
暑いと言わない癖がついた(笑)。
当時の住まいにはエアコンどころか風呂もなく、
毎日、銭湯に涼みに出かけた。
これまた古くて大きなエアコンがブルブルと音をたてながら、
キンキンに冷えた風を盛大に吐き出していたのが懐かしい。
今日という日曜も朝から暑い1日となった。
東側のサッシは火傷しそうなくらい熱い。
洗濯物がものすごく早く乾く。びっくりするくらい。
こういう日は、窓を全開にして、
迷惑にならない程度の音量でレコードを聴く。
こういう休日のお昼につい手が伸びるレコードの中から、
今日はPink FloydのAnimals。
ギターのかっこよさ、楽しさを覚えた1枚。
もううん10年聴いているのにまだ聴きたくなる。
歌詞の意味を随分あとから知って、
ついでに蘊蓄本にも目を通してさらにうーんと唸って。
当時、オンタイムで聴いた若い人たちは一体どんな気持ちで聴いたんだろうか。
アルバムって通しで聴いて、曲順ももちろん意味があって、
というのを意識したのも彼らの音楽に執着してから。
他人に怒りをぶつけたり文句をいうのと批判は別のものだ、とも。
暑いと言ったら100円、みたいなのどかな時代はもう来ないんだろうなあ。
ある種の寛容や緩みが特段望まずとも普通にあり得た時間。
夏は去ってしまったものを惜しむのにはなんとぴったりな季節なんだろうか。
今日という1日を思いっきり緩めたら、明日からはまた緊張して過ごそう。
健康を維持するのに緊張を必要としない日がいつか来ると信じて。
]]>気温の急上昇についていけず悲鳴を上げる胸の内。
折しも緊急事態宣言中で、
連休があっても盤探しに出かけるにはいい日和ともいかず。
ネットで新譜情報など眺めていると、
ここ数年で随分様変わりしたな、と感じるのは、
当初よりアナログレコードで発売されるアイテムの多いこと!
嬉しい悲鳴、いやいやお財布の中身も全く追いつけず、
この暑い最中に苦しいとは言わないがなかなかの悩みごとに。
もっとも、全てが万歳といかないのが世の常で、
演奏が素晴らしくても、録音なのか盤質なのか、がっかりする盤がなしでもなし。
なので、ああこれは良かったと快哉叫ぶ1枚との出会いはやはりうれしい。
この暑さ、なのでBGMにいいかなと思う盤がいくつもあるが、
どこまでも嫌な音が一つもしない、達人の技的な1枚を。
Enrico Pieranunzi(p)とThomas Fonnesbaek(b)のデュオで、
The Real You : A Bill Evans Tribute。
ジャケットからもお分かりの通り、超のつくベテランたちによる演奏。
Bill Evansにとってベースとのデュオって、ピアノ+1ではなくて、
ピアノトリオ−1のデュオなんだろうか。
構成は違うけれど、わたしがよく聞くChet Bakerが好んだドラムレスとは
意味合いが違うよう・・・。
本作はトリビュートアルバムとして編まれながらも、
収録の10曲中、Evansの曲はOnly ChildとInterplayの2曲のみで、他は
Pieranunziらのオリジナル曲。
しかしながら秘めた思いがそっと解き放たれるが如く、
どこまでもリリカルで細心のタッチが切ないほど美しい。
Evansをたっぷりと聴いている方ならどんな感想をもたれるだろうか。
このアルバム、その点から離れて聴いたとしても十分楽しめること請け合い。
録音は2020年7月、その頃のヨーロッパの状況を思えば演奏に込めた思いは・・・。
何かとささくれ立ちがちな気持ちをそっと癒してくれる珠玉の1枚。
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