音の快楽的日常

音、音楽と徒然の日々
読書は習慣―Лови--Александр Буйнов
 読書というものは、習慣の賜物であると痛感している。本から離れていたことを「このままではいけない」と感じたので、週末には何か読みきれる分量の本を買って読むことにした。今週は、「若者とナショナリズム」がテーマだ。香山リカさんの著作が新書で立て続けに出され、しかも1冊は前から少し気になっていた評論家の福田和也さんとの対談集。これはもう読むしかない。

 なぜ、ナショナリズム、か。私の世代では、学校での日の丸掲揚反対運動などがあり、むしろ否定的、というか、ナショナリズムから少し距離を置いた人間が多いような気がする。だが、前回のワールドカップなどを見ると、異様なまでの応援の向こうに、得体の知れない何かを感じたのは、何も私だけではないだろう。それ以来、興味を持っていたテーマの一つが、若い人たちの意識の有り様だ。

 この土日はどうやら雨模様。せっかくの東京優駿(日本ダービー)だというのに、重馬場では能力の発揮できる馬が何頭かに限られてしまう。改修工事でさらに延びた直線では、脚の重さが倍加するだろう。いつもなら、早朝から競馬場に並び、ファンファーレを今か今かと待ちわびるのだが、今回は体調も伴わず断念することになりそう。読む本があれば、その時を待つまでの間つなぎにもなる。少し、救われそうだ。

 待ちわびた、ということでは、今日のブイノフの新譜、ラビーも待ちに待った1枚だ。シングルカットでは数曲出ていたものの、活動の様子はイマイチつかみにくかったこの間、気分の変化なのか、前作とも雰囲気ががらっと変わった作品に仕上がっている。

 1曲目、「今時の愛の歌」は、思いっきりテクノに振った意欲作で、ブイノフもたしか50を越えていると思ったが、いやはや、聴いている方がびっくり。確か英国の女性アーティストで、50歳近くになってダンサブル&強烈エフェクトアレンジの曲をヒットさせてカムバックした歌手がいたが、ちょうどそんな感じだ。好みで言えば、愛の島あたりが好きなアルバムだけれど、さすがにうまくまとまっていて、小気味良いナンバーが並ぶ。ロシアンポップスファンならずとも、気軽に聴けるという意味でお勧めの1枚である。
pop & rock (russian and other slavic) | - | - | author : miss key
探し物見つけた!―HOSONO BOX 1969-2000--細野晴臣
 私は、国内のアーティストはてんで弱いのだが、細野晴臣さんの音楽は、なぜか小さい頃から聴いて親しんでいる。一番最初が何だったのかは判らない。「風をあつめて」だったかもしれないし、「蝶々San」だったかも知れない。一番最初に買ったLPが「泰安洋行」で、これは相当聴(効)いた。

 その自称かなりのファンである私が、買い逃しをしてしまっていたのが、今日の企画アルバムHOSONO BOXだ。発売当時、10000円と、4枚のリマスター盤及びブックレット付きの内容にしては安い価格設定だったが、なぜかこの頃、お金が無くて買えなかった。いつか、買えるだろうし、中古で上手に探すのもいいかと気楽に構えていたら、折からのオークションブームの影響で、出てきはしても適価で入手するのは困難になった。もともとこういうものを買い求める人は、コレクション目的もあるので、聴いたからといって手放さないだろう。私の目論見は非常に甘かった。

 2年間ほど探していて、ようやくある中古店で未開封デッドストックを発見。速攻で購入したのはいうまでもないが、うれしいことに、付属品以外の特典ブックレットまでついていた。価格がやや高めではあるが、十分すぎるくらい満足のいく買い物だった。

 で、最も注目すべきは、未発表の音源が入っている4枚目のディスク。憧れの中華街ライブからの曲も入っている。録音環境が厳しい中で、これだけ生っぽく音が入っているとは、二重の驚きと言うべきか。どちらかというと、インストよりは細野さんの生声が聴きたい私であるので、思わず目に涙が滲んでしまった。こんな買い物ができたのも、インターネットがあってこそ。感謝感激、ああ有難い。

 前にも書いたが、企画モノは後から入手するのは非常に困難だし、第一、聴きたいディスクが手に入らないとなると、精神衛生上よろしくない。やはり、清水の舞台から飛び下りるまでもなく、ゲットすべきだ。何かの買い物に踏ん切りがつかないあなた、私が喜んで背中を押してあげましょう。ただし、その後の責任は取れないのだが・・・。
pop & rock | - | - | author : miss key
3人寄れば・・・―Лети!--Другие правила
 文殊の知恵、とは昔の話のようだ。最近は、3人集まって、という見出しを見ると、思い浮かぶのは集団自殺だ。家族が事前に察知して事なきを得た、という出来事も先週の話だったか。こう同じようなことがいくつも続くのは、話題に煽られて背中を押される人たちがいるということなのか、あるいは、それほど世の中面白くないということなのか。

 生きることと死ぬことへの意識が希薄になり、頭の中でその境目がどうでもよくなる、ということは、あるような気がしないでもない。かたや、私のような人間が、死にたいけど一人で死ねないので誰かを探して、などと考えもしないのは、とことん欲深であるからだと思う。

 もっと美味しいものを食べたい
 もっと美しい街を旅したい
 もっと楽しい音楽を聴きたい

 したいことが多いと、それが実現できなくても、思っているだけで案外楽しいものだし、目標もできる。他人からC級グルメと揶揄されようが、おかまいなし。物事にハマりやすいと笑われもするが、ではあなたは何かに熱中することを忘れてはいないだろうか。それが、恋愛でも、金もうけでも何でもいい。それらは、その人のなかでおそらく生きているという実感に繋がる。欲を満たしたいという気持ちは、「継続」につながる。生きることも、それを続けることも。

 「リチー!」は、最近モスクワのチャートを賑わしているドゥルギーエ・プラーウ゛ィラのデビューアルバムだ。ドゥルギーエ・・・は女性3人+男性2人の5人組ポップグループ。Hi-Fiをもっとダンス系にしたようなノリで、デビューシングル「リチー!ビギー!」が大ヒット。公式サイトで聴けるので、とりあえず聴くが吉。

 とりたてて特徴はないのだけれど、ノリの良さやあか抜けたルックスが若いファンに受けているようだ。最近はこういう感じじゃないと、チャート上位を占めるのは難しいようで、制作側の売り出し姿勢が見えかくれしてちょっと気後れするが、BGMとして聴く分にはクオリティも高いし、十分お勧めできる。個人的には、7曲目のターイナがお勧め。アップテンポの曲よりはじっくり聴かせるバラードで勝負してもらいたい、これからが楽しみなグループ。初夏のドライブ BGMにももってこいの1枚である。
pop & rock (russian and other slavic) | - | - | author : miss key
エアチェックって―Неслабое звено--Дюна
 今でこそ、聴きたい音楽はCDで聴くことが普通になっているが、音楽を聴きはじめた頃は、まだレコードもしくはカセットテープしかない時代である。しかも、いずれも高価すぎて自分で買うことはもちろん、買ってもらうことも難しかったので、唯一の音源が、SONYのラジカセだった。これとて、当時は大変高価だったが、お年玉が貯まったのを下ろしてもらって、小学校入学祝いとして親が買い与えてくれたものだった。

 なぜ、ラジカセかというと、小学生になって私はオルガンを習いはじめたため、教材のカセットテープ(先生が弾いたのを録音してもらう。楽譜が読めない子供でも、聴き弾きできる)を聞くためと、それから私が大のラジオ好きだったからである。ラジオは、父が毎晩楽しんでいるナイター中継を横から盗み聞きしたりして、かなり小さい頃から親しんでいた。これもSONYのトランジスタラジオである。SONYばかりだと思われそうだが、実家はSONY信者であり、音の出るものはSONYがいいと信じている。

 そんなわけで、お小遣いでカセットテープを買えるようになってからは、これと思う番組をどんどんと録音した。当時流行のエアチェックである。中学からは、BCLにもハマったため、テープはぼろぼろになるまで使いまわされ、あるいは、ちょっと高いテープ(例えばクローム、今でいうハイポジ)には大好きなアーティストの曲を録り溜めた。

 最近はさすがに、FM放送もあまり聴いていないが、音質が昔ほどではないという方もいたりするし、わざわざCD−Rに録音しているなんていう話も聞かないから、エアチェックなんて廃れているのかもしれない。この間、職場でエアチェックという言葉を口にしたとき、若い同僚から「それなんですか?」と聞かれた。こういうときは、自分の年令を痛感させられる。10ほどしか歳が違わないのに、レコードを見たことがない人もいるくらいで、いやはや、思わぬところに「断絶」があるものだ。

 ようやく届いたCDの中の1枚、デューナの新譜が今日のBGM。前作ドレベジェーニはサウンド全体のクオリティアップで、デューナの持ち味とは違った面がフューチャされていたが、今回は、いわば原点回帰。バックの演奏は軽くなっているが、歌そのものにカーチン&ルィビンの主張を感じる仕上がりだ。アルバムが出る度にここのところレーベルを変えている。演奏する環境が不安定なのか、バックが薄いのは、そういう事情もあるのかも知れない。

 ロックよりはポップなサウンドに、クラブではなくエストラードナヤにと、活動の舞台に合わせて微妙に軸足を移しているデューナ。とにかく、健在ぶりが確認できてほっとするファンも少なくないだろう。バンドとしてのピークはやはり前作であることは否めないが、彼等はやはりオンリーワン。気持ちが湿りがちなこれからの季節にぴったりの、気分高揚BGMとして一押しの一枚である。
pop & rock (russian and other slavic) | - | - | author : miss key
雷鳴の千日手―Tchaikocsy Symphony No.6--V.Ashkenazy with Philharmonia Orc.
 まるで夏の雨。突然、空が鉛色になったと思ったら、勢いの強い雨。そして鳴り止まぬ雷。思えば、こんな日はよく停電したものだったが、今時はそういう心配もなく、部屋にいて過ごす限りは何の不自由も感じないでいる。

 名人戦第四局は、予想に違わず互いに譲らずの厳しい流れ。受けは難しいのではないかと思われた夕刻から、手はどんどんと戻り、とうとう千日手に。折り返しの指し直しとなった。テレビ中継はちょうどそんなところで終わったため、終局までを―一体何時間かかるのだろうか―リアルタイムに見届けることは難しくなった。

 私は、仕事もそこそこに帰宅し、夕方から勝負曲マーラーの5番を聴きながら、PCの画面に見入っていた。しかし、この勝負、最後の最後までわからない。千日手になって、名人に気持ちの余裕がでたのだろうか、表情に明るさを感じた。第三局までは、なかったことだ。

 あんまり緊張が続いて疲れてしまったので、途中からコミックバンドの類いを連続で聴いている。なごみ系の音。ロシアンにはこのジャンルのバンドがいくつもあって、それぞれに個性的であり、奥深い。コミックだからといって軽くはない。サウンドのクオリティも高く、テクノアレンジでパッと見新しく見せているだけの昨日今日出てきたバンドとは違う。やっぱり、いいものはいい。

 さらにピリピリした神経を癒すために、究極の1曲、チャイコフスキーのシンフォニー6番「悲愴」を聴く。先月、ExtonレーベルよりSACDとのハイブリッド盤でリリースされたアシュケナージ指揮の注目の1枚だ。演奏も録音も文句無しに素晴らしいが、なんといっても指揮者の母国ロシアへの思いがひしひしと伝わり、こみ上げるものを禁じ得ない。ぜひこの曲を、対局中のお二人に贈りたい。勝利の女神はどちらに微笑むのか。答えはまさに神のみぞ知る、頂点の決戦。静かに思いを込めながら応援を最後まで続けることにしよう。
others (music) | - | - | author : miss key
風船の秘密―Когда рассеется туман--Сергей Дикий
 阪神タイガースが今夜も勝った。「勝った、勝った、また勝った」とファンの喜び一杯の胸の内。私はタイガースファンではなく、近鉄バファローズファンなのだが、否、だからこそ、その気持ちは痛いほど判る。去年までは一体なんだったんだろうと思うような快進撃、酔わずにいられるか、の世界だ。

 私は、7回の攻撃前に、一斉に飛ばされるあの風船を見るのが好きだ。甲子園でのセレモニーとなっているロケット風船飛ばし。何万という風船が夜空に舞う。球場にはそれぞれ恒例となっている儀式や応援の形があるけれど、この風船ほど見ていて楽しいものはない。私の両親はトラファンであり、今年の優勝を信じて疑わない人種の一人である。ゆえに、ロケット風船は実家に常備されている。風船は、すでにお札かまじないにすり変わっている。

 あのロケット風船は一袋に5個ほど入っていて、200円程度で球場で売られているそうだ。甲子園のお客さんが満杯だと5万人。そのうち2万人が一袋ずつ風船を買ったとしても、400万円。すばらしい数字だ。試合の日には惜しみ無く飛ばされる風船達。多くの人々の希望を乗せて。思いは阪神優勝だけではないはずだ。

 今日のナイター中継では、「男」がキーワードだった。清原が打ち、八木が打ち、「男をあげた」と連呼するアナウンサー。浪花節の世界ではないが、何が男かって、広島からやってきた金本選手ほど、男らしい選手はいないと思っている。黙って自分の役割に徹し、それをこなし、結果を出している。いま一つ存在感をアピールできない、怖くない4番といわれる浜中を支えている。片岡の不調からの脱出劇も、彼の存在なしには語れないだろう。

 私は、かつて宅浪中に阪神の前回の日本一を見ていた。浪人中だから、ナイターはもちろん、日本シリーズの中継も全部見た。どれだけ心が舞い上がり、高揚したことか。今の世の中に欠けているのは、そういう部分ではないか。
 
 男というキーワードでまず思い浮かぶのは、リュベーと今日のセルゲイ・ジーキーだ。ジャンルでいえば、日本なら演歌でノリのいいやつになるのだろう。ロシアではシャンソンになる。ロシアの民謡のリズムや音階を根底に残しつつ、人々の心を歌うセルゲイ。声もルックスも、本当に男臭いアーティストだが、彼が歌う恋歌は、沁みる。そういえば、胸が熱くなることが少ないなあという貴女にぜひ送りたい1枚である。
pop & rock (russian and other slavic) | - | - | author : miss key
時にはギャラリー巡りも―Plesi sa mnom--DANIJELA
 いつ雨が降り出してもおかしくない雲行きの中、買い物に出かけた。体調を気にかけてくれる友人に電話したら、ハービー山口さんの個展が開催中と聞き、ぜひ行きたくなった。ハービーさんの説明は改めて必要ないと思うが、国内外のミュージシャンの写真で特に有名な写真家だ。あるいは、代官山シリーズでファンになったという方も少なくないだろう。私はロンドン時代の若い頃の作品にとりわけ惹かれる。

 江戸川橋最寄りの会場ということで、年明けから行こうと思って果たせなかった平井碁盤店にも行くことにした。父の一歩足りない将棋駒を買い求めるためである。事前に連絡してあったこともあるが、駒を見ていただいたところ、非常に使い込んではいるが、きちんとしたものであり、なおかつ、足りない駒を作るのは非常に大変だということもわかった。それで、大きさは多少違うが、似た書体で盛り上げの駒が半端で残っているとのことで、それを買うことにしたが、ご主人は無料で譲ってくれるという。それではあまりにも申し訳ないので、前から欲しかった、自分用の1枚板の将棋盤も買い求めたが、こんなに古い将棋駒が残っていることも珍しいといって、ご主人はいろいろと説明をしてくださった。おまけに、普段見る機会の少ない有名作家の作品を見せていただいた。価格はなんと 80万円。同じ作家のものでも、木に模様のある素材だともっと値段が跳ね上がるという。本当にピンキリの世界である。

 いい出会いといい買い物が出来たあと、ギャラリーへ向かう。1ドリンク制のゆったりとしたカフェ兼ギャラリーは、駅から少し離れた場所にあったが、数多く展示された作品はもちろん、作家のサイン入り写真集の販売コーナーもあり、わざわざ行く価値は十分ある。アットホームな中にも落ち着いた静かな空間は、友人とゆっくりおしゃべりするのにもいい。

 ダニエラはクロアチアの女性ポップス歌手。ルックスはもちろんのこと、少し甘ったるさが残る独特のボーカルがなかなか魅力的。曲は、どのナンバーもクロアチアンらしく、明るく軽快なリズムの曲調がメイン。今なら彼女の公式サイトで、フルバツカ・ラジオフェスティバルでの音源がMP3で聴ける。その他にも内容が充実したサイトなので、ぜひ訪問されたし。お勧めである。

 ダニエラの公式サイト Danijela Martinovic.com
pop & rock (russian and other slavic) | - | - | author : miss key
久しぶりの読書―Не оставляй меня--Сергей Пенкин
 春から雑用に追われていて、まともに本を読んでいなかったことに気付いた。雑誌は眺めたりしていたが、新聞もなにも画面で読むことになれてしまい、活字に向かうことから自然と離れていた。否、もとはと言えば、給与カットの相次ぐなかで無駄を省こうと、図書館などで本を読んでいたのが、行く時間がなくなると、読まなくなってしまったということも大きな理由だ。

 最近、電車の中で図書館の印が押された書籍を読む人を少なからず見かけるが、同じような理由があるに違いないと思っている。図書館は、そうした「新しい客層」のニーズに応えようと、人気作家の新刊本を一度に20冊入れたりして集中する貸し出しに備えたりするが、これがまた、書店の売上を損なうものだとして批判の声もある。難しいものだ。

 今日、昼休憩に近くの書店で何気なく新書の新刊本を眺めていた。若くして多くの重賞馬を育てた森調教師の「最強の競馬論」が目に留まり、中も見ずにレジに運んだ。ついでといってはなんだが、若き評論家の手になる「動物化するポストモダン」もいっしょに買った。私はサブカルチャーにさほど興味があるわけではないが、キレのある文体が魅力的で、現象ともいえるある世代の消費行動を読み解くカギがあるように思えたからだ。

 ここのところ、聴き返しているのは、セルゲイ・ペンキンのアルバムだ。衣装のケバさと中性的で妖しい声音の偉大なる融合(笑)の彼。好き嫌いが分かれるアーティストだが、彼の舞台はとても人気があり、私もかなり前からのファンだ。

 今日のアルバムは、97年リリースの作品で、この時期の彼は、次々と新譜を発表している。スタンダードを歌ったり、作詞作曲もこなしたりと、こじんまりとまとまることのない彼らしい。歌は、もともとクラシックをきちんと学んでからポップスの世界に鞍替えした人でもあり、その声量と響きの美しさは独特の魅力がある。この作品後、やや耽美に傾いていくが、ここ辺りまでは、踊って歌えるBGMとしても気楽に楽しめる。やっと週末、肩の力を抜くのにほどよいグルーヴ感。小音量でまったりとするのにもなかなかお勧めの1枚である。
pop & rock (russian and other slavic) | - | - | author : miss key
水曜日という日―Z.Kodaly Sonata for cello solo opus 8--Pieter Wispelwey
 水曜という曜日は、月金の仕事を持っている人間にとって、ちょうど山になる日だ。山になるのは、週の頭で片付けきれない仕事と疲れである。ロシア語の水曜日は、確かまん中という意味から来ていたと思ったが、水曜を越すと、その週の予定がなんとかついて、一段落するのだ。

 五月病ではないが、部屋の中でまったりと過ごす時間が、とても幸せに思える。こういう時のチェロの音色は、ヨーヨーではなくて、なぜかウィスペルウェイがぴったりと来る。コダーイの、このあまりにも有名すぎるチェロソナタが、何かのCMに出てきたときは驚いたが、出だしはそのお馴染みのフレーズである。

 ウィスペルウェイは、まだ若いチェロ奏者で、今では第一人者として多くの注目を集めるが、プロモで日本のCDショップの売り場でミニコンサートをするような、気さくな演奏者でもある。コダーイの作品には、アジアとヨーロッパの香りが綯い交ぜになったような文化を感じるが、彼の演奏は、その泥臭さや粘っこさよりも、むしろ洗練されたヨーロッパを感じさせる。その分、聴きやすいといったら怒られるだろうか。まるで梅雨空かと思わせるような夕暮れ。心の襞を、弦の音が心地よく刺激する。意外な癒しの1枚としてぜひお勧めしたい。
others (music) | - | - | author : miss key
音の世界は楽しい―Танцор диско--Дюна
 注文したCDがなかなか届かないので、最近は聴く機会の少なくなっていたアルバムを掘り起こして聴いたりしている。久しぶり聴いてみると、なかなか新鮮で、また違った感想があったりする。CDに収められた音楽は変わらないが、聴く私が変わっている。進歩はないが、歳だけは着実にとっていて、時の経つのが何かを変えている。多分、きっと。

 カメラ弄りも随分と奥の深い楽しい趣味だと思っていたが、音の世界もなかなか楽しい。カメラと違うのは、機械式カメラはどんどんとなくなっていくが、オーディオの世界は、小さなメーカーがいろんな製品を出していたりする。まだまだ、何かが生まれている世界だ。

 今日は、大田区にあるオーディオメーカーから貸し出していただいたピンケーブルで1日音楽三昧だった。透明の被覆に覆われた見た目も美しいケーブルは、その音がどんな風か表現が難しいのだが、音数がいっぱいなのに、自然で平和だ。喧しくなるどころか、どこか包まれるような優しさががあり、聴く者の姿勢を正すような厳しい音とは正反対のものだ。オーディオは奥が深い。電線病と揶揄する向きもあるようだが、このころころと変わる音にハマる人がいても全然不思議ではないと思う。私には先立つものがないので、それ以前に問題があるが(笑)。

 タンツォール・ディスコは、デューナの98年のアルバムで、1曲目の「凧」が耳について離れないほどラジオでよくかかっていた。メンバーが欠けて4人になったころの作品だが、ルィビンのボーカルはどこかとぼけた風情で飄々としている。この後のアルバムから、クラブミュージックを意識した、コミックとは別のノリに変わっていくデューナ。古いファンにはちょっと寂しかったりするが、この4月には新譜も出たので良しとしよう。手元に届いたら、一番に紹介しようと思っている。とにかく、久々の新譜が何よりも待ち遠しい。今日のアルバムは、デューナを知らない方にも、まず最初の1枚として、ぜひお勧めしたい。
pop & rock (russian and other slavic) | - | - | author : miss key