秋風が運ぶもの―Облака--Андрей Губин | 2003.09.29 Monday |
この季節、空気がどんどん透明感を増していく。眩しさの残る光の中、街を歩くのもまた楽しい。モスクワではもう黄金の秋は過ぎたかもしれないが、私がロシア語を習ったベラルーシ出身の先生は、モスクワも良いが、表参道の金色はそれに勝るとも劣らないと、東京の秋をまるで詩を詠うように表現してくださったのを思い出す。秋はやはりセンチメンタルだ。
当時、私はある詩人の作品を、ウクライナ語訳からロシア語に訳すというようなことをしており、その作品には植物の名前が頻出、随分学術的な呼び名のものもあって、彼女の手を煩わすことが少なくなかった。その後、何となく忙殺されて、レッスンも止めてしまったが、今思えば貴重な時だった。
ロシアの詩や歌には、空を流れ行くものを取り上げた作品が多い。ある種の物悲しさからか、或はどこからともなくやって来て、留まることも無く去って行く姿に夢見るようなこともあるかも知れない。マリーニンの「鶴」などは、まさに胸を締め付けるロシアの歌心そのもの。そして、やはりよく出てくるのが「雲」だ。
グービンのオーブラカ(雲)は、アップテンポでノリの良い彼らしい歌。このアルバムは2000年にリリースされているが、曲そのものはもう少し前のようだ。エストラードナヤらしさを残しながら、クラブブームも無視できない、そんな過渡期的なラブソングが今聴けばどこか懐かしい。
この時期、グービンの出すシングルはほとんどヒットチャートに載っていたが、この後、失恋してその痛手が癒えるまでぷっつりとステージから離れてしまったのは有名な話。そんな弱々しさがこの作品では、逆に若さと相俟って魅力であるが、最新作では音楽のクオリティも増してぐっと成長したアルバムを引っさげてのカムバック。そんな彼も、遠く流れる雲を眺め、ぼんやりしたりするのだろうか。私は彼の脱アイドルが少し(否、かなり)残念だったりする。こんなにノレるナンバーを聴いていても、心はどこか寂しい。やっぱり秋なのだ。
当時、私はある詩人の作品を、ウクライナ語訳からロシア語に訳すというようなことをしており、その作品には植物の名前が頻出、随分学術的な呼び名のものもあって、彼女の手を煩わすことが少なくなかった。その後、何となく忙殺されて、レッスンも止めてしまったが、今思えば貴重な時だった。
ロシアの詩や歌には、空を流れ行くものを取り上げた作品が多い。ある種の物悲しさからか、或はどこからともなくやって来て、留まることも無く去って行く姿に夢見るようなこともあるかも知れない。マリーニンの「鶴」などは、まさに胸を締め付けるロシアの歌心そのもの。そして、やはりよく出てくるのが「雲」だ。
グービンのオーブラカ(雲)は、アップテンポでノリの良い彼らしい歌。このアルバムは2000年にリリースされているが、曲そのものはもう少し前のようだ。エストラードナヤらしさを残しながら、クラブブームも無視できない、そんな過渡期的なラブソングが今聴けばどこか懐かしい。
この時期、グービンの出すシングルはほとんどヒットチャートに載っていたが、この後、失恋してその痛手が癒えるまでぷっつりとステージから離れてしまったのは有名な話。そんな弱々しさがこの作品では、逆に若さと相俟って魅力であるが、最新作では音楽のクオリティも増してぐっと成長したアルバムを引っさげてのカムバック。そんな彼も、遠く流れる雲を眺め、ぼんやりしたりするのだろうか。私は彼の脱アイドルが少し(否、かなり)残念だったりする。こんなにノレるナンバーを聴いていても、心はどこか寂しい。やっぱり秋なのだ。
pop & rock (russian and other slavic) | - | - | author : miss key