音の快楽的日常

音、音楽と徒然の日々
オーディオ趣味って―Там, де ти е--Анi Лорак
 先日、オーディオを趣味にしている男性お二人をお招きして、ロシアンポップスを聴いていただいた。サウンドミニパーティといったところか。オーディオマニアの方々は、お互いの家を訪問し、聴きあってよりいい音を追求するといったオフ会を頻繁にやっている。そのオフ会の様子を写真や文章で伝えるサイトも結構あるので、見ていると楽しかったりするが、まさかそういう所で熱心に活動されている方々が家に来られるとは思ってもみなかった。

 それでも、私自身、オーディオが趣味かと聞かれたら、はたと困ってしまう。確かに車が買えるほど機器に投資したので、その事実を捕らえてそう思われても仕方のないところだが、では、果てしなく音の良さを追求するかと問われれば、答えはニェートである。私がここまでお金をかけることができたのは、たまたま気に入った音を出す道具に巡り会えたからに過ぎない。せっかくいい機器を買ったのだから、それを十分生かしたいと思うので、工夫もできる限りしてみようと思っているが、趣味というからには、この先に大きな分岐点があるように思う。

 「女性でこういう趣味の人(機器にここまでお金をかける人)はあまりいませんよね」とよく言われる。確かにそうかもしれない。一部の人からは、オーバーストレスの代償たる買い物症候群だと思われているかもしれない。そうではないのだが、ではなぜ、女性にそういう「趣味」の人は少ないのか。

 一般論として何故そうなのかは私にもわからない。他にもっとお金をかけるところがあると言えばそうだろうし、道具に凝るのはどちらかというと男性の方が多いだろう。私は、職業柄、モノづくりの現場を見せていただく機会が多く、部品の一つ一つが加工され、美しく形が整えられていく様に思わず見とれることも少なくない。特に、金属の手加工は匠の世界であり、美術品の美しさとはまた違った工業製品独特の美があるように思う。
 
 私がオーディオ機器に、結果としてお金をかけたのも、そうしたことと無関係ではない。もっとも、古いカメラを手にとって「梨地加工の良さにうっとりする」というような女性はあまりいないのだろうし、音の良さはもちろんのこと、シャーシの天井に細かな部品が整然と配置されているのがあまりに美しいから、といって月給金額を遥かに上回るアンプを買ったりはしないだろう。そういう意味では、私は俗に言う「3σの外」の人間だという自覚があったりもする。我ながら、謙虚だと思う。違うか?

 アニー・ロラクは、ウクライナの女性ポップスアーティスト。ステージキャリアは既に10年というから、アイドルというほど若くはなさそうだが、アルスーをもっと力強くしたような、芯のある声で歌う様子は、これまでのウクライナの女性ボーカルとキャラクターが異なる。このアルバムは彼女の4枚目のアルバムで、最新盤はさらにもう一枚リミックス盤がリリースされている。

 曲調は80年代ポップスのようなノリで、エストラードナヤファンには安心してお勧めできる。曲の多くは公式サイトで聴けるのでぜひ試してもらいたい。美しい彼女のグラビアも満載だが、お色気だけのアーティストではないので、どうぞお間違いなく。今後要注目の女性ボーカルである。
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働かない働きアリ―What color is love?--Hedvig Hanson
 ヤフーのニュースの見出しにあった、「働かない働きアリ」。アリの研究は世界各国で行われているそうで、どちらかというと、これまでは海外のものが多かったように思う。虫を研究できる場所というと、日本ではかなり限られていて、林業や農業に関連する虫の研究、要するに害虫の研究が中心だったと思う。その昔、虫について勉強できる場所を探したときのことだから、今は事情が違うかもしれないが。

 アリは大勢でコロニーを形成し、集団生活をすることから、よく経営学などの喩えにも持ち出される。これもやはり海外の研究結果によるものだそうだが、良く働くのは全体の2割。可もなく不可もなくというのが6割。残りは働かず、どちらかというとよく働くアリの恩恵に浴しているという。それが、良く働くアリばかりを集めてみると、どうしたことか、同じような割合で、働くやつと働かないやつに分かれてしまうというのだ。

 それを企業組織に例えて、どんなに業績のよい企業でも、利益を上げて貢献しているのは、全体の2割ほどの従業員だという言い方をしている書物があり、思わず吹き出した。その割合は別として、がんばるやつ、さぼるやつ。それはどこにでもいて、持ちつ持たれつであり、そのバランスが微妙に組織を持たせているという考え方は、引っ掛からない訳ではないが、何となくそうかもしれないとも感じる。

 今日のニュースによると、良く働く優秀なアリばかり集めても、コロニーは大きくならないのだという。このことから、働かないアリには何らかの役割があることが予想され、それを調べるのだとか。物凄く時間がかかる、気の遠くなる話だ。連中は人間にわかる言葉も持たなければ、表情にも乏しい。しかしながら、アリの動きをじっと見ていると、何か引き込まれるものを感じる。また、虫眼鏡で覗いてみると、彼等の容姿はなかなか美しく、繊細である。日本語の表現では「アリが群がるように」といった風な、どちらかと言えば後ろ向きなイメージの生き物だが、まるで指揮者のタクトのように滑らかに動く触覚を見ると、アリに魅了され、研究に没頭する人がいることもうなづける。

 Hedvig Hansonというドイツの女性シンガーの新譜を、たまたまアマゾン.DEで買った。1枚買いたいCDがあったが、それだと送料が勿体ないので、同梱用に何枚かジャケットで適当に選んだ中の1枚だが、シャープな顎のラインから想像する声とは異なる、とてもチャーミングなボーカルで意外だった。

 2曲目のAfro Whiteのようなリズミカルな曲もあるが、スローナンバーの方が持ち味を生かせている様子。後ろの演奏も音数が整理されていて、ゆったりと歌に浸ることができる。CDに付いていたコンサート情報を見ると、この11月にドイツ国内主要都市の縦断ツアーをやるようで、ただいま売り出し中といった感じなのか、あるいは国内ではかなり注目されているシンガーなのだろう。合わせ技1枚で間に合わせに選んだCDながら、内容の良さに思わずにっこり。だからジャケ買いは止められないと思わせるお勧めのアルバムである。
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菊の季節にサクラは咲かず―Бiлик Краiна--Ирина Бiлик
 三歳クラシック最終の菊花賞。ネオユニウ゛ァースの三冠がかかった一戦、秋華賞の結果が三冠達成だったので、余計に人気が過熱したかのようなオッズ。二冠とも海外のジョッキーが乗ったのだが、通常の規約なら彼は日本での騎乗は不可能だった。それを、ファンの声に押されてか、JRAが規約を改正し、乗れることになったということもあって、達成を確実視していたファンも少なくなかっただろう。

 私の応援馬はすでに戦線離脱してしまっており、例年に比べ、寂しい菊になってしまった。その馬の乗り役は、サクラプレジデントに騎乗しており、ダービー2着馬の好成績もあって、今日もそこそこの人気。私は、出走馬中一番美しい馬、リンカーン号に注目した。

 彼はグレースアドマイヤという美しい母を持ち、父はサンデーサイレンスという血統。デビュー当初はその血筋もあって人気だったが、体質が弱く、春には喉の手術までした。それが、一夏越えて、体躯は引き締まった筋肉と艶のある毛並みで、秋の陽気に一段と見栄えした。そして白い流星。鞍上は横山典弘だから、ひょっとして、と期待させるものもあった。

 見事三冠達成を阻止したのは、人気のゼンノロブロイでもサクラプレジデントでもなく、アンカツのザッツザプレンティだった。追い縋るネオユニウ゛ァースをさらに千切ってのゴールは、ロングスパートのきく馬の持ち味と乗り役の好判断なのだろう。そして後ろから飛んで来たリンカーンはそのネオを抜いて2着を占めた。素晴らしい末脚だった。奇しくも、1、2着の馬はユタカが乗っていた馬たち。ダービーを三度勝利したジョッキーも、今年は運に恵まれなかったのかもしれない。

 来週の天皇賞には、復活著しいモノポライザーが出走する。ヤネはユタカだ。つまらない厄はしっかり払ってもらって、来週はにっこり笑えるレースを心から期待したい。美しさという点では、リンカーンに一歩も引けを取らない。モノポライザーも三歳クラシックには縁がなかったが、遅咲きなのだと思い、しっかり応援をしたい。

 イリーナ・ビリクの新譜はジャケットの写真も60年代っぽい可愛さ全開の注目盤。全14曲がドゥシャーとセルッツェの2つに分けられている。あまり良い訳ではないが、気持ち(soul,mind)と心(heart)といった感じだろうか。1曲目のダローガ、イントロからいかにも歌謡曲といったノリで始まる。聴く前には、もっとレトロな曲調が多いのではと思ったのだが、流行を意識したアレンジの曲が目立つ。でも、前半の7曲はすっきりとまとまり、メロディも美しい。残念なのは、エフェクト過多で、彼女の持つ声の素朴さをみつけるのは少々難しくなっている点。

 ウクライナのCDは作られる量が知れているのか、すぐに品切れてしまう。この間も、気に入ったという友人のためにオーダーしようと思ったら、すでにSold Out。もう少し手に入れるのが楽になると、もっと紹介したいCDもあるのだが、かの国の流通が落ち着くまでには、なかなか時間がかかりそうであり、残念に思う今日この頃である。
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小料理屋も揺れる怒濤の三連勝―Here's that rainy day--Peter Fessler
 日本シリーズは、阪神が盛りかえして俄然面白くなって来た。そんな第5戦だからどうしても見たかったのだが、仕事の都合でTVの前に陣取る訳にも行かず、どこかで試合の経過を知ることができないかと思いつつ、帰宅の道を急いでいたら、いつもはひっそりとしていた小さな料理屋が、建物ごと揺れているのではないかという程、客の興奮が外に漏れ出していた。

 どんなニュースよりも分かりやすい、阪神の3勝目であった。

 その店は、こう言っては悪いが、見た目も古くてあまり綺麗とは言えない、町場の飲み屋という表現の方がしっくりくる店である。店前には、これまた薄汚れたタイガースグッズの暖簾が掛けられていた。きっと、前回の、つまり18年前からずっと洗わずに掛かっているのではないか。トラキチの店主が験を担いでいるに違いない。

 よく考えれば、もうとっくに試合は終わっている時間。ビデオ録画かなにかで、名場面をリプレイして、その喜びを何度も味わっているのかもしれないが、ファンとは本当に有難いものだとつくづく思う。私の両親は田舎に健在であるが、一族郎党そろってトラキチであるため、2連敗時には不機嫌と落ち込みで病気になるのではと心配した。が、ここにきて見事な3連勝で、実家も割れんばかりの歓喜に湧いていた。電話をしてみたら、犬まで興奮して騒いでいたので、どれほど父と母が騒いだか、想像がつくというものだ(笑)。

 それにしても、疲労と興奮の一週間で、本当にくたびれてしまったので、今日はひたすら癒される美しいボーカルをチョイス。ピーター・フェスラーはドイツのジャズ歌手で、ギターの弾き語りである。その声は、アル・ジャロウに似ている気もするが、もっと繊細で陰影が描きわけられた独特の世界である。スタンダードナンバーのアレンジも魅力的だが、最近の彼はオリジナルにも力を入れているとか。

 このアルバムは、これまでの5枚のアルバムから再編集された、ベスト盤のような作品である。一番古いものは96年のリリースなので、才能が高く評価されている割りには、それほど録音のチャンスに恵まれなかったようだ。私は偶然、ドイツのアマゾンコムで彼のことを知ったが、今回のアルバムは日本のレーベルから出ている。4オクターブを自在に操る彼のボーカルは、一聴して好き嫌いが分かれるだろうが、部屋を温かくして、一日の疲れを癒すひとときにはぴったりのBGMである。特に女性のリスナーにお勧めしたい注目の一枚である。
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初めが肝心―El Diablo Suelto--John Williams
 竜王戦がとうとう始まった。初めての永世称号がかかった7番勝負。ある種名人戦よりも酷な対局が続くタイトル戦で、指す棋士は勿論のこと、周囲を取り巻くプロやアマ、そして私のような単なるファンまでを呑み込んで、これほどまでに人間は集中と緊張が続くものかと唖然とする対局と観戦が続く。

 先に4つ勝った方がタイトルを掌中に収めるのは、今ライブでやっている野球の日本シリーズと同じこと。私は羽生名人のファンであるので、ここ数年の竜王戦は、年中行事でもあり、またダービーに次ぐ一大イベントとして、体力気力を大いに消耗させている(苦笑)。

 昨日今日の第1局は後手挑戦者の森内九段が勝った。初日から積極的な攻めを見せた竜王の姿勢は、控え室で検討するプロをしても優勢かと思われていたが、やはり最新の研究と研究のぶつかり合い、そう簡単ではなかったということだ。私が気になるのは、やはり初戦を制する者はタイトルを制すではないが、それだけ最初が肝心だということをデータも示している点だ。また、数多くの前例を覆して人々を魅了してきた名人だから、そんな過去の積算はあまり意味をなさないとも思いたい。

 今日は少し物悲しいギターの音色で楽しみたい。キングの称号を持つギタリスト、ジョン・ウィリアムズの最新盤、エル・ディアブロ・スエルト〜解き放たれた悪魔である。タイトルは少々物々しいが、ベネズエラの名曲を集めた宝石箱のような仕上がりである。演奏はギターとクアトロという当地の民族楽器による。その名から想像できる通り、4弦の小さなギターのような楽器だそうである。

 ブックレットによると、ベネズエラという国名には、小さなウ゛ェニスという意味があるのだとか。南米の音楽にテーマを置いた作品は、いろいろ出ていると思うが、私のライブラリの作品はどれも素朴で、どこか物悲しい。このことを解説者は、南米らしいセンティミエント(情感)と表現しているが、どうやらその「物悲しさ」は南米音楽を貫く一つの柱になっているようだ。

 このアルバムは、大きなCD店に置かれている通信型の試聴機でさわりの部分だけ聴くことができる。お勧めは5曲目のNo me olvides(私を忘れないで)と9曲目のCanticoである。いかにも秋らしいメランコリックなギターの調べ。一人物思いに耽りたい、そんな夜にぴったりの一枚である。
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自然がいい―Натура--Скрябiн
 自然でいること、それは言うほど簡単ではないなと感じている。言葉を替えれば、自分らしくあること。らしさ、というものを常々大事にしたいと思ってやってきたが、自分なりの物差しが揺らぐほど世の中の変化は激しく、突然座り込んで耳を塞ぎたくなるような衝動に駆られる。

 最近、中高年層の鬱病罹患数が増えているそうだ。無理もない、と思う。その一方で、人はどんどん自分中心になってきているような気がする。些細なことだが、例えば混み合う朝の通勤列車の中。以前は、若い人に相手への気遣いのない態度をよくみかけたが、今はあまり年齢や性別は関係ないように思う。今日などは、きちんとしたスーツを着込んだ中年男性だったが、荷物を棚に上げたいからと、隣り合う人の顔や肩に荷物をぶつけながら一言の詫びもない傍若無人ぶりに、どんなに疲れていてもこうはなりたくないと思ったものだ。

 傍若無人といえば、一昔前は中年女性の専売特許であった。オバタリアンなどという造語まで生まれ、ある種のサブカルチャーであるかのように論される様子を、笑いのネタに出来た頃などまだいい時代だったのだ。

 話題がそれたが、私は、日々何か見えない力に流されつつある自分を危惧しつつ、終わりのない自分探しの旅をしているようだ。その時々に気に入る音楽は、旅の羅針盤のようなものでもあり、それは時に私を励まし、時に立ち止まらせもする。音楽と切っても切れない生活を、痛感する毎日。

 スクリャービンはウクライナの6人グループ。前作は少々キャッチーでどこに狙いを定めているのか掴みかねる音だったが、今回は、なんとメロディの優しいこと!何かやりたい音楽が見つかって安心に満ちているような、余分な力が一切入っていない好盤である。

 ナトゥーラは、ロシア語で、古くは自然という意味をもち、あるいは現実を意味する言葉である。スクリャービンのアルバムは全部で何枚出ているか不明だが、今回を含めて3枚聴いた限りでは、このナトゥーラが今の時点で最も彼等らしいサウンドではないかという気がする。出したい音が形になっているときは、歌の文句がわからなくても、すごくストレートに伝わるものだ。

 同じウクライナのバンドでも、始まりは似たような感じだったが、今は全く異なる方向性をもったオケアン・エリズィと比べると、好みが分かれるだろうが、たとえば、ムーミィ・トローリのノリが嫌いじゃ無い方には、まず一押しできるアルバム。ヒットしているのか、新譜なのにやや入手困難なのが辛いところだが、それを押してもお勧めする値打ちのあるアルバムである。ぜひお聴きいただきたい。
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先が見えないから―Nostra--Глюкоза
 なかなか明るさが見えない市況、という点ではロシアも日本もあまり変わらない。経済の混乱が長引くと、人々にもだんだんと期待が持てなくなってくる。私自身も、直近で解雇されるようなことはないものの、収入を維持するのが精いっぱいで、多分来年は下がってしまうだろう。仕事は、効率という看板を掲げた表面的な管理のために、数字ばかりが要求され、自分自身のモラールアップすら苦しい。

 先日参加したセミナーでは、世帯年収400万円層が消費の主流になる時代がやがて来るというショックな話を聞いた。これは可処分所得ではなく、税等込みの収入である。そこから必要な固定費を除くと、一体いくらが自由になる金額なのか。勇気のある方は計算してみて欲しい。セミナーのテーマは、そうした客層を相手に市場や流通はどう変わっていくのか、或はどう対応していくべきかというものだったが、私の頭は「400万円」の瞬間に停止してしまい、使い物にならなくなった。

 今年は、度重なるノルマ漬けに体が先に悲鳴を上げてしまい、かなりキツいシーズンになった。だから、海外に出かけたりせず、家の中の環境を良くするよう、心掛けた。部屋の中には、自分の好きなものだけしか置かないし、食事も満足に摂れない体調のため、栄養代わりに音楽を楽しく聴けるよう装置とソフトにお金をうんとかけた。今こうして日記など書いていられるのは、それらのおかげだと思っている。

 グリュコザは正体不明のユニットで、ボーカルの女性はナターシャと呼ばれている。アルバムNostraは1stであるが、3曲目のニウ゛ェースタが大ヒットして一躍有名になった。曲のノリ自体は、ベンチャーズのようなのんびりとしたズンチャカ系なのだが、エフェクトのかけ方が独特で、元の声が分からない位、歌は歪めてある。ナターシャは、アガタ・クリスチーやムーミィ・トローリをよく聴いていたそうだが、サウンドは全く別のものだ。

 ただ、一回聴くと癖になる。人によっては「変態サウンド」などと言ったりもするが、ワンパターンのようでなかなか奥が深いと思う。子供が聴いたら、面白がってすぐ覚えてしまうようなメロディワークである。ここ1年はウンデルウ゛ートといい、なぜ魅了されるのか不条理なほどのアーティストがポコポコ出ている。財布の中身はどんどん寂しくなるが、楽しみな音楽シーンが来年も続くよう期待したいと思う。
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駅裏にも―Горьний шоколад--Любовь Успенская
 私が日頃通勤で利用する駅は、うらぶれたホテル街に隣接している。この季節、陽が落ちるのが早くなると、一層ネオンの赤や青が目に焼き付くようだ。そんな駅裏で、毎日のようにポケットティシュを配る青年が立っている。古い街灯のちらつく下で、夏の暑い夜も、雨の日も。

 そのティシュには駅から少し離れたホテルの割引券が付いていて、おそらく、彼はそのホテルに雇われたアルバイトなのだろう。私はここに移り住んでもう4年になろうとしているが、ずっと同じ人物が変わらずに配っている。そんな風だから、何か事情があるのかも知れない、とか余計なことを想像しつつ、いつからか私は欠かさず彼の手からティシュを受け取るようになった。

 彼は申し訳なさそうに、そのティシュにまるで要の無さそうな私に手渡すのだった。目を伏せて。青白い表情の彼は、大きなターミナル駅の周りでティシュを配る人たちのように、何かノルマに追われる風でもなく、大きな声を張り上げるでもない。

 そんな彼が、最近、「おつかれさまでした」と小声で言葉を添えてくれるようになった。私は思わずはっとした―日々そんな風にティシュを配り続けるなんて、と関心を持っていたのは私だけではなかったのだ。都会の雑踏の中で、まさか顔を覚えてもらえるなどとは思わず、その「おつかれさま」の一言が素直に嬉しかった。

 でかでかと割引券の入ったティシュを受け取るのは、さすがに気が引けるから、きっと捌けずに困る日もあるだろう。「お客の数が読める」というのは、どんな些細なことでも有難いもので、その気持ちは私にもよくわかるのだ。

 互いの背景も事情も何も知る由もない。それでも、関わりあいというものはあるものなのだ。上京して10数年、私は東京という街をそういう風にみたことはただの一度も無かった。彼にはそんな意図はないのかも知れないが、私はその彼の言葉に、改めて都会に暮らすことの意味を考え直している。何気ない言葉の持つ力は、意外に、大きい。

 少し引いた距離から眺めるような恋を歌わせたら多分彼女が一番、もちろん情熱的な愛も・・・というのがリューバ・ウスピェーンスカヤだ。乾いた声音で、独特の強弱の付け方をする。例えば、イリーナ・アレグローワのロシアン・ゴージャスに対し、リューバの歌は何と渋いのか。同じ「酸いも甘いも」の世界ながら、描く色合いの何と異なることか。

 お勧めは1曲目の表題曲。シングルカットでヒットしたナンバーだが、濃い歌詞をさらっと歌うあたり、いかにもリューバらしい。そして、2曲あるデュエットのうち、ソソとの「シーリニェイ・チェム・プレージェ」はお聴き逃しなく。

 私と「彼」との距離感は、リューバの歌う恋歌にも似ている。彼にも聴かせてあげたいと思いつつ、それはきっと「ルール違反」なのだろう。私も少しは都会の流儀に馴染んできたのだろうか。或はただの勘違いだろうか。いずれにせよ、一人ごちる秋夜の風が心地よい。今日もいい一日だった。
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世代交代?―Украiнськi пiсеннi перлини--Таiсiя Повалiй
 今、将棋の王座戦最終局の真っ最中。中継から逃げるようにしてこの日記を書いている。胃が本当に痛くて堪らない。戦局に興味のある方は、日経新聞のトップページから中継に入って見ていただくとして、第1局から感じていたのは、いよいよ世代交代が始まりつつあるのか、ということだ。

 挑戦者である渡辺さんは、羽生さん以降出そうで出なかった次世代の名人候補。若くしてプロ入りを果たし、将来を約束されたようなデビューだったが、その後一時足踏みをするような感じであった。しかし、それは単に、力をぐっと貯めている時期だったのだろうか。

 羽生さんがトップ棋士へ駆け上がるようにして次々とタイトルをものしていった時のことを思い出す。時に、谷川時代が始まってまだ間もない時。頂点を極める棋士の交代劇は、そう頻繁にあるものではなく、やはり10年に1人出るか出ないかといわれるほどの才能をもって、初めて実現するものと思う。しかし谷川時代はそう長くは続かなかった。あまりにも羽生さんの勢いが凄まじかったからである。若さを武器にした勢いと勝負への執念。

 そして、今立場を代えて、羽生名人は渡辺さんの挑戦を正面から受け止めている。途中、勝ちの見えていた対局を落としたのは、やはりチャレンジャーの勢いと情熱に一瞬の戸惑いがあったというのは言い過ぎだろうか。今日の対局も、まだ結果は出ていないが、夕方までは、いよいよ世代交代の時かと思わせるような局面が続いていた。さて、その結果はいかに。

 日曜のテレビ対局の解説で、谷川王位が語る羽生名人は、好奇心旺盛で、探究心に溢れるというものであった。勝負への執着よりは、探究すること。羽生さんの将棋を極めようとする姿勢に魅了されているファンは少なくない。しかし、まだまだ頂上にいて、その鮮やかな指し手をファンに披露し続けて欲しいと私は願う。

 独断と偏見を許していただければ、今日の最終局、やはり勝ちは名人にありと見る。本当の厳しい場面で一瞬の弛みを咎めることのできる勝負手が、きっとまだあるはず。

 と、興奮とめどもない心を落ち着けてくれる一枚が、タイーシャ・ポウ゛ァリーのウクライナ民謡集。語弊を恐れずいえば、彼女はウクライナ美人の決定版のような女性で、その歌唱もすばらしい。特に、伴奏なしの歌のみの曲が数曲収められているが、響きの素朴さは、どこまでも広がるウクライナの平原を思い起こさせてくれる。黄金に作物の穣る大地と澄み切った青空。また選曲も、重くなり過ぎないよう配慮されているのか、普通にポップスを聴く感覚で楽しめるのも嬉しい。どなたにでもお勧めできる好盤である。

 ※ウクライナ語のアルファベットiの点が2つの文字が表示できないので、iにて代用し、タイトル等を表記しています。
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CD整理の1日―カリンニコフ交響曲第1番・第2番--アシュケナージ指揮・アイスランド交響楽団
 突然大雨になったりと不安定な1日。梅雨の終わり頃のように蒸し暑く、CDを整理するには最悪のコンディションだったが、この間のように聴きたいタイトルを捜しまわるようなことのないよう、少し整理をすることにした。

 去年までに購入したものは、だいたいジャンル別にアーティストのアルファベット順に並んでいるのでおおまかには大丈夫なのだが、全然聴かなくて箱にしまってあったり、或は手元のCDタワーに紛れ込んでいると、探すのがかなり面倒になっている。また今年に入って、オーディオをグレードアップしたせいか、CD の増加速度がアップしており、またジャンルもこれまでに比べて広がっているので、いままでの整理の仕方が通用しなくなっている。

 どうしてそんなにたくさんCDを買うんですか、という質問が時々来る。なぜ増えるかということなのだろうが、答えは単純だ。聴いてよかったタイトルと関連づけて、興味が縦に横にと広がっていくからである。同じアーティストの他のアルバムを聴いたり、特殊な楽器であればその楽器を使った演奏の録音を探したり、あるいは同時期の同じジャンルで有名だったアルバムなどを拾ったりと、際限なく広がって行く。特にジャズやクラシックなら、自分の好きな曲を別の演奏者で聴きたいというのはごく自然であり、今日の1枚も、同様の理由で当然のように買い求めた。

 カリンニコフは夭逝の作曲家で、一般に出ているのはシンフォニーの1番と2番くらいだ。ひょっとしてこの2曲しかないのかも知れないが、私はどちらもすごく気に入っている。これまた理由は単純で、どこをどう切ってもロシアを感じさせてくれるからだ。このアルバムは、アシュケナージが亡命時に滞在したアイスランドの楽団を率いてのもの。アシュケナージのロシアへの望郷の念が静かに滲み出るような演奏は、同曲の何枚もの録音のなかでも、特に印象深い。

 アシュケナージの中には、彼自身曰く、ロシアそのものがある。それは、私自身が小さい頃から魅了されて止まないロシアだ。「根」或は演奏者の持つ文化的背景をはっきりと感じさせる演奏は、単に技術的に優れた演奏を軽く超越するのではないかと思ったりもする。ロシアとは一体何なのか―その答えは確かにあるのだろうということを感じさせてくれる魅力の1枚である。
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