音の快楽的日常

音、音楽と徒然の日々
全面禁煙の国―Lovers-Ballad Hits & Sweet Melodies
 この29日から、国中の職場や飲食店など人の集まる室内での全面禁煙が施行されるという。一体どこかと思いきや、意外や意外、アイルランドであった。私の彼の国のイメージとは、ギネスバーでタバコの煙りがチェーンを作っているような中で、がんがん水の如く黒ビールを呑む男達が集い、語るというもので、およそ「全面禁煙」とは縁がなさそうな感じがして驚いた。しかも罰金の最高額が3000ユーロというから気合いが入っている。

 私は鼻炎とアレルギーがあるのでタバコは苦手であり、できれば吸わないでいて貰いたい側の一人であるが、それにしても、全面禁煙ともなると経済にも影響があり、単に健康上のことだけでは決まらないように思う―日本では少々無理があるだろう。路上喫煙を禁じたエリアがあるというだけでニュースになったりトラブルが生じたりするくらいだ―その背景には年間7000人ものタバコの害に関連した死亡者が出ているという、統計的裏づけがあるとのことだ。

 何でも、アメリカはニューヨーク州でも同様の法律があるそうで、世界規模ではそうした動きに追随する国も出始めているという。私はもちろんそういう傾向には大賛成だ。今日なども買物の途中で喫茶店に寄ったのだが、店鋪が狭いだけに禁煙席も狭く、結局煙が流れてくる。美味しいカフェラテだったのに、残念だった。タバコの煙の苦手な人間にとっては、タバコの臭いがするだけでも食事がまずくなるということを、愛煙家の方はなかなか理解しづらいとは思うが、せめて食事の場所ではきっちりと分煙してもらえると私のような人間は飲食店の利用機会も増えるだろうと思う。

 3月最後の日曜ともあって、出かけた秋葉原は人で一杯だった。そこでふと立ち寄ったCD店でたまたま試聴して気に入ったのが今日のオムニバスCDである。最近では珍しくもない企画盤だが、私にとっては涙がでそうな懐かしのバラード集で、ホイットニー・ヒューストンやバリー・マニロウなど、63年から99年までのヒット曲をエイッと集めた内容の濃いアルバムである。

 何と言っても、NilssonのWithout You。いろんなアーティストがカバーしていてどれがオリジナルか知らなかった私であるが、この曲は、私がよく聞いていたラジオの深夜放送「ヤングタウン」金曜日のエンディングテーマ。ラジオ小僧だった私は、10代の頃の思い出の曲というと、たいていラジオで聞いたものばかりだが、特にWithout Youは歌手や歌詞の内容を毎日放送に問い合わせたりしたほどの曲だった。

 その他、70年代のナンバーでは、メリッサ・マンチェスターやダリル・ホール&ジョン・オーツなど、聴けば多分耳が覚えているような曲が目白押し。先日書いた異動の件で胃の痛い週末だったのが、この一枚の音楽で随分と気持ちが明るくなった。タイトル通り好きな人といっしょに聴いて良し、あるいは同年代の方にリフレッシュBGMとしてお勧めできる充実の1枚である。
pop & rock | - | - | author : miss key
異動の季節―Autumn Leaves - the songs of Johnny Mercer--Jacintha
 桜の花が咲く頃になると、私のような組織に所属している者は何かと慌しくなる。春は何と言っても一年の区切り、配置換えの季節である。私は偶然にも3年ローテーションで仕事の中身がガラッと変わってきたので、その3年の区切りの今春は、特に気忙しい。

 配置替えに適材適所とはいうものの、私の事務所をみてみればおよそ理想からは遠く、人不足ゆえ私もこの3年間は最も不得手であろう営業業務に就いていた。隣の芝は青く見える、ではないが、今の仕事から替われるのであれば、別に何だっていい、そういう気持ちでいる。春という絶好の季節を迎えるにはあまりにも気持ちが澱んでいて、自分でもこれではいけないと反省する。もちろん、変化を受け入れていこうという気持ちに変わりはないが、その動機は決して「前向き」とは言えない(笑)。

 では、自分のモチベーションをどうやって上げるのか。若い頃―例えば20代の頃は、友人と会って美味しいものを食べたりおしゃべりしたりすることで十分に刺激が得られたし、本もかなり読んだ。30代前半は、まだ海外「逃避」旅行でもすれば、まあ半年はがんばりが続いたものだった。しかし、今はどうだろう。自分という人間を誰よりも理解している私自身でさえ御し難いと感じることがあるほどに、気難しさとこだわりが私の中に同居して、どうも一筋縄でいかなくなっている。ごまかしが通用していた若い頃と比べると、かえって面倒だ。自分に面と向かって話をするのが、面倒だなんて!

 4月は私の誕生月でもある。歳を重ねると同時に、新たな仕事もスタートを切る。より気持ちが改まりやすい条件のはずが、無意識のうちに何かプレッシャーでも感じているのだろうか。おおっぴらに失敗できて、それが肥しになることが楽しいとさえ感じた20代を振り返るにつけ、今は、経験から身についた慎重さが逆に邪魔になっている。挑戦、とまではいかなくとも、思い切った行動を取れる「てこ」のようなものが、今の私には欠けている。私にとってその「てこ」とは何だろう。

 ふと思えば、時間が全くないわけでもなく、お金も多少はあって、好きな音楽を聴いたり旅行をしたりできる。信頼できる友人や趣味の世界での人との出会いも多い方だろう。仕事も安定している。要するに、満たされすぎて、目の前にぶら下げるべきニンジンが見つからない、それが今の私だ。不況の一方で、金満などと称される日本という国の中で、私と似たような状況の人は少なくないのではないか。生活にこれといった不満はないが、目標がもてないことの漠とした不安。じっとしていることのできない性格にうんざりしながらも、そうやって前進することに生きる悦びを感じる私のような人間には、辰巳ヨシヒロの描いた「ガラスの中のコップ」の太陽のように、渇望さえ感じるほどに強く求めるものが欲しい。

 そんなこんなでここ数日、まるで体の中の時計の音が聞こえるようで、どうも落ち着かない。そんなときを狙ったかのようにプレゼントされた素晴らしいレコードが、今日のBGM、ジャシンタの枯葉である。この作品は評判も高く、そこここで書き尽くされているからここでは特に紹介しないが、彼女の歌声はほんとうに魅惑的である。ただ美しいだけでもなく、伸びやかというだけでもない、彼女の音楽を深く印象付ける力を持った豊かな響き。

 このアルバムは通常のCDの他、SACDとこのレコードの3パターンで入手できる。SACDもおそらく素晴らしいと思うが、レコードには45回転のボーナス盤が付いていて、通常の33回転よりも更に高音質とあって、彼女の歌を十二分に堪能できる、素晴らしい企画である。お勧めし難いといえば、価格の面だけであるが、録音の良い分、このレーベルから出ている他のアルバムも含め、やや高価である。もっとも、このレコードを手にとって見れば、その質感から高価であるも致し方無しと納得できるものがあるだろう。

 何事も急いては仕損じる。昔の人は本当に巧く表現したものだと痛感しつつ、焦りを別のエネルギーに代えて彩りのある春を迎えたいと思う。春なのになぜ「枯葉」というなかれ。私同様に落ち着かない区切りを迎える貴女に聴いてもらいたい1枚である。
よもやま | - | - | author : miss key
春がまだ遠くて―Isn't it romantic?--Gianni Basso ・Renato Sellani
 ハルウララへの騎乗を巡り、ジョッキーも随分と周囲の思惑に振り回されて苦言をこぼす一幕もあったが、今日無事に、高知競馬の件のレースは終了した。彼女の結果は10着。追っていいところなしだったようだ。ちなみに、肝心の重賞、黒船賞はノボトゥルーが2着に終わり、ユタカとしては複雑な一日だったに違いない。メインレースよりも話題のある一般レース。滅多にあるものじゃない。

 確かに話題性という点では、彼女は今ナンバーワンの競走馬だろう。これといったスターホースが不在の中央競馬を後目に、日頃競馬の話題などない新聞や雑誌までが書き立てる人気ぶり。おまけに、先日亡くなられたいかりや長介氏が、ウララ号の映画化に際しては調教師役をと請われていたとのこと。天国からの後押しなどと囃し立てられては、ジョッキーもさぞ乗りづらかっただろう。

 競馬と言えば、なんといっても昨日の両重賞が面白かった。私はサウンドパーティに参加していてテレビ観戦できず、ビデオ録画でレースの様子を見たが、中山では、一体何処にそんなギアを隠していたのかというような終いの切れ味を見せたブラックタイドに対し、2強の一角、アンカツ鞍上のザッツザプレンティをゴール前でねじ伏せるようにして勝ったリンカーンには、ホッとすると同時にこれからの期待にワクワクした。

 ブラックタイドの方は、いかにもサンデーの仔という姿形で、ユタカに「サンデーの黒い馬は走る」と言わせる素質馬。でもやはりサンデーの仔らしく、気難しさがあるようだ。父そっくりというとフジキセキを思い出すが、彼はゴーサインに反応が良すぎたためにかえって脚を故障してしまった。長く現役で走ろうと思えば、ゆとりや遊びのようなものがある馬でないと難しいと私は感じているので、そういう意味でも、いつギアが入るかわからない彼にはハラハラしつつ、すっかり魅了されている。

 そして、私が今年最も気になる牡馬であるリンカーンは、喉頭蓋(こうとうがい)エントラップメントという奇病を克服しての復活劇で、この勝利が1年ぶりの勝ち星である。もう2着はいらない、彼には勝利こそが相応しい。伝統の阪神大賞典を勝った馬達はそれこそキラ星の如く、ファンの記憶に残る名馬揃い。これで春の天皇賞に大きく歩を進めたリンカーン号。とにかく無事に行ってもらいたい、ファンとしてはただそれだけを祈りたい。

 ハルウララが初勝利していよいよ春到来と行きたいところだったが、そうが問屋は卸さない(笑)。内心どうなることかと期待していた私は、寒い中の営業疲れもあって脱力。そんなときには、沁みる音色のジャンニ・バッソのテナーがしっくりくる。ジャンニは日本でも人気のダスコ・ゴイコウ゛ィッチとの共演でも知られるが、母国イタリアでは数多くのリーダー作をリリースしている。ちなみに今日のIsn't・・・はフィロロジ―から出ていて、ピアノとのデュオというシンプルな構成だけに、ジャンニのメロディワークが光る。いぶし銀という言い方があるが、そういう一言で終わりたくないと思わせる何かが彼の演奏にはあると思う。おすすめは、12曲目、I remember Clifford。じっと静かに目を閉じて聴いていただきたい、珠玉の1曲。この演奏のためだけでも買う値打ちのあるアルバムである。
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神経を取る―In Paradium--The Hilliard Ensemble/Music of Victoria and Palestrina
 いきなり何のことかと思われただろう。先週の日曜にホワイトデーで貰ったチョコレートを食べたら、いきなり奥歯に酷い痛みが走った。背中にまで響くような強い痛み。鏡で口中を覗いてはみるものの、これといって変化は見当たらず、気になることといえば、前回の虫歯治療で詰めた金属の端に、ほんの小さな穴というか隙間があいていることぐらいだった。つまようじの先が入るか入らないかという程度のものだが、おそらくはこの穴からチョコがしみたに違いない。

 医者嫌いではないが、先端恐怖症である私は歯医者が苦手である。おまけに麻酔の効きにくい体質ときているから、医者だって私のような患者の処置は嫌に違いない。以前、親知らずを抜歯するときに、歯肉と骨を削って穿り出すという作業を避けて通れず、その医者からは次は大学病院に行くように言われた―麻酔が5分ほどで切れてしまい、あまりの痛みで体が動いて危険だし、かといって出血が酷く、途中で止めるわけにもいかない。痛みに耐えること2時間、処置は何とか終了。更に止血のため1時間以上留め置かれたが、私の親知らずは何とか取ることができた。汗だくになっての執刀をしてくれた先生には海より深く感謝している。これは本音だ。

 話がそれたが、件の歯はやはり虫歯になっており、デジカメで撮影された虫歯で腐った黒い部分を見せられ、思わず気分が悪くなった。それはすぐ丁寧に削り取られたが、神経の鎮静剤を入れられ様子をみたものの、やはり痛みはとれず、本日の神経を抜く処置となった。おまけに麻酔を十分にかけるため、7箇所以上も注射をされた。注射するときの痛みはたいしたことがないが、麻酔が取れる過程で疼く感じが何とも嫌である。この日記を書いている時には、処置から7時間以上も経過しているのに、まだ疼く。歯は大切にするに越したことはない。当たり前のことを痛感した1日であった。

 そんな神経が磨り減る一日の締めくくりに選んだBGMは、ヒリアードアンサンブルの「楽園へ」。ECMからリリースされた一連の作品の中の1枚だが、静けさと穏やかな光が写し込まれたジャケットが美しい。クラシックの苦手な私だが、声フェチであるがゆえに、古楽の合唱系のものは時折聴いている。特に、テノールのカウ゛ィ−クランプの声はとりわけ魅力的で、癖のあるその響きはヒリアードに欠かせないスパイスだと思う。

 歯というか歯茎が疼くので、できるだけ刺激がなく、響きの穏やかで美しい音楽がいいなと思ったら、自然にこのCDに手が伸びた。このアルバムに収められているのは17世紀のフランスのレクイエムで、複数の歌い手によって紡ぎ出される響きは、まさにタイトル通りの癒しそのものである。歯が痛いと落ち着かないが、これで今夜はなんとか眠れそうである。お勧めである。
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ナルコレプシーに特効薬―引き潮--谷村新司
 今朝の新聞やテレビのニュースを見て、ナルコレプシーという聞き慣れない言葉に、おやと思われた方もおられたと思う。ナルコレプシーとは、日中に突然深い眠りに陥る睡眠障害のことで、れっきとした病気である。以前はこの病気の存在自体がはっきりしていなかったために、罹患者が「怠けている」と誤解されたりして職を解雇されたり、様々な場面で社会生活に大きな影響のあったものである。

 聞き慣れないからごく珍しい病気かと思いきや、意外に罹患率が高く、国内の患者数も潜在数を入れればかなりのものらしい。かくいう私も、ナルコレプシーではないものの、夜中に何度も目を覚まし、俗に言う金縛り症状があまりにも頻繁におこるので、クリニックで診察を受けたことがあり、とても他人事には思えない。確か、作家の阿佐田哲也(色川武大)氏もこの病気で苦しんだということを聞いたことがある。道で歩いていてもバタンと倒れこんで寝込んでしまうというから、その辛さは想像を絶する。

 これまでは、ナルコレプシーについては、覚せい剤―もちろん薬用としての―を使って対処療法的に治療が行われてきたが、ナルコレプシーの重い症状を抱える人にとっては気休めにしかならなかっただろう。そんなことも、本人の怠慢とか精神論(やる気がない)に終始していた原因の一つではないかと思う。
 
 そんな悩みを抱える患者に彼方アメリカはテキサスより朗報が届いた。脳内で分泌されるタンパク質のオレキシンという成分がナルコレプシーの治療に役立つ物質だと解明されたとのことである。研究チームは、食欲促進物質であるオレキシンが浅い睡眠状態であるレム睡眠などを調整する脳内物質であることを突き止めた。また、ナルコレプシーの患者の95%でオレキシンが欠乏していることが明らかになっており、今回の成果は同病の根治につながる画期的なものとなりそうだ。

 翻って、春眠暁を覚えずというが、春先というのはなぜにこうも眠いのか。寝不足になりがちな生活ではあるが、それにしても日々昼休憩後に襲ってくる睡魔との闘い(笑)。私の場合は、幼児体質なのか、食後は酷く眠いので、仕事のタイミングによっては食事を抜いたりすることも少なくない。俗に言う過眠傾向が強いのだが、逆に、人によってはかなりの短い時間の睡眠を断続的に取ることで間に合うというからうらやましい限りである。

 短い時間で効率よく必要な睡眠が取れるのが一番だが、眠ること自体愉しみがあったりするから、単に時間の長短だけでは語れない。もちろん言うまでもなく、夜眠るのと昼寝とはその気持ち良さの質が異なり、私は昼日中の明るい時間に窓から少し風を入れながら取る昼寝が大好きである。一方、睡眠導入材として欠かせない音楽もその余興の一つであり、今日は日頃、夜のおともだち的に活用しているライブラリから谷村新司の3rdアルバム、引き潮を選んだ。

 何故引き潮なのか。色川名義で書かれた「離婚」という(これもうろ覚えだ)小説のことを思い出したら、芋づる式に連想されたのが、谷村新司だった。人によっては彼の声は色っぽさを越えて少々猥褻な感じに聴こえるというが、私はあまりそういう風に感じたこともなく、ニューミュージックを聴き始めた頃からのファンである。フォークでもなく、ロックでもなくということで、ニューミュージックという新しいジャンルで呼ばれていたが、アリスではなく、彼のソロワークで言うと、演歌とかシャンソンとかに近いように思う。事実、4枚目以降もどんどんとその色彩を強めていき、彼は自らシャンソンを意識して歌うようになったと後に語っていた。

 この「引き潮」には、喉の乾きを感じさせるラブソングと、どこか俯瞰的に恋愛を眺めて歌う曲が交雑していて、10代の私にはまばゆい世界であったが、今はただひたすらに耳に心地よい音楽として疲れた夜に愉しんでいる。特に「暗い桟橋」はカラオケで歌えるような類いの歌とは一線を画した谷村ワールド。できればCDではなくレコードで聴いてもらいたいが、なかなか手に入らないと思うので、廉価版音蔵シリーズのCDが手ごろでお勧めしやすい。私が彼を追い掛けたのはアルバムJADE(ジェイド)までだが、旨い具合に力が入っているという意味で、今日の引き潮を一押ししたい。OL同志にお勧めしたい夜の媚薬の一枚である。
pop & rock | - | - | author : miss key
Hal's RecordsでCandyと出逢う―Candy--Chet Baker
 Chet Bakerの音源で、CDでリリースされていないものをレコードで集め始めてから早4か月。私は何でも「集中的」にやってしまう質なので、モノの収集には随分と負担がかかるが、それでも、廃盤店のご主人達曰く「いよいよレコードが出てこなくなった」とおっしゃっているので、そうのんびり構えている訳にもいかない。出逢ったときが吉日、である。

 Candyという曲がある。如何にも女の子受けしそうな歌詞とメロディラインに、これまた如何にもChetが歌っていそうなナンバーなのだが、それが、実は知る限りはたった1枚にしか録音が残っていない。それが今日の1枚、Candyである。

 Sonet というレーベルから出されたこのアルバムは、LDによる絵付きのものもあって、私は後者をずっと探していた。それがなかなか手ごろな値段で出てこないものだから、諦めてレコードにした。にした、と言ったところで、そんなに数のあるものでもなく、またCandyをいい状態で聴きたいのでコンディションにもこだわりたい。

 新宿のHal'sさんは、年明けにヨーロッパ各地で約150枚のChetのレコードを仕入れてきたそうだが、今日お店を覗いたら、あとわずかしか残っていなかった。それだけChetのレコードを楽しみにしているお客が多い証拠なのだろうが、私が欲しかったこのCandyは誰のところにも行かずにまだ残っていてラッキーだった。事実、コレクターズアイテムでもないし、レアでもないこの盤にこだわる理由が、ただの一つ、Chet のCandyが聴きたいという話をしたら、面白い話をたくさん聞くことができた。ご主人が買い付けの時のエピソードや、また合わせていただいた Almost blueのサンプル盤にまつわる噂―歌っているのはChetではなくて、コステロだ!コステロはChetそっくりに歌えるらしい、なんて噂が飛んだんだよ ―を聞いて、なるほどなあと思った。

 CandyもAlmost blueも、本当に心に沁みて、独りで聴くと涙が滲んでしまう。Candyは悲しい曲ではないが、彼が好きなスタイル―ドラムレスで、自分の音量とスタイルを守りながらリラックスして演奏し、歌う様子が目に浮かぶようで、じーんときてしまうのだ。

 アルバムCandyには7曲収められている。Chetが好んで演奏したスタンダードナンバー中心であるが、なぜかこのCandyだけは、他の録音には入っていない。演奏自体はいろんなライブやギグでしていたと思われるが、Chetの場合、時折いかにも商業ベースといった吹き込みをしていたりもするので、このCandyも実はそういった流れの1曲だったのかも知れない。ところでこのレコードを聴いていると、やはりというか、ますますLDが欲しくなった。ああ、物欲の行くところ、終着駅知らず。それにしても充実した日曜だった。
レコードの話 | - | - | author : miss key
Philologyという名のレーベル−30--TOKU
 チェットのファンの方ならまずこの名を知らない人はいないだろうというくらい、いろんな意味で有名なフィロロジーというイタリアのレーベルがある。 1987年に創立されたフィロロジーは、リー・コニッツやチェット、フィル・ウッズといったビッグネームのリリースに加え、イタリア国内のアーティストや新人のアルバム制作に力を入れてきた、イタリアならではのレーベルである。

 チェット・ファンにとって複雑なのは、最晩年の重要録音の多くがこのフィロロジーのものであり、さらに現在は入手困難なタイトルがほとんどという二重苦を抱えていることだ。チェットの終わり頃というのは時期にして85年から88年だが、この辺りはCDとLPレコードが混在していた時期であり、余程売れたアルバムでなければ、どちらの中古も探しづらい。しかも、せっかく出会ったレア盤でも、音がいいとは限らない。コンディションの問題ではなく、かなり無理をして収録された音源が少なくないからであり、ある本には「密造酒を愉しむような」などと表現されていたくらいで、なるほどとうなづいてしまう。

 日本のCDショップでフィロロジーの盤の取扱いが少ないのは、レーベルとしてはかなり小さいということもあるだろうし、流通が安定しないという販売政策上の問題もあるのだろう。廃盤扱いのタイトルが、イタリア国内には流通していたりすることもあるし、わかりづらさで言えば、チェットに関連のあるレーベルで言う限り、フィロロジーとサークルは双璧であると思う。

 つい先日のことである。行き着けの廃盤店に何と「Live from the moonlight」がLPの上々コンディションで出たというのを店のサイトで知った。はやる気持ちを押えながら店に電話をして在庫を確認したのだが、生憎、店頭に出てすぐ売れてしまったようである。2枚組みで17000円という価格が高いか安いかは別にして、このアルバムを探しているファンは少なくないだろう。がっかりしたのは言うまでもないが、実は私はこのアルバムに関してはCDを探している。CD版にはLPに入っていないテイクが収められており、しかも、リハーサルの模様も収録されているというから、いても立ってもいられない。だから、この理由の一点において、私はLPよりもCD、なのである。

 これまたつい昨日のことで、フィロロジーで検索をしたら、なんとこのレーベルの公式サイトにヒットした。現在リリースされているリストには、チェットの作品は少なかったのだが、私は思い切ってメールを出してみた。内容はもちろん、例のムーンライトの2枚組みを何とか聴くことができないか、というものである。すると数時間後に、レーベルのプロデューサーであるパオロ氏より直接メールが来て、コピーなら譲れるというものだった。

 パオロ氏にとっても、このムーンライトは思い入れのあるアルバムということで、遠い日本から問い合わせが来たことに、驚きと喜びを隠せない様子だった。また、コピーといってもCD-Rなのかテープなのかはわからないが、どうしても聴きたい!という日本のファンのわがままに応えてくれたレーベルの好意には心から感謝したい。そして、近く届くだろう音源については、また日記で紹介したい。

 今日は昨日リリースされたばかりのTOKUの新譜、30を聴いた。TOKUは和製チェットの呼び声も高く、フリューゲルホルンとボーカルだけでなく、甘いルックスで人気のアーティストである。車のCMのドレミの歌の主と言えば、すぐわかるだろうか。今回は、演奏でなく歌唱、それもバラード中心の11曲から編まれている。

 彼の声には独特の癖があって、芯があるのに、輪郭には薄い膜がかかったような感じで耳当たりが柔らかい。最近活躍している男性ボーカルは、みな声に特徴のある人が多いが、それをどう生かすのかという点では大きな差があるように思う。TOKUはその点では、いま一つ壁を破れていない感がある。彼の音楽に否定的なのではなく、和製チェットとまで言われるからには、つい期待してしまうから、どうしても辛口になってしまうが、これまでのアルバムの中では一番、普通にBGMとして楽しめる内容だと思う。くつろぎモードのBGMとして女性リスナーにお勧めしたい話題盤である。
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花粉の季節―Приходите в мой дом--Вика Цыганова
 いよいよ恒例の花粉が飛散する季節がやって来た。植物の花粉はだいたい春と秋に飛ぶようで、私のように春はスギ・ヒノキの花粉、秋はブタクサなどイネ科の植物の花粉にアレルギーを起こしてしまう人間は、1年のうち8ヶ月近くは鼻をぐずぐずさせることになる。小さい頃は、スギのたくさん植えられた山の近くで育ちながらなんともなかったのに、上京して数年で花粉症になった。医者の言うのには、花粉というよりは、最初は車の排ガスやハウスダストが炎症の引き金となり、以降、花粉にも反応するようになってしまうらしい。

 遠くから風に乗せて花粉を飛ばす木々には、何か生命力の強さのようなものを感じる。絶滅の危機を感じているからよりたくさん飛ばす。命が危ぶまれるときにそれを回避しようというしくみが、あらかじめ命に組み込まれているような気がするのだ。

 空を見上げてその青さを確かめたくなるようないい季節。まだあと少しばかりは寒い日が続くようだが、「家の中でレコードばかり聴いていないで外に出たら」そんな友人からのメールがありがたく感じられる今日この頃。変わるようでなかなか変えられない生活スタイルを一新して、部屋にも私自身にも春の息吹を思いっきり取り込むことができたなら。そんなことを考えながら、窓の外をぼんやり眺めてしまう。もうすぐ春というのは、無意識のうちにも変化を期待してしまう、そんな時期なのかも知れない。

 久々に届いた、いかにもロシアの香りがするシャンソンの1枚は、ウ゛ィーカ・ツィガノワの新譜、プリハジーチェ・ウ゛モイ・ドームだ。さすがに年齢を感じさせるジャケットの彼女ではあるが、それでもさすがウ゛ィーカ、清楚な面持ちは健在。独特の音世界で固定のファン層を獲得している彼女だが、今回のアルバムは、伝統的ロシアンシャンソンのメロディを大切にした歌い回しで、若い頃の作品を知っている方だと逆に違和感があるかも知れない。

 この時期はまだ春の足音も遠いロシア。彼の地に花粉症があるかどうかは知らないが、北国ほど春の訪れが待たれるところもないだろう。明るい陽射しにやわらかな風。そんなロシアから届いたアルバムは、底冷えに凍える体を温めてくれるような全16曲が収められた、ロシアンシャンソン入門にもぴったりの1枚。しっとりと聞き込みたい方にぜひお勧めしたい。
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ターンテーブルの魅力−ムーンライト・セレナーデ--Simone
 今年に入ってからというものの、すっかりレコード鑑賞に凝っているので、オーディオを弄る時間もいきおい長くなっている。CDの時にはそれほど気にならなかったような事、例えば機器類の設置や配線一つでも、アナログ再生には影響が大きく、借りた専門書を読み解いては自分なりにできることを一つずつ試している。私がお世話になっているお店でも、最近は若い客がアナログを聴きにやってくることが多いようで、この話を聞いた当初は意外だったが、よく考えてみればあながちそうでもないなと思ったりもしている。

 私は現在、人から譲っていただいたアナログプレーヤーで音を楽しんでいるが、前オーナーに使い倒され、まるで百戦錬磨状態になっているプレーヤーを見ていると、人に使われた機器の良さというものがじんわりと伝わってくる。さらには、部品の一つ一つが丁寧に加工されたターンテーブルやトーンアーム−こうしたものの持つ良さや質感がダイレクトに感じられ、さらには最終的な目的でもある音に反映するというのが、なんとも堪えられない魅力なのである。

 特に私の好きなブランドであるLINNのアナログプレーヤーは、その加工精度から来る音の確かさや信頼性、物としての素晴らしさから、長くリファレンスとして愛されている機器の一つであり、私もそういったものづくりの姿勢に魅了されて今のオーディオを選んでいる。さすがにLINNのLP12というそのモデルともなると、価格もさることながら、そう簡単に手に入れてしまっていいものではないというような威厳を感じたりもする。いくらオーディオに嵌っている私とて、そのオーナーになることは当分ないだろう。

 今使っているトーレンスのTD320というのは、本来はエントリーモデルとして何の仕様変更もできないようなオールインワンモデルなのだが、それだけに、ターンテーブルとアームの考え方の基本が理解できるシンプルなものだ。自分なりにどうやったら使えるのか、うまく音が出せるのかを考える過程があるという点では、他の機器と比べてその楽しさの質が大きく異なる。音の変化が大きいということは、工夫の余地が大きいということであり、あるいは使う人の個性が出しやすいということでもあって、そういったいかにもアナログライクな点が、若いユーザーにも受けているのではないかと思う。

 今日のBGMは、Simone(シモーネ)というオーストリア出身のジャズボーカルの1枚をチョイス。ヴィーナスから出たばかりの新譜で、タイトルもムーンライト・セレナーデといたってシンプル。もちろん、お約束通りジャケットも実にチャーミングで、モノクロ系が多いヴィーナスにしては、春らしいピンクを基調としたデザインに、あれ?と思った方も少なくないのでは。

 肝心の内容は、濃いジャズ・ボーカルというのではなくて、もっと気軽に楽しめるアルバムに仕上がっているが、決して軽くはない。彼女の健康的な艶やかさのある声音とごく素直な歌唱にかえってそそられるのだ。ぜひとも聴いていただきたいのは、Stingのナンバーであるフラジャイル、そしてもう1曲挙げるとすれば、ベサメ・ムーチョ。ところどころベースを強調した録音にやや違和感を感じつつも、しっとりと楽しめるスタンダードナンバー中心の充実盤。大切な人と過ごすひと時に囁くように流したい1枚である。
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ブロイラーの逆襲―Навека--Корни
 鳥インフルエンザという文字が紙面を踊らない日がないほど、事態はじわじわと悪化し、収束の気配を見せていない。私は鳥インフルエンザという病気のことを、実はつい最近になって調べてみて初めて理解した、こうした事情には疎い人間である。少なくとも、海外の出来事だと思っていたし、人間のインフルエンザが大流行をしてみせた年には必ずといって良いほど鳥インフルエンザの流行が関連しているという歴史的事実に触れて初めて、その重みを感じ取ることができた。

 牛肉がBSEで汚染され、街の牛丼店がメニューを大幅に変更せざるを得なくなり、安上がりな昼食が奪われてサラリーマンの財布に響いたという話もつい最近のことだし、少し前はO157とかで豚肉の汚染の話題もあった。ついには鶏肉。職場の同僚からも「食べられるものがない」というような話題が自然と口をついて出る。彼曰く、家畜の逆襲ではないかと。

 私は祖父が歳とってから長く食品加工工場の夜警の仕事をしていた関係で、小さい頃から牛や豚、そして鶏がブロイラー工場で加工されていく様を自分の眼で見てきた。トラックから下ろされ、悲しそうに―すくなくとも私の耳にはそのように聴こえた― 嘶きながら加工場へと引かれて行く彼等を眺めながら、生きるということは他を食べることなのだと思い知らされた。同じ命でも、野菜を収穫して頂くときの充実感と、スーパーにパックされて並んだ各種の肉を見るときの感覚が明らかに違うのは、私という人間の持つエゴなのだろうか。

 現代は、地球規模で食糧を作り出し、消費する時代。コスト圧縮優先主義が逆に「作り過ぎ」を生み出し、そのだぶつきをどこで「調整」するのかを巡り、様々な利害の一致と衝突を繰り返す人間の所業の裏側で、害を被る彼等が逆襲しているなどと考えるのは、その手の想像が好きな私とてややどうかとも思うが、天に唾する行為と思えば、そう思えなくもない。ブロイラーの逆襲、それは如何にも鳥のせいにしたい人間の物言いであって、現代生活の歪みを一考だにしない私達の言い訳に過ぎないのかもしれない。

 骨っぽい4人組のロックグループが出た。コールニは根を意味する言葉で、今日のアルバムナビェーカには、その名にふさわしく強い主張を感じさせる全14曲が収められている。アコースティックな響きの良さと、現代的なアレンジの良さとを程よくミックスさせ、聴かせるボーカルが文句無しに良い。最初は、イギリスのBlueのようなバンドかと思っていたのだが、歌の背景にあるものが違うのだろうし、ワールドワイドで活躍できそうな懐の広さも合わせもっている、久々に力の入る楽しみなグループである。

 ロシアンポップスにまだなじみのない方なら、まず 10曲目のWe will rock youをどうぞ。ストレートなコールニの音楽が貴方の胸を突くだろう。他のオリジナルもハズレはなく、重心の低い8ビートもいいし、奇麗さを嫌ったバラードもいい。いかにもロシアから出るべくして出た期待のアーティスト。イージーリスニングには向かないが、思わず心踊るサウンドでじんわりと体を熱くしたい方にはぜひお勧めしたい1枚である。
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