音の快楽的日常

音、音楽と徒然の日々
高みから見下ろせば―Сквозь пальцы--Настя
 窓はあれども決して開けることの出来ない高層ビルで仕事をするようになってから、早2か月が過ぎた。土地の有効利用と称して、新築のビルは上へ上へと、まるで星でも掴もうかという勢いで高層化された時代があったが、私の居るビルもおよそその頃のものだ。

 休憩時間にすること、あるいはできることといえば、この「高さ」から遠くを眺めることぐらいだ。他所のビルも公園も道路も、そしてその上を這い蹲るようにして走る車の群も、まるで作り物の世界のように視界に飛び込んでくる。その一方、陽の光りはただ眩しいだけで、どれだけ高いといってもここからは手が届きそうにもない。

 私が好んで立つ窓の遥か下に、ぽつんと古びたホテルが見える。ホームレスが屯する公園の脇、道路を一つはさんで立つそのホテルは、当時としてはかなりモダンな趣であったのだろう―ありきたりのビジネスホテルとはどこか違っていて、私はついついそれを眺めてしまう。

 昔見たテレビの話だが、主人公とその恋人は、事情あって人目を忍んで逢う場所として、繁華街のはずれにある古いビジネスホテルを選んでいた。逢瀬の数だけ、恋人がなけなしの財布から出すホテル代をその女性は密かに積み立てていて、その通帳はやがて彼への別れの言葉代わりとなる。静謐が支配するいつもの部屋に、彼女が置き去りにした通帳を見て呆然とする男。そのシーンが何とも印象的だった。それは、寒々とするどころか、小さな窓からは柔らかな光が差し込んでいて、およそ別れのイメージとはかけ離れたものだった。

 私が眺めるそのホテルも、そんな出逢いと別れのときがあったりするのだろうか。その場所を占める人々は、それが密室と知ってそこに居るのだろう。私のように、決して覗けたりはしないのだが、こんなに高いところからじっとそのホテルに目を凝らしている人間がいることなど、思いもよらないだろう。私は性格がよくないから、そんなことが愉しかったりする。

 私は日々高いところで働きながら、なにがしかの「勘違い」を積み重ねつつ、時の過ぎるのに身を任せている。他にもっとすることはないのかという叱責の声が聞こえつつ、それでも、耳に蓋するわけでもなく、さりとて反省にうなだれるわけでもなく。

 脇に抱えたポータブルプレーヤーから漏れるのは、ナースチャの新譜、スクボージ・パリツィ。ナースチャは少し喉でも傷めているのか、ボーカルはいつもの潤いに欠けるものの、そのつかみ所のない気楽な旋律が無意識のうちの緊張を解してくれる。迫ったり、抉ったりするロックではなくて、包み込むような音楽へ。ナースチャは少しずつその姿を変えていると感じるのは私だけだろうか。私同様、働く女性に聴いてもらいたい癒しの1枚である。
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無題―Salley Garden--イム・ヒョンジュ
 時間があるとつい覗きたくなるのがレコード店で、この週末も何店か梯子してしまった。増える一方のソフトをどう整理収納しようかと頭が痛いというのに、欲しいタイトルはまだまだ無数にある。否、具体的にどのタイトルが欲しいと探しているというわけではないが、ジャケットの絵が良かったり、演奏メンバーが良かったりすれば、聴きたいという気持ちを抑えられない。

 音楽好きなある方は、ソフトの数を制限して、より抜きのタイトルだけを繰り返し聴いて楽しんでいるのだという。私にはまだそこまでの潔さがない。修行が足りないな(笑)と思いつつ、とてもそんな真似はできそうにない。毎月、新譜のレビューが気になるし、廃盤探しもそれはそれでまた奥が深い。それは、物欲を限り無く満たしているだけの行為のようでもあり、時折空しさを感じることもあるが、さりとて一瞬のこと。嗚呼。

 イム・ヒョンジュは韓国のテノール歌手で、本国では大変な人気であり、このサリー・ガーデンがデビューアルバム。2003年1月に1stがリリースされた後、すでに3枚目のMisty moonが出ているというから、その人気ぶりが容易に想像できる。

 ヒョンジュの声は、女性のような細い面持ちの通り、透明感に溢れ、男声の太く力強いそれとはかなりかけ離れている。民謡から現代ポップスまで、彼の声を生かしたアレンジでさり気なく美しく聴かせるあたり、奇麗な声系の、例えばブラーウ゛ァあたりとは似て非なる世界だ。

 35 歳までは、少なくとも楽器の音色に魅せられ、音楽を聴いてきた自分がいたが、今は、どちらかというと人の声そのものに惹かれることが多い。変幻自在に声を操る歌い手の口元から離れて耳に届く響きそのものが、何とも言えない魅惑である。声の美しさは、それだけで大変な財産だとは思うが、ヒョンジュのような歌手に出会う度に、ああまだまだ聴いていない音楽が多すぎると痛感する。置き場の心配なく、いろんなソフトを聴き、集められたらどんなに良いかと改めて感じた1枚である。
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生き残るための17年―Знай--Наташа Власова
 生き物はそれぞれ種を残すためにいろいろな工夫があったりするが、昆虫のそれはまさに未知の宝庫であり、私はその小さな営みのもつ秘密にことのほか惹かれる。

 今年は、不思議な生態で有名なアメリカ周期ゼミの大量羽化年に当たり、その数は数十億にも上るとの予想が出ている。周期ゼミという名の示す通り、彼等は 17年もしくは13年もの間土中で幼虫期を過ごすが、地上に出て羽化した後はわずか2週間ほどで命が尽きる。人の感覚で言えば、わずか2週間のために何と大変な人生(虫生)だ!などと思うかも知れないが、何も光ある世界で生きることのみが「生」ではないだろう。

 専門家によると、周期ゼミの種類は3種類。彼等は外見上の区別がつかないほど酷似しているが、なぜか周期は13年と17年の2つだそうだ。日本のセミには、確か羽化が集中する周期は見られなかったと思ったが、アメリカの周期ゼミについては研究が進むもまだまだ判らないことが多いらしい。何でも、周期的に集中して羽化するのは、大量に一度期に発生することで、天敵から食べ尽くされず、種を維持するためらしい。ただ、その周期がなぜ13年と17年の2つなのか。これを読み解いた静岡大学の研究者の考察が興味深い。

 『異なる周期のセミが、同地域もしくは地理的に重なり合った地域で同時に羽化すると、当然交雑が起こる。その子孫の同期性が崩れていくことにより、一夏に羽化する個体数が減る。すなわちそれは生き残りが難しくなることを意味し、結果として、出来るだけ他の周期を持つグループと同時に羽化しない方が有利になる。すなわち同時に羽化しにくい素数の周期(13、17年)を持つグループが生き残っていくことになる。』

 生きることの不思議に触れる度に、自分自身の日々の行いを悔いる自分がいる。消費と消耗。それが生きることの楽しみと言わんばかりに快楽を追求する。「毎日遅くまで働いているじゃないか。それでいいじゃないか」と隣人から有難いイクスキューズをいただく。私の生活はある種、何らかの言い訳によって成り立っている。根本的に生活のあり方を変えたい、そんな衝動に駆られるのは、ごくごく一瞬のことで、何も哲学者ぶりたいわけではないのだが。そして、周期ゼミも自分たちの意思でもって13年と17年の虫生を選んでいるわけではないのだろうけれども。

 それにしても、ここ数日は蒸し暑い日が続き、それこそセミが元気良く空を飛んでもおかしくない空色をしている。なのに、休日の今日は雨がすっきりと止まず、梅雨のようだった。ではと選んだのはナターシャ・ブラソワの2ndアルバム、ズナーイ。ファ―ストアルバムも確か持っていたが、どんな作品だったか印象が残っていない。それが今回は、力を抜いて自然体で歌う彼女の歌唱がなかなか魅力的。歌謡曲ファンから離れない程度に軽いノリとフレンチポップスのようなどこか危うい雰囲気をうまくブレンドして囁くように歌う。極め付けはいかにもロシア美人といったお色気とボリューム感あるルックスだ。

 デビュー時は普通のアイドル歌手といった趣だったので、当たり前すぎて目立たなかったのかも知れない。デビューから3年を経たことも、彼女にはプラスだろう。お勧め曲は1曲目のニビダー・ラズルーカと表題曲のズナーイ。こちらはボーナスビデオクリップもついている。でも、おや?と思わせる豪華なプレゼントは、むしろ16曲目のムイ・ウ゛リュブリョーンヌィエ。何とウラジーミル・プレスニャコフとのデュエットだ。胸元をくすぐるような声音の両者による1曲。これ1曲というのが本当に惜しいほどのうれしいボーナストラックだ。ああ、こうして今日という休日も尽きた。また何かの言い訳を見つけつつ、仕事に励むことにしよう。
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他人を聴いて己を知る―Любимый человек-Борис Моисеев
 あるきっかけで、Celloという有名なブランドのスピーカーで音楽を聴かせていただくことができた。土曜の午後とはいえ、久しぶりの遠出であり、車中の2時間弱が長く感じられたが、その方のリスニングルームに案内されるや否や、そんな疲れはどこかに消えてしまった。そのくらい、堂々とした佇まいのスピーカーが私を迎えてくれた。

 家屋の新築時に合わせて特別に設計された専用室は、音の反射や配線など細かな使い勝手が工夫され、音楽も映像もゆったりと堪能できる羨ましいほどの空間だった。そこに美しく整頓された機器が並ぶ。いずれも、これと選ばれた見た目もクオリティもオーナーの納得のいく逸品揃いで、特にそのスピーカーには「欲しくて堪らなかった」と大の大人の口から出るほど魅了されたのだという。

 目の前に展開された音楽は、一言で言えば、リラックス空間だった。高音がどうの、低音がどうのとか言わせないような、たっぷりとした広がりに特徴のある音空間。Celloという名前だからではないだろうが、弦の響きがとりわけ魅力的で、日頃クラシック、特にバイオリンなどは聴かない私が、長い曲の終わりまでそれこそ無心に聴いた。そして半日に及ぶ視聴の後に頭に浮かんだのはただ一つ。音楽の聴き方こそ各々のスタイルであり、個性なのだということだ。

 私は、自分のサイトに厚かましくもオーディオのページを作ってからというもの、「あなたの音はどんな音?」などと質問され、答えに窮することが少なくなかった。何と言って説明すべきか、言葉がまるで浮かばず、「高級ラジカセの音です」などと言っては相手の失笑を買った。音質の問題ではなく、ポップスを楽しむための装置でお金がかかっているという意味合いのことを伝えたかったのだが、相手の知りたいのはそういうことではなく、私の音楽を聴くスタイルのことだったのだ。

 それが、音楽で癒されたいという大目標は共通ながら、自分とは全く異なる音を聴かせていただいたことにより、より鮮明に自分で認識できるようになった。これはいい音楽以上に収穫であった。もちろん、これまでも自分の耳で聴いて、聴きたい音かどうかという「好き嫌い」の物差しがあり、今鳴っている自分のシステムの音も十分過ぎるほど自分の理想に近いものだが、それを客観的に言葉で表現するのは私には難しかった。それはオーディオ語を駆使できないということもあるだろうが、理由は決してそれだけではない。音楽を聴くスタイルはすなわちその人の音楽に向き合う姿勢と深く関わっている。私は、長い間たくさんの音楽を、自分でも演奏し、時には生み出し、そして今は再現することに多くを注いでいるが、「うまく言えなかった」大きな理由は、音楽という存在がいま一つ自分の中で曖昧であったことに他ならない、と思う。

 鍵盤での演奏に限界を感じてからは、もっと気楽に音楽をただただ楽しみたかった。約3年ほど、ほとんど音楽を聴かない時期があったりしたが、その後はまた何だかんだで装置を設え、そして、大好きなChetやロシアンポップスを十二分に楽しめるようにと装置そのものにも凝るようにまでなった。そんな自分の音を分析してみると、鳴っているのは狭い空間でよく、スケール感は全くと言っていいほど切り捨てられている代わりに、密度が濃く、スピーカーの存在を意識させないような音離れに魅力を感じている。特に楽器の音色と音の出方は気になるところであり、出だしが決まるところで決まらないといった鳴り方にはがっかりしてしまう。また音の上下も伸びきることがない代わりに、まん中の耳によく聴こえる帯域はしっかりとして欲しい。ぎっしりと模型で埋まった箱庭のような音、言ってみればそういう音だ。

 そうして言葉で整理してみると、なぜこんな装置の構成になったのか、改めて自分でよく理解できる。思いのほかお金がかかったので、生来の貧乏症ゆえ多少罪悪感がないではなかったが、なるべくしてなったということにある種の安堵さえ感じる。やれやれ。

 ほっとしたところで手が伸びたのは、ボリス・モイセーエフの新譜、リュビームイ・チェラビェーク。私には彼が奇人のように思え、一連の作品にはなかなか食指が動かなかったが、今回はいつも利用している店のレコメンドもあって試しに買ったところが、超リラックスモードの13曲で予想外に楽しめた。ペンキンがよくて、なぜモイセーエフがだめ?などとは聞かないで欲しい。パッと見、顔をしかめそうな舞台衣装が好みの二人であっても、音楽性はまったく異なるのだから。

 このアルバム、特にハズレ曲はないが、敢えて選べば1曲目のムニェ・ドゥルーガム・トゥイ・ニェーブィルと8曲目のルジャフチーナ。小さな音で流しながら、好きな雑誌でも眺めつつリラックスしたい、そんなときにぴったりの1枚。意外なアーティストからリリースされた癒し系の一枚である。
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二人の孤独は―tviй формат--Океан Ельзи
 「私たちは寄り添って生きています」
 
 つい先頃、電撃的な結婚をした友人の言葉に、思わず目を閉じた。特別な言葉じゃないが、簡単には口にできそうにない。そういえば、昨日のネットニュースに、つばめのつがいの話があった。雄つばめが、巣から落ちて動かなくなった雌つばめを起こそうと一心不乱にくちばしでつつく。その一部始終は5分ほどで、しかも雌は脳しんとうでも起こしていたのか、すっと目を覚ますと二羽で飛んで行き「事なきを得た」が、そんな様子に撮影者は心温まる出来事とコメントを残した。その一葉の写真の、懸命に寄り添う二羽の様子は、コメントを読むまでもなく私の心を打った。

 もう何年前のことになるだろう。あるセミナーを通じて出会った一人の男性がいた。不器用でぶっきらぼうなその人は一見取っ付きにくい人であったが、いったん打ち解けてからは、かえってその誠実さが強く印象に残った。とはいえ、お互いに各々事情があって、深い交際をするには至らなかったが、その彼の残した、忘れようにも忘れられない一言がある。

 「二人の孤独は、一人の孤独より辛い」

 一体何を思って、そして一体何を伝えたくてそんなことを言ったのだろう。その真意を図りかねつつも、問いただす機会も無く、時はどんどんと過ぎた。思えば 10年以上。時が過ぎれば忘れるだろうと思っていたが、私の頭の引き出しはよく整理されているのかいないのか、その一言は「寄り添う」というキーワードで玉突き式に転がり出て来てしまった。人の記憶は実に厄介なものだ。

 部屋の壁をぼーっと眺めつつ、取り留めもなく考えても何も答えが出ないから、そういう時はいつも音楽に逃げてしまう。何に追われている訳でもなく、自分に言い訳の出来ないことがあると、決まって逃避してしまう。そんな私を件の彼が見たら何と言うだろう。そんな胸中の霧を振払うようにして聴いた、オキアン・エリジィのライブ盤。例によってデータらしき記述はジャケットにも皆無で、いつどこでの録音なんだか見当もつかないが、音の雰囲気からして、比較的小さなライブハウスでの録音で、最新オリジナルアルバムから数曲、その他を含めた全12曲から成っている。

 オキアンがいいなあと思う理由は、ただ一つ。自分の言葉でストレートに歌っているというのが、単純明快に伝わってくるサウンドだからだ。これはデビュー盤以降、全く変わらない彼等の姿勢でもある。そして、シンプルかつ音を選んだ演奏、なのに決して薄くない。ボーカルは相変わらずセクシーで、特に、12曲目のボーナストラック、Я iду додомуはこれまでのアルバムに未収録のナンバー。これ1曲を聴くためだけでも買う値打ち大アリの一押し盤。今夜は彼のむせぶような歌声に溺れて眠ろう。雨音が心に沁みる夜にぴったりの一枚である。
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水に縁のあるGW―Everybody's talkin' bout miss thing--Lavay Smith & her red hot skillet lickers
 風のやたらと強い最中に、せっかくの休みなので思いきって遠出をした。遠出その1は、前から行きたかった犬吠埼。鉄道マニアなら御存じだと思うが、可愛らしい単線の鉄道があるちょっとした観光地である。海に突き出た場所には付きものの燈台と土産物店、そして寂れた風情のマリンパーク。語尾を妙に伸ばしておかしな抑揚で連呼するイルカショーのアナウンスが耳から離れない。

 如何にもこの季節と言わんばかりの演出は、燈台にくくり付けた鯉のぼり。それからマリンパークに隣接のレストランで食べたジャンボ海老天丼。衣が大きいのだろうと思ったら、とんでもなく立派なエビで、1尾食べるともうお腹が一杯。思えばこれがGW食い倒れの第一弾だった。

 遠出その2は品川水族館。物理的には遠くはないが、心理的には遠い場所。マリンパークが不発だったので、行ってみようということになった。大井町駅から無料の送迎バスが出ているのだが、すでに長蛇の列。割引券をゲットして喜んだまでは良かったが。では、と豪華にタクシーで水族館に乗り付けたら、はたまた長蛇の列。よく考えてみれば、ファインディング・ニモが大ヒットしたばかり。子供連れで大盛況の水族館だ。それでも折角来たからと、アシカショーも見れば、イルカショーも見た。展示の魚達も隅々まで見た。クリオネという美しい生き物は、実は貝だったと知って驚いた。ついでに、生きたノーチラス(オウム貝)を見て大喜び。化石のような古い生き物の姿なのに生きている。それだけで十分だ。

 おおそうだ、折角ここまで来たのだからと、餃子で有名な蒲田のニイハオに行くことに。時間調整に疲れた足を引きずりながら回ったえとせとらレコードでは探し物を2枚ゲット。体が飛ばされそうなほど強い風にも負けず(笑)。そして、旨い餃子をどんどんと口に放り込む。2人前は食べただろうか。帰り道は雨。最近はここまで体が疲れることも少なかったが、何とも心地良い疲労感。これで今夜の爆睡が約束されたようなもの。ああ、小さな幸せがこんなところに。

 支離滅裂な休日の行動記録に相応しいBGM は、オールディーズというか、ショウミュージックというか、ジャンル分けは難しいが、オケをバックに景気良く歌う女性ボーカルものと言えば差し障りはないだろう、Lavayのちょっと泥臭くて懐かしい全16曲が収められたアルバム。どこをどう切ってもアメリカの音楽だと判るノリで、歌そのものよりはオーケストラの演奏がお勧め。奇麗すぎず、崩れ過ぎず、でもゴージャスでノリノリで。それでいてボーカルをしっかりと引き立てているその駆引きが絶妙で気持ちいい。ああ、明日はもう仕事だ。このかったるさをどうしてくれようか、という貴方にぜひお聴きいただきたい1枚である。
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解禁―Не забывай...--Сергей Пенкин
 忙しさにかまけていると、普段なら気付くことも振り返る余裕がなくて、何気ない人の忠言にはっとすることがある。昨夜もせっかく電話を貰っていたのだが、何一つ片付くことのなかった1日の疲れが言葉に出てしまい、相手を不愉快にさせた挙げ句、「仕事なんだから当たり前なんじゃないの?」という一言が返って来た。普段なら、本当に何ということの無い言葉に、私は一体何を弱っているんだろうと狼狽える。人はゴールデンウイークに沸いているというのに。

 結局、今日は休みであったが、半端に残した仕事を片付けることにした。自業自得などというと余りにも自分が可哀想であるが、人の都合で全てが決まる仕事に変わったために、不可抗力な面もある。そんな毎日が約1か月続いてさすがに参ってしまったので、今夜は自分への褒美を一つ。ビールの解禁である。

 体を壊してからというものの、アルコールを止めるよう医者からいわれていて、ほぼそれを守ってきたが、たまの1本くらいは構わないということなので、早速、風呂上がりに缶ビールをいただいた。旨い!ビールと言っても手元にあるのは発泡酒で、私の場合、アルコールで酔いたいのではなく、ビールの旨味が好物なので、極端な話、ノンアルコールビールだって構わない。でも、アルコールはやっぱり気分が違う。しつこいようだが、旨い!

 窓から冷たい夜風を入れながら、先週届いていた春の新譜から選んだのは、ペンキンの久しぶりのアルバム、ニェ・ザブィバーイ。いいタイトルだなあと思いつつリストを見ると、何と、レンスキーのアリアがある。ペンキンはもともとクラシックを学んでいた人で、途中からポップスに転向したアーティスト。それだけに、いつか私のフェイバリットソングであるレンスキーのアリアを歌ってくれるのではと思っていたから、うれしさ倍増である。もちろん、歌唱力は折り紙付きの彼の歌だから文句無しであるが、バックの演奏がやや寂しいのが難。

 ここ数年は、インストルメンタルのアルバムをプロデュースしたりと活動内容に変化のあったペンキン。ライブを聴きに行けないファンにとってはやきもきする3年間であったが、アリア以外はほぼオリジナル新曲による構成なので、まずはともあれ、聴いてみていただきたい。表題曲は4曲目。また彼の美声を存分に楽しめる6曲目、パザウ゛ィー・リュボーフィもお勧めだ。その他、彼に関する情報は公式サイトをご覧いただきたい。少々見づらいが、ディスコグラフィから今日のアルバムも大半が試聴可能だ(サイトでは国内盤での曲表示。私の手元にある輸出仕様盤とは内容が一部異なっている)。ペンキンは日本にあまり紹介される機会のないアーティストだが、サウンドのクオリティは高いので、男性ボーカルファンに一押ししたい1枚である。
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