音の快楽的日常

音、音楽と徒然の日々
夏準備―Slick Rock--Denny Zeitlin
 女一人暮らしの部屋なのに、うちにはオーディオとかカメラとかがごろごろしていて、そうでなければ本だのソフトだのが棚に詰め込まれ、およそ潤いというものに欠ける。そう感じていたのは私だけではなかったようで、先日、美しい花束を「部屋に飾れば少しは・・・」と頂いた。

 しかし、この連日の暑さだ。主のいない昼間にうだるような室内に置いたのだから、花の方は堪ったものではない。人間なら悲鳴を上げて息絶えただろうなどと穏やかならぬ想像ができそうなほど、ぼろぼろに萎れているのを見たときは、夏の疲れをどっと感じて呆然とした。結局花は3日で潰えた。

 ならばと、今日は家でだらだら過ごす予定を変更して街に出て、まず髪を切り、さっぱりとしたところで、小さな鉢の観葉植物を買った。わずか420円。今時は同様の需要があると見えて、売り場にはうんと小さいサイズのものから従来の立派な鉢植えまでずらりと揃っている。また種類も、そこいらの畦道に生えていそうなものから南国のものまでいろいろで、葉っぱの色形で選ぼうにも数が多すぎる。

 どうせ世話もろくにできないのだから、日光と水さえあれば逞しく生き延びそうなのをと、マングローブの小さな苗木を選んだ。早速家に帰って、フォノイコライザーの棚の余分にその小さな透明の鉢を置いてみると、不思議と棚の茶色とうまくマッチして、空間が随分と瑞々しくなった。それではと、前に貰ったガラスの蛙5匹を並べてみた。

 最近は、プチ神経症候群とでもいうのか、病気でもないのに神経を病んでいるといって薬を貰い歩く人が増えているなどと聞く。薬マニアは昔からいたが、健康に過ごしていればそういうところに気をやることも本来はないのだろうから、その意味で生活の質はとても大事だと痛感する。余裕が無いと嘆く前にできることが一杯ある。時間と心の余裕は自ら創りだすものだと、改めて自分に言い聞かせる。

 私の部屋にやってきた「小さな夏」に心踊る気持ちを表すかのような、躍動感溢れるタッチのピアノが楽しめる1枚、それが今日のBGMだ。デニー・ザイトリンは寡作で知られる本業精神科医という変わり種のピアニストだが、日本ではファンも多い。その彼が久々に吹き込んだ演奏がやっとリリースされたと聞いて、とりあえず店頭に急いだ。

 シックなジャケットに載る彼の表情は、さすがに上品とはいえすっかり年老いていて、録音の貴重さを思わずにいられない。しかしながら、このアルバムにはオリジナル7曲を含む全13曲が収められ、適度な緊張の中にも洗練された響きに満たされている。洗練といったが、彼のオリジナル曲は、今流行のヨーロッパ風ピアノトリオなどと比べるとどこか骨太で、矛盾しているようであるが、気持ちというよりは魂に訴えかけてくるような強さがある。洗練されてはいるが、決して柔くはない。

 私が愛聴するアーティストはすでに亡くなっている人が多く、その意味でもデニーの演奏を現在進行形で聴けることに深い喜びを感じる。ここ数日の暑さですっかり弱っていたのだが、この1枚で随分と力を取り戻すことができた。その意味で夏準備にぴったりのアルバムである。
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円盤探しの憂鬱―Fellini 712--Kenny Clarke-Francy Boland Big Band
 円盤探しと言ってもUFOのことではなく、私の場合はまぎれも無くレコードである。レコード再生の愉しみを知ってからというものの、暇があればあれやこれやと黒い円盤のことを思い浮かべている。再生装置も揃ったことだし、あとはこれに乗っかる盤を集めるばかりである。

 集めるといっても、無闇矢鱈に収集する時間もなければ、お金もないので、例えばChetで言えば、CD化されていない音源か、或はものすごく気に入っているタイトルをレコードで探すことになる。収集癖の強い私がこの程度で収まっている事自体、意外だが、Chetの場合、コンプリートカタログというものはおそらく存在しないので、それに近いと思しきディスコグラフィーを頼りに、長く遠い旅に出ることになる。

 私が捜している中でも特に怪しいタイトルが2つある。それはPhilologyとCircleの各々1枚である。困ったことに、カタログには載っているものの、そんなの聴いたこともないし、ジャケすら見たことないと老舗の廃盤店のご主人たちが言うのだ。もっとも、ジャズの盤にはカタログオンリーでリリースされずに終わったタイトルも結構あったりするものらしく、私のその2枚も「お蔵入り」なのかもしれない。まあ、そっと出逢いを心待ちにするのがよろしいと、ようやく思える境地に至った。

 思ってみれば、在るとわかっているものを探すのは方法論の問題だし、あとは財力とか時間とかいろんな条件でそれが可能かどうかが決まるからむしろ気楽なのであって、在るかどうかわからないものを探すことくらい、詮無いものはない。或はそれを浪漫という人もいるだろうが、私は目標のない旅は苦手である。

 それでも、それでも、だ。
 「そんなレコード、出てないよ〜」と一言耳打ちしてくれたらどんなに楽になれるだろう。

 蒸暑い夜が続くとろくなことを考えない。今日はクラ―ク・ボラン楽団の流麗な演奏でまったりと過ごそう。Fellini 712は当楽団の代表作で、最近になってCDで再発になったもの。レコードももちろんあり、そう珍しくはないものの、如何せん価格が高い。でも演奏はともかく、メンバーが凄い。ダスコにベニー・ベイリー、ジョニー・グリフィンにロニー・スコット。それからサヒブ・シハブももちろんいる。曲がたった3曲で、しかも演奏時間が30分ちょっとだから、「このCD高い!」とお叱りの向きもなくはないだろうが、そういわずに聴いていただきたい。やっぱり夏はビッグ・バンドでゴージャスに夜を愉しみたいものである。
レコードの話 | - | - | author : miss key
犬の言葉―You can't go home again--Chet Baker
 先ごろ新聞で、「犬の言語能力は思いのほか高く、語彙も200語程度はあると思われる」という研究発表が取り上げられていた。ドイツの研究チームだったと思ったが、なるほどこの話は私にとって非常に実感のわく内容であった。

 私の実家にはトキという名の柴犬がおり、彼はこの5月で満3歳を迎えた。私は年に数えるほどしか帰省できないが、例えば、電話の向こうで話しているのが私であると理解できるらしく、母が受話器をトキの耳元に近づけてやると、私の声を聞こうとして集中するらしい。なぜ、私と分かるのか―それは、母や父が私の名を会話に交ぜて話すからだ。もちろん、彼は父や母の名前も知っており、「パパはどこ?」といった文章も理解できる。そうやって彼に問いかけると、目に見えるところに父が居なければ、玄関や寝室に探しに行くのである。

 彼は老いた両親の相手も兼ねて、日中の番をする以外はずっと家の中におり、立派な座敷犬になっている。そんな調子で、人間と接する時間が非常に長い上に、また両親が暇にかまけて犬にどんどん話しかけるため、彼の言語能力は相当に鍛えられるはずだ。道理で、トキはものの名前を良く知っており、それは「新聞」や「テレビ」のように頻度の高い言葉であればあるほどよく覚えている。 200語というと覚える端から古いものはどんどんと忘れて行くレベルなのだろうが、おそらくは、ものへの興味の度合いや頻度に左右され、ボキャブラリーを蓄えているのだろう。

 トキを見ていると何時間でも飽きる事がない。彼はまさに考える存在であり、語彙を持つということは深く思考できる何らかの力を持っているというに相違ない。彼が人間のように言葉を話せたら、どんなに楽しいだろう。犬の喉元に装置をつけ、喉の震え具合でもって「気持ちを解析する」おもちゃが売られていたが、犬にとってもきっと何かを具体的に表現したいという思いはあるはずだ。トキは、例えば喉が渇いたとき、窓ガラスについた水滴を舐める「真似」をしたり、或いは水用の茶わんと私の顔を交互に見たりして「水が欲しい」と訴える。どうやったら自分の希望が伝えられるか、トキが考えている証拠である。水滴と飲みたい水が同質でありながら同物ではない(欲しいのは蛇口から出されたきれいな水である)と理解しているのである。

 犬の語彙能力を認める記事が出て、私は晴れ晴れとした気持ちでいる。これまではトキのことを話す度に、そんなばかげたことをと笑われるのが関の山であった。否、私は笑い者になっても構わないが、犬はきっと「力」を持っているに違いない。それは単に語彙ということではなく、犬が相手を理解しようとする強い欲求でもって我々人間を癒してくれているのではないか、私は常々そう思う次第だ。

 長くなったので簡単に。ChetのアルバムにThe best thing for youというのがあるが、これが入手困難という理由で某オークションにて高値で取り引きされており、ファンの間でもちょっとした話題になった。しかし、このアルバムは今日のBGMのYou can't...、しかも2枚組の別テイクを加えた形で再リリースされており、内容もブックレットもこちらの方がかなりお買得である。「珍しいアルバムですか」と聞かれてこちらが逆に驚いたが、どうしても1枚もののオリジナルが欲しければアマゾンの中古で買えたりする。Chetで儲けようなんていう人がいるのを聞くとそれだけで気持ちが暗くなるが、それだけ情報があるようでないのであり、リリース情報なども載せた方がいいかなと思う今日この頃である。
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廃院の風景―色彩のブルース--EGO-WRAPPIN'
 数日前から体調がいま一つなので、休みを取り、病院に行くことにした。ここに住むようになってから4年ほどになるが、まだ行き着けの医者というものがなく、時間の余裕のあるときに探しておこうという気持ちもあって、まずネットで近所に病院がないか調べてみた。すると、歩いて5分くらいの住宅街にS医院という内科が一軒見つかったので、買い物がてら行ってみることにした。

 平日の休みとなると意外と用事が多く、いざ出かけると雑用の山。一通り片付けて件の医者の近くまで行ってみると、どうも病院があるような気配がない。おかしいなあと思いつつ、古びた家の玄関を覗いてみると、S医院の看板があった。その隣には、手書きの告知が。

 「S医師が亡くなったので、当医院は閉鎖されました。お尋ねは***までどうぞ」

 その貼り紙は雨に濡れて、文字もところどころ滲んでおり、古い硝子戸の鈍い反射が何とも物哀しい。4月に更新された区のサイトに載っていたのだから、つい最近まで開いていたに違いないが、玄関の荒れようはもう何年も人が来ていないような様子で、実際にやっていたとしても、診てもらうには勇気が要ったかも知れない。それでも何となく絵になるからとデジカメを向けてみたものの、シャッターは切れなかった。物言わぬ抵抗にたじろぎつつ、騒がしい幹線道路を一本入ればこんな風景があるなんて一体誰が想像するだろう。言葉にならない思いを残しつつ、私はその場を後にした。

 医者嫌いがたまに気が向いて探してみると、ろくな事がない。案外そういうものかとも思うので、適当な薬を飲んで横になり、音楽を聴いてダラダラすごす梅雨の午後。昭和歌謡とも酒場音楽とも区別のつかないエゴ・ラッピンの「色彩のブルース」をリピートして、ギターの音色に体を揺らす。エゴ・ラッピンは女性ボーカルとギターの2人ユニットで、数年前からインディーズで大変な人気だったそうだ。私は流行に疎く、J-WAVEでもヘビーローテーションだったというのに全く知らなかった。ではなぜ今聴いているかというと、先日のサウンドパーティで紹介してもらっていきなりハマってしまったのだ。

 私は体を壊しているから、アルコールも止められているし、タバコももともと苦手で吸わない。いい大人が嗜好品もなしにぼーっとしているのは格好がつかないと感じなくはないが、たまの抗生物質が良く効いて頭もぼんやりしてきた。切ない響きを放つエゴ・ラッピンの唄はどこか懐かしい。でも少々危険な薫り―強烈な習慣性とでもいうのか、同じフレーズを何度も聴きたくなる。頭も躯も疲れるまで、繰り返し、繰り返し。今夜はいい具合に眠れそうである。
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手軽に読書を―K☆19 The Widowmaker original soundtrack--Klaus Badelt
 本がこんなに高価になったのはいつからだろう。文庫も新書も、たった1冊買うだけで千円出してもわずかなお釣りしか戻らない。昔から、日本は専門書の高い国と言われていたが、それは売れる部数が知れているのに在庫を長く持たなくてはならないというそれなりの理由があってのこと。手軽に読書を楽しめる文庫や新書の類いまでじわりと値上げされているのを知らなかったとは、最近、本屋通いをしていない証拠である。

 それでも、さすがにこうも活字から離れていると、ふつふつと「読みたい」という欲望が心の底から沸いてくる。ここで言う活字とは、紙に印刷された文字であって、ネット上でいくら文字を眺めても、少しも活字への欲求は満たされることはない。

 この3日間で約10冊の本を購入したが、ほとんどが新書で、新刊で並んでいるタイトルでパッと見面白そうなものを適当に選んだだけだ。それでも、1テーマを簡潔に、しかも読みどころを押さえて書かれているだけに、どれも2時間ほどで読みきれる割りには内容が濃く、考えるヒントを惜しみ無く与えてくれる。これなら、千円でおつりがなくても仕方がないか。

 中でも夢中になったのは、文春新書から出た難波紘二著「覚悟としての死生学」である。今時のクローン問題から「人を殺してはいけないのは何故か」といった、素朴かつ聞かれてすぐ答えにくい疑問まで実に明快に論じられている。紙数からすれば、もっと広く浅くになりがちなはずなのに、各々の小テーマの掘り下げ方が深く、また切れ味の良い筆致も読者に一気読みをさせるに十分な魅力である。

 ついでにもう一つお勧めを。この度再版で出されたエッセイの名著、中野孝次の「ブリューゲルへの旅」。こちらは文庫である。ブリューゲルは16世紀のフランドル地方出身の画家で、独特の手法で民衆の生活を描いた作品を残している。いくつかの作品がカラーで挿し絵になっているため、この画家の入門書としても勧められるが、これが長く手に入りづらかったとは意外であり、私も既に手元に持っていながら再度購入した。

 私は本をゆっくり読めない質で、一気読み好きのせっかちな人間だが、死生学のような重厚なテーマを持つ本は、本当ならコーヒーでも入れながらじっくりと向き合うのがいいのだろう。そんな意味合いで選んだBGMは、映画K−19のサウンドトラックだ。ゲルギエフが棒を振っているということでも話題になったが、最初のテーマ曲が何とも言えずロシアの冬を思い起こさせる。ロシアというとこのK−19にクールスクと、潜水艦にまつわる悲劇に事欠かないが、この全体を流れる重々しさに、もしこれを生演奏で聴かされたら打ちのめされてしまうのではないかとさえ感じる。映画のおまけではなく、独立した音楽作品として十分に楽しめる。ぜひお聴きいただきたい一枚である。
cinema & Soundtrack | - | - | author : miss key