特等席からの眺め―Baltin Voices 2 -- Estonian Philharmonic Chambr Choir / Paul Hillier | 2004.09.28 Tuesday |
珍しく臨海副都心に出張した、その帰りのこと。珍しく、ゆりかもめの先頭席―ゆりかもめは無人運転であり、先頭車両の先には、客席が2人がけと1人がけ各1つの計3席設けられ、ガラス張りで左右に広がる景色を楽しむことができる―が空いていた。最初は、二人がけの方に若いカップルがかけており、何やら楽しそうにしていたが、彼等は次の駅で降りた。時間が中途半端だったのか、他に乗ってくる客もなく、私は遠慮なく、最も景色がよく見える二人がけのまん中に座り直した。
夕刻近くの海の景色は格別で、群青の水の色に、近代的な建物群の鈍い銀色がよく映える。ゆりかもめは弧を描くような軌道を持っているため、先頭席ではそれこそ空間の中へ滑り込むような錯覚さえおきて、なんとも快い。私は建物に目がないが、ある新築マンションなどは、ぱっと見はモダンなデザイナーズマンションなのに、よく見るといずれの部屋にもガラスの向こうには品のよい障子が立て付けてあり、和洋折衷もここまでうまく溶け合うと全く新しいデザインのような印象さえ受ける。空を見れば、随分と立派なうろこ雲。夕刻の淡い朱に染まった雲の群れは、絵でもみているように美しかった。
凪いで静かな海の色が、いつかみたバルトの海を連想させる。然して選んだのは、バルティック・ボイセズの第2集。ポール・ヒリアーの指揮によるエストニアン・フィルハーモニック・チャンバー・コールの演奏によるもの。エストニアには古い教会が多数残り、ミニコンサートもよく行われている。教会の響きは、その雰囲気がそうさせるのか、厳かで爽やかであり、今回の録音もその言葉そのままに、疲れた躯をそっと包み込んでくれる。
エストニアは、旅した際のガイドさんの言葉を借りれば、まさに歌の国である。確か3年に一度催される歌の祭典は、国民の多くが実際に参加して行われる大規模な合唱の祭りだ。しかしながら、数年前に旅したときには、およそ国内盤のCDを揃えている店はみあたらず、いくつか教えてもらったグループの作品も手に入らずじまいだった。
エストニアはCDといわず、国内でものを作る力が弱いため、オリジナルのポップスをCDで当たり前に聴けるようになるまでにはまだ時間がかかりそうだが、ホテルで聴いたラジオの音楽番組はまだ私の耳奥にかすかに残っている。再訪がかなった折には、地元の音楽を浴びながらゆっくり旅しようと思う。それまでは、今日のような作品を聴きながら時の熟すのを待つとしよう。
夕刻近くの海の景色は格別で、群青の水の色に、近代的な建物群の鈍い銀色がよく映える。ゆりかもめは弧を描くような軌道を持っているため、先頭席ではそれこそ空間の中へ滑り込むような錯覚さえおきて、なんとも快い。私は建物に目がないが、ある新築マンションなどは、ぱっと見はモダンなデザイナーズマンションなのに、よく見るといずれの部屋にもガラスの向こうには品のよい障子が立て付けてあり、和洋折衷もここまでうまく溶け合うと全く新しいデザインのような印象さえ受ける。空を見れば、随分と立派なうろこ雲。夕刻の淡い朱に染まった雲の群れは、絵でもみているように美しかった。
凪いで静かな海の色が、いつかみたバルトの海を連想させる。然して選んだのは、バルティック・ボイセズの第2集。ポール・ヒリアーの指揮によるエストニアン・フィルハーモニック・チャンバー・コールの演奏によるもの。エストニアには古い教会が多数残り、ミニコンサートもよく行われている。教会の響きは、その雰囲気がそうさせるのか、厳かで爽やかであり、今回の録音もその言葉そのままに、疲れた躯をそっと包み込んでくれる。
エストニアは、旅した際のガイドさんの言葉を借りれば、まさに歌の国である。確か3年に一度催される歌の祭典は、国民の多くが実際に参加して行われる大規模な合唱の祭りだ。しかしながら、数年前に旅したときには、およそ国内盤のCDを揃えている店はみあたらず、いくつか教えてもらったグループの作品も手に入らずじまいだった。
エストニアはCDといわず、国内でものを作る力が弱いため、オリジナルのポップスをCDで当たり前に聴けるようになるまでにはまだ時間がかかりそうだが、ホテルで聴いたラジオの音楽番組はまだ私の耳奥にかすかに残っている。再訪がかなった折には、地元の音楽を浴びながらゆっくり旅しようと思う。それまでは、今日のような作品を聴きながら時の熟すのを待つとしよう。
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