音の快楽的日常

音、音楽と徒然の日々
静かな食卓 ― Grace -- Jeff Buckley
 私はビジネスランチが苦手だ。飲み会ならそうでもないのだが、通常の食事をしながらの会話となると、話すタイミングをうまく掴めない。そんなこと、考えながらするものではないのだが、小さい頃からの習慣が、普通なら意識せずにできそうなことを「できさせないで」いた。

 私には弟がいる。彼はついついテレビに気を取られ、いつも両親に叱られながら食事をしていた。ろくに食べないばかりか、おしゃべりしながら口に運んだものもぽろぽろとこぼしたりして、食べ物を大切にしろと口煩い父から何度も注意された。農家の四男として生まれ、物の少ない時代に育った父にしてみれば、子どものし好や健康にも配慮して並べられた料理を目の前にして、食べたものが美味しいとも言わない弟が酷く行儀の悪いものに映ったに違いない。

 それでもなかなか態度の直らない弟に業を煮やし、我が家では、食事時にはテレビを消して、黙って食べることになった。今時の家庭とは違い、特に父親の言うことは絶対である。私はもともとそれほどテレビ番組には興味がなく、また口が重い方であったので、私も何も言わないで黙々と食べるのが当たり前となった。テレビを見ないのはわかるが、何故黙って食べる必要があるのかと不思議に思われるだろうが、両親ももともと言葉の少ない人であったし、私も口が重い方だったので、怒られないように無駄口はきかずに食べるようになるのはごく自然なことだった。

 習慣とは恐ろしいもので、例えば学校の給食などでも、人がしゃべりながら食べているのを見ると煩わしいとさえ感じるようになっていた。そんな風だから、社会人になって、なんと食事をしながら仕事の話をする場面が多いことかとうんざりしたものだ。同僚に対してなら、話題に合わせてうなづいたり、笑顔を返していればその場の雰囲気も壊さずに済むが、仕事となるとそうはいかない。うまく話さなければと思えば思う程、訳の分からない焦りまで感じて、逆に食事ができなくなったりした。

 最近は、さすがに多少の場数も踏んだので、なにがしか工夫をしてそれなりにこなすようにはなったが、苦手意識には何の変化もない。食事は楽しい一時であり、話題を提供して場を盛り上げるといった気の利いたことはできないでいるが、出来ないと言う事自体を苦痛に感じるのは止めた。何かをできないということを自分自身が肯定してやれなくて、誰がそうしてくれるのだろう。

 欠点を認めることで気が楽になり、逆にできなかったことが多少はできるようになったりするものだ。安易な妥協や諦めではなく、逃げることではなしに認め、受け入れるという意味において、「許し」の本質とは一体何なのか。仮に、人によっては何らかのイクスキューズを必要とするかもしれないが、それで自分のありのままを受け入れることができるのであれば、人の気持ちは救われるというものだろう。

 ジェフ・バックリーという夭逝のシンガーがいる。私は彼の歌をあるオーディオファイルの方から聴かせていただいた。このCDの6曲目に収められたハレルヤという曲である。この曲はもともとレナード・コーエンのオリジナルだが、ジェフの歌うハレルヤは本家を遥かに凌いでいる。

 私はロックには全然詳しくないので、ジェフの音楽をうまく紹介できないが、ジェフの録音はごくわずかしか残っておらず、正規のリリースよりもブートレグの方が圧倒的に多く出されている。今日のグレースは、彼のデビューアルバムであり、この1枚だけといってもいいようなオリジナルアルバムである。しかも、たまたま最近になって未発表(正式には)録音とDVDがついた豪華3枚組の特別バージョンで再発されており、私はこちらを購入した。

 リマスターの効果の程は、どうだろう。ひょっとしたら旧盤の方が耳馴染みがいいかもしれないが、また最近アナログでも再発されたとのことなので、今からお勧めするとしたらアナログになるだろうか。音はともかく、骸骨マイクを手にした憂いのある表情のジャケットは、LPレコードならもっと美しく魅力的に違いないと思うからだ。

 ハレルヤに話を戻そう。そろそろと始まるイントロのギターの響き。そしてジェフ・バックリーの歌声ときたら、何と陰影に富み美しいのだろう。深く切ない声音は聴く者にまるで深い絶望さえ与える。この一曲のために手元に置く価値のある1枚。お勧めしたい。
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本棚を整理する― Romance -- Simone with Romantic Jazz Trio
 ずっと前から気になっていた2本の本棚。ホームエレクターで組んだものだが、収納力があるから、かえってろくに整理もせずに何でも棚に突っ込むような始末。おかげで、ちょっとしたものがすぐ出てこなくて家捜しすることも少なくなく、思いきってきちんと整理することにした。

 もともと物が多いので、見る頻度のかなり低い本は箱詰めして押入れに仕舞い、空間をまず確保。本をジャンルや大きさできちんと選り分け、利用頻度を考えて棚割りを考える。それから、本と同じく、聴きたいものがすぐ探せなくなっていたレコード用のスペースを新たに作った。ちょうど目線の高さに合わせて棚をセットしたので、見やすいことこの上無し。

 そんなこんなで狭い部屋で掃除もかねての本棚整理は3時間強で終了。これまでは、来客があるときなどは恥ずかしくてすぐにでも片付けようと思っていたのに、モノの量に圧倒されて手付かずだった。しかしながら、レコードを床に立て掛けて置くにも限界があり、また反りなどの問題もあることから、本来のきちんとした収納をしなければと気になっていた。実際、整理してみて大正解。多少の筋肉痛と手荒れの犠牲を払っても、十分そのかいがあったというものだ。

 本棚を見ればその人のことがよく分かるというが―それはどんな本を読んでいるかということを指しているのだろうが―、棚の整理ができないなんてずぼらも良いところで、整理しきれないほど手に余るのなら、物の処分も考えなくてはいけないのかも知れない。今回は、とりあえずゴミ以外は処分せずに済んでほっとした。というか、もっと早く棚割りをやり直していればと痛感した。

 一仕事終えて聴きたくなったのが、How do you keep the music playing。私が親しんでいるのは、ジェームズ・イングラムが歌っているものだが、今日は、同曲を発売されたばかりのシモーネの歌で楽しんだ。イングラムの歌唱と比べると、アレンジも歌い方もかなり温度感が低く、イントロを聴いただけでは「同じ歌?」と思われる方もいるだろう。でも心配は要らない、しっとりと抑制の聴いたフレーズがじんわり沁みて、目を閉じて深呼吸したくなる。

 シモーネの作品は、ジャケがお色気系である種の濃さを連想させるが、歌は健康そのもの。自然な温かみと素直な歌唱が、物足りないと思うかどうか。その意味で彼女はJAZZという枠を自分ではめてしまうのではなくて、あくまでもその曲を大切にし、どんな風に歌うのか、選曲も歌唱も彼女自身が決めているのだろうし、聴く側も女性ジャズボーカルだからと決めてかかってしまうとつまらないかも知れない。

 シモーネの前作はアナログでも発売され、それも美しい赤のカラーレコードだった。もちろん、ジャケットのポートレートも大変美しく、男性にはさぞ好評だっただろう。今日のアルバムも、おそらく数カ月後にはアナログが出るはず。レコードで聴きたいからと、数カ月先のリリースを待てるだろうか。私は待てなかった。そしてシモーネの歌のもつ素肌っぽさが何とも好ましく、女性リスナーにもぜひ聴いていただきたい一枚である。
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弦の音色に痺れる ― Double Face -- Akio Yokota
 ここのところ、目を覆いたくなるような事件が続き、世間でボーナスがどうのと沸いていても、いま一つ気分は盛り上がらない。そんな週末、職場で酒の話になった。うちの課は係2つを抱える大所帯だが、酒が楽しく飲める、飲み会が楽しみだというような人は片手で足りるほどしかいない。まさに幹事泣かせとはこのことで―食事にウエイトのある参加者が多いと、どうしても会費の高いコースになってしまうので―電卓をにらみ付けては健気に馴染みの店に交渉している。

 私は決して酒が嫌いではないが、医者のススメもあってほとんど飲んでいない。おかげでこの激務の最中、長期の休暇も取らずになんとか体が続いている。先日はボジョレ・ヌーウ゛ォをプレゼントされたが、とても飲み空けられないので、またの機会にと開けずじまい。これもまた寂しい話だ。

 酒に酔うのではなくて、もっと別な色気のある話はないだろうか、否あるじゃないか、などとオヤジの如くぼやきつつ待ちに待ったリリースが今日のBGM、横田明紀男のDouble Face。横田氏は人気ユニット、フライド・プライドのリーダーにしてギタリスト。超絶テク!みたいな見出しで雑誌に取り上げられていることも少なくないが、初めてフライド・プライドの演奏を聴いたときのあのゾクゾク感は、何といっても横田氏の紡ぎ出す艶っぽい弦の音に痺れたからに他ならない。

 私が女性だから、余計男性の歌声や演奏に感じるところが大きいのだろうが、それにしても今回のアルバム、録音もハイファイで空気感たっぷりの中、激しく、時には艶かしい程に動く氏の指先が見て取れるよう。曲もメロウなナンバーから思いっきりファンキーに振ったアレンジのものまでバラエティに富んでいる。

 今回のアルバムはネットで調べた限りでは4枚目のソロ・アルバムになるようだが、過去リリースされたものはかなりの入手困難のようで、ソフト探しについては自信アリの私もお手上げ状態。そんな「喉が乾いた」状態のリリース情報に指折り数えて今日を迎えた。CDが毎日山のように出される現在では、或はソフトを月に何枚も買う私にとっても非常にハッピーな出来事。ギターのお好きな方にはぜひとも聴いていただきたい、この冬注目の一枚である。
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巡り逢い―Нега--Валерий Меладзе
 人の縁というものは、本当に不思議なものだ。誰が予定しているわけでもない、いろんな偶然の積み重なりで、人と会えたり、会えなかったりする。今、こうして私自身がつきあっている人々も、もしかしたら会うこともなかったのかもしれない、などと思い返したりすると、出会いというのは、すべからく運命であり、あるいは偶然の悪戯だと人は言うかもしれない。

 翻って、出会えて良かったね、と言えるような出会いが、人生に一体何度あるのだろう。あるいは、貴女と会えて良かった、といってもらえることが私にどれほどあるだろうか。思えば、人生は限られた時間。そして、出会いもまた有限である。

 慌ただしい毎日に流されていると、いつしか人を好きになる気持ちも忘れていて、思わずどきりとしたりする。出会いをどれだけ得られるか、それは男女のそれに限らず、身も心も健やかで、どれだけ人としての輝きを放っているかによるのではないだろうか。

 久々のミラーゼの新譜はビデオクリップ3曲ほか14曲からなっている。もちろん、ウ゛ィアグラとの共演曲や新曲セリャウ゛ィも収められているが、旧作のリミックスもあって、オール新曲ではないのが少々残念。だが、彼の歌を聴いていると、相変わらずこってりとした歌詞を情熱的に歌うものだから、思わず熱い恋に胸焦がれてしまう。

 恋に恋する歳はもうとっくに過ぎてしまったのだけれど、人と寄り添いやすいこの季節。街行く恋人達に羨ましさを感じつつ、私自身の「出逢い」に思いを馳せる寒い夜。降る雪が端からとけるような熱さではなく、遠くの灯を見遣るような温かさでもって包まれて、心地よい眠りに誘われる。充実した休日を過ごした夜のBGMにぜひお勧めしたい1枚である。
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大漁の一日 ― Gemini ll -- Marcus Belgrave
 週末はまた雨と諦めていたのに、思いのほかの良い天気。寒さも増してようやく11月らしくなり、ホットカーペットの足下が心地よい。

 起き抜けのぼんやりした頭で思い出してみると、今日はJAROにA店長代理が来る日。彼女は私よりひと回り近く若いOLだが、70年代のヨーロッパジャズに詳しくて、今日もお勧めを聴きにいそいそと渋谷に出かけた。彼女と話していると、ついつい時間を忘れて長居してしまう。

 今日のテーマはスピリチュアル・ジャズ。JAROはモダンが中心なのだが、下の棚に―餌箱に隠れて見えづらい足下の―70年代のレア・アイテムが雑多に置いてあったりする。なので、店長代理も、私にこれぞと思うお勧めを聴かせようと、次々とレコードを掘り起こす(笑)。今日、特に良かったのはEje Thelinのライブ盤、60年代初期のトーインチ。音がみずみずしいなあと感心していたら、それもそのはず、オリジナル盤。相場よりは安い値だが、絶対額として決して安くはないので、ありがたく聴かせていただくに止める。

 続くは、Don RendellのPhase lll。最近まであった在庫が、既に売れているのかなかなか見つからず、聴けずじまいだったが、彼女はこの中から特にブラック・マリーゴールドを推薦。ちなみに、Don Rendellのレコードはどれもレアで高価だが、最近、CDでの再発、それも音の良い2枚で1つの企画物がいくつか出ていて、Phase lllも収められている。

 さらに彼女の超お勧めアイテムが今日の一枚、マーカス・ベルグレイウ゛のジェミニllというアルバム。このアルバムは、DJご用達のまさにスピリチュアル・ジャズを代表する作品で、再発が出るまでは見つけても高価でなかなか手が届かない人気盤だったとか。このアルバムを、JAROから歩いて3分のJazzy Sportというお店で購入したが、ジャズ専門廃盤店にありがちな、暗い雰囲気は全くなくて、店の中はおしゃれそのもの。でも心配無用。店員さんも若い男性の方だったが、とても詳しくて、親切。某有名チェーン店などは少し見習った方がいいかも知れない。

 横道に逸れたが、聴きどころは1曲目、Space Odysseyと5曲目のMarcia's opal、続くOdoms caveの3曲。1曲目などは出だしが何やら環境音楽みたいで少々緊張するが、ホーンセクションが鳴りだすと、もう大丈夫(笑)。とにかく、マーカスのトランペット以下、ホーンがよく鳴っていてかっこいいし、気持ちいい。それにしても、このジャケットでは、よほど勧めてもらわないと手が伸びなかったに違いない―ピーナッツ男のようなお面が書いてあるだけの黒いジャケットでは、さすがに買いにくい(笑)。

 音楽好きな人と盛り上がった日は、運が向いてくるのか、あれこれ気になるアイテムが目の前にどんどん出てくる。しかも手ごろな価格でうれしい限り。まさに大漁の一日。名盤をじっくり楽しむのも良いが、切り口を変えたところで話題になっている作品も侮れない。この冬、気合いを入れてレコ堀しようと改めて思った次第である。
レコードの話 | - | - | author : miss key
海猫 ― ユーミン・ブランドパート3--荒井由美
 久し振りに小説を読み耽った。読むものは何でもよかったが、せっかくならたまには話題作をと思い、書店で手にとったのは谷村志穂さんの「海猫」。ちょうどハードカバーが切れており、買ったのは文庫本上下巻のセットだ。
 
 今夜は、上巻だけにするつもりだったが、途中で止めることができるような振り分けになっておらず、かといって、安っぽいドラマにありがちな、下巻の最終章を読めばすべて見えるといった構成でもないので、とにかく読んだ。気が付いたら夜中3時。目は疲れたが、読了感で大満足。恋愛ものはあまり手が伸びない私だが、「海猫」は淡々とした筆致の中に、女の業のようなものが見えかくれして、どんどん引き込まれた。

 この小説を元にした映画が封切られて間もないので、「海猫」はあちこちで話題になっているが、映画を観て主演女優の脱ぎっぷりが悪いなどとこぼす暇があったら、原作を読むことをお勧めする。映画はストーリーをかなりまるめてあるようだが、どこがそうなのかは書かない。ネタばれはつまらない。

 最近、夜静かになってからよく聴いているユーミンのベスト盤。先日、知り合ったばかりの荒井由美ファンの方からお土産にいただいたものだ。「海猫」を読み終えてから、このアルバムにも収められている「海を見ていた午後」が聴きたくなり、1曲だけとターンテーブルを回した。

 同じ海を眺めるのでも、「海猫」と「海をみていた〜」では、その立ち位置も海の色も、そして時間帯も全く異なるのに、なぜか聴きたくなる。ちなみにこの曲は、もともとはミスリムというオリジナルアルバムに入っていて、松任谷になってからのユーミンの作品を含めても、これが一番と推すファンも少なくないとか。私も、卒業写真を始め、スッピンの美しさが感じられる荒井由美時代の曲の方が好きである。

 ユーミンの描く海は、どんなに淡く遠くても救いがある。小説「海猫」に救いがないとは言わないが、30代女性が読み手なら、気力のあるときにどうぞ。仕事に追われてそんな馬力無し、の向きにはもれなく「海を見ていた午後」をお勧めしたい。懐かしさーユーミンの歌、あるいは歌詞の内容、はたまた遠い過去の思い出―に顔の緊張もほぐれること請け合い。入れたての紅茶の香りを楽しみながら静かに聴きたい一押しの1曲である。
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アントクアリウム―Together -- Moicef Genoud Trio
 東京は西多摩の多摩動物公園には、日本でも珍しい昆虫館がある。虫の類いには目のない私なので、日頃は通って見ることのできない今も、ネットで公開される飼育昆虫の様子をチェックするのを楽しみにしている。

 今日は、ハキリアリの新女王が誕生したとの報告があった。ハキリアリは、木の葉などを細かくちぎって巣に持ち込み、それらを敷き詰めて畑を作る。畑?と知らない人が聞いたら驚くだろうが、食糧のキノコを栽培するのだ。しいたけのような形のものではなくて、もこもことした塊のようなものだが、アリは種類によっては農耕だけでなく、牧畜もするというから感心してしまう。

 ハキリアリの隊列がちぎった葉を頭上にかついで巣に戻る様は、何やら傘をさしているようにも見えるので、海外ではパラソルアントなどと呼ばれたりする。全国でも飼育例が当館にしかなく、しかも、新しい女王が誕生したというのだから大変素晴らしい。なんでも200頭ばかり羽化したということだが、実際に女王となるのは、おそらく1頭であろうから、どうやって真の女王が選ばれるのか、想像がつくにしても興味深い。

 アリのことを考えたら、あれこれときりがないのだが、一時期、アントクアリウムというアリの飼育キットがよく売れていて、意外に思ったことがある。宇宙の無重力状態での生態観察用にとイタリアのメーカーが作ったそうだが、巣と餌の両方の役割を果たす水色のジェルが透明の容器に満たされており、そこに数頭のアリを放すと、やがて巣を作るためにトンネルを掘りはじめる。その様子を観察して楽しむためのものだが、私はともかくとして、そんな趣味の人が大勢いるとはとても思えないから、きっと最初は一体なんだと面白半分で買った人が大半に違いない。それでも、アリを飼育してみた人の感想には、アリ達がチームをつくって働き始めたり、トンネルを掘り進んで行くのがよく見えたり、あるいは、サボっているアリを見つけて面白がっているうちに、どんどんとはまっていく様子がみてとれる。

 わずか3000円ほどだが、それはあくまでもキットだけで、アリそのものは自分で家の近所かどこかで捕獲しなくてはいけない。しかも手でつまんだりすると、人間の指からばい菌がついたりして、小さなアリ達はダメージで死んでしまったりするから、付属の道具を使いながらつり餌で誘き寄せる必要がある。虫が苦手な人でなくても、なかなかに大変だ。それを乗り越えて飼育している人が大勢いるというのは、日頃虫好きな私をまるで奇妙な生き物でも眺めるが如く顔をしかめる人の多い、私の日常からすれば、にわかには信じられない。

 アクリルのケースに青いジェルというのがインテリアとしても許せる範囲であることや、長くても飼育は1年ほどで終わり、途中は餌要らずということもあって、気軽に手が出る要素はそれなりにある。しかし、生き物だから、キットを手に入れた方には、ぜひ大切に飼育して欲しいと思う。どんなに小さくても、各々が命をもっているのだから。そして、生き物としての彼等により興味を持って私のようにあれこれ思いを馳せる人が一人でも増えてくれたなら、それ以上のことはない。

 アリのことに夢中になって、何を書きたいのかすっかり忘れてしまった。まとまりがつかないが、とりあえず今日の1枚を紹介する。先日、杉並のKさん宅でのサウンドパーティで聴かせていただいたこのアルバムは、Moicef Genoudのピアノトリオによる演奏が主体だが、1曲だけ、Youssou N'dourのボーカルが入っている。2曲目のMy Hopeだが、未来に向けて命の輝きや息吹きを感じさせるようなその歌は耳に焼き付いて離れることはなかった。全ては、一人一人が希望を胸に抱くことから始まる、そんな気にさせる活力溢れるこの1曲。目や耳を塞ぎたくなるような事件が続く今だからこそ、ぜひお聴きいただきたいアルバムである。
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素朴な疑問 ― Anton Bruckner Symphonie no.7 -- Orchestre des Champs-Elysees /Philippe Herreweghe
 毎日のように、中東の紛争がらみで人が亡くなっている。自爆テロだとか、拉致殺害だとか、軍人はもちろん、民間人も。ちょうど先週だったか、イラクに旅行目的で入国した若い日本人男性が、テロリストのグループに連れ去られ、プロパガンダの道具にされた上に斬首の殺害死体で打ち捨てられた。

 少し前に、4人だか、5人だかの日本人が、やはり現地のグループに拘束された時には、何とか助けだせないものかという声が強かったように思ったが、今回の出来事では、どちらかと言えば、自業自得といった声にならない声が聞こえてきそうで、背中に薄ら寒さを覚えた。

 もちろん、そんな危険なところに、よく物を考えれば足を向けるはずはないので、私自身、気の毒とは思えども、それ以上の感情を持っているわけではない。ただ、出来事から約1週間ほどたった今でも、何かが頭にひっかかって、どうも座りが悪いのだ。

 おそらくは、捕まえやすい日本人なら、誰でもよかったに違いない。亡くなった彼は、たまたま事件に行き当たってしまったが、その場所が当のイラク国内だったから、殺された方が悪いとでもいうのだろうか。拉致された場所がイラクではなくて、例えばローマだったらみな彼のことを気の毒がるのだろうか。あるいは、イラクに行ったのが自分探しの旅ではなくて、ボランティア活動のためだったら?

 人の心は惑わされやすいものだと思う。私も情報操作に釣られやすい質だが、今回の出来事でそのことを思い知らされた。人はいずれ誰もが死を迎えるので、いったいどういう死に方をするかというのは、巡り合わせや確率の問題に帰するのかも知れないが、小心な私は、大好きなモスクワ行きも、実はあの劇場のテロ事件以来、すっぱり諦めている。そんな自分であるがゆえに、今回の出来事は何か割り切れないものを心の奥底に残したような気がする。割り切れない―この一言に尽きる。

 音楽を心ゆくまで楽しむという気分ではないが、楽器の響きが美しく、ホールの空気にやわらかに溶け込んで行く様が目に見えるようなブルックナーの7番をそっと流している。ほんとうは、自宅のオーディオなんかではなく、マリインスキ―のような美しいホールで、この曲を聴きたい。物事を否定することの楽さ加減と、自分という人間の弱さへの諦めと肯定、そして舐めた血のしょっぱさにも似た心の痛みとを綯い交ぜにして。合掌。
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