静かな食卓 ― Grace -- Jeff Buckley | 2004.11.28 Sunday |
私はビジネスランチが苦手だ。飲み会ならそうでもないのだが、通常の食事をしながらの会話となると、話すタイミングをうまく掴めない。そんなこと、考えながらするものではないのだが、小さい頃からの習慣が、普通なら意識せずにできそうなことを「できさせないで」いた。
私には弟がいる。彼はついついテレビに気を取られ、いつも両親に叱られながら食事をしていた。ろくに食べないばかりか、おしゃべりしながら口に運んだものもぽろぽろとこぼしたりして、食べ物を大切にしろと口煩い父から何度も注意された。農家の四男として生まれ、物の少ない時代に育った父にしてみれば、子どものし好や健康にも配慮して並べられた料理を目の前にして、食べたものが美味しいとも言わない弟が酷く行儀の悪いものに映ったに違いない。
それでもなかなか態度の直らない弟に業を煮やし、我が家では、食事時にはテレビを消して、黙って食べることになった。今時の家庭とは違い、特に父親の言うことは絶対である。私はもともとそれほどテレビ番組には興味がなく、また口が重い方であったので、私も何も言わないで黙々と食べるのが当たり前となった。テレビを見ないのはわかるが、何故黙って食べる必要があるのかと不思議に思われるだろうが、両親ももともと言葉の少ない人であったし、私も口が重い方だったので、怒られないように無駄口はきかずに食べるようになるのはごく自然なことだった。
習慣とは恐ろしいもので、例えば学校の給食などでも、人がしゃべりながら食べているのを見ると煩わしいとさえ感じるようになっていた。そんな風だから、社会人になって、なんと食事をしながら仕事の話をする場面が多いことかとうんざりしたものだ。同僚に対してなら、話題に合わせてうなづいたり、笑顔を返していればその場の雰囲気も壊さずに済むが、仕事となるとそうはいかない。うまく話さなければと思えば思う程、訳の分からない焦りまで感じて、逆に食事ができなくなったりした。
最近は、さすがに多少の場数も踏んだので、なにがしか工夫をしてそれなりにこなすようにはなったが、苦手意識には何の変化もない。食事は楽しい一時であり、話題を提供して場を盛り上げるといった気の利いたことはできないでいるが、出来ないと言う事自体を苦痛に感じるのは止めた。何かをできないということを自分自身が肯定してやれなくて、誰がそうしてくれるのだろう。
欠点を認めることで気が楽になり、逆にできなかったことが多少はできるようになったりするものだ。安易な妥協や諦めではなく、逃げることではなしに認め、受け入れるという意味において、「許し」の本質とは一体何なのか。仮に、人によっては何らかのイクスキューズを必要とするかもしれないが、それで自分のありのままを受け入れることができるのであれば、人の気持ちは救われるというものだろう。
ジェフ・バックリーという夭逝のシンガーがいる。私は彼の歌をあるオーディオファイルの方から聴かせていただいた。このCDの6曲目に収められたハレルヤという曲である。この曲はもともとレナード・コーエンのオリジナルだが、ジェフの歌うハレルヤは本家を遥かに凌いでいる。
私はロックには全然詳しくないので、ジェフの音楽をうまく紹介できないが、ジェフの録音はごくわずかしか残っておらず、正規のリリースよりもブートレグの方が圧倒的に多く出されている。今日のグレースは、彼のデビューアルバムであり、この1枚だけといってもいいようなオリジナルアルバムである。しかも、たまたま最近になって未発表(正式には)録音とDVDがついた豪華3枚組の特別バージョンで再発されており、私はこちらを購入した。
リマスターの効果の程は、どうだろう。ひょっとしたら旧盤の方が耳馴染みがいいかもしれないが、また最近アナログでも再発されたとのことなので、今からお勧めするとしたらアナログになるだろうか。音はともかく、骸骨マイクを手にした憂いのある表情のジャケットは、LPレコードならもっと美しく魅力的に違いないと思うからだ。
ハレルヤに話を戻そう。そろそろと始まるイントロのギターの響き。そしてジェフ・バックリーの歌声ときたら、何と陰影に富み美しいのだろう。深く切ない声音は聴く者にまるで深い絶望さえ与える。この一曲のために手元に置く価値のある1枚。お勧めしたい。
私には弟がいる。彼はついついテレビに気を取られ、いつも両親に叱られながら食事をしていた。ろくに食べないばかりか、おしゃべりしながら口に運んだものもぽろぽろとこぼしたりして、食べ物を大切にしろと口煩い父から何度も注意された。農家の四男として生まれ、物の少ない時代に育った父にしてみれば、子どものし好や健康にも配慮して並べられた料理を目の前にして、食べたものが美味しいとも言わない弟が酷く行儀の悪いものに映ったに違いない。
それでもなかなか態度の直らない弟に業を煮やし、我が家では、食事時にはテレビを消して、黙って食べることになった。今時の家庭とは違い、特に父親の言うことは絶対である。私はもともとそれほどテレビ番組には興味がなく、また口が重い方であったので、私も何も言わないで黙々と食べるのが当たり前となった。テレビを見ないのはわかるが、何故黙って食べる必要があるのかと不思議に思われるだろうが、両親ももともと言葉の少ない人であったし、私も口が重い方だったので、怒られないように無駄口はきかずに食べるようになるのはごく自然なことだった。
習慣とは恐ろしいもので、例えば学校の給食などでも、人がしゃべりながら食べているのを見ると煩わしいとさえ感じるようになっていた。そんな風だから、社会人になって、なんと食事をしながら仕事の話をする場面が多いことかとうんざりしたものだ。同僚に対してなら、話題に合わせてうなづいたり、笑顔を返していればその場の雰囲気も壊さずに済むが、仕事となるとそうはいかない。うまく話さなければと思えば思う程、訳の分からない焦りまで感じて、逆に食事ができなくなったりした。
最近は、さすがに多少の場数も踏んだので、なにがしか工夫をしてそれなりにこなすようにはなったが、苦手意識には何の変化もない。食事は楽しい一時であり、話題を提供して場を盛り上げるといった気の利いたことはできないでいるが、出来ないと言う事自体を苦痛に感じるのは止めた。何かをできないということを自分自身が肯定してやれなくて、誰がそうしてくれるのだろう。
欠点を認めることで気が楽になり、逆にできなかったことが多少はできるようになったりするものだ。安易な妥協や諦めではなく、逃げることではなしに認め、受け入れるという意味において、「許し」の本質とは一体何なのか。仮に、人によっては何らかのイクスキューズを必要とするかもしれないが、それで自分のありのままを受け入れることができるのであれば、人の気持ちは救われるというものだろう。
ジェフ・バックリーという夭逝のシンガーがいる。私は彼の歌をあるオーディオファイルの方から聴かせていただいた。このCDの6曲目に収められたハレルヤという曲である。この曲はもともとレナード・コーエンのオリジナルだが、ジェフの歌うハレルヤは本家を遥かに凌いでいる。
私はロックには全然詳しくないので、ジェフの音楽をうまく紹介できないが、ジェフの録音はごくわずかしか残っておらず、正規のリリースよりもブートレグの方が圧倒的に多く出されている。今日のグレースは、彼のデビューアルバムであり、この1枚だけといってもいいようなオリジナルアルバムである。しかも、たまたま最近になって未発表(正式には)録音とDVDがついた豪華3枚組の特別バージョンで再発されており、私はこちらを購入した。
リマスターの効果の程は、どうだろう。ひょっとしたら旧盤の方が耳馴染みがいいかもしれないが、また最近アナログでも再発されたとのことなので、今からお勧めするとしたらアナログになるだろうか。音はともかく、骸骨マイクを手にした憂いのある表情のジャケットは、LPレコードならもっと美しく魅力的に違いないと思うからだ。
ハレルヤに話を戻そう。そろそろと始まるイントロのギターの響き。そしてジェフ・バックリーの歌声ときたら、何と陰影に富み美しいのだろう。深く切ない声音は聴く者にまるで深い絶望さえ与える。この一曲のために手元に置く価値のある1枚。お勧めしたい。
pop & rock | - | - | author : miss key