音の快楽的日常

音、音楽と徒然の日々
1年を振り返って ― Chet Baker in Paris vol.3 -- Chet Baker
 1年経つのはほんとうに早い。こんなことを言うと「歳をとったから」と笑われそうだが、地震や台風と大きな災害が続き、目を覆うような酷い人災もこれでもかと続く中、私自身の生活環境も大きく変わり、なにかと戸惑った1年だった。

 先日、久しぶりに田舎に戻ったのだが、1本しかないローカル鉄道の廃線が決定し、不便な場所がますます不便になるので、年老いた両親をこんなところに置いておけないなと溜息をついた。仕事さえ見つかれば東京を離れることにそれほど未練はないのだが、首都圏では少し持ち直したといわれる景気も私の田舎では一体何の話だかという風情で、転職は宝くじに当たるのと同じ程難しそうだ。

 良い1年だったと笑って済ませることはできないが、それでも、良い音楽や素晴らしい人々と巡り会うことができ、何といっても縁に恵まれたのが私にとって最大の幸せであったと思う。運の強さという言葉にはこれまであまり縁がなかったのであるが、新たな職場で新しい同僚に支えられ、また私自身が何かしらの役に立つこともできて、苦しい中でも手ごたえを掴むことができた。

 そういえば、この1年、それまではいくら探しても見つからないアイテムが次々と現れて、財布には厳しいものの、うれしい悲鳴で手にしたソフトも少なくなかった。今日の1枚、チェット・イン・パリの3番は、このCDにしか収められていない演奏が何と4曲もあり、長く探していたものである。しかも国内盤と外盤では音質にも差があり、どうしても88年に独仏でリリースされたCDが欲しかった。それが暮れになって、ひょっこり見つかった。このときの嬉しさは何と書けばいいだろう。

 私はこのCDに収録されているDear Old Stockholmがどうしても聴きたかった。チェットはそれこそ猛烈な数の録音を残してくれてはいるが、私の大好きなこの曲は演奏機会も少なく、またその録音となると手元の資料ではわずか3枚。そのうち2曲はライブで、このバークレーの録音ではスタジオ演奏によるものであり、ファンにとっては非常に貴重な記録となる。

 今年という時間も残りわずか。この間に聴くとしたらどんな曲がいいだろう。部屋を片付けたリする合間にも、あれこれと手にとって時間ある限り音楽を聴こうと思う。Chet in Paris のシリーズはどれも内容が素晴らしいので、3番といわず、中古店で見つけたらぜひ買い!とお勧めしたい。
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季節を感じる ― John Coltrane and Johnny Hartman
 「世界の中心で、愛をさけぶ」のDVDが売れに売れていると言う。私は原作はおろか、映画もTVドラマも見ていないので、周囲で話題になっているときにもその輪に入ることはなかったが、DVDなら手軽だから見てみようかな、という気になっている。

 少し前なら関心のないことには見向きもしなかったが、運動の嫌いな私が無理に誘われて職場のソフトボール大会に出てみたら、それが意外以上に楽しかったということもあって、機会あれば何でも見聞きしてやろうという姿勢は大切だなと痛感した。実際に新しいことにチャレンジするかどうかは別にして、そういう気持ちがあれば、常日頃からのものの見方も変わってくるというものだろう。

 それにしても1年は早い。ここ数日ぐっと冷え込んだせいもあって、いよいよ冬らしくなってきたが、空気の冷たさや空の色ではなく、自分自身の心持ちに季節の移ろいを感じている。時の過ぎゆく様をどこか遠いところから眺めてでもいるような距離感。それを人は「歳をとった」と言うのかも知れないが、まさに無事人並みに歳を重ねているということであれば、それもまた幸せなことかも知れない。

 今日は気が付けばクリスマスイブ。この響きにとりたてて特別なものは感じないが、大切な人とすごそうと今日の日を心待ちにしていた方に素晴らしいアルバムを紹介したい。ジョン・コルトレーンとジョニー・ハートマンという超のつく銘盤である。ビロードの声で体の芯まで沁みそうな素晴らしいハートマンの歌唱に、なんと伴奏がコルトレーン。コルトレーンについて「至上の愛」から入ってコルトレーン嫌いになった私が偉そうに言うことはできないが、なんとも優しい音色でハートマンを盛り上げている。中でもLush Lifeはぜひお聴き頂きたいお勧めの1曲。ちょうど、ユニバーサルからアナログレコードで復刻盤がリリースされたばかり。もちろんCDも出ているのでご安心を。いずれにせよ、心がじんわりと温まる素晴らしい1枚である。
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カートリッジ選びもまた縁 ― Пополам -- Ирина Аллегрова и Михаил Шуфутинский
 若い頃、アルバイトしていたことのある喫茶店は、BGMに有線ではなく、レコードをかける店だった。音楽喫茶というと実体よりも高尚に過ぎるが、ジャズやポップスの好きなマスターが、疲れて休憩に立ち寄る常連客にできるちょっとした気遣いだからと、レコード演奏を欠かすことはなかった。

 当時の私には喫茶店に通うような小遣いはなかったが、店に備え付けてあるオーディオが魅力的で、友達に連れられて一度行ったら忘れられなくなった。特に、そこで聴くプロコルハルムの青い影は、オルガンの音色が甘美で陰影に満ちており、まさに月影の蒼白さであった。その友達は、私が機械にうつつを抜かすのを見てさぞ幻滅したことだろう。今だから分かるのだが―この歳になって、相手に「申し訳ないことをしたなあ」と人の気持ちが分かるようにもなった。若いって残酷だし、とても恥ずかしいものだが、それでも私にはとても大切な想い出だ。

 私がオーディオに強い関心があるのは、多分、小さい頃から美しい機器を見て育ったからだと思う。実家は決して裕福ではなかったのでオーディオは私がかなり大きくなってからお年玉で買ったモジュラーステレオしかなかったが、叔母の家にはスイッチを入れるとフロントパネルに青いバックライトが灯る素敵なレシーバーがあったし、先の喫茶店にもマッキントッシュのアンプがあって、私にとってオーディオとは、いつのことからか、イコール青い色が美しい機器になった。

 そして、レコードがゆっくりと回るのをただ眺めるのが楽しみだった私の目には、OrtofonのSPU、通称カブトムシの姿が焼き付いている。或はキャラメルのような可愛らしいDeccaのカートリッジ。だから、いつかはカブトムシ、オーディオを自分で持つことができたなら・・・。

 しかしながら、今使っているのは Nottinghamのプレーヤーで、アームも純正の一体型のもの。残念ながら、このままであのカブトムシを使うことはできない。アームを増やすのはなかなか大変なことだし、どうしたものかと思っていると、私のような人間のために、Ortofonは裸の、つまりカブトムシの殻無しのカートリッジを販売していた。でも名前はちゃんとSPU。しかも殻つきと中身は同じだそうである。音は、殻の有無で随分と影響があるようだし、あの殻(シェル)がついてこそ SPUとも言われて迷ったのだが、このカートリッジを購入することにした。なぜなら、このカートリッジのボディが美しい青だったからである。

 2週間ほどして届いた真新しいカートリッジで早速聴いてみると、昔聴いたカブトムシとは音の傾向がかなり違うのだが、音楽が一つにまとまって濃く聴こえるのに思わずうっとりした。性能という点では、もっとオーディオ的に素晴らしいものがいくらでもあるだろうが、付けていきなりこんなにもしっくりとした再生がされるとは正直思ってもいなかったので、嬉しい誤算だった。

 決して安いものではないので、どれにするか、本当にあれこれ迷い、いろんな雑誌や資料を見たり、人に相談したりもしたが、結局決めたのは、いつかはの憧れを実現するカートリッジだった。そんな都合よくぴったりのものがあるなんて嘘臭い話だが、これと決めて選ぶ機器にはそれぞれ縁があるように思う。そうでなければ、手元に長居しないだろうことは、カメラがそうであったので想像に難くない。

 レコード再生をひと休みして流したCDが大御所デュエットの決定版のようなアルバム、イリーナ・アレグローワとミーシャ・シュフチンスキーのパパラームである。1曲目のカリヤーがシングルカットされてヒットしたので、ひょっとしたらストリーミングで聴かれた方もいるのでは。彼等の音楽は、私の能書きなど不要、まさに捨て曲なしの全12曲で編まれたモスクワからのクリスマスプレゼント。この冬のリリース作品でも出色の1枚である。
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冬の動物園 ― Декабристочка -- Катерина Голицына
 随分久しぶりに、多摩動物公園に出かけた。少し前の日記で書いた、ハキリアリの女王を一目みるためである。ここのところすっかりアリづいているが、アリにそれほど人を夢中にさせる何かがあることは、一生の大半をアリの研究に捧げる研究者が決して少なくはないことが物語っていよう。

 件のアリは、見事というしかない、素晴らしい飼育状態の中で展示されていた。新女王はまだ結婚飛行前だから、立派な両の翅を持っており、さながらプリンセスといったところか。働きアリがわずか数ミリの体長に対して、3cmほどもあるから、その存在感といったらやはり女王と呼ぶのが相応しいかもしれない。

 アリ達はせっせと葉を切り取り、巣へ運んでいく。巣の中では、栄養物を吐き出して仲間に食事として与えあうアリや女王の世話をするアリなど、それぞれの働く姿がよく見えて、これまで読んだ本にあった通りの様子に感動しきり。こんなことならもっと早く見学に来るのだった。最近は、物事が面倒に思え、つい先延ばしにしてしまう。よくない習慣である。

 ハキリアリだけでなく、展示されていた動物達はみな健康状態も良さそうで、なによりもその環境が清潔に整備されているのに感心した。今時、動物園も経営難で話題になることも少なくない。予算減でそうそう広告宣伝費も出ないのだろうが、大勢の人にぜひ楽しんでもらいたい、そう思わずにはいられなかった。

 都心を離れてすっかりリフレッシュしたあとは、冬の夜にぴったりのロシアンシャンソンでリラックスしたい。カテリーナ・ゴリツィナの最近のヒット曲を収めたデカブリストーチカ。お勧めは4曲目のピャーチ・トーチカ、10曲目のタクシスト。彼女はエストラードナヤ寄りではあるが日本でいう演歌系なので、どちらかというと「歌うヘッドライト」が懐かしいという方にこそお聴き頂きたい1枚である。
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VDT検査の道すがら―Я стану дождём -- Лариса Черникова
 年に1度のVDT検査を受けて来た。日頃パソコンを使う業務に就く職員全員が受けなければならないが、結果が悪かったからといって、特に仕事が減らされるようなことはない。そうは言っても、ドライアイや疲れ目から来る肩こりなどに悩む同僚も多いので、私も予防のために受診した。

 健康にはまるで自信がない私も、目は極めて健康であり、若干の乱視がある他は、裸眼で両目とも1.5という、まるでこの歳では遠目と言われそうな状態。両親はもちろん、親戚を眺めても眼鏡をかけている人は少なく、必要といったら老眼鏡程度である。これぞDNAのなせる技かもしれない。

 検査会場が事務所から離れた場所にあったため、午後、雑用を片付けてから先輩職員と電車に乗って会場に向かった。その途中聞いた話が振るっていた。その方はあと数年で退職という年齢であるが、20近く歳下の私をまるで妹の面倒でも見るかのように気遣ってくれるありがたい存在である。うちの職場は平均年齢が高く、退職真際の職員が何人もいるが、それぞれの若い頃がどんな風だったか、という話に花が咲いた。

 詳細を書くのは憚られるが、日頃、人の悪口は絶対に言わず、受け止める心の広さといったら一体と思うようなある男性職員には、昔、情熱の青春時代があり、彼にまつわるエピソードの数々は、古い職員の間ではいまだに話題になるほどの出来事で、そのいくつかを今日初めて聞いた私は目をむくほど驚いた。まさかあの方が?というようなギャップが、あまりにも凄まじいからである。

 それにしても、年配の男性職員の昔話というと、なぜか女性にもてた、もてなかったという話題がまず間違いなくでる。話す対象である私が女だから受けを狙ってのことかも知れないが、「これでも若い頃は随分ともてたんだから」と少し恥ずかし気に話す仕種に、青春は遠く省みて輝きを増すものだとつくづく思う。また、それは素晴らしいことだ。

 職場の華という言葉がある。これは何も、美人ということではなく、おそらく職場の雰囲気を明るくしてくれる存在、という意味だと私は考えている。職種柄女性が少ない我が職場では、私がその立場を担っているが、幸い笑顔だけは在庫のある限り大判振る舞いしている。給与半減とか、自衛隊派遣とか、世の中は一向に落ち着く気配を見せない中で、狭い事務所に笑いが出なくなったらおしまいだ。数字とノルマが先行するばかりの職場で、楽しく働くことの可能性を、今一度見い出したいと思う。

 今日は愉快なエピソードで私にいっぱい笑いとエネルギーを与えてくれた先輩に、ラリーサ・チェルニコーワの新譜を贈りたい。彼女のルックスは少々濃い目なので、まさかこんな声がという、見た目と声音に落差のあるのがまた魅力のラリーサ。ここしばらくオリジナルは出ていなかったので、突然という感じであったが、スローバラードを中心とした、のんびりムードの語らいにぴったりのBGMである。一部音源が彼女の公式サイトに出ているが、CDにもおまけのビデオクリップ付き。全16曲のクリップ2曲と豪華版なので、ロシアンポップスファンなら要チェックの1枚である。
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恐るべし、蟻三部作 ― Silent nights -- Chet Baker
 ベルナール・ウェルベルと聞いてぴんと来る方には多くの説明を必要としない。彼の書いた「蟻三部作」の邦訳が完結、発行されたのが去年の9月。一作目の「蟻」から数えること10数年、第三巻の「蟻の革命」を待ち焦がれた人がいったいどれほどいただろう。私は第一巻と二巻を2日続けて読みついだが、今手元にある第三巻はもったいなくてまだ開けずにいる。

 これほど続きが読みたくてうずうずするような作品は、ここ最近ではお目にかかったことがない。それは多分に私の不読な生活からくるものだが、それを割り引いたとしても、この作品から受けるインパクトはそれほど強い。騙されたと思って、まず第一巻を手にとってみて欲しい。蟻が死ぬ程嫌いというのでない限り、きっと引き込まれる何かがあるから。

 逸る気持ちを抑えきれないので、一息、冬の一ページに相応しいBGMで休憩することにする。チェット・ベーカーがクリスマスソングを吹き込んでいたなんて意外に思われる方も少なくないだろう。正直、アレンジのせいもあって、それほど厳かな雰囲気でもなく、かといって大勢で楽しむような雰囲気でもないが、相変わらずチェットはマイペースでのんびり吹いている。ちなみに、このアルバムでは演奏のみで歌っていない。

 歳をとるにつれて、クリスマスのようなイベントからだんだん遠ざかっているような気がする。否、イベントはたくさんある。遠ざかっているのは、物理的なものじゃなくて心の距離なのだろうか。このどこか落ち着かない様が、今日のアルバムの雰囲気そのもので、思わずふっと笑いが出る。

 明日からまた仕事だ。700頁を越す「蟻の革命」を読みはじめるかどうか思案に暮れる。寝不足の月曜は辛い。かといって、毎日少しずつ読み進められるほど、私は人間ができていない。美味しいものを少しずつ食べることができる人を、私は昔から尊敬してきたような人間だから。まだまだ修行が足りない、そんな声が土の中から聞こえて来そうな気配。これでは蟻の作者の思うつぼか。今夜もなかなか眠れそうにない。
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カラオケに疲れる ― 200 km/h in the wrong lane -- t.A.T.u.
 それは、職場の親睦会に参加したときのことだった。「うちの課はイベントが少ない」とこぼす若手の後見役のようにして出かけたのだったが、折からの風邪の流行で、二次会に残っていたのは20代と30代前半のメンバー。見渡さなくとも何となく自分が浮いているのが分かる。

 足が自然と駅の方に向かっているのが自分でもわかっていたのだが、さすがにそのタイミングでは帰りづらく、とうとうつきあってしまったのが久々のカラオケだった。とにかく、皆、よく歌う、歌う。5、6人歌ったところですでに次回の「歌合戦」の日取りまで決めている者もでる勢い。やれやれ。

 やれやれ、どころか、どこまで自分の番を見送っても、延々と続くJ-POP、しかもここ半年かそこらに出た歌のオンパレード。なんとなく耳にはしていても、一体誰が歌っているのかすらわからないものがほとんどで、こんな日記を書いている私も、J-POPはほとんど聴かないのでお手上げ状態。要するに、そういう曲を選ばなければ「場の雰囲気を壊しそう」であり、これは酷く難儀なことになったと胸の中で溜息をついた。

 どう考えても私のカラオケの手持ちは演歌であり(笑)、せいぜい昔のニューミュージックが関の山。うーんとヒネリ出してなんとか1曲歌ったが、一体何人がこの曲を知っていただろう。参加者に「気を遣わせて」しまうほどカラオケで疲れるものはない。しかし、その中でただ一人、私のことを心から気遣ってくれた人がいた。彼は、私の次をかって出て、しかも選曲は絶妙な程別な方向に振られていて、観衆はまたもとのノリノリ状態に収まった。私は心の中でそっと手を合わせた。

 いつか受けるだろう洗礼のような、カラオケでのミスマッチをとうとう体験してしまったが、今時の若い人の中にも、私のような人間をみて「いろんな人がいるから楽しい」と素直に受け止めてくれる人もいるようでほっとした。「みんなと違うこと」が敬遠される雰囲気の中で、あるいは人との違いでしか自分を見つめることのできないようなある種の不器用さから一歩距離を置いて、コミュニケーションを取れるような相手ができると、無味乾燥になりがちな職場もまた楽しくなるというものだ。

 それにしても、「一体何を歌うかなあ」という焦りにも似た切迫感を思い出すと、何となくタトゥが聴きたくなった。今日のアルバムは、日本向けにDVDがおまけに付いた豪華版だが、歌は英語が中心で、ロシア語バージョンもオリジナルとは別のアレンジになっている。よくこなれていると言えば確かにそうだが、オリジナルにはあった声にならない叫びのようなメッセージ性は薄れていて、歌はもちろんのこと、演奏も大切だなと痛感する。

 タトゥは「お騒がせ」などという形容詞が付けられて、訳の分からないキャッチーなアイドル歌手としか受け止められていないとしたら、ものすごく残念だ。彼女たちがデビューしたのはもう結構前のことだが、私がラジオ・マヤークで初めてサシュラー・スマーを聴いたときの衝撃は忘れることがない。

 長い社会主義時代から新しい指導者が生まれ、間もなく壁が落ち、これまで当たり前だったことが否定されてどんどんしくみは変わっていくが、大人達は疲れているし、世の中は大して良くなったとも思えない。ほんの少し派手な金持ちが街に増えて、先にいいことなんて無さそうなことだけは前と変わらない。そんなやるせない不満をどうやって表現しろというのだろう。タトゥの歌にはそんな重たさをドンと目の前に突き出すようなメッセージが込められているように思う。ブームが去ったからこそ、あらためてじっくり聴いてもらいたい1枚である。
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