音の快楽的日常

音、音楽と徒然の日々
クラシックカメラ趣味 ― Hell is -- Alice Cooper
 ちょうど都心の百貨店で中古市がやっていたので、クラシックカメラ、略してクラカメ趣味のことをつい書きたくなってしまった。クラカメとの出会いは、いってみれば偶然のもので、カメラには小さい頃から興味があったものの、実家にはカメラは一台もなく、何か家族で出かけるなど行事がある毎に他所から借りていたものだった。

 最近になって中止が報道されたニフティサーブの会議室で、初めて買ったコンタックスの一眼レフの使いこなしについて質問したところ、「教えて君」状態の私に丁寧なレスをつけてくださった皆さんは、偶然にも超のつくクラカメマニアだった。元々オタクな趣味にはまりやすい私であったので、ものの見事にクラカメ道まっしぐらと相成った。

 そうはいっても、1台目は本当に偶然の出会いだった。否、出逢い、と書くべきか。当時は青山にあったお店だが、通りがかりにウインドーを覗いてみると、そのカメラは前オーナーから委託販売に出されていた。これがTOPCON RE-Superとのなれそめである。ボディの黒に美しい梨地の銀がよく映えて、「こんな素敵なカメラ、みたことない!」と目が見開くのが分かる(笑)。決して安いものではなかったが、即連れて帰ることに。それからクラカメとの蜜月が始まった。

 まずは、ハンサムな「彼」によりふさわしいものを、と、レンズやフードなどの小物を集め始めた。まさに、いそいそ、という感じで、東京光学のカメラに強い三原橋の中古店に足繁く通い、直に常連さんたちともお友達になれた。世代や性別が違っても、共通の趣味というのは強烈な接着剤のようなものだから、どんどんと知り合いが増える。そんなこんなで人が想像するような暗いカメラ趣味に陥ることもなく(笑)、しかしながらまるでウイルスの如く魅力的なカメラの情報が溢れるほど耳に入るものだから、勢いよくカメラの台数は増えた。当時6畳和室のタタミの上にずらっとならべたら、それはそれは素晴らしい眺めだった(笑)。

 少しずつ、メンテナンスも覚え、とうとうジャンクと言われる壊れたカメラを買って中を開けだしたのは、半年ほど経ってからだっただろうか。小さい頃に初めて触らせてもらったオリンパス35ECを見つけたときはものすごくうれしかったし、自分がちょうど生まれた頃の年代の小さなメーカー、例えばアイレスやコーワのようなカメラを見ると、素直に手が伸びた。例えばライカやフォクトレンダーに行かない自分が自分らしいと思いつつ、ギミックっぽさが魅力のバルダやフジカのレンズシャッター機にも目がなくて、とにかく台数は増えまくった(笑)。

 途中、レンズグルメになりかけつつも、その病は初期に治癒して事なきを得た。そして、台数が増えるとメンテナンスが行き届かなくなって調子を悪くしてしまうことに気がつき、本当に手放せないもので、なおかつメンテできるぎりぎりの台数を残すことにした。里子に出したカメラ達には今でも申し訳ない気持ちでいっぱいだが、どんなに好きなカメラでも、やっぱり順番はついてしまう。残念ながら、愛情は有限である。

 今この日記を書いている机にはTOPCON PRとPRIMO-JRが仲良く並んでいるが、どちらも小さなカメラなのでとても可愛らしい。私にもこの愛らしさの10分の1でもあればなあと思うのである。そんな私であるので、カメラのことを褒められたりすると、まるで自分の子供が褒められてでもいるように感じてしまう。昨日来られたお客様が、これと手に取られたのはやはりRE-Super。考えてみれば、現役で発売されていた当時は、サラリーマンの給料に比べてもかなり高価だった。だから、いいなあと思っても実際に買ったりできない人も多くいたはずで、私のカメラのうち、彼が注目度No.1なのはそういう理由があるのかも知れない。

 私の場合はそういう思い出買いのようなものではなかったが、一目惚れとはこのことか!と言わんばかりの「落ち方」だったので、REには何か人を引きつける、ぐっとくるものがあるに違いないと思っている。東京光学はかなり前にこういったカメラの製造からは撤退しているが、このカメラのもつ質感は当時のものづくりだからこそ、という思いを新たにしている。REへの思いは、我がChetへの愛同様、私にとってエターナル、である。

 今日の1枚は、最近続く思い出探しバージョンではなく、とあるアーティストについて検索していたら合わせて紹介されていたものである。私はアリス・クーパーという人の名前をそれまで聞いたこともなかったが、amazonのお試しでPoisonという曲の頭を聴いたら、背中に電気が走るような感じで、思わず購入ボタンを押していた。こういうジャンルはほとんど知識もない私だが、ジャケットの毒々しさとは裏腹に独特な美意識のようなものが音楽に溢れていて、一発で参ってしまった。先日のレインボーからアリスに行くのが順当なのかどうかは私には分からないが、当分迷い道を楽しみたいと思う。言わずもがなであるが、やっぱり音楽って楽しい、つくづくそう感じる夜である。
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夭逝の本棚 ― Blue Bogey -- Wilton Gaynair
 「最近、本は読まないのですか?」というお尋ねのメールが届いた。仕事柄、活字は日々触れずに済むことはないが、きちんとまとまったものというと、それほど読んでいない。書店の平積みから適当に抜いて、連続して(私的に)外した作品が続いたこともあって、新刊本からは遠ざかる一方。ましてや、最近の受賞作などは電車の中吊り広告の文句に辟易してつい敬遠してしまっている。

 近頃読み返したものというと、内田百蠅痢嵬重據廚らいだろうか。もともとは旧かな遣いで書かれた短編だが、風呂上りにのんびりお茶でも飲みながら読むのにちょうど良い長さで、読み応えに不足なし。かつてロシア語を夜学でいっしょに学んだ友人は、この作品は是が非でも旧かなで読まなくてはいけない、と強く主張する人で、私も思わず読み比べてみたが、旧かなの表記から来る印象というのは、やはり作品の大きな要素に違いないと思う。

 今から旧かなの「冥土」を探すとなると難しいが―内田百蠅竜譴な作品集は稀覯本の扱いになるかも知れない。私は若い頃無理して買った作品集を生活のために手放したが、当時も探している方がいると見えてかなりの値がついた―ちょっとした図書館には旧かな版作品集があるので、興味があってなおかつお暇な方はぜひ読み比べて見て欲しい。

 そんな調子で最近は本棚にあるものを繰り返し「眺める」だけで、十分に活字欲が満たされる始末。それにしても、俗にいう夭逝の詩人の作品ばかりがならんでいて、改めて自分の趣味がよくわかるというものだ。今手元にあるのはトラークルで、彼の「捕らえられた黒つぐみのうた」という詩がとても好きだ。邦訳にしてたった9行の短い作品で、いつかこの詩をドイツ語の朗読で聞く機会があればと思っている。きっと音も素晴らしいに違いない、そう思わせる何かがこの作品にはある。

 詩というと、先日の"Waterloo Sunset"の歌の文句に出てきたTerryとJulieには実はモデルがあって、「遥か群集を離れて」(残念ながら私はこの作品を見たことがない)で主演を務めたテレンス・スタンプとジュリー・クリスティなのだそうだ。映画「コレクター」のスタンプはともかくとして、「ドクトル・ジバゴ」のラーラを演じた彼女とつながっているとは本当に驚いた。もちろんジバゴはパステルナークの原作で、芋づる式にロシアの詩人につながっているのは、偶然のこととしても興味深い。ちなみに、パステルナークは夭逝ではないので、念のため。

 眠くなったのでこの辺で切り上げよう。先日、JAROでレコードを聴いてどうしても欲しくなったウィルトン・ゲイナーのブルー・ボジーが今日のおやすみBGMだ。何もいわずに、ただ1曲目、Wilton's Moodをお聴きいただきたい。おっと耳を立てた貴方はきっと私と同類項。出だしの5秒で好き嫌いがわかる、明快この上なしのアルバム。今ならまだ Amazonのマーケットプレイスで入手可能。シンプルなモダンジャズがお好きな方に一押しの1枚である。
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色町話に盛り上がる ― The Song Book -- Booker Ervin
 そろそろ髪が重たくなってきたので、いつものお店にカットに出かけた。その店のマスターが独立してからずっとになるので、それこそもう何年もお願いしていることになる。アシスタントを一人も雇わず、全く一人で切り盛りしているカットハウスなので、こちらも気遣わずに済むし、何よりも私の太くて中途半端に癖のある髪を難なくカットしてもらえるので気持ちがいい。

 マスターは大のカメラ好きで、私の髪を切る約1時間はカメラネタでしゃべりっぱなしになるが(笑)、最近彼は、銀座の路地を写真に収めることに夢中になっているという。銀座といわず、新宿や渋谷など東京の繁華街はその表情をどんどん変えているけれども、彼いわく、新宿にちょっと危なげな横丁や路地があるのは当たり前で、銀座にこんな落ち着いた風景があるというのをぜひとも残しておきたいということだった。

 何でも「取材」は既に終えており、後は時を見計らって撮るだけだという。ハッセルブラッドのほか、一眼レフとデジカメの3つを器用にセットできるオリジナルの金具まで作っていて、気合のほどが伝わってくる。そんな話をしていたら、銀座は三脚立てて撮ってても大丈夫な街だけど、新宿なんかは立ち止まりたくないね、などと話題が飛んで、しまいにはマスターの友人で遊郭巡りが大好きなとある男性の体験談にまで及んだ。

 何でも、チョイの間で有名な飛田新地は、まず写真に収めるのが不可能に近いところだという。街というかそう呼ばれるエリアはごくごく狭い通りで、そんな広い場所ではない。しかし、どこからかチェックしている人がいて、最近では携帯電話を使うことすら難しいという。最近の携帯電話にはカメラがついているからだそうだ。

 飛田新地というと、結構昔だが、マルコポーロという雑誌があって、そこに写真入りのルポが載っていて興味深く読んだ記憶がある。何でそんなものを女性の私が面白く読んだかって、私が経営管理を学んだある研修機関で選んだ卒業レポートのテーマが日本の色町と業態変化、だからである。古今東西、これほど需要と供給のしくみが変わらず続く商売というのは他にないのであって、商売の本質を理解するには最適のテーマ設定、という思いが当時24歳の私にはあった。今から考えると、どうだかなあと思うが、温泉地巡りを常としている私であったので、時にはかつて遊郭があったなんていう街に行き当たったりするし、身近といえばそう言えなくもない。

 ついでに言うと、世界広しといえども、日本ほど風俗産業がこれほど複雑かつ多様に業態分化している国もないだろうと思う。それは規制と許認可の制度の変遷がそうさせているとレポートの中で結論付けたのだが、サービスやモノにきめ細かなものを望む体質の日本人であるから、そういう文化的背景も多分に影響しているのであろうことは想像に難くない。

 話がとんでもない方に行ってしまったが、そのカットハウスのマスターとの会話は私にとって月に1度のカタルシスのようなものであり、まあとにかく楽しいのである。次に順番を待たれていたご婦人は随分と驚かれただろうが、髪を切っている間ずっと黙っていることほど退屈なこともないので、お許しいただければと内心思ったりしている。

 さて、明日はまた月曜。気持ちが暗くなる前に、ブッカーのテナーで冷えた体を解す。お勧めは1曲目のThe Lamp is Lowと4曲目のJust Friends。しょっぱなは思いっきりゴリゴリしているが、後の演奏ではしっとりといかにも寝る前のBGMにぴったり。ちなみにピアノはトミー・フラナガン、ベースにリチャード・デイビス、それからドラムスにアラン・ドーソンという渋いメンバー。64年の録音だが、全然そんな感じはなくて、つい昨日にも吹き込まれたような新鮮さがこのアルバム一杯に詰まっている。一人静かに聴きたいとっておきの1枚、独り夜を過ごすあなたにもぜひお勧めしたい。
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哀愁のWaterloo Sunset ― European Legacy -- Franco Ambrosetti
 The Kinksの紅いお揃いのジャケット姿にすっかり参ってしまい、毎日のように欠かさずWaterloo Sunset(という彼らのヒット曲)をリピートしている。今更ながらにうちの母がGSに思いっきりハマっていた理由がわかろうというもの。音楽はともかくとして、「見た目」は超重要である。

 とにかくKinksを聴いてみようと思ってベスト盤を買ったはいいものの、全曲にわたって好みかというとそうでもないが、特定の何曲かにものすごく琴線に触れるフレーズがあり、その心が知りたくて、英語の苦手な私が辞書を片手に歌詞と向き合ってみた。

 Waterloo というと、歴史で習ったこともあって、ウォータールーよりはワーテルローの方が馴染みがあったりするが、あれ?、あれってベルギーかどこかじゃなかったっけ?とふと立ち止まる。それで調べてみると、ワーテルローの戦いでかのナポレオンを倒した功績者がイギリスのウエリントン将軍であり、その功績を称えてテムズ河にかかる橋や鉄道なんかの駅の名前にもWaterlooの名が冠されているのだとか。

 そういえば、邦題は「哀愁」だけれども、ビビアン・リーのあの作品は原題が”Waterloo Bridge”。すれ違いモノに目のない私なので、この作品ももちろん見ているのだけれど、Kinksの歌にでてくるのはそれでもないようである。


  Terry meets Julie ,waterloo station
  Every friday night (Waterloo Sunsetより抜粋)


 こんな文句の先には


  Millions of people swarming
  like files 'round waterloo underground
  But Terry and Julie cross over the river
  Where they feel safe and sound
  And they don't need no friends
  As long as they gaze on waterloo sunset
  They are in paradise
  Waterloo sunset's fine (同上)


 と歌われていて、ここで歌われているのはそんな特別な情景ではなくて、それがかえってすごくこの歌の印象を深めている感じがする。私が特にこの曲に「ひっかかって」しまったのは、オルガンを習っていた頃の恩師が"But I don't need no friends"のフレーズをよく鼻歌していて、「それ何ていう歌ですか?」と尋ねても教えてもらえず、ずっと気になる謎の一つだったからだ(笑)。彼はものすごく硬派なジャズオルガンプレーヤーでもあったので、Kinksのウォータールーサンセット、って言うのがやっぱり気恥ずかしかったのだろう。何となく、そういう気がする。そして私の長年のナゾが、また一つ解けた。

 今日のBGMはKinksではなくて、映画「哀愁」を思い出したら何気に聴きたくなったアンブロゼッティのトランペットだ。このCDのジャケもどこかの川岸に立つアンブロセッティのどこか寂しげな後ろ姿。1曲目の Consolationをぜひどうぞ。続くWaltzing with Flaviaは彼のオリジナル曲。とはいうものの、14曲から編まれるこのアルバムは全体で1つの物語のような構成になっていて、どの曲とピックアップするよりも淡々と最初から終わりまで静かに聴きたくなる。今夜のような冷たい雨の止まない夜にお勧めしたい1枚である。
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古い友人の手術に寄せて ― the ultimate collection -- The Kinks
 昨夜遅くに、田舎から辛い報せが届いた。古い友人が手術を受けたという。共通の友人が電話してくれたのだが、入院したという話も突然だったので、そのこと自体に驚き、話の前後が全く見えなかった。聞けば、2年ほど前の夏から体調がおかしくなり、仕事を辞めて家庭に入っていた彼女。私は、家族に恵まれ幸せに暮らしているものとばかり決め付けて、ろくに連絡も取っていなかった。

 手術は、言ってみれば将棋の形づくりのようなもので、素人の私でもその先が見えるような末期の肝癌だという。どうしてそんな風になるまで病気を見つけることができなかったのか。電話の向こうの友人も喉を詰まらせながら言葉を選んでいたが、夫も小さな子供もいて、なぜそんな目に遭わなくてはいけないのか、思っても仕方ないのに理不尽な気持ちで胸が詰まった。

 2年前の秋といえば、慣れない営業に疲れたのか、私も体調を崩していた。突然体重が落ちて、寝返りが打てないほどの背痛と一目みて分かる黄疸症状に、かかりつけの医者は、膵臓の腫瘍の疑いを強くして家族を呼ぶように私に告げた。それまで何年も続いていた痛みある生活がようやく終わるのであればそれもある種の救いとほっとする反面、物事の順序を違えることほど親不孝はないので、どう両親に話すべきかということに悩み込んでしまった。

 一通りの仕事も片付け、信頼できる医者のもとで精密検査を受けたところ、管の狭窄による黄疸と膵炎の進行だけで、膵臓そのものには腫瘍はなく、私はまた長く病気と付き合うことを約束された。結果を聞いた時の私の長いため息を、医者は一体なんと思ったろう。両親に辛い思いをさせることなく済んだので、それも受け入れる気持ちにはなれたが―贅沢な物言いだが、これまで大切な友人を大病に奪われ、複数見送ってきた私にとって、それは結構複雑な思いのすることだった。

 生きるということはもちろん日々楽しいばかりではないけれど、物事には順序というものがあってという両親の言葉をふと疑いたくなる。言葉というものの力を信じる私にとって、今ほど無力を感じる時はない。彼女にかける言葉がたったの一言すら見つからない。私は今、このところすっかり気に入っているKinksのWaterloo sunsetをリピートしながら、共に過ごした10代の頃を思い起こしている。彼女もきっと、こんなキュートで少し陰のある男の子たちが歌っているのを聴いたらすごく気に入るに違いない。私はもっと強く、なりたい。
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酒にまつわる話 ― the singles collection -- Sheena Easton
 まだ勤め始めた頃のこと。上司と飲みに行って「(女性は)手酌はいけません」と言われて驚いたことがある。今の私なら「川上弘美の『センセイの鞄』ではあるまいし」とつき返すだろうが、その当時はろくに返事もできず終いで面白くなかった。だが当の上司は鼻で笑う様子すらなく、淡々と手元の杯を眺めるその表情が妙に記憶に焼きついている。

 そんなことを書くと、いかにも酒の味がわかる風に聞こえるが、私が自分の物差しで美味い不味いが言えるのはビールだけで、それ以外は、日本酒もワインも何も、味もへったくれもない。ただのアルコールとまでは言わないが、それが上等の酒なのかどうなのか全くわからないので、猫に小判、否これは猫に失礼なことで、もったいないことこの上なしである。

 ではなぜビールならいいのか。これは喉を通る時の清涼感と雑味による刺激が心地よく、舌で感じる味以上に素直に躰が悦ぶのが分かるからだ。海外に旅して何が楽しみかって、地元にビールがあると聞くと、とにかく端から出してもらっては「お試し」するのが愉しみだ。特に、私にはトラピスト系の味が合うようで、ロシアや旧共産圏のように寺と鐘の街といっても過言ではないような場所ばかり訪ねていると、時にはお湯を入れて温かくした一体何の飲み物かわからないようなのとか、果たして飲んで大丈夫か!?という芳香を放つものもあれど、まあ不味いものはなくて、大抵は手に持てるだけビンを買い込み、夜汽車でゆっくり飲み空ける。

 思い出せば、ウクライナはチェルニゴフの地ビールは、わずか1本30円かそこらであったが、やたら美味かった。キエフからその街へのオプショナルツアーに乗り合わせた他のお客にも勧めたら、やっぱり美味いというので、皆を連れて街に1つしかない店の在庫をあらかた買い占めてしまったから、さぞ店員さんも呆れたことだろう。でも、あの味は忘れることはなくて、生きているうちにもう1回でいいから、飲みたい。

 酒が原因ではないのに慢性膵炎というやっかいな友達がいるために、以前のように毎日風呂上りにとっておきの一杯を愉しむということは諦めざるを得なくなってしまったが、今日など同僚と話していたら、何も健康だけが幸せではないよ、一体どう生きたかが問題さと言われて納得してしまった。彼は体質的に飲めない人だが、飲む雰囲気が好きで止められないという。私も、飲み屋が喫煙天国でさえなければもっと行きつけの店もできただろうが、個室のあるようなところは敷居が高すぎるし、好みのビンビールを買い求めて部屋で静かに飲むことがほとんどである。

 そういえば、ビールにまつわる話がもう一つ。惜しくも事故で2年前に亡くなられたが、昔の職場の上司からホワイトデーに美しい陶器のビアグラを頂いた。かつては学生運動の闘士だったとはとても思えない優しい面持ちのその人の酒は、どこまでも陽気で、後に残らない飲み方をいつか真似できるようになりたいものだと思っていた。私に物を書くよう勧めてくれたのもその人であり、今度いただいたグラスでブルーのシメイでも探してきて飲んでみようと思う。

 自分でビールを買ってきて部屋で飲むようになった頃によく聴いていたのがシーナ・イーストンだ。彼女の歌は初期の頃しか知らなくて、Morning TrainやDo it for loveをよくリピートしていた。今日のアルバムはシングル集なので、ヒットした曲はだいたい収まっているように思うが、その中でも敢えてお勧めは Jimmy Mack。当時聴いていたテープはもうガタガタになってしまっているので、少し前に買い直したCDだが、19曲も入っている割には輸入盤で安く買えるのでうれしい。最近、元気の素が足りないなという方にぜひお聞きいただきたい1枚である。
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かもめのジョナサンになれたなら ― return to forever -- Chick Corea Quintet
 ここのところ70年代に流行った音楽を好んで聴いている。言葉は少々乱暴だが、イントロ一発で昔にワープできる感覚が病みつきになり、止められない。まるで安上がりな旅行のようでもあるが、この独特の陶酔感覚は一体どこから来るのだろう。薬物中毒者の気持ちがほんの欠片ほどわかるような、そんな気がしないでもない。

 思い出してみると、当時の私にとって、音楽はある種の題材であって、残念ながら純粋に楽しむ対象ではなかった。オルガンのプレーヤーとしてはそれほどの才能もなく、またそういう自覚もあったので、自分で曲を書き始めたのが10か11くらいのことだったと思う。ただ厄介なことに、曲を書くといっても全く何もないところから楽譜が踊り出てくるわけでもなく、それまでの音楽体験に拠るところが大きいがゆえに、16ビートや変拍子の複雑な構成の曲がもてはやされる中で、私はとつとつと2ビートや4ビートのメロディを譜面に書き付けていた。

 そんな調子ではおよそ芽が出ないと当時の講師が判断したのか、彼女はまるで洪水のように私にいろんな音楽を聴かせ始めた。いろいろ聴けばきっとノリにあうジャンルの音楽に出会えるはず、そう思ったのだろう。そうして行き着いた先の1つがチック・コリアであり、一時期は彼の楽曲のコピーに夢中になった。

 そうはいっても、そんな緊張が毎日続くわけもなく、写譜ペンを放り出してはぼんやり空を眺めたりした。当時の口癖が「カモメになれたらなあ」―愛読書であった「かもめのジョナサン」の影響である。その言葉が口から漏れる度に、周囲は「鳥には鳥の苦労がある」とまともに取り合うことはなかったが、私はリヴィングストンの心のあり様に近づきたいと本気で思っていた。心の底から、本当に。

 「浪漫の騎士」や「スペイン」に手を焼いて耳も頭も飽和したときは、いつも「リターン・トゥ・フォーエヴァー」に逃げ込んでいた私。底に流れるものは共通しているのに、リターンの曲にはなぜか和むことができた。海の上を一羽のカモメが滑空しているシンプルなジャケットに魅せられて買ったものだが、ジョナサンの孤独とどこか通じるものがあって―それは作者が自分の根に感じる距離感のようなもの、あるいはそこはかと流れるスペイン的なものへの憧れ?―、今もこのレコードは大切にとってある。

 見渡せば、理由は様々あれど、社会から距離を置いて休息を取る知人が少なくない。それを心の病というには簡単すぎる。幸か不幸か、仕事をクビになることもなく、これ無事幸いに食いつなぐことのできている私にとって、彼らをどうこういう資格などないが、大理石の塔のような高層ビルから外を眺めるたびに、「カモメになれたらいいのにな」とつぶやく自分がいる。青さが抜けきらないから、故に辛い自分がいるし、その甘さを人から指摘されもする。それでも―。「カモメになれない」私に一体何ができるだろうか。狭い部屋に一人膝を抱えて聴く今日のアルバム。「総括」の言葉なんてどこにも見つからない、そんな夜に流したい1枚である。
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他人事とは思えない出来事 ― Page One -- Joe Henderson
 蔵書の重みで床が抜け、本人共々下の階に落下したという事故の話題を新聞の端に読んだ。何でも古いアパートなのに20年も雑誌を溜め続け、最近では天井の「異音」に階下の住人が不安を感じ、ついには相談に出かけていた矢先のことで、ちょうど難を免れたのは不幸中の幸いである。

 私は、今でこそ鉄筋鉄骨作りのマンション住まいであるが、これまでは安普請という表現がぴったりの年期の入った木造アパートを転々としていた。単に家賃が安いからというのがその理由だが、荷物はお世辞にも少ないとは言えず、いずれの引っ越しの際にも業者さんから苦言を言われずに済んだことはない。

 先の事件では、どうやら雑誌を溜めておられたようだが、それがグラビア誌の類いだと荷重はいきおい凄まじいものになるだろう。私の場合はなんといっても、文学全集その他単行本で、全集だけでも2セット、その他作家別にあれこれの全集や作品集があるから、セット数でいうとどの程度になるかは自分でも数えたことがない。積んでおくと、そのうち自分の居場所がなくなるから、本が増える度に本棚を買い増すことになるが、これも3重に本を入れたりするから、後々訳がわからなくなる。

 過重が原因で、大家さんから退去「依頼」を受けたことは過去2回ある。一度目は学生時代。これは仕方のないことで、趣味の文学だけでなく、学生時代はとにかく雑多に手当たり次第に読むので、量の増え方は半端ではない。しかも私は法学徒であったから、判例のコピーなどもそれこそ山のようにあり、生活の様子を見に訪れた田舎の両親は、以来二度と訪ねてくることはなかった。父などは「およそ女学生の部屋とは思えん」と言い残し、実家に帰るなり、母と喧嘩になったそうである―「子供の育て方を間違った」、云々。

 私の母も本好きで、彼女は私の気持ちを理解できていたに違いない。書物に耽溺することを嫌って、土日の休みには着飾って出かけることを「推奨」した父であるが、人間にも向き不向きというものがある。つまらない授業をサボって朝から映画館に入り浸っても咎めることはなかったが、本となるとちょっと事情が異なるという話は、いつかの日記に書いた通りだ。

 二度目は、社会人になって10数年目、やはり築30年をゆうに越した古アパートに住んでいたときである。このときには本だけでなくCDもかなりの勢いで増殖しており、せめてもとプラのケースからビニールケースに換装したりしたが、およそ焼け石に水状態で、おまけに電子オルガンを買ったりしたものだから、物理的には床強度を遥かに超える重量のものが部屋に詰まっていたはずである。

 結局、流行小説などは図書館に寄付し、手元に残しておくべきものは田舎に無期限で預けっぱなしである。現在は、本当に手近に必要なものを限定しておいているので、過重の心配はないが、インテリア、とかそういう概念は私の部屋にはない。それにしても、件の事件の主とちょうど同じような名前のアパートに私の学生時代の先輩が長く住んでおり、しかも彼は区の職員なので、その当人かと思って記事を読むなり慌ててしまった。よく読んでみると年齢が随分違うので、「別人」と判明したわけだが、私もいつこんな社会面の埋め草にされていたかもしれないと思うと、正直、笑えない。全く冷汗ものとはこのことである。

 モノなりゴミなりを溜めてしまうという性向は―その物自体がゴミなのかどうかという区別はなかなか難しいだろう、その人にとって意味ある物でも、他人から見ればただのゴミというのはよくあることだ―、おそらく心の病に起因するのに違いないと私は思っている。掃除する暇もないほど忙殺されているならともかく、多くのモノに囲まれていないと落ち着かない、などという状態は、何か満たされない欲求を別のものに振り替えて平衡を保とうとしているだけではないかと。

 モノを集めだすと、途中から集めること自体が目的になってしまいがちではあるが、似たような姿形をしたものがたくさん並んでいる様を眺めるのが楽しいと感じてしまう私は、いずれにせよ床を抜いてしまう資格十分であり、集合住宅に住わせていただいている以上は、住民としての責任と自覚を持って十分に注意したいと思う。床を抜いてしまうかも知れないという危惧が心のどこかにあった私にとって、この数行の新聞記事はまさに衝撃的であった。何ごとも人の経験に学ぶべし、嗚呼。

 あまりに動揺して何を書きたいのか忘れたほどなので、BGMの紹介はごく簡単に、要は手抜きする。学生時代にもっともリピートして聴いたのが今日のアルバム、ジョー・ヘンダーソンのページ・ワン。ブルー・ボッサが気に入ってというのは言わずもがなであるが、私には敷き居の高いブルーノートのシリーズを聴き始めたのも、このアルバムの影響である。ヘンダーソンというと、テトラゴンやアット・ザ・ライトハウスなど名盤が目白押しだが、私は何せミーハーなので、ヘンダーソンと言えばブルー・ボッサというくらいこのアルバムが大好きである。就職してからは、グリフィンやマクリーンに熱をあげてしまったので、ヘンダーソンからは随分遠ざかっていたが、今回の一件を機に聴き直してみた。やっぱりいいものはいい。その一言に尽きる。ブルーノートはちょっと・・・という私同様の向きにも安心してお勧めできる最初の1枚である。
よもやま | - | - | author : miss key
さらば銀塩!? ― LeeWay -- Lee Morgan
 昨日の撮影散歩の途中、京セラが銀塩カメラを止めることを聞いて、いよいよかと溜息がでた。デジタルカメラが本格的に使われるようになって、そうなるのは時間の問題だとは思っていたが、改めて愛用するメーカーのカメラがデジタルオンリーになるというのは、やっぱり返す返すも残念だ。

 年末にオーバーホールに出したボディに重たい35mmのレンズを付けて1日横須賀を歩いたが、フィルムを交換するときの巻き上げ音に周りの人が振り返る度に、内心「やれやれ」と思った。下手すると若い人なら、それが何の音だかわからないだろう。

 最近、周囲の方から「デジカメ何を買ったらいい?」と聞かれることが増えた。正直なところ、私もCanonのイクシからFinePix F710とようやく2台目を使い始めたところであり、それもマニュアルカメラの使い勝手に非常に近く、わざわざ使い方を覚える必要がない、とか、メモ帳代わりとしては十分なスペックということで、カメラと意識して選んだ訳ではないので人に助言できるほど経験があるわけではない。

 そんな話をつらつらしていると、写真を撮るのに「デジタルよりも銀塩の方が優れている論者」のように思われるようだが、そういう訳でもない。おそらく、写真というものが、あくまでも私にとって、絵をつくるためだけの行為であるならば、フォーマットとしていずれを選ぶかは、好みやコスト、或は仕上がりに関わる技術の進歩の問題にすぎないのだろう。

 「デジタルはだめですか?」といった質問を投げかけられる度に、「簡単に撮ったものをリセットして『なかったこと』にできる、みたいなのが嫌だ」とか、「デジカメには趣を感じない」などと適当なことを言ってその場しのぎにしてきた。しかし、改めてなぜ銀塩に執着する自分がいるのかと自問自答してみれば、それは単純明快、写真を撮る行為というのは私にとって絵作りではなく、フィルムに焼きつける行為そのものだからだ、ということにやっと気が付いた。

 おまけに、私は機械としてのカメラに愛着のある人間なので、フィルムがセットされ、撮影されて次々と駒が送られ、最後には巻取られて取り出されるという一連の動作の流れが、多くの小さな部品たちの共同作業のようにも思われ、そんな物理的動作を伴うメカっぽさが私にとっての大いなる魅力になっている。だから、気休めに「カシャ」とか擬音を出されてデジカメのシャッターボタンを押すときの緊張のなさでは、いま一つ気合いの入れようもない。

 念のため、私は決してデジカメ否定論者ではない。あくまでも「私にとっては」、銀塩カメラとは使う場面やその思い入れが全く異なり、同列に比べられるものではない、ということだ。デジカメに銀塩カメラ同様の愛着を持てと言われれば、答えはНет (ニェート)だが、私もデジカメの恩恵に公私の場面を問わず浴しているし、これはこれでとても楽しい道具だと思っている。このことは、私にとってのCDとアナログレコードの関係に似ている。

 明日は月曜というのが頭をもたげてかったるさを感じなくもないが、今週はなんだかんだいってリフレッシュしたから良しとしよう。そんな風呂上がりの1曲ではないが、大好きなリー・モーガンのLee-Wayを流す。このアルバムは60年の録音で、J. マクリーン、B.ティモンズ、P.チェンバース、そしてドラムにA.ブレイキーと豪華メンバーの名がずらりと並ぶ。全4曲の中で、私の一押しは、いかにもモダンといった感のある"These are soulful days"。二管のミディアムテンポでずばっといきなり始まるテーマが、滅茶苦茶渋い。心地よい抑制が効いて、決してむやみやたらに弾むことのないベースの上に各人の音がたゆたう。身も心もモノクロームの音世界に沈めるようにして、深く深く眠ろう。気怠さを残す休日の夜にお勧めの1枚である。
よもやま | - | - | author : miss key
戦艦三笠 ― LIVE -- OLIVER
 久し振りに撮影散歩をしに横須賀まで出かけた。真冬ながら陽射しも暖かく、絶好のタイミング。この一週間の寝不足を押しても、早起きして出かける値打ちがあった。

 横須賀に出かけたのは何年ぶりだろうか。目抜き通りを外れて横丁に迷い込むと、昭和の香りが残るファサードの店がぱらぱらあって目を楽しませてくれるが、ドブ板通りなどはこざっぱりとし過ぎていて、随分と街の様子は変わってしまっていた。

 この先に公園があって、戦艦三笠が復元され、展示公開されている。三笠は日露戦争において、名将東郷平八郎率いる連合艦隊の旗艦として、かのバルチック艦隊を打ち破ったことでつとに有名であるが、この艦は国内ではなく、実はイギリスで造船されたものだということを今日初めて知った。





 中を見学してみると、艦長室をはじめ主だった船室には、上品なヨーロッパの家具が備え付けられていて、戦艦のイメージからくる殺伐さは全く無かった。途中、船の講堂で短編映画が上映されたが、その映画の中でもクラシック音楽の吹奏をバックに優雅に食事する幹部の様子があったりして、私の持つ戦争のイメージとはまるでかけ離れていた。

 そうはいっても、バルチック艦隊はロシアの誇る無敵艦隊であったわけで、ロシアンフリークの私としてはやや複雑な気持ちになるも、その戦いの際に沈められた艦の名前をながめてみると、ロシアの歴代皇帝や名将と謳われた軍人、そして母なるロシアの大河の名がずらりと冠されており、改めてバルチック艦隊の持つ意味合いに思いを馳せた。

 私は十代の頃、船舶通信の仕事に憧れてプロの通信士を志したことがあったが、当時は既にアナログ通信からデジタルに切り替わる真際であり、電鍵による打電そのものに執着のあった私はすっぱりと船の仕事を諦めた。生まれた時代が時代ならば、ひょっとしてこんな通信室で重要文書を暗号打電したかもしれないと、三笠の通信室を見て想像を膨らませたりもした。想像の自由とは本当にありがたいものだ。

 三笠には、サンクトペテルブルクの戦艦オーロラのような華やかさはなく、今はひっそりと維持保存されるばかりであるが、船としての歴史的価値からすれば、一度くらいは訪れても損はない。

 さて、昨夜、遥々ザグレブから届いたオリベルのライブ盤が今日のBGMである。2004年のライブの模様が2枚のDVDと2枚のCDに収められた豪華バージョンで、このところスタジオ録音からも遠ざかっているオリベルのファンとしては、納得のいくところ。しかもフルオケをバックにした弾き語りである。

 さすがに一時期のような声量は今のオリベルには望めないが、それでも歌いに歌った全30曲、その1曲1曲に引き込まれていく。ちなみにCDにはリュブリャナで行われたライブの模様が、DVDにはザグレブでのライブの他、2002年のライブからも数曲収められている。コンサート会場さながら、灯りを落として静かに聞き入りたい久々の新譜、今夜もまた眠れそうにない。
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