音の快楽的日常

音、音楽と徒然の日々
悲喜交々 ― Forever more --James Ingram
 3月もいよいよ終わり。物事の区切りがちょうどこの時期に集中しているので、自ずと気持ちも緊張し、改まるのが心地よい。桜の花はもう少し先になりそうだが、青空に開かれた大きな窓に向かって、深呼吸する。光はもうすっかり春のものだ。

 連日、去る人を労い、無事の退職を祝う会に出ている。就職当初に私の教育係であった職員もその中のお一人で、当時、同職種の女性職員は一人もおらず、私が初めてということで、迎える側も随分と気を遣われたことと思う。思えば、この15年間、一体どれだけその恩に報いてこれたことだろう。胸を張るにはやや内容が乏しく恥ずかしい限りだが、その思いを正直に挨拶に代えてスピーチしたところ、「我々が貴女にしてきたことを、貴女の後輩にしてあげなさい。それが組織というものです」と、この先ずっと心に残るだろう言葉を頂いた。やはり先輩の存在というのはありがたいものだ。それを改めて痛感した。

 最近、周囲を見渡して思うのは、「叱ってくれる上司や先輩」が少ないこと。否、少ないどころかほとんど見かけない。単にミスを咎め怒鳴り散らす上司が必要とは思わないが、親身になって苦言を言ってくれる人というのは、言われたその時には苦い思いをしても、時が経過してある時はっと気がつくものだ―自分のためを思ってわざわざ憎まれ口を利いてくれたのだ、と。

 いよいよ今年度も残すところあと1日。今日は異動の決まった同僚と二人、この1年の総括をした。仕事のこと、職場の環境のこと、人間関係やプライベートのこと、などなど。彼とは偶然にも1年前、同じセクションに配置され、ペアで苦楽を共にしてきた。いっしょに仕事ができて本当に良かったと思える相手というのは、長い職場人生でもそう出会えるものではないだろう。これからは別の職場でがんばることになるが、互いに本音が言えて、相手の話をしっかり受け止められる、そういう関係を続けていけたらと思う。

 この1年間は、本当に人との縁に恵まれた貴重な時間であったと改めて思う。職場を去る皆さんに贈る言葉を考えつつ、BGMに選んだ1枚はJames Ingramのベスト盤。バラードを中心に収められた全14曲の中から、Forever more、Just once、そしてEverything must changeを聴く。特にEverything...はとても好きな曲だが、他のアーティストの録音はシェップをはじめ演奏のみで、歌が入っているのは今日の1枚しか持っていない。

 これほど楽しかった職場というのもなくて、このままずっとこういう形で仕事ができたらいいのに、とメンバーの口々から漏れる。でも、そういう訳にもいかないし、限りがあるから素晴らしい、そう思えることもあるだろう。新しい1年をより良いものにできるように、プラス思考で出来る事を一つ一つやっていく―これからの1年の目標をそう決めて、仕切り直す。明日もまたスピーチが回ってくる。言いたい事がうまく伝えられるだろうか。少し不安になる私に元気を与えてくれる、そんなJamesのアルバム。過ぎた日の思い出に浸りたい時にもぴったりの1枚である。
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写真を眺めて過ごす ― When I fall in love -- Chris Botti
 荷造の作業は思ったよりも過酷で(笑)、この土地に来て約5年の間にこんなにも荷物が増えているとは、正直思わなかった。前回の引越時に、業者さんからなるべく荷物を箱に詰めて欲しいといわれていたので、今回は大きさの揃ったダンボール箱を用意して、少しずつパッキングしている。でも詰めても詰めてもまだ終わらない(笑)。

 ここに越した当時は狭い部屋からの転居だったので、モノが普通に置ける幸せを痛感した。それがいけなかったのか、日頃なるべくモノを増やさないように気をつけていても、荷物はやはり増えていた。特に音楽ソフト類。本を実家に預けたりして少しずつ嵩の圧縮は図っていたのに、それでも全然追いついていなかったようだ。

 スケジュールが押しているのは、何も量の問題ばかりではなく、ついつい手を止めて荷物の中身を見てしまうせいでもある。実際、開けてみるのはそのもう一つ前の家以来、などという荷物も結構あって、数年ぶりに開ける箱に何が入っているのか覚えているはずもなく、中身をみるだけでも面白かったりする。

 特に、写真の類いは、撮った方も撮られた方も結構忘れていたりするので一層面白い。カメラを集めると同時に写真を撮り始めた私は、一時期セルフポートレートにも凝ったりしたので、かなりの枚数が手元に残っていたりする。正直、ピントの悪いものもあるので整理しながら作業を進めていたら、せっかくの天気のよい休日があっというまに夕方になっていた。写真というのは本当に恐ろしいもので、たった一葉の絵があれやこれやといろんなことを思い起こさせる。頭の中からすっかり抜け落ちたと思われるエピソードがそれこそ山のように思い出されるので、ついつい手を止めてぼんやりしてみたり。

 何かを思い出して過ごすというのは、年寄りの特権のように言われたりもするけれど、時にはそういう過ごし方も悪くないなと思う。ファームステイ(北海道の馬産牧場)や廃線巡りの旅先、夜学時代の仲間との写真など、眺めているだけで気持ちが解れてくる。最近は筆無精でろくに連絡もとっていないが、落ち着いたら手紙でも書いてみよう。公私ともに変化の多い季節。書くネタに困る事はないだろう。

 窓から見慣れた景色をぼんやり眺めつつ、ごく小音量でクリス・ボッティのトランペットを聴く。前作までのほんのりとした甘さが抜けて、グレースケール豊かな音色に魅了される。この最新アルバムでは13曲中4曲が他のアーティストとのコラボレーションになっており、その中にはStingの名前も。全体に抑制の利いた演奏で一曲一曲が丁寧に歌われている。春先の慌ただしさでなかなか眠れない時のBGMにも合いそうな作品。雑事に追われて疲れの抜けない貴女にお勧めしたい1枚である。
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季節外れの虫干し ― 「結婚したい女2」オリジナルサウンドトラック -- The Ventures & The Tonics
 今の部屋は一人住まいにそれほど狭くもないのだが、増えに増えた音楽ソフトをとりあえず収納するのに、割を食ったのが本、特に使用頻度の低い辞典・辞書の類いであった。私は仕事や研究でロシア語を専門にしているわけではないが、手元に一通りのものがないと、何か調べものをする度に大きな図書館に行かなければならず、大変なことになる。それで、ロシアを旅するようになってから、現地で辞書を買い込むのが半ば習慣になっていた。

 旅行を始めた頃からなぜそんなものを買い込んでいたか、それには理由がある。通常の書店に並ぶ新刊本なら何の問題もなく、また金額さえ厭わなければ、都内に2軒ほどある専門店で取り寄せても貰えるが、ロシア語の辞書は―他言語でもそうかも知れないが―同じタイトルでも版によって内容に善し悪しがあり、古本を探すことが少なくない。古書はロシアにおける「国外持出禁止」対象なので、まともには持ち出せないのである。

 有り体に言えば、それを承知で持ち出すには、出口で「リベート」を払うか、あるいは巧く別送するしかないが、郵便事情が悪いため、探しまわってようやく手に入れたものを郵送するというわけにもいかず、結局は手荷物で持ち出すことになる。もっといえば、パスポートにロシアへの渡航履歴が残れば残るほど、出国の際にバッグを開けられる率が高くなるので、要は渡航履歴の浅いうちに、欲しい「本」は買えということだ。

 辞書は複数巻立てが普通だし、ロシアの紙はあまり質がよくないので同じページ数だと厚くて重い。しかもでかい。他の荷物もあるので、せいぜい1セット買うのが関の山だったが、そうやって連れ帰った宝物が、最近の生活のせいで、押入れの中に箱詰めされて軟禁状態になっている(笑)。

 今度は部屋をリセットできる良い機会でもあり、この際だから、辞書辞典もしっかり虫干しすることにした。虫干し、というのは土用干しともいうくらいだから今頃の季節を指すわけではないが、ロシアの本は、ご存知の方もいらっしゃるだろうが、なぜかカビやすい。私が学生時代お世話になった社会主義法の先生の研究室は、いっつもカビの臭いがして大変だった。実際、私の辞書も表紙にカビが生えて掃除が大変だったが、梅雨の前には次善策としてよく乾燥させておくのが良いというのが経験則になっている。

 思えば、当時は辞書集めに目がなかったため、とにかく市場や露店を探し歩いた―私のロシアでの時間は、半分が音楽ソフトと本探しに費やされた。現地では法外な値段だと知っていても―それは金額の問題だけでなく、金の力にまかせて欲しいものを買いあさっていいのか、という道徳上の問題も含めてのことだが―、例えばキエフの露店で、4巻立てのウクライナーロシア語辞典が計70米ドル(当時4人家族が1ヶ月食べられる金額)といわれ、しかもそれを全部1ドル紙幣でくれ!(それ以上額面が大きいと、換金が難しくなるため)と言われても、「もちろん大丈夫だ」と即決購入したものなど、今からはもうとても探せない資料なので、そうやってでも手に入れたことを後悔はしていない。

 もっとも、私は日本人と言われることは滅多になく、今政変が起きようとしているキルギスの人と間違われることが多い(笑)。私のロシア語がキルギス訛りに似ているのか、あるいは顔つきが似ているのかどちらかなのだろうが、逆にキエフあたりだと初めて日本人を生で見た!という人も結構いて、そのこと自体が話題になり、相手と仲良くなるきっかけになったりする。そんなところから苦学してお金を貯めて、みたいにおばあさんから手を握られたこともあるが、私の手取りが**万円などと本当の事を説明したら、きっと息することを忘れるほど驚くだろう。だから、そんなことはしなかったのだけれども。

 押入れに積んであった箱を一つ一つ開けて、一体何が入っているのか確かめつつ、モノの整理をしている。部屋のリセットはこういう地味な作業の積み重ねと言い聞かせ、足のしびれるのも忘れてひたすら箱を覗き込んでいる毎日である。そしたら、実家から持って来たレコードの箱に行き当たり、つかみ出した1枚目が今日のBGMと相成った。東京で言うとTBS系のテレビドラマのサウンドトラック盤なのだが、私が当時、ドラマの主演を務める中村敦夫のファンであったことと、親が大のベンチャーズファンということで、利害一致して購入となった記念すべき(笑)レコードなので、ジャケを見るなり、いろいろと思い出されることが多すぎて困ったくらいだ。

 話の筋はおいといて、曲は、パイプラインやセントルイス・メモリー、悲しきバイカルなど有名なものばかり。番組自体も、ちょっとドタバタのラブコメ音楽劇仕立てになっていて、結構面白かったと思った。私は「木枯らし紋次郎」の中村敦夫が好きなのであって、現代劇の彼というのはちょっと苦手であったが、それなりに喜んで毎週見ていたような気がする。

 ところで、ベンチャーズの演奏になるのは全12曲中上記の3曲。どうしても彼らの演奏をBGMにしたいということでアメリカに録音に行ったそうである。また人気のあった頃の演奏と比べると、おとなしいというか、ちょっと違うような気がしないでもないのだが(母談)、この枯れ具合がドラマの設定によくはまっていていいような気もする。幸いなことに、このレコードの表面をうっすら覆っていたカビは巧くとれた(笑)。大切なものはやっぱり押入れにしまい込んだりしてはだめだな、と改めて思った次第である。明日はまだ天気が持ち直さないようだが、週末はよく晴れて、それこそ季節外れの虫干し日和となるのを祈るばかりである。慌ただしいこの春先に、頭のねじを緩めてくれるような演奏が詰まったアルバム、ご縁があったらぜひ!の1枚である。
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Amazing и Прекрасно! ARTIKULAT ― If God Will Send His Angels -- U2
 今日、日頃お世話になっているオーディオショップで、 LINNのArtikulat(アーティキュラット)というスピーカーが日本で初めてお披露目になるというので、のこのこ出かけていった。堅苦しい試聴会だと敬遠してしまうが、ここではアルコールも入れながら、聴きたいときにフロアに行ってのんびり楽しむことができ、また日頃は慌ただしくてゆっくり話せないスタッフの方々と忌憚なくやりとりできる貴重な時間でもある。

 しかしながら、今回はいつものイベントと比べてもかなり特別な時間である。というのも、スピーカーの設計を手がけられたLINNのフィリップ・ホッブズ氏がはるばるグラスゴーから駆けつけ、自らNew Babyと呼ぶArtikulatを紹介してくれるというのだから。それも、このお店がLINNのELITEという別格のショップとして位置づけられているからこそ実現したのだそうだ。ちなみに、私の使っているAkurate212も彼の設計によるものである。

 パーティは最初にフィリップから簡単な挨拶があって、あとはフリー。私は駆けつけ一番ではないが、シャンパンのミニボトルを頂き、早速、Artikulatがいる1つ下のフロアへ移動した。今日、デモしていたのはこのシリーズでも最も高価なフルアクティブモデルのArtikulat350A。ちなみに価格は480万円。パッシブタイプだと300万円だが、この差をどう考えるか。中に仕込まれているのは、クライマックス・チャクラ相当のアンプで、プリから直接、インターコネクトでスピーカーに信号が送り込まれる。見た目のシンプルさもさることながら、信号も損失や外界からの影響で歪むということができるだけ抑えられる設計だそうだ。

 せっかくの機会だからと、LINN JAPANのFさんに通訳をお願いして、早速フィリップご本人に私の気になる点をいくつか尋ねてみた。

***

 Q1. このフロアーに入った瞬間、音楽が空間一杯に広がっていて、あまりの自然さに驚きました。私がKomriを最初に聴いたときもこれに近い驚きがありましたが、それを遥かに超えています。今日の午後、セッティングしたばかりと伺っていましたのに、それを考えると本当にAmazing!です。ところで KomriとこのArrikulat350Aとの位置づけはどのようになるのでしょうか。
 
 A1(Philip).気に入ってくださってありがとうございます。とてもうれしいです。ところで、LINNが開発した新しいスピーカーとしては、Komriはあくまでもスタートでした。その後、何年もの時間の経過とともにノウハウの蓄積がありました。そして、今日お聴かせできることのできたArtikulatは、その結果として生まれたものです。

A1(LINN.J F).位置づけとしては、KomriとAkurateの間になります。価格的にもKomriよりは抑えられた形になっています。

 Q2.目の前で歌っているArtikulatにも、しゃもじのユニットがありますが、私もAkurate212で聴いているので、これとの違いが気になるのですが。

 A2(Philip).このユニット部分については同じものです。Akurateのシリーズと大きく異なるのは、エンクロージャが根本的に異なること、ユニットの取り付け方に新しいノウハウが生かされていること、でしょうか。

 Q3.すると、フロアスタンディングモデルと今日はまだ見る事のできないコンパクトモデルの位置づけは、Akurateシリーズの242と212の関係と同様と考えてよいでしょうか、或はまた別なお考えがあるのでしょうか。

 A4.同じですね。(スピーカーのウーハーユニットとしゃもじの間を手でしきるようにゼスチャーして)ちょうどここから上の部分と考えてくださればよいと思います。Akurateと考え方は同じです。

 Q4.(スピーカーの下部分に青く灯るLINNのロゴマークを指して)とてもラブリーですね!(注:アクティブの作動状態を示すランプになっていると思われる。)

 A4.ああその言葉(Lovely!)が聴けてとてもうれしいです。(F:Philipはラブリーという言葉がとても好きなのです。)

 Q5. 最初はもっと厳めしい姿を想像していました。普通、高級オーディオというと女性の部屋にはあまり馴染まないデザインのものがほとんどですが、 Artikulatは全く違います。素晴らしく空間に馴染んでいて、なんだかずっと前からこの部屋にいるような雰囲気です。生活空間に違和感のない、それでいて奏でる音楽は素晴らしい、それは目指されていることとはいえ、ほんとうに大変なことだと思いますが、いかがでしょうか。

 A5.全くその通りです。生活にとけ込むこと、一体であること。これはとても大切なことです。そういったこともよく考えて設計しています。

***

 もっともっとお伺いしたいこともあったが、おそらく今日参加したギャラリーはみな彼にインタビューしたいはずなので、わずか数分の駆け足でざっと上のような話を聞く事ができた。アルコールの力を借りて、私も下手な英語混じりの会話になったが、Philipはそんな私にも直接伝わるよう、極めて平易で明快な表現を使って、身振り手振りを添えて説明をしてくれた。英語の苦手な私にも、それは我が子を紹介する親のような愛情が込められた、非常に親近感に満ちたひとときであった。
 
 My new babyとこのスピーカーのことを表現する、まさに生みの親であるPhilip氏は、周囲のギャラリーがどのような印象を持ったのか興味津々でおのおのの表情を眺めていたが、概ね好印象の様子に安堵の表情も垣間見えた。私はこのようなエンジニアの方が設計されたスピーカーが遥々海を越えて私のところで楽しく音楽を聴かせてくれている、そういう事実に改めて感じ入った。マーケットがグローバルなのが当たり前な世の中であるが、モノを作り出すこと、そして生み出されたプロダクトへの思いには変わりがないのだろうし、数多ある製品の中で縁があってやってきたスピーカーなのだ。今夜は、お金を出して欲しい製品を手に入れる、単純にそういうこと以上の何かを痛感することのできた素晴らしい時間だった。

 今日Artikulat350Aで聴かせていただいた音楽はどれも素晴らしく、まるで極微粒の音の粒を浴びるようにして、全身がふんわりと包まれるように、すっかりリラックスし、音楽に入ることができた。私が日頃聴いているソースでのインプレは、別途試聴の機会をいただけたので、また日記に書くとして、帰りがけにニュースで見たU2のオリジナル曲を今日のBGMにした。何でも合衆国の次期世界銀行総裁と言われる要人が、貧困撲滅などの運動に熱心なBonoに電話をかけ、世界銀行の課題について話し合ったという。

 私はU2をそれほどよく聴いているわけでもないのだが(これまで聴いた事があるのは、可愛らしい男の子がヘルメットをかぶったジャケのベスト盤程度)、先日紹介したMatt Duskの1曲目に入っているTwo shots of happy,one shot of sadがBonoのオリジナルと知って、今日のシングル盤を後から買い求めた。ちなみに、このTwo shots...が収められているのは、今の時点ではこのシングルしかない。この曲の詩、そしてメロディ。聴くとしんみり考え込んでしまう。でもまたすぐにこのメロディが聴きたくなる。

 次回、Artikulatを独り占めできる時間は約1時間ほど。一体何を聴かせてもらおうかとディスクを選びきれないでいるが、今日の1曲はぜひとも聴かせていただこうと思っている。LINNはスコットランド、U2はアイルランドと、微妙に近くて”遠い” 距離であるが、きっと今日のシステムで聴くといっそう忘れられない旋律になるのではという気がしている。Mattのカバーか、Bonoのオリジナルか、いずれか選びがたし、の心境であるが、できれば両方をぜひお聴き比べいただきたいと思う。今夜はなかなか眠れそうにない。
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名手を熱くした馬 ― Красная книга -- Олег Газманов
 唐突に岡部騎手の引退が発表されたのはつい先週のこと。名手と呼ばれ続け、気がつけばそれなりの年齢にも達し、重鎮と呼ばれるのは何も実績からだけではなくなって随分になる。それでも、引退発表はほんとうに唐突なものに感じられた。それはファンだけでなく、騎手の間でも同様のようで、武騎手は自身のサイトでその思いをつづっている。

 騎手としての実績が輝かしいのは言うまでもないが、私は、岡部騎手という人は派手さのないジョッキーであったと思う。鐙を長くして乗るそのライディングスタイルは、今時の若手ジョッキーのそれと比べても決して見栄えのするものでもないし、勝ち方にしてもその勝利インタビューでの発言にしても、強く印象に残るようなものが意外に少ない。秘めたる熱さとでもいったらいいのだろうか。

 私の思いつく限り、岡部騎手の騎乗や発言に強い感情の存在を感じたのは二度ほどで、その一つは、ビワハヤヒデが日本レコードで優勝した94年の宝塚記念である。ビワハヤヒデはタマモクロス、オグリキャップ、そしてメジロマックイーンに続いて芦毛伝説を継ぐ優駿と言われながらも、皐月ではナリタタイシンに足元をすくわれ、或はダービーでは名手のライバル柴田政人にエールを送るかのようにウイニングチケットにあっさりまくられてしまい、春のクラシックは無冠に甘んじていた。

 わざわざ若手のホープから、岡部騎手に乗り換わってまで―当初、岡部騎手はハヤヒデの騎乗を断っていたというが、真偽のほどは不明―三冠獲りに備えたハヤヒデ陣営。もちろん、春の結果を面白いはずのない鞍上は、秋からハヤヒデを負けない馬に変えていく。ビワハヤヒデはそれに応えるようにして、古馬として迎えた春の天皇賞をあっさり勝ち、春クラシックの王道を歩むごとく宝塚記念に駒を進めた。しかし、ファンの注目を一身に集めていたのは当のビワハヤヒデではなく、半弟のナリタブライアンであった。

 ナリタブライアンは後の押しも押されぬ三冠馬であり、そのダービーの勝ちっぷりといったら、他馬に邪魔されない大外をヒトまくりしての圧勝劇。府中の長い坂上から直線に入り、そのギアチェンジした瞬間に沈む躯体と後肢から巻き上がる土埃のすさまじさといったら、あのダービーの印象に勝るものはなかなか見当たらない。父もナリタがアメリカンターフの雄、ブライアンズタイムに対し、ハヤヒデの父は当時種牡馬成績も見るところのないシャルードという血統背景もあっただろう。だからといって、古馬G1、しかも春の盾の値打ちが下がろうはずもない。

 いつもならそんな周囲の騒ぎを相手にしないはずの岡部騎手だが、宝塚は違った。2着アイルトンシンボリ以下を突き放し、追いすがる馬の蹄の音さえ聴こえなかっただろうに、ジョッキーはムチを一瞬も緩めることなくハヤヒデを追った。追って、追って、追って―結果、ビワハヤヒデは日本レコードで圧勝する。当時の名物実況アナに「弟も強いが、兄も強い!」と苦い顔で唸らせたほどの意地の張り方というのは、後にも先にもこのレースだけではないだろうか。

 二頭のその後は―ビワハヤヒデは北海道の牧場に繋養されて静かな種牡馬人生を歩んでいる。個人所有だったかと思うが、オーナーや関係者から大切にされ、元気に過ごしているようだ。目立った成績の仔が出ていないのが残念だが、Caroのラインは母系に入ってその真価を発揮するケースも少なくないので、彼の血を引く馬の活躍をこれからも楽しみにしたいと思う。一方、多額のシンジケートが組まれ種牡馬入りしたナリタブライアンは、先ごろ主の逮捕で話題になった某牧場に繋養されていたが、ごく僅かの子供を残して疾患のために亡くなっている。ともに強いレースを数多く残した名馬であることには相違ないだろうが、母を同じくする兄弟でもこれほど行く末が異なるのを目の当たりにすると、思うことがないでもない。

 さて、岡部騎手を「熱くした」その二つ目は、名手が駆るトウカイテイオーと、それを迎え撃ち最強の名を譲るまいとする武騎手鞍上のメジロマックイーンが初めて相見えた春の天皇賞である。結果は、マックイーンの春盾二連覇で、テイオーは直線で伸びることなく5着に沈んだのだが、レース前の舌戦がいつになく熱かった。テイオーの底知れぬ可能性を感じていたのだろうか、あるいは父シンボリルドルフで三冠ジョッキーとなった岡部騎手だからこそ、その仔テイオーへの思いがひとしおであったのかはわからない。しかし、レース前に「地の果てまで駆ける!」とまで名手に言わしめたのは、おそらくトウカイテイオーただ1頭だろう。これにはまだ尾ひれがあって、その発言を受けて、これまた珍しく豊が「マックイーンは天まで駆ける」と返し、折からの競馬ブームを煽ることとなった。トウカイテイオーはその後、奇跡の復活劇を二度も演じることになるが、岡部騎手に田原騎手と、キャラクターは異なれどある高みを極めた二人を存分に魅了した馬の背は、さぞ素晴らしいものだったに違いない。 

 馬のこととなるとつい長くなってしまうが、岡部騎手のイメージと音楽とがなかなか結び付かなくて、今日は珍しく無音で過ごしている。冷静、沈着、誠実・・・いろんな言葉は浮かぶが、音楽というと、なかなか難しい(笑)。それではこの日記が終わらないので、ではと選んだのがガズマノフのクラースナヤ・クニーガである。このアルバムの8曲目”Чем измерить горы”でガズマノフはこう歌っている。


  山を何ではかる?
  もしかしたら、雪で。
  もしかしたら、風で。
  もしかしたら、高さで。

  私は山を
  大切な友人ではかる。
  私は山を
  美しさではかる。  
  ・・・・・・・・


 岡部幸雄騎手が残してくれた数々のレースや馬の思い出の重みは、それをはかる物差しが見当たらないほど、長く競馬を見てきた私にとっても大きいものだ。なにしろ、私が生まれた頃からジョッキーとして活躍してきた人なのだ。改めて、一つの大きな区切りを感じるとともに、これからも岡部騎手のように馬への愛情をベースに素晴らしいレースをしてくれるジョッキーが活躍するような競馬であって欲しいと心から願いたい。
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物件探しもまた楽し ― Dixie Fever -- 久保田麻琴と夕焼け楽団
 迷いをやや残しつつ、積もった埃を払い落とすようにして、今新しい住処を探している。以前なら、どこの駅前にも1つはあるだろう老舗の不動産店に行って、あれこれおしゃべりしつつ物件探しをするところだが、さすがにそれだけの時間と心の余裕がなくて、もっと手軽に探す方法は無いだろうかと思っていたら、同僚が利用したという今時の情報型不動産店を紹介されたので、早速行ってみることにした。

 都会の時間に合わせ、夜は11時くらいまで客の応対をするということも驚きだが、不動産のDBから流れてくる情報だけでなく―これは動きの悪いものが出されていることが多いというが―、自前のコールセンターを使って地元の小零細不動産店を組織化し、客の受付と同時に条件を提示して最新の物件情報を取り寄せる仕組みになっている。間にコールセンター、つまり人間が直接介在するところがミソで、客の要望に合わせた、例えば画面に入力して示せないような微妙な条件設定も個々の不動産店に伝えることができ、無駄な情報は取らないですむようになっている。

 興味がわいたので担当の営業の方にいろいろ聞いてみると、社長以下社員さんの年齢構成も若く、彼曰く「勢いだけでやってますから」などと言うものの、接客のツボも外す事なくスムーズに話を進めていくのには感心してしまった。隙間のニーズをうまくビジネスモデル化しているという点では、私がお世話になっているオーディオショップとよく似ているが、まるで学生サークルのノリのような活気に私もつられて元気が出てしまう。おかげで、気が重かった物件探しも結構楽しいイベントになりそうな気配である。

 そんな調子でせっかくの休日もばたばたと出かけては疲れきって帰ってくるので、家の中で流す音楽は、当たり障りがなく、なおかつ落ち込むようなきっかけをつくらない感じのものに偏っている。今日のBGMはそういうニーズにまさにぴったりの1枚で、中学の頃のお気に入り盤である。当時は地元の図書館で貸しレコードというのをやっており、好きなのを借りてきては自宅でテープに録音し、聴いていた。そのテープは20年以上経った今でも手元にあるが、さすがにデッキがないので今はそれを聴く事はできない。仮に聴けたとしても、肝心のテープが伸びきっていて酷い音に違いない。

 それではと調べてみたら、ちゃんとリマスターCDが出ていて、しかも当時の3枚のアルバムすべてを紙ジャケシリーズで揃えることができる。CD化されていること自体も驚きだったが、3枚全部揃うというのにも感激して、私はつい大人買いをしてしまった。それはともかくとして、表題曲の「ディキシー・フィーバー」、そして「星くず」は何年も聴いてなくても空で歌えるほど聞き込んだ曲。今改めて聴いてみると、こんな音が入っていたんだ〜などと新鮮そのもので、久々に聴けた喜び以上に楽しくなってしまう。

 「音が出せて、あと少しはソフトを増やしても大丈夫な広さの部屋」という条件で住処を探しているが、「爆音系」ではないけれど、近所に迷惑がかからないようにしたいというニュアンスが、件の営業マンにはうまく伝わっているようでほっとしている。彼曰く、何千件という物件紹介をしてきたが、女性の客でCD等を大量に持っている人はいなかったそうであるが、趣味に凝っている人は少なくないようで、そういうニーズをよく理解することも大事なポイントだからということだった。頼りにできそうな担当者なので、当分はここにアンカーを下ろして探し物をしてみようかと思っている。

 1日の上京で慌てて部屋を探さなくてはいけない学生さんを尻目に、本来面倒なはずの物件探しまで楽しい時間にしようとする自分に、今まで自分で気がつかなかったどん欲さのようなものを感じてはっとする。もうすぐ春。いろんなものに自分から区切りを付けていくのもいいかなと思える季節。いいことがあるといいなあと思いつつ聴く夕焼け楽団の歌声は私にどこまでも優しい。日向で猫のように体を伸ばしつつ聴きたい1枚である。
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銭湯生活 ― Все дела -- Александр Буйнов
 ただでさえ慌ただしい時期なのに、とうとう重い腰を上げて転居の作業を始めたため、頭の中はもちろん、部屋の中もまさに「カオス」という言葉がぴったりの我が家。いろんな条件が重なって急遽決まった話なので、本人もまだよく整理できていないのだが、とりあえずご近所さんとは会ったついでにご挨拶始めようと思っている。

 はっきり言って、部屋の中は混乱しているので、せめてもの息抜きに、いつも銭湯に出かけた。家の周囲には歩いて5分圏内になんと3軒の銭湯が営業しており、まさに私のような風呂屋好きにはパラダイス。おそらく都内でもこういうところは数えるほどしかないだろう。そのくらい貴重なロケーションだった。

 一番近い所に顔見知りが多く揃うので、今夜はそちらにお邪魔した。今時、内風呂がない家なんてそうはないだろうが、みな隣近所のおなじみとおしゃべり目的でやってくるのだろう。銭湯の廃業が相次ぐ中で、毎日結構な賑わいである。もっとも客層は高年齢者中心で、私ですらかなり若い部類になってしまう。そんな状態だから、常連さんには気軽に声をかけてもらうことができ、ここにいた3年間で随分知り合いができた。下町らしさというか人情みたいなものを感じるのであり、もともと東京の人間ではない私には貴重な生活体験だったと思う。

 みな、口々に「どうして引っ越すの〜」と言う。あれこれ説明していると、うれしいのはまた落ち着いたらこっちに戻っておいでという言葉。幸い、同じマンションの住人の方々とも仲良くしていただいていたので、そういう意味では名残惜しいのだが、いかんせんここのままではもうこれ以上レコードやCDを増やすことはできなくなってしまったので、より大きな貝殻に乗り換えるヤドカリの如く、転居を決めてしまった私。行く先では、ここほどウエットな人間関係は望めないだろう。ちょっとセンチメンタル。

 とりあえず、近所のおばさま連中とは銭湯に毎日行っていればみなさんにもれなく挨拶できるので、しばらくは毎日通おうと思っている。地元という言葉が自然と出るほどこの街にすっかりなじんでしまったことに、自分自身が驚いていたりする。あるいは、比較的狭いエリアの中で、いろいろなタイプの街での生活が体験できるというのは東京ならではであって、私の田舎のような地方ではなかなか望めないことだ。ちなみに、今度行く先はリバーサイド。銭湯よろしく水との縁が切れない私である。

 
 先日、ようやく届いた久々のロシアンポップスの新譜から選んだのは、ブイノフのアルバム、フセ・ジラーだ。一時期、ダンスポップスに行ってしまった彼だが、50歳過ぎてさすがにきつかったのか―否、最近のクリップでも、素晴らしいダンスを披露しているからそんなことはないのかも知れないが―、今回は晴れていかにもエストラードナヤらしい1枚に仕上がっているのでファンとしてはうれしい悲鳴!。同じ踊れる歌でも、テクノ系とツイストぐらい違いがあるので、この落差がかえって新鮮なぐらいである。

 1曲目のタイトルナンバー、フセ・ジラーはリュバーシャのカバーだが、アレンジも良くてまるで彼のオリジナル同然。また、アルバム「オストラバー・リュブビィ」以来の歌謡系ナンバーがいくつか入っていて、例えば5曲目のミチェーリあたりは、90年代半ばの彼を思い出させる。歌も安定していてとても聴きやすく、その歌いこなしにベテランの域に入った彼の目指さんとするところが垣間見える。この年代になると、新譜が出なくなって活動停止、のようなアーティストが増えるので―スュートキンetc.―寂しい限りだが、そんな意味でも待ちに待ったブイノフのオリジナルアルバム。いかにも歌謡曲、というのがお好きな方にお勧めしたい1枚である。
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アナログ諸々 ― Broken Wing -- Chet Baker
 この部屋でレコードで音楽を聴き始めて、早いものでもう1年と4ヶ月が過ぎた。小さい頃はCDなど無かったから、親戚の家でレコードをよく聴かせてもらっていたし、中学に入る前くらいにモジュラーステレオというオールインワンのラジカセに簡単なプレーヤーを足したようなのを買ってもらったので、それこそ少ない手元のレコードを毎日何度も聴いていたものだ。

 そんな風だから、欲しくてもレコードやオーディオが買えないうちはともかくとして、今からレコード聴き始めるともう大変!というのが最初から分かっていたので、レコード再生の再開はかなり躊躇し、かなりブレーキをかけていたのだが、いざプレーヤーを借りて聴き始めてみると、もう誰にも止められなくなってしまった。そのくらい、レコードで音楽を聴くのは私にとって愉しい。もう、愉しすぎる。

 JAZZのレコードは、特にモダンなんかの古いオリジナル盤はものすごく高かったりするので、そうそう欲しいものを買い集めてはいられないが、大好きなChet BakerのCD化されていない音源がたくさんあるのを承知していたので、もういく(逝く、という表現が合うかも知れない)しかなかった訳で、「早くアナログ始めて幸せになればいいのに」というのが周囲のオーディオマニアの方のご意見だった(笑)。私は、決して素直ではないので、目一杯”抵抗”したが、それが無駄な行為だったというのが今更ながらによくわかる。

 まず仕事から帰ってきてすること。その1ー鞄を置いて、手を洗う。その2ーターンテーブルのセット(うちのはスイッチを入れて、さらに手で回してやらなければ回らない)。その3ー本棚の前に行って1枚を引っこ抜き、着替える前にレコードをかける。これが日々の儀式になっている。大好きな1曲を聴きながらゆっくり着替えるのがいい。オフィスでくっつけてきた面倒臭いものを、服と一緒に1枚、1枚脱ぎ捨てることができるから。

 だから電車の中で考えるのは、夕食の献立と最初の1枚を何にするか、が定番になっていて、時には迷ったりするし、時には料理に合わせてみたりもする。部屋の中が好きな音楽で満たされるのを想像するだけで、歩調もリズミカルになる。以前は、茶店に寄って本でも読んだり、あるいはゲーセンで”ファイト”してからじゃないと部屋に戻れなかったが(笑)― そうでもしないと頭をうまく切り替えられなくて―、今はまっすぐ帰宅、の日々。それが健康なことかどうかは別として、部屋でいる時間がこれほど濃密になるとは、自分でも思ってもみなかった。

 レコードで聴く音というのは、うちの場合、CDよりもずっと濃くて地に足の着いた根を感じさせるものになるが、その音のように私の生活もすっかり落ち着いてしまった。心の解放とはよく言ったもので、音楽の力というのは、想像以上に凄くて、どんな薬よりも効き目があるような気がする。だから、ついつい、はた迷惑省みず、人にもアナログを勧めてしまう。「いっぺんでいいから、レコードで好きな音楽を聴いてみそ!」と。

 今日はめでたくアルコール解禁を言い渡された記念すべき日(かかりつけのお医者様からやっとOKが出た―では今年に入って散々呑んでいたのは一体何だ(笑))なので、とっておきの1枚、ChetのBroken Wingを聴く。このアルバムはCDにもなっていて、CDのジャケの方がよっぽどお洒落だったりするが、この録音は当のChet本人がとても気に入っていた演奏ということで、ファンとしては格別の思いのあるアルバムである。このレコード自体もそんなに珍しいものではないが、ただ状態のいいものが意外に少なくて、私はアメリカの廃盤店からいい状態のものを安く譲っていただくことができて、今日を迎えている。

 Broken WingはChetを抱きしめて離さなかった街と称されるParisでの78年の録音。彼自身、カムバック後今ひとつ上昇気流に乗れなくてもがいていた頃だが、だからこそチャンスを得た時の演奏はひときわ光るものがある。鈍く光るトランペットが夕闇に浮かびあがるように、静かに吹き上がるChetの演奏。晩年彼が好んで演奏したHow deep is the oceanをまず聴いてみて欲しい。どこまでも深く、一緒に堕ちていく感覚。暗がりの部屋でゆっくりと回るレコードを眺めていると、"I'm here..."という彼の声が聴こえてきそう。それはどこまでも私の錯覚に過ぎないのだけれど、たとえ思い違いであっても覚めないで欲しい瞬間。 Chetのファンならずともぜひお聴きいただきたい1枚である。
レコードの話 | - | - | author : miss key
My Chet ― My funny valentine -- Chet Baker
 Chetの歌を初めて聴いたのは、おそらく小学校に上がってすぐのことだったと思う。ラジオのジャズ番組で流れているのを耳にして、母親に「女の人みたいに歌ってるね!?」と尋ねた記憶がかすかに残っている。当時、買ってもらったラジカセで四六時中ラジオを聴いていたのだが、両親の影響でグレンミラーなどのビッグバンドや映画音楽をそれこそ夢中で聴いたのをついこの間のことのように覚えている。

 当時紹介されていたのは、多分、イソノテルヲさんかと思うが、今思えばパシフィックから出ている歌ものを特集していたのだろう。私のChetの第一印象は優しい歌い方をする歌手、であってトランペットを吹いているということを知ったのはそれから結構後のことだったと思う。好きな番組をカセットに録音することを覚えてからは、あれこれ気に入ったものを選んでテープを作っていたが、小学生の頃はなぜかフレンチにも興味があって、フランシス・レイなんかを生意気にも聴いていた。でも今思えば、Chetの甘いボーカルとどこか共通点があって合点が行く。

 中学に入ってからは、白人テナーを聴き始め、トランペットからは少し遠ざかるものの、Chetは定番のライブラリであり続けた。当時のマイアイドルはスタン・ゲッツにアート・ペッパー。それからキーボードの難波弘之、深町純があこがれの的。高校ではジム・ホールが滅茶苦茶好きな女友達ができて、寄ると触るとCTIから出ている一連のアルバムの話になる。ギターを練習して文化祭に出る、などという暴挙にも出たり。JAZZ喫茶デビューを果たし、今はなき京都しゃんくれーるで Chetをリクエストする。ちょっと大人の気分。

 学生時代は乱読乱聴の4年間。Chetがなんと2年続けて来日しているが、チケットを買うお金がなくて行けずじまい。これが、現在のオーディオへの投資の直接的きっかけとなっている。あのときライブに行けていれば、これほどChetの歌や演奏を生っぽく聴くことに執着しないで済んだはず(笑)。未だに廃盤店で、あのときのライブや都内各地で行われたギグに行った方の感想を聞いたりするが、羨ましくて仕方がない。Chetは88年に謎の事故でホテルの2Fから転落死するが、翌々日くらいには日本の新聞にも記事が載り、もう一生生演奏を聴くチャンスがないと知った私は数日何も喉が通らなくなった。本当に哀しかった。

 そんなこんなで、羅列的に書くとたいした事はないのだが、都合30年以上もChetを聴いてきているわけで、多分そんなに興味の続くことは他に早々見つかるものでもなく、Chetの存在はこれからも私にとって Only Oneであり続けるだろう。社会人になって、よりいっそう彼の音楽がいかに私の中に占めるものが大きいかを思い知り、跡を辿る毎により深く惹かれていくのが分かる。

 そうはいっても、若い頃はあまりソフトを集めることには興味がなかったのだが、聴かせてもらえるJAZZ喫茶もいよいよ少なくなり、それは困った!ということで慌ててソフトを集め始めたのがだいたい今から5年ほど前からだろうか。Chetの場合はブートまがいのものやファンの方の自主制作盤も結構あるので、コンプリートは難しいが、主なタイトルを揃えるのはそれほど大変ではない。ただ、タイトル数が多いので、それなりにお金はかかってしまうのだが(笑)。

 Chetにまつわるエピソードを書くと、それこそ山のようにあるし、恥ずかしくてかけない事も多いので、あえて事務的に書いている。今日選んだ1枚、それこそ手元にある約300タイトルの中から選んだ1枚は、79年にロンドンで録音されたライブの模様を編集した日本盤である。レコードは2枚に分かれているが、そのジャケットが大変素晴らしいのでご存知の方もいらっしゃるはず。そう、Bingowから出ている Rendez-VousとAll Bluesの2枚である。

 このライブではボーカルにレイチェル・グールドを迎えているため、Chet はトランペットの演奏中心だが、珍しくラウンド・ミッドナイトで渋いスキャットを披露している。それと、コアなファンでも納得なのは、My funny valentineのtake2。こちらをぜひお聴きいただきたい。それこそマイファニーはChetの十八番だが、このテイクは一度聴いたら忘れられない。私も一人のファンとしてMy funny valentineの歌と演奏だけは是が非でもコンプリートしたいものだと日々思っているが、そんな私にとって数ある録音の中でもベストスリーの1つに挙げたい演奏になっている。

 天気のよい日曜などに、朝からオーディオシステムをごそごそ弄るような生活をしているが、それもこれもみんな、Chetを追いかけてここまで来てしまったようなもの。ただのOLにそこまでさせるのだから、やっぱりChetってちょっと凄い人かもって思ってもらっていい。鈍い光と陰をたたえながら響くトランペットに、途切れそうなほど細い歌声に満たされる空間。生きてて良かった、心の底からそう思える瞬間。今日のBGMに選んだMy funny valentineは、この日記を読んでくださる方にもぜひお聴きいただきたい珠玉のアルバムである。
others (music) | - | - | author : miss key
「熱海」は禁句 ― No rays of noise -- Gurnemanz
 先週のことだったか、悉皆というので男女平等をテーマにしたセミナーに参加した。広い会場には100名を超える人が集まり、一体何の話を聞かされるのかとあくびがてら開始を待っていた。

 男女平等というと、私などは機会均等法以後の人間なので、ややピンと来ない部分もあるが、日本では処遇の問題と文化的背景に基づく意識の問題をごっちゃにするので、ややこしい話も少なくない。でも今更そういう話題でもあるまいし、と思っていたら、なんとお題はセクハラであった。

 女性弁護士の方を講師に招いてのセミナーは、最近の判例を題材に休憩なしのぶっ通しで行われた。紹介された実例は、正直、ごく一般的なオフィス事情からすると極端なもので、実際の人事担当者などにはあまり参考にはならなかっただろう。何しろ、セクハラ問題ほどグレーゾーンの広いものもない。私などは語弊を恐れずはっきりいう。女性側の「不快感」を基準にするならば、同じ事をされても、AさんならだめでBさんなら構わない、というようなことはいくらでもある。名誉毀損や強制わいせつに近いものはともかく、日頃のやりとりで発生する性的ハラスメントというのは、これを捉えて白黒つけるのは客観性をどこまで持てるのかという点においてかなり厄介な話だと思う。

 思うに、セクハラが組織問題として捉えられるからには、単なる個人間の問題にとどまらず、組織イメージを損なうばかりか、多大なる経済的損害を与えかねないリスクとしてその重大性を無視できないということがある。例えば、今日のセミナーにおいても、事例に出てきた神奈川県内の某A市役所の名は一体何度連呼されたことか。一職員のしたこととはいえ、管理体制の落ち度が問われて罰金が課せられた事例だが、およそそんな話が組織のイメージアップにつながるはずはない。

 さて、日頃どのようなことがセクハラにあたると思いますか、という問いに対し、「(酒席で酔っぱらった勢いなどで)ちょっと熱海でも(行きませんか)」などと誘うのはセクハラである、と答えた女性がいて、個人的にウケてしまった。まだ20歳代の方のようであったが、彼女にしてみれば、熱海などというのは随分と場末であって、イメージも良くはないのだろう。確かに、表現のしようが難しくて私もどう書いていいかわからないが、そういう彼女の言わんとするところは何となく、わかる。

 セクハラが顕在化するときには、何らかの上下関係や権利関係が伴ってプライバシーが損なわれたり、性的関係を強いられたりということがあるのだと私は理解している。講師の方の言葉を借りても、裁判事例になるものは圧倒的多数がいわゆるパワハラがらみであるという。100を超える事例を―すでに日本国内で判例化された実例が100を超えるという事実を貴方はどう捉えるか?―検討された専門家の言葉は力強かった。私も男性といっしょに仕事をする機会が少なくないので、十分言動に注意したいと思う。これだけ混沌とした世の中、何も加害の立場にたつのは男性だけとは限らない。

 夕方、お茶の水に出かけたついでに立ち寄ったお店のBGMで流れていたのが、Gurnemanzというドイツのグループのアルバムである。私はプログレッシブロックのコーナ−に行ったのだが、店員さんの紹介では、このグループは「フォーキーなプログレ」ということだった。私はそのアコースティックな響きや、耳に刺さる事のない穏やかな女性ボーカルにすっかり魅せられてしまった。

 ここのお店は非常に狭い売り場ながら、何も買わずに出る事は少ない。おすすめの上手な店員さんがいるので、買い物自体が楽しかったりもする。「若くて可愛い店員さんがいるので」というとセクハラに当たりそうなので、ここではそんなことは、書いたりしない。セミナーの学習効果である。冗談はその位にして、今日のアルバムは77年の録音を中心に11曲のボーナストラックと共に編まれた貴重なCDとのこと。風邪が抜けきらなくて気分もだるい時、そんなときに一聴の価値ありのアルバムである。
pop & rock | - | - | author : miss key