音の快楽的日常

音、音楽と徒然の日々
重い本
 先週、久しぶりにまとめ買いした本の中に、一時期書評で話題になった「自閉症裁判」というノンフィクションがあった。福祉施設で指導経験のある筆者が後にノンフィクションライターになり、レッサーパンダの帽子で有名になった猟奇殺人事件を「猟奇」ではなく「自閉症」に光を当てて事件の本質を浮き彫りにしようとしたものだ。

 ノンフィクションというジャンルがもともと好きで、学生時代もそれ以降もこれはという作家のものは端から読んでいたが、最近は読む根気がなくなってしまったのか、事実に基づいて書かれたまとまった分量のものを読みくだす馬力がなく、敬遠気味だった。前回読んだのが東電OL事件の裁判を追ったものだったからもう随分間があいている。

 店頭で数ページ読み流してから、これならと思って買ったのだが、読み出して止まらない内容の反面、その重たさといったらなかった。裁判に関する記述が十分整理されていないというせいもあったのかもしれないが、自閉症という病気のもつ難しさに加え、殺人を犯した男性の生い立ちや家族の悲惨な様子、ことに癌に続け様に襲われて手術を繰り返しながらも、母亡き後稼ぎのない父親や家族を支えるためにぼろぼろになるまで働き続けた男の妹にまつわるエピソードは、あまりにも陰惨である。

 まるで「地雷」を踏んでしまったかのように被害にあった女性がいる傍ら、その殺人事件がきっかけで福祉支援団体の目に留まり、人々の支えの中でわずかでも人生を楽しむことができた犯人の妹。筆者は、同様の事件が繰り返されないよう、自閉症への理解と社会の対応が必要と考えているようだが、取り上げられている内容や触れられている関係者の心境など、今ひとつ焦点が絞りきれないでいる。それが、畳み掛けるような筆者の自問自答をそのまま表しているといったら、そうなのかも知れないが、興味本位で手に取るにはあまりにもヘビーな内容だった。

 これという方向や光が見えないまま結ばれた1冊の本を、さすがに長く手元に置く気にはなれず、早々に手放した。今は処分の方法もいろいろあって、次に読んでくださる方を探すのもネットでは簡単だ。その手軽さが日頃は疑問に思えども、今回ばかりは有り難く感じられた。

 気分転換にマイブームのScorpionsのバラード集を聴く。中でもStill Loving Youが心に沁みる。本を読み終えて心の襞のざらつきを感じることなどこれまでなかったことだが、それだけ私に物事を受け止める度量が小さくなっているということなのか。酒も止められていることだし、せいぜいマイネのボーカルを流し込んで眠ることにしよう。
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感無量の東京優駿
 曇りがちな空模様に、せっかくの晴れ舞台なのだからスキッと晴れてくれよと文句の一つも出てしまう。そんな観客の気持ちが伝染でもしたのか、今日のディープインパクトは時間が経つにつれてテンションが上がり、得意の尻っぱねを連チャンで披露(笑)。その様子がターフビジョンに映し出される度に、どよめきともため息ともつかないドーっという響きがパドックにも伝わってくる。

 主催者にとっても今日は起死回生の東京優駿、レーシングプログラムも特別仕様で、中綴じになんとディープインパクトのカラーポスターが付いている。海外なら話題の馬を押して盛り上げるなんてことは結構あるけれど、中央競馬でこんなことをしたのはおそらく初めてではないだろうか。魅せる競馬づくりなのか、あざとさなのかは別にして、ファンにとってもディープづくしの1日を記念のレープロでもって思い出せるのだからありがたいことだ。

 クロフネのダービー以来、もう並んでまで観ることはないだろうと思っていたが、今日はどうやったって見逃せない1戦、多分その場に居合わせなかったら後からどれほど後悔するか想像するのも嫌なほどだったので、体調の絶不調をおして出かけた。出かけて本当に良かった。

 レースがどれほど素晴らしいものであったかは、書く必要もないだろう。ジョッキーも「感動しました」と勝利インタビューの開口一番応えている。走りでもって鞍上を感動させる馬。ディープインパクトに何か欠けるものがあるとすれば、それは人並みにスパッとゲートを出るセンスと、あとはルックスぐらいのものだろうか。失礼ながら、彼はそれほどハンサムな馬ではない。表情はまるで牝馬のように丸い瞳が愛らしく、額の小さな流星も、ちょこんとチャームポイントのような感じだ。

 彼を双眼鏡で追っていて驚いたのは、大ケヤキから4コーナー手前まで先団に追いつくスムーズさと、それだけ脚を使っているにも拘らず、最期の直線でどんどんとスピードを増していく勢い。でもゴールを過ぎてからの彼は疲れもなく無表情で、かつてのオグリキャップを思い出させた。オグリキャップはゲート内でも、気分が乗っていると「走るぞう!」と言わんばかりに前掻きをしたが、ゲートの出が悪いディープも、これから走るということに気持ちが乗りすぎてワンテンポ遅れてしまうのかもしれない。彼が口を利けたなら「遅れたら、その分後で取り返せばいいんでしょう?」とでも言うだろうか。

 それにしても本当に感無量の東京優駿。連れて入った馬達も私のお気に入り2頭で、馬券的にも妙味があった。このところのレコード貧乏を馬達が見透かしていたかのようでもあり、少しは生活のペースを考えなくてはと帰りの車中は反省したり―彼のあまりの素晴らしさに思わずこちらも殊勝な気持ちになる。他の馬がどんなに頑張っても、今年、無敗の三冠馬になれる権利があるのはただ一頭。ディープインパクト、三冠を目前にして優駿の名に相応しいダービーだった。
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衝撃の1.0倍
 いよいよ東京優駿、ディープインパクトのダービーが明後日に迫った。前売り初日の今日は単勝グリグリの1.0倍。2日前発売だから当然だろうと思いつつ、元返しのオッズにため息が出る。
 
 ディープインパクトの報道は加熱の一途を辿り、とうとう前夜にはNHKで特集も組まれると言う。下降気味の競馬人気を立て直すチャンスと見てか、関係者も力が入ってしまうのだろう。

 私の職場でも、競馬に日頃関心のない人までが指定席を押さえてまで観戦に行くというから、そのインパクトの度合いを実感せざるをえない。ディープインパクトはただの強い馬ではなく、多くの人を魅了するという意味で、既にスターホースである。

 あとは彼にとって走り易い、良いコンディションの馬場とフェアなレースが用意されさえすればいい。枠はスペシャルウィークも駆けた3枠5番、鞍上もダービーをなかなか勝てなくていたが、その後はアドマイヤベガ、タニノギムレットと短い間に3勝ジョッキーになっている。4つ目はまだ誰も勝ったことがないが、そのことが彼のパートナーにどんなプレッシャーを与えるというのだろう。

 最高の舞台のために、最高の仕上げ。厩舎コメントも日に日に熱を増していく。であれば、あるほどに、私は彼の脚元が心配になってしまう。どんなに強い馬であっても脚はガラスの脚である。

 彼に次ぐ馬として、注目しているのは、シックスセンス、インティライミ、ダンスインザモアまで。前走で力を見せているだけに、今度は楽に走らせてもらえないシックスセンスがどこまで来るかに興味がわく。大外枠のダンスはやや枠順に不利があるも、展開次第では長く使える脚を活かせそうだ。インティは血の勢いを感じさせる。地味ながら一発のある鞍上も魅力。

 待ちに待った夢舞台はもうすぐ。絶対と言われて勝つことほど、競馬で難しいことはない。人馬とも無事、いいレースをして回ってきて欲しい。ゲートが開くその瞬間まで、興奮は冷めそうにもない。あと2日、本当に長い時間になりそうである。
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パワー不足
 サイトに情報を載せたり、何か綴ったりする以前に、ここ2週間ほどはこれまで以上に自分自身のパワー不足を強烈に痛感している。仕事帰りの付き合いもろくにせず、取り急ぎ部屋に戻って横になる毎日で、アルコールも抜いているにも拘らず、あれもこれもしなければという雑用ばかりが目の前に溜まっていく。

 体力の限界とか年齢とかそういうこともいろいろあるだろうが、あまりに忙殺されるとそれに比例するように無気力が体の中に充満していくようだ。こういうのをアパシーとか言うのだろうか。

 時間が惜しいので、通勤途上の車中、わずか数分を読書に当てたりしているが、いくら速読の私でも限界があって、かえってじっくり内容を咀嚼できないような読み方にストレス増大(笑)、なかなかうまくいかないものだ。

 理想ばかり掲げてもそれに付いていけないが故にダウナーになっても仕方ないので、自分の上手な逃がし方、みたいなものを考えたりしている。以前だったら毎日飲酒、で非常に不健康なことになりそうだが、今はものをしっかりゆっくり食べ、眠ることが最優先、10年でこんなに生活が変わってしまうのかと思うと、やはり日々の過ごし方は自分次第と改めて納得する。

 これまであまりにも住居や食事など生活そのものにお金をかけてこなかった反省を踏まえて、改めて生活再構築!し始めてから2ヶ月が経過。以前より増した家賃負担に考え込むことがありながらも、少しずつ生活のパーツが落ち着き始めたので、焦らず時間をかけようと思い直す。

 こんなとき、音楽はいろんな面で自分を救い出してくれているということに改めて気づき、音楽のありがたみを身にしみて感じている。もう少し時間があれば、そうしたアルバムを丁寧に紹介していけるのになあと、今はそれがとても残念でならない。いずれは、の目標の一つとして忘れないようメモをした。慌ただしい中でも心の中で遠くの灯台を見やるような余裕を失わずにいられたら、ささやかな1サラリーマンの願いである。
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赤ん坊の宵っ張り
 友人の話を聞いていると、時々とても驚くことがある。彼らにとっては日常のごくありふれた風景のようだが、例えば、最近の子供は随分と夜遅くまで起きていたりするようだ。子供といっても赤ん坊から2、3歳の幼児ぐらいの、ごく小さな子供のことだ。両親が共働きで、生活時間が夜遅い時間にシフトしているのがその背景にあるようで、食事やお風呂など、親の生活時間に合わせて子供も宵っ張りになっているのだ。

 なんでも私の友人宅では、2歳くらいの子供が夜10時ぐらいまでは平気で起きているらしく、寝かしつけるのが大変らしい。もっとも、親のいないところでしっかりと昼寝をしているかもしれないが、私などは農村生活が長かったせいか、未だに夜遅いのは辛い。完全な朝型人間なのも、過去の生活習慣のなせる技だと感じている。

 田舎では、陽が落ちれば集落も暗くなり、夜は闇夜というのが本当にぴったりくるほど真っ暗である。陽が昇ると同時に働き始める農村では珍しくない風景だが、夜も明るい東京の街はどこか惹かれるものがあり、写真を撮り始めた頃にはネオンの夜景ばかり写していた。なので、構図はともかくとして、スローシャッターには自信があったりする(笑)。

 ところで、小さな子供の宵っ張り。親の生活スタイルの影響で子供たちの生活もどんどん変わっていく。家には子供がいないから、小さな子供がよる夜中まで起きているというのが私にはとうてい理解できない世界だが、好きなだけ眠れるなんてごく小さなうちだけなのだろうから、今から起きている時間が長くなくてもと、他人事ながら余計なことを考えてしまう。

 本当は眠いのだろうに、親とコミュニケーションするのが楽しみで一生懸命時間を合わせているのかも知れないと思うと、それも今時ならではの生活の姿なんだろうかと考えてみたりもする。そんなつながりのようなものがずっと失われずにいたならば、或は大人が彼らのメッセージをしっかりと受け止めているならば、最近新聞やニュースに絶えることのない悲惨な出来事は避けられるのではないかと思われた。そんな濃密な時間を持てる友人達をふと羨ましく感じる今日この頃である。
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漆黒の日曜
 今日は、いずれが樫の冠を頂くか、オークスの日。もちろん私は多くが勝ちをイメージしたシーザリオ、そして長距離なら、のエアメサイアを押した。結果的には圧倒的人気のシーザリオが怒濤の追い込みを決めて樫の女王に輝いたが、直線中途から3度にわたってよれることがなければ、ぎりぎりエアメサイアが残っていたかもという際どいレースだった。

 シーザリオの父はダービー馬スペシャルウイーク。父には似ず、どちらかというと祖父サンデーサイレンスを思わせるような漆黒の馬体がはじけるようにしてゴール前に躍り出た時には、ああやっぱり来た!と思わず手を叩いた。父はもっと楽にダービーを勝ったが、ダービー馬はダービー馬から、といわれるように、彼女は桜での借りを今日の大舞台でしっかり返すことができた。何より、スタンド前に帰り戻る鞍上の表情が嬉しさに溢れ、まぶしいほどであった。それ一つとってみても、とてもいいレースだったと思う。

 漆黒の、で連想するわけではないが、闇夜の黒から浮かび上がるような重く妖しい声音にすっかり参ってしまい、このところ寝る前にScorpionsのLonesome Crowを聴いている。私は、彼らがかつて旧ソ連邦の若者を引きつけて止まなかったグループであるというのに後から気づいて、そういえば名前だけで音楽を聴いたことはなかったなと思い返したりしたのだが、店頭で出たばかりのCDがたまたまかかっていて、その歌声に目眩がしそうなほどだった。このジャケットでは、さすがにジャケ買いしなさそうだから、店頭の「お試し」がなければまず聴く機会はなかったろう。

 おまけにこのアルバムの邦題は「恐怖の蠍団」。このタイトルからして、とても私の守備範囲ではない(笑)。でも原題は"Lonesome Crow"。裏ジャケにカラスの絵が描いてあって、なぜ恐怖の〜なのかは私にはよくわからないが、当時はそういう売り方だったのかも知れない。

 それにしても、Klaus Meineという人の声は、何と深く心に切なく響くのだろう。偶然手にしたのが1stアルバムのCDなので、他のアルバムも順に聴いてみたいと思う。願わくば、どうかボーカリストが替わっていませんように。今日もまたLonesome Crowで夜が更けていく。いい休日だった。
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レコードコンサート
 久々に自宅でレコードコンサートをした。コンサートといっても、いつものようにCDで音楽を聴く会と大して変わらないのだが、今日のゲストは自宅ではCDオンリーで聴いている方なので、どんな感想が聞かれるかと私も今日の機会をとても楽しみにしていた。

 今週は深夜帰宅の連続で、十分にソフト選びができなかったのが少々申し訳なかったが、思いつくだけでも、あれもこれもとぜひ聴いてもらいたい曲がたくさんあり、4時間足らずの時間はあっという間に尽きた。ただ、前回から数ヶ月の間に増えたレコードの枚数が、ゲストにはかなり目についたようで、「音の書斎」を見て自分はまだ余裕だと思っていただけに、盤の増殖の勢いを改めて自覚した(笑)。

 
今日聴いたレコードの一部




 2年ほど前には、自分がこんな会を催すなどとは想像もしていなかった。というのも、手先があまり器用ではないし、当時はまだアナログで音楽を聴くこと自体を敬遠していたので―機器のメンテナンスやレコードの扱いなど、気をつけなければいけないことばかりで、ものすごく大変なことだと想像していた―PiegaとLINNで音楽を聴き始めていた当初から私のことを知っているゲストにすれば、もっと意外に映ったかもしれない。

 深夜貰った感想には、レコードで聴いた音への新鮮さや驚きが溢れていて、私がアナログで聴き始めた頃のことを思い出し、なんだか嬉しくなってしまった。かつて10代の頃には、私もその人もレコードで聴いていたはずなのだが、CDに耳が慣れた後で改めてレコードの音を聴くと、単純に驚いてしまったりするのはとても面白い。

 だからといって、CDがだめとは全く思わなくて、それぞれのソースとしての良さがあるのだろうし、それを巧く使い分けて楽しんでいけばそれ以上のことはないと感じている。最近は、レコードでは集めるのが大変な貴重音源をボーナストラックにしたファンには堪らない企画ものCDが次々に出ているが、後からレコードを探すというのはその手間や実際に見つかるかどうかということもあって、レコードでなければと限定する必要もないように思う。現実に、楽しんでいる音楽やアーティストがCDになってからのものだと、レコード自体がなかったりする。

 レコードで音楽を聴くことの楽しさは、単なる懐古趣味に留まるものではないだろうが、その時代背景を懐かしんだり、或は想像したり、また盤をセットしたり針を落としたりということのひと手間―なくしがちな心の余裕のようなもの―が、聞き手の気持ちを一層解してくれるのではないだろうか。レコードの音が良い、という時には、物理的な要素の他にそういう部分も多分に働いているような気がしてならない。何はともあれ、これでまたレコードファンが増えたのが何よりだ。「”仲間”が増えて安心しているのではないか」などとは決して言うなかれ。楽しいことはみんなで共有した方がいいに決まっているのだから(笑)。
レコードの話 | - | - | author : miss key
Peter & Gordon
 例によって日々、ディスクガイドを眺めない日はないが、British Beatを特集したその本は、本当に眺めるだけでも楽しくて仕方がないほど、素敵なジャケットのレコードが山のように紹介されている。40年も前にそんなデザインのものがあったなんてという素直な驚きと、そのレコードにはどんな音楽が入っているのか想像する楽しみがごちゃ混ぜになって、毎日本当に忙しいというのに、ちょっとした合間にガイドブックを開いてしまう。気に入ったジャケがどんどん入れ替わりに出てくるようなスクリーンセーバーがあったりしないだろうか。そんなことまで考えたりしてしまう。もう病気だ(笑)。

 このガイドブックが届いて、中をぱらぱらと眺めたその瞬間に目に飛び込んで来たのが、Peter & Gordonという男性デュオのアルバム。もう、何と言うか、こういうのを心を鷲掴みにされたような、とでも言うのだろうか。私は確かに、瞬間的に「落ちて」いた。

 本に紹介されているような盤は、いくら当時売れているといってもそう簡単に見つからないだろうと思いつつ、某店の中古フロアーに出かけたら、なんと紹介されている6枚のうち3枚があった。店員の方に尋ねたら、偶然今日はあっただけの話でいつもはそんなにあるわけではないようだ。

 そんなバカ高いものでもないので、早速試聴させていただいたら、残念なことにそのうち1枚だけは溝が随分痛んでいたのか、全面的にザリザリというノイズが乗って、さすがの私でも手が出なかった。でも、ジャケットの可愛い2枚のレコードが私のものになった。そして、音楽も期待以上にとても素敵で、もう何も言うことはない。Прекрасно!

 ガイドブックには数センチ四方の小さな絵が載っているだけだが、それでもぐっときてしまったのに、本物のLPのジャケットになると、その大きさのせいもあるのか、本当に眺めても眺めても飽きることがない。載っている二人の表情もとても魅力的だが、何と言ってもこの色の美しさ。British Beatに分類されている作品のジャケットは同じような傾向のものが多く、中の音楽はともかくとして端から集めてみたくなる。

 まさにこの色合いに近いものを、私は英国のオーディオから感じ取り、システムも英国メーカーのものが中心になっているが、今となってはあながち全く的外れな気がしない。自分はこういうものが好きなのだというのが本当によく分かり、気持ちのいいくらいだ。

 Chet Bakerと違って、Peter & Gordonはわずか数年で活動を終え、それぞれが別の音楽ビジネスに身を投じているため、レコードは数えるほどしか出ていない。しかもEPに行かなければ、オリジナルアルバムは片手で足りるほどのようだ。これはもう頑張って探すしかないだろう。求めればきっとどこかで出会いがあるだろう。これでまた楽しみとウオントリストが一つ増えた。レコード探しにはなかなか終わりが無さそうな気配である(笑)。
pop & rock | - | - | author : miss key
右ハンドル騒動
 モスクワから面白いニュースが届いた。何でも、政府が国産の自動車を売らんがために日本からの中古車を狙い撃ちにした「右ハンドル規制」に、ユーザー市民が立ち上がり、各地で騒動が起きたとのことだった。

 ガゼータ.RUの記事によると、高い税金をかけるなどの規制によって、現実には多くのユーザーが日本の中古車に乗り続けられなくなるだろうとしており、安くて壊れにくいと定評のある日本の中古車ユーザーが怒るのも無理はないと思う。

 安い、といっても、彼らの平均月収からすれば決して安いものではないが、日本車の中古流通というのはロシアではかなり前からあって、輸送に便利な極東エリアを中心に結構な台数がロシア国内に流入しているという話を聞いたことがある。私も、ロシアに行き始めた頃などは、中古車のルートを何か知らないかというようなことをよく話しかけられた。ぱっと見、子供のような女性にそんなことを尋ねるのもどうかと思うが、よい車を安く手に入れるというのはそれだけ彼らの生活においてとても重要なことであり、情報はどん欲に収集するということなのだろう。

 騒動を見て、政府高官が役所に対し慎重に対応せよと指示を出したようなので、いきなり規制が導入されることはなさそうだ。しかしながら、日本のメーカーがペテルブルクに進出という話もあるから、規制導入云々はもともと「様々な事情」があってのことかも知れない。新聞記事に、都市部における生活の二極分解などという文字も見えるだけに、これからもいろいろな摩擦やひずみが出てくるのだろうと思う。

 かつて私がロシアに感じていた「ないないづくしの豊かさ」のようなものは、近い将来、懐かしく思い出されるものの1つになってしまうのだろうか。物欲の塊の私が何を言っても説得力に欠けるが、ものに頼らない豊かさへの羅針盤を一つまた失うようで寂しさを感じなくもないが、生活文化がそう簡単に消えてなくなるものではないだろうから、単なる杞憂に過ぎないと思いたい。

 「安くて良いものを使って何が悪い!」と気勢を上げた市民の姿勢は至極真っ当なものだし、利便性の享受と生活文化の維持がうまく共存していけたらどんなにいいだろう。自分自身の生活への反省を込めて、思うことの多かった今日のコラムであった。
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ウサギのゴミ袋
 近所のゴミ集積所に、ときおりウサギのゴミ袋を見かけるようになった。ウサギのゴミ袋、と言われても何のことか分からないだろうが、スーパーのレジ袋の取っ手のところを耳のようにして縛り、マジックで目や口が書いてあって、本当にウサギのように見えるのだ。個人のゴミということでなければ、デジカメで撮ってここで見せたい気がするが、さすがにそれは憚られる。

 ゴミ袋のウサギは、その出し主の気持ちの反映なのか、毎回表情が微妙に変わっていて、気をつけてみていると実に楽しい。この間はニコニコだったのに、今日はへこんでいるのか泣きそうな顔だったり。ゴミが出されて回収されるまでに、一体何人の人がこれを見て面白がっているかは知らないが、そのゴミの出し主は、或は誰かが気になって毎週のようにその集積所を見るかも知れないのが面白くて、わざとそんなことをしているのだろうか。

 そういう遊びのようなものが、田舎にはない都会独特のものだと感じている。一人で暮らしていると、誰かが見ていてくれるという、そんな気がするだけでどこか落ち着いたりもするものだが、ひょっとしたらただの悪戯かもしれないのに、何かメッセージを発しているような気がしてならないのは、単に私の気のせいだろうか。

 友人にこのことを話したら「あんたは考え過ぎだ」と笑われて終わりだった。きっと文才に溢れた人なら、ウサギの話だけで何か小説の1つでも書けたりするのだろう。私はただのサラリーマンだから、明日のゴミが気になってならない。ウサギはいるだろうか、笑っているだろうか、それともむっとしているだろうか。明日は早く目が覚めそうである。
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