カメラも私も | 2005.10.29 Saturday |
クラシックカメラ趣味は止めてしまったのですか?というメールを時々いただくが、決して止めてはいません。小さい頃から興味のあったカメラなので、止めようにも止められない、というのが正直なところかも知れません。
私の手元には今20台と少しのクラシックカメラがあって、どれもこれと選び難い可愛いカメラばかりだ。50台を超えた頃からカメラの世話が苦しくなり、調子を崩すものが出始めたので、「里子計画」と称して順に貰い手を探すなどしなくてはならなくなった。手放すのは気持ちの上でかなり難儀な作業であったが、壊れたり不具合を来すようではオーナー失格なので致し方ない。そういう過程を経て残った20数台が、今も棚に顔を揃えて並んでいる。
撮影を楽しむなら、本当は1台だけお気に入りのカメラがあって、そのカメラをいつも携えて出かける、というのがお洒落のようにも思え、少しだけそういう風なものに憧れたりする。カメラ好きの友人とは、ハッセル1台あればあとはいらないみたいな話もするのだが、そういう潔さみたいなものが、おそらく私に最も欠落しているような気がする。棚に並んだカメラがみなこちらを見て「そうだ、そうだ」と相づちを打っているようで、何だか可笑しい。
機械的な調子を整えるのには、細かなことは別にして、月に何度かはシャッターを切ったりして動作させるのが一番だが、これ以上増えるとそれもままならなくなってくる。本当ならいつも磨いてピカピカにしておきたいくらいだが、夜寝る前に1台か2台に手を触れるのがやっとという感じ。なので、理想を言うなら10台くらいがちょうどいいのかも知れない。
そうはいっても、10台を選ぶ作業がまた苦しくて、自然と貰い手が出て残ったものが私とずっといっしょに過ごしていくというのがいいなあと思ったりもするが、どうだろう。実用本位の電気カメラも京セラが生産を打ち切ったので、これも新しめのクラシックカメラの仲間入り。私同様、みんな古いものになってしまった。道理でいっしょにいると、居心地が良い訳だ。
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ただ、最も熱が入っていた頃と比べれば、お店をはしごして欲しいものを探し歩くこともしなければ、あれこれ熱心に資料にあたることもない。またオフラインミーティングのような撮影会からもさっぱり足が遠のき、傍目には止めてしまったかのように映るのかも知れない。私の手元には今20台と少しのクラシックカメラがあって、どれもこれと選び難い可愛いカメラばかりだ。50台を超えた頃からカメラの世話が苦しくなり、調子を崩すものが出始めたので、「里子計画」と称して順に貰い手を探すなどしなくてはならなくなった。手放すのは気持ちの上でかなり難儀な作業であったが、壊れたり不具合を来すようではオーナー失格なので致し方ない。そういう過程を経て残った20数台が、今も棚に顔を揃えて並んでいる。
撮影を楽しむなら、本当は1台だけお気に入りのカメラがあって、そのカメラをいつも携えて出かける、というのがお洒落のようにも思え、少しだけそういう風なものに憧れたりする。カメラ好きの友人とは、ハッセル1台あればあとはいらないみたいな話もするのだが、そういう潔さみたいなものが、おそらく私に最も欠落しているような気がする。棚に並んだカメラがみなこちらを見て「そうだ、そうだ」と相づちを打っているようで、何だか可笑しい。
機械的な調子を整えるのには、細かなことは別にして、月に何度かはシャッターを切ったりして動作させるのが一番だが、これ以上増えるとそれもままならなくなってくる。本当ならいつも磨いてピカピカにしておきたいくらいだが、夜寝る前に1台か2台に手を触れるのがやっとという感じ。なので、理想を言うなら10台くらいがちょうどいいのかも知れない。
そうはいっても、10台を選ぶ作業がまた苦しくて、自然と貰い手が出て残ったものが私とずっといっしょに過ごしていくというのがいいなあと思ったりもするが、どうだろう。実用本位の電気カメラも京セラが生産を打ち切ったので、これも新しめのクラシックカメラの仲間入り。私同様、みんな古いものになってしまった。道理でいっしょにいると、居心地が良い訳だ。
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そんな風なので、「彼ら」とはずっと一緒に歳をとっていくのだと思います。そういうのはクラカメ趣味とは言えないかも知れないですが、それが私にとって普通の暮らしの有り様の1つになっています。長いメールの質問への答になっていれば幸いです