音の快楽的日常

音、音楽と徒然の日々
音楽の履歴書
 最近はいろいろな音楽好きの方の集まりに入れていただき、これまで聴いたこともない音楽に触れ、それにまつわるエピソードや解説をいただく機会に恵まれている。先日などはカンボジアの歌謡曲を聴かせていただき、それこそもう頭の中がいきなりお花畑!みたく弾けてしまった。その曲を紹介してくれた学生の彼氏の音楽体験などは、脳細胞が壊れゆくばかりの私にはこれ以上ない新鮮な酸素吸入のようなもの。多謝。

 それにしても音楽は人それぞれに愉しみ方があり、また場合によってはその人の過ごした人生が透けて見えるほど、そのライブラリには個性があったりするがゆえに、その方の音楽との出会いなど聞かせてもらうのが楽しみでならない。その人がどんな風にして音楽と出会い、どんな音楽を聴き、どんな曲やアーティストを好きでいるのか。それはもうその人の履歴書そのものだったりして、本当に興味深いものがある。

 『ビニール・ジャンキーズ』や『音の書斎』といった書物も、ただオタク受けするような書き物や取材特集ではなく、思わずクスっと笑いながらも真剣に読んでしまうのは、きっと登場する方々の「履歴書」が各々に説得力を持っているからに違いない。

 『音の書斎』はシリーズもので現在第二集まで出されているが、その次は特に予定されていないようなのが残念だ。某専門誌のお宅拝見的な取材とはまた異なった切り口なので、取材先を探すのも、またその取材自体や編集にも大変な苦労を伴うであろうことは想像に難くないが、もっと景気がよくなって人の心に余裕が出てきた頃に、いつかまたそんな本を誰か作ってくれないかなとは勝手な読者の独り言である。否、その前に私自身のライブラリも充実の「音棚」にするべく日々精進をして、というのは誰にも訊かれていないソフト買い過ぎの言い訳である。
レコードの話 | - | - | author : miss key
恋は恋
 松山千春の唄の文句ではないが、どんな中身にせよ恋するっていいなあと思うような場面に出くわした。なにも大げさなことではなく、思いを寄せる人にときめく女性の輝くような笑顔や瞳の表情に、私は言葉通り心から感動してしまった。

 時として恋は、人と人の思いのずれや勘違いの上に力なく佇んでいるだけのことだってあるけれど、それだっていい、誰かの存在を素敵に感じてときめくことが、どれほど生きることの喜びにつながっているかを思えば、恋はやっぱりいいものだと思う。

 今夜、Japan Cupの興奮を冷ましつつ、ぼんやりとラジオを聴いていたら、中島みゆきが他のアーティストに提供した歌が次々に流れていた。研ナオコの「かもめはかもめ」とか、柏原芳恵の「春なのに」とか。改めて聴いているととってもいい歌詞で、思わずいっしょに口ずさんでしまう。

 詩としての部分を大事にしているからだろうか、「息をするところを作るの忘れてしまった(ので歌う人は大変)」といったコメントを中島みゆき本人が解説しながらの放送であったが、一気に歌い下してしまうところに詩の持つ強さが表現できるのだろう。今度、忘年会の二次会に何か歌ってみようか。「時代」を知っている人がうちの職場に一体何人いるのかわからないけれど。

 そういえば同じ北海道ということで雑誌の話題にもされた中島みゆきと松山千春だが、松山千春は今でも歌っているのかどうか私は知らない。某著名人の関連でニュースに出ているのをちらっと見かけたのが最後だ。いずれにしても、恋をテーマに歌わせたらとても巧い二人に違いない。

 「勘違い」という名の夢から冷めて愕然とする経験は私もそれこそ山のようにしてきているけれど、恋ができるうちはまだまだ余力十分、何でもへっちゃらどんと来い!という感じで、今の私にはそういう前向きな様がとても羨ましくてならない。そんな話を古い友達としていたら、「まだまだ人を羨む歳じゃないよ」と慰められた。持つべきものは良き男友達であることを改めて痛感した夜だった。
pop & rock | - | - | author : miss key
最近のヘビーローテ盤から
 今年後半は「買い過ぎ」と自覚があるほどいろいろなアルバムを買い漁っている。その中から今週特にヘビーローテになっているタイトルを4枚ピックアップした。いずれもあちこちで聴かせていただいて、どうしても家でも聴きたくて購入したものだが、録音もとても良い感じなので、ここをよく覗いて下さっているaudio好きの方にもお勧めである。

* * * * *


 □ Gal Costa / Hoje

 NHK-FMのWorld Music Time、ブラジル音楽特集で紹介されていたアルバム。ガル・コスタというアーティストのことは知っていたが、じっくり歌を聴いたのは初めてのこと。なんて肩の力が抜けた自然な歌い方ができるのだろう。"HOJE(今日)"と題された彼女の最新作には聴く者を優しい気持ちにさせる歌が一杯に詰まっている。どの曲もほんとに素敵なのだけれど、もし時間がなくて3曲だけ!となれば、表題曲のHojeのほか、9曲目のLuto、12曲目のSexo e luzがお勧め。


 □ Chico Cesar / Mama mundi

 このアルバムも同じくWMTでの選曲から。放送では9曲目のBarcoが流れたが、完全にノックアウトされてしまった。美声というのではないが、何と憂いに満ちた声をしているのだろうとラジオを聴きながら胸が一杯になった。アルバムが届いた日には、もうそれこそ着替えるのも忘れてスピーカーの前に釘付けになった。シコ・セーザルという人の風貌は、まるで「未来少年コナン」に出てくるチモシーのようだけれど、声のイメージとはかけ離れている感じ。正直、何を歌っているのか分からないのに、彼の歌の世界に浸り切ってしまう。何曲か彼の公式サイトで試聴できるのでぜひ試してみて!


□ Serge Lopez / Sentidos

 今度はブラジルからスペインにほど近いフランスはトゥールーズへ。この作品はセルジュ・ロペスというギタリストのアルバムで2001年にリリースされたもの。1曲目のPerfume、ギターのイントロで始まるこの歌は熱さの押し売りのような演奏とは対極にある、静かに迫る様が何とも魅力的。楽器と対話するように優しくつま弾かれる音色、セルジュはこれでもかという感じの技巧派ではないが、夜ひとり音楽に浸るのにぴったりの1枚。


□ Dream Theater / Octavarium

 最近ハマっているのがドリーム・シアター。年明けに来日を予定している彼らの最新アルバムがこのオクタヴァリウム。彼らには、超絶テク!のような演奏もたくさんあるけれど、このアルバムはバランスがとれていて、ポップファンにも入り易いと思う。私はバラード曲、Sacrificed sonsが一押し。1曲が24分なんていう大作もあるので、時間にゆとりのある時にじっくり聴いてみて欲しい1枚。
world music | - | - | author : miss key
コピーコントロールに振り回される
 久しぶりに思いっきりポップで懐かしい歌が聴きたい!と思って先日タワーレコードに出かけたら、ちょうどリリースされたシンディ・ローパーの新譜が並んでいた。さわりを試聴しただけで私の気分にぴったりの1枚だということがすぐに分かったのだが、輸入盤を手に取って見るとそれは残念ながらセキュアマークの付いたコントロール盤であった。

 そんな中、知り合いのサイトで「国内盤も実はコントロール盤」ということが判明、しかも帯でセキュアマークが隠れていて、通常盤ではないことが買う時点では分からないというから驚いた。改めて店頭で国内盤がコピーコントロール盤かどうか尋ねてみたが、そのお店では通常盤として販売されており、二重に驚いた。

 コピーコントロール盤かどうかに神経質になる客が圧倒的少数なのかも知れないが、買う立場からすれば、それがどういう商品なのか分かるように表示するのが当たり前だろうと思い、半ば憤りさえ覚えるほどであった。でもどうしてもシンディの新譜を聴きたかったので、外盤でもう1枚出ている、コントロール盤かどうか不明のdual diskというCDとDVDが表裏一体になった仕様のものを初めて買ってみた。

 ディスクが届いてみて分かったのだが、このdual diskには「再生できない場合もあります」との注意書きがあった。これは新たなコントロール盤かと焦ったが、先の知人がDVDと一体になっている仕様からくる厚みの問題と教えてくれて、ものを知らない私もなるほどと納得したのであった。ちなみに、再生できないのはスロットローディング形式のプレーヤーに多いとのことであり、iBookで試したら案の定読めなかった。

 私のCDプレーヤーは通常のトレイ式だが、不具合が起きても困るので、結局買ったディスクはDVDプレーヤーで再生するにとどめた。今ちょうど、XCPという新しいコピーコントロールの盤がプログラムの問題で回収されるという話が耳に入り、それなら今回のシンディの新譜も通常盤で再発されるかもと期待しているがどうだろう。

 コピーコントロールについては、これまで何度か愚痴も含めて書きなぐってきただけに、さすがにもう触れまい。でも1枚のCDを聴きたいがゆえにあれこれ振り回されてしまい、リラックスするために音楽を買い求めているのにこれでは本末転倒。CDを再生して何か不具合がおきるかも、などというつまらない心配をしないで済むようにしてもらいたい、ただそれだけのことなのだけれど、企業にとってはそんなに不都合なことなのだろうか。

 今回のことで改めてコピーコントロールについてあれこれネットで調べてみたら、消費者側の立場にたってメーカーの姿勢を批判した専門家に対し、関連アーティストへの取材を拒否するなどの嫌がらせをした企業があったということを知った。リスナーに向けて様々な音楽について語り、広める立場にある人と敵対する利益が一体いかほどのものなのか私には理解しかねるが、社会の公器と言われる企業の責任の質がこれほどまでに問われている時代もないのかもしれない。

 あるいはそんな騒ぎとは関係なく、音楽は一定の条件の元にデータとしてネットで買ったり聴いたりするのが当たり前になっていくのだろうか。パッケージとしてのCDやレコードに愛着のある私にとって、もしそうだとしたらそれは本当に寂しい限りだ。

 「データでダウンロードすれば、部屋にCDやレコードが溢れかえらなくていいじゃない!?」とは親しい友人の言う事だけれども、音楽を聴くという愉しみに付随した様々なものにこだわる自分を否定することは今の私にはなかなか難しい。こういう時、自分の融通の利かなさや不器用さに辟易する反面、当分は物としての音楽にこだわり続けてみようかとも思う。ただ1枚のCDのことで、ここまで考える必要はないのかも知れないのだけれども。
audio | - | - | author : miss key
復活と簡単に言うけれど
 今日という日曜は、数々の復活劇を目の当たりにすることのできた素晴らしい休日だった。中でも、東京女子マラソンに出場した高橋尚子さんの優勝には、思わず目が潤むような思いがした。

 高橋選手がオリンピックに出場すると話題沸騰の最中に、私はちょうど出向先で慣れない営業業務を始めたばかりであったが、思うように決められたノルマが上げられず、それこそ事務所に戻る足取りの重さといったら思い出すのも嫌なほどであった。

 それが、彼女の金メダルがきっかけで、私の成績もぐんと伸び、私の背中にまるで羽でも生えたかのように、同僚の私を見る目も一変した。その理由は、彼女の頑張りに触発された、とか、私が血のにじむような努力をした!といった根性論でもない。たねあかしをすると、私の見た目が高橋選手に似ていたため、新規の客先に行ってもすぐ顔と名前を覚えてもらえ、しかも「金メダル」で景気がいいやというので仕事の話にもすぐ乗ってもらえたからである。

 そっくりというと語弊がある。選手本人にも失礼なのできちんとことわっておかなくてはいけないが、見た目がそっくり!というと少し違って、笑った時にできるしわの位置が非常に良く似ているので、私が笑顔でいると彼女が伝説のゴールでテープを切った瞬間のあの笑顔を想起させるようであった。もちろん輪郭が似ているせいもあるだろう。

 中には「いやあ、Qちゃんが来てくれるようになってから、売上も伸びてるよ」などと話しかけてくれる社長さんまでいた。もちろん、そんなはずはない。そういう景気の良い冗談が相手の口から出るという人間関係が大切なのだ。話下手で人見知りの私も、のっけから冗談で気持ちが解れると、切り出したい話もスムーズに出来た。そんなときは心の中ではそっと彼女に感謝の手を合わせたものだった。

 私が就職して以来の最もキツい3年間を乗り切れたのは、まさに高橋選手のおかげである。だから、彼女がいろんな意味で注目されすぎてバッシングを受けたり、あるいは師事する指導者を変えたりと大きな節目に立つ度に、とても人事とは思えない自分がいた。

 高橋選手は前回のオリンピックにはスタート地点にも立てず、二連覇するという素晴らしい夢は断たれたが、それで終わる人ではないと思っていた。思っていたけれども、度重なる怪我や年齢など、私のような素人の想像の及ばない厳しさが競走にはあるだろう。だから、応援はしても、どこか「もう休んでもいいのではないかな」などと思ったりもした。それが!

 3カ所もの肉離れを押して、まさに今日出場した雪辱の東京女子マラソン。「2年前を思い出しながら、それに負けてはいけないと言い聞かせながら走った」というレース後のコメントに思わず息を呑んだ。私は今、当時と全く違った仕事をしているため、自分をいかにストレスから逃がすかということばかり考えているが、そういう私の態度に猛省を促すような彼女の一言に、心の中で何かがぽきんと折れるような音がした。

 復活劇とはいうけれど、本人以外には誰もそのシナリオを描く事はできない。彼女のレース振りに勝負の厳しさをかいま見たと同時に、私はどこからか背中を叩かれたような気がした。何か新しいことを始めてみようかと、心の隅々に新しい風が吹き込むような気分。窓の外ではまるで優勝を祝うように木の葉が冬陽に映えて金色に輝いている。高橋選手の今日のレースは、心の芯から温まるようなほんとうに素晴らしい復活劇だった。
よもやま | - | - | author : miss key
桜丘町音樂夜噺―第一話
 音楽評論家関口義人さんの新たなプロジェクト「桜丘町音樂夜噺」がスタート、今夜その第一話が開催された。第1回ということもあって、ゲストも豪華。ブロードキャスターのピーター・バラカンさんに音楽評論家の北中正和さんのお二人がアフリカや環地中海エリアを縦横無尽に選曲し、興味深いエピソードを添えての解説。こういったイベントはフリートークで焦点がぼけることもままあるが、会の趣旨として、あらかじめ入念に打ち合わせ、「噺どころ」を絞り込まれたとのこと!。

 会場は裏渋谷と呼ばれる桜丘のお洒落なレストラン。線路を頼りに細くくねった通りを抜けていくと、こじんまりとそのお店があって、会場時間に合わせて出かけたのに、すでに客席は満員状態。一体どこでこのニュースを知って参加されたのだろうと、あらかじめご本人からインビテーションを貰っていた私もびっくり。途中も店を訪れる客足が絶えず、結局は立錐の余地もないほどの立ち見がでる大盛況ぶりで、World Musicへの関心もさることながら、なんといっても各方面でご活躍の講演者の皆さんの人気を物語っていた。

 会がはじまると、出囃子(に合わせて講演者が登場したわけではないですが)から何とも凝った感じで、何だか面白そうなはなしが聴けそうだと津々浦々からお客があつまる寄席のようでもあり、江戸っ子関口さんのもてなしの心遣いが粋な感じ。いろんなイベントがそこら中でやっている東京で、しかも黙っていてもお客が来そうな内容の中で、ここまで詰めてあるということにプロの方がされることの確かさを感じるし、それだけでも参加してよかったと何だかうれしくなってしまう。

 アフリカの音楽とアーティストの世襲制や、民族楽器についてのお話など、お三方の話は興味がつきず、2時間はあっという間に過ぎた。さらに、ピーターさんと北中さんの夫々が選ばれた合計20曲も魅力的な曲が目白押しで、私などはつい今月の「予算」を頭に思い浮かべる始末であった。真面目に働いていれば、給料前には特別収入があるはずだから(笑)まあいいようなものだけれど、今月から来月にかけて同様の魅力的な音楽がらみのイベントが目白押しなので、絞り気味にいかないと最後まで持たないかも知れない(と自分に言い聞かせる)。

 この桜丘町音樂夜噺は、だいたい月1回ペースでいろんなエリアの音楽を順に取り上げ、次回は年明け1月にイスタンブールをテーマに開催されるとのこと。純商業的なイベントではなく、多くの方の音楽への思いが一致して半ばボランティア的に創造されるこうした場に、これという内実のない私はリスナーとして参加するばかりで申し訳ないが、見聞きして良かった話題やアルバムはサイトで紹介するなど、興味を持たれる方に情報提供していけたらと思う。
 
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 「桜丘町音樂夜噺」は、いろんな音楽が聴いてみたい方や、そのエリアの文化に興味をお持ちの方などにぜひ参加を勧めたい素晴らしい会。詳細は「桜丘町音樂夜噺」公式サイトをご覧下さい。本日の対談内容やプレイリストも後日アップされる予定とのことです。ぜひアクセスしてみてください。
live & イベント | - | - | author : miss key
住まいにもいろいろ
 以前、といっても10年以上は軽く前のこと、散歩をしていて思わずおっ!と声が出そうになるようなマンションを見つけたことがある。大好きなガウディを模したような、いやもうそれどころではない、ガウディを飛び越えてしまっているようなデザインの建物が、ごく普通の住宅街に忽然と現れたのだから驚くなという方が無理がある。

 自分の住まいを考えたとき、一度くらいはそんな部屋に住んでみたいものだと思っていたが、家賃や間取りの使い勝手などを考えると、荷物の多い私には、オーソドックスな古いマンションが合っているので、この春の引越時には「ガウディ系」は頭に入れていなかった。でも、今のところはかつて見かけた場所とそんなに遠く離れている訳でもないので、またその建物を見に出かけたいものだと思っていた。

 でも、場所がよく思い出せず、またそんな建物がそうそうある訳でもないと思っていたら、都内に何カ所かその手のマンションがあるようで、どうやら同じ建築家の手になる作品のようであった。ネットであれこれ探していたら、とうとう行き当たった。梵寿綱(ぼんじゅこう)という建築家でもあり芸術家でもある日本の方がその仕掛人だ。

 調べてみると、私がかつて通りがけに遭遇して驚いたマンションにはこの春に丁度空き室が出ていたようで、30平米ほどの広さで家賃は10万円前後。デザイン優先の居室だけに、家具等をあまり置かないお洒落な生活が向いているようだが、エントランスや天井に配された数々のオブジェやステンドグラスがあまりに素晴らしく、ガウディファンでなくてもため息が出るだろう。こんなところに住んでみるのは一体どんな感じがするものだろう。

 意外にこの家賃は安いと感じたのだが、その理由は犬や猫を飼ってもよいペット可の物件だからだ。大きい犬は流石に×らしいが、そのエリアだとペット可の部屋は軽く月15万はする。私もいつか犬や猫と暮らしたいと思いつつ、それだけの家賃負担を出来る経済力がとてもないものだから諦めているが、この荷物をどうにかできるのであれば即空待ちをお願いしたかもしれない。

 最近、いろいろな間取りを眺めることが楽しくてならない。別に家を買おうとしている訳でもないのに、あんな部屋、こんな部屋と、不動産関連のサイトを覗いてはあれこれその部屋での生活を想像する。一時期、間取りに関する本がよく売れたことがあり、Madorist(間取りスト)を名乗るライターさんまで出た。狭い空間を如何に住み易く、また楽しい住まいにするかという日本ならではの工夫や創造が読み手に与えるものも決して小さくないということだろう。

 件のガウディマンションには、ファミリー向けの元オーナー住戸があって、なんと屋上には開放感たっぷりの浴室がある。こんな浴室での休日の朝風呂はどれほど気持ち良いか、それはもう羨ましい限りだ。いつかそういう部屋に住めたらいいなと、ささやかな夢をもちつつ働くのもいいかも知れない、そんなことを思いつつ窓から眺める風景は、すっかり冬。明日からまた長い一週間が始まる。そういう憂鬱がなければ、日曜というのは最高の休日である。
よもやま | - | - | author : miss key
今年一番の木枯し或いはオリ盤エレジー
 今年は随分暖かいと思っていたら、今年一番の木枯しは去年とたった1日しか違わないのだという。事務所の中でばかり過ごしているから体の中の温度計も狂ってしまったのだろうか。

 予約してあったスコット・ハミルトンのLPを受け取りに、久しぶりに渋谷JAROに行く。前の職場なら仕事帰りに寄って30分はおしゃべりできたのに、今は店が開いている時間にいくことは難しい。発売日からもう3週間は経とうというのに、気持ちよく取り置きをしていただいて、店長さんの気遣いにはありがたいの一言。

 レコードの話以外にもあれやこれやと世間話に花が咲くが、景気が回復なんていうのは政府が言ってるだけじゃないかと店長が言う。お客の中には大手のサラリーマンもいるけれど、こつこつと1枚ずつ欲しい盤を集めているようなJAZZファンには、小さな会社勤めの方も多いとか。店に来る度に、冬のボーナスが半分になりそうだとか、出ないとかといった話になりがちなのだという。

 ふと箱から顔を上げて棚を見渡すと、ジャケ絵が見えないほどびっしりと重ねてオリジナル盤がかけられている。同業者の方から「絵がしっかり見えるように貼りなよ」と言われたと苦笑いする店長だったが、とにかく狭いのに枚数がやたら多いのだから仕方ない。でも端から1つ1つ見ていくと、本やネットでしか見たことのない有名盤、レア盤が目白押し。特にイタリア盤の充実していることといったら!

 さらによく見ると、エンリコ・ピエラヌンツィがらみのタイトルが多い。なかなか見ないCharlie Haden名義のSilenceまで出ている始末で、私はしっかり目の保養をさせていただいた。でも何故だろうと不思議に思って聞いてみたら、なんとマニアの方がまとめて委託に出されているとか。

 これまで探しに探してこつこつと集めた宝物を手放すのは一体どんな気持ちがするものだろうと推し量ることも憚られるが、いくらオリジナル盤といってもそんなにお金になるものじゃないからね、と長い商売の中で同じような人を沢山見てきた店長さんはぼそぼそと話す。

 それにしても、オリジナル盤のジャケットは本当に美しい。きっと音楽も素晴らしいのだろうけれど、さすがに貴重な盤なので試聴はお願いしづらい(笑)。頼めば聞かせてくれるだろうが、流石に私もそこまでは躊躇してしまう。ジャケットを見ることができただけでもラッキーとしよう。

 
 先日のカメラ話ではないが、棚に並んだカメラの様子が「次に売られるのは誰なんだろう!?」と不安げに見えることがある。レコードにしてもそういうことがあるのかも知れない。人が寝静まった後、ひそひそとレコード同士が話してたらどうしよう、そんなことを思っていると夢に出そうだから止めておこう。

 モノに執着のある別世界の人間の戯言と割り引いていただいて結構だが、人の思いのようなものが乗っかったレコードというのは、その値段以上に私にとって重たいものである。レコードはともかく、他人の思いまで引き取るのはなかなか気の重いことだ。Chetのレア盤がずらり並んだ壁から1枚も抜かずに店を出た私は、あの埃っぽい渋谷の街路で大きく深呼吸をした。とにかく、そうせずにはいられなかったのである。そんな私にはおかまいなしに、木枯しは街中を景気よくびゅうびゅうと吹いていた。東京もいよいよ冬である。
レコードの話 | - | - | author : miss key
live8のPink Floyd
 live8は周囲でも随分と話題になっていたので、そういうものに乗り遅れがちな私もネットで少しだけライブの模様を楽しんだが、今回は何と言ってもPink Floydの演奏があったので、ソフトも買おうと思って珍しく予約までしていた。

 発売日に届いたDVDは何と4枚組で、これを最初から見てるとFloydまで気が遠くなりそうだったので、深夜部屋に戻ってからPink Floydの登場場面だけ見ることにした。

 今回のDVDにはおまけにFloydのリハーサル風景が収められていて、メンバーの何気ないやり取りですら、もう感無量、うるうるしてしまう。メンバーへのインタビューシーンもあって、今回の4人揃った経緯がやっと私にもわかり、すっきりした。思ったよりずっと単純な話で、一人のファンにすぎない私でも何だかほっとしてしまう。

 オリジナルをべースにした演奏が一通り終了して、最後にステージでロジャーが呼びかけ、4人が肩を組むシーンがある。ここはlive8の話題の中でも結構取り上げられていた場面だったと思うが、何度もこのエンディングを見ていると、もう4人が揃ってステージに立つことはないのではないかという気がしてしまう。理由はないけれど、なんとなくそういう気がする。

 演奏の模様は、ソフトの画質や音質も良いせいか、臨場感たっぷりでその場にいなかった私も思わず引き込まれてしまう。でも、メンバー一人ひとりの表情が手に取るようにわかるから、かえって痛感するのは、みんな本当に歳をとったんだということ。いつもレコードのジャケに写っている当時の写真を見ながらFloydの音楽を聴いているから、つい時の隔たりを忘れていたりする。

 Pink Floydのライブ録音は他にもあるけれど、今回のステージは私にとってとりわけ大切なものになりそうだ。ベテランアーティストの演奏というのは、何の無理もてらいもなくて、その過不足のなさが聴く者にこれ以上ない心地よさを与えてくれるように思う。4人揃っての演奏をもう一度聴けたらと、改めて思わずにいられない。夢は諦めずに思い続けるからかなうのかも知れないから。
pop & rock | - | - | author : miss key
レコードを洗う
 あれこれとレコードを買って溜めていたのはいいが、中には押し入れにでもしまわれていたのか、カビが盛大にきている盤もあったので、今日は朝からゆっくりレコードを洗った。

 最初はネットの情報を頼りに、見よう見まねで洗っていたが、最近はようやく自分なりのやり方もできてきて、台所洗剤を少しだけ使うとか、水のかけ方などそれなりに工夫もしてきた。そのかいあって、試し聴きの時にはパチパチの連続だった盤も洗った後はノイズが減り、見通しや音離れがよくなるのでうれしい限り。

 乾かし方を失敗すると反ってしまったりするので、時間にゆとりがある時でないと洗えないが、今日のように朝からゆっくりしているときは丁度良い機会だ。

 安いレコードばかり漁るからカビだらけなのかと思っていたら、昨日など出かけた高田馬場のレコード店は、500円の盤なのにとてもコンディションが良くて驚いた。もちろん、普段行くレコファンなども380円でもきれいなものはいくらでもあるのだけれど、他所でみてそこそこ値段がついているタイトルでもこの価格ならありがたいのに、それがきれいとなるとますますうれしい。

 ちなみに高田馬場Recordsさんは500円の箱にも面白いもの、掘り出し物を常に混ぜているので探すのを楽しんでくださいとのこと。邦楽の盤もいろいろあって矢沢永吉の大ファンという女性の店員さんもとても親切。レジでは店長自ら盤のコンディションチェックをしてくださった。初心者でも安心して買える、お勧めのお店だ。

 最近は新譜よりも、過去聴いて気に入っていたものを聴く時間の方がずっと長くなっている。新しい音楽がつまらないとは決して思わなくて、きっとそういう気分なのだろうと思う。ただ、日本のポップスだと、最近のはどうしても聴き疲れしてしまう。私の耳には何と歌っているのか聞き取れないものが多いから。そういう私には、昔の音源を安く提供してくれるお店は本当にありがたい存在である。洗い上がったレコードを聴きながら、そういうお店がこれからもずっと続きますようにとは、しみじみ思うことである。
レコードの話 | - | - | author : miss key