Нечего терять | 2006.08.30 Wednesday |
ロシアのポピュラー音楽を聴いたことのない人に、それを紹介するとしたら、
いったいどんな風にすれば興味を持ってもらえるのだろう。
私はロシアのレーベルや業界の回し者ではないが、
単なる趣味や嗜好を越えて、素晴らしいと思える音楽を、
もっと他の方にも聴いてもらえたら、とはいつも頭の中で考えることである。
t.A.T.uのように一過性のような感じで大ブームになると
それをきっかけにその背景にあるロシアのポピュラー音楽も
注目されたりはするのだろうが、
話題性が先行してしまって、
他にいくらでもいる地味なアーティストが日の目をみるというのは
なかなか期待しても厳しいようだ。
チーシュ&カンパーニヤの"Нечего терять"
(ニェーチェヴァ・チェリャーチ、「失うものがない」の意)
を久しぶり通しで聴いてみたが、
この時期(99年)あたりのアルバムは
どのアーティストも充実していたように思う。
思えば、80年代はあまりいい思い出がない。
ペレストロイカとグラスノスチをきっかけとして、
あれよあれよと音を立てるようにして体制が崩壊し、
その後、一時期のロシアのポピュラー音楽も
粗製濫造などと揶揄される状況に。
そんな中、徐々に市場も整い、
音楽を演奏する側の環境も良くなったのだろう、
CDの音質一つとってみても、ここ10年の作品はかなり安定している。
「質の悪いカセットを苦労して手に入れたはいいが、
音の酷さに閉口する、それでも聴けてうれしい」
みたいなロシアに執着のある人間以外はギブアップしそうな状況が、
私がロシアのポピュラー音楽を聴き始めてからかなりの長い間続いたが、
そこからすると、今はインターネットで簡単に音源にアクセスできるし、
興味があれば簡単に触れられる環境が整っている。
私のサイトの永遠の宿題なのだけれども、
人に伝える、ということの難しさを改めて感じること、しきり。
当時のヒットチャートや話題の人についてメモっとけばよかったなあ、
とか、にわかブロガーには後悔の念が絶えない。
勝利の方程式!といった方法論はないのだろうが、
何かのきっかけづくりができないかなあと思いを巡らせている。
暑さのぶり返しにすっかり参った頭をリセットしつつ。
いったいどんな風にすれば興味を持ってもらえるのだろう。
私はロシアのレーベルや業界の回し者ではないが、
単なる趣味や嗜好を越えて、素晴らしいと思える音楽を、
もっと他の方にも聴いてもらえたら、とはいつも頭の中で考えることである。
t.A.T.uのように一過性のような感じで大ブームになると
それをきっかけにその背景にあるロシアのポピュラー音楽も
注目されたりはするのだろうが、
話題性が先行してしまって、
他にいくらでもいる地味なアーティストが日の目をみるというのは
なかなか期待しても厳しいようだ。
チーシュ&カンパーニヤの"Нечего терять"
(ニェーチェヴァ・チェリャーチ、「失うものがない」の意)
を久しぶり通しで聴いてみたが、
この時期(99年)あたりのアルバムは
どのアーティストも充実していたように思う。
思えば、80年代はあまりいい思い出がない。
ペレストロイカとグラスノスチをきっかけとして、
あれよあれよと音を立てるようにして体制が崩壊し、
その後、一時期のロシアのポピュラー音楽も
粗製濫造などと揶揄される状況に。
そんな中、徐々に市場も整い、
音楽を演奏する側の環境も良くなったのだろう、
CDの音質一つとってみても、ここ10年の作品はかなり安定している。
「質の悪いカセットを苦労して手に入れたはいいが、
音の酷さに閉口する、それでも聴けてうれしい」
みたいなロシアに執着のある人間以外はギブアップしそうな状況が、
私がロシアのポピュラー音楽を聴き始めてからかなりの長い間続いたが、
そこからすると、今はインターネットで簡単に音源にアクセスできるし、
興味があれば簡単に触れられる環境が整っている。
私のサイトの永遠の宿題なのだけれども、
人に伝える、ということの難しさを改めて感じること、しきり。
当時のヒットチャートや話題の人についてメモっとけばよかったなあ、
とか、にわかブロガーには後悔の念が絶えない。
勝利の方程式!といった方法論はないのだろうが、
何かのきっかけづくりができないかなあと思いを巡らせている。
暑さのぶり返しにすっかり参った頭をリセットしつつ。
pop & rock (russian and other slavic) | - | - | author : miss key