音の快楽的日常

音、音楽と徒然の日々
さよならを何度繰り返しても


先日の日曜のこと。
秋葉原はサウンドクリエイトさんで開催されたレコードコンサートで、
Chetのハノーファーでのラストコンサート盤から、彼の最後の"My Funny Valentine(Reprise)"を聴いた。

他に人の居るところでこの曲を聴くのは初めてだったと思う。
素晴らしい装置で再生できる機会も、またそうないことなので思い切ってリクエストしたのだったが、
そうした自分を後悔する程に、目の前に再現された音楽は深く、そして厳しかった。

「この人は一体、何度さよならを言わせたら気が済むのだろう」

唇を噛みながら最期のアンコールを聴き終える。

わたしはこの曲を聴く度に、その演奏のわずか二週間後、遠い世界へ旅立った彼に、
何度も、何度も、さよならを繰り返してきた。

一体何がそうさせるのだろう、同じ曲を何度も同じように聴くことのできるレコードなのに、
そこに取り出された音楽は、真に一回限りのもの、と思わせるに十分な存在感と儚さでもって、
全身でその曲を受け止めるわたしをさらに打ちのめした。

なのに、またその曲を聴きたいと心の底から思う。
本当の意味で、彼の"My Funny Valentine"はもう二度と聴けないのだとわかっていながらも、
わたしはまたそのレコードに針を落としてしまいたくなる。
何度さよならを繰り返そうとも、これからも、きっと。

わたしは音楽に一体何を求めているのだろう。
我が身の業の深さに思わずうち震える夜。
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恋せよナポリ - LA MAGIA DI NAPOLI -
先日、友人の誘いで出かけた、バロック音楽の夕べ。
会場の九段下にあるイタリア文化会館は、建物が出来た当時、その壁色の赤が話題になったそうだ。
確かに周辺の地味な雰囲気からすると少し目立つのかも知れないが、
おかげでなれない場所で会場を探すのにも手間取ることなく、
無事、ウンベルト・アニェッリホールに辿り着くことができた。

外装もおしゃれなら、ホールの中もなかなかの雰囲気で、
革装の椅子も座り心地がよく、音楽を楽しむには十分過ぎる贅沢さ。

バロック音楽なんて本当に久しぶりだから始まる前から楽しみにしていたのだが、
演奏前に主催者側からの挨拶がなかなか終わらない(笑)。
しかも、滔々とまた楽しそうに話す様に、日本人じゃそうはいかないだろうと変なところに感心しつつ、
30分もしてようやく楽団のメンバーが舞台に登場した。
しかも、というのもおかしな言い様だが、指揮者が美しい女性の方で驚いてしまう。

女性指揮者というとすぐ名前の出てくるのはミレニウムの元指揮者、西本智美さんぐらいだが、
そういえば、先日同僚と仕事帰りに飲んだ際、大して年の違わない相手から、
「貴女はどうも堪え性が足りなさそうだ(笑)」と言われ、そんなことはないと反論したら、 
「では、賭けようじゃないか。貴女が西本智美さんみたいに髪を伸ばせば、次は僕の驕りだ」

そんな美人と一緒にされるのはあまりにも乱暴だと思いつつ、
堪え性がなくていつも髪が短いと思われているのも癪なので、
ついその賭けに乗ってしまった。
とはいっても、この夏の、しかも梅雨入り当初から「梅雨明け」のような暑さの折、
あと2ヶ月以上も髪を伸ばす、というより髪を切らずにいるのはあまりにも酷だけど、
まあたまにはそういう余興もいいかなと思えたりもする。

つい話しは脱線してしまうが、そのコンサート、やや大げさに過ぎる詩の朗読以外は、
演奏もよくまとまっていてとても楽しめた。
驚いたのはアンコールで、チェロの独奏者が5回も舞台を出たり入ったりしたこと。
人気アイドルのライブでもあるまいし、と
クラシックのコンサートには不慣れなわたしだから違和感があったのかもしれないが、
おそらく奏者の側でも、4曲目以降は想定していなかっただろうという気がした。
それにしても、アンコールで演奏された『チャルダッシュ』、そして『くまばちが飛ぶ』は、
指がまるで別の生き物のように蠢いていて、音楽よりも奏者の手の動きに目が釘付けになる。
わたしにしても、ナポリのバロック音楽を聴きにきて、リムスキー=コルサコフが聴けたのだから、
食事を甘いデザートで締めるようなもので、その後の2曲は聴く姿勢をすっかり崩してしまったのだけれど、
3時間ほどの生演奏は招待していただいたのが申し訳ない程充実したものだった。

イタリアというと、ボローニャとトリエステにしか行ったことがない。
そう遠くないうちにフィレンツェに行ってみたいと思いつつ、
深夜に帰宅した部屋でもう一度、コンサートの余韻をと思い棚を眺めたが、
イタリアのバロックどころか、バロック音楽の類いはほとんどソフトがなくて、
出てきたのはあまりに賑々しいテレマンの「水上の音楽」だったので止めておいた。
ついチケットを「獲る」のが面倒で生演奏からは遠ざかり気味だが、
意識的にライブにも出かけるようにしようかなとは当夜の反省事項である。
それにしても梅雨は、一体どこに行ってしまったのだろうというくらい、蒸し暑い夜。
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書斎の覗く部屋
現在のマンションに引っ越して3年目になるが、
当地に来てからずっと気になっていた部屋がある。
買物ルートの途中に並ぶ瀟酒なマンションの中の一部屋で、
通りに面した窓から覗く書棚が何ともよい雰囲気を醸し出している。

形のよい押し出し窓が開いていると、通りがかりにほんの少しだけ見える部屋の様子。
どんな人がそこの主なのかも知らないが、
お金持ちの書斎というのでもなく、かといって研究者の仕事場という感じでもなく。
少し秘密基地めいたところが、何とも羨ましかったりする。

本棚というと、そこに並んだ本をみれば持ち主のことが分かったりする気になるから面白いけれど、
件の部屋に関しては、一体どんな本が並んでいるのか、さして気になりもせず、
ただ、ほんの少しの隙間から見える書斎然とした佇まいにただただ惹かれる。

いくらわたしでも、それ以上は無理で、立ち止まって覗いたりすることはできないけれど、
自分もいつかそういう部屋の空気が似合う人になりたいものだと思う。
よもやま | - | - | author : miss key
2001年宇宙の旅


中古レコード店に行くと必ず見るようにしているのがサントラ盤コーナー。
サントラ盤の売り場がある店はそれほど多くないけれど、
見れば欲しいものの1枚や2枚必ず出てきてしまうので困ったものだ。

未だレコードで手に入らないでいるアルバムが、例えば『2001年宇宙の旅』。
映画の方はもう何度となく観ていて、シーンを思い浮かべれば音楽も頭の中に自然と鳴るほどだけれど、
いつかオリジナルなサントラ盤で聴きたいなと思いつつ、今はボーナストラックの充実したCDで楽しんでいる。

つい3ヶ月程のことだったか、リゲティという作曲家のアルバムを箱の中に見つけ喜んで買って帰った。
毎号欠かさず読んでいる専門誌のコラムに紹介されていたアルバムだったからだ。
聴いてみると、その曲「ルクス・エテルナ」が『2001年・・・』に採用されている曲だとすぐに分かった。

捜している盤にどんな曲が入っているのかよく調べていないのかと笑われそうだが、
わたしは映画の筋を音楽といっしょに思い出すのが好きというだけでサントラ盤を集めているので、
特に、既存の作品のコンピレーションやアレンジ作品になっている盤については大凡無頓着だ。
だから、リゲティのルクス・エテルナという曲がとても有名だということと、
件の映画の中で使われている曲であることと事前に一つの紐で繋がってはいなかったので、
驚くと同時になんだか嬉しくなってしまった。

リゲティという人、現代音楽で有名な作曲家、というだけで引いてしまいそうだったが、
意外と身近なところで既に耳にしていたのだった。
もっともわたしにとっては、何しろ猿が骨を投げるシーンが焼き付いて離れないがゆえに、
 『2001年・・・』=シュトラウスの「ツァラストラはかく語りき」
なのだけれども。

猿の出てくる映画はわたしにとって怖い作品が少なくない。
『猿の惑星』シリーズなんかもその1つで、
子供の頃、チャールトン・ヘストンが好きでたまたま観た『猿の惑星』だったが、
その晩は全く眠れなかったのを今でも憶えている。
そんな風だから、今夜テレビで放映されるリメイク版を観ようかどうしようか考えてしまう。

話は逸れたが、そういえば『猿の惑星』のサントラもない訳ではないが、意外に高値だ。
ちょっと買うには高いかな、と様子を見ている盤というと他には『オーメン』シリーズとか。
ホラー系は数が出ていないのか、値段が大抵は4桁だったりする。
そういうのはDVDを手に入れた方が安いし早いのかも知れないが、
サントラ盤には、それにしかない魅力が詰まっているのでなかなか止められない。

素晴らしいメロディを持つオリジナル曲も少なくないし、
SF系などは音響効果を最初から狙った作りになっていたりするから、audio的快楽度も上々・・・
などと書いていると、まだ手にしていないあのアルバム、このアルバムとジャケットが思い浮かぶ。
今週末は雑用に追われて手が回らなかったので、来週はぜひ中古店に繰り出すことにしよう。
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Gone to Earth
アンビエントやニューウェーブといったジャンルの音楽にはとんと疎いのだけれど、
ディスクユニオンの安売り箱を漁っていて2枚組500円で見つけたアルバムが思いの外素晴らしく、
すっかりヘビーローテになっている。

わたしがまだ中学の頃、JAPANというバンドで来日したこともあるDavid Sylvianのソロアルバムだ。



音楽の底に流れているものは、昔聴いたJAPANの『クワイエット・ライフ』に通じるものがあるけれど、
美しい人が音楽を創ると、どうしたって美しくなるとでもいうのか、
音の鳴る空間に身を置くだけでも漂うような気怠さに目眩がする。
とはいっても、そのサウンドは、ドラッギーだったり、陰性だったりということはなくて、
柔らかな光が差し込むような空間のシルキーな心地良さだ。

シルヴィアンという人は歌手なのだとずっと思い込んでいたくらいだから、
歌唱そのものを音響的に作り込んだ作品を聴いて最初は驚いたのだけれど、
なにしろそんなことくらいでは針を上げられない気持ちの良さなのである。

わざわざ作品を捜して回るほどのファンではなかったが、この1枚ですっかり参ってしまった。
検索してみると、意外なアーティストとのコラボレーションもあったりして、
どうやら私の頭の中のシルヴィアンのイメージを塗り替えなくてはいけないようだ。

それにしても、創り手のルックスと出てくる音楽の美しさがこれほどまでに比例しているなんて。
"Gone to Earth"、蒸し暑い夜のBGMにもぜひお勧めの1枚。
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たまにはaudioを整理して
窓際にずらーと並べて使っているaudio。
これから日差しが強くなるから、あまり熱を持たせないように気をつけないととは思うが、
間取りの都合で、そういう置き方しかできないでいる。

少し前にケーブルを純正に戻し、配線も整理してみたら、
思った以上に音がすっきりとして、粒立ちもよく、輪郭が鮮明になった。
スピーカーの間にぽっかりと箱庭サウンドステージが生まれるような配置で、
これほど音の動きが見えるようになり、活き活きと再生されるようになったのは、
お掃除の副産物以上、さあどうして最初からそれをしなかったかと疑問に思ったりもする。

いま使っている製品からは、音楽が自然な感じで楽しめるように配慮されているのがよく伝わってくる。
audioはいろいろなブランドを組み合わせる楽しさも一方にあるけれど、
わたしのようにずぼらで単に音楽が楽しく聴ければいいという向きには、
ワンブランドで入り口から出口まで揃うのはこれ以上ありがたいことはない。
もっともそれは万人にとって「いい音」なのかどうなのかわからないけれど、
どういったジャンルの音楽でも上手にこなしてしまう様子をみていると、
音の出方はともかくとして、バランスやつながりの良さは再生の要の一つだと痛感する。

巷では梅雨明け宣言の報せが流れ、これからじめじめとした嫌な季節になる。
ここにきてせめて音離れくらいはすっきりと気持ちよくしたいものだと思っていたことが実現し、
この部屋に越してきて3年目にしてようやく音がまとまり出したのでほっとする。
audioというのは、面倒な部分もあるが、付き合い出してみれば非常に人間的だったりして、
機器との付き合い自体もなかなか奥深かったりする。
それ自体を趣味にしてのめり込むまでのエネルギーは持ち合わせていないけれど、
出来る範囲の工夫で、1コインで買ったレコードでノリノリになれるのだったら幸せなことだ。
audioって、使う人にも馴染むし、よくかかる音楽にも馴染むし、そして部屋にも馴染んでいく。
機械なんだけど、まるで生きてるみたいだ。
audioって、ほんとうに、おもしろい。
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福永武彦を読む
部屋にJ-COMデジタル用のケーブルを引き込むというので日曜の朝から慌てて片付けること2時間。
本棚を動かさないと設置できないと言われていたのだったが、
借りているマンションのオーナーサイドの話しでもあり、何となく気が向かないまま時が過ぎて工事の日になった。

この際だからもう読まないものは近所の古本屋に持って行こうと思いつくままに紙袋に詰めていたら、
福永武彦の『海市』が出てきた。
こんなのわざわざ文庫で買ってたんだと奥付を見たら平成2年刊。
ちょうど就職した年で、慣れない通勤電車の暇つぶしだったんだろうか。

10時には始まると言っていた工事だったが、雨の影響で作業が遅れている様子。
手持ち無沙汰でその『海市』を読み始めたら、すっかり福永の世界に漬かりこんでしまい、
終いにはなかなか「外」に出る気もせず、玄関の呼び鈴を二度も鳴らさせてしまった。

読み終わってみれば、久々の充実した読後感。
福永武彦をまとめて読みたくなって本屋に出かけたが、あいにく大半は絶版のようだった。
棚を眺めてみれば、思いつく昭和の作家の名前を見つけることも難しい。
思えば平成に入ってもう20年近く経つ訳で、それも無理のないことかも知れない。

神保町に行かずに、ネット古書街で捜すのは古本ファンとしては興醒めな部分もなくはないが、
元々の喘息がたたって咳が取れない状態では、埃を吸いながら本を探すのはなかなか辛い。
こういう時ネットは便利だなあと思いつつ、安価な全小説一式を仙台のお店から購入した。

流石に古いものなので、多少の埃っぽさを我慢しつつ、早速読み始めているが、
わたしの部屋には古いレコード、古い本、古いカメラといずれも独特の匂いのするものばかりで、
さらにはどれもが埃と大のお友達だ。
胸にはあまりよくないなと思いつつ、どれもやはり止められない。

せっかく買った全集だから、梅雨が明けるまでゆっくり読み進めようと思う。
といっても、なかなか途中で読むのを止められないのだけれども。

◆ 参考までに・・・日本の古本屋 http://www.kosho.or.jp/servlet/top
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夜に溶けるスクリャービン
ロシア世界を音楽からもっと理解したいと思い、
ロシアがソ連と呼ばれるようになった時期を挟んで活躍した作曲家の作品を思いつくままに聴いている。
それを2月革命の1917年とするのか、ソ連邦の成立した1922年とするのかは別にして、
おおよそ文学作品においても、この時期―1900年を跨いで存命、作品を残した作家のものが、
わたしには合うようなので、きっと音楽もそうではないかと思ってのこと。

ロシアで最も好きな作曲家はと訊かれたら、迷わずラフマニノフと答えてきたけれど、
その次、いや同じくらい身体に馴染む音楽をようやく見つけることができた。
Александр Скрябин(アレクサンドル・スクリャービン)がその人だ。

つい最近まで、スクリャービンと訊かれたら「ウクライナのロックバンド」と誰憚らず答えていた。
もちろん彼の作品を耳にしたことがあったけれど、でもその程度、その域を超えるものでは決してなかった。



そんなスクリャービンのピアノ曲をあれこれ聴いている。
美しくも、感情の波に押し流されるようなところは微塵もなくて、
軽々しくメロディを口ずさむのを許さないような距離感があるけれど、
音符の群れに思わず絡めとられてしまいそうな程に魅惑の響きを持ちながら、
さて一層近づこうとすると、目の覚めるような激しいパッセージで歓迎されたりする。

中でも特に気に入っているのが、
アンドレイ・ガヴリーロフの『24のプレリュード、ピアノソナタ4番とエチュード』。
打鍵の際の、その垂直に振り下ろされる指から伝わるエネルギー全てが音楽に変換されるような、
一つの迷いもない潔い演奏。
音量を上げて聴きたい気もするが、なぜかスクリャービンの曲には夜が似合う。
夜中に小さな音で聴いていると、まるで体が闇夜に溶けてしまいそうだ。
わたしの部屋で、夜にだけそっと現れるロシアという名の小宇宙に、静かな乾杯を。
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Viva!! Shostakovich
何かの記事で読んだ「CDの売上は年々減少する傾向にある」という話、
それが国内盤のことなのか、外盤も含めてなのかはっきり書かれていなかったが、
個人的には価格の問題が大きいんじゃないかと感じている。
もちろんそれだけでは背景を語り尽くせないだろうが、
最近ではロシア盤の価格も高騰、感覚的には2、3年前の倍以上になっていたりして、
予算が増えなければ購入枚数は当然減るし、買う盤を選ぶときにも以前よりずっと慎重になるので、
わたしの例で言えば、ロシア盤の購入金額は結果として以前より少なくなった。

CDが売れないという背景もあるからなのかどうか、わからないけれど、
滑稽なほどに「フレンドリー」をアピールするCDを見つけて思わず和んだのが『Viva!! ショスタコーヴィチ』。



ロックとかポピュラーだと、お客さんに対してこういう距離の取り方はしないんだろうなと思う。
日頃、闇雲に難しく、敬遠すべきものと感じる人が少なくないだろうクラシック音楽だからなんだろうなあと、
その具体例がまんまわたし自身だったりするので、
PR用裏ジャケ(わざわざ別紙でくるんである!)の説明に笑いを禁じ得ない。

 「ショスタコーヴィチというと、そのしかめっ面のルックスと重苦しい交響曲で、
  一般のファンからは敬遠されがちですが、ここで聴けるメロディはショスタコの
  そんなイメージを払拭させるほど、ポップで、キュートなメロディがずらり。
  『チーチン・プイ・プイ』なんていうお馬鹿さんなメロディも・・・
  生誕100年を機会に、一度ショスタコにはまってみませんか?」
  (以上、裏ジャケPR用から引用)

ショスタコーヴィチのルックスは、特に若い頃のそれは、牛乳瓶の底のようなトレードマークの眼鏡も相俟って、



文学青年フェチなわたしには、言われなくてもキュートだったりするが(笑)、
仮に、この1枚を機会に、メモリアルで出された各種BOXセットを買ってもらおう的な下心があったとしても、
いやもう、個人的にはこういうノリは大歓迎なのだ。

早速、このCDを聴いてみると、なるほど印象に残りやすくてポピュラーファンに受けそうな曲を、
うまくまとめてあるなあと感心。
ツボの押さえ方など、DJの時の選曲にも役立ちそう。

そして言われてみれば、なのだが、ショスタコーヴィチの交響曲第5番、第4楽章の一部は、
TVドラマ『部長刑事』のテーマ曲だったりするし(関西圏の方にしかわからない話かも)、
わたしは見たことがないが、先の引用文にある「チチーン・プイ・プイ」は、
シュワルツネッガー出演のCMで使われた、交響曲第7番「レニングラード」第1楽章を指していて、
意外なところで耳にしているかもしれないショスタコーヴィチなのだ。

話しはそれるが、CMのBGMで驚いたのは、自動車かなにかのCMでカリンニコフが流れたこと。
ロシアンフリークとしては、こういうちょっとしたところにロシアが顔を覗かせるだけでも、
思わずほくそ笑んでしまったりする。

ところでショスタコーヴィチ。
今日のダイジェストCDから、視点を変えれば全然違った楽しみ方があるのを教わったので、
今度まとめて聴いてみようかな、なんて思ったりする。
それってメーカーの戦略にハマってるってことか!?
まあ、音楽を聴くきっかけは、どんなものだって構わないわけで、
せっかくだから、むやみに敷居を高くせず、面白い、楽しいと感じたものは、
経済的に許せる範囲であれこれ聴いてみようと思い直した。

『Viva!! ショスタコーヴィチ』、まあまあ以上に楽しめる入門盤にもお勧めな1枚。
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Taken by Storm
ヒプノシスの一人、Storm Thorgersonの最新アートワーク集。
最近、フロイドのジャケットアートを集めたムック本が出てたりして、
わたしの周囲でもどちらを買おうか迷ってる人もいたのだけれど、
目的が少し違う本なれど、アートを楽しむなら"Taken..."だよと、
Amazonでの予約が比較的安く手に入る方法だと人に勧めてもいた。
それが・・・どういう訳だかなかなか入荷せず、というか届かず、
わたしなどはとりあえず店頭で現物を眺める始末。

< お勧めしたものの、同様にドツボにはまった方々、申し訳ない

また話しは逸れるが、ビートルズの"LOVE"アナログ盤。
2月時点で価格の一番安かった某通販ショップで予約をしていたが、
蓋を開けてみれば入荷しても自分用には回ってこなかったのか、
ショップから7月中旬以降の発送予定と連絡が来た時点でキャンセルした。
先に入手した友人たちの感想が「CD持ってるなら別に・・・」と異口同音であったので、
それなら、他に聴きたいものを買うか、とあっさり諦めてしまった。

で、"Taken by Storm"。
一頁毎が丁寧に編まれていて、作りはペーパーバックながら読む楽しみと所有する愉しみ両方を満たしてくれる。
解説が英語、という一抹の不安も、
言いたいことが端的にまとめられ、しかもそれほど難しい言い回しというわけでもないので、
わたし同様、英語が苦手という方にも安心してお勧めできる。
色や図版の大きさなども、ストームのファンならずともこの高価格が納得できるはず、と思うが、
そうはいっても、店頭では7000円近くしてしまう贅沢な本。
買うかどうかは置いといて、ぜひどこかの洋書コーナーで手に取ってご覧いただきたい。
先日のことで現時点では定かではないが、
新宿のタワレコ洋書コーナーにはサンプルが置いてあったので、お近くならぜひ、ぜひ。

待ちに待った本を手にした歓びと、
紹介された作品のCDを聴いてみたくなる衝動を抑え難いという悩み。
物欲は決して満たされることのないことをわたしに教えてくれた一冊。
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