音の快楽的日常

音、音楽と徒然の日々
夜桜に想う
人の入れ替わるこの時期、引き継ぎ作業でつい帰宅も遅くなる。
帰る道すがらに疲れた目を楽しませてくれる夜桜、
花の硬い咲き始めよりも、
ほどよく解れて散り始める今の時期の方が、ずっと桜の花それらしくて良い。

桜の木の下で想うのは、
梶井基次郎の書いたそれではなくて
「夜、桜の木の下で遠くに逝った人の声が聞こえる」
そうわたしに言って残したとある人のことだ。
そんなことを言っては返答に困るわたしを見て笑ったその人も
今はもう鬼籍の人だ。

今夜は生憎の雨模様、さりとて傘をさすほどでもなく、
空気の冷たさを背中に感じつつ、人気のない遊歩道を流して歩くにはいい具合。

寂しい街灯に照らされて、はらはらと舞い堕ちる桜の花びらに、
つい足を止めてぼんやりする。
調子をすっかり崩した体をわざわざ冷やしてすることでもないだろうに。

こんな夜にはヴェデルニコフのBachがいい。
部屋の暗がりの中、穏やかなピアノの響きに包まれて今日一日をゆっくり反芻する。
まだ季節は始まったばかりだというのに、
もう階段下でしゃがみ込みたくなるような気分。
これから1年の課題、あまりに荷が重くて最初の一歩が踏み出せない。

あの人だったら一体どうしたろうと想いながら桜を眺める自分に、
かつて言われたことを心のどこかで信じていたのかと問い返す。
そんな動揺をせせら笑うでもなく、桜の花は淡々として夜の灯りに舞う。
その静けさが却ってせつない夜だ。
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連休なのに気分が滅入るので
金曜を休みにすれば4連休。

有休を大量に取り残した去年の反省よろしく、今年は計画的に休もうと、
さして用事もないのに21日を休みにした。
尤も、異動でもあれば来週はしっちゃかめっちゃかになること必至なので、
栄養補給、じゃなかった、とりあえず睡眠時間の確保のためにも良い判断のはずだった。

それが・・・
先週、手元のカメラ達をドナドナしてからというものの、
どうも無気力に襲われてしまい、一足早い五月病。
そんな暇はないと引越して以来開けていなかったダンボールの整理だとか、
第二次物量圧縮作戦と称してあれこれ手をつけるものの、
作業は進んでも、気分は一向に上向かず。

そんなわたしのダウナーな精神状態が伝染したのか、
ぎりぎり寒い冬を持ちこたえていた観葉植物が遂に枯れてしまった。
処分するのは更に気が滅入ったが、さりとて同じ土に別の植物を植える気持ちにもなれず。
1年に渡って楽しませてくれた鉢植えに感謝しつつ、作業続行。

20日、21日と2日間に渡ってあれこれ手を入れたから、
流石に部屋も前よりはすっきりした。
CDやレコードを「あれどこだっけ」と探しまわることも当分は無さそうだ。
時計を見たら、まだ暗くなるまでには時間があるからと、気分転換に外に出た。

春の洋服でも見ようかといくつかお店を眺めてみても、
どうもピンと来るものがなくて見送った。
その代わり、ではないが、
必ず寄るレコード店では此処のところ気になっているアーティストの盤を2枚抜いた。
それが起死回生!ではないが、鉛のように重くなった気分を救ってくれる特別な2枚となった。

□ Yes we have no mananas / Kevin Ayers




Kevinという人のことを知ったのはつい最近のこと。
ソフトマシーンとか聴いたことがあれば良かったのだろうけれど、
ソフトマシーンのLPボックスセットを渋谷JAROで強く勧められたのにスルーしたわたしなので、
これまで縁がありそうでなかったのだと思う。
他所で聴かせてもらったKevinのアルバムがそれはもうPopで、
声はどことなく細野さんに似ていなくもない(つまり自分の好みであるということ)。
いつものわたしなら、amazonとかでCDを大人買いするところだが、
なぜかじっくり聴いてみたくなり、
最新作のCD、コンピレーションのLP、1stのCDと聴いてきて、そして次に買ったのが本作。
CDがあればCDも買いたくなるほど気に入ったが、
レコードは1日1回と決めているのでまた明日(笑)。
そんな明日が楽しみで仕方のないアルバムだ。


□ Propaganda / Sparks



Sparksというグループ、全然知らなかったのに、手元には以前ジャケ買いしたLPが。
ダンスポップ調のイケイケなノリに腰が引けてしまって、そのままそっとしてあったが、
先日、他所で見せていただいた彼らのLIVE映像でキュートなSparks兄を認識。
これはちょっと聴いてみなければと思って箱を覗いたらたまたまあったのがこの1枚。

ネットで検索してみると、彼らは活動歴も長いし、サウンドの変遷もいろいろあるようで、
初心者は何処から入ったらいいかちょっと迷うけど、
"Propaganda"は同じPopでも臆せず乗れるいい塩梅というか、なんというか。
ジャケット表紙の絵柄も?だけど、インナーの絵柄も脱力系。
兄弟誘拐される!の図のようだけど、歌の文句も分からないし、なぜこういう絵柄なのか不明。
気になる。すごく気になる。
ひょっとしてそういう仕掛けなのか。

調子に乗って結構な音量で楽しんでいたら、突然フォノイコがダウン。
嗚呼、折角テンションが上がりかけていたのに。
この連休、なかなか良い事が続きそうにない。
そういうときはじっとおとなしく伏して時の過ぎるのを待つべし。

それにしても上の2枚、合わせて3000円でおつりが来た。
わたしのレコ買いとしてはちょっと高めだけど、どちらも凄く気に入ったので言うことなし。
フォノイコ修理の間は当分リビングで聴けないけど、
その分次に聴けるのが楽しみになるからまあいいか。
物事を前向きに考えられるようにまで気分上昇ということで、まずまずいい買物だった。
レコードの話 | - | - | author : miss key
地図
先週末、前日の雨が嘘のように晴れた土曜の午後、
渋谷「国境の南」で開催された恒例の「世界の音楽を聞く」レコードコンサートに出かけた。
今回のお題はギリシャの古い時代の音楽、レンベーティカ。
アナトリアの沿岸地域の都市、
特にイズミールとイスタンブールに多くのギリシャ人が住んでいた時代に生まれた音楽、とのこと。

ギリシャの音楽というと、ヨルゴス・ダラーラスぐらいしか知らないわたしも、
1900年代初頭から30年代にかけて残された数々の音源に静かに耳を傾けた。

興味を引いたのは、当日会場で配られた1枚の地図。
エーゲ海、クレタ海を挟んで向かい合うギリシャとトルコの地図だ。
両国の間に浮かぶは無数の島々。
きっと「島をとったりとられたりだったんだろうなあ」などと
歴史についての無知を晒すような安易な想像をしたくなる。

レンベーティカの解説の中にも「住民交換」などという単語が出てきたが、
地中海を取り巻く国々のルーツミュージックを辿るには、
ある程度の地理と歴史観がないと上手く読み解けそうにない。
それがわかっただけでも収穫だった。

***

地図というと、最近読んだのが20世紀という名の血腥い争乱地図を描いてみせた『憎悪の世紀』。
たまには話題本でも読んでみるかと買ってはみたものの、
記述の一本調子な感じと、意外にその「地図」が大きく開かれていかない様子に、
上下巻約900ページに目を通すのは少々苦しかった。
二段組だったら、多分途中で投げたに違いない。



本の読み疲れで取り出したのはU2のミニアルバム、"If God will send his angels"。
いつだったか、バレンタインのお返しにいただいたCDだ。
たった4曲ながら、印象に残る曲ばかりで、
中でも"Two shots of happy, one shot of sad"はとても好きな曲だ。

以前、残業漬けでタクシー帰りの車中、iPodでよく聴いていた。
この曲を聴くと当時の体の痛みまで思い出してしまうけれど、
何が悲しい訳でもないのに、
自然と目が潤んで体の力が抜けるのがすごくいいから止められない。
自分にとってそんな曲が何曲もある訳じゃないことにふと気づく。
春も近い深夜、冷蔵庫のじいじい鳴る音に思わず後ろを振り返りつつ。
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ドナドナ
通勤途上、コートが要らなくなった体の何と軽いこと。
できるだけ生活の有り様を簡潔にしたいと思い始めて4回目の春が来る。

手元には本当に必要なものやどうしても置いておきたいものを
そう考えていろいろ整理してみたけれど、
モノへの執着があるんだろうか、やっぱり物は増える。

ただ増えて場所塞ぎなのはそれを辛抱すればいいだけのことだけど、
置いておくだけで痛んでしまったりするものもあって、
自分で面倒を見切れる範囲というのは思った以上に狭いものだ。

いい例がクラシックカメラで、
やっぱり装置というか道具の類いは使わないとだめになるので、
ごく僅かどうしても手放せないもの以外は里子に出すことにした。
まるでドナドナの気分だ。
といっても、民謡『ドナドナ』の由来は諸説あるようだけど。




久しぶりに聴いたピアノトリオの1枚、Das Klaus Weiss Trioの"Gleensleeves"。
小気味のよいピアノに程よく絡むベースとドラムス。
6曲目の"Dona Dona"はアップテンポながら、
この曲のメロディの美しさを余すところなくお洒落にアレンジ。

全10曲を通しで聴いても、これがとても66年の録音とは思えない。
ジャケットの内側には演奏する3人の写真が載せられているが、
細身のタイがお洒落なスーツ姿にちょっとときめいたりするのはやっぱり春だからだろうか。
選曲はセンチメンタルなメロディのものが多いけれど、
演奏はヨーロッパのJazzらしい湿り気を残しながらもなかなか骨太。
それにしてもカメラを詰めて引いたピギーの感触が手に残っているのがやるせない夜だ。
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海のある街
同じ行くなら海のある街がいい。
海を眺めてノスタルジーとはまた違う感覚が自分の中に溢れるのがいい。

もう何年も前にエストニアを訪ねた折、
ガイド氏の勧めで地元民にも親しまれる保養地、パルヌに立ち寄った。

映画『ベニスに死す』に出てきそうな砂浜、
体の薄黒い鴎の若鳥が人なつこくこちらに駆け寄ってくる。

記念に砂をビニールにつかみ取っていたら、
そのガイド氏に不思議そうな顔をされた。
「もう来れないかもしれないから(記念にとっておきたい)」
そう話したら、すかさず「また来ればいいだけのこと」と返されことばも無かった。
そう、こんなところにまたゆっくり来れたらいいのに。
そう思いながらも、時は何年も過ぎてそのままになっている。




昼休憩に立ち寄った書店で偶然手に取った写真集『Birth』。
去年『造船』という曲ですっかり気に入ったロバート・ワイアットが写っているというので、
見本を眺めていたら、どこの国だか、素敵な砂浜の写真が載せられていた。
見開きのセピア調にややオーバー気味の砂浜の写真。
そんな体験をしたことのないわたしなのに、
なぜか幼年時代ということばが浮かび、思わず苦笑いした。

店の宣伝にあった通り、彼を撮った写真が何葉か掲載されていて、
それも印象に残る温かく力強い写真だったが、
わたしには何と言ってもその砂浜の作品だった。

買って帰るには仕事途中で具合が悪かったので、またの機会にと見送ったが、
数日経った今も、同僚と飲んですっかり酔いの回った頭でも、
あの見開きの写真が思い浮かぶ。

その砂浜、わたしの心のどこかでパルヌと繋がっているのか、
それとも、ただ単に、その一枚の写真が遠い幸せの象徴のようで心惹かれるのか。
Medtnerのピアノ曲を静かに流しながら想像の海に遊ぶ夜。


◆ 澁谷征司 Official Site http://www.seijishibuya.com/
  ※上記写真集の著者である澁谷征司氏のサイトで作品の一部が公開されています。
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Якби я мiг знати... / Н.Три.


ウクライナのロックバンド、Н.Три(エヌ・トゥリー)。
オルタナ寄りのサウンドながら、アコーディオンの懐かしい響きを上手く使ったフォークロック。
上のジャケットは彼らの1stアルバム、"Якби я мiг знати..."(もしも僕が知っていたなら)。
ここ数年の間にウクライナでは先々楽しみなバンドが次々アルバムを発表しているけれど、
彼らもメンバー5人全員が80年代生まれ。
フォーク系ロックというとウクライナではスクリャービンやマンドリーを思い浮かべるけど、
ヴォーカルなんかは、どうやらオケアン・エリズィの影響大。
年代的にはもう仕方のないところだとは思うけれど、
そんなちょっとばかし背伸びしているのがくすぐったくていい感じなのだ。

素直なビートに耳馴染みの良いメロディを乗せて歌う彼ら。
これまでのウクライナのロックの泥臭さからはいい具合に離れているから、
ポピュラーファンにも聴き易いかも。




簡単にメンバー紹介を。

Олексiй Шманьов − オレクシー・シュマニオフ(Vo.)
Eвген Касьяненко − エフゲーヌ・カシャネンコ(g.)
Роман Шевчук − ロマン・シェブチュク(key.)
Олексiй Дорошенко − オレクシー・ドロシェンコ(b.)
Iгор Антонов − イゴール・アントーノフ(dr.)

◆ Н.Три Official Site http://www.ntry.com.ua/
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長い沈黙から解かれた
人から壮絶と呼ばれる人生がある。
ことばは簡単、たった一言、壮絶と言うけれど。




寺山修司の最後の16年間を彼と共に過ごした田中未知という女性の、
20余年という長い沈黙を破っての手記、『寺山修司と生きて』。
「寺山修司」という職業を生きた一人の男性を巡り繰り広げられていたもう一つの舞台。

著者は、寺山への批判に対する反論を時には強く、時にはしなやかに展開しながらも、
彼を取り巻く女性関係については極めて冷静で、その点、同性からして驚くほどだ。

― 死んだ人はみんな言葉になるのだ。
 《死んだ人はまさしくことばになるのだ。ことばに、ことばに、ことばに、
  ことばに、ことばに、ことばに、ことばに!》(※《》内は叙事詩『地獄篇』より)

著者がこの本を書こうと思い立ったのは、彼女自身の「寺山修司」という仕事に、
一定のケリが着いたからというわけではないだろう。
後記にあるように「書くべきか、書かざるべきか」迷いを残しながらも、
歌、演劇、母親との確執、そして病気と彼の死を巡る膨大なエピソードは、
寺山の残した仕事を整理する、という
一点を見据えたベクトルのもとに力のこもった言葉でまとめられている。
そして、そのブレの無さが重たい内容の手記を一気に読ませてしまう。

人から壮絶と言われる人生を自ら選び取った女性のことばは、
人を愛するということは、決してその見返りを求めることではないのだということを、
改めて気づかせてくれる。
心が強くなければ人など愛せないということも。
そして、飾り気のない最後の三行に、わたしは体中が温かく潤うのを感じて涙した。

この本、ある程度寺山の作品やその背景についての予備知識がないと、
読み取りづらい部分があるのは確かだが、
ひとりの女性として心の有り様を自らに問うとき、いろいろなヒントを与えてくれる。
目を通して決して損のない一冊、女性の方にお勧めしたい。
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3月20日
人ごみでごった返す店舗で探し物をするのが苦手なので、CDを買うのは大抵、通信販売だ。
何かの飲み会の折に、
「海外からのパッケージが週に何個届くか」
なんて話をしていたら周りの人が呆れていたが、
わたしの場合、最近はそこまで酷くはないけれど、
それでもやはり、週に1個か2個は宅配便や郵便でパッケージが届けられる。

それでもって、宅配便の担当者とは顔なじみになるし、
それが3年も続くと、まるでご近所さんのような会話が一言、二言は交わされるようになる。
そんな「知り合い」のお一方が、実家の都合で田舎に帰ることになったという。
某運送会社は全国区だから、いわば自己都合の転勤のようなものだというが、

「このエリア担当も3月20日までになったよ、いままでありがとう」

最後の届け物の際にそう言い残されてしまったわたしは、ひとり取り残されたような気がした。
春だから、そういう区切りみたいなものがどうしても多いのだけど、
わかっちゃいても、やはり寂しさは禁じ得ない。

その方には一体何個の荷物を届けてもらっただろう。
某通販店の履歴だけを見ても、それはもう結構な数で、
細かなところに気遣いの行き届いた配達にすっかり甘えていたわたしは、
4月以降の、いかにもマニュアル通りのかさかさとしたやり取りにうんざりするに違いない。

20日まで、もう一度くらい顔を合わせる機会があるだろうか。
そしたら、「いままでたくさんありがとう」とお礼の一言も言えるのだけれど。
だからといって、この取り残されたような気分をどうにかすることはできはしないけれども。
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貴女の好きな歌は何ですか
「貴女の好きな歌は何ですか」

最近いただいたメールで気になったもの。
1曲だけ選べ、とは書かれていなかったものの、
もし1曲だけ選ぶとしたら何を選ぶのだろう。

この曲が歌えるようになったらいいな、と思う曲がある。
映画『華麗なる賭け』のサントラに入っている「風のささやき」だ。
原題"Windmills of your mind"はミシェル・ルグランの作曲で、
この曲だけ静かな夜なんかに聴くとけっこうしんみりするメロディの綺麗な曲だ。

こういうのってカラオケに入ってたりするんだろうか。
まあおよそ度末の宴会で歌う曲ではないが、
何かの伴奏で歌ってみたい気がするし、そう思うとますます思いが募る(笑)。

とりあえず、歌詞を押さえておこう。

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締切
時々、他所に文章を書かせてもらえる機会があって、
話を貰った当初は喜んで「書こう!」という気持ち十分だったりするが、
そういうものには大抵、というか普通は、

いつまでに、何を(テーマに)、どれだけ

というような諸条件がついている。
当たり前だ、考えなくても当然だと思うが、
わたしは、「どれだけ」と量が限定されていると何故か書けなくなる。
もっと困るのは締切で、「いつまでに」というのが本当に苦手だ。

だから、文字数の限られた、例えばコラムのようなものを、
雑誌のような媒体に穴もあけずにきっちり原稿を納めることの出来る人は、
もう手放しで尊敬に値する。

もう2週間も前に過ぎた話だが、
去年の7月にいただいた「2月末までに、ある詩人について、2000字程度で」
という原稿がなかなか書けなくて、本当に困っていた。
その原稿のことは特に頭の隅にあって、ずっとずっと、どんな風に書こうかと悩んできた。
なので、頭を一旦空っぽにするのに随分時間がかかってしまい、
実際に書くのに使えた時間はわずか1時間ほどという酷い状況で、
準備に十分な時間をいただいていたのにそんな体たらくが申し訳なく、鬱になった。

その原稿、最初の構想は朧げながらも、
河に身を投げて自殺したその詩人に恋文を書く、
その内容を再構成できないか、というものだった。

ラブレターなどという手前勝手で一方通行のものを、
少数とはいえ他人の目に触れる誌面に載せるというのは余りにも恥ずかしいことだと、
最初に気づけば軌道修正も早かっただろうに、
作家の残した書簡の類いを読むのが好きという覗き趣味紛いの嗜好を持つ自分ゆえ、
他人が読むと面白かったりするのでは、
などという穿った発想を頭から払うことがなかなかできなかった。

思いつきで何かするとろくなことはないけれど、
「思いつき」と「閃き」の区別がついていないと非常に具合の悪いことになる。

そんなことを学習した2000文字だった。
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