音の快楽的日常

音、音楽と徒然の日々
Семь футов под килем / Олег Газманов



08年春にリリースされたガズマノフの14枚目のオリジナルアルバム「キールの下の7フィート」。
ロシアのポピュラー音楽がここ数年、以前にも増して判で押したような一様性を醸し出す中、
彼は相変わらずというか、確実に我が道を行くスタイルでいつ聴いても安心できるのが
つくづくファン冥利につきるというもの。

このアルバム、今年のツアータイトルと表題を兼ねていて、
12曲中10曲がガズマノフ自身の作詞作曲によるもの。
中には懐かしいアルバムからのリメイク曲("Нарисовать мечту"、夢を描くの意)や、
息子で歌手のラジオンとのデュエットも。

彼の歌は一見、象徴的でありながら、とても素朴でストレートだ。
彼の国で彼の人気が衰えない理由は、
愛国者であり、歌える歌手という以上にそんな所にあるのではないかと思う。

アルバムのサウンドは、全体に少し懐かしめのアレンジで、
90年代の彼のアルバムに通じている。
51年生まれの彼が、彼の国や歌う環境がどんどん変化していくなかで、
改めてしっかりと自身の立ち位置を確認したらそんな音になった、
わたしにはそんな気がしてならない。

その意味で特段の目新しさはないものの、
芯のぶれないことの確かさにじんわりと胸熱くする。
ガズマノフの久々の新譜、肩肘張らずに楽しめる好盤だ。

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pop & rock (russian and other slavic) | - | - | author : miss key
夜を捜して
いつだったか車窓から眺めた夜景がなかなか頭から離れず、
仕事帰り、夜の街を眺めてほっつき歩くのが習慣になりつつある。

先週末、夕方から出かけた海沿いの街。
日の出桟橋から水上バスで浅草へ向かう頃には既に日も落ちていた。





この船に前回乗ったのは昼日中で、
眼に飛び込んでくる風景も、そして音も、この日のものは何もかも違っていた。
エンジン音の喧噪もどこへやら、瞬き忘れて向こうに流れる景色に見とれる。








もっと上手に写真が撮れればいいのに。
記憶にすべてを残すことは無理だと感じるほど、
東京の夜にはずっと忘れずにいたい景色がたくさんある。

少し前まで都会の夜は明るくて嫌なものだと思っていたのに。
明日もまた見たことのない夜景を探して歩いてみようか、
自分だけの夜がどこかにあるんじゃないかと、想像しながら。
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カエルの方舟
わたしにとって夏といえば、カエルの合唱だ。
田舎の家の周囲はみな水田で、ゲコゲコとまあそれは賑やかな夏の夜が続く。
夜も更けるとウシガエルの低くモーと鳴く声もそれなりに風情があるし、
庭にノソノソとお出ましのヒキガエルも、じっくりみれば実に愛嬌のある顔立ちだ。

今年は国際カエル年。
都内の動物園協会もキャンペーンに参加しているそうで、
あちらこちらでいろいろな催しが開催されている。
カエル好きなら一度はどこかに見に行こうと思いながらもあっと言う間に秋なので、
先日思い切って出かけたのが池袋サンシャイン水族館。
ここにヤドクガエルが展示されているというので楽しみだったのだ。







絶滅危惧種の多い両生類を保護するキャンペーンは「両生類方舟計画」と名付けられているそうだ。
カエルが安心して住める環境もだんだん少なくなっている上に、
最近ではカエルツボカビ病に感染したカエルが国内でも見つかっているそうで、
激減などの恐れがある種を動物園で飼育して保護するという海外の活動のように、
日本でもやがて保護が必要になる時期が来るのかもしれない。

今年は盆休みに帰省し損ねたので、秋にはなんとかと思っているが、
すでにカエルの合唱はコオロギにその席を譲っていることだろう。
カエルの鳴き声を聞きながら冷やしたスイカをかじる楽しみはまた来年に持ち越しだ。





水族館の展示でもっとも長居してしまったもの。
それはイワシがぐるぐると回遊している水槽だった。
生きているイワシを間近で見るのは初めてのことで、
あれほど大きく口を開けて水を取り込みながら泳いでいるのは、
なんというか、日頃食べているのが申し訳ないくらい懸命なのが伝わってきて、
どれだけ見ていても飽きると言うことがなかった。
また近いうちにどこかの水族館に出かけてみよう、ゆっくり時間が取れるときに。
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ハナムグリの受難



今夏の暑さは特別なのか、或は雨が少ないせいなのか、
マンションの廊下や道端に虫の死骸をたくさん見かける。
虫といっても、黄金虫や蝉の類いの、割と体躯がしっかりした虫だ。

今日は一日外回り、足も棒になり早々に帰宅したところ、
玄関前にひっくりかえったままのハナムグリを見つけた。
死んでいるのだろうと思い、拾って土のところに持っていってやろうとしたら、
いきなり指にしがみついてきた。

起き上がる力もないほど弱っていたらしいのに、
逃げもせず、指をつかむ力の強さよ。

仕方ない、わたしの指をつかんだまま離れないハナムグリをそのままに、
台所で蜜を吸わせたティッシュを用意したところ、
ハナムグリは口元を蜜に当てたまま身じろぎもしなくなった。

顔を上げずひたすら蜜を吸う様子に、
飢えるという感覚から随分遠ざかっている自分に気づく。
別に食べ物を粗末にしてはいないけど、
なんだか軸のずれてしまった感覚の、どこか座りの悪さを見て見ぬ振りをしていたのか。

ハナムグリ、部屋の中に置いておくこともできず、
ジャムのふたに載せたままベランダの隅に出してやった。
飛べるようになれば、また次の蜜の場所を見つけにどこかへ行くだろう。

気がつけば外は雨。
脱力の蒸し暑い夜、指先にのこる小さな爪の感覚に意味もなく押し黙る時間。
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ダメだと言われると気になるもので



久々にエアコン要らずの涼しい1日。
この日を逃してなるものか、ということで気になっていたプチ模様替えを敢行。

気になっていたのは地震への備え。
備えといっても、ごくごく初歩的なもので、
背の高い家具が寝室にも置いてあって、
寝ている間に地震が来るととてもじゃないが(苦笑)という状態をなんとかしようというもの。
で、思い切って面倒な棚の類いを少しだけ入れ替えて、
「安全な寝場所」を確保した。

本当ならひと作業終えて美味しいビールと行きたいがそれもいかず。
で、飲めないなら眺めて楽しもうというわけで買ってみたビールを特集した雑誌。





ビールが好きだと言っても、せいぜい飲んだビールのラベルを覚えている程度で、
製法や飲み方などは全く不勉強だった。
ベルギー、ドイツ、チェコはもちろん、
ビールが美味しいといわれている国をいくつも訪ねてきた割にはもったいない感じなので、
ちょっとばかし勉強してみたくなったのだ。

そうはいっても、頁を捲る度に美味しそうなビールが次々と紹介されているので、
少々目の毒状態(笑)。
ダメだと言われるとますます気になるのが人情というもの。

「実践」は少し先にとっておいて、まずは基礎固め。
薄手ながら、用語集に図録、専門店の紹介や海外の取材記事と盛りだくさん。
お固い専門書とは違い、気楽に斜め読みして楽しめる好特集だ。
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呑む愉悦と酔いどれと
今日は暦通り出勤したが、
朝から大きな黒塗りの車が何台も隊を連ねて音楽を流していた。
そうか、そういう日だったと思い出し、空の青さに思わず深呼吸した。

そういう日にわたしの机上に届けられたのは、健康診断の二次検査の招請状だった。
無視されることのないように、という配慮なのか、
派手はでしい色刷りの用紙に、まさか赤紙でもあるまいしと苦笑いする。


ストレスなのか何なのか、この春からずっと体調を崩していたので、
「お呼び出し」は当然来るものと承知はしていたが、
それでも要注意の項目が予想外に多かったので少しは反省した。
食生活はそれほど変化がないから、
具体的な原因があるとしたら、それは酒量がやや増えたことに違いない。


「ロシア人の愉悦は呑むことだ」
そんな言い回しをどこで聞いたのか最初のことは思い出せないが、
アレクサンドル・ジノヴィエフの「酔いどれロシア」は
今読み直しても、否、何度読み返しても面白い詩画集だ。





面白い、といっても、風刺と皮肉に彩られた作品から感じるのは、
乾いた笑いというよりは、寧ろ民族の底に横たわるものであったり、或は悲哀であったりする。
庶民の生活のほんの1コマに垣間みるロシアの死生観、と言ったら大げさに過ぎるだろうか。

「呑んで、呑んで、呑まれて、呑んで〜」は河島英五だが、
とてもじゃないが、今のわたしは飲みに行く度に飲みが足りないと言われる始末。
「酔いどれロシア」の底の底を覗いてみたい気もするが、
今はそれもいかがなものかと体の痛みが邪魔をする。
もうすぐ秋で食べ物も美味いのになあと後悔先に立たず。
日頃の生活を少し反省した一日だった。
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オリンピック中継
今週は夏休みを取る同僚も多く、職場もしんと静か。
電話がほとんど鳴らないと、なんだか気持ちも乗ってこない。
暑さでダレ気味なので、早々に帰宅してオリンピック中継を見てみたら、
ちょうど女子柔道の決勝戦がはじまろうというところだった。

始まって2分も経たない頃、あっと思った瞬間に相手の選手は投げられていた。
本当に胸のすくような鮮やかさでもって。
「イッポン!」という主審の声を聞くまでもなく沸き立つ会場。
勝ったのが日本の選手だったからなおさら、
TVの前でわたしも思わず声をあげてしまった。

細かく相手のミスを誘って反則で点を重ねる、とか、
柔道ってそういう競技ではなかったはず。
そんな先入観もあって、何度も繰り返される勝利の瞬間にじっと見入ってしまった。
解説では、前回のオリンピックのときも金メダルで、しかも全部一本勝ちで、
今日の二連覇達成もすべて一本勝ちとのこと。

そんな人がいたんだなあ、
すごいってそういうことなんだなあ。

わたしも一度でいいからあんな風に投げ飛ばされてみたい。
そしたら少しは性根が据わって背筋がしゃんとするかも知れないから(笑)。
あまりにお腹いっぱい、食事も忘れて夜風にあたる真夏の夜。
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磯崎新の「都庁」/ 平松剛
高校生時代、将来の職業をつらつらと考えていて思い浮かべたのは、
建築の仕事か、もしくは船舶関係の仕事だった。
もしわたしに絵心があれば迷わず前者を選んだろうし、
体力があってしかも冷静沈着さに自信があれば後者を選んだろう。
幸か不幸か、そのいずれにも恵まれず、
今はつつがなく事務をとる仕事についている。

それでも「夢の欠片」を追いかけてしまう故か、
噛み砕いた記述の建築本が出ているとついつい気になって手に取ってしまう。





磯崎新という建築家の名前は、
とりたててその作品(建物)を目にする機会がなくても、
彼自身が書いた本や作品を取り上げた本がたくさんでているので、
わたしにとってはとても身近に感じられる建築家であったりする。

そうは言っても、磯崎新という人の人柄や作品、その背景や設計思想を
平たく説明したものというとなかなかなくて、
専門書をぐいぐいと読み進める気力もないことだしと
長らく忘れていた宿題のようなものだった。

氏と現在の都庁舎の設計者である丹下健三氏は師弟関係。
様々な背景もあって、かつて「出来レース」などと揶揄された現在の都庁舎のコンペだが、
話はそんな簡単なものではなくて、
言葉では言い尽くせない物語がいっぱいに詰まった劇場のよう。

その舞台に立たせたいと著者が思う人物は随分大勢いるようで、
またそのコンペの背景を理解するには、
結局、当時の建築事情やこれまでの歴史、
スタンダードを知らなければ面白くないからなのか、
本書の記述は様々な材料が溢れんばかりに盛り込まれている。

個人的には磯崎氏にもっと焦点をあて、
時系列的にも整理してもらいたかった感があるが、
ノンフィクションながらある種戯曲的にも読める作品だから、
多少おなか一杯になりつつその手のややこしさはまあ呑み込める範囲だ。

それにしても興味の尽きないのは惜しくも落選した氏の新都庁舎案。
本書にはその絵柄も載せられているが、
西新宿を見渡せる高層ビルの窓から、
その建物が建ったとしたらとあれこれ想像を巡らすだけでもわくわくする。

ところで現在の建物、ことそのデザインに関して言えば、
わたしの周辺ではすこぶる評判が悪い。
まあ役人に対する風当たりも強いことだし、
どれだけあの建物が客観的に評価されているのかは知らない。
しかし、晴天の日、陽の落ちかけた夕刻に庁舎の正門から眺める風景は、
見る者の背筋を正すような気配があって、
その凛とした佇まいに思わずため息したことがある。

そんなところまで設計の中に織り込まれていたのかどうか、
それを確かめる術は本書には書かれていないのだけど、
そんな設計思想のひとかけらほどを感じただけでも、
やはり選ばれた作品には何かしら他にはない物があるのだろう、
浅学なわたしはそんな風に思う。

話が逸れてしまったが、磯崎氏の活躍の場がどちらかというと海外ということで、
実際に形になっている建物を見るには少々遠出をしなくてはならないが、
本書を読み終えてみると、やっぱり実物を見たくなるのは仕方のないことか。
その建物に入ってみてどんな風な感じがするのか、
外観だけでなく、実際にその建物自体を体感してみたいと思う。

その意味では、難しい建築論はさておき、
磯崎新という建築家をざっくり捉えるには、
本書はちょうど良い物語なのかもしれない。
平松剛著、「磯崎新の『都庁』 - 戦後最大のコンペ」、
熱帯夜の続く眠れない夜、枕元において毎晩一章ずつ読み進めたい本だ。
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赤の広場であくびする犬

2008年 ロイター/Denis Sinyakov


赤の広場は何度も訪ねたことがあるけど、犬なんていなかった・・・。
ネットニュースを流し見ていたら、肝心の記事の内容はともかく、
ネギ坊主を向こうにあくびする犬
というのがついつい気になって画像をお借りした。

記事の方はというと、人間のあくびが犬にも伝染する、というもの。
犬の「共感する能力」に関連する可能性があるとか。
実家の犬(柴犬、7歳)は、
眠いというよりは、物事に飽き足り嫌になったりするとあくびをしているよう。
家族が押し黙っていたりしてもあくびをする。
きっと緊張をほぐしたりしているんだろう、わたしは勝手にそう思っている。

モスクワやサンクトの街中で野良犬や猫を見かけたことはたまたまほとんどなくて、
唯一、とあるホテルに居着いてしまった猫を従業員がこっそり世話している、
そんなのを偶然見聞きしたぐらいだ。

訊いたら、そのマーシャという猫はもう何年もかわいがられているとのこと。
そういうちょっとした緩さのようなものがとても心地よく、とても印象に残っている。
マーシャは今も元気だろうか、もし生きてたらもうずいぶんな歳のはず。
今度彼の地を訪ねる折にはまたそのホテルに泊まってみようと思う。
当時はまだジジュールナヤの居た「クラシック」なホテル。
きっと今はすっかり様変わりしているのだろうけれども。
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Bus Stop



通勤は地下鉄1本で、事務所まではわずか30分ほど。
それでも近頃は職場が遠く、帰りはかえりで家が遠く感じられる。

地下鉄の駅よりも近くに都合よくバス停があって、
ちょうどその角の信号待ちをしているときにバスが来たりすると、
「これに乗って帰ろうか」などとつい思う。

定期券は地下鉄だから、細かい話をすればその分持ち出しになるし、
家に着くのはバスよりも地下鉄の方がずっと早いし時間が読めるので、
少し迷って結局はいつもの駅から地下鉄に乗る。

そのくせ、信号のところでバスが来るのを見ると、習慣のように思案してしまう。
こういうのを優柔不断というのか、言わないのか。


今日、家に戻ったらポストに届いていたCD。
The Holliesのベスト盤2枚組。
このジャケットのように、入道雲もくもくの青い空はもうここしばらく見ていない。
この間他所で聴かせてもらった中で一番印象に残った曲が入っているかな、
そう思いながら聴いていると、
入っていました、2枚目の2曲目に。

タイトルは"Bus Stop"。
思わず笑ってしまった。
今夜も帰り道、バスに乗って帰ろうかと一瞬考えてしまったから。

わたしにとってHolliesの曲はちょっと覚えにくいのが多いけど、
この曲は大丈夫、前に聴いて主旋律はだいたい覚えられたぐらい。
明日は早く帰れるから、バスに乗ってみようかと思う。
知らない景色が見られるのを楽しみにして。
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