音の快楽的日常

音、音楽と徒然の日々
雨の匂い
週明けまで雨マークが続く天気予報。
梅雨と2月の寒い時期が1年で最も苦手な季節で、
雨が降りそうなぎりぎりのあの暗さと匂いが心の底から苦手だ。
全身の細胞という細胞が口をつんまえ、拒否をするようで、
いきおい気持ちの方も塞いでしまう。

こんなときはPink Floydを聴き続けてしまう。
音楽というよりはもう薬の域だ、彼らの音楽は、わたしにとって。
レコードから流れる彼らの音楽は高級ローションの如く皮膚から浸透する。
この生温かで包まれる感覚がとても好きだ。

一時期あまりに聴きすぎて、どうにもならなくなったので、
FloydのCDを全部処分してしまったことがある。
そのぐらいドラッギーで習慣性が強くて、依存してしまっていたから。
歳とってそれ相応に「つき合い方」というものを覚えた今は、
Floydの音楽とも上手くやれてると思う。

部屋の外は、雨の中、消防車のサイレンの響き。
部屋の中は、Echos。
ほんの一時、閾のあちら側に逝ってしまえる気がするのは、やっぱり気のせいだね。


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新しく何かが出来ることとは何かが代わりに失われること
近所で一番古いだろう木賃アパートがついに取り壊された。
通勤途上、日当りの今ひとつなのに、アパートの部屋部屋から窓に吊るされた洗濯物の、
ときに目を見張るほどの白が目について、 
そういう風景を何となく眺めながらの駅までの道が楽しみだった。

最後の住人が出払ったのはいつのことだったのだろう。
ひょっとしたら先の大地震の時に建物が傷んでしまったのかもしれないが、
取り壊しの看板が出て、囲いができてから、まだ一週間と経っていないのに、
今日帰り道には既に細かな残骸が残されるばかりであった。

何人かの方が過ごした生活の跡、空気のようなものがまだ漂うようで、
見た目にはがらんどうなその空間に思いがけず懐かしさを覚えた。
別に知り合いが住んでいた、というわけでもないけれど。

きっと、数日後には新しい看板が囲いに誇らしくかけられて、
慌ただしく新しい建物が建つに違いない、都会の土地は金食い虫だから。

思えば、わたしが学生時代にお世話になった木賃アパートも、
なにせ家賃が月15000円だったというのも忘れがたいけれど、
大家さん宅に相続が発生し、今は跡形も無く立派なマンションが建っていて、
いつだったか訪ねた折には、もうあの部屋はわたしの記憶のみにあることを知った。

あの部屋の空気は、同じ人間が住んでいるといってもやはりあの部屋のものであって、
今住んでいる部屋にも、その前の部屋にも違った空気と時間が流れてた。
懐かしいのはその空気を感じることのできた時間であって、
或はもう二度と取り戻せないことがわかっているからなのかも知れない。

そういえば、当時、そう大きくはないが地震があって、
立て付けの悪さ故か、棚が倒れて飾ってあったガラス細工は粉々に飛び散った。
暗がりの部屋に外から差し込む街灯の光にキラキラと光る破片の具合が、
今でも妙に生々しい。

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ヨルゴス・ダラーラスがStingをゲストに迎えてのアルバム、"The Running Roads"。
このアルバムの14曲目に収められた"In A Stranger's Dream"という歌がとても好きだ。
3.11以降、一番聴いているのがヨルゴスの歌。
彼の歌声はわたしに全てを許し、全てを包み込むような優しさで満ちている。

でも、ふと思う。
わたしは一体何を許されたいというのだろう。
今一度、その近所のアパートの跡に立ち、穏やかな陽の光の差すところで、
ほんの少し前の記憶を辿りながらそっと深呼吸をしたくなる。
否、何を欲するというわけでもなくて、
ただただ陽の光を、存在していたことの証のような匂いを感じ取ることができたなら。
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急に夏になったかと思えば
季節の移り変わりが急すぎて、気分はもとより体が全然付いて行けない。
日比谷では美味しいビールのイベントがやっているというので、
銀座に出かけた後、立ち寄るつもりでいたが、
空は見る見るうちに暗くなり、あっというまに雨が。
さっきの暑さはどこへやら、雨じゃ野外飲みも辛いだろうとあっさりと見送る始末。
多分、本当に「夏」なら、雨だろうが何だろうが飲みに行くんだろうけれど。

部屋に戻ったら外のヒンヤリとはうってかわって梅雨のような湿度の高さ。
雨が小止みになったのを見計らって窓を開けたが、今ひとつ。
ならばと、涼める音楽を選んだ。
The Rosenberg Trioの98年作品、"Noches Calientes"。


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ジプシースイングの作品で有名な彼ら、音楽の熱さを美しいギターの響きに秘めて、
このアルバムは余韻もたっぷりに穏やかな音調でまとめられている。
なので、聴くほどに体温が上がるということもなければ、
夜寝る前の1枚としてもいい感じだ。

今年の夏はきっとどこもかしこも節電でエアコンも控えめだろうけど、
わたし自身、元々エアコンが苦手なので家でもそう使わず(使えず)なので、
暑さで眠れない夜をいったいどう乗り切るのか、これといった算段なし。
せめて涼しげな音楽集めて熱帯夜専門のコンピレーションCDでも作ろうか。
そうと決まれば、早速盤と曲選び(笑)。
寝不足にならない程度にしなければと月曜の朝を憂う夜。
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見違えるように美しく
音楽の話ではありません。

上京の折、母から貰ったプレゼント、さんまのまんまのぬいぐるみ。
もう随分長いこと飾っていたが、普通に洗っても、ぬいぐるみ専用洗剤で洗っても、
煤けたような汚れが落ちず、仕方ないかと諦めていた。

たまたまネットサーフィンしていたら、
ぬいぐるみや着ぐるみを専門にクリーニングしてくれる会社に行き当たった。
ひょっとしたらうちのもきれいになるかも?と思い、相談してみたら、
「とりあえず送ってください」とのこと。
あまり期待せずにいたのだが、とんでもないほどきれいになって戻ってきた。


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途中の過程も写真で送ってくださって、安心してお願いできた。




たかがぬいぐるみ、されどぬいぐるみ。
家には競馬場のおみやげに買った競走馬のぬいぐるみなんかがたくさんあるが、
このまんまだけは特別だ。
子供の頃から犬のいない生活をほとんど送ったことのないわたしが、
東京に出てきて一人暮らしするというので、
母親が気を遣ってわざわざ買い求めて送ってくれたものだ。

その時、物それ自体より、そういうふうに思ったり考えてくれていたということが、
殊の外嬉しかったのをついさっきのことのように思い出す。
ものが絶対ではないが、それにまつわる思いでは記憶に長く根を下ろす。
物に囲まれた生活が、消費消尽に終わるのではなくて、
そういうちょっとしたことが気持ちの豊かさのきっかけになるのかも知れないと思う。
部屋で飲むビールがいつもより美味しい気がした週末の恋しい夜。


◆ ぬいぐるみクリーニング専門のサンクリーン
  http://www.sun-clean.com/html/nuigurumi.htm
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何となく気になっていたことに答えてくれた本
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『電子書籍の衝撃』佐々木俊尚著。
タイトルからイメージする内容と実際の中身が少し違うように思えたが、
そういうことが途中から気にならないでぐいぐい読めた。

それはきっと、

> キンドル、ケータイ小説、電子書籍・出版、プラットフォームetc...

といった、よく目にはしてもそういう言葉の流布する意味が今ひとつつかめず、
かといって調べることもせず、という無精、怠慢なわたしにとって、
それらのつながりや時代背景、出版業界の変遷などを、
ざざーっとひとまとめにして平たく掴む機会を与えてくれたから。

最近の音楽事情を理解するきっかけになりそうな件もあって、
それら一つ一つはそれほど掘り下げられてはいなくても、
自分なりの答えを見つけ出す糸口になる。

「電子」という括りで整理すれば、たとえばこんな感じ、といったある種の気楽さが、
真剣に知識を求める人の神経を刺激するかもしれないが、
こういうまとめ方、狙い方があるということを知っただけでも大いに気付きとなった。

学生時代に流行った思想本のような、ちょっと一読では掴みかねる言い回しも、
気にせず読み進めてみればなんということはなく、
気に入る本がなかなか書店で探せなくなっているわたしにとって、
本書から得た刺激が上手い具合に頓服として効いてくれればなおのこと嬉しいというもの。 

情報の激流に身を横たえる場所さえ見失うような一抹の不安の中で、
面白い本、ためになる本、真に良書と呼べる本を発行しようと努力している人々がいて、
要するに探す工夫と努力が足りないんだよなと海より深く反省する。
キャッチーな面に拘泥せず、読む角度の工夫次第で面白さが随分と変わる1冊。
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Vedrai, Vedrai
最近、随分と涙もろくなった。
悲しいときはそうでもないが、哀しいとき、嬉しいとき、心が空っぽになったとき。
ひとりの時なら、命の洗濯だと思って、無理に止めないようにしてるけれど、
涙腺弱くなったのは老化のせいか、などとtwitterでうそぶいていたら、
「それも老人力、感受性は若者の専売特許ではない」
などという話になった。 

大きな災害があったばかりだから、何かと過敏になっているかもしれないが、
涙もろいのはそれ以前からのこと。
もっともこの間の地震の際は、体ごと真空になったようで、
何事においても実感というものが随分遠のいた。
モノの本によれば、これも心の自衛だとのこと、なるほど上手くできているものだ。

それでも、心の隙間に何か埋めたいとしきりに思うことがある。
大失恋のような傷とまではいかないまでも、
そんな時は、気に入った詩集を読み返したり、映画を見たり。
でも手っ取り早いのは、音楽を聴いたり、或は聞こえる状態にしておくこと。


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Luigi Tenco、この人のことを、ある恋愛映画のサントラで知った。
"Vedrai, Vedrai"という、メランコリックな歌。
シャワーを使いながらラジオを聞いていたらこの曲が流れてきて、
意味も何もわからないうちに、ただただ涙が溢れるのを止めることができなくて。


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"Vedrai, Vedrai"は、彼が拳銃自殺した後、別の歌手が歌ってヒットし、
改めて彼の歌も注目されることになったそう。
このCDはベスト盤として編まれたものだけど、
わずか数年という歌手生活、主だった歌は全て入っているようだ。

凄惨なエピソードが余計悲哀を誘うのかもしれないが、
失われた恋の苦しさを歌わせれば右に出る者はいないと思うような歌声。
失恋の痛みすら懐かしいでは人生つまらないね、とはつい口をついて出た独り言、
外の風があまりに強くて明日の朝が億劫になる休日の夜。
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祝祭前夜、3分13秒の幸福
明日、5月13日はChet Bakerの命日。

カムバック後に追われるようにして渡欧、その日暮らしのようなギグの毎日が、
写真集やドキュメンタリー、そして彼のファンが編んだディスコグラフィーに刻まれている。
薬禍といってしまえば容易いが、ある種の息苦しさから逃れるための演奏であったのか、
文字通りのその日暮らしのためのものであったかは当人のみが知るところで、
さらにはその墜落死の原因を突き止めようとしても詮無いこと。

本を読むときの、その頁が左から右へと繰られて行くようにして、
彼を目の前にして演奏を聴くことが永遠にできなくなったという悲しみから、
彼が残した音源に心穏やかに向き合う気持ちに替えていくことができた。
死をもってあらゆる苦しみから自由になったのだとしたら、それもまた故あること。
それが自らによるものか、或は他力であったかに依らずして。


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"Almost Blue"はコステロがChetに贈った歌。
映画"Let's get lost"のOSTでも最後に収められた、まさに晩年のChetらしいナンバー。
上のレコードは、映画のプロモーション用に配布された12inchで、
両面とも"Almost Blue"の同テイクが収められている。


 Almost blue
   Almost doing things we used to do
   There's a girl here and she's almost you
   Almost all the things that you promised with your eyes
   I see in hers too
   Now your eyes are red from crying

   Almost blue
   Flirting with this disaster became me
   It named me as the fool who only aimed to be

 Almost blue
   Its almost touching it will almost do
   There's a part of me that's always true...always .....

※Costelloが書いた詩とChetの歌の文句は少し違っていて、
 上の歌詞は歌っている方を書き取ったもの(だから聞き取れてない部分があるかも)


深い霧の向こうから聞こえてくるようなChetの歌声、
いつまでも聴いていたいのに、3分13秒はあまりに短く非情だ。
くぐもって生温かな彼の声は、どこまでも凪いだ春の海のようで、
空っぽの胸の内が透けて見えるようにして、かえってもの寂しさを募らせる。

子供の頃から、Chetの歌や演奏に囚われてやまないのは、
彼の音楽には独特の色合いがあって、それが時とともに移ろう様があまりに美しいから。
晩年のそれは、再現ができないほどの美しい階調を持ったグレイで、
そんな色の空があるのなら吸い込まれてしまいたいと思わずに居られない。

時に鈍い光を放ち、あるいは遠い夜空に瞬く星のようにどこまでも静かな表情で、
回るレコードを眺めるわたしに囁きかける、此処ではない何処かから。
白馬の王子様はいなくとも、
黒い円盤にはきっとたましいの欠片が詰まっているのではと
心のどこかで信じる自分がいる。
解放という名の祝祭前夜、わずか3分13秒の幸せ。
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世界の音楽を聴く・レコードコンサートのお知らせ(渋谷・国境の南)
恒例のレコードコンサートが渋谷は国境の南にて開催されます。
今回は4月に予定されていた会が震災の影響で延びていたもの。
連休からの社会復帰もそこそこに、爽やかな音楽に身をまかせてみてはいかがでしょう。

主催者のお一人、北中さんのサイトにて告知がありましたので、転載してご案内いたします。


***

国境の南トリオ(蒲田耕二、北中正和、田中勝則)がご案内する世界の音楽。
2か月に1回程度のペースで土曜日の午後4時から行なっています。
会費1000円ワンドリンクつきです。

震災のためお休みしていましたが、次回の開催が決まりました。
5月28日「地中海音楽のルーツを探る」です。
地中海周辺の長い歴史は20世紀に入ってから生まれたポピュラー音楽の養分にもなっています。
今回は地中海のさまざまな地域の音楽を、
いまでは入手困難なSP時代の音源を中心にご紹介する予定です。
地中海音楽のルーツを探る旅。ぜひ皆さんもご一緒に。


と き:5月28日(土)午後4時〜
ところ:国境の南
    渋谷区道玄坂2-25-5 島田ビル3F-D  TEL 03-3463-5381
            http://www.kokkyo.net
会 費:1000円(ワンドリンク付き)
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タイトル長くて一見何の本だか? でもこれは確かにディスクガイド
おかげでblogのタイトルまで長くなってしまった。
タイトルがものすごく長くて、最初は一体何の本かと思ったディスクガイド、
『マーシャル・マクルーハン広告代理店。ディスクガイド200枚。小西康陽。』、
ああ、なんて長いタイトル。空では言えないけれど、決して忘れることの無いインパクト。


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「この本をきっと購入することになるでしょう」と薦められたら読まずにはいられない。
ということで、信頼する音楽ファンの方から指南のあった1冊を手に取りページを繰ったら、そこでまた驚いた。
読んでもらおう、という配慮みたいなものがみじんも無いといったら失礼だけれども、
何と読みづらい、それでもあんたは読むか、みたいな挑戦的な体裁。


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新聞にも段組みが今ひとつで読みづらいのがあるけれど、
意図的にごちゃっとさせているのは、少し読み進めれば伝わって来る。
読者への、ある種の屈折した、優しさと思えば、なんのその。

大げさに書いたけど、2、3頁読み進めると目が慣れるから大丈夫。
独特の体言止めが癖になりそう(独特の言い回しがウツリそうで怖い)。
核心が射抜かれているような評論とは違うような気がする。
データが満載という親切さはないが、かえってレコードを探す意欲増進。
そこここにいかにもなトラップが一杯、これに喜んで嵌るような物好きには堪らない。

しかし、
この本に紹介されている200枚のうち、結構な枚数が手元にあることに気が付いた。
それって、どういうことなのか(しばし沈思黙考)。
とりあえず、それは置いといて、
知ってるアルバムを紹介していても読めてしまうのだからやっぱり何だかんだ言って面白い。

わたしにとって、この本のなかで紹介されていた厄介な1枚、は
「風のささやき」を歌ってヒットさせたNoel Harrisonのアルバム。
CD(rhinoの編集盤)ですら結構いい値段になっていて、なかなか手が伸ばせないでいた。
数ある映画音楽の中でも、この1曲ほど好きな曲はないという歌い手なのだ、忘れるまい、
しかしながら、何かの縁でわたしのところにこのレコードが転がり込んでくることがあれば・・・てな感じで胸の奥底にしまってあったのに。
著者という人は「それを言わないで欲しかった」ことを図星で言い当ててしまう、
ちょっと嫌なヤツかも知れないって思ったのは、わたしだけじゃないはず。

◆ 小西康陽著 
  『マーシャル・マクルーハン広告代理店。ディスクガイド200枚。小西康陽。』
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レコードプレーヤーの電源リニューアル
「電源は大事」とだけ書いて中途半端にしてしまったリニューアルの件。
当初は、「今年はカートリッジを更新!」する計画だったので、
今回のリニューアルがどれほど魅力的であろうが、「華麗にスルー」するつもりでいた。
でも、やっぱりそう言う訳にはいかなくて、とうとうアップグレードをお願いすることに。
とはいえ、とうとうと言うには余りにも短い間に決めてしまったのだけれど、
そのことにはもう触れないことにする。


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上の写真はRadikal(LINNの装置にはこうした名前が1つ1つ付いている)の電源部分。
新旧そっくりだけれど、よく見ると少しずつ違っていて、
いつ製作されたものか日付も基盤の隅っこに印字してあった。

こういうことでもなければ見る機会もなくて、
その都度質問したり、写真撮ったりとさんざ作業の手を止めさせてしまっていたので、
当初の予定時間を大幅に越してしまった。
< すみませんでした!

さて、装置のアップグレード作業も終了、早速、おためしタイム。
いつもお世話になっているお店のHさんより
「使用前、使用後」を試すように奨められていたので、
ことば通り、作業の前後で同じ盤を聴き比べてみた。

さて、何が違う、何が変わったって・・・
無音の部分からして気配というか、
「さあ、これから演奏が始まるぞ!」という緊張感の広がりが何とも爽快。
聴き比べたのはライナー指揮シカゴ響のシェエラザードだったけど、
静まり返った中、バイオリンソロから合奏へのテンションの上がり方なんて、
どこが変わったかなんて分析はもうどうでもよくなっていた。

きっと、再生の能力で言えば、どの部分がどういう風に良くなってというような、
改善された要素の総合力、相乗効果でもって、
結果として音楽としてはそういう風に聞こえたんだろうと思うけれど、
高音がどうだとか、低音がどうなったとか考えなくて済むところが、
LINNの装置をずっと使っているシンプルな理由なのかも知れない。

***

LINNの本国スタッフの方がよく説明されるのは、
エンジニアの皆さんで試聴をして、
みんながこれならいいと太鼓判を押したものが製品化され、世に出されるということ。
音楽をより楽しく聴けるかどうか。

単に改良されているだけではなくて、求めるものの方向性が変わらずにいるということが、
わたしのように、普段気に入って使っているものは基本的には変わってほしくないという、
融通の利かない人間にとって、とても有り難く、
またそのおかげで、新しい技術の恩恵に浴しながらも、
感覚としては全く変わらずに同じ装置を長く使い続けられる。

***

思えば、わたしにとって「レコード再生空白の15年間」があった。
今は、レコードで音楽を聴くことを再開して10年ほどだけど、
上京した当時がちょうどCDの出だした頃で、
レコードで新譜もだんだん出なくなり、
また手頃に買えるレコードプレーヤーもあまりなかったこともあって、
後ろ髪を引かれつつ、CDで音楽を楽しむようになった。
そもそも、プレーヤーやカートリッジはもう作らなくなって、買うこともできなくなる、
そういう思い込みがあり、そういう風に世の中が変わったんだと納得していた。

いや、もっと言えば、生活自体にまるで余裕がなくて、
レコードの世界という魅惑の深い沼に落ちてる暇もなかった。
もっとも今も余裕はないけど、何が違うって、深い沼を眺めて愉しむ気持ちというか、
ある種の節度のようなものでもって今があるような気がする。

それにしても、レコードには一体どれだけの音楽が詰まっているのか。
レコードそのものは、電蓄やてんとう虫のプレーヤーで聴いても楽しいし、
目的や思いの深さでもっていかようにでも聞ける優れものだと思うのだけれど、
でも、聴こうと思えば、一体どこまで音楽の深さを引き出せてしまうものなのか、
これに対する答は当分出てきそうにない。

今はただ、こういう装置を手元で気軽に使えるようにしてくださっている様々な方々に
感謝の気持ちあるのみ。
「レコードなんて」と思ってる貴方、
騙されたと思って一度、レコードを手に取って、そして聴いてみてください。
人生変わるかもしれませんから(笑)。
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