音の快楽的日常

音、音楽と徒然の日々
Sweet Deal
父が逝った去年の夏のことは、手に取るように思い出せてしまう。
1年というのは短いが、そうした出来事を思い出に書き換えていくには、
実はちょうど頃合いの良い時間なのかもしれないと思うようになった。

数日ぶりに田舎に電話してみたら、関西もご多分に漏れず節電を呼びかけられているそうで、
(節電してくださいとのチラシが投げ入れてあったという)
試しにエアコンの温度を28度設定にしたら、暑くてとても辛かったので、
「非国民」だと思いつつ26度設定にしたらとても楽になったとのこと。
実家の柴犬(10歳)も夏は苦手中の苦手、
でも毛皮を脱げない彼ですら26度でぴたりと落ち着いたと言う。
27度では×で26度では大丈夫というのが母親にしてみれば興味深かったよう。

非国民ということばを久々に耳にしたが、そのくらい気を遣ってしまう話題なんだろう。
ちなみに我が家は29度設定、でも室内の温度計が30度までならなくても平気。
職場の節電モードで30度をゆうに超える室内で缶詰でいるので慣れてしまったようだ。
面白いもので28度設定のエアコンだと冷えすぎるように感じてしまうのだ。
わたしの体の中の温度計は実家の犬より劣っているのかもしれないが、
まあしばらくはこんな調子でいけそうな気配。


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久々といえば、このCDも久しぶりに引っ張り出して聴いたのだけれども、
クロスオーバー(表現が古い!)ミュージックがフュージョンとか呼ばれるようになって、
ドライブのBGMにでも使えそうなお洒落サウンドじゃないと売れないみたいな時代を経て、
このアルバムが出た91年というのは、ついにバブルが崩壊した翌年だ。

当時わたしは遠距離通勤していて、片道2時間ほどの距離を大半車中で過ごしたが、
SonyのDiscman(ポータブルCDP)でよく聴いていたのがこのアルバムだった。
適度にポップで適度に美メロ、そして適度に心地よい、
そんな音楽が車中の快眠のために必要だったから。

だからというのではないだろうが、
ついさっき聴き始めて3曲目にはもう瞼がくっつきそうな位眠気が襲ってくる。
蒸し暑くて眠れない夜にいいかも、などと思いつつ、次の1行も書くのが億劫になってきた。
そういえばパブロフの犬という言葉があったよなと思ったが、
どうやら次の1曲は聴き終えられそうにないのでこれにて店じまい。
不眠症の方に眠気を分けて差し上げたい、否引き取っていただきたいほどの酷い眠気。
きっと偽サマータイム疲れもあるのだろう。
眠り込み過ぎて明日の朝起きられないようなことがありませんように。


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リッピングの効用
CDのデータ化作業を始めてもうすぐ1ヶ月。
当初はライブラリの構成をどうしようか随分考え込んでしまったが、
別に他人が使うわけでなし、普段のまま、棚に並んでいる感覚で十分、
そう思ったら、随分と気が楽になった。
要するに自分にとって探しやすければいいのだから、
手前勝手なライブラリで構わないということ。

そうは言っても、ミュージシャンの名前や項目の入れ方など、表記なんかを統一しないと、
あとで凄く面倒なことになりそうなので、
特にクラシックの盤については、アーティスト欄に何を入れるのか等を一応決めた。

作業を進めてみて思ったのは、特にスラブ語圏のミュージシャン名の表記が多種多様で、
リッピングした後にNASを覗いてみると、
微妙に違う表記のフォルダがずらずら並んでいたりする。
こういうのは後から1つに統一して整理することにしたのだが、
その辺りに気付いたのは、Dusko Goykovichのアルバムを取り込んでいた時だった。




手元にある彼のCDを並べると、ざっと上の写真の如くあって、
国内盤からイタリア盤、スペイン盤とヨーロッパだけでも数カ国あり、
現地語表記で統一されていれば良かったのだが、そうはいかなかった。
Cの上に付いてる記号(∨とか)のアルファベットが出し難いので少々迷いはしたが、
やっぱり現地語表記で統一することにした。
文字化けの問題が起きたりしてしまうのかもしれないが、とりあえず。

実は、この「とりあえず」というのが、
わたしにとって、リッピングという作業で得た一番の効用だった。

リッピングというデータ化作業を遠回しにしてこれまでずっと避けてきたのは、
厄介な完璧主義というやつで、
単調な作業であればあるほど、きっちり最後まで徹底して早くやってしまいたい、
そんな思いがむくむくと頭の中に沸き起こってしまうから。
完璧主義といってもそれは字面額面通りの意味ではなくて、
わたしのそれはとても中途半端で面倒臭い。

それがリッピング作業を始めてみて、だんだんと、
「そういうものでもないし、とりあえず進めてみればどうにでもなる」
という気持ちが自然と心に沸いてきて、正直、ほっとした。

なので、当初は棚のここからここまで、みたいな選盤をしていたが、
その日の気分で適当に何枚かアトランダムに引っこ抜いてデータ化したり、
気持ちが乗っていれば、面倒な打ち込み作業の多い露盤を整理したり。
小一時間程度集中してやったりすれば、それはそれでいい気分転換にもなる。

そうはいっても、作業にはやっぱり目標というか、達成感がつきもので、
NASに収まった盤のジャケットがずらっと画面に並び、
それをパラパラと捲っていくのがただ単に楽しかったり面白かったりして、
ただそれだけのことで、また明日も時間があったらリッピングしよう、などと思うから、
人間なんてつくづく勝手なものだと思う。

この作業、1月もしないうちに投げ出してしまうのではと周囲は予想していたようですが、
どうぞお気遣い無く、わたし自身もまるで自信がありませんでした(笑)。
こんな調子なので、いったいいつになったら作業が終わるのかも解らないけれど、
まあ気長に進めてみようと思う。 
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梅雨らしいといえば確かに
毎日会議とヒアリングの連続で狭い部屋に缶詰状態。
酷いときには窓の無い部屋に一日中。
電灯で明るいといっても、自然の明るさに勝るものはなし、
この2週間で視力が落ちたのは気のせいでもなく、
わずかの日差しを求めて蔓を伸ばす雑草のような気分。

今日の天気がどんな風だかを知らずに建物の中で一日を過ごすこの不健康さを、
いったいどうしてくれようか。
休憩時、窓の外を眺めていつもなら、天気今ひとつとがっかりするところが、
どんより曇り空の景色でもほっとひといき、随分と勝手なものだ。


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頭の中で再生するは、先日のレコードコンサート地中海音楽特集で流れた"Via Crucis"。
Biberの曲をイントロに、数秒後、中世の地中海にトリップ。
Philippe Jarousskyのカウンターテナーが気怠くも美しい。

6月後半の今でさえ、節電体制の影響で部屋の中は蒸し暑く、空気の循環も今ひとつ。
8月あたりはいったいどうなっていることだろう。
嗚呼、この脳内再生の気怠さに溺れるようにして眠り込んでしまいたいが、
休憩時間はあと5分とない。
あと1曲「聴く」としたら何がいいかな、そんなことを考えていたら始業の点灯。
重い瞼をこじ開けつつ、あと少しだけ頑張ってみようと自分に言い聞かせる日々。
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密室のような空間で音楽のworkshopを体験した
誘われなければ多分出かけなかったであろう週末のLiveイベント。
山口孝さんのトークセッションが前座という豪華なそのLiveだが、開始が金曜夕方5時。 
いざ行くと決めてからはどうやったら4時前に事務所を出ることができるか、
ただそれだけを毎日考えて過ごしていた。

会場は浅草の駅を出て橋を渡ればすぐのアサヒビールのホール。
あの金色のモニュメントが乗っかった変則逆ピラミッドの黒いカタマリのような建物、
とでもいえば思い出してもらえるだろうか。
89年竣工のこの建物はそのオブジェの奇抜さも手伝って、当時から何かと話題になった。
バブル景気まっただ中、スーパードライが売れに売れてキリンを追い抜いたとか、
とにかく話題に事欠かなかったということだけは何となく覚えている。




あの室内を何と表現したらよいのか。
入口は狭いけれど、一度ホールに入場すれば天井の高さも相まって不思議な解放感。
方向感も失われたようにしてついうろうろしてしまった。
独特の動線は化粧室にも徹底されていたから、その点については全面降伏というか、
ようするに「身を任せなさい」ということなのかな、と案内された席へひとまず落ち着いた。

山口孝さんのトークセッションは、LINNの新製品のお披露目を兼ねながら、
今日のLiveの演奏者、パーカッショニスト加藤訓子さんの新譜を、
高音質な音源(スタジオマスター)の再生で楽しみながらのもの。
加藤さんご本人も参加してのやり取りは、ワークショップならではの面白さ。


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山口さんによれば、再生(レコードコンサート)と生演奏というような組み合わせは、
昔にもあったのだという。
わたしの身近だと、北中正和さんのミュージックジャンクションがまさにそれで、
後半の生演奏の部というのがまさに目から鱗というか、なんというか。
でも、録音と生演奏の各々の良さと違いを堪能するというよりは、
当夜の場合、演目自体(演奏者が1人、なので音源の再生と合奏)がとても難しい試みで、
最先端の装置と技術を駆使して生まれた録音作品とは違った物差しで聴くべきと感じた。




Liveでは、演奏者を囲んでサークル状に席が配置され、
円形になるよう設置されたスピーカーから再生音が鳴る。
加藤さんの解説では、ちょうどサークルの真ん中にソロが来る、ということだったが、
すぐ目の前にやってきて演奏する彼女は、
マリンバという楽器をよく知らない人間にとってはびっくりするような筋肉の躍動でもって、
ぐいぐい音楽に迫っていく。

こういうのに不慣れなわたしは、勿体ないのだが目を閉じて聴いていた。
台形の厚い壁が合わさったような殻を持つ、密度感の高い空間で演奏者を囲んで座る。
ひとたび目を閉じてみると、
そういった新しい試みの音楽というよりは、何だか宗教めいた時間のようで、
そう、こういう体験をどこかでしたことがあったと思ってみれば、
子供の頃、ラジオで初めてガムランの音楽を聴いたときと同じ感覚だ。
後から後から重なって響き合い、
その響きが充満する空間で体も頭もどこかへ持っていかれてしまうような。

マリンバの、真ん中から低い音程にかけては、胴の響きというか、
打楽器のイメージからは少し外れたふくよかな響きが生まれ出た。
それが少しずつ重なりながら、ホール全体に波紋のように広がっていく。
スティーヴ・ライヒの曲ではなかったが、2曲目と4曲目に演奏された曲が、
その点で際立っていて、わたしのマリンバという楽器のイメージが見事粉砕された格好。
加藤さんのアグレッシブな演奏スタイルとアンビエントな響きのギャップは、
子供の頃に読んだ金井直の「木琴」とマリンバのそれだった。

前後するが、先の高音質音源再生。
これによる"Electric counterpoint version for percussions"は、
お腹の下あたりからぐっと迫ってくるような音の束で包まれるようにして、
何と言うか、薬物であちらの世界にいってしまう感覚って、
ひょっとしたらこんな感じなんじゃないかと、
再生が終わってからもひとしきり息を吐くのももどかしいほどだった。
山口さんと入れ替わりのトークセッション第二弾では、
どなただったか、とてもドラッギーで・・・と感想を漏らしておられたから、
同様の体験をした人間はどうやらわたし一人ではなかったらしい。

今思い出しても、あの胸の苦しさを超えるとパッと視界が広がり、浮遊感さへ漂う、
そんな感覚は、生演奏のグルーヴとは全く異質なもので、
オリジナルの作曲者であるスティーヴ・ライヒもここまでを想像していたかどうか興味が沸く。

山口さんのお話にあった、いわゆる現代音楽がポピュラリティを何故獲得できなかったのか、
という点はさておき、
当夜のような音楽は、メロディでもって相手に何をかを伝えるというより、
その手前にある、種々様々な響きを重ねたり歪めたりしながら、
音が鳴っている空間の存在そのもので何かを伝えようとしている、そんな気がした。
それ故に、山口孝さんの言う「現代音楽は良い装置で聴かなければ」というのは合点がいく。

響きに込められた演奏者、作者の意図。
それを解き明かさんと聴く者が録音再生に向かうことの限界は自ずとあるのだろうが、
今宵限りのただ1回の演奏と、これ以上無理というところまで作り込んだ録音作品と、
唯一言えるのは、そのどちらも確かにわたしにとって音楽であったということだ。

今わたしの目の前にある1個のメモリースティック。
この中には前述の音源が収められている。
あの夜をこの部屋で追体験できるとまでは思っていないけれども、
一対一でもって向き合ったら、一体どんな風に聞こえ、そこでわたしは何を思うのだろう。
庭先で遊ぶ猫の鳴き声にはっと我に返った日曜の夜だ。
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雨音と共に聴くショスタコーヴィチ
とうとう梅雨らしい。
昨日も今日も雨降りで、ようやく一段落するこの時間、
少しでも窓を開けるとバシャバシャと雨の打つ音がする。

こんなときは音楽よりも映像の方がなんとなく落ち着くので、
古い映画を流してぼんやりするのが定番なのだけれど、
ここ数日間は暇さえあればCDのリッピング作業をしているので、
そのドライブの音もサーとかジィジィとかいうので落ち着かず、
あまり深く考えないで心地よさに身を任せることのできる音楽を選んでいる。


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"Shostakovich Piano Works" by Ashkenazy、
ショスタコーヴィチもアシュケナージも好きだから、この盤もとても気に入っていて。

「眼鏡の似合う音楽家が好きなんですね」

というメールをくださった方がいらっしゃるが、図星です。
特に、ドミートリィのこのジャケットにあるような牛乳瓶の底のようなレンズの厚いのを、
そうやぼったくなくてかけられる人は。
眼鏡は知性の証、となどというと、そんなことに根拠はないのは解っているのですが、
頭の中でいろんな記憶が混ざってそういうイメージが醸成されてしまっているのか、
否、やっぱり何の理由もありません、好きに理屈はないのです。


今、部屋に流れているのはアルバムの3曲目、ピアノソナタ2番の第3楽章。
ピアノの響き、演奏のテンポ、どれをとってもちょっとした雨模様を背景によく馴染む。
こんな美しいメロディを、いったいどんな風に描き上げていったのだろう。
ひょっとしたら窓の向こうは雪景色だったかもしれないし、
ガールフレンドと運河脇の公園でひと休みしていたときかもしれない。

ドミートリィの楽曲は、そんな想像の機会を聴く者に与えてくれるような気がして。
或は、
何か晴れがましく、誰かにその気持ちを伝えたい、そんなときも、
いろいろあって、とにかくわざとでも落ち込んでみせたいときでも、
そういう身勝手な気分の上げ下げにも柔軟に合わせてくれるような幅が、
彼の作った曲には意外にも備わっているような気がする。
寝不足なので早く寝なければ、でもあと1曲、あと1曲と聴き進めてしまう魅惑の1枚。
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audioの専門誌を読んでみた
写真も文も広告宣伝がいっぱいで重たい本

というのが、Stereo Soundという専門誌のイメージだった。
なので、図書館で特定の記事だけ眺めたりするような読み方しか長らくしてこなかったが、
今年の春号から、何となくわたしにも読める記事が増えたような気がして、
今回の夏号も発売してすぐに買ってきた。


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もちろん、多くの製品情報が載せられているから、広告宣伝の要素はあるけれど、
批評する方が、どんな音楽が好きでどんな風に音楽と向き合い、また耳を傾けているのか、
そんな肉声のようなものが行間から感じることができるなら、
装置や技術に疎いわたしでも記事を楽しむことができる。

今回の号は自分も使っているLINNがたくさん取り上げられているということもあったが、
巻頭のエッセイ特集がなんといっても圧巻で、
中でも堀江敏幸さんの文章と、そして添えられた写真の数々に心洗われた。

いろいろなジャンルでの批評、評論を縦横無尽に読みこなしている訳ではないが、
複雑な類義語事典のような文章では、
それが何らかの説明であったとしても書き手の血の温かみを感じることは難しい。 
その意味で、本誌にはわたしのような素人でも身近に感じられる記事が結構あって、
専門誌だからと読みもせずにこちらから敷居を高くする必要はないのだと痛感した。

前後するが、多くの人にとって3.11はまさに分水嶺のような出来事であったようだ。
「今こそオーディオを、音楽を!」と題された先のエッセイ集も、
その他の記事のそこここにも3.11の標が刻まれている。
わたしは3.11についてしっかり考えるという作業が多少苦痛であったとしても、
そうすることが向き合う力にきっと変換されていくだろうと期待しつつ、
自分のペースでゆっくりと一つ一つ咀嚼していこうと思う。
製品評よりもそんなことが無意識に浮かんでくるような読み応えある1冊。
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久々バーゲンに行く
バーゲンに行く、といったら、もちろんレコードのことです。
洋服の類いもバーゲンの方が安く手に入るので有り難いが、
あの人ごみの中を洋服選びに出かける気にはとてもなれそうにない。

Disk Unionのメールマガジンはほぼ売り場の特集、バーゲン情報のみで、
こんなに毎日どこかで売り出さなくてもと思うほど。
それでも安いに越したことはないからとても有り難い。


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今日の釣果。
ジュリーニのブラームス3番をフランス盤で。
なぜかドイツグラモフォン盤の録音は家では今ひとつなので、試しに買ってみたら、
音の広がりといい迫力といい、文句無し。演奏がいいのはもうわかっていたし。

その隣がイーヴォ・ポゴレリッチのバッハ、イギリス組曲から。
この中では1番高かったけれど、今日は割引が二重適用だったのでかなりお買い得に。
ちょっと検盤がてら試聴したら、タッチが溌剌かつ瑞々しくてすごく気に入ったので。

エルトン・ジョンのグッバイ・イエロー・ブリック・ロードは何故か買いそびれてた1枚。
ゲートホールドじゃなくて三面開きのUK盤を選んだ。
今日は箱の中にそれこそ同タイトルが4枚ほどあって、選び放題。コンディションも◯。

最後のそっけないジャケットの1枚は、タンゴをバンドネオン&ギターのデュオで。
パチパチが多いけど、再生音は強烈にHi-Fiでちょっと驚いた。
演奏もシンプルでメロディの美しさと強さが際立ち、今日の中では思いがけないめっけもん。

今日はお昼前のそれほど混み合わない時間帯に行ったせいか、
売り場もそんなに混んでいなくて、余裕もってレコードを探せた。
あまり人が多いと急いで箱の中を覗かなくてはいけないから気忙しいし、
何より知らない盤を見つけたり、眺めたりする愉しみが半減してしまう。
今日ぐらいがのんびりしていて探すペースの遅いわたしにはちょうどいい塩梅だ。

さて来週は節電のための早朝シフトで出勤が1時間早くなる。
だからといって1時間早く帰れるかというとそういうわけにも行かないだろうから、
本当に節電になるのか疑問もあるけれど、
しごとも生活も効率よく作業進め、部屋での時間を作れるよう工夫しようと思う。
久々にレコード店の空気を吸って元気になった。
ややこしいことの増えた毎日だけど、がんばっていこう。
レコードの話 | - | - | author : miss key
嗚呼、アルメニア歌謡
リッピングを開始して早1週間。
順調に進んでいるようでいて、ちょっと気を抜くと、というわけではないが、
盤質の良くないディスクには1枚読むのに2時間以上かかったりもするので、
なかなか頂上が見えない根気の要る作業ではある。

例えば。
盤の状態が良かったとしても、
ネット上のデータベースに登録があるのと無いのとでは天と地ほど作業効率が違う。
今ざっと200枚ほどをデータ化したところだけど、
手元の盤で手入力を強いられる率100%、いわゆる全滅なのはアルメニアの歌謡曲盤。

手入力しようにもアルメニア語のアルファベットは物好きなわたしにも結構辛くて(笑)、
一時期凝って音を覚えたりしたものの、すらすらというわけにはいかず、
かといって、アルファベット表からいちいち一文字ずつコピーするわけにもいかず。
イスラエルのポピュラー盤が結構登録されているのに、なぜだろう。
(こういう比較がいいかどうかは別として、
盤の出回っている数なんかはいい勝負ではないかと勝手な想像をしてそう思っている)
もっとも、イスラエル盤がダイレクトにデータを引っ張れたとしても、
自分に読めないヘブライ語ではどうしようもなく・・・。

かといって、アルメニアの盤を1つもデータ化しないわけにはいかないので、
何かいい方法をひねり出さなくてはいけない、と思う。
もし上手い方法が見つかったらここにまた書きたいと思うけれど、
国内にそんな情報を必要としている人は一体何人さまくらいいるのだろう。
ロシアものですら共通の話題で盛り上がれる人は片手で足りるほどしかいないというのに。
趣味は孤独なものであって、
なおかつ語る相手がいないとつまらないという、この自己矛盾よ。




アルメニアの歌謡曲ってどんなのという方に、例えば。
上の映像は最近デビューした歌手の一人、Razmik AmyanのPV。
メロディアスでちょっとコブシも回るという具合がわたしにはツボもツボで、
初めて耳にしたのはもういつのことだったかも忘れる位だ。
もちろん、一口にアルメニア歌謡といっても、
いかにもworldなサウンドからもっとpopなものまで結構幅もあるし。

残念なことに、廉価でアルメニアのCDを通販してくれていた店が閉店してしまったので、
今は彼の地の歌謡曲をYoutubeやインターネットラジオなどの音源で楽しんでいる。
でも盤があれば好きな曲を何度も聴けるから、
できることなら、アルメニアのCDを好きなだけ大人買いしたい。
そんなことを想像しつつ、黙々とリッピング作業に明け暮れる日々。
pop & rock (russian and other slavic) | - | - | author : miss key
audio、これを選んだ理由
今使っているaudioを選んだ理由は何ですか

と訊かれることが少なくない。 
装置を選ぶ時に守っていることは、
自分で運べる大きさであること(だから大スピーカーや重たすぎるアンプは×)、
金色でないこと(なぜ国内メーカーの製品は金色が多いのか)、
データではなく、実際の音が気に入ること(聴くのは音楽だから)。

もちろん、どれにしよう、と迷っているとき、
大抵あれこれ試聴して良かったものを選ぶけれど、
最後の最後に決めてとなるのは、やっぱり見た目だった。
デザインの善し悪し、というと少し違うのかなと思う。
こんなaudioが欲しいと思う心の中のイメージにうんと近いかどうか。

今改めてこんなことを思ったりしたのは、
先日読んだある記事の影響。
audio評論の傅信幸さんの「自分に合った、良いオーディオとの出会い。」。


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この雑誌の特集記事の1つだけど、この表紙を見てaudio好きな方がどのくらい手に取るか、
先のエッセイの他にもaudioの記事があるのに、ちょっと惜しい。
それはともかく、見開きにさらりとまとめられたエッセイに、
思わず「そう、そう!」と、すとんと落ちる気持ち良さに胸のすく思いがした。

ネタバレしてはいけないので、中身はぜひ本誌をご覧いただくとして、
今使っているLINNの212というスピーカーは本当に一目惚れだった。
ちょうど新しいスピーカーが欲しくてあれこれ探していたタイミングではあったが、
LINNの公式サイトに発表された正面からの写真に、
音も値段もわからないのに、どうしてもこれが欲しい、これにしようと決めた。
お面を着けたようなひょうきんな顔、でもよくよく見るととても精悍で。
すっきりとした矩形の姿に収まった美しい曲線の配置。

もちろん、購入前に試聴はしたけれど、気持ちの変わるような結果ではなかったし、
他の装置は、このスピーカーに合わせて少しずつ揃えた。
今のスピーカーになってから9年目になるけれど、
正直、ここまで素直で伸びやかに鳴るとは想像もしていなかったこと。
その意味では、理屈ではなくある種の直感を信じて正解だった。

これまで使ってきたRogers LS2、そのLS2と入れ替わりにやってきたPiega P2。
どれも付き合いは長かったし、P2はまだ寝室で現役だ。
いろんな装置で音楽を聴いてみたいという気持ちは少しはあるけれど、
ここまで自分の生活に馴染んだ装置はそう簡単に替えられない。

見た目に一目惚れなんて、偶然やそのときの勢いもあるけれど、
結果オーライ、ほんとに良かった、大切にすれば応えてくれるものでもあるし。
物には何でも限りというものがあるけれど、できることならずっと壊れずにいてくれたら。
あの地震以降、そんなことをつらつら想い、もの言わぬ装置に独り言をいうひととき。
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指揮者で選べば
もう随分昔の話、まだ学生だった頃のこと。
当時はJAZZとポピュラー音楽ばかり聴いていて、
クラシック音楽といえば、
わたしが自宅浪人中にショパンコンクールで優勝し、
空前の大ブームとなったスタニスラフ・ブーニンのピアノ曲がせいぜいで、
子供の頃のピアノレッスンに端を発したクラシックアレルギーはなかなか厄介だった。

上京して大学に入り、お決まりのようにノリの良いサークルに勧誘されたが、
そのサークル活動には馴染めないまま止めてしまったけれど、
会を通じて知り合った何人かの友人とは卒業まで随分仲良くしてもらった。

その中の一人、仮にK君としよう。
博多出身のK君は気前が良くて優しくて、でも家事となるとてんでだめで、
何度かは洗濯物の山と格闘するため、彼の下宿に遊びに出かけたりした。
まるで大四畳半の世界のようだけれど、
女子グループが掃除洗濯をしてあげる代わり、彼は手料理でもてなしてくれ、
みんなで夜遅くまで話し込んだのがつい昨日のことのように思い出される。

K君は映画好きでわたしとは気が合ったのだけれど、音楽はクラシック党で、
バイト代が貯まるとCDや何かを買っていた。
あるとき、「クラシックってお固い感じでどうも合わないよ」とこぼしたら、
食わず嫌いはいかんよ、と
「たとえば、好きな指揮者ができるといろいろ聴きたくなるし、楽しいよ」
などという。

そういうもんか、と思いながら、何枚かのCDを借りたりしたものの、
そのときはあまりピンとこなかった。

その後時を経て、わたしの貧弱なライブラリにもクラシック音楽の棚が1つあって、
古楽から俗にいう実験チックな現代音楽まで食い散らかしたようにCDが並んでいる。
でも、人の受け売りではなくて自分であれこれ聴いてみようと思ったきっかけは、
彼のいう通り、好きな指揮者ができてからだった。
好きな指揮者ができると、好きなオケというのが何となく見つかるものだし、
特定の作曲家、曲に拘らず、聞くタイトルがあれこれ自然と広がっていった。


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ここしばらくのマイブーム、ブルックナーのシンフォニー。
そういえばと久しぶりにK君のことを思い出したら、
そうそう彼はマタチッチがすごく好きだった、ということで、
マタチッチの振るブルックナーの7番、そしておまけでチャイコフスキーの悲愴を、
これまたわたしも大好きなチェコフィルで見つけることができた。

買ったお店もまた初めてのところで、スロベニアの中古レコード店だ。
スロベニアはたった3日しか滞在できず、いつかまた行ってみたいところだけれど、
彼の地の中古レコード店から通販でレコードを買う日がくるとは思わなかった。
遠いようでいてそれほどでもない、注文して1週間後には航空便で盤が届いたが、
どれもほとんど聴いていないような極上のコンディション。

今週は夜遅くなることが多くてレコードも音量控えめ。
でもこの7番はとてもいい感じで、
楽章の間でも緊張が途切れないこの雰囲気がなんともいえず。
当時の空気が真空パックされたような録音はとても67年のものとは思えない。

音楽を聴くことを通じて、無意識のうちに遠い昔の忘れ物を取りに行こうとしているのか、
レコードを選んでいると、時々自分でも驚くような出来事をふと思い出したりする。
頭の中の記憶の棚はまるでレコードの溝のようで、
針が何かの拍子にその溝に落ちたりすると、ひょんなことを思い出したりする。

K君とはもう20年以上も会ってはいないが、
街のどこかですれ違えばお互いきっと気が付いて、
まるで昨日もお茶して話したように音楽や映画の話ができてしまいそうな気がする。
懐かしさに目を閉じるとそのまま眠りこけてしまいそうな疲労困憊の週末。
レコードの話 | - | - | author : miss key