音の快楽的日常

音、音楽と徒然の日々
Another You
"another you" という歌は思いのほかたくさんあるようだ。
というのも、歌詞が知りたくて検索してみたのだが、
正確な曲名を入れなかったせいもあって、肝心の曲はなかなか出てこなかった(笑)。

あなたの代わりは居ないのに

言い方によってはこれまた随分湿っぽく、或は恨みがましくなるが、
Chetが歌えばそんなもの、あさっての彼方に放ってしまって、というくらい、
あっけらかんとしている。
多分、この歌は元々そういうノリで作られたものじゃないかと思うほどに。




このアルバムでの"Another you"(正確にはThere will never be another you)は、
トランペットも声もとても若くて、カリフォルニアの青い空そのもの。
1954年から56年にかけて録音された12曲の最後に収められたこの曲は、
後年の彼のアルバムからは想像できないほど後味爽やかなしめくくりとして選ばれている。
3分に満たない演奏時間も、長尺に慣れた耳にはあまりにあっけないが、
腹八分目よろしく、もうちょっと聴きたいと思わせる後の引き方が良かったりもする。

  ...Yes, I may dream a million dreams
     But how can they come true
     If there will never ever be another you?

この歌の最後の文句がとても好きだ。
そうでなくても昔の歌ばかりが頭に浮かぶけど、
きっとそれは歌詞がすごくきれいだったり、ぐっと来たりするから。
表現はとてもシンプルなのに、噛んで含めたようにしてその意味はとても味わい深い。
そんな風に言いたいことや思ったことを書けたらなとはいつも思うこと。

"another you"、たった二言だけど、
すごく意味深な、受け取る人の体験にも左右されそうな、そんな題。
そういえば、わたしは10代の初めにこの曲をオルガンで弾いたりしていたけれど、
そんなことは露程も考えなかったし、思いもしなかった。
小洒落たジャズアレンジだったけど、今思えば赤面ものだ。
30年も前のことをなぜこんな風に思い出せてしまうものなのか、
音楽の不思議を感じずにはいられない、梅雨の戻りの涼しい夜。
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いつか来た道
確かそんな題の映画があったと思った。
約2,000タイトルのCDをデータ化してみて感じたのは、
これまでどんな音楽をどんな風に聴いてきたのか、ということ。
来し方ゆかり、ではないが、
大量に詰み上がりながらも、1枚、1枚に選んだ際のエピソードなりきっかけがあって、
中でもざっと選んだ2,000枚には、各々に何らかのひっかかりがあったことに気付き、
或は記憶というものの不思議さに改めてひれ伏した。

データ化という作業を通じてライブラリをつくる、ということは、
すなわち自分の音楽への向き合い方について、何らかの整理を付けることだ。
他人には全く無用な一枚の地図のように全体像が露になり、
点と点を結ぶ線と距離とが浮かび上がる。

いつか来た道、これから行く道。

限られた時間のなかで、いったいどんな風に未知の音や音楽に出会っていくのだろう。
小さなライブラリを作る作業は、これから行く方向を一旦しゃがんで考える時間でもある。
これまでデータ化作業を避けてきたのは、そういうことがちょっと怖かったのかもしれない。

蒸し暑さが戻った夜にそんなことを考えていたら、なんだか頭を空っぽにしたくなった。
以前ならこういうときは編成の大きなものを好んで聴いていたが、
最近はめっきりピアノのソロ演奏を選ぶようになった。


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アンドレイ・ガヴリーロフの弾くバッハ、フランス組曲。
目の覚めるような音色を奏でるピアニストなら他にもたくさんいるだろう。
でも今夜は彼の弾くピアノでなければと思う。
鍵盤から指の離れる瞬間、楽器の呼吸まで感じ取れそうな穏やかな響きが、
風に揺れる花びらを透して感じる陽の光のよう。
彼のピアノの響きに包まれるようにして寝台にうずくまる。
窓の外には鈍い月の光、少しだけ水の匂いがする夜だ。
よもやま | - | - | author : miss key
通り過ぎようとしてもそうできない1冊が
縁というのは本当に不思議なもので。
というのも、書店でチラ見した折、
「この本を買っては大変なことになるのでは」 
という予感が走ったので、一度は華麗にスルーしたのだったが。

わたしのレコード水先案内人のお一方より、背中を押されるようにして譲っていただいた、
嶋護著「クラシック名録音106究極ガイド」(Stereo Sound)。


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上の画像だと小さくてわかりづらいが、
表紙にあしらわれた麗しきレーベルの数々に吸い込まれそうになるのはわたしだけだろうか。
ページを繰ると、1枚のレコードについて1ページずつ割り振られた図版と紹介文が、
次々と目に飛び込んでくる。
読み物なのか資料なのかと言われたら、やはり読み物なのだろうが、
資料的な使い方も想定しているのか、
あるいはこの本を目を皿のようにして眺めるであろう読者の属性を想定してか、
ジャケットの図版が大きくて美しく、また別頁には裏ジャケットも載せられていて、
眺めているうちにあのレコード独特の香りさえ漂ってきそうなのが怖いほどだ。

闊達でエッジの効いた独特の言い切り調の、この迷いの無さに呆気にとられる。
博覧強記というと、確かに1枚1枚のエピソードや蘊蓄も存分にふるまわれているが、
このことばから想像するよりずっとふくよかだ。
読む方は思わず胸熱くするような紹介文がそこここにある一方で、
少し引いたところからの筆者の冷静一徹な眼差しを感じる。

わたしは幸い、ヘビーなクラシックファンではないから、
それこそページを繰る毎に悶絶する、というような症状までは来さないものの、
レコードに惹かれる人間はクラシックという底なしの沼を避けては通れない。
なので、酸っぱいブドウよろしく、へ理屈をつけて探すのを止めておいた盤が、
あちらこちらに紹介してあるようなディスクガイドは目の毒なのだ。

嗚呼、これでわたしは改めてドラティのスキタイ組曲のオリジナルを探してほっつき歩いたりしてしまうのだろうか(笑)。


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もうずいぶん前のことになるが、
モスクワはボリショイ劇場で「三つのオレンジへの恋」を聴いたのをきっかけに、
重量盤で再発されていた上のレコードを買った。
でも聴いて驚いたのはB面の「スキタイ組曲」の方だった。
音楽を聴いていて、感動するとか楽しくなるとかはあっても、
びっくりするというのは余程のことでなければあまりないことなので、
これは大変なものに行き当たってしまったというのが正直な感想だった。

今回のディスクガイドにはロシアの作曲家の作品が随分数多く取り上げられていて、
それだけでもロシアンフリークなわたしにはかなり「やばい」のに、
プロコフィエフだけでも5枚あって、
でもなんといってもこの「スキタイ組曲」の紹介文が、
ここに転載してお見せできないのが悔しいほどの大迫力。

それほど専門家の方に好んで取り上げられる盤ではないかもしれないが、
わたしが目にしてきたこのレコードの紹介としては、
ブレッド・ミラノ著「ビニール・ジャンキーズ」と双璧だ。
夜中だろうが何だろうが大音量でこのレコードを聴きたくなってうずうずする、
そんな気持ちにさせてくれるこれ以上ないガイドなのだ。

これまた幸いにして、近所迷惑、ということばをわたしは知ってもいるから、
楽器という楽器が束になって咆哮を放つこの演奏を夜中に大音量で流したりはしない。
要は何が言いたいのかというと、
このディスクガイドは強烈に引き込まれる要素が多分にありながらも、
「こんな音楽体験をわたしもしてみたい」
と溢れ出る脳内麻薬への、ある種の忍耐も要求されるということだ。

あるとき、ある場所での、どなたかの音楽体験

と全く同じものを追体験することはおそらく不可能に近いだろうと思う。
レコードという黒い円盤が記録でありながらも、
目の前に再生された音楽はただの一回こっきりのものと思わせる何かがレコードの強烈な魅力の根源で1つであるから。
でも、それとは矛盾するようであるけれど、
こんな風に(あるレコードの再生を)体験できた人がいるんだ、というだけで、
こんな風に音楽が聞こえたらすごいだろうなあ、堪らないだろうなあと想像するだけで、
それこそ部屋中に溜息が積み上がるというものだ。

さて、このディスクガイドを読む勇気がありますか?
わたしなどは、スルーしたはずが縁あって手にしてしまい、
さらには貴重な(とても面白い!!)本だから毎日1枚分ずつにしようと思っていながら、
結局、昼飯抜きで8割方目を通してしまった軟弱者です。

もう一度、レコードが好きで堪らないあなたにお訊きします。
あなたはこのディスクガイドを読む勇気がありますか?

◇ 嶋護 著 『クラシック名録音106究極ガイド』(Stereo Sound)
  http://www.stereosound.co.jp/spi/backnumber/classics106/
  amazon→http://goo.gl/x5Oqg
レコードの話 | - | - | author : miss key
カウンターテナーに身を任せる
台風が来て田舎の様子が気になった日がな一日、
インターネットで詳細な天気情報が得られるので支障はなかったものの、
年寄りと犬一匹の家ではさぞかし不安だろうと思い、電話してみたら、
コースが上手く逸れたおかげで雨も風も酷くなく済んだとのこと。

こちらはまだぐずついた天気だと報告して電話を置いた途端、すっかり落ち付いてしまい、
溜まっていた家事もそこそこに、ソファに座り込んでしまった。
何か音楽をと自然に手が伸びたのがレーヌの"French Sacred Music (5CD)"。
伸びやかで透明感のあるカウンターテナーでもって、部屋の湿気を追い出してしまおう。

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わたしはジェラール・レーヌ(Gerard Lesne)の声が堪らなく好きだ。
初めて聞いたのはいつのことだったかはっきりとは思い出せないが、
銀座山野楽器でCDを選んでいたときに、 
(他に選んでいたCDのタイトルを眺めながら)「これを貴女にぜひ聴いてもらいたい」
と店員さんが薦めてくれた真っ黒なCDがレーヌのアルバムだった。

中古の音源を売っているお店では、そういうお薦めをしてもらえることはままあっても、
普通のCD店ではあまり経験がなくて最初は驚いたが、
そのときはたまたま余裕があってその1枚を合わせて買うことができたのだった。
うまく運ぶときというのは、得てしてそういうものかもしれない。

今夜のような、窓の外に生温かな風が唸るような晩は、
ひょっとしたら音色の美しいピアノ曲の方がしっくり来るのかもしれないが。

レーヌの歌声で体の凝りがほどなく解れ、ぐっすり眠ることができるだろう。
自分にとっていい音楽は良い常備薬でもあるとは改めて思うこと。
明日は少しでも過ごしやすい1日でありますように。
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親の気持ち子知らずとは
無事、というか、父の一周忌を迎えることができた。
この1年、広義の喪中ということで、
昔ロシア語の先生に教わった「1年の間、何か黒いものを身につけること」にしていたが、
それが昨日でおしまいになった。

母と話していたら、偶々将棋の話になった。
母曰く、父の趣味をわたしは端から喜んで覚えたが、弟はまるで興味がなく、
同じ兄弟でもこれほど違うとは、育て方にそれほど違いはないのにと笑う。

いやいや、これには一言あって、いつか母に話そうとは思っていたことだったが、
わたしの幾つかのわだかまりの1つに、
父から「おまえは手筋が悪いから他人と指すのは止めなさい」と言われたことがある。
しかも、通っていた中学には将棋部があり、
ブラスバンドが無い代わりに入ろうと思っていた矢先のことだった。

「なんでやねん」とは口にはしなかったが、
その時の父のことばには押しの強さがあり、わたしにしては素直に従った。
もっとも、「手筋が悪いと相手の手まで荒れさせるから申し訳ない」とまで言われたから、
当時のわたしとしてはかなり落ち込んだものだった。

思い出話というわけではないが、そのことを母に話してみたら、
母は笑いながら言う。
「それはね、貴方の性格がこれ以上勝ち気にならないように気を遣ったのよ」。
「・・・・・」

わたしはそのことを何十年も知らないで、
そればかりかこのことについては父のことばをつい恨みがましく思ってきた。
父は本当は弟に将棋を仕込みたかったようだが、
端で見ていたわたしの方が夢中になったのは見当違いのことだったようだ。
好戦的な気質が強くなるといけないなどと本当に要らない心配をしたんだろうか。

親の気持ち子知らずとはよく言ったもので。
今の気持ちを何と書けばよいだろうか、後悔でもなければ晴れやかというのでもなく。
ほかにも同じようなことが幾つもあるんだろうなあ、
きっと気付かないだけで、たくさん・・・外に出て星でも眺めたいがあいにくの蒸し暑さ。
思わず遠い目とはこういうことを言うのだ、人生は反省の連続であることを思い知った夜。
よもやま | - | - | author : miss key
四十肩に悩む
春先にレコードの整理をした辺りから、何となく痛み出した左肩。
それから3ヶ月ほどの間にどんどん痛みが酷くなり、とうとう肩が上がらなくなった。
上がらないどころか、着替えるのにも不自由だし、
一番困るのは、通勤電車の中でつり革に掴まれない(届かない)こと!
否、最悪なのは、寝返りを打った際に痛みで目が覚めること!!

さすがに観念して近所の整形外科に出かけたのが数日前。
解ってはいたが、「どうしてこんなになるまで放っておいたんですか!」と怒られた。
若い先生だったが、地域のお年寄りで激混みの最中、丁寧に診てくださり、
「いわゆる四十肩ですね、骨はきれいな状態ですが、肩が固まり始めているので、
かなり根気良く治療を続けないと」と正面から目を覗き込まれるようにして言われた。

潤滑剤のような役割を果たす液体を注射する、という治療もあるにはあるが、
毎日少しずつ、肩の稼働域を広げる運動をするのが良いとのこと。
これが言うは易しで、ものすごく痛い。痛いからなかなか進まないのだが、
大丈夫な右手を介添えにして今夜もまた風呂上がりに一仕事(苦笑)。
適当な棒のようなものを左右の手で掴み、肩全体を動かすような意識でゆっくりと。
秋ぐらいには少し良くなっているといいのだが、
今のところ、低い方のつり革には何とか掴まれるようになった。やれやれ。

四十肩とか五十肩とかいうから年代の高い人の病気かと思っていたら、
姿勢の悪さやストレスも大きな原因となるのだそう。
なので、患者には20代の方もいるし、
また女性の患者にはわたし同様、左肩が痛むケースが多いそうだ。
(これは多分PC操作が影響しているのではないか)

四十肩の先輩として一言!(笑)。
ネット上にはいろいろな運動や治療法が紹介されていますが、
くれぐれもペットボトルを痛む方の手でもって動かすようなことはしないよう。
急激な運動や力の掛け方は炎症を酷くすることはあっても、良くなることはないとのこと。
わたしは「肩が上がらないのは気合いが足りないせいかも、公園の鉄棒にでもぶら下がるか」
などと考えていたが、止めておいて良かった。
秋には快癒に向けて前進していることを期待しつつ、運動に重い腰を上げる熱帯夜の晩。 
よもやま | - | - | author : miss key
暑中お見舞い申し上げます
夏日が年に何日あったのが最近はどのくらいとか(昔に比べて倍以上という話だった)、 
暑さに関する話題は日々事欠くことが無い。
実家の柴犬(10歳)も年齢とともに暑さがとても堪えるようで、
サマーカットというのをしてやれば少しは緩和するのだろうかと訊いてみたら、
毛皮は暑さから身を守るためのものでもあるから、
そんなことはしてはいけないと注意された。
ならば、盆休みの帰省時にお土産としてサマーシート(ヒンヤリシート)を買って帰ろう。


犬の様子をみると、涼しいところを良く知っていて、
体の熱気を逃がすのにこまめに居場所を替えている。
エアコンの涼しい風も嫌いではないようだが、
こういう姿を見ると、それだけでこちらが和んでしまうのはなぜだろう。


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今年も厳しい夏になりそうです。
ビール星人にならないよう、十分気をつけたいと思います。
皆様もどうぞ体調管理に気をつけて。

暑中お見舞い申し上げます。

2011年 夏
よもやま | - | - | author : miss key
ある暑い夏の日のニュースに
最初、この事故の記事を目にした時はまさかと絶句した。
ロシアの夏の風物詩、ボルガの川下りでの大惨事。
ネットで読んだロシアのニュースのトップはいずれもこの事故の模様を伝えていた。 

◆ 事故の記事  http://www.gazeta.ru/social/2011/07/11/3691645.shtml
  (続報)   http://www.gazeta.ru/social/2011/07/11/3691961.shtml


ボルガ川の川下り。
ロシアの旅が好きな人なら、ボルガやエニセイといった大河の川下りを体験した人も多いはず。
今回は規定の乗船人数を大幅に越えた人を乗せたことが原因で船が転覆したのではということだが、
当日は加えて雷雨で酷い天候であったという。
家族や友人同士のとっておきの夏のバカンスが大惨事になるなんて、
それも人や荷物を乗せ過ぎたのが原因だなんて、ほんとうにやりきれない。
資本主義の浸透がこういうところにも良くない影響を及ぼしているとしたら残念でならない。

大河、と一口にいっても、東京の川なんかと比べたら事故のあった辺りはほとんど海だ。
広くて深く、その川底に船ごと身を持っていかれたらひとたまりもなかっただろう。
水辺は眺めてみれば美しいものだけど、深い水に飲まれる恐怖と苦しさは想像を絶する。
月並みな言葉しか思い浮かばないが、
多くの犠牲者の冥福をお祈りし、遺族の方々に心からお悔やみ申し上げたい。

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拙いことばに代えて、何か音楽を。
Cappella Novaが歌うJames MacMillanの作品集。
ロシアの教会で聞いたアカペラの響きとは違うが、
この合唱集も響きがとても美しく、厳かだ。
今夜はもうニュースを読むのをやめておこう。
辛い出来事への耐性というのは、そう簡単に出来るものではないことを思い知った猛暑の夜。
よもやま | - | - | author : miss key
リュートの調べ
梅雨も明けていよいよ夏らしい強い日差し。
ベランダで飼っているメダカ達の食欲もピークで、
朝ご飯だけではとても足りない様子。
各々好き嫌いもあって、特定の餌だけだと食の細い魚は弱ってしまうから、
栄養のバランスの取れた配合飼料と自然由来(フリーズドライ系)のものを取り混ぜて与えている。
今年の夏も暑さが厳しそうだから、体力をつけてうまく乗り切ってくれればと切に願う。

人間(飼い主)の方はといえば、暑さにすっかりダレてしまっている日々。
偽サマータイムのおかげで一日中何となく眠気が取れないでいるが、
部屋に戻ったら、寝るまでの時間までにどれだけ慌ただしい時でも、
1枚は何か音楽を聴いてゆっくりする時間を作るようにしている。
というか、読書だと目が疲れてしまっているせいか、余計に眠くなってしまうから(笑)。


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毎日少しずつ進めているCDのデータ化作業、
時に、こんなの買ったっけ?とか、もう何年も聴いてないというような盤が出て来る。
Lutz Kirchihofのリュートは、もう随分前に古楽ブームの際、好んで買い集めたもの。
ギターをやっている友人が、Kirchihofの演奏技術はさほどでもないというようなことを言っていたけれど、
楽器の上手い下手ではなくて、その奥から聞こえてくるものを聴きたい。

当時、本気で何か古楽器を習いたいとまで思ったのだが、
時間とお金が折り合わず、結局聴くだけに(笑)。
でもいつかテオルボが弾けるようになったらいいな、という夢だけはあって。

古い時代の音楽を現代の楽器を使って演奏するよりは、
当時の楽器かそれに近いものを使っての録音に親近感を覚える。
昔の人はこんな音を聞いて楽しんでいたのかなあとか、想像するだけでも愉しい。

典雅な一方で素朴さもあり、騒音など無かったであろう当時の静かな夜に、
こんな音色が遠くから洩れ聞こえてきたらと思うと、羨ましい限り。
リュートは元々大きな音の出る楽器ではないけれど、
当時であればそれで十分だったのだろう。
大きな音で大勢に聞かせることができなかった点は楽器を廃れさせた一つの要因であろうが、
リュートの響きには遥か彼方、太古の空気まで聞かせてくれるような不思議な魅力がある。

記憶ではもっとたくさんの古楽器演奏のアルバムを買っていたと思っていたのだが、
いざ整理してみるとそれほどでもなくて拍子抜けした。
当時、輸入盤はまだまだ高価だったこと、
そして収入に余裕がなくてアルバムを厳選していたことを少しずつ思い出した。
なので、演奏者は一定のアーティストに偏っている。
きっと、気に入った演奏家で追いかけた方が失敗もないということだったのだろう。

CDを買うようになって25年以上、覚えているようで忘れていることも多いし、
そうでいて、昨日のことのように新鮮に思い出されるエピソードも数知れず。
言えるのは、わたしの生活の区切りには必ず何かの音楽が介在してきている。
いいことにも悪いことにも、悲しいことにも嬉しいことにも。
きっとこれからもそういう風でいるんだろうなあと思わず遠い目になる週末の夜。
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乾きすぎず、かといって重くもなく
暑い暑いと言えば言うほど、蒸し暑さが堪える。
慌ただしく帰宅したせいか、戻ってからは音楽にも涼しさを求めてしまう。


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それほどファンという訳でもないのに何枚かは手元にあるChris Bottiのアルバム。
"When I Fall in Love"、このアルバムではStingがゲストで歌っていたりして、
こういうジャンルの作品としてはすごく流行ったような。

Bottiの音色は、Till Bronnerほど乾いてもなくて、Enrico Ravaのようにウエットでもない。
ニュートラルに、しかもトランペットの音色の美味しいところをさり気なく、というのが、
何とも憎らしい。
このアルバム全体を通してそんな印象を受けるのは、
どの曲もすっきり整理されたアレンジで、響きを存分に味わえる録音だからかも。

いかにも夏向き、というか、
マリガンのナイト・ライツのような熱帯夜御用達というほどでなくとも、
或はお酒を飲んでいても、いなくとも、上手い具合に馴染むのがとても好きだ。
今夜はこのアルバムをこのままかけっぱなしで眠ることにしよう。
おやすみなさい。
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