音の快楽的日常

音、音楽と徒然の日々
空間に焦がれて
1ヶ月間にわたる断捨離が終わって、空間が生まれた。
引っ越してきた当初、広すぎて戸惑ったほどの空間。

広くなったらなったで、またいそいそとその合間を埋めたくなってしまうのだろうか、
いつもの書店で気に入った本を手に取るのがこんなにうれしいものだとはしらなかった。

わずかな地震でぺしゃんこに圧死するシーンを思い浮かべることなく生活できる空間。
7年間かけて、わたしはそれをようやく獲得した。

自分だけに分かる、気に入ったものだけの他人には脈絡のない空間が、
これほどまでに居心地のよいものだとは誰も教えてはくれなかったことだ。

なんでもフランスの作家のジョルジュ・ペレックという人は「無用な」空間を思考して、
つぎのように考えたらしい。

  無について考えようとすれば、
  ひとはたちまちそのまわりになにかを置いてしまうもので、
  そうなると無は一個の穴となり、その穴をまたなにかで埋めずにはいられないのだ。
                              ー『さまざまな空間』

件の書店で眺めた硬めの専門誌に載せられたエッセイに、そんな行が引用してあった。 

***

実は、大掛かりなモノの整理に及んだのは、何も小難しい哲学に嵌ったわけではなくて、
単に身軽になって、いつかは引越をし、そして1匹の猫を飼う生活をしたかったから。

でもいざモノが少なくなって、今より10㎡は狭い部屋でも大丈夫となったのに、
ペット可の近隣物件はかなり少なく、
また極端に狭いか広いかで、広いと家賃が高くてとてもじゃないが払えそうにない。

実は、実は、もしペット可の部屋に移れたら、こんな猫と暮らしたいという妄想もあって、
夜な夜な里親探しのサイトを眺めており、この子はと思える猫も見つけてあった。

引っ越せる先を予めあたりを付けておいてから整理すればよかったのかも知れないが、
いまは少しの筋肉痛と、もう少し多めのがっかりと、
やっぱり猫の居ない現実の生活が目の前に転がっているだけだ。

それでも広がった空間は、さあ埋めてくださいよといわんばかりにこちらを向いている。
わたしは、先ほどの引用のようにとはいわないが、
何かを埋めることでその空間を意味付け、より身近にせんとするのだろうか。
たしかに、溜息つくには少し広くなり過ぎた部屋だ。


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こんなときのBGMには、さきほどの引用元がフランスの作家というわけではないが、
小さな音で聴くミシェル・ルグランがとてもいい。
考えることの邪魔をしないフィット感がなんともいえない。
そういう音楽はそこら辺にありそうで、意外に少ない。

猫の居る生活は夢の中で眺めるとして、
今夜はひとまず店じまい。
日本海側は大雪というが、足下からじんと冷え込む夜だ。
よもやま | - | - | author : miss key
見送りは何となく寂しいもので
断捨離イベントもそろそろ最終コーナー。
今はまだ整理中のものに埋もれているが、
それでも行き先の決まったものから順に「旅立って」 いくので、
それを週に何度か見送る日々。

「行き先を決めて次のオーナーが見つかるように送り出す」
というのをルールにして部屋の中を、というより自分の執着を整理しだして早1ヶ月。
暇つぶしに手に取ったムック本1冊を読んだだけで、
こんなに気分がすっきりする日が訪れるなんて、思ってもみなかったこと。
滅多矢鱈に物を捨てるのではなくて、一つ一つの執着に決着をつけていくこと。
そのことに気がついてどれだけ気持ちが楽になったか。

先週末は使い切れていなかったaudio装置を手放した。
値段も次の方が買いやすいように設定していただいたので、早々に引き取り手が現れた模様。
1つ1つの装置が新しいオーナーさんのもとで活躍しますように。

結果的に、audioはCDとレコードのシステム、それから寝室用の簡易なaudioとミニマムに。
これだって普通からすれば随分贅沢なのだが、なくてはならないもの。
運び出されていく様子は見ていて寂しさもあったけれど、
結果的にこれでよかったとほっとした。肩の荷が下りたというか、何と言うか。


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ロシアの年末恒例番組、ザラトイ・グラモフォン(日本のレコード大賞みたいなもの)。
映像は同じく恒例のピェースニャ・ゴーダのDVDにダイジェスト版が収められているが、
こちらは音源のみの2枚組CD、全43曲。

なんといっても、新旧のアーティストがそろい踏みするだけでなく、
本当に懐かしいというか、
こういう企画番組でなくては滅多に生声を聞けない歌手も出演していて、
例えば、ディアナ・グルツカヤの歌を聞けてただただ感動。

こういうCDを聴いていると、気分は年末というか年の瀬に逆戻りするけれど、
まさに遅れた大掃除中なのでBGMにはちょうどいいかも。
或はロシアもののコンピレーションを試してみたいけれど、
たくさんあり過ぎてわからない!という方にはぜひおすすめのアルバムだ。
通販のショップでは一時的に品切れていたりするようだけれど、
そのうちまた再販されるので気になる方は要チェック。
映像は、Youtubeで"Золотой граммофон 2011"等で検索するとざくざく出てきます。
よかったらお試しを。
よもやま | - | - | author : miss key
夢のつづきは
TVドラマでもないからと、夢の続きを見るのを諦めつつ、寝起きにぼんやりする日々。
寒さも徐々に本格的になり、体も気持ちも重くなる。
こういうときにムリにテンションを上げると、後の反動も大きいから却って厄介。


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田園風景を眺めて電車に揺られる様を想像したいときに聴く1枚、
Heronの1stと続くアルバムをまとめたお得盤。 
なぜ彼らのことを知るに至ったかというと、
よく行く中古レコード屋の壁を時折飾る高価な盤のグループだから。

あまりに高いので気軽に聞かせてとお願いするわけにもいかず、
その中身を聞く機会もなくて随分な時が過ぎたが、
こうして廉価なCDが出ていることを知って手に入れてからは、
小春日和の縁側の猫のような気持ちになれるこのアルバムが聞けてほんとうに良かったと思う。
レコードで聞いたらもっと音がいいかもしれない、というのはとりあえず置いといて。

今夜は週の中日だからか、どっと疲れが溜まってるようで、何の作業も手に付かず。
ここのところ数日続けてCDのスリーブ換装作業をこなしてきたが、今日は店じまい。
明日はいい天気でありますように、良い夢が見られますように。
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螺旋
水路沿いに長屋の建ち並ぶ町を、顔の見えない誰かがわたしの手を引いて進んでいった。
空は薄曇り、寒くも暑くもなく、風はぴたりと止んでいる。
頭を上げても見えない相手の顔、わたしがまだ子供の頃のことなのか。

わたしの手を握るその大きな手は、何度か見たことのある手、
一度も触れたことはないが、指の節の感じが記憶に焼き付いて離れない。
その他には何の温度感もないのに、手だけは温かく、わずかに湿り気のある感触。

やがて町を抜けて、いくつか大きな建物のあるブロックに出た。
立ち止まり、眺め見やったのは、その中心にある古びた雑居ビルのような建物。
ここに来ることが目的だったのか、或は一方的に連れてこられたのかは分からなかった。

引かれていた手はやがて放され、わたしは光の差す方へと階段を上った。
カツカツという音、わたしはまだ子供のはずなのに、ヒールの音が妙に響く。
いかにも重そうな金属の扉が並んでいる。
鋲がたくさん付いた、緑青が吹いたようなその扉は、 まるで監獄のそれのようでもあった。

いくつかある扉を開けてみることもできず、また階段の踊り場へと戻る。
するとさっきはあった気がした別の階が一体何処にいったのか、
階段は捩じれてさらに上に続いていく。
物理的にではなくて、きっとそれはわたしの記憶の捻れだ、そう気がついた時に目が覚めた。

目が覚めて、あの傘を被ったような太陽の表情と錆びた扉の冷たさが浮かんでは消えた。
さっきまで覚えていた、扉ひとつ一つに付された表札の文字も、
いつのまにか遠い記憶の底に沈んでしまった。
何て書いてあったんだろう、思い出そうとして焦れば焦るほど、深く底に沈んで消えた。

時計を見たら朝の5時30分、いつもの時間だけれど、いつもと違う体の固さに閉口。
このままではとても仕事に行けそうにないから、と手が伸びたのはArvo Partの"Alina"。


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このアルバムの4曲目、Alexander Malterの弾く「アリーナのために」。
10分強のこの曲が隅々まで再現できるほど聞き込んでいたわけではないのに、
あの町を訪れ、そして件の建物で迷子のように取り残された最後の瞬間まで、
もしも静かに流れていたとしたらこの曲以外にあり得ない。

随分な距離を歩いたはずが、足下にアスファルトを踏みしめた感触もなく、
今も残るのは、指先のわずかな湿り気と温かさだけだ。
夢などは醒めてしまえばそれまでなのに、
なぜかこのことを忘れてしまうのは惜しくて、あの夢の痕をなぞろうとするが叶わない。
はたと思う、この夢の意味せんとするのはいったい何なのだろう。



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Новый день / 新たな1日
東京へ戻る飛行機の中で、時間つぶしに買って読んだムック本が思いのほか面白かった。
同世代の女性が喜んで買いそうな、いわゆる「片付け本」。
断捨離ということばの意味がいまひとつ理解できなくて、特集本を読んでみたかったが、
単行本ではなく、ハウツーと実例、体験者の感想などが寄せられたムック本は正解だった。
なによりものぐさなわたしにとっては。

減らしても減らしても大して減らない本。
実は年末に母から言われて実家の本を大量に整理した。
父の蔵書もあったが、大半は学生時代までのわたしのもので、
なんとなく手を付けずに放ってあったものだ。

父が急逝して早二度目の正月、若いと言っても年齢をそれなりに受け止めている母は、
物の整理をやれるときにやっておかなければと思っていたのだろう。
ようやくすっきりとした本棚を眺めて、
なぜこれまで手を付けられなかったのだろうと思ったが、
処分できないのは本ではなく、その本にまつわる某かの執着なのだと感じた。

そのまさに、執着を捨てる、という部分が、
先のムック本には手っ取り早くかつ分かりやすく書かれていて拍子抜けした。
否、直前に実体験したからこそ、内容が自然と頭に入ってきたのだろう。
でもって、とうとう東京の住まいの本も思い切った整理をすることにした。

まずは古書店に引き取ってもらえるものと、寄贈するものに分けた。
寄贈本は主に海外で買ってきたものや外国語で書かれたもので入手が面倒なもの、
かつ資料的な価値があるものなど。
ぜひにと言ってくださったところが見つかったときはそれで肩の荷が下りたようだった。
集めるのが大変だったこともあるが、生かされる形での整理がどうしても必要だった。
そして来週には古書店の方が直接車で取りにきてくれることに。
新手の新古書店には見向きもされない日に焼けた文学の類いを丁寧に見てくれるとのこと。
値段にこだわらなければ第二、第三のオーナーの手元にいつか届くだろう。


気分転換に、ロシアものの新譜を。
Шура(Shura)の久々のアルバム、"Новый день"。


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彼はロシアでのテクノポップの走りで、
奇天烈なファッションが目立ち過ぎて音楽が二の次に思われたりするのは損だな、
なんて思いながら聴いていたけれど。

表題曲の"Новый день"は数年前のシングルだったと思うが、
今こうして聴いてみても、自然と口からついて出そうなメロディがいい。
そう、いつか親しんだ日本の歌謡曲のノリがほんのりあったりして。
メランコリックなポップスが妙に耳馴染み良いのは、
古い本を整理していて少々センチになったからかも。




本好きの友人からは、大量に手放すなんてとんでもないとお叱りを受けたが、
自分の経済力で確保できる空間を、既存のもので埋め尽くすのではなくて、
あいた空間を取り戻すことで窓が開かれ、新しいものがやってくるような気がしたのだ。
それが願わくば気のせいではありませんよう。
pop & rock (russian and other slavic) | - | - | author : miss key
A Case of You
去年はあれほど複雑な1年だったのに、 
新年明けてみての過ごし方は、意識せずともいつもの正月だった。 
地元で採れた野菜を中心に料理をつくり、 
他に娯楽と言ったものは特にないので、テレビを見ながらのんびりする。 
テレビ、といっても元旦から駅伝づくし、そしてお好み対局。 
日頃テレビを見ない生活のわたしは、どうやら1年分をこの3日で見ているようだ。 

箱根駅伝、一体いつから見出したのだろう。 
わたし自身は酷い運動神経で運動嫌いだから、自分が走ろうとは思わないのに、 
同じ大学に行くなら箱根駅伝に出てくる学校がいい、などと思うほどであった。 
でも、毎年のようにシード権を獲得し、観戦し応援する楽しみを与えてくれる母校の選手に、 今年ほど感謝した年もなかったろう。 

アンカーが走行中に体調を崩し、沿道の応援客にぶつかりそうになりながらも、 
何度も蛇行し、止まってしまうのではと思えるほど苦しい形相でもがくように前進する様を、
人によっては見るに耐えないと感じたかもしれないが、 
画面をまっすぐ見ることができないほど熱くこみ上げるものが止めどもなく、 
わたしにできることといえば、いつもと変わらずただ愚直に応援を続けることだけであった。
そして過酷なまでの競走が終わり、今年もまた元気と勇気をたくさん与えていただいた。 
また来年も箱根で応援できるという素晴らしい贈り物まで。 

母校愛、というのはいったいどこからくるのか。 
twitterではハッシュタグができ、OBの応援、温かいヤジ、溜息等々が山のように溢れた。 
卒業後、こんなにも母校の応援に熱くなるとは自分でも思わなかったよというつぶやきに、 
右に同じくとただうなづいた。 
海外の学校ではちょっと考えにくいのではないか、という意見もあったが、さて、どうか。 

贈り物といえば、新年早々、意外な音楽のプレゼントをいただいた。 
昨年、CD評でも話題になっていたJames Blakeのデビューアルバム。 

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わたしは彼の音楽をFMでちょっと聴いたくらいしか知らなくて、 
曲の所々、不規則なノックの連続で不思議な脈の打ち方をするのに、 
全体としては生温かなエレクトロニカ、というのが最初の印象だった。 
たしかに、アルバムの1枚目(通常盤)はそんな曲もあったけれど、 
驚いたのはボーナスディスクの4曲目、"A Case of You"。 

歌詞からして新年早々じっくり耳を傾けたくなるような歌ではないが、 
空気が冷えてしんと静まり返った部屋でこの歌を聴くのはわるくない。 
それに、この歌は女性が歌ってこそ、などと長く思っていたが、 
何年か前にIan ShawがJoni Mitchellのカバーアルバムをリリースし、 
彼の歌で"A Case..."を聴いたときには、 
なんでも決めつけてしまうのはよくないと思ったものだ。 
そう、Ianのそれは歌詞が優しく染み込んでくるような歌声だ。 

でもJamesの歌は違う。 
ヒリヒリと、そしてぐっさり刺さるところには刺さったまま、 
生きた血を垂れ流しながら、それでも前を向いてすっくと立ちすくむ様。 
薄汚れもせず、何らやましさのない、凛とした空気よ。 

胸から流れるのが血であろうと、涙であろうと、 
ひとしきり流れて枯れ果てたとき、自然と漏れる笑み。 
それを元気というのは違うかも知れないが。 

2012年という1年は、そういう感覚をずっと忘れないでいたい。
pop & rock | - | - | author : miss key
頌春2012

頌 春 2012.1


新しい年という区切りを、

ものごとについても、或は気持ちの上でも、

これほど必要と感じたことはありませんでした。


新たな1年が多くの人々にとって素晴らしいものになりますよう、

そしてまた今年も多くの音楽との出会いがありますように。


*****

С Новым 2012 годом! 


Дорогие читатели, 


«Ото-но кайлаку-теки нитижо» поздравляет вас с Новым 2012 годом,

 

желает вам крепкого здоровья, удачи и счастья! 




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