空間に焦がれて | 2012.01.31 Tuesday |
1ヶ月間にわたる断捨離が終わって、空間が生まれた。
引っ越してきた当初、広すぎて戸惑ったほどの空間。
広くなったらなったで、またいそいそとその合間を埋めたくなってしまうのだろうか、
いつもの書店で気に入った本を手に取るのがこんなにうれしいものだとはしらなかった。
わずかな地震でぺしゃんこに圧死するシーンを思い浮かべることなく生活できる空間。
7年間かけて、わたしはそれをようやく獲得した。
自分だけに分かる、気に入ったものだけの他人には脈絡のない空間が、
これほどまでに居心地のよいものだとは誰も教えてはくれなかったことだ。
なんでもフランスの作家のジョルジュ・ペレックという人は「無用な」空間を思考して、
つぎのように考えたらしい。
無について考えようとすれば、
ひとはたちまちそのまわりになにかを置いてしまうもので、
そうなると無は一個の穴となり、その穴をまたなにかで埋めずにはいられないのだ。
ー『さまざまな空間』
件の書店で眺めた硬めの専門誌に載せられたエッセイに、そんな行が引用してあった。
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実は、大掛かりなモノの整理に及んだのは、何も小難しい哲学に嵌ったわけではなくて、
単に身軽になって、いつかは引越をし、そして1匹の猫を飼う生活をしたかったから。
でもいざモノが少なくなって、今より10㎡は狭い部屋でも大丈夫となったのに、
ペット可の近隣物件はかなり少なく、
また極端に狭いか広いかで、広いと家賃が高くてとてもじゃないが払えそうにない。
実は、実は、もしペット可の部屋に移れたら、こんな猫と暮らしたいという妄想もあって、
夜な夜な里親探しのサイトを眺めており、この子はと思える猫も見つけてあった。
引っ越せる先を予めあたりを付けておいてから整理すればよかったのかも知れないが、
いまは少しの筋肉痛と、もう少し多めのがっかりと、
やっぱり猫の居ない現実の生活が目の前に転がっているだけだ。
それでも広がった空間は、さあ埋めてくださいよといわんばかりにこちらを向いている。
わたしは、先ほどの引用のようにとはいわないが、
何かを埋めることでその空間を意味付け、より身近にせんとするのだろうか。
たしかに、溜息つくには少し広くなり過ぎた部屋だ。
こんなときのBGMには、さきほどの引用元がフランスの作家というわけではないが、
小さな音で聴くミシェル・ルグランがとてもいい。
考えることの邪魔をしないフィット感がなんともいえない。
そういう音楽はそこら辺にありそうで、意外に少ない。
猫の居る生活は夢の中で眺めるとして、
今夜はひとまず店じまい。
日本海側は大雪というが、足下からじんと冷え込む夜だ。