音の快楽的日常

音、音楽と徒然の日々
三寒四温とはいうものの
もうあと一週間で4月だというのに、未だ暖房を止められず。
この一週間で進んだものといえば、花粉アレルギーの症状くらいのもので、
いくら年度末と云えども、やってもやっても崩しきれない仕事の山に辟易。

昨日はいつもお世話になっているレコード店のバーゲンだったから、
そのくらいは行こうと結局3時間ほど出かけたのだけれど、
帰ってきてから椅子に座ったまま眠りこけていたようで、
気がついたら窓の外はすっかり陽が落ちてしまっていた。

買い求めたレコードのチェックもそこそこに、手を伸ばしたのはロシアのグループの1枚。


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"Зимавсегда"(Zimavsegda)はサンクトペテルブルクのブルース・ロックグループ。
FMラジオのストリーミング放送で彼らの歌声を聴いて一発でやられてしまった。
ロシアのグループにあるような土の香りがするサウンドからは少し遠く、
リードボーカルの声は、そう、子供の頃に食べた砂糖菓子のような甘ったるさと、
都会的な気怠さが同居している。

2011年にリリースされた"Доброжелатель"は彼らにとって2枚目の作品。
Bomba-Piterという、やはりペテルブルクのレーベルのもの。
ここからはちょっと尖ったことをやっている若手ミュージシャンの作品がいろいろ出ていて、
内容の良いものは海外でも売られているから、
オルタナやパンク系の外盤を漁っていて偶然CDを手にしていたりするかも。

わたしが好んで聴いたロシアの歌謡曲(エストラードナヤ)はもう今は昔。
だから音源探しもそこそこになってしまっているのだが、
時に犬も歩けば棒に当たる的な出会い方でもって、
例えばЗимавсегдаに行き当たったりするから、
もう止めようかなと思いながらもやっぱり止められないでいる。




ギレリスやリヒテルのピアノの調べは、
時空を超えてロシアの深淵なる世界に誘ってくれるが、
例えばЗимавсегдаは、彼の地に今吹いている風の匂いを伝えてくれる。

明日は少しだけ気の思い月曜、
ぐだぐだの頭を彼らの音楽で今夜もまた強制終了してもらおう。
いつもながら音楽に救われる夜、来週はもっと暖かくなりますように。


■ Зимавсегда Official Site Video Crip
pop & rock (russian and other slavic) | - | - | author : miss key
Islamey
今年の「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」はロシアの音楽がテーマ。
既に先行チケット販売も始まっているが、気持ちの上での予習というか、
気分を盛り上げるきっかけになればと、
亀山郁夫さんの新著『チャイコフスキーがなぜか好き』を読んでみた。

いくらロシアがテーマだといっても、音楽を語るとなるとどうだろう、
途中、分離派ということばが出てきて一体議論がまとまるのかどうかと思ったが、
後半は近現代のロシア音楽家が順を追って紹介され、
ところどころ見え隠れする横糸には著者自身のエピソードが織り込まれているあたり、
先に出たドストエフスキー本の構成をうんと丸めたような格好に思える。

或る種のノスタルジーが底にあってのこと、
ロシア音楽の濃いガイドブックを期待して読み進めると少し違うと感じるかも知れないが、
それほど気張らず、お茶でも飲みながら、
歴史上の出来事とロシアの音楽事情、そして作曲家、演奏家のつながりを大まかに掴むには、
手頃な量だ。


具体に書くとネタバレになってしまって申し訳ないので、かいつまんで。
いくつか紹介されていた音源のうち、最も気になったのがバラキレフのイスラメイ。
手元にはアンドレイ・ガヴリーロフの録音がある程度だったが、
いくつか知っている中ではポゴレリッチの演奏が1番、という行があって思わず映像を検索。

実は、今年5月に来日予定があるポゴレリッチのチケットをどうするかぐずぐずしていて、
迷ってる場合じゃないな、もうこれは、などとまたしても独り言。
聴きにいくのに覚悟というか勇気というか、
或る種の気持ちの整理がいる音楽家はそうはいないだろう、
わたしにとって彼とはそういうピアニストなのだ。

イスラメイという曲は、打鍵の様子を想像するだけで手の筋が引きつりそうだ。
改めて1曲としてじっくり聴いたことはなかったが、
ポゴレリッチの演奏を聴いてただ納得した。
例えば、同じ曲をベレゾフスキーが演奏したものと比べてみても。

3月という月はあまりに忙しく、週末の2日間があまりに短く感じられる。
さて、もう一度イスラメイを聴いてから寝るとしよう。



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手元に残したのは
わたしの使っているLINNというaudioのメーカー公式サイトが、
いつだったか、急におしゃれなデザインになって、
いくつかある表紙の中に、カセットテープつくってます、的な(TDK C90で)写真がある。
それを見た瞬間、「あーこういうこと、やったやった、なつかしいよね〜」
と、誰も周りで聞いていないのをいいことに、独り言することひとしきり。

10代の頃のリスニング環境は、お年玉を貯めて買ったSonyのラジカセがメインで、
その後、ダイアトーンのモジュラーステレオでレコードからもテープを作れるようになった。

オリジナルのテープを作ることに熱中したのは、
多分、NHK-FMのクロスオーバーイレブンの影響。
いろんなエピソードと音楽を組み合わせて一つの物語にまとめていく楽しみ、面白さ。
それをまるで箱庭を作り込むような気分でもって、あれこれ好き勝手に組み合わせていく。

そういう愉しみが長続きしたのは、
作ったテープを面白がったり、喜んでくれたりする友人がたくさんいたからだろう。
聴いた音楽の感想を言い合ったり、紹介しあったり。
或は凝りに凝ったその裏の裏まで理解してもらえたり。

わたしは絵心に乏しい人間だけれども、
テープのラベルやカードも、当時同年代の女子間で流行ったレタリングを練習してみたり、
或はタイプライターでクラシックなものにしてみたりと、それなりに綺麗に仕上げていた。
今思えば、それだけものを思ったり考えたりする気持ちや時間のゆとりがあったのだろう。

***

そんな過去をどこかに引きずりつつ、
或はFacebookで知り合った音楽ファンのすばらしいカセットコレクションに溜息しつつ、
今手元に残した唯一のカセットテープをぼんやり眺めている。


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実は、これは音楽ではなくて、パウル・ツェラーンという詩人の自身による朗読の記録だ。
なので、詩人の肉声が、まさに肉声が記録されている。
わたしと詩人との関わりがどのようなものであるかはさておき、
他のテープは痛みが激しかったりということもあって全て処分してしまったが、
大学卒業後、恩師より贈られたこのテープだけは、
どれだけ時間が経っても特別であり続けるだろう、そう感じて保管箱にしまってある。

彼の書いた詩(あくまでも翻訳を読んでのことで、原典のドイツ語では読めていない)の印象と、寸分隔たりのない声音、息遣いの湿り気と表現しがたい生温かさ。
その朗読が、詩人の死の直前であったことと関連があるのかどうかもさておき、
ドイツ語が読めないわたしでも、音を覚えてしまうほどの焼き付き具合に、
暗い川の淵から手招きされているような怖さすら覚えるといったら大げさだろうか。

このテープを聴き終える頃には、
彼が身を投げたセーヌ川のほとりに立つ自分の姿を思い浮かべ、
< そんなところには行ったこともないのに
終いには夢と現の区別すらおぼつかなくなる。
わたしにとって、この60分ほど様々な思いが凝縮されたテープは他にはない。

***

今はPCで、プレイリストという名のオリジナルセットをしこしこ作ってはひとりごちている。
そこにはレタリングもなにもないけれど、
或は一見何の脈絡もない音楽の寄せ合わせであるかもしれないが、
もしも誰かに、思いや気分のようなものが伝わったとしたらそれほど嬉しいことはない。

  ・・・茅屋と星とが、
  その間にもう道が通されたように、
  青空の中で隣り人同士のように出あって、
  よりそって立つところに。
      (パウル・ツェラーン「ぼくらも行きたい」より)
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無題
やっとお日様が見える天気になった日曜。
冬眠状態から醒めてそろそろ泳ぎにも力が入ってきたメダカの池や水槽を掃除しなくては。
水温の低い間はメダカの体力を削いでしまうので水換えができない。
11月後半からだから、およそ4ヶ月の間、足し水だけで凌いできた屋外のプランター池。
気温が上がると同時に、あまり良くないコケも増えだしたので、
今度天気が良くなったら必ず掃除をと決めていたのだった。
 
屋外に2個、そして室内に体力のないメダカ用の水槽が1つの計3つ。
ベランダで水を流せるので掃除の場所には困らないが、
中腰で3時間近く作業したのですっかり腰に来た。
それでも、綺麗になった池や水槽で気持ち良さそうにゆるゆる泳ぐ様子を見ると、
そんな疲れもどこへやら。

後片付けの途中、ご近所の防災無線のスピーカーが一斉に鳴りだした。
今日は大震災から1年の日、手を止めて東の空に向かって黙祷する。
サイレンやアナウンスが共鳴する様が、何となく物悲しくて、
先週末参列した葬儀の見送りの様子を思い出した。





ハルモニア・ムンディからリリースされた"Sacred Music"というBox Setの26枚目、
"19th and 20th Centuries (2)"の後半に収められた、
ベルギーの指揮者、Philippe Herreweghe率いるコレギウム・ヴォカーレ・ゲントの
ブルックナー、モテット集。

ヘレベッへという人の作品は、偶然、フォーレのレクイエムを探していて行き当たった。
その後見つけたブルックナーのシンフォニーも素晴らしかったが、
この合唱曲の美しさ、透明感。
そして、隅々まで浸透する力は、決して引きつるような緊張感ではない。

思えばこの1年、合唱曲をこんなに聴いた年はなかったというくらいたくさん聴いた。
自分にいったい何ができるんだろう
そんなことを繰り返し、答えもないまま愚直に問い続けた1年間、
わたしは、実は自分のほんとうの声を聞きたかったのではないか。

物事にかかわっていくということの容易でなさを痛感しつつ、
できないことをやろうとするのでなく、やれることから1つ1つやってみようと決めた。
目の前の一歩が見えたような気がして、ほんの少し肩の力が抜けた休日の夜。
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春を待つ
夜の冷え込みもそこそこに落ち着き、暖房が恋しいというわけでもなく。
水槽のメダカの様子を眺めていると、春がもうそこまで来ているのを感じるけれど、
でもまだ手を伸ばして届くわけでもなさそうだ。

ちょっとした暇を見つけては、手元のCDをデータ化し、
毎夜あれやこれやと画面上で選び出しては少し前の音源を楽しんでいる。
今夜は春先取りの艶やかな弦楽演奏で疲れを癒してくれる、Gidon KremerのLive演奏で。
Gidon Kremer Editionの9枚目、MartynovとLourieの曲集だ。


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この演奏を聴いて思い出すのは、随分昔に訪ねたウクライナの田舎町。
玄関先の庭敷にはアヒルやにわとりが何羽も放してあって、
刺繍の可愛らしいエプロンを着けたお婆さんは、
小さな子供になにやら話しかけている様子。

昼食を出してくれる小さなレストランにいくには、バスを降りて少し歩くのだけれど、
そこで出されたパンとイチゴジャムの美味しさがいまだ忘れられない。
良い香りのする花が飾ってあったが、地元のことばで何といったんだか・・・。

もう二度と当地を訪れる機会はないだろうけれど、
春待ちの気分は遠く過ぎ去った旅の想い出を反芻するのとどこか似ていて、
ちょっと落ち着かない感じが却って良かったりする。
こんな晩は、ピアノや管楽器じゃなくて、弦が良いのかもしれない。
BrilliantからリリースされているKremer Edition、お勧めです。
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Works for Violin and Piano / Yevgeni Svetlanov
昨日書いた20枚のうち、何より手にして嬉しかったのはこの1枚、
エフゲーニ・スヴェトラーノフの自作自演盤。


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ジャケットはいかにもなメロディアの廉価盤によくあるジャケット。
地味だし、大量の新着の中でこれを引き抜く方はよほどスヴェトラーノフが好きな方か、
或は彼のピアノ演奏の盤を探しているような方か、いずれかでは。

わたしは彼のファンだけど、彼のピアノもとても好きなので、
見つかればどんな状態の盤でも買うことにしているが、これがようやく3枚目。
もともと、ピアノ演奏の盤はそれほど出ていないと聞いているが、
彼の指揮者としてのディスコグラフィーはいろいろあっても、
ピアノ演奏の方は自分で作るしかないのかな、などと思ったりもしている。


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この作品は、スヴェトラーノフ自らの作曲で、ヴァイオリンとピアノの3曲で編まれている。
ピアノ演奏盤自体少ないが、自作というところがやはり珍しいのか、
タグにもその旨が記されていた。

共演のヴァイオリニスト、Eduard Grachという人のことはまるで知らないが、
二人の演奏は、今日のような雨が降って寒い日ではなくて、
天気のよい、眠気を催すような昼下がりのひとときに聴きたい、そんな音楽。


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陰影のある美しいメロディで、ほんのりメランコリックな感じが、
彼がよく取り上げるグラズノフにどことなく似ている気もするが、
楽器の響きを包み込む空気の匂いがいかにもロシアそのもので、
わたしのような人間はそれだけでも口元が緩むのを抑えられない。 

特別な高音質盤でもないし、
或は、これ以上ないというような緊張を呼ぶような演奏でもないかも知れないが、
こうしたレコードが壊れて朽ちてしまうのではなくて、欲しい人のところにやってくるのが、
不思議でもあり、幸運に感謝せずにいられない。
もう一度、このレコードを聴きたいけれど、楽しみは明日にとっておくとしよう。
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こんな日もある、という大漁の1日
用があって北関東に出かけていたが、思っていたより早く都内に戻れたので、
久々にディスクユニオンのクラシック館へ立ち寄った。
本気で何か探しにいくというよりは、軽い気持ちの巡回だったのだけれど、
新着箱の並ぶ棚を見終わるのに1時間半以上もかかり、
結局、いつもの箱を覗く気力もないほどたくさんのレコードが見つかった。


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欲しいと思って抜いた30数枚から状態の今ひとつの盤を戻し、
結果的に購入したのが20タイトル、写真はその1部だ。

どこかの資料館だか、整理の良い個人所有の盤でまとまった処分品があったのだろうか、
新着にこれほどたくさんロシアものがあるのは珍しい。
また、それ以外にも、とてもじゃないが持って帰れないしお金もないしで諦めたのが、
ハルモニアムンディのワールド系の盤。
音も状態も良かったので、見つからない度合いでいえばこちらが先だったかもしれないが、
別に高いものでないにせよ、例えばスヴェトラーノフの自作自演盤は目にすることが少なく、
あったとしても状態が今ひとつだったりするので、こういうのは見つけた時に捕獲必至。

というわけで、うれし悲しの選盤はお会計まで約3時間、体力も気力も尽きた。
嗚呼、こういうことがあるから、巡回を欠かしてはいけないのだ。
ひょっとしたら今年の盤運を使い切った感もあれど、
性懲りもなく、次の週末もチェックに行こうなどと頭の中はいろんな想像でいっぱい(笑)。

それにしても、大量の盤のチェックをのろのろやっていても、
偶々お客が少なかったこともあって、店員さんもにこにこしながら許してくれている。
安いレコードだから中身をチェックするほどでもなかったのだが、
枚数を減らすためには状態で切り捨ててしまうしか方法がなかったのだ。

今回手に入れた盤は、好きな演奏家のものがほとんどだが、
いくつかは高音質で評判の良かったものなどもあったりする。
前オーナーのメモだろうか、雑誌のレコード評だったり感想だったりが挟まっていて、
そういうちょっとしたものが盤の来し方ゆかりを思わせ、温かい気持ちにさせてくれる。

それにしても、思わぬ大漁の1日。
どうか盤運がこれで尽きてしまったのではないようにと、今は祈るばかりだ。
レコードの話 | - | - | author : miss key
本の処分について
以前、「断捨離」の作業について書いた中で、
本の処分について、いくつかお問い合わせをいただきました。
本の好きな方は、大量の蔵書をどうしたものか、場所は取るし、さりとて捨てるなんてと、
悩みはつきません。
わたしも今年の作業では、押入の半分くらいを占拠していた本を手放しました。
参考になるかどうかは分かりませんが、メモの意味でもう一度整理します。

今回、わたしの一連の作業がうまく進んだのは、
何と言っても物差しをきっちり決めたことに尽きます。

まずは、手放す本と残す本の基準。
もう一度読みたいか、資料として必要か、特に思いでのある本か、
いずれかに該当すれば残しました。
但し、最終的に表に出している本の量は、90cm幅の本棚1本分で、
特に頻繁に読みはしないがとっておくものは、数箱分のみ、押入に仕舞うことにしました。
なので、元々、見えるところにあった本棚3本分のうち、
2本分近くも併せて手放したことになります。

それから、手放す本の分類です。
時間がない場合はブックオフ等の引き取りサービスでの一括処分等が便利ですが、
できるだけ次のオーナーさんを探すという方針で整理したので、
 身近でその本を読んでくれる知人に渡せる本、
 図書館などで寄贈を受けてくれそうな本(流行小説、資料的な価値のあるもの、洋書等)
 ※一般の図書館や、被災地引き受け、それから大学の図書館(洋書はこちらへ)
 古書店(小説や専門書などはブックオフだと厳しいです、なるべく得意分野の古書店を
     探すのが、次のオーナーさんを見つけて貰いやすく、値もつきます)
 ※もし時間が許すならば、本によってはamazonのマーケットプレイスというのもありです。
 最後に残ったものから痛んでいないものをブックオフ等の大手古書引き取りサービスで、
 痛んでいてどうしようもないのは週末の資源引き取りに拠出
という順で、仕分け、そして引き取りを依頼していきました。





使わなくなった書棚(わたしはホームエレクターを使っていました)は、リサイクルへ。
わずかな手数料で次のオーナーさんを見つけてもらえる地域のNPOにお願いしました。
大きな地震が来たときの対策として、背の高い家具はぐっと数を減らしましたが、
スチール家具を止めて、本の売却収入でもって木製の本棚に買い替えました。
エレクターと違い、棚割りも本の大きさを意識しているので、収納効率もアップしました。

以上が、主だった作業の流れです。
本の分類と発送などに1月半ほどかかりましたが、一度にやると筋肉痛が酷いので、
大きな作業は週末に、細かな分類は夜のあいた時間に少しずつ進めました。
実際には、CDのキャビネットの処分なども平行して進めたので、
部屋は数日単位でドラスチックに変化していきましたが、
それがかえって作業を捗らせてくれたような気がします。

逆に作業があまり捗らないとすれば、それは基準が明確になっていないからだと思います。
基準づくりは各々の考え方や蔵書の種類、量にもよると思います。
また様々な引き取り先はインターネットで検索すれば探せます。
せっかく手元にやってきた本だから、捨てるというのではなく生かす方向で整理すれば、
オーナーさんの気持ちの整理もつくのではと思いますし、わたしの場合はそうでした。

断捨離というと捨てることばかりがクローズアップされるような気がしますが、
ある種の執着にケリを付けるということであって、
物の処分そのものが重要というわけではないと感じています。
でも、手放した結果、新しい空間が生まれ、
わたしの場合はまたいろいろな本が読みたいなと自然と意欲が沸いてきたのは、
思わぬ副産物でした。

ざっとの流れですが、お問い合わせいただいた本好きの皆様にも何か参考になれば幸いです。
よもやま | - | - | author : miss key