音の快楽的日常

音、音楽と徒然の日々
青空が見えるような
音楽が好きな方のblogなどを梯子していて時折見かけるのが、
レコードを枚数限定しているという話。
枚数は人それぞれだけど、100枚とか400枚とか、
そういう数でとても収まらないような音楽ファンの方のようなのに、
一体どうやって絞り込んでいるのかと興味津々である。

そういう方に限ってということでもないのだろうが、
血の滲むような日々の努力(?)は微塵も見せずして、
美しく整った棚を背景に優雅にリスニング、を思わせる書きぶりで、
そんなことが実現できるものだろうかと、やはり興味は尽きない。

新譜を余り聴かなくなったとはいえ、音源は自然と増えていく。
もし枚数を限定すれば、当然入れ替えが発生するわけで、
優先順位がはっきりしていればできなくはないのだろうけど、
どの盤にも濃淡はあれ執着というものがこびり付いている。


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ないものねだりではないが、穏やかに晴れた空が見たくなると、
― 真夏のスカッと晴れ渡った濃い青ではなくて、
  ほんのり霞がかかったような優しい水色の
そういう時には決まってこの盤が聴きたくなる。

スタン・ゲッツの音色は好き嫌いあるだろうけど、
癒されるといったらコンコード時代の彼のレコードはどれも甲乙付けがたい。

今日は今日で午後はどんより曇った空を高層ビルの窓から眺めながら、
頭の中では水色の空に置き換えながら、
"Blue Skies"を心の中でそっと鼻歌してみた。

こうしてぱっと頭に思い浮かぶ盤がたくさんあって、
きっとカードにしたら両手に握れないくらいたくさんあって、
やっぱりわたしには盤数限定なんて真似は到底できそうにない。

そんなことをつらつらと考えていたら休憩の5分があっという間に過ぎた。
平和というには余りにも平和で申し訳ないような1日。
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備忘録とよもやま
今週末は溜まっていた用事をとにかくこなす2日間となった。
なぜか3月あたりから矢鱈と忙しく、慌ただしいことこの上なくて、
いつもならとっくに用意しているはずのメダカの水草の調達もままならないでいた。

メダカ用の水草、産卵の時期なので、ホテイアオイやアナカリス、
それから今年初めてアマゾンフロッグピットという浮き草も入れてみた。
大半が4歳を迎えた春、この産卵シーズンが見納めになるのだろうか、
そう思うと、のんびり泳いでいる姿をいつまでも眺めていたくなる。


実家から電話があった。
番犬にはならないけれど、番犬として飼っている柴犬のこと。
間もなく11歳の誕生日を迎えるが、先月の春の嵐が2日続いて以来、体調がおかしいという。
夜になると震えだし、外に出たがったり、部屋の隅に無理矢理隠れようとする。
あれほど楽しみにしていた晩ご飯も口を付けないのだという。
でも朝起きてみれば、いつものように元気に散歩に出かけ、快食快便とのこと。
でもなぜか夕飯時から震えが止まらなくなる。

ネットで調べてみたら、同様の症状で困っている飼い主さんの質問などがいくつかあった。
いずれにせよ、大きな病院できちんとした検査を受けた方が良いとのことだが、
心因性の可能性も大きいようで、
特に、うちの犬は雨風の音がとても苦手で、台風シーズンは大変な騒ぎになる。
怖がりと一口に言っても、ここまで怖がるとはと見ているのも辛いほどで、
昨年は地震で揺れた際に家の中の音ができるだけ小さくなるよう、
建具を直したり、ガラスをアクリルに変更したりとリフォームもしたのだが、
彼に取ってはやはり雨風の音は堪え難いのだろう。

思えば昨年の大地震以来、田舎でも震度4クラスの地震が頻発している。
もともと神戸ではなく、田舎のあたりに大地震がくると小さい頃から聞かされている地域で、
そのくらいは驚くほどでもないが、とにかく頻度が高まっていると母も不安を口にする。

犬は、あの大地震以来、周囲の人間の様子や増えた地震の揺れ、
そして季節の変わり目に荒れがちな天候の何やかやで、
繊細な神経でもって人間にはわからないいろんなことを感じ、
受け止めきれなくなっているのだろうか。

母も犬も日頃の生活に何不自由なくても、心穏やかに過ごせないでいることを、
遠く離れた東京から何とも歯がゆく思う。
二人とも、否一人と一匹は多少の不安があっても住み慣れた田舎を離れたくないというので、
しばらくはマメに帰省して様子をみるしかないと、
またしてもメダカの様子に癒されながら、反省とも言えない反省をしつつ溜息する。

春が来る度に同じようなことを考えているが、
あの大地震から1年というこの時期だからこそ、重いものがある。
だからといって抗えない流れのようなものがあることを重々承知してはいても。


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よもやま | - | - | author : miss key
桜が散ったからというわけでもないが
散り際が美しいのは何も桜の専売特許ではないが、
はらはらと散り往く花びらの様を眺めていると、
乱暴な言い方をお許しいただければ、
やっぱり、日本人に生まれてよかったな、と思うのだった。

寂しい夜桜散歩で戻りついた部屋で、にわかに聴きたくなったのは、
Gidon KremerのBach。
新旧の録音があるけれど、私はこのジャケットの旧譜のほうが好きだ。

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同じ曲の演奏を演奏者違いで何枚か持っているが、
一時期はミルシテインでばかり聴いていたのが、
最近はKremerの演奏がぴったりくる。

静かな部屋でこんな音楽を聴いていると、矢庭に人恋しくなったりもするが、
そんなセンチメンタルを愉しみつつ、ぼんやりする時間が贅沢に思える。

頭の中を真っ白にしてしまいたいとき、
ただひたすらこのアルバムに没入する。
最後の1曲が終わるとき、残るのはただ曲や音色の美しさだけ。
その感覚が忘れられず、相も変わらずこうしてこの演奏を聴くのだ。
さあ、後は泥のように眠ってしまおう、朝がまたしてもやってくる前に。
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大人買い
最近、朝から、例えばヒンデミットが聴きたくなったりする。
聴きたいものの感じが変わってきたのかな、
朝起き抜けからバルトークやストラヴィンスキーが聴きたい、などと言うと、
それはちょっと変だと友人たちに笑われたりする。

聴きたいときに聴けるように

そういう意味合いで今のLINN DSというシステムに乗り換えたので、
ヒンデミットはともかく、
バルトークやストラヴィンスキーのレコードが手元に何枚かはある中で、
朝からレコードは慌ただしいから(否、慌ただしい中、レコードは大変だから)、
やっぱりCDで音源を揃えたいよね、と思っていたら、
ブーレーズのBox Setがこぞって再発となった。

これを買わずして、というほど安くはなかったけれど、
1枚1枚集めるのは面倒だし、コンパクトな箱に収まっているのも魅力だからと、
3つの箱を大人買いした。


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3つあるうち、朝用は左から2つで、ラヴェルとドビュッシーは、わたしには夜の音楽だ。
朝と夜の区別が、はっきりあるわけではないけれど。

このBox化に合わせて特にリマスターされているというわけではなさそうだが、
暗騒音のおかげもあるのか、迫力質感とも十分。
朝だと音量もかなり抑えめだけに、気配のようなものが感じられやすいのがいい。

さて、この20枚ほどあるCDを手早く取り込んでしまわなければ。
慌ただしい時期ほど面倒なことがやりたくなる、困った性格はもう直しようもなく。

それにしても朝からヒンデミットなんて、やっぱり春だから気分が落ち着かないのだろうか。
理由は考えてもやっぱりわからない、なので春のせいにしておこう。
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桜散歩
この週末は天気にも恵まれたので、久しぶりに近所の桜巡りをした。
こうしてのんびり散歩できる境遇に感謝しつつ、
樹一本、一本を見ながらあちらこちら足をのばした。 


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ソメイヨシノの淡く儚い花の色にも惹かれるが、
こうして新芽の鮮やかな緑に薄赤が映える様子もそれに劣らず美しい。
光目映いこの季節に生まれたことを心から幸せに思う。

次の週末には花の勢いも落ち着いていることだろう。
夜桜を楽しめるのもあと1週間あるかどうか、
できるだけ時間を作って桜の下を歩こうと思う。


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よもやま | - | - | author : miss key
今年は何番が
ロシアなものに惹かれる性分は、もう随分子供の時分からのもので、
気がついたら今に至る、そんな感じだ。
なので、どうしてロシアなのですか、と訊かれてもうまく答えることができない。
何せ自分の頭や心の中身を意識してものを考えるようになった年頃以前の話だから。

先頃ようやく文庫になった『銃・病原菌・鉄』を読んでいると、
肝心の主張から逸れて、ものごとには何でも始まりがあるんだなあと実感する。
何千年もの単位で物事を整理できる、歴史を俯瞰して研究している方々は
「わたしがなぜロシアに惹かれるのか」なんて随分と些細なことではあるが、
それは意外に自分の「起原」に近いことのようだから、気になっていたりするのだ。

そんなわたしの中のロシアを再認識というか、目を覚まさせてくれる1枚を。
スヴェトラーノフ指揮、スウェーデン放送交響楽団の演奏でブルックナーの9番。


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この組み合わせの録音は昨年あたりからシリーズで出されていて、
レスピーギの三部作も凄い迫力で一度聴いたら忘れられないけれど、
なんといってもブルックナー9番、わたしは9番が好きだから、というのもあるけれど。

以前はブルックナーの4番が好きで、数年後に7番が好きになり、今は9番がいちばん。
年齢や気分の問題なのか、何なのか。
マーラーもそうだけど、何番が好きかというのが年を追うごとに変わっていくのが不思議。
クラシックが苦手な中で、何故かマーラーはとても好きになり、
2番からだんだん他の交響曲も聴けるようになった。

さて、ロシアのオケと違うのは、競り上がるような迫力もさることながら、
響きの合間に漂う陰影というか独特のほの暗さ。
美しいといったらそれまでだけど。

こんな夜遅くに再生するような音楽ではないけれど、
(もちろん音量はかなり抑えめであるけれども)
やっぱり夜も深まったこの時間帯あたりからやたらと聴きたくなるのがこの9番。
最近は朝起き抜け一番にヒンデミットが聴きたくなったりするから、
どこか頭のねじが一つか二つ外れて飛んでしまっているかもしれないが。

これを聴き終わったらおとなしく寝ることにする。
今週はとにかく長かった。
来週からは何もかもが本格スタート、週末のプレイリストを思い浮かべつつ寝台に潜ろう。 
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夢想
わたしには誕生日が2つある。
1つは戸籍上の、もう1つは本当の。
何のことは無い、あと10分かそこらで日付が変わる夜中に生まれたのが、
4月1日にするか、日をまたいだ2日するかの選択があって、後者が選ばれただけのこと。
意外に同じ例があるらしいことを随分経ってから知り、
世の中に親の気持ちほど有り難いものはないというのは本当だと思った。

誕生日にたくさんの方からメッセージを戴けるのは本当にしあわせなことで、
何と言っても今日というその日に元気でここに居るということが、
ことばを通じてあらためて実感されるようで、お気遣いいただいた方々には感謝あるのみ。

そういえば、不思議な夢をみた。
聴衆はたった一人、わたしのみのステージで、
とあるピアニストがメトネルのSkazki,Op.42,No.2を弾いてくれた。
嗚呼、なんという幸せ、この曲はメトネルの中でも一番好きな曲だ。

深みのあるコバルトブルーのスーツを纏ったピアニスト、
でも、彼の実際の録音の中にその曲は多分ないように思う。
この曲を彼が演奏してくれたなら、
なんて勝手な妄想(否、妄想は元々勝手なものだ)をして、
ついには都合の良い脳内変換にて夢に現れてくれたのだろうか。

どうか、この夢が醒めませんようにという願いも空しく、
目が覚めたらいつもの朝5時半過ぎ。
嗚呼いっそのことピアノの鍵盤になれたなら。
**回目の誕生日、夢の痕にほんの少し胸が疼く夜だ。
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春の嵐、それから
昨日の強風、あれは一体なんだったのだろう。
雨は一瞬ぱらついたが、日がな一日轟々と凄い音をたててあちらこちらに強く吹く風。
ベランダの大きな鉢植えは塀にもたれかけてあったのにもかかわらず見事に倒れ、
プランター池のメダカは水底に身を寄せてじっとしているのか、一匹たりとも顔を見せない。 
悪天候というのがそれだけでもわかるけれど、
台風の季節でもあるまいし、春一番というのでもなさそうだし。
こういう日は音楽を聴いていても音がかき消されてしまうからと、
ついつい言い訳をしつつ惰眠を貪った。

今日という日曜は一転して快晴、近所の桜もつぼみがいい具合に膨らみ始め、
こういう暖かでいい天気の休日は、誰に言われなくともレコードに手が伸びる。
もう何十年もそうしているかのような習慣めいて、違和感というものがまるでなし。
何が変わるか違うかと言えば、その時々に聴く音楽だけれども、
レコードで音楽を聴くことを再開して約10年、
無意識のうちにも自分の根っこに近いところの音楽を捜してきたような気がする。


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ここしばらくの愛聴盤を並べてみたら、何と見事にGilelsのお祭り状態で、
ロシアに絡まない盤は見えている内の2枚だけ、グラモフォン盤が多いのは意外だが、
全てに共通するのは、夜の愛聴盤であることだろうか。

平日の朝は慌ただしさもあって、レコードを聴くことは滅多にないということもあるが、
起きだすと、画面上で出がけまでに聴く1時間分ほどのプレイリストを手軽に作り、
あとはかけっぱなしにできるようにしてあるから、
そのときの気分や天気、その日の予定に合わせ気まぐれもいいところなのだ。


さて、今日から新年度がはじまる。
新年よりも新年度の方が気持ちが引き締まるのは、これも長年の習慣だから。
1年前の今日は、これから一体どうすればいいのかと呆然として過ごした。
今日という日を迎えて、1年経ったなりの進歩はさほど見当たらないが、
自分の中に某かの変化があることを認めないわけにはいかないだろう。

朧げな憧れではなく、
彼の地に内在する政治文化、
例えばいつの時代も人々が強い導きの星を求めんとしてきたメンタリティーに
何かの答えを探そうとでもしているのだろうか、
ロシアなるものに今改めて強く惹かれるのは何故。

この1年は、方向を見失わないよう、少しずつ標をつけながら前に進む年だ。
迷ったら、元のところに一旦戻れるように。
不安で立ち止まるのではなく、前を向いて足を踏み出せるように。
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