音の快楽的日常

音、音楽と徒然の日々
iPad
念願のiPadをようやく買った。
買って買えないことはなかったかもしれないが、何となくいつもの貧乏性でもって、
ああだ、こうだといいつつ、ようやく。


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PCでやっていた選曲が手元で簡単便利に。
お客さんがきたときにも、ほいっとタブレットを渡してあげて、曲も選んでもらえる。
感覚的に掴める操作方法が、解説読みながらなんて面倒なことが苦手なわたしにも◎。

しばらく夜遅い日が続いているので、いろいろな工夫はまた週末に。
ここ数年考えていた、聴きたいときに聴きたい曲をささっと選べて聴ける環境に近づいた。
選びやすいようにデータ整理も必要だけど、それは少しずつ進めよう。

簡単便利でずぼらな?音楽生活のはじまり。 
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三回忌
時の過ぎる早さを感じるとしたら、
こうした区切りに勝るものなしとは今更ながらに感じること。
折に触れて他界した父のことをあれこれ思い出しては、
あのときこうしておけばよかった、などと後悔めいたことも中にはあるが、
圧倒的に多いのは、映画と音楽にまつわるエピソード。

そういえば、いつだったか***な歌を繰り返し聞いてたよね、なんて思い出し、
その曲が誰の何と言う歌なのかわかるまで調べに調べたりと、
以前は本人に聞いた方が早いということでもあったが、今はそれもかなわないので、
便利な動画の検索などでうまい具合に行き当たるなんて有り難い偶然に恵まれることも。

実は明日、三回忌の法要なのに、どうしても実家に帰ることができないので、
想い出のある曲を聞いたりして過ごそうと決めていたのだが、
とあるバンドの名前が思い出せなくて一週間くらい難儀した。
ヒット曲の名前で映像を検索すれば有名だからすぐでてくるのだが、
そこに気がつかなかったとは頭がへたれてしまっているのだろうか。





『ある恋の物語』、イーディ・ゴーメ&ロス・パンチョス。
当時聞いた女性ヴォーカルはもう少し枯れた感じの歌手だったように記憶しているが、
思い出したかったのは、このロス・パンチョス。
調べてみたら、このバンド、メンバー交代が結構あったようなので、
どの時期の演奏を聴いたのかまでは正直ピンポイントで特定できないけれど、
バックコーラスのふくよかで艶やかな感じ、郷愁溢れるギターの音色など、
そうそうこれこれと、思わず頬が緩んでしまう。

確か『キサス・キサス・キサス』も同じバンドで聞いたと思っていたのだが、
実際にはNat King Coleの歌だったようで、記憶のいい加減さに呆れるが、
当時はラジオで聞いただけだったので、音を聞いてはじめて、あ!となるものも多い。






不思議と思い出すのはラテンのナンバーばかり。
そんなにラテンが好きだったというわけでもないけれど、
ラテンというよりは、父はムード歌謡が好きだったのだと思う。
その点は、どこの国のだろうと歌謡曲や演歌が好きだというわたしのし好にも
ちゃんと受け継がれているようで、
親子とはほんとうに不思議なものだ。
もちろん、父はわたしの聞くアルメニア歌謡なんて聞いたこともなかったと思うが、
今こうして聞かせれば案外気に入ったのではないかと思えたりもする。

せっかくだから手持ちの音源でプレイリストを組んで流しっぱなしにして寝ようか、
それともインターネットラジオでラテンの局を選ぼうか。
時の過ぎ去るのはただ無為ならず、
想い出をようやく楽しく振り返ることのできるようになった今日この頃。
world music | - | - | author : miss key
元気のでないときに聴きたくなる歌
5月病ということばが通じるのは、幾つぐらいの世代までだろう。
暦通りの休みながら音楽イベントもこなせず、もったいないことをした今年。
なので休みが続いて惚けてしまって、というはずはないのに、
連休明けは目立ってエンジンがかからず大弱り。

理由はよくわからないけど、何だかとにかく元気がでないときに聴きたいのは、
例えばElton John。


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アルバムによってカラーも随分違うので、iPodに入れて聴いているのはベストアルバム。
気分をアゲていけるような曲もあれば、
暗く沈んだ気持ちに寄り添うようなバラードもあって。
あるいは考え込んでしまうような歌もあり。

ひと通り聴いたあとは、さっきまで何悩んでいたんだっけ、と元気充填完了。
でも、こういう心持ちだから「がんばろう」と声をかけるのはやめておこう。
いつもいつも「快晴」ばかりではいられないのだから。
pop & rock | - | - | author : miss key
Pogorelich
わたしがサントリーホールに出かけると、もれなくといってよいほど天気は雨。
5月9日も昼過ぎまで爽やかだったのが夕方にはどんより曇り始め、
会場に着いた頃には冷たい雨がぱらついた。

今年前半のイベントで一番楽しみにしていた演奏会、会場と同時に入場し、着席。
なのに演奏会は、すでに開演前からはじまっていた・・・。

リハーサルというと、違うだろう。
普段着で、濃紺のニットの帽子を着けたPogorelichが穏やかに淡々と和音を奏でていた。
時折不協和音が混じるけど、どこまでも静かで穏やかな響き。
時折顔を上げ、ステージを見やるけど、
客の入りを確かめているのか、或は特定のどなたかの到着を待ちわびているのか、果たして。


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周囲のお客さんは、開演ぎりぎりまで係の人から促されても、
なかなかピアノから離れようとしない彼を見ても驚いてもいなければ、
アンコール演奏がなくても存分に拍手をして納得して席を立っていたようなので、
きっとPogorelichの「演奏会の約束事」を知っていたのだろう。

わたし自身は、Pogorelichの演奏会は初めてのこと。
なので、演奏会がはじまる前から驚きっぱなしで、
前半の2曲が終わり、途中休憩に入ってから廊下のそこここで話される感想というか分析に、
驚きの連続で気持ちがどこかへ行ってしまったわたしはなんとか現世に戻ってこれた感じだ。
皆さん、どうしてそうも冷静に聴けるんだろう・・・。

レコードに収められた彼の演奏とは違う、ライヴ演奏で起こった数々の「出来事」を、
この夜のためにほんの少しだけ予習はしていたのだったが、
彼がそこにいてピアノを弾いているというだけで圧倒される気配のようなものがあるのに、
ピアニスト自身はどこまでも凪いだ海に浮かぶような自然体でいながら、
聴く者の目の前で破壊と創世が繰り返される。

驚きっぱなし故、自分から彼の音楽に能動的に触れる感じではなかったのだが、
いつの間にか彼の奏でる音楽に心の奥のうんと深いところをしっかり掴まれていたようで、
自分でも訳がわからないうちに、後半の1曲目が始まるやいなや涙が止まらなくなった。
哀しいとか感動したとか、そういう表層的なものでは全くないところの何か。
心の奥底で、まるで羽交い締めにあったような感覚が、
やがて言いようの無い快楽に変わろうとしていた頃には、最後の曲も最終段に。
最後の一音が鳴り止み、指が鍵盤から離れたとき、
余りの緊張に堪えかねて大きく溜息をついた。

深く感動したとか、具体に捉えうる感覚がまるでなくて、頭の中が真っ白になったまま、
会場から傘も忘れず、或はどういう経路で帰宅したのかもまるで思い出せないで、
その晩はただひたすら眠り込んだ。
遠足の前の晩に寝られない子供のように前日は一睡もできなかったせいもあるけれど、
約2時間の演奏をしっかりと受け止めるには、
わたしはあまりにひ弱でへなちょこだったのだ。

***

随分楽しみにはしていたが、
演奏会にでかけようと思ったのは、ほんの些細なきっかけだった。
去年から気に入った音楽家の生演奏にはできるだけ行くようにしていたこともあるが、
あるいは近年の「事件」なども少しは予習し、
自分もその「現場」に居合わせてみたいという下世話な好奇心もなくはなかったが、
偶々、早々に招聘元からの告知で演奏会の日程を知っていたからだった。

思い返してみれば、わたしにとってPogorelichという人は、
確かにピアノの音は一度聴いたら忘れられないけれど、
奇天烈なヘアースタイルをしたりと、ちょっと変わった人であるという程度の印象だった。

しかしながら当夜のことを思い出すにつけ、未だ胸騒ぎを覚える始末で、
願わくばそう遠くないうちにもう一度あの気配に包まれたいものだと性懲りも無く思うのだ。
これではまるで恋煩いではないか。

音楽はほんとうに一期一会。
それにも増して、惜しみなく放たれる響きの連なりが、
たった一度相見えた人のことをこれほど強く焼き付けるとは思いもしなかったこと。
否、ただ一度限り、当夜限りの儚い瞬間だとしたら、それも致し方ないことなのか。

今晩もまた、あの演奏会前に聴いた和音を反芻しながら、
わたしは今の気持ちを「感想」に仕立て上げるべく、ほんの少し抵抗を試みてみよう。
あの何とも言えない気配に抱きとめられるようにして深い眠りに落ちるのがわかっていても。


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寒いと暑いの途中がない
寒い冬から春になって、夏が来て。
昔はもう少し、暑くも寒くもなくてとても気持ちのよい時期が長かったような気がするが、
ここ数年、先々週までファンヒーター使っていたのに、今日などはもう冷房が欲しい、
みたいな極端な気候の変化が続く。

 体が全然ついていけてない

怠いとか疲れたという単語を朝から連発して職場ムードをもり下げてるのは、
わたしと並び座るロートル男性の計2名。
事務所は年がら年中28℃設定だから、何時も同じはずなんだけど、
体感上暑い寒いがあるのはなぜだろう。

 それは年のせいですよ

と若者に鼻であしらわれつつ、
気分的に涼めるものをと帰宅途中から聴いていたのがこの1枚。


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audioのイベントで知った一見低音マニア御用達のようなアルバム。
大御所のそろい踏みでさぞかし汗が飛び散るような熱い演奏かと思いきや、
意外とクールで終始リラックスした演奏。

絞り気味の音量で聴けば、適度に清涼感があって和めるし、
音量しっかり上げればまた違う世界が。
曲によってはクロスオーバーを懐かしく思うようなアレンジで、
ちょうどこの時間帯だったNHK-FMの番組で流れてきそう。

仮想クロスオーバー・イレブンなプレイリストを作ってみようかなとは単なる思いつき、
でも、いくつか用意しておけば睡眠導入剤として役に立つかも。
もちろん今日のアルバム、サンダーからも数曲選びたい。
明日はもう少し過ごしやすい1日でありますように。
others (music) | - | - | author : miss key
The Leafcutter Ants
ここ数年、虫を題材にした書籍がたくさん出ているような気がするのはわたしだけだろうか。
洋書が自在に読めたなら、手に取れる本の幅も随分違ってくるのだが、
難しい専門用語を飛ばし読みすると、結局写真や図版をみておしまいになる人間にとっては、
気になる作品はやっぱり和訳で、それも図版類に気合いの入ったのが出て欲しい。
そんな折、先日のツノゼミ本に加えてついに出た、ハキリアリの本。


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菌園を運営する、つまり農業を営む虫、ハキリアリ。
ちぎり取った葉っぱを頭上に掲げて運ぶ様子が、まるで傘をさしているようにも見えるから、
パラソルアントなどと呼ばれたりもする。

実は、この本も原典がペーパーバックで出た折に購入し、「挫折」した1冊。
でも、今回の本の方が写真も図版も美しく、それだけ眺めたとしてもとても楽しめる。
もちろん本文も、蟻に全く興味のない方が読んだとしても、
不思議な彼らの世界に引き込まれること間違いなしの内容の濃さ。

ことばがもしも通じたなら、彼らに直接訊いてみたいことが山ほどある。
『いつか僕も蟻の巣に』ではないけれど、
アリの世界には世の中の問題を解決するヒントがたくさんあるような気がしてならない。

自分の役割ってなんだろう
そんな素朴な疑問にさえ答えに詰まるわたしには、
この本で取り上げられるアリたちが或る意味羨ましかったりもするのだ。

もしもこの本を手に取られて、何か惹かれるものを感じられたら、
同じ著者らの作品で『蟻の自然誌』(朝日出版社、絶版なので古本を)もぜひ。
といいつつ、わたしはまた例によってウェルベル『蟻』を読み返すとしよう。
ついつい虫に感情移入してしまう人間の、ささやかかつ密やかな愉しみだ。
よもやま | - | - | author : miss key
Raised by Swans
暦通りのGW、部屋にじっとしている時間が、いつものことながら何となくうれしい。
これで天気がよくて、日差しがある午前中ならもっとだが、
GWが雨で肌寒いのはここ数年の習いのようで、すっかり慣れてしまった。

まだ20代の頃、年末年始のようなまとまった休みにすることといったら、
朝から晩まで映画を観ること。
映画館のときもあれば、録り溜めたVHSを見るときもあったけど、
そういえばTVの深夜番組でいい映画作品が結構流れてたのだが、最近はどうなんだろう。
TV番組そのものから離れてしまっていて、そんなことも知らないでいたりする。

当時の生活が何となく懐かしく思え、
最近になって、まとまった時間ができるとつい映画を見るようになった。
といっても録画する装置はないので、レンタルDVDばかりだが、
近所の店がいつも割引セールをやっていて、新しい作品もまとめて借りれば安上がりなのだ。
そのまとめて、の中に埋め草のように少し前の作品を入れることもあって、
例えば今日借りた『クロエ』というミステリーはそんな1本だった。





好きなリーアム・ニーソンが少々疲れた大学教授役で出てるというだけで選んだが、
主人公の若い娼婦クロエが好きな歌として途中流れる"Raised by Swans"が耳から離れない。
店奥の小さなステージで演奏する彼らはひょっとして本物なんだろうか、
劇中の架空のバンドなんだろうと思って、本当はなんという人たちなのかと検索したら、
実在のバンドだったので驚いた。

シガー・ロスを初めて耳にしたときの、あの独特の透明感と、
雪の降り始めの、雪粒が地面にそっと置かれていくようにことばが紡がれる歌詞と。
かつて知ったものへの懐かしさではない、架空の世界への郷愁のようなものがこみ上げ、
或は頬をつたう涙がほんのり温かであったことを思い出させてくれる不思議な響き。

彼らのことを調べても、カナダのインディーズでアルバムが2枚出てること以外は、
詳しく紹介されていない。
また音源も、amazonやiTunesでmp3が手に入るだけで、
CDはごく限られたインディーズ取り扱いの店で売られているようだ。

映画のとりとめの無さも手伝ってか、わたしはどこか広い空間に放りだされたような気分。
連休の初めに観る作品を間違えたかなと気づいたときには既に遅くて。
"Raised by Swans"、いつか生演奏を聴いてみたいバンド、忘れずにいよう。






■ Raised by Swans Official Site  http://raisedbyswans.com/
pop & rock | - | - | author : miss key
横長がいいというので
思い切ってやってみた、模様替え、否、audio装置のセッティング変更。
スピーカーの配置を長い方の壁に設置して部屋を横長に使うというもの。
うちの装置は一度整理したこともあって以前よりは数も少なくなったが、
一つ一つはそれなりに重量もあるし、置き換えるということは音も変わるということ。

  今の音が気に入っているのになあ・・・
  でもこんな作業はGWの連休でもなければできないしなあ・・・

などと迷いつつ、午後一番から始めてみた作業。
写真も撮ったが、いかに片付いていないかがばれるので画像は省略。

一旦装置をばらしてしまい、電源の位置やケーブルの取り回しを考えつつ、
ラックの位置決め。
さあ、スピーカーをどうするか、足下の台座ごと滑らせて移動させたまではよかったが、
ここで事件発生!

スピーカーの足下には鋭いスパイクがついているので気をつけて台座ごと移動させたが、
ラックにもスパイクを履かせていたのを忘れており、
しかも一旦横倒しにしてスピーカーの通り道を造っていたものだから、
後ずさりしたかかとにラックのスパイクがぶっすり(泣)。

多分、ねこがしっぽを踏まれたらこんな鳴き声を出すのではというような、
自分でも驚くようなつぶれた悲鳴。
怪我の画像も「記念」に押さえたけれど、あまりにグロいのでこれも省略。
せっかくのセッティングが流血事件に発展とは、あまりに注意散漫で意欲も急下降。

でもこのままだと音楽が聴けないので、がんばって続行、夕方には形になったが、
横長においてみたら、否置かなくてもこうなるであろうことがわかるようなニアフィールド。
何と言うか、息が詰まりそう、でもって、部屋が一気に狭くなったような。

再生してみて感じたのは、確かに感想で良く聞く「エモーショナルになった」とか、
「音がよく動く」とかはうちでもそのような状態に。
でも反面喧しさというか、落ち着きの無いこの音を何と言ったら良いのだろう。
音圧がぐぐっと上がるような感じ、でも少々不自然か。
縦横比の問題もあるし、或は、うちの部屋の形状から左右同条件にはならず、
反射の状態も不揃いなので、このまま微調整しても落ち着かないのではと思われた。
なので、再度、元のセッティングに戻すことに。

夜には元に戻り、音もきちんと出たのでまずは胸を撫で下ろした。
(いじっておかしくすることはよくあるので)
寝る頃には音も落ち着き、ああやっぱりうちはこの音だよねと安心したのだった。

やってみて、違いがあるとわかったし、反射の違いがこれほど影響するのだとは、
自分の部屋で初めて体験できたことで、それはまあ収穫だったか。
いや、収穫といえば、装置の後ろ側を掃除できたこと(笑)。
やってるつもりでも、やっぱり埃は溜まっていたので、たまにはこういうのもいいかなと。
(そうでも思わないと、流血騒ぎまでしたかいがない)

さて一夜明けての今日一日は筋肉痛が酷くてしゃがむこともできないほど。
当面セッティング変更はすまいと心に誓う。
寝る前の1枚は久々のEva Cassidyの定番アルバム。


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結線をやり直したおかげか、再生音がすっきりした印象(気のせいかも)。
なので、それに合うような清々しい歌声が聞きたくなったのだ。
Evaのエピソードはそれはそれで辛く哀しいものだけど、
或は歌も切々と辛い曲もあったりするけれど、
それは幸せが有限であることの証左なんだろうか。

さあこのまま、筋肉痛を眠気が追い越したらその勢いで眠ってしまおう。
おやすみなさい。
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