音の快楽的日常

音、音楽と徒然の日々
墓碑銘
ザ・ピーナッツ、伊藤エミさんの訃報を見たのは帰宅後のネットニュース。
そんなお歳だったっけと思いながら読み進めてみたら、享年71とのこと。

最近はあまりないが、
二次会でカラオケというとかならずザ・ピーナッツを歌うわたしなので、
亡くなられたと聞いてもピンとこないどころか、
わたしの頭の中ではずっと今も若い彼女たちのままだ。

追悼のことばをあれこれ拾ってみていたら、
なんとKing Crimsonの有名な曲をカバーしているのを偶然知った。
元の曲を知らなくても、多分とてもいいなあと思ったに違いない。
それに和訳するとこんなに重たい歌詞なんて、
そういう風に聞いたことも無かった曲なので、ついしみじみしてしまった。




こういう時節柄だからこそ、その重たさを思い知らされるようで、
胸の奥底に何かが閊えたような気がした。

わたしがいくらカラオケでザ・ピーナッツを歌うからって、Epitaphは歌わないよ。
そう、わたしがいつも一人ピーナッツだからって、それは関係ないけど、
彼女は一足先に、きっとお空の上で楽しく歌ってるに違いない。
楽しい歌と夢をたくさん与えてくださった一人の女性に・・・
心からご冥福をお祈りいたします。
pop & rock | - | - | author : miss key
意外な癒しの1枚
癒しの1枚といわれてこれを選ぶ人はまあ他にはいないだろう、
というおかしな自信のあるアルバム、
ロジャー・ウォーターズのソロアルバム『ヒッチハイクの賛否両論』。 


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フロイドの『ザ・ウォール』と同時期の作品であるのは、聴けばすぐわかるけれど、
独特の緊張感が、歌の文句にも演奏にも充満しているのに、
このアルバムを聴いていると何故か気持ちが安らいでくる。

正直、レンジも演奏の調子も上下動が激しく、突然大きな音になったりするから、
本当なら寝る前の1枚なんかには絶対向かないタイプの作品のはず。
なんだけれども、このアルバム以外にもロジャーの作品では、例えば『死滅遊戯』とか。

話はどんどん逸れて申し訳ないが、
ロジャー・ウォーターズという人、
まるで拘りの権化のようにいわれたりもするが、意外な一面も。
このヒッチハイクから1曲、SACDコンピレーションへ入れる許可をお願いしたところ、
あっさりとOKだったというお話を昨年のaudioショウでうかがった。
そのコンピレーションとは、傅信幸さんの編んだ「NOBU'S POPULAR SELECTION」
選ばれた曲は「5:06 AM ストレンジャーの瞳」。
SACD音源でぜひ聴きたいという方はぜひこのSACDを買って聴いてください。

さて、フロイド中毒のわたしだが、メンバーで誰が一番好きかといわれたら、
それはもちろんリックなのだけど、
彼はフロイドで弾いてこそのミュージシャンだったと思う。

一方でロジャーはソロアルバムを聴くようになってすごく好きになった。
そしてある意味、わたしの「中毒」はほんの少し中和されて、
なんというか、もう少し引いた距離からフロイドを聴けるようになり、
大げさな言い方を許していただければ、平和が訪れたのだった。

とうとう何が書きたかったのか忘れてしまった。
話が逸れすぎるのは、やはり、うまくない(反省)。

ということで、今日の1枚が癒しになるぞ!という方がいらしたら、
メールをください、きっと話が合うと、思います。(こわがらずに、ぜひ。)
pop & rock | - | - | author : miss key
昭和の薫り
最近、自分自身が昭和生まれであることを強く感じる機会が少なくない。
西暦でいえば60年代だから、あとほんの10年ほど早く生まれていれば、
もっとディープな昭和時代を体験できたのかも知れない。

それに、わたしよりもちょうど干支ひと回りほど若い人以降とそれ以前で、
何やら文化の分水嶺のようなものがあるようで、
それは職場の同僚達といろんな話題を話していて、ひときわ強く感じることだ。 


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これは70年代のTVドラマをDVD化したもので、
当時ノベライズを端から読み倒し、音声を録音したりもして、
どっぷり楽しんでいた番組だ。

セリフ回しが何とも泥臭く、でも当時でいえば結構今風で、
出てくる人物も個性溢れるキャラクターが目白押し。
予定調和、というわけでもなく、毎回胸の奥底に何やら沈殿するものがあるドラマ。

それになんといっても、音楽がすごく凝っていた。
当時の他の番組で流れていたいかにも効果音的なものに飽き足らず、
独立して聴いても作品として十分に楽しめる楽曲と演奏。
ブラスが入りながらもクロスオーバー的なところもあって、
それが当時の「スリリングな感覚」を巧く表現していたんだろうと思う。

この『大都会』シリーズは都合3部作になっていて、
最後の第三作目のサウンドトラックが高橋達也と東京ユニオン。
彼らの大ファンだったわたしはもう木にも登る勢いでもって、
番組放映時にはTVにかぶりつき。
後に出たサントラ盤レコードを頑張って購入したことはいうまでもない。

そんなわけで、当時は物語そのものをじっくり愉しんではいなかったので、
改めて見返してみようと残業代のあぶくでもってDVDを入手した。
すると、画面から溢れんばかりの昭和の薫りに卒倒しそうになり、
同じならもっと入れ込んでみようと思い、
音声をモノラルにしたり、画面の調子を調整したら、
当時の茶の間の空気がこの狭い部屋に充満した。

肝心の物語はこんなに重たい話だったとは、当時子供のわたしは露知らず。
此処何年もきちんとTVを観ていないので、最近のドラマと比べることはできないが、
好きだった俳優が皆若くて、活き活きしていて、それだけでも何だか楽しくなる。

この『大都会』DVDボックスは今年の冬にかけて順にリリース予定だそう。
TSUTAYAでもレンタルしているので、懐かしいと思われた方はぜひ。
サントラ盤なら、レコファンのサントラコーナーあたりを丁寧に見ていれば結構あります。
特に第三作目の盤は音質もなかなか、お勧めの1枚です。
cinema & Soundtrack | - | - | author : miss key
カメラ女子
○○女子、という言い方っていつ頃からこんなにも流行っているのだろう。
例えばカメラ女子、とか。
写真が女性の間で流行っているのはもう数年前からのことのようだけど、
雑誌のタイトルまで『カメラ女子』とか、そういうのが出ていて、
キャッチフレーズでもって、或る種の需要が更に生まれたりするのだろうけど、
そういう風潮についていけてないというか、溜息が出てしまうというか。


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そう、確かに身近なものに目を向けて写真に収めていく感覚は、
女性の方があるような気がするし、楽しめるというか面白がれるような気もする。

先日、横浜のライブ会場の様子をコンパクトデジカメで撮ったりしたが、
久々に撮る愉しみみたいなものを思い出した。
きちんとした機材でもってまた出かけてみようか、などと思ったりもするが、
気がついたら、一眼レフ一式の荷物を、「重い」と感じるようになってしまっていて、
フットワークの重さはとてもカメラ女子なんて呼べたものではない(笑)。

そういえば、町中でNikonなんかの一眼レフを軽々肩から下げてる女性を少なからず見かける。
わたしも20代の頃は重たい望遠レンズを着けたボディを軽々取り回せていたし、
5、6kgもあるカメラバッグを提げるのも苦にならなかった。
何しろズームレンズが苦手というか軟派な気がして手持ちのレンズは全て単焦点だったし、
今からしても想像はつかない(笑)。何故そんなに気合いが入っていたんだろう(笑×2)。


最近のカメラはほんとによくできていて、特にコンパクトデジカメは楽チンだ。
でもふと、もう少し手間をかけて自分のイメージを切り取るような写真にできないかな、
などと思い出した。
それで、少し気合いの入った広角レンズを手に入れようかと思って探してみたら、
結構どれも大きくて重たい。
それに、わたしが以前よく撮っていた頃と比べても遥かにずっとレンズ沼が深くなっている。
要するに、大きくて重たいだけでなくて、高価だ。

軽くて機能を抑えたフルサイズのボディと、おまけレンズと2.8揃いの高級レンズの中間の、
広角域をそこそこカバーしたズームが1本あれば、すごく売れると思うんだけどなあ。
わたしのように重たいのが嫌でわがままなユーザーはそこそこ居ると思うから。
カメラメーカーさん、どうぞよろしくお願いします!
よもやま | - | - | author : miss key
既視感とは違う何かが
1曲目の出だし、ほんの一瞬で誰の曲かわかる、というのが、
単純にすごいことだと思った。
既視感とは違う何かがそうさせるという意味で。


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今日の1枚、The Beach boysの新譜は梅雨でうっとうしい気分を和らげてくれるアルバム。
「象の鼻」以来 また残業漬けの生活に戻ってしまった今は、
通勤途上のiPodで聴く歌の数々がどれも心にしみる。
わたしは彼らの強烈なファン、という訳ではないけれど、
アルバムのどの曲もゆったりとした気分で聴ける安心感がただただうれしい。

時間がないのにリッピングする暇がよくありますね、とは友人談。
最初は面倒だと思った作業も、慣れてしまえばCDが届いてすぐ「作業開始」が当たり前に。
慣れってほんとうに面白い。
pop & rock | - | - | author : miss key
kuniko plays reich in yokohama(象の鼻テラス)
電車を乗り継いで日本大通り駅を出ると、
日の暮れ始めた関内の街はしっとりと落ち着いていて、どこかの街の喧噪とは大違い。
同じ働くなら横浜が良かったかもとは、隣の芝は青く見えるばかりではなさそう。


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少し早めについたので、会場までの道のりを少し遠回りして散歩する。
こんな時間の散歩が楽しく思えるのは横浜ならでは。


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加藤さんのliveはこれで二度目。
前回の会場は独特の密閉感があって、いかにもワークショップ向きな空間だったけど、
今回はガラス張りの水槽のようなところで、
港を散歩する人々からまるで観察されているような不思議空間。
加藤さんの演奏を観る自分と外から眺められている自分(を含むliveの観客)。


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演目は、エレクトリック・カウンターポイント、シックスマリンバ・カウンターポイント、
そしてヴァーモント・カウンターポイント。
さらに新作のニューヨーク・カウンターポイントが4曲目に披露された。
途中挟まれたアルヴォ・ペルトのfur Alina(だと思います)のマリンバアレンジが印象的。


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アンコールにはサイケデリックでアップテンポのマラカス演奏、
そしてマリンバに戻ってトロイメライ。
トロイメライを聴くと、それがピアノであろうが何であろうが、
「さあお帰りなさい、演奏はおしまいです」の気分になるのはなぜだろう。


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音の感触をお伝えしたいがうまい表現がうかばない。
それにわたしはまるで猫じゃらしを追いかける猫のように、
彼女の振るスティックの先をずっと眺めていたから。
その毛糸玉やら樹脂やら、そして木製の先端が描く軌道を数式にできたなら、
それはさぞ複雑であるかもしれないが、きっと随分美しいものになるだろう。

どうやらわたしは彼女の筋肉質な演奏のイメージを意識的に遠ざけ、
音楽の上澄みのようなものを掬おうとしていたようだ。
前回のliveで感じた、ドラッギーで頭を横殴りされたような衝撃を無意識に求めていたのか、
或は、同じ演目でもぐっと完成度が上がってまるで精密機械のような打鍵にたじろいだのか。


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会場を出たら何となく水の匂い、そろそろ梅雨入りなんだろうか。
部屋に戻る頃には雨が降り出し、そうこうするうちに本降りとなった。
窓の外を眺めながら、トロイメライを鼻歌、私の頭も強制終了しなくては眠れそうにない。
記憶に深く刻まれる音楽体験の機会をいただいたFさんに心から感謝して・・・。
おやすみなさい。
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kuniko plays reich' in Yokohama, Japan
昨年出かけた加藤訓子さんのliveが、さらに新作も追加、パワーアップして横浜に。
今週後半から三夜連続、会場は横浜、象の鼻テラスにて。





個人的には、アーティストの公式サイトlive告知の欄の横浜公演の次がアルメニア、エレバン、
というのがものすごく気になるけど、
すぐに飛行機乗っていける場所でもないから、後日webで情報収集してみよう。

http://www.kuniko-kato.net/concert/concerts.html

会場もテラスと銘打たれているだけあって、ちょっと面白い仕掛けがあるようです。
暑からず寒からずの良い季節、出かけて損はないliveかと思います。

詳細は、象というからには、ではないでしょうが、大きくて重たいフライヤーを。
http://www.kuniko-kato.net/concert/image/kuniko%20plays%20reich%20in%20yokohama.pdf


◇ 音源はこちらにも kuniko plays reich



 
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マーラーの5番だけど
園子温という人の映画を立て続けに2本観た。
いずれも実際の殺人事件を下敷きにした作品で、
一度観たら癖になるという友人のことばが気になってレンタルしたものだ。

話題になっていたのは知っていたが、
前評判と実際の狙いは少しずれていたりするのかなと思えたこともあり、
なんとなく手が伸びずにいたが、一度観たら忘れられないというか、
頭を不意に横殴りされたようなショックが尾を引くのは聞いていた通りだった。 
少なくとも、疲労蓄積状態のこんな週末に2本続けて観るような代物ではないことは確か。

「冷たい熱帯魚」と「恋の罪」、毒々しさと映像のきめの粗さ、
そしてどこかアングラ劇のセットのような、おそらくは故意につくられたチープな背景。
場と場のつなぎも脈絡のあるようでないような独特の投げやりなつくりなのに、
以前観た伊丹十三作品を思い浮かべたのは何故だろう。




映画としてどちらか1本選べと言われたら、おそらく前者。
でも、音楽という点ではやはり「恋の罪」の方が難しかっただろうと思う。
そこここでマーラーの5番第4楽章アダージェットがそろそろと流れるのだが、
やや取って付けた感を残しつつ、そうはいっても絵といい具合に絡ませて。
同じ曲で有名な「ベニスに死す」もモチーフになっているのだとしたら、余りに重たいか。

思えば、マーラーを初めて耳にしたのは「ベニスに死す」の映画音楽。
あんまり美しいメロディなので、映画はそっちのけでマーラーに嵌るきっかけになったが、
その時々の情景、心象風景が浮かんでくるようなアダージェットだからこそ、
「恋の罪」では真逆に、主人公の女性の、あまりに短絡的で激しい堕ち方を浮きだたせる。
倒錯も屈折も突き抜けてしまい、
狂気の行き着く先が或る種の解放であるといいたいのだとしたら、
あまりにやるせない気もしないではないが。

作品の主題はともかくとして、かなり刺激の強い映像なので万人にお勧めはできない。
見終わって何時間も経っているというのに、脂のくどさをアルコールで洗い流すようにして、
同作品のもう一つのモチーフになっている田村隆一の詩を思い出してみたが、
「言葉のない世界」、これもまた堂々巡りになりそうな予感、
この仕掛け自体が園子温作品なんだろうか、
だとしたら癖どころかいつまでたっても抜け出せない。
ああもういい加減にしておこう。それに眠らなくては。今夜は日曜の夜なのだから。
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