音の快楽的日常

音、音楽と徒然の日々
春の嵐が
春らしい温かさによろこんでいたら、一転して今日は春の嵐に。
轟々とすごい音を立てて吹き荒れる風に、
せっかく咲いた桜も枝がもぎ取られそうなほど揺れている。

風の音に負けないほど音量を上げる訳にもいかないので、
こういう時こそ、日頃怠っているレコードのメンテナンスに励む。
黙々と励む。
来週末はいいお天気に恵まれますように。


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よもやま | - | - | author : miss key
alone
職場の同僚の一人が、自らの意志で遠い夜空の星となった。
ひっそりと、たった一人で。

大勢の職場だというのに、皆、まるで何も無かったように黙々と働いている。
直接ことばを口にするのは憚られたのだろう、
一切のお悔やみを固辞するとのご家族からの知らせが印刷されて回付された。

何度悔やんでも悔やみきれないことがある。
だから後悔というのだろうけれど・・・。
少し前のこと。残業で遅くなった帰りがけ、その人を見かけた。
「おつかれさま」と声をかけた時のふと寂しそうな表情に引っかかりつつ、
疲労困憊でそれ以上のことばをかける気力もなく別れてしまった。
もしもっと話ができていれば、と思うのは驕慢かも知れないが。

部屋に戻っても音楽という感じではなかったが、
静寂に押しつぶされそうで辛いので、1曲だけ、1曲だけ選ぶとしたら・・・。
Mario Brunelloのチェロでイザイの無伴奏チェロソナタ、ハ短調。


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哀しみだったり、悔しさだったり、苦しさだったり、或は辛さだったり。
祈ることであなたの心が癒されるのならいくらでも・・・。
あまりに苦しくて悲しさが追いつけない夜。
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空気が揺れて震えるのが
この三連休、天気が良かったので掃除が随分捗った。
春先は何かと慌ただしいが、体を動かすこと自体が訳も無く楽しく、
ひとり言の山を積み上げた部屋は澄み切った空気で満たされてゆく。

勢い余って、ではないが、audioのセッティングをやり直してみた。
ものすごく気に入らないところがあったわけではないが、
そうしないと手の届かない、掃除のできないところもあって、
こういう面倒な作業は、やっぱり勢いがあるときでないとうまくいかない。

スピーカーの位置には、少しだけ拘ってみた。
従前の位置は、どちらかというと、聴いていて緊張感が高まるような再生だったが、
音をまるで凝視するような姿勢ではなく、もっとリラックスできるよう、
多少ふくらむところがあってもいいからと、あれこれやってみること2時間ばかり。
そこから音楽を流してみて、いい感じになってきたなあと思ったのが更に2時間後。
こんな調子だから、やっぱり三連休のような余裕のあるときじゃないと無理だ。


さて、再セッティングから3日後。
カレーではないが、ちょっと時間を置いて落ち着いてくると、
いいところとそうでないところがよく見えてくるようになる。
今回、いいなあと思うのは、
楽器の音が部屋をゆったりとたゆたうように響き、
その周囲にある空気の揺れがまるで掴めるかのようで、
それでいて妙な緊張感は感じられないこと。
なので、楽器のソロ演奏とか、部屋の響きそのものが録音されているような、
透明感溢れるアルバムがすごく楽しく聴けて、ものすごくはまる。
装置の上げ下げは筋肉痛の元だけど、やってよかった、うん。

春一番から数えて何番目だろう、外では結構な風が吹いている。
そんなのはおかまいなしに、気分はすっかり北アフリカの街角。
チュニジアのウード奏者、Anouar Brahem率いるトリオの"Astrakan Cafe"。


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控えめな音量でそろそろと慣らしていても、部屋の空気が揺れて震える。
嗚呼この背筋がぞくぞくする感覚にやられてしまいそうだ。
ECMの盤だから録音もいいのだろうけれど、
このタブラの渇いた音が何ともセクシーで、これもぞくぞくにつながっている。
ウードとタブラへのクラリネットの絡み方がまるで生き物のようで、
なんだか蛇を思わせるなあと思ったら、
他所のアルバム評に同じような感想が出ていて思わずうなづいた。
ほんとうに癖になりそうだ、頭の中が麻薬で一杯になりそうな妖しくも美しい演奏。
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気持ちを切り替える
朝早くからいい陽が差していると、それだけでほっとする。
それは生まれて育ったのが農村だから、というだけではないだろう。
朝の空気までいい匂いがするような気がする。

啓蟄から春分へ。
昔のひとは、なんと上手く表現するのだろう。
土の薫りが少しずつ強くなるこの季節、
日に日に、ということばがまさに当てはまる時の流れよ。

***

最近、うちの近所でもミツバチが増えてきたようだ。
一時期、何らかの理由で全国的、否世界的にミツバチの数が減っていると、
自然環境の悪化を叫んでの記事が目につき、気にはなっていた。

なぜ、数が増えたように思うのか。
それは洗濯物に彼らの「おとしもの」が多数落下!していて、
2度、3度と洗いなおすことが増えてきたからだ。

白いものや明るい色味のものが好みのようで、
なので、わざわざ真っ白のシーツなどに、点々と落として行くのは、
いくらミツバチ礼賛でも少し困る。
で、いろいろ調べてみたら、最近の柔軟剤の薫りがあまりにフローラルで、
それにも引き寄せられているようだとのこと。
店頭であれこれ見てみたが、無臭の柔軟剤はなかなか見当たらず、
結局、仕方ないので、当分は部屋の中で干すことにした。


そんなことを先週末あたりからしていたのだが、
この週末、洗濯しにベランダに出てみたら、
今度はミツバチの死骸が何匹も転がっていた。
どうやらご近所が殺虫剤でも撒いたらしい。
確かに汚れるのは困るけれど、何も殺さなくてもいいのにと溜息が出る。

今時分から初夏手前までのいい季節、
れんげ畑をあちこち飛び回るミツバチの姿は愛らしく、
その風景になくてはならないものだ。
そういう光景を毎年当たり前のように眺めてきている人間だから、
そう感傷的になってしまったりするんだろうか。
こういう都会の密集地では仕方の無いことかも知れない。

小さな昆虫に異変が起ったのは原発の影響ではと騒ぎになる一方で、
不都合だからとまとめて殺してしまったりする。
思うことがあれども、うまくことばにはならない。

***

気を取り直して。
最近いただいたレコード、高橋悠治&三宅榛名さんの「いちめん菜の花」。


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ピアノ2台にトイピアノなどの楽器を加えたアンサンブル演奏で、
ジャケットの解説によると、83年の録音だ。
音楽をレコードで聴くのがごく普通だった時代の終わり頃。

プリミティブな音楽のかたち、と書かれていたりするが、
たしかにシンプルなピアノ演奏なのだけど、
ものすごくアヴァンギャルドでメッセージのこもったコンセプトアルバムで、
 「人間の努力は長続きしない」 とか、
 「今日は会えない」(ポーランド・パルチザンの歌) とか、
 「さまよう風の痛み」 とか、
曲のタイトルだけ見ても、なんだか考え込んでしまう。

でも、音楽は考え込むわたしの中にすっと入って来て、
ぐちゃぐちゃっと胸の中を引っ掻き回してさっと去って行く。
駆け足で過ぎ行く北国の春のように。

しかしながら、このアルバムに以前からずっと聴いてみたいと思っていた、
高橋悠治さんの弾く「グラスホッパーズ」が入っていて、
この曲でファンになった坂本龍一さんのオリジナルよりも、オリジナルのような、
イントロの切り出し方に、一瞬にして靄が晴れるようだった。

両の面とも聴いて、針が最後の一周を回り終えると、
部屋はすっかり薄暗く、窓の外にはあかりが灯りだしていた。
ぷつりと唐突なぐらいに終わる最後の曲に、
どう始めるかは自分で考えなさい、と言われたような気がして、
思わず姿勢を正す休日の夕暮れどき。
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とんかつの唄
鈴木惣一朗と直枝政広の新しいユニット、ソギー・チェリオスの1stアルバム「1959」。
そのアルバム制作に細野さんが参加しているのは何かの記事で見て知っていたが、
歌っていたのを知らなくて未聴のままでいた。
で、週末にそのことを知って、その歌を聴いてもうビックリというか何と言うか。
歌いだしから思わず吹き出しそうな凄いインパクトの歌、「とんかつの唄」。


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劇中のコミックソング集のようなもので、曲は知ってたのに、
声もノリもその歌のためにあるような細野さんの歌声。
あんまり気に入ってしつこくリピートしていたら、
ついにとんかつが食べたくなってしまった。

健康上の問題で食事制限を受けてるぐらいなので、
とんかつは今のわたしにはNG食なのだが、
まあ、こんないい春の日ぐらいとんかつ食べても罪は無かろう、
というので、とんかつ弁当をこしらえて近くの公園に出かけて来た。

桜はまだだが、梅は満開。
ぱっと咲いてぱっと散る、の桜にはかなわないけれど、
その満開の梅の枝には何羽もうぐいすならぬメジロがやって来ていて、
蜜でも吸っているのだろうか、花を覗き込んではあっちこっちと忙しい。

ここ数日、寒くなったり、暖かくなったり。
気温も体調もそうだけれども、
行きつ戻りつがまさに自然の理なのだと実感する。

あんまりそういう客はいないから、
公園に来ていた子供に奇異の眼差しを向けられたり、
或はとんかつを分けてあげないから、野良猫たちににらまれたり絡まれたり(笑)。
それでも随分と久しぶりのとんかつは美味しかった。
それでもって、ここのところの慌ただしさでカツカツだったのが、心の余裕も満タンに。
細野さん、そしてこの歌を教えて下さった方に、海より深く感謝した週末。


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pop & rock | - | - | author : miss key
3年という時間に
3年前の今日という日。
あの日を境に、ものの考えかた、捉え方まで変わってしまった。
何が大事なのか、何をしなくてはいけないのか。
あいてしまった穴を埋めようとするのはようやく止めにした。

黙祷の1分間、静まり返った周りの気配。
こうして自分の足でここに立っている、
以前なら当たり前のことがとても大事でうれしく思える今日という日。


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よもやま | - | - | author : miss key
夢のあとに
最近、人の名前、例えばそれが昔の同僚であれ、俳優であれ、
とにかくど忘れの度が過ぎたとしか思えないほど、思い出せないことが増えた。
もともと、記憶を溜めるための容量は異様に小さいと思っていた我が頭の中身は、
どうやら春を待たずに溶けてしまったかに思えるほど。

なのに、くだらないことは矢鱈に覚えてしまっているようで、
何かの拍子に思い出しては、ああくだらないことをいつまでもとつい口にしてしまう。
競走馬の訓練に関して、「馬は嫌だったことはいつまでも覚えている」というのを思い出し、
案外そういうものかもしれないと思いながら、
この物忘れというか、人の名前が出てこないのは失礼な場面も多々あり得るので、
他のことは忘れても、何とかならないものかと頭が痛む。


先週末、Miklos Perenyiのコンサートに出かけた。
金曜、土曜と2日連続公演のうち、チケットが取れたのは初日のみで、
プログラムは2日目の方がコダーイやリゲティで良かったのだが、
何しろこの公演を知るのが遅過ぎて、初日の方も完売直前だった。

会場の朝日ホールは大きくも小さくもなく、最後列からの見渡しや音響も想像以上によくて、
1曲目のバッハ無伴奏から何とも言えない心地良さについ別の世界にいってしまいそうだ。
弓の引き具合というのか、これまで見たチェリストの中ではもっとも動作が小さく、
無駄な動きが削ぎ落とされた感じで、
会場の隅まで響いてくるその音色は、ひと言でいえば「嫋やか」だった。

音楽は音符の集合かもしれないが、ぼつぼつとした音の単なる集りではなく、
集まって全く別な1つの形になっていることに、
当たり前のことなのだろうけれど、改めて意識が向く。
息継ぎのようなぷつんと切れたようなところが一つもなく、
音楽は本当に当たり前のように難なくつながっていき、
1曲の演奏が終わったときの、楽器がふうっと大きな溜息でもついたような、
あの独特の余韻が今でも胸に蘇る。

前半は独奏で、後半は彼の子息でピアニストのベンジャミンとの共演で。
予定の演奏が一通り終わって、わたしの胸中はまるで洗濯でもしたように清々しかったが、
驚いたのは、アンコールの1曲目、フォーレの「夢のあとに」。
美しくてメランコリックなメロディを
穏やかな中にも艶やかな、どこか土の薫りのするチェロの音色に乗せて。
渇いた大地を自然の雨で潤していくような力に、
心の奥底にある、その存在すら意識することのない眼が開かれていく。


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部屋に戻って、改めて聴くPerenyiの「夢のあとに」。
Kocsisとの共演で、彼の得意とするアンコール曲を集めたアルバムだ。
同じ人のチェロなのに、ついさっきほどの強い浸透力は、
この録音からは感じ取れないが、
それは演奏の質ではなく、
「わたしがあの会場の、あの場所に、どんな心持ちで音楽を聴いて、
 それがたった1回こっきりの生演奏で再現はもうできない」
からこその体験であったからではないか。

Perenyiという音楽家は、録音した後にもそれが気に入らないと、
音源の回収をしたこともある方だときいた。
それは、演奏自体が気に入らないもので世に出すまいとしたのか、
或は演奏自体を再現するのにほど遠い音質であったから嫌ったのかは知らない。
ただ、そうしたエピソードから想像する峻厳さとは違って、
彼の演奏する音楽はどこまでも優しく、繊細で、そして嫋やかだった。
雪が降ったり止んだりの冷たい1日の終わりに、
思わず笑みが漏れる、忘れ得ぬ晩となった。
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Hungarian Dances
Claudio Abbadoという人の録音をそれほどたくさん知ってる訳ではないが、
ある寒い日にその人の訃報が載った時には、上手く言えないけれども、
どこかうら寂しさを覚えた。
ネットのニュースを見ていると、訃報の載らない日はないというほどで、
そういう記事に何となく目が慣れて来てはいても。


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ニュースの流れた夜に、この1枚と思って聴いたのは、
ウイーンフィルを指揮してのHungarian Dancesだった。

短い曲が21集まってできた曲集は、1曲1曲が万華鏡のように絵姿を変えつつも、
一人の人の表情がみる角度によって異なるのにも似て、
ひとつの根っこにしっかりとつながり収斂しているのがとても魅力だ。
この曲集がBrahmsの作曲によるものだと知ったのはそんな昔のことではないが、
曲自体は子どもの頃から耳にしていて、
特に4番は何と言ってもわたしの想像する東欧のイメージにぴったりだった。
一体いつどこで最初に聞いたのかはさっぱり思い出せないが、
物悲しくも美しい旋律を拙いオルガンで真似てみたりもした。

緩急自在な曲建てがぱっと咲いてぱっと散る日本の桜を思わせもして、
今朝などはまだつぼみの小さいのがたくさんついた枝を眺めるだけで、
日に日に近づいてくる春を実感してほっとしたのだった。
或は、否応無しにせき立てられる、
この度末の忙しさがそんな曲を聴きたくさせるのかも知れないが。

今年の夜桜巡りのBGMに、この曲集を入れておかなければ。
そんなことを思いながら過ぎて行く、寒さが戻って冷たい夜だ。


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最後のマイ・ウェイ
レンタルショップのPopが目に留まった。

 クロード・フランソワという歌手のことを知っていますか。

何と言うことは無いひと言だったが、はて誰だろうと思って検索してみたら、
シナトラが歌っていたマイ・ウェイのオリジナルは、
そのクロードという人の作品だと知ってすごく驚いた。
もとはフランス語で歌われた曲だということも。

早速、レンタルショップに戻って借りて来たのはいうまでもなく。
ジェレミー・レニエ主演、「最後のマイ・ウェイ」。


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ジェレミーという俳優の作品を観るのも初めてで、
インターネットで見たクロードの映像や写真とあまりにそっくりで、
当時の映像なのか、映画からのカットなのかと戸惑ったほど。
もちろん、伝記作品だから、相当研究して真似てもいるのだろうが。
(例えば歌いだしの少し前に唇をなめる癖だったりとか・・・)

エジプトに生まれ、フランスで歌い、歌を作り、そして事業に成功した彼。
衣装が派手で、軽やか且つキレのあるダンスでヒットを飛ばし、
或は数々の美女との恋、そして歌に飽き足らず様々な事業を展開。
たった、と言ってはいけないのかも知れないが、
不慮の事故で亡くなるまでの39年間、
仮に芽が出るのが遅かったのだとしても、その半生を、
あまりに生き急いだ人の物語は、
涙する間もなく、とにかく驚きの連続だった。

150分近い作品は観る前に尻込みするかも知れないが、
映像もストーリーもあまりに濃密で時の経つのを忘れるほど。
長くて退屈する暇はなく、寧ろ走馬灯のようにどんどんとシーンが過ぎ去り、
生き急いだという印象を一層強くする。
多くの人を魅了した歌を産み出す源泉は、
まさに喜怒哀楽の爆発と生きて成功するすることへの飽くなき欲望・・・。

今一度、改めて聴いてみるマイ・ウェイ。
歌詞はシナトラが歌ったのとは全然違っていることも映画を観て知った。
哀しい歌なのに、冷めた愛を見つめる瞳に優しさがちらつくのは何故。
しばらく置いて、もう一度じっくり見たい映画だ。



 
cinema & Soundtrack | - | - | author : miss key
もうそこまで春が
先週の木曜の朝、飼っているメダカが朝、「いつもの」場所に数匹集まっていた。
冬の、水温が下がっている間は半冬眠状態で、
食べ物も固形の餌はあげても口にしない。
しっかり泳いでからだが動かせるときでなければ消化できないから。
それが、ここにくれば餌がもらえるという場所に集まって泳いでいたのを、
朝、起きて目にしたときは、
春がもうそこまで来ているのを実感した。
またしても週末が雪、という予報が出てはいたけれども。





明るい陽射しの週末を期待していたが、あいにくの雨。
この一週間、寝ても覚めてもブルックナー漬けだったが、
今日のような1日は独奏がいい。


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もうすぐアシュケナージの公演があるから、少しずつテンションを上げたくて。
彼独特の響きを、
だんだんと春が近づいてくる時の、柔らかな陽射しにも似た、そんな響きを、
隅々まで堪能できるシューマンの曲集を選んだ。
そう、詩の朗読のような演奏に、重苦しい時の流れも忘れてしまえるから。

部屋を見回してみれば、ついついめくりそびれるカレンダーが。
「2月」を破り捨てると少し気持ちも軽やかに。
雨のおかげでPM2.5から救われた週末。
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