音の快楽的日常

音、音楽と徒然の日々
樫の女王に
週末にクラシックレースがあると、いよいよいい季節がやってきたなあと思う。
本当なら現地に行っての観戦がいちばんだが、今週はTV観戦。
一本かぶりの人気馬が出るレースの、あの独特の空気。
ひょっとしたらと一度は想像する結果を目の前にして、
今日ばかりは何万という人の溜息吐息が画面からしみ出してくるようだった。

それにしても父同士が因縁のある二頭だったから、
どうしてその仔の運命までとあの有馬記念を思わずにいられない。
「飛ぶように」走ったという父譲りの鬼脚。
そのタイムは素晴らしいものであったのに、不発と感じてしまうのは、
レースを観る側のあまりの高望みなのか、走りがやはり本来でなかったのか。

わたし自身は三着の馬を応援していたから、
最後の直線、ほんの少しだけ夢を見られてよかったかなという感じだが、
あの溜息が移ってしまったように、なんだか脱力してしまった。
強い馬が圧倒的に強く勝って欲しい。
そんな期待が裏切られてしまい、そのかわりに埋めるものもなく。
或は馬を優勝に導いたジョッキーの談話もしんみりに輪をかけたかも知れない。


このもやっとした気分に塩を塗りこむがいいか、そっと真綿で包むがいいか。
今日は日曜であしたは月曜だから、迷わず後者にした(笑)。
Mark Kozelekの"The finally LP"。

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見えない心の傷にじんわり沁みて効いてくる歌声。
街の喧噪から離れて遠く懐かしい故郷に戻り、ほっとするあの気分だ。
それにしても、府中の2400mは何と過酷なコースなのか。
あんなにがんばれない、と思わず呟いたのは、明日は月曜の少々憂鬱な午後。
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貸し切り観覧車
仕事の行き掛り上、観覧車に一人乗った。
一人、というのは、
一つのかごの中に1人という意味と、
一周して戻るまでの他のかごに何方も乗ってこなかったという意味と。


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高いところが怖いくせに、
引いた位置からあるエリアの全景を撮りたかったというそんな理由で、
一周して戻ってくるのに17分もかかる観覧車に乗ったことを、
少し後悔したかも知れない。

それでも、怖い気分を紛らわせたかったのか、そうでないのかもしれないが、
宙に浮いたような大円盤からレコードを想起してしまうのは、
もうほとんど病気だと思った(笑)。

てっぺんに上り詰めるまでにミッション終了。
かごが下に降りるまで17分の半分の時間を、
手元のレコードで片面このくらいのがあったなあ(どうでもいいが)、とか、
こびとになってカートリッジの針先に腰掛け、レコードの溝を旅してみれば、
そのスピードたるや、相当のものがあるに違いない、とか(それこそどうでもいい)。
それでもって、先日譲っていただいた1枚のレコードのことを思い出していた。
Leo Brouwerのアルバム、"de BACH a los BEATLES"。


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このレコードのA面3曲目に、
"A day in November"というBrouwerのオリジナルが入っている。
その曲は美しくも少々メランコリックで、いかにも11月の冷えた心地良い空気を醸し出し、
気持ちハイキーに写真を撮ったりして、
心の中を吹き抜ける風から目を逸らしたい「あの」気分に寄り添ってくれるような気がした。


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否、あの観覧車の切符きりのところで、
(他にあなたとわたし以外の誰も見当たらないのに)

 「おひとりさまですか」

とマニュアル通りの質問をされて、「ええ」と応えたときの、
あのすーっと何処かに風が吹くようなあの感じが、
仕事とはいえ、いつものようには上手くやり過ごせなかった。

頭の中には何度も件の曲がリフレインしている。
同じ楽譜をピアノで弾いても違った印象になるであろうギターならではのメロディライン。
Brouwerの、ちょっと眉間にしわ寄せてしまいそうな難しい曲とはかけ離れて、
鼻歌できてしまいそうな、優しいメロディ。

***

観覧車を降りて、ゲートを出る直前にまた呼び止められた。
いつの間に撮ったのか、わたしの写真が撮られていて、
「記念にいかがですか」とプリントを売り込まれたが、
折角だったけれども止めておいた。
係員の方が、円盤を回す装置のところに1人、切符きりにかごに乗せる方が各々1人ずつ。
約20分のことだが、計3人の人件費も出せそうにない貸し切り観覧車だから、
せめてプリントぐらいはいただいて来るんだったなあと帰りの電車で何思うとなく口に出た。
なんとなく、切なくなった営業中の出来事。
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静謐の中にも
早朝から眩しいほどの好天に恵まれ、
さすがにじっとはしておれず、カメラ一式を持ち出して外に出た。
出かけた先は、バラ・フェスタの神代植物園。





広大な薔薇園に何百という薔薇の木が育てられ、その大半が満開状態。
花いきれに圧倒されつつ、姿を眺めては香りを楽しんで・・・。





もしも許されるのなら、
薄暮の中、満開の薔薇にうずもれて、こんな音楽を聴きたい。
アルヴォ・ペルトの作品、"Arbos (樹)"。





1曲目のトランペットの響きはまるで中世の幕開けのようにして、
おどろおどろしくも気持ちを改まったものにしてくれる。
ヒリアード・アンサンブル他のうっとりするコーラスに、
どこか氷のような冷たささえ漂わせるクレーメルのバイオリン。
選び抜かれた音の響きなのに随分と濃厚で、
薔薇の花の存在感を思わせるのかも知れない。





各々の一瞬に、輝くばかりに咲き誇る無数の薔薇。
次々と咲いては人の手に摘み取られ、
それを太古の昔から繰り返して来た美の系譜よ。

時に大胆に、時に密やかに。
その響きも陰に陽に輝いて。
暮れ行く光のその中で、薔薇の花はペルトを聴くだろうか。
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my favorite songs
ユリイカ、という名前の薔薇がある。
色のりの良い黄色に杏の色が混じったような独特の色味の花をつける。
とあるバラ園でその花を初めて見た時、
この花を贈るとしたら、と目を閉じるまでもなく思い浮かんだのが彼だった。
今日はChet Bakerの命日。


本当はもっと早く部屋に戻って聴きたいレコードがたくさんあった。
今日という日、今夜という夜に針を落とさねばいつ、という盤が。
これを聴こうというラインナップは毎年違ってはいるが、
どれだけ時間が経過しても彼が特別なミュージシャンであることに何ら変わりはなく、
唯一無二の存在であることを改めて痛感させられる。

でもまだ夜はこれから。
まずはこれから聴こう。
大編成での最後のライブ演奏録音、"My favorite songs"。





2枚でひと組のlive録音の1枚目で、最近リマスタリングされて再発された。
CDの音はこれまでどうも今ひとつでレコードで聴くことがほとんどだったが、
今回のリマスター盤はなかなかいい感じの仕上がりで、
会場で聴くときのバランスに近いのではないかと思うし、廉価なので人にも勧めやすい。

晩年のChetの録音は、気怠いギグのlive盤か、
そう出なければミニマムな編成のスタジオ録音が主で、
オーケストラを従えての演奏は元々それほど多くない。
そんな中でのまとまった録音だからこうして残っているだけでもありがたいが、
レーベルの後押しもあってこうして音源が出続けること自体も本当にありがたい。

この日のChetは体調も今ひとつだったのか、
オケをバックにトランペットを吹き抜くという感じでもなく、
トーンを慎重に選びつつも、時折、音や声が揺れたりする。
だがそんな彼への心からのリスペクトが感じられるNDR Big Bandの包むような伴奏に、
じんわり胸が熱くなる。

結果的に、ということなのだろうが、
このコンサートはいろいろな意味で区切りになっていて、
何十年と彼の演奏を聴いているわたしにしても、
このレコードを聴いているといまだにはらはらと涙が止まらなくなる。
何にせよ、終わりの無い旅などないのだなあとしみじみ思うのだ。

このコンサートの後、まるで暗い祝祭とでも言わんばかりのlive録音があるが、
それを今夜のような特別な日に聴いてしまうと眠れなくなるので、
締めくくりには上の2枚目、"Straight from the heart"を聴いて、
それでもって最後の曲の、My funny Valentineで夜を締めくくろう。
今夜どんな夢をみるのか楽しみにしながら。


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Blue moves
猫の額のようなベランダで草花を育て始めて早1月が過ぎた。
風の一等地故、天候の荒れる日には鉢を部屋の中に取り込まなくてはいけないが、
朝起きて水やりに外に出る習慣がこれほど簡単についてしまうとは思わなかったし、
或は園芸店巡りやガーデニングの本などを漁る楽しさがこれほどとは、
やっぱりやってみるまで思いもしなかったことだ。


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草花の世話をするようになって、
昔とは少し違う季節の移り変わりや光の調子を感じるようになった。
初夏だというのに朝早くからじりじりと照りつける太陽に、
昨日まで元気だった鉢植えがぐったりとうなだれている。
慌てて室内に取り込み、回復の様子が見えるとほっと一息だ。

当たり前のことだが、植物は各々、適した環境条件があって、
暑さの苦手な植物も意外に多い。
もちろん植え替えて間もないものは健康状態も今ひとつだから、
光や水の条件にも少しずつ慣らしていかなくてはいけない。
毎日休まず世話をしてみると、そんな当たり前のことを痛感せずにいられない。


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朝の作業を終えて手が伸びたのはElton JohnのBlue moves。





"Sorry seems to be the hardest word"という歌が好きで、
レコードで音楽を聴くのを再開してから改めて買い求めた盤だ。
2枚組の、曲数の多いアルバムだけど、
朗読を聴いているみたいによどみなく音楽が流れていく。
Elton独特の陰陽が展開するメロディと、
歩く道すがら、道しるべを置くようにして気になった歌詞を胸に留める。

このジャケットを眺めていると、
広々とした草地に寝そべってうたた寝したくなる。
手元のジャケットはこの写真よりもう少し緑がかっていて、
本当は綺麗な水色だったんだろうか、日焼けでこういう色になってしまったのか。
或は、近所迷惑でなければ、
ベランダにポータブルプレイヤーを持ち出してちょっと聴いてみたくなる。
英国の田園はちょっと遠いから(笑)。
このアルバムが似合ういい季節になってきた。
次の週末が待ち遠しい夜だ。
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Balthus
あと1日すれば週末、というのに我慢できなかった。
雹の降る荒天のおそれ、という天気予報も見ることもなく、突然思い立って取った休暇。
会期中に3度は観に行こうと決めていたBalthus展に出かけた。


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絵画には詳しくない。
出かけた先でふらっと美術館に入り、眺めて気に入ったりしたものを画集で探す程度だから、
どうしても見たいもの、というのはそんなに多くない。

今回のBalthusは特別で、
一度見たら焼き付いて離れなかった「夢みるテレーズ」というタイトルの絵を、
どうしても今の自分の眼で見ておきたかった。

いつか行ったゴッホやピカソの展示ほどは混まないものの、
少し引いた位置から作品を眺めようとすると大勢の頭越しにしか見られない。
なので良いタイミングが来るまでじっとその絵を眺めていた。

抑制された光の中で描かれた少女の姿。
手足の、その筋肉のつき方がいかにも少女なのに、
漂う気配のただならぬ感じ、匂うような生々しさ。
心の奥底を見透かされてしまったような心許なささへ覚えて。

今回の企画展は年代を追って網羅的に編まれているほか、
Balthus自身のインタビュー映像やのアトリエの再現など、
かなりな密度だ。

展示の最後に図録やお土産を買い求めて外に出たら、
あまりの眩しさに頭痛がするほどであったが、
それもつかの間、あっという間に空が暗くなり、雷が鳴り始めた。
今回のBalthusだけではなく、同じエリアの美術館巡りなどを朝早くからやったりしたから、
急に天気がおかしくなったのかと思ったが、
周囲が手際良く傘を出しているのを見て、
自分が天気予報を見てこなかっただけと分かり、少し安心した。

図録やなにかが濡れてはいけないから、駅に向かってどんどん歩いた。
背中がみるみるうちにじっとりとしてきた。
ああ、この生暖かい感じ、あの絵の周りにあった空気の感じだ。
突風に煽られて開いた傘がチューリップのように裏返っていく。
チューリップの花咲く向こうに見えたような気がした赤い点、
それが気のせいだと気づいたのは帰りの電車の中。
遠い記憶の欠片が互いに結びつき、心地良い目眩の止まない1日だった。


◇ Balthus展 http://balthus2014.jp
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一場春夢
暦通りのゴールデンウィーク。
しばらく聴いていなかったレコードを引っ張りだして聴いてみると、
まるで昨日のことのように盤を買った当時のこと、初めて聴いたときのことを思い出す。
昔のことを鮮明に思い出すのは歳とった証拠だと、
つい先日の宴会でもそんな話を耳にして、思わず吹き出しそうになった。

まだレコードをどんどん買う余裕の無かった子どもの頃のこと。
地元の図書館でレコードの貸し出しがされていて、
父が何かのついでに借りてきてくれたのを思い出した。
「何がいい? 何が聴きたい?」なんて訊かれたこともないから、
多分、適当に、或は子どもに聴かせるのにちょうどよさそうと思うのを選んでいたんだろう。

でも、一番最初に借りてきてくれたのが何しろ海援隊だったから驚いた。
フォークやニューミュージックは当時良く聴いていた。
でも、海援隊は多分家では聴いてなかったと思うし、金八先生はもう少し後のことだから、
父の選盤の基準はいまのいまでもやっぱり謎だ。

その後、何枚か手元に海援隊のLPがあって、
何かの折に遊びに来た友人がどうしても欲しいというので譲ってしまったのだが、
なんだか急に聞いてみたくなって、いくつか中古店で探して来た。
その中の1枚、「一場春夢」、海援隊の1980年武道館ライブ盤だ。


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いまこうしてはっきり歌詞が聞き取れる歌を聴くのはなかなか新鮮だ。
武道館ライブということもあってか、ヒット曲中心の選曲になっているけれど、
こうして聴いてみると、じーんと来る歌詞が多くて思わずうーんと唸ってしまった。

曲の部分だけではなく、武田鉄矢さんのMCも一通り入っているのだけれど、
いいのは歌だけではなくて、きれいに流れるように話せる人なんだなあと。
当時、海援隊を聴いていた時には全然気がつかなかった。

***

ライブ録音を避けてたことが長くあった。
同じ聴くならスタジオ録音の作品がいいなと思っていて、
それは、背景の音が耳障りで集中できないからなのだが、
再生装置をきちんとして音楽を聴く環境がいざ整ってみたら、
ライブ録音の面白さ、凄さがわかり、今では喜んで聴いているからいい加減なものだ。

今回の「一場春夢」も2枚組のライブ録音で、
盤をひっくり返すのにいったん音が途切れることを除けば、
会場のあたたかい空気にそのまんま包まれて、
自分自身も手拍子しながらステージを真ん前にして聴いている感じだ。
というか、レコードを聴きながら思わず手拍子していたりする(笑)。
こういうコンサートっていいなあと、改めて思う。
今年のGWの最後に、繰り返し聞いたアルバム、忘れないように記録しておこう。
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