今年こそはと意気込んでいたからなのか、
休みの度に天候は今ひとつのまま、桜の季節が終わろうとしている。
それでも、お祝いのメッセージを戴く度に、
こんなにも満開の花に囲まれる季節に生まれたことを心から感謝する。
母の唯一の趣味とも言える園芸だが、
田舎の家族の元で生活している頃、わたしは全く興味がなく、
高層のベランダという極端に環境条件の劣るいまになって、
あれやこれやと育てているのはどういう縁なのかとも思うが、
土や水、そして陽の光のありがたみはこうでもなってみなければ、
否もう当時はあまりに恵まれすぎてその値打ちが分からなかったのだ。
わたしも極端な出不精だが、曇天ながら満開の桜を見に行こうと腰を上げてくれた連れも、
やはり出不精が服を着ているようなもので、
それでも年に1度のことだからと大きな公園に出かけてみれば、
つい大きな声を上げながら、見事に咲き誇る桜の花々に圧倒されたのだった。
早いものは既に散って葉桜になりつつ、
また八重咲きの遅咲き品種は蕾がこれでもかと膨らんでいた。
やはり桜は染井吉野がいちばんとは思いながらも、大島桜の清廉な白に心惹かれた。
まだ春先の冷たい風が木々の枝を、花を揺らす。
光がこないかと待ちわびるも重たい曇天のまま公園を後にした。
散り際の少々寂しい様子も思い浮かべながら、
来年の今日こそ好天に恵まれますようと祈りつつ、
帰りの車中で聞いた メトネルの小品。
Fairy Tales、Op.34 No.2。
生演奏で初めて聴いたのもこの映像と同じピアニストによるもので、
甘やかな余韻が余りに美しすぎて全身が潤うようだった。
しっとり聞きたいなら部屋に戻るまで待てばいいものを、
気が逸るのはやはり春だからということにしておこう。
2016年4月2日、曇天で肌寒いながらも、忘れえぬ区切りの1日。