音の快楽的日常

音、音楽と徒然の日々
夏のような1日に
最近部屋の片付けについて相談されることが増えた。
ダウンサイジング、やろうと思ってもなかなか腰が上がらない。
どうやったら腰があがるのか、根気が続くのか。

いい方法があるのなら当方が知りたいと思いつつ、
わたしはただ体験談を淡々と時系列で話すだけ。
こんなに訊かれるならビフォーアフターの写真をもっと残しておくのだった。


生活のダウンサイジング、わたしは当初後ろ向きな感じがして気が進まなかった。
生活のサイズは、それまでそれなりに努力した成果の一つであるわけで、
自らそれを否定するような気もしてやはり気が進まないのだった。

だいたい、荷物が増えすぎていた。
あの大きな震災がなければ気持ちを切り替えて物事を進めようと思わなかっただろう。
荷物が少なくなって、肩の荷も下りたような気分の軽やかさ。
思い出を捨てるような後ろめたさを、その軽やかさは何倍も上回っていた。

今日はダービーデー。
レース後になんとなく思い出したのだというわたしに電話をくれた方は、
もう一体何年顔を見ていないんだか、
それでもいざ話してみればなんとなく話がつながるもので、
どういう文だったか、生活を整理したいというような話題になった。
なんとなく整理をしたい、そういう年代になったんだなあと思った。

さて。
視力が落ちてしまって撮るのがなかなか辛かったカメラに、
外付けファインダーが付けられることを教わり、早速買ってみた。
まるでサイボーグの目のようで嫌なのだけど、
撮れた写真は気持ち良くピントがきていた。
ああ、もう花も夏の色だよ。
5月も終わる。いつの間にか5月の終わりに夏が来る国になったんだな。


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カメが教えてくれた、大切な7つのこと
塞ぎ込みがちな気持ちはどんなに隠したとしても周りに伝わるようで、
連休の終わりにこの辺りでは随一の大型園芸店に車で連れていってもらった。
ちょうど花が咲いた薔薇の鉢がたくさん並んでいて、
店に着く前からそれはもう楽しみでならなかったが、
薔薇の他にも、見たこともない種類の花がズラリと並んでいて、
あるいはそれ以上に鉢や道具の豊富な品揃えに思わず何度も溜息が出た。

一通り見て歩くだけで2時間ほどかかっただろうか。
まるでホームセンターのような大きさ故、通路の途中で迷ったりもしたが、
「今日は車があるのだから、重たいものをたくさん買っていいよ」
と言われても、珍しいものを一度にたくさん見たせいか、
興奮が頭の中に渦巻いて、とにかく見て触って楽しむので精一杯だった。

それでも、前から実はとても欲しいと思っていた植物の苗を見つけた時は、
「車でどこかに出かけよう、どこがいい?」と言われて、
相手の行きたいところなど露ほども思わず、◯◯園芸店と言い、
呆れもせず連れていってくれた友人には心の底から感謝した。


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この暑さでうまく育てられるのか、ベランダの過酷な環境でほんとうに大丈夫か、
と置き場所などを悩み、一時は萎れてしまってもうだめかとも思ったが、
今ではすっかり元気を取り戻し、次々と蕾が上がってきたので嬉しさ倍増。
このビビッドな色合いに、ただ眺めているだけで元気をもらえる花なのだ。

ところで。
ギアチェンジを試みるべく、頭の栄養がちょっとばかり足りないのかと、
久しぶりに書店を流して歩いたら、一冊の本が目に留まった。
アリョーシャ・A・ロング、ロナルド・シュヴェッぺ著、
「カメが教えてくれた、大切な7つのこと」。


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「焦りや不安から心を救う7つの教え」を長生きのカメ、クールマが教えてくれる。
ひょっとしたら原著とは少しニュアンスの違うところがあるかもしれない、
或いは時間にキッチリとしたドイツでロングセラーということに少し驚きを感じながら、
少しずつ読み進めては、また少し戻って読み直しを繰り返している。

簡潔なことばで編まれた7つの金言は、人によって受け取り方が異なるだろうけれど、
今のわたしには、ゆっくりと、そして落ち着いて、という当たり前のことを、
いつの間にかできなくなっていて、どんどんと焦りを感じていたんだなと、
まさに目からウロコで、下手な服薬よりずっと気持ちが楽になった。

思わせぶりなタイトルの本がたくさん出される出版社、
というイメージを抱いていたところからの本だけに、
当初はそれほど期待もしていなかったが、
そういう先入観こそ、楽しい読書を逃す一因だなと反省しつつ、
いい年になったというのに、もう随分長いこと働いているというのに、
今でもこのありさまであることを残念に思いつつ、
まあだからこそ1回限りの人生なんだろうと思いながら、また読み返す。

できうることなら、ここのところ大増殖中のブツヨクとの折り合いも、
この読書でうまく折り合いがつけられたらな、などと、
勝手なことをつい考えてしまうからまだまだダメだなと海より深く反省。
風は強いが天気が良くて、手ぶれ写真を大量に生産しながら日が暮れた日曜。
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満開の薔薇も
今年ほど風の強さに悩まされた年もない。
春の嵐かと思って一度や二度なら諦めもつくが、
こうも強い風の日が多いと、さすがに薔薇も傷ついてしまう。
今年は花付きがまあまあな反面、蕾の時期に負担がかかったせいか、
どうも花びらや形が例年ほどでないのが本当に残念。

しかしながら。
花々は、精一杯日の光を浴びてこれでもかと咲き誇る。
それでいい、それでいいのかもしれない。





めずらしくストラヴィンスキーを引っ張り出してみた。
ここしばらく巨星と呼ばれるような大音楽家が次々と世を去ったが、
ブーレーズはすごく気になる音楽家でありながら、
ただの一度も生演奏の機会がなくて、本当に残念だ。

ストラヴィンスキーの頭の中には、
一体どんな色の世界があったのか。
音の響きでもってこんなにも極彩色の世界を紡いでみせるなんて。

しかも音がよく動いていて、
本当に目の前に何かが蠢いて生まれ出てきそうな勢い。
細やかでいて大胆不敵な展開も辞さず。

惹かれる点を挙げればきりがないのに、
手元の音源がそれほどないのも意外なほどで、
だからブーレーズのこの盤はすぐに出てくるのだ。

できることならこの演奏に負けない薔薇を咲かせてみたかったが、
それは秋以降の楽しみ、あるいは目標となったよ。
とりあえずは雨風に濡れずにうまい時期に開いてくれた一輪を。
今年も美しく咲いてくれてほんとうにありがとう。


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心が疲れたと言う声に耳を傾けて
4月は何かと慌ただしく疲れる季節でもあった。
ベランダに咲き乱れる花々の世話をする時間にも事欠くほど、
なんと忙しなく1月間を過ごしたことだろう。

詳しくは書けないが、周囲にも、そしてわたし自身も、
初めて体験するほどの威圧感に揉まれながら、
次々と来る仕事に埋もれる生活に悲鳴を上げる者がいる。

貧乏暇なし、ということばがある。
これにはどこか前向きな、陽性の響きを感じるのはわたしが関西人だからだろうか。
今おかれている場は、其の場凌ぎとは言わないまでも、
やっつけのようないい加減さが目の前にどんどんと積み上がっていくようで、
納得のいくまで腰のなかなか上がらないわたしのような鈍な人間には、
焦りとストレスだけが日々募ってしまい、ようやく連休を迎えたというわけだ。

何かが辛くて、或いはなんらかの理不尽に頑なになる。
目の前で目に涙を一杯に溜めていた同僚に、
わたしはまともな声をかけることもできなかった。
助けてあげなくてはいけないのだろうが、自分自身にもその余裕の欠片もないのだった。
そのことが目前の出来事にずっしりと上乗せされ、打ちのめされた。


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心の中を空っぽにしてしまいたかった。
忘れるのではなく、一旦どこか余所にやってしまって。
その空いたところに何を注ぐのか、そんなことを思ったら、
ずっと昔に買った1枚のレコードに行き当たった。

細野晴臣さんのマーキュリックダンスは彼の一体何枚目のアルバムだったか。
美しいブルーの、深いなかにも揺れるグラデーションの美しさが、
盤にもたっぷり詰まっている。
ゆらゆらと揺れる響きが、ささくれ立った胸の中に随分と沁みた。

盤を買った当初は、一体何を表現しているんだろうと考えあぐねたが、
今のわたしは、それがなんの意味なのか、なんていちいち考えない。
痛いところにそっと注ぎ入れるだけの音楽。
それで十分。





こうして休みの日に花を眺めていると、
花はどれもいくつもの美しい部分から成り立っていて、
その何が欠けてもその花と成り得ないのがよくわかってくる。
職場だって仕事だってきっと同じだろうに。
眠りの浅い日々、梅雨が来て夏が来て、
秋になる頃にはこの騒ぎがどうか少しでも落ちついていますように。
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