音の快楽的日常

音、音楽と徒然の日々
2018

1年の最後の日にまずは反省を。

こんなに多くのトラブルに見舞われる1年も珍しかったが、

便利なネットもパスワード一つわからなくなるだけで何と面倒なことか!

blogがほぼ放置プレイになってしまったのは、

そういう面倒と向き合い、解決しようという根気もなくて、

解決したのがようやくこの年の瀬という訳で。

 

反省:問題は発生した時にきちんと解決しよう

 

ワードプレスというのがいいよと教えていただいたが、

わたしにはとんでもなく気の遠くなる作業で、

最初のハードルが高いものは、今のわたしには不向きだと思い至った。

もっと書きやすい(管理しやすい)blogソフトがあれば助かるが、

パスワードの再設定が何とかできたので、よしとしよう。

 

 

 

 

さて、音楽について。

Tidalを使って、あれやこれやと聴いてみたが、menuの使い勝手に馴染めず、

やはり、従前からの「探し方」が良いと思った。

迷いながらも、ふと行き当たったところに面白い音楽がある。

残りの時間を意識しつつも、それで良いのだと納得した。

それに、レコード盤の手触りというか匂いというか、そういうものをひっくるめて、

わたしには音楽だった。

ボロ切れのように疲れて部屋に帰り戻ってきて、目が閉じる前の一瞬に、

手元のジャケットをちらと眺めるだけで、笑みが戻るのがわかる。

ましてや音が出るのだから、やっぱりレコード万歳なのだ。

 

この1年、事務所での滞留時間がやたらと長かった。

それに負けじと映画を見たが、映画をこれでもかと見まくったのは、

再生環境が一層整った影響も大きい。

人の声があたたかく、肉感に満ちている。

再生環境がないと作品の良さがわからないというのではなく、

良い再生環境のもとならより楽しめる、それを素直に受け止めたい。

 

 

 

 

区切りを感じることの少なくなった生活のなかで、

1年間に聴いたもの観たものを一気に振り返るのはなかなか難しい。

備忘の意味でこうしてネット上に書き残すことが本当にいいのかどうか、

迷うところもあるけれど、

空間に投げ出されては消えていく、例えば部屋の中での発話のように、

URLという地番にのみ繋ぎとめられてつながっていく頁の束が、

ひょっとして何某かの意味を持つかもしれないと少しだけ期待して。

 

今年最後の1枚は、カーペンターズのwith RPO盤を。

 

 

リチャード・カーペンターによる指揮・アレンジとのことだけれど、

手持ちのどのアルバムよりも歌声が濃厚で芯を感じる。

CD音源での再生だが、2月にリリース予定のLPだとどうだろう?

同様の企画(with RPO)でビーチボーイズもあって、

こちらはapple musicで聴いてみたがカーペンターズのアルバムとは少し違う感触だ。

ともあれ、年末の大寒波そっちのけに部屋がぐっと暖かになる1枚。

1年の締めくくりにもぴったりなアルバムだ。

pop & rock | - | - | author : miss key
還暦リサイタル

待ちに待ったIvo Pogorelich リサイタル、12月8日のサントリーホールへ。

今年のイルミネーションはかなり控えめで、去年のゴージャスな飾り付けは一体どこへ。

暖冬といいつつこの週末はぐっと冷え込み、いつものこのコンサートらしい季節に。

 

 

 

 

演奏曲は休憩を挟んで3曲。

モーツァルトのアダージョ ロ短調 K.540、リストのピアノソナタ ロ短調、

そしてシューマンの交響的練習曲 op.13(遺作変奏付き)。

 

しかし、驚いたのは演奏に入る前のリハビリのような開演前の演奏シーン。

いつもはモノクロのグラデーションのようなカデンツァの連なりで、

気持ちの高ぶりを抑えているのか、或いは見えない誰かと会話しているのか、

そんな不思議な響きに迎えられて着席するのだけれど、

今日は明るい音で、軽く息を整えるかのような指運びで拍子抜けするほど。

もうやるべき準備は全て済ませているのだからと万全の空気が伝わってくる。

 

照明が抑え気味になり、ステージに現れた彼は見た目にはいつもの彼だけれど、

その第一声?、第一音の響きがなんとも言えない芯の強さと輝きで、

今夜は特別な時間になると否が応でも確信した瞬間。

 

一音、一音のたしかさ。

演奏家がホールの空気全てを掌握しているかのよう。

自信というのとはまた違う、文字通り確信に満ち満ちた、

これしかないという淀みない流れにただうなづくしかなかった。

 

リストのロ短調は来日公演でも何度か聴く機会があったけれども、

今夜ほど、「到達点」を感じた演奏もなかったと。

感情の爆発でもなく、壮大な実験でもなく、過不足なくこれで良いと納得に満ちた演奏。

これが録音されていたらなあとは贅沢な話で、

いや、たった一度しか聴けないのだから、ものすごく贅沢な話であって。

 

しかし、今日ほど驚いたこともないなと思ったのは、恒例のファンサービス、

終演後のサイン会でのこと。

そこにいた彼は、街中ですれ違っても偉大なピアニストとは思わないだろう、

ふつうの、年代なりの、語弊を恐れずに言えばただのおじさんだった。

にこやかに、大量の列を裁くのに神経質なスタッフを余所目にファンの歓談に応じ、

低い声でゆっくりと話す様子は、

先ほどまでのあの興奮に包まれた空気を作り出した人とはとても思えない(笑)。

常人では行き着きようもない頂を極める人というのは、

きっとon offがきっちり効くのだろうけれど、これまた拍子抜けするほどであった。

 

今夜の演目。

モーツァルトははっきりいって苦手なのだけれども、K.540はとても好きな曲になった。

いい加減なものだと思うが、素晴らしい演奏が新しい扉を開いてくれる。

 

  「真に人々を啓発する音楽は、永遠に異なった解釈を歓迎し、

 無尽蔵の宝の山に人々を誘う。」 ー  Ivo Pogorelich.

 

次の来日は2020年2月とのこと。

1年以上先だけれども、また公演に行けるのを楽しみに日々働くとしよう。

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