ごく普通の日曜に | 2022.03.13 Sunday |
天気の良い土日はできるだけ外にでて歩くようにしている。
ここ2週間ほど忙しい日が続いたので散歩歩きの距離も激減していたが、
最近は20km歩いても大丈夫なくらい体力がついていたのに、
2週間サボっていたらすっかり脚が弱くなっていた。
それほど長距離を歩かなくてもいいから、歩かない日をつくらないように。
こつこつやってきたことが元に戻るくらいがっかりすることはないのだから。
歩いていると気がつくこと。
最近特に犬を連れて散歩している方の多いことといったら。
犬を連れた方たちの野外ミーティングのようなものも結構あって、
だいたいこの時間にこの場所で、というインフォーマルな「集会」が、
何やらとても楽しそうで、
実家で飼っていた犬が生きていたら、ちょっとまぜてほしいな、と・・・。
隣の家が遠いような田舎住まいなので、
友達になってもらえる犬もなかなかおらず、
家族と過ごす間に自分が犬であることを忘れてしまうかのようだったから。
ウクライナの戦争がなかなか終わらない。
多少の寄付をしたりするのが精一杯で、ただ祈るばかりで時間が経過する。
このことを考え始めると、環境に恵まれていることのありがたみと、
安穏とした生活への見えない不安とが綯い交ぜになる。
考えても仕方ないがつい頭から離れず、眠れなく夜に聞いている曲、
David SylvianのBuoy。
この曲を初めて聞いたのはたしかラジオの音楽番組だったが、
ディスクではEverything and Nothingというシルヴィアン自身のコンピレーションの音源を
聴いている。
オリジナルであるMick KarnのDreams of Reasonに収録の音源は未聴。
それを前提に、だけれども、Buoyを聞いた当初は、
中後期のYMOとか坂本龍一さんの音が聞こえる感じで、
耳馴染みがよかったという程度だったが、
歌詞を知って思わずうーんと考え込んでしまったのだった。
どうしてこうも出口の見えない辛い出来事が続くんだろうか。
今夜もまた眠れぬ夜が続くのか。
平穏で無事な日々をありがたく素直に受け止められない自分がいる。
頑なな心に音楽が答をくれると信じながら朝が来るのを待つとしよう。